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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
1094
:
志恩
:2013/02/15(金) 03:59:44 ID:.QY5jUA6
トキ様
>>「詳密講習会」は、昭和42年から47年までのノートが残っています。記録をした本人が、だいぶん、忘れて
いますが、ノートを見ると思い出すみたいです。その話の内容は勉強になります。<<
一白鳩会員様は、今でも頭がはっきりされておられるのですね。そのときの神想観のことも記憶されておられるなんて…
ノートをみると思い出すなんて、おっしゃるのですから すごいです!!
私の義母は、平成19年9月に 100歳で亡くなりました。
ずっと病気はしなかったのですが、90歳を超えてから、患いまして、寝たきりになりまして、私は、なんどもなんども介護に
遠方まで行っておりました。
義母は、明治39年11月生まれ。
義母も、普通のノートに、なんでも書き付けている人で、喜び日記を何冊も書いていました。勿論、ご講習会でのことも
書いておられました。そのノート類は 義兄が保存しています。
私は、義母とは おかげさまで とても気があっていて、ことのほか 嫁として可愛がって頂いておりました。
義母は温泉が好きな人でしたので、何度も義母に誘われて温泉旅行へ行きました。
温泉宿のこたつに入って、夜通し、母の昔からの生長の家の話を聞くのをたのしみにしていました。
母が最も尊敬し、母の自宅へもいらしていただいていた平岡初枝先生や、昔、(藤原先生が)教化部長時代に、
同じ地域で、母が白鳩会県連合会長をしていて、ご一緒だったこともあり、藤原敏之先生のお話も、よくされていました。
穏やかないい時代だったと思います。
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