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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

121初心者:2012/07/10(火) 08:32:01 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>やはり初心者さまが示している「本物のうちゅう」のことが、
どういうことを指しているのか、よくつかめません。
もちろん、簡単に分かるものではないと思ってますが。

この「見えている宇宙」は見せかけであって本物ではない、というのは明らかです
ね。これが本物でないとすれば、どこかに本物があるはずです。「本物の宇宙」と
は、それが「あるか、ないか」の問題ではなく、「それはどこにあるのか」、「それは
何であるのか」の問題なのです。

したがってこれは信仰の問題ではありませんね。信じるとか信じないとか、そう
いう問題ではないということです。

前にも書きましたが、「寂光論争」は信仰の問題であったはずです。雅春先生が
問題にされたのは、「寂光世界」がどうこういうのではなく、そうした世界を信じ
ようとする倉田百三氏の心的な傾向を、「そのようなものを信じているあいだは
まだまだですね」ということで、問題にされたのだとおもいます。

倉田百三氏にしても、それが「わかっている」というのではなく「信じている」と
いう状況でした。ですけども、わたしのいう「本物の宇宙」は、それが実在する
と信じられているのではなく、それが実在であるのはすでに明白であるので、
「それがどこにあり、何であるのか」ということだけを問題にするということです。

「それが何であるのか」をさぐるために、現代物理学や心理学、言語学などに
かんしての生半可な知識を駆使してみようということですね。わたしもまだまだ、
「それが何であるか」を理解しているというわけではありませんが、以前にも申し
ましたように、真理とは、それを知ることよりも、知ろうとする過程が楽しい、という
ことですね。

本物の宇宙とは、信仰の問題ではなく、真理の追究の問題であり、したがって
「寂光論争」とは無関係であると考えます。

>偉大な哲学者であり数学者でもあったヘルマンワイル(初心者さまはご存じかも知れませんが、)は、
常々、「真善美は同じ一つのものの三つの側面に過ぎない」と強調していたそうです。

ヘルマンワイル?知りません。じつはわたし、数学者の名前はほとんど知らないの
ですね。一般の人たちと話をしていても、数学者の名前がでることがありますね。
たいていは日本の数学者なのですが、「知っているか」と聞かれて、いつも「知らな
い」と答えております。

じっさい知らないのですね。数学者の名前は知らないばかりか、数学関係の書籍
を、たとえそれが一般の人向けにわかりやすく書かれたものであったとしても、
手にして読むということはまずありません。やはりあの「挫折経験」がトラウマに
なっているものとおもわれます。

ちなみにDブレーンの正式名称は「ディリクレ・メンブレーン」であるようです。
「ディリクレ」は19世紀に活躍した数学者であったようです。


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