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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

1576うのはな:2013/07/22(月) 16:44:14 ID:m/ZXEHnw
  日本による強制連行は本当にあったのか

 韓国人の日本叩きのなかで、「従軍慰安婦」と並んでよく出てくるのが「強制連行」です。
夜中に叩き起こされ、取りすがる家族の手を払ってトラックに押し込んで連れ去った、といった話がまことしやかに
語られています。
 一時は「在日朝鮮人はみな強制連行の被害者とその子孫だ」とされ、強制連行された人数は200万人とも言われていましたが、
最近は70万人という数字に落ち着いているようです。

 著名な朝鮮史学者の説では120万人となっており、その根拠は「戦後の在日韓国・朝鮮人が120万人だったから」というものです。
「北朝鮮労働新聞」では、840万人が強制連行されたと主張していますが、終戦当時の朝鮮半島の人口は約2500万人です。全人口の3分の1を連行するのに人員や
輸送手段がどれだけ必要か、またそれだけの人間を収容する土地や食料はどうしたのか、考えても無意味なだけでしょう。

 連行されたのではなくても「日本人に土地を奪われ、満州や日本に流出するしかなかった」と主張する人はいます。
また「在日韓国・朝鮮人の一世、二世、三世も強制連行された人たちであり、外国人であっても別格として国家公務員資格や選挙権を与えるべきだ」という主張や運動もあります。
 しかし、日韓基本条約が締結された1965年には、「強制連行」「従軍慰安婦」などはまったく問題にされていませんでした。
被害者がなぜか次々名乗り出るようになったのは、10年も経ってからの1975年以降のことです。

 自発的に国を捨てて、満州やシベリアに流れる朝鮮人が多かったのは事実です、季氏朝鮮末期の1891年には、
平安道国境から10万人以上が清国に不法越境したという記録(『統計交渉通商事務が門日記』)があります。
また『日省録』によると、1894年にロシア側の通牒で、1058世帯が送還されています。
 日本にも大量の労働者が流れ込んでいますが、労働者が低賃金の場所から高賃金の場所に移るのは当然です。
彼ら移民は内地の日本人から職を奪い、また治安を悪化させる原因ともなりました。

 そのため1918年には、朝鮮人を募集する日本企業に対して「労働者募集取締」の行政指導が行われ、日本をはじめとする海外への
渡航も制限されました。しかし、民族紙「東亜日報」は「これは朝鮮人全体を無視し侮辱する悪法だ」とする撤廃キャンペーンを張り、1922年には撤廃されています。
1924年には釜山で、渡日制限撤廃を訴える5万人規模の市民集会が開かれ、朝鮮労農総同盟が内務省と総監督府に抗議しています。

 内地では対策として、28年から水上警察を動員、出発港と末端警察機関で二重の渡日取締を実行します。
それでも在日朝鮮人数は、25年には13万人、33年には46万人と、8年間で3.5倍に急増しています。
朝鮮の済州島と大阪を結ぶ貨客船「君が代丸」は、定員の倍近い出稼ぎ労働者でいつも満員でした。それでも運賃を節約するため、
済州島の住民が「蛟龍丸」「伏木丸」といっては「強制連行」どころか「入国阻止」に必死な状態であって、連行などしなくても朝鮮人労働者は
ありあまっていたのでした。

『韓国人に教えたい 日本と韓国の本当の歴史』 黄文雄 著


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