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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

120さくら:2012/07/10(火) 00:07:13 ID:vxm3Yqkc
初心者さま

・・しつこくて、申し訳ないのですが、寂光論からの続きです。

やはり初心者さまが示している「本物のうちゅう」のことが、
どういうことを指しているのか、よくつかめません。
もちろん、簡単に分かるものではないと思ってますが。

わたしとしては、それは、大宇宙の叡智のようなものではないか、
と感じていると書きました。
これは、自然の法則などに現れるものと同時に、
捉えどころがないのない、なにか・・妙なる生命力のようなものではないかな、と。

数学者、科学者が証明の道筋に、常になぜか、美というものを基準にすることがあるようです、
美しい理論、美しい定理・・結局それが真実へ導くものとなることを、真髄を知る数学者ほど、よく理解が出来るみたいですね。
偉大な哲学者であり数学者でもあったヘルマンワイル(初心者さまはご存じかも知れませんが、)は、
常々、「真善美は同じ一つのものの三つの側面に過ぎない」と強調していたそうです。
これは、宇宙の叡智が、自然の法則という形になって現れたとき、美をあらわすということなのではないでしょうか。この「善」とは、人間の社会通念的一般常識としての善ではなく、自然の法則の美にかなった、「善」ですが・すべてが絶妙なバランスを取って、調和している状態のことではないかとわたしは思っています。
あるべきように、ある状態というか。

初心者さまは、雅春先生のお悟りの部分を、「反証不可能」ということから否定されておられるようですが、
雅春先生の直感的把握の実在世界は、妙なる豊かな美しいものです。
そして、例えそれが、反証不可能だとしても、実際生活を改善し豊かにしている実証があり、そのことは、易々とは軽視できないことではないでしょうか。
もちろん、簡単に、生活や身体が改善したからそれが真理だ、と言うつもりはないのです。ただ、反証不可能、ということだけで、雅春先生の直感的把握の世界を否定されることは出来ないのではないかと感じます。
雅春先生でも、本物の宇宙のことは、言及されていない、ということを書いておられましたが、そのことは、実際どういった問題を引き起こしているとお考えですか?

宗教的に言えば、雅春先生が実際生活に及ぼしてきた真善美の実現、救いの実現を善だとすることも、初心者さまは、反証不可能として否定されますでしょうか。

初心者さまが、「善」と考えるのは、どのような状態なのでしょうか。


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