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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
1527
:
志恩
:2013/07/07(日) 16:46:22 ID:.QY5jUA6
〜「曳馬野(ひくまの)」〜
(奈良時代からあった地名。のちに、「浜松」 と改名された。古代、歌にも詠まれている)
家康時代[編集]
元亀元年(1570年)に家康は、武田信玄の侵攻に備えるため本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移した。
岡崎城は嫡男・信康に譲られた。
当初は天竜川を渡った見付(磐田市)に新たに築城をするつもりであったが、
籠城戦に持ち込まれた際天竜川により「背水の陣」となることから、
曳馬城を西南方向に拡張した。
その際、
曳馬という名称が「馬を引く」、つまり敗北につながり縁起が悪いことから、
かつてこの地にあった荘園(浜松荘)に因んで城名・地名ともども「浜松」と改めた[1]。
元亀3年(1573年)、武田信玄がこの城を攻める素振りを見せながらこれを無視するような行軍をして家康を挑発。
挑発された家康は浜松城から打って出たが、
武田軍の巧妙な反撃に遭って敗北を喫した(三方ヶ原の戦い)。
拡張・改修は天正10年(1582年)ごろに大体終わった[1]が、
その4年後の天正14年(1586年)、家康は浜松から駿府に本拠を移した。
家康の在城期間は29歳から45歳までの17年になる。
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