したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

1762曳馬野:2013/09/21(土) 13:52:48 ID:7iGSjyRU
●で清超先生とはどのような人なのか

これについて回顧派(教団内外を問わず雅宣先生曰く原理主義者)の誰もが認めるであろう榎本恵吾 講師の

  『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書― より


《 これをもってこれを想えば、真理の法燈を継承せられた総裁谷口清超先生が、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を読む』 の中に表現せられた、 「山水経の巻」 の

“西山常運歩、東山水上行” の自在の實在生命のはたらきの相(すがた)が、教化の相であるとのご教示は、

【まこと何を継承され給うているかを拝察せしめて下さるものがあると言わなければならないのである。】

 その言葉いずこより輝き出で給うているか。意味如何(いかん)の前に、そのお言葉は光りの量であると受けとったのが、迦葉(かしょう)尊者であったのである。

 釈尊は無言のままであった。そのままの姿の中に、光りの量、いのちの量、み仏の量なるものを無量し給うたのである。

無量とは、渾(すべ)ての渾てであることの消息をいうのである。それ故迦葉一人で充分であったのである。

 
【一人で充分なるものの消息にこそ、滴々相承(てきてきそうじょう)の消息があるのである。

 神はお一人で充分であり給い、天皇はご一人(いちにん)で充分であり給うのが世々継承の荘厳なのである。】

 大聖師より示されている金波羅華(こんばらげ)の拈華微笑(ねんげみしょう)において日本天皇の、實相日本の相(すがた)が示されているという所以(ゆえん)が

ここにあると言わなければならないのである。》
             
        榎 本 恵 吾



以上により考えるに、本流回顧主義者は、雅春先生の教えを丸ごと滴々相承された清超先生に弓引く者であり、1990年より2005年まで清超先生と共に歩み、総裁代行に任じられ、

清超先生の意識のある間に、生長の家総裁に相応しからずと否定されなかった、滴々相承の雅宣先生に弓引く者と云わざるを得ない。

榎本恵吾講師の認められた清超先生を否定する者達と云わざるを得ない。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板