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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
1260
:
うのはな
:2013/04/24(水) 15:07:30 ID:9SmKFq.s
< 愚かな者は、体に刺さった毒矢を抜かずに、「誰が放った矢か」と問うている。>
この言葉は、次のような話から来ています。ちなみにこの話は、ブッダが弟子たちにした話の中にもあります。
数人の男たちが森へ獣の猟に出かけました。男たちは弓矢を持っていました。
毒が塗られた矢を獣に放って、捕まえるためです。
森で猟をしている時、誤って放たれた矢が仲間の男の体に突き刺さってしまいました。
早く矢を抜かなければ、毒が回って死んでしまいます。
なのに男は、矢を抜くことを忘れて、「いったい誰が放った矢なのだ」と騒いでいるばかりでした。
このような話を紹介しながら、空海やブッダは「なんと愚かな男なのだろう」と述べているのです。
この言葉で空海やブッダは、「犯人探しよりも、危機から脱する対処策を考えるのがまず大切だ」
と言いたかったのでしょう。
現代社会でも、たとえば会社の経営が上手くいかなくなった時に、「いったい誰に責任があるのか」と
犯人探しの議論をやっている間に、経営の危機への対処が遅れて、結局はどうにも身動きできなくなってしまう、
といったことがよくあります。
何か問題が起った時、まず最初にすべきことは、その問題を解決する方法を探すことです。
犯人探しは、その後です。そうしないと問題がどんどん悪化して、取り返しがつかないことになりかねません。
打たれ強い心をつくる『空海のコトバ』 植西 聡 著
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