[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
1844
:
うのはな
:2013/10/19(土) 16:12:55 ID:heySbyvM
「御盾武士」
一 身分は低い武士でも、天皇の盾となる官軍だ。
二 富士山がたとえ崩れても、岩鉄のように固いわが心は砕けないぞ。
三 馬の口を取り直して、錦の御旗をひらめかせよう。
四 世の中が良くなっても悪くなっても、誠の道を歩め。
五 死ぬも生きるも天皇の言われるとおりに従おう。背いてはいけない。
六 無理からぬことではなかろうか、生きて死ぬのを嫌がるのは。
七 ヤタのカラス(神武天皇東征の先導をしたと伝えられるカラス)も
官軍の先導をしているぞ。負けてなるものか。
九 今夜の命も明日の命もわからない身だ。早く功をあげよ。後れをとるな。
十 遠い神代の日本国を取り戻せ、御盾武士よ。
久坂玄瑞 1840〜1864年。長州藩医の次男。藩校明倫館に入り、のち医学所で学ぶ。
松下村塾で高杉晋作と双璧と言われ、吉田松陰の妹と結婚。
藩を超えた尊皇攘夷運動の中心人物として、国元と江戸・京都で活動する。
英国大使館焼き討ち、外国船砲撃事件などに参加して倒幕に動く。
禁門の変で負傷、自害する。享年二十五。
『志士の言葉』 斉藤孝 著
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板