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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

1590うのはな:2013/07/31(水) 10:19:54 ID:csrtWQ46
  日本社会が戦後激変した訳

 マッカーサーが日本に進駐してきて、最初に行ったことは日本の情報空間を奪うことでした。
「三〇項目のプレス・コード」を発令し同盟通信は解体されました。
 日本が一番変質した原因は、良質な旧制中学校の校長など、指導者層を公職から追放したことです。
一九四六年三月十日には、「軍国主義指導者の追放指令」と称し、同じ敗戦国のドイツでは実施されなかった
G項で「ジャーナリスト・文化人」など十九万人が追放されたのです。

 この指令が欺瞞に満ちたものだったのは、対象指導者の三親等まで追放されたことで、良質な日本人が一〇〇万人以上が
指導層から消された。日本の歴史上初めての出来事だったのです。
 当時、「泣く子もだまるGHQ」とは、公職追放を指しての言葉だったのです。
(『公職追放論』増田弘著)。

 マッカーサー(連合国軍最高総司令部)は、日本を弱体化させる目的のために、米国の
「自由と民主主義」と相容れない社会主義者を、公職追放した人物と差し換えたのです。
 そして、日本人の精神的支柱(武士道精神)である伝統・文化全般の破壊工作として
「日本人同士を敵対させる」巧妙な政策を実行したのです。

 その目的を達成するために、一九四五年(昭和二十年)十一月二十一日夜に、「天皇制について」と
称した番組を放送しました。当時、新聞においてさえ憚られていた「天皇制」に関する座談会だったのです。
ゲストは、同年十月十日に府中刑務所から釈放されたばかりの、日本共産党を創立した指導者の徳田球一だったのです。

 『ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神』 水間政憲 著


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