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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

1259うのはな:2013/04/23(火) 23:19:41 ID:36i/AWcM
     「死ぬことと見つけたり」

 最も有名な『武士道』の言葉、そして最も誤解された言葉かもしれません。
「武士道と云うは、死ぬことと見つけたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。
 別に仔細なし。胸すわって進むなり」

 訳すと「武士道とは死ぬことと見つけた。生か死か二つに一つなら、死を選べばさっさと片付く。
 どうってことない。度胸がついて進むのだ」。
 これを“切腹や特攻のススメ”と早とちりする人多数ですが、それでよいのでしょうか。
 私はむしろ言葉の端々に、死線を越えた者特有のゆとりすら感じます。
「死の正体、見切った!」との勝利宣言に聞こえるのです。
 生きたいと思うから死を恐れる、死ねばその恐怖から解放されると常朝はいいます。

 たしかに死んだ後は、怖がる自分がもういません。死ぬ瞬間は一瞬で、怖がる暇もありません。
 そして「死にたくない」と怖がっている(生きている)うちは死にません。
 そう、死そのものが恐怖ではないのです。「死ぬことを考えると怖くなる」だけなのです。
 生きている間、死は頭の中にしか存在できず、目の前の現実とはならないのである。

 これは人間の脳のに仕掛けられたトリックです。常朝はこのカラクリを見破りました。
 生きるか死ぬかの瀬戸際で人は考えません。
 考える前に動いています。「片が付き」「胸がすわり」、現実を生きるのです。
 時間を持て余した人間のみが、頭の中で死をこねくり回し、その結果、ひとり歩きを始めた死に翻弄されるのです。

 「死」を「欲」や「物」、「金」に置き換えるもよし。全ては頭の中の妄想で、目の前の現実を生きるには邪魔物でしか
 ないのです。幼少期の常朝は病弱で、二○歳まで生きられないと言われていたそうです。
 そして先ほども話しましたが、四十二歳で切腹を決意したものの、生きることを命じられます。
 そんな人物の言葉。単純な“死のススメ”であるはずがないのです。

 『日本人の心を奮い立たせるサムライの言葉』 成嶋弘毅 著


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