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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
1142
:
トキ
:2013/03/01(金) 18:04:29 ID:D.HFcOVo
最近、閑を見つけては「著作権」の本を読んでいますが、
「日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか」山田奨治著(国際日本文化研究センター助教授)人文書院
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b89117.html
は考えさせられる本でした。
最初に断っておきますが、この本には識者から批判があります。つまり著作権保護の強化に批判的な観点
で書かれているので、反対派に都合の悪い事実が伏せられている、というものです。例えば「キャンディ♥キャンディ」では
作画者の立場に立っていますが、これに対しては、実際の裁判でのやりとりを無視するもの、という反論があります。
ただ、日本の著作権保護がかなり厳しいものであること、また、法律の規制の強化は、国際条約や文化庁長官の諮問機関
である文化審議会著作権分科会での話し合いで決められるが、その話し合いが密室化している事などを述べた上で、
「憲法が認める言論や表現の自由を脅かすような著作権の使い方を、立法者たちは考えていただろうか。著作権侵害は
「文化の発展に寄与すること」という目的を越えて活用されている。法律が本来の趣旨をはずれて効力を及ぼす事のおそ
ろしさを私達はもっと考えなくてはならない」(同書、p70)
は確かに考えるべきだと思いました。同書では、著作権が、本来のコンテンツの保護という目的を越えて、違う目的を
達成するために道具として使われている事例をいくつか挙げています。個人的な感想ですが、今回の生長の家の聖典の
裁判も、それに類似するものであると感じています。
もちろん、生長の家社会事業団が主張する「聖典のリニューアル」自体には反対するものではないですが、裁判をして
まで行う利益があったのか、読者の一人としては疑問はあります。結果として、聖典や聖経の入手が困難になったのは
事実です。それよりも、教団側の多くの人の認識は、「分派」が教団に嫌がらせをするために、聖典の裁判をした(現実
に、教団の最高首脳がそう説明をしたのを直接聞いた人はいます)というものであり、その認識を全面的に否定できない部分も
存在する、と個人的には感じています。
公平のために、生長の家社会事業団を弁護すると、現在の総裁が聖典の維持や拡大には消極的であり、また独裁体制を
強いており下部の意見具申に応じなかったし、生長の家社会事業団との話し合いも応じなかった、という説明もたぶん
事実だと思われます。また、一連の総裁の決定の内容に一部の職員や幹部が不安や失望を感じていたのも事実です。が、
現在の法律や生長の家規則では、総裁の決定に異議申立をする手段がなく、生長の家社会事業団としては「やむをえず」
著作権という道具で総裁に異議申立をせざるを得なかった、という部分もあったと感じています。(私も弁護士に
判決文を読んだ感想を聞かせてもらいましたが、”法律上、生長の家社会事業団の勝訴は当然”、というものでした。
これも公平を守るために申し添えます)
(つづく)
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