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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

1781志恩:2013/09/24(火) 17:25:16 ID:.QY5jUA6
信仰/板より
トキ様掲示板に、1年半程前にいらしていた
八咫烏様の投稿文

1904 :八咫烏:2012/03/29(木) 04:56:41
初心者様、

ボロメオの輪は、現実の組織に譬えるには、非現実的すぎると思います。
お互いに関与できないものが何の意味があるのですか。この様な平面上の不思議絵のようなものが
現実の、交流し、関与し、結び合うべき組織に対してそれを当てはめて、
その通りの状態が起きると思うのですか。

仮に要素を、信仰、救済、真理探求としても、それらが互いに関与しないわけがないのです。
この様なだまし絵のようなものを用いることは、現実の姿を正しく捉えることにはつながらないと思います。



現総裁が、今やめればやりたい事ができなくて無念だとか言われますが、

現実に組織が衰退し、人々の心を救済することもできないでいて、
これ以上何を何をやりたいのかわかりませんが、

雅春先生の説かれた根本真理をしっかりと掴むことなく、真理の探求というのは、
生長の家信徒の基本姿勢ではありえないことです。

根本真理をしっかりと掴み、中心に置けば、そこから一切が整ってくると思います。
健康な人間の体が、統一体として機能し、体中に血液が循環し、自由自在に動けるように、
組織も、第一のものを第一にすれば、自ずと秩序が整ってくると思います。

第一のものを第一にしていないから、いくら組織論を作っていろいろ試しても、
恰も脳内に障害を負った人のように、身体は機能不全になり、自由が失われていくのです。

組織論よりも前に、総裁が仮にも生長の家と名乗るからには、
雅春先生への敬愛の気持ちがあるのかどうか、そしてその説かれた
真理をきちんとつかんでいるかどうか、それがなくてはならないと思います。

それがないまま、形ばかりの継承者では、教団が衰退するのは当然のことで、
それは継承とは言わず、極端にいえば、
総裁の椅子の、非信徒による乗っ取り
であると私は思います。

大体、救済が環境問題とはおかしいのではないですか、
人の心を救わずにいて、形に現れたものを、いじくりまわすのは、
宗教が中心に置くべき救済ではないと思います。
雅春先生も、映画のフィルムを変えないで、スクリーンに写った映像を切り貼りしても
根本的治癒にはならないとおっしゃっているではないですか。

宗教の救済は、人々に自ら起つ力を与えることです。与えると言うより、自覚させると言うべきでしょう。
それなくして、宗教組織の意味が何処にあるのですか。

雅春先生の言葉が扇情的だとか何だとか、雅春先生の教えにケチを付ける前に、
何故雅春先生の教えが多くの奇跡を表し、多くの信徒を獲得できたか、
先ずそれを学ぶことからはじめるべきです。

そもそも、雅春先生とどうしても考えが違うならば、総裁を辞するのが、誠意ある態度
だと思います。

これではまるで、内閣の閣僚が、意見の合意ができてないまま組閣した民主党のようではないですか。
バラバラの方向を向いて、走りだせば、組織としての統一は失われ、機能不全が出るのは当たり前です。


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