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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

1659トキ:2013/09/09(月) 21:48:45 ID:ChGqXjKM
 末端とは言え会員のくせに「大自然讃歌」をもっていなかったのですが、ある人が貸してくれたのでゆっくりと拝読しました。

 先ず、感想としては『高校時代の生物の教科書みたいだな」というものでした。天の使いが来たりて説かれたのが『生物」の
教科書みたいな話なので、ひょっとしたら『天の使い」は高校の生物の先生を副業にされているのかしら・・・とつまらない事
を考えました。生物の多様性とか、それは大事な話ですが、仏前で唱える話ではないみたいな。霊界も現象の世界ですが、生物
の世界の法則がそのまま通るか分かりません。

 次ぎに、つまらない事ですが、功徳点や鍵括弧の使い方がおかしいと感じました。

 あと、感じたのが、総裁の世界観は、『自然」を崇拝するもののような気がしました。自然至上主義というべきでしょうか。
それが悪いとは思いませんが、谷口雅春先生のおときになられた教えは違うと思います。自然と言えども『現象」ですから
これを崇拝する事は、実相を崇拝するのとは違うと感じます。天の使いが、現象について縷々説明をする、という話は私は
好きではありません。

 とは言え、これを集団で読まされる人もいると思います。その時に、「これは聖経ではない」という意識をもつ事は大事か
と思います。生物の多様性という発想は間違いではないが、あくまでも一つの価値観である、という事です。問題が、それが
事実上の『聖経」になっている、という点にあると思います。これが、信徒の強い反発をかっていると感じます。
 
 私は、読みたい人は読めばいいし、読みたくない人は読まなくてもいいと思います。それを、読むな、とか、読め、とか他人
に指図する資格はだれにもないと考えています。


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