したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

1375うのはな:2013/06/01(土) 08:34:50 ID:Bne3SOm6

戦前の日本が立派であったことを示す例を紹介しましょう。
ヒトラーからユダヤ人の取り締まりを要請されたとき、日本政府は総理大臣、
外務大臣、陸・海軍大臣、大蔵大臣でつくる「五相会議」で対応を協議しました。
 当時の陸軍大臣・板垣征四朗は、神武天皇の「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)となす」と
いう言葉を引用し、「特定の民族を差別することは、神武天皇以来の建国の精神に反する」と言って、
ヒトラーの要請を断ったのです。

 日本は当時、唯一、政府が反ユダヤに与しなかった国でした。イギリスやアメリカは、ポーランドを脱出したユダヤ人たちの
船の寄港を許さず、乗っていた人たちが最終的にアウシュビッツ収容所に送られてしまったケースすらありました。
 あまり言われていないことですが、大量のユダヤ人の命を救ったことで知られる杉原千畝がいくらビザを出そうと、もし日本政府が
拒否していたら、彼らは日本に入国できなかったのです。

 それを昭和十三年(一九三八)、シベリア鉄道で逃げてきたユダヤ人たちが満州国の国境で足止めされたとき、当時の特務機関長だった樋口季一郎が、
関東軍参謀長だった東條英機(後の総理)を説得して入国を許可し、満鉄総裁だった松岡様石が手配して、上海租界まで彼らを運んだのです。
 この樋口は、終戦時には占守島の指揮官であり、ソ連軍に最後の痛撃を与えてスターリンから戦犯指定されましたが、ユダヤ人たちの救出活動で助かっています。

『取り戻せ、日本を。』 渡部昇一 著


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板