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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
1521
:
うのはな
:2013/07/01(月) 10:32:00 ID:/umZdR86
光源氏が語る「大和魂」
実は、「大和魂」なる言葉は遥か千年前の平安時代に女性が創出したものでした。
その女性とは、あの長編小説『源氏物語』を書いた紫式部です。
『源氏物語』の中に「乙女の巻」というのがあって、この箇所に初めて大和魂という言葉が出てきます。
どんな場面か、かいつまんで紹介しましょう。
主人公光源氏の息子である夕霧が元服を迎え、彼の進路について光源氏がある決断を下します。
それは大学に進学させるというものでした。当時の大学は現在の大学とはまったく違うもので、高級官吏になるための
高等教育機関です。多くは中級下級の貴族の子弟が入学するもので、光源氏の長男であれば無試験で
上級貴族の地位に就くことが可能でした。そういう点では夕霧は生まれながらに将来を約束されていたのです。
ところが、光源氏は夕霧を大学にやるのだと言い出します。この一報を耳にした、夕霧の母方の祖母である大宮が異論を唱え、
なにゆえわざわざ遠回りをさせるのかと詰問するのです。この時、光源氏はかねてからの思いを大宮に語って理解を求めました。
参考までに、谷崎潤一郎の口語訳を掲げておきましょう。こういうくだりです。
「高い家柄の子息として、官爵も思いのままになり、栄華を誇る癖がつきますと、学問などで苦労するのは廻りくどく思うようになりましょう。
遊戯に耽り、望み通りの官位に登るというようになれば、権勢に従う者どもが、腹の底ではせせら笑いながら、世辞を言ったり機嫌を取ったりするものでございますから、
その当座は自然ひとかどの人物らしく思えて偉そうに見えますけれども時代が変って、親たちなどに死なれたりいたしまして、落ち目に向って参りますと、人に侮り軽んぜられて、
身の置きどころもないようになります。やはり学問を本としてこそ、大和魂も一層重く世に用いられるのでございましょう」
高貴の地位にありながら学問などの苦労を知らず、その特権で人の上に立っていても、仕える臣下から内心軽蔑の眼で見られていたというのが当時の実態でした。
炯眼の式部は、そうした人間関係がもたらす幸不幸を見尽くしていたことでしょう。
一門の権勢に翳りが見えれば、しだいに周囲は離れてゆく。当時も今もそれが世の常です。
だからこそ式部は光源氏をして「学問を本にしてこそ、大和魂も一層重く世に用いられるのでございましょう」と語らせたのです。
後略
『子供に読み聞かせたい 日本人の物語』 占部賢志 著
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