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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

1245うのはな:2013/04/18(木) 09:36:14 ID:Rs.10vjU
傍観するのではない 参加する

 セミナーの途中から入るという考え方自体が傍観者です。
傍観者は、時間をムダにしています。大道芸を「何やってるの」と途中から見て、
また歩き去るようなことをしているのです。
 同じところにいても、まったくまじり合いません。
初回のダンスの体験レッスンを見学ですませる人も、時間をムダにしています。
あらゆる習いごとは初回から体験しないとわからないのです。
時間の使い方は、その人の生き方です。どんなセミナーも、傍観か参加のどちらかです。
世の中のほとんどは傍観セミナーです。つまらなくてテンションも低いのは、傍観セミナーです。
途中から来ても大丈夫なセミナーはたくさんあります。
遅れてくる人のために、始めるのを待ちます。早くから来ている人はバカらしくなって、みんな遅くなります。
セミナー後の懇親会開始の5分前から参加する人が増えるのです。
遅れてきた人は、「それ、言ったよね」というとんちんかんな質問をします。
途中から来た人には質問する権利がないのです。最初から聞いていなければわからないのは当り前です。
遅れてきた人は、ズレた質問ヲシテ、アンケートには「いまいちだった」と書きます。
自分のせいであることに気づいていないのです。
酸素吸入したほうがいいくらいの濃い時間を過ごすことです。
休み時間には教室の空気を入れかえたほうがいいくらい脳を使っているのが、濃い時間です。
濃い時間を一日のうちに少しでも持つことが、時間の使い方には大切です。
参加しているから濃くなるのです。
傍観していると薄くなります。傍観者は面白くないので来なくなります。
つまらない文句を言う傍観者がいなくなれば、参加者の時間はもっと濃くなるのです。

 中谷彰宏 著


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