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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

1229トキ:2013/03/26(火) 10:00:12 ID:gSFcfGK6
 − しかし、フアンダメンタリストの教義と科学の間には、そんなことでは解決ができないほ
ど深刻な対立があるのではないか。

「宗教の側には部分的真理という以上の問題がある。それは教団として組織化されることから生
じた、真理の道の踏み外しだ。すべての宗教は偉大なスピリチュアルな真理をつかんだ指導者の
教えにはじまる。しかし、信者は、その教えの本質を充分にほ理解しない。

 各宗教の教祖となったような人々は、イエスにしても、プッダにしても、モーゼにしても、モ
ハメッドにしても、あるいほゾロアスターや老子にしても、みな人間の自意戯の束縛から脱して、
この世界のスピリチュアル・ワンネスにふれた人々なのだ。だから、彼らはみな同時に超能力者
でもあった。彼らはみな奇蹟を起こした。奇蹟というのは超能力現象の別の表現だ。しかし、そ
の教えを受けて、追随した人々のはうは、自意識の束縛から逃れきれていないために、教えられ
た真理をそこまでの深みにおいて把捉していない。だから、指導者が世を去ると、信者集団はス
ピリチュアルな真理から人間的自意識の側に引き戻されてしまう。そして教団が組織され、教団
全体としてますます原初の真理から離れていくことになる。教団化された既成宗教はどれをとっ
ても、いまや其のリアリティ、スビリチスアルなリアリティから離れてしまっている。私がいう
宗教的真理というのは、教団教義のことではない」

(つづく)


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