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797あさひ:2012/08/11(土) 04:12:23 ID:/3nxKE2Q
復興G様

合掌

テキストUP有難うございます。感謝

病気治癒の体験楽しみにしています。

        合掌

798金木犀:2012/08/11(土) 05:09:49 ID:auusu5IE
復興G様

誌友会開催にあたって、いつもご尽力に感謝致します。
生長の家誌の法語、大変有難う御座います。5時〜6時は少し忙しい時間帯ですので、
私もちょっと時間をずらして、祈らせて頂きます。
ところで、「人の病気を癒し得た体験がないような事では体験に立脚する地についた信仰は湧きにくいのである。」
というお言葉は、痛いですね。体験がないのが普通の人の場合当たり前かと思っておりましたが、
体験がないのが、実は信仰の道では、おかしいことなのですね。

こちらの誌友会が始まってから、『生命の實相』を読み始めたり、準備不足で、参加が遅れまして申し訳ありません。
第三章は、真理を知ることで、心が変わり、それがたちどころに現実の環境運命を変える体験例が
多く載せられていて、とても心強いです。最後の三好さんへの話は、トキ様もおっしゃっていたように、
雅春先生が懇切丁寧に心得をお話くださり、参考になってありがたいです。
神想観による神との一体感、ひたすらこれに尽きると言う気がします。

それにしても、この三好さんという方は、希望が実現したあとの、ご報告を疎かにしておられるのが、
雅春先生のご深切なご指導に対し、ちょっと忘恩的な感じがしますね。
感謝の心が行き届いてない気がします。

799復興G:2012/08/11(土) 06:21:18 ID:xKxowNU.

皆さま、おはようございます。ありがとうございます。

今日は神に祝福された、わが人生の最も素晴らしき日であります。

――という言葉が浮かんできました。練成会の起床放送の言葉です。

毎日、毎日が、ことごとく「神に祝福された、わが人生の最も素晴らしき日」なのですね。

>>797 :あさひ様。

ご参加、ありがとうございます。あさひ様のご体験もどうぞ語ってくださいませ。

>>798 :金木犀さま。

ありがとうございます。

毎日、毎日が体験――と生きたい、行きたいですね。

>>最後の三好さんへの話は、トキ様もおっしゃっていたように、
雅春先生が懇切丁寧に心得をお話くださり、参考になってありがたいです。
神想観による神との一体感、ひたすらこれに尽きると言う気がします。

それにしても、この三好さんという方は、希望が実現したあとの、ご報告を疎かにしておられるのが、
雅春先生のご深切なご指導に対し、ちょっと忘恩的な感じがしますね。
感謝の心が行き届いてない気がします。<<

「急いで頼み事に来る人は多いが、急いでお礼に来る人は少ない」という

天理教祖か誰かの言葉がありましたが、私は「急いでお礼を言いに行く」人でありたいと、自己反省しました。

「急いでお礼を言いに行く」ような人は、きっと幸せがあふれるようにやってくる人でしょうね。

ありがとうございます。

800復興G:2012/08/11(土) 07:00:03 ID:xKxowNU.

>>790 :a hopeさま。

>>P77には、人生苦の解決(病気やその他の人生の凡(あら)ゆる不幸)は、自己の生命の実相(ほんとうのすがた)を自覚すれば消えてしまうと書いてありますが、なかなか、その自覚に至るのが難しいのだと感じました。
現代社会で生活していると、病気になれば病院に行くのが当たり前です。そして、たくさんの種類の薬を処方してもらいます。しかし、この聖典「生命の實相」には、

P78より引用
≫それは薬物療法でも霊的療法でも結局は同じことであって、自分以外の他の物に頼らねば自分が自分を治す力がないという信念をつぎこまれるということは、しょうらい自己の「生命」が生長の本道をたどってゆくうえに重大な障害となるのであります。
で、私は皆さんはむろんのこと、皆さんの知人のかたにも、「みずから起て。生命みずからで治せ。何ものにも頼るな」の一点張りで押し通したいのであります。「生命」みずからの力で自分自身を治すことができるならば、なんの弊害もない、弊害がないばかりか、治すたびごとに「生命」自身の霊妙な力についての自信ができてくるのであります。<<

と書いてあります。
これは、現代の一般人にはなかなか、受け入れられない真理なのではないかと、正直感じています。

私自身、数年前現教団に入信し「生長の家の信徒」となってから、寝たきりになるような病気をしました。
「生命の實相」を拝読し、神想観をしていながら、そのように体調を壊してしまったのです。
薬や注射には頼りたくないという気持ちが強かったですが、痛みには勝てませんでした。……

ところで、復興Gさまやトキさまや他の生長の家の講師の方々は、ガンなどで闘病中の方にも「生命の實相」などの聖典の拝読をすすめたり、神想観の実習をお勧めされていますか? <<

ありがとうございます。
お返事が遅くなりまして、申し訳ありません。

最後のご質問ですが、生長の家を全く知らない高校時代同期生の友人が大腸ガンで余命幾ばくもないと医者から宣告されたというとき、聖経『甘露の法雨』を贈呈して、読むように勧めましたら、「これは不思議な本だ。読むと、心が安まる」と言ってくれました。しかし彼はジャーナリストでしたから、私も、それ以上は、a hopeさまと同様、
「現代の一般人にはなかなか、受け入れられない真理なのではないかと、正直感じて」勧めませんでした。彼は、約半年後に亡くなりました。
「もっと積極的に生長の家の真理を伝え、祈ってやるべきだった」と、反省しています。

信徒のガン治癒成功体験については、また後ほど語らせていただきます。

801志恩:2012/08/11(土) 07:19:52 ID:.QY5jUA6
第三章の一番しょっぱなに雅春先生がお書きになられました

 光の子とならんために光のある間(うち)に光を信ずぜよ、われは光として世にきたれり。(『ヨハネ伝』第十二章)

この”光のあるうち”に、とは、どういう意味なのか、そして、雅春先生は、なぜ、第三章の最初の最初に、このキリストの言葉を
載せられたのか、と、その深意が知りたくて,私は、このたび 雅春先生著「ヨハネ伝講義」を買いました。

p253によると、これは、イエスが迫り来る十字架の予感がしているとき、イエスが群衆にむかって演説した言葉でした。


(雅春先生は、私は独自の霊感によって、真のイエスの生命にふれられて、イエスの魂を理解し得たと 信ずると述べておられます。
   ですから、イエスと、ご自分を重ね合わせて講義をされてる霊感のコトバだと思います)

イエス「なお、しばらくの間、光はおまえたちの中に生きているであろう。光のある間に魂を進歩させて、迷いの暗に追いつかれぬ
ようにせよ。
暗の中を歩むものは、どこにいけば救われるのかしらないのだ。光の子になるために、光のある間に光を信ぜよ」

イエス「私を信じるものは、私を信じるのではない、私を遣わし給うた者を信じるのだ。神は光源であり、私は光である。だから私を
見るものは、神を見るのだ。

私が、光として、この世に来たったのは、すべて私を信じる者が、暗黒の世界に彷徨わないためである。人がたとい私の言を聞いて
それを守らなくとも、私は、これを審きはしない。私は、救いのために来たのであるから。

しかし、私を棄て、私の言葉を素直に受けぬ者を審く者は、別にある。それは、法則である。
わが語れる神のコトバである。私は心の法則を語るのであって、心の法則にそむいたものは、最後にはその法則によって審かれるのだ。

私は、おのれの知恵や力でしゃべっているのではない。
私を遣わし給いし父みずから我が言うべきこと語るべきことを命じたまうのだ。わたしは、その命令が永遠のいのちであることを知る。

さらば私は、天の父が私に言いたまうたままを語るのだ」

802志恩:2012/08/11(土) 07:39:10 ID:.QY5jUA6
p93[ヨハネ伝講義]

「生命の實相」を読んで病気が治るというのは、
本に真理が書いてあって、神が人の心に触れるからだ。神が人の心に触れるのが、宗教なのである。
神が人の心に触れると、人間の心に「廻心」(えしん)というものがおこる。肉体的人間のみをみていたのが、くらりと、その心が廻転して、
内在の『実相人間』(神・大生命)を、自己の内にみるようになるのであります。

古き「病める自分」は消滅し、新しき無病の「神の子」は実現するのであります。

心から教えを歪め(ゆがめ)ないで信じるならば、イエス以上の奇蹟を実演しなければならないというのであります。


※今、生長の家では、むかしのように病気も、そんなに治癒しなくなったのは、教えを歪めてるからじゃないかどうか、、、

805志恩:2012/08/11(土) 07:55:58 ID:.QY5jUA6
生命の実相1、第三章
p97

人間は物質という死物でないからこそ、生き死にがあり、物質だと思っていたものも、その実は「信念」が仮に
形をあらわしたものであるから、人間という心的存在に関係をもちうるということになるのであります。

それでわれわれは人間と薬との関係を、物質と物質との関係のように思っていたのが誤りであることがわかり、
人間と薬との関係は、「心」と「心」との関係、意識と意識との関係であることが覚られるのであります。


以上のご文章が、心に刻まれました。

806志恩:2012/08/11(土) 08:00:52 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、トキさま

「ヨハネ伝講義」を読みましたが、「光のある間(うち)に」という意味が、まだ漠然としていて
わからないのです。

「光のあるうちに」とは、どのような意味でしょうか。
教えていただきたく思っております。

807志恩:2012/08/11(土) 08:04:34 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

おはようございます。聖典板にと、思われたのを、ここへ書き込まれたのかしら。
別に、削除しなくてもいいと思いますけれど(笑)

808a hope:2012/08/11(土) 08:17:18 ID:r8H4x9xE

みなさま おはようございます!

今朝は、あさひさま 金木犀さま、志恩さまも投稿されていてうれしいです。

今朝の神想観中、昨晩復興Gさまが≫795で謹写してくださった
「二十四日の法語」にある祈りをイメージしてやってみました。
「自分は空っぽなんだ!自分は神さまのパイプなんだ!」心をむなしくすると、
全身に「サーっ」と鳥肌が立ちました。

これから、みささまの投稿を拝見させていただきます。
>

809復興G:2012/08/11(土) 09:11:22 ID:xKxowNU.

>>801〜806 志恩さま。
>>「ヨハネ伝講義」を読みましたが、「光のある間(うち)に」という意味が、まだ漠然としていて、わからないのです。「光のあるうちに」とは、どのような意味でしょうか。<<

よくぞ訊いてくださいました。ありがとうございます。

これは、「光はまもなく消えて無くなってしまう(イエス・キリストは十字架に磔けられる)から、光のある今のうちに光を信じなさい」という意味にもとられかねない言葉ですが、真意(神意)はそうではないのですね。

榎本恵吾先生は、その著『光のある内に』の中に、次のように書かれています。

  **********

“光のある内に光を信ぜよ、われは光として世に来れり”
(イエス・キリスト……『生命の實相』より孫引き)
“光のある内に”の[内]とは、同じくイエス・キリストの言った“神の国は汝らの内にあり”の[内]である。これは時間・空間を超えた万物発生の枢機を握る“久遠の今”(Eternal Now)である。“久遠の今”とは生長の家であり、創造の本源世界であり、高天原である。“久遠の今”に還ったときが、人々が生長の家人となり、尊師の弟子となるときである。キリストも釈迦もこの“久遠の今”から生れ出でて来たのである。生長の家は久遠の昔からある。この“今”に還ったとき、人々もまた、久遠の昔から尊師の弟子であったことを知るのである。

  **********

上記で、榎本先生は、ヨハネ伝の「光のある“間”に」というのを「光のある“内”に」と書き換えられています。光は外にあるのではなく、わが内にあるのだ、と。

神は、光は、時間・空間の中に誕生したのではなく、時間・空間をも生命表現の舞台として仮に創り生みだしたものであり、人間も本体は「神の子」として時空を超えた存在である。わが内に一切を照らす[光]があるのだ。その[光]を信ぜよ、「われ神なり」「自身神なり」と信ぜよ、ということなのですね。「久遠の今」とは、時空を生み出した本源世界であって、それが「生長の家」です。だから
「キリストも釈迦もこの“久遠の今”から生れ出でて来たのである。生長の家は久遠の昔からある。この“今”に還ったとき、人々もまた、久遠の昔から尊師の弟子であったことを知るのである」
ということになるわけです。

私たち人間は、わが内に宇宙を蔵する偉大な存在なのですね。『日々読誦三十章経』九日の経言(のりごと)にあるとおりです。

810「訊け」管理人:2012/08/11(土) 09:33:24 ID:???

>>806志恩さま


 失礼致します。この「光ある間(うち)に」の意味ですが、私流解釈では「堅信の手帳」、これがキーワードになろうかと思っています。まあ、こんな、大雑把な説明では「はあ?」になるでありましょう。ですので以下、この意味を触れて参ります。「なぜキーワードが『堅信の手帳』なのか」の理由ですが、それは以下であります。

 ・・・・さて、このヨハネ伝の一節を雅春先生は、第三章の冒頭に掲載されておられるわけです。この意図を推測するに、「体験談による堅信のお勧め」、これを強調されておられるのではないかと思います。つまり、私はこの、「光の子とならんために光のある間(うち)に光を信ずぜよ」ですが「体験談に拠る堅信を得よ」と云った意味に、解釈しました。

 さらに補足すればこの、「光ある間(うち)に」とは、五官領域でも「信仰の成果が確認できる間に」という意味なのでは、ないでしょうか(聖書ではこの後、イエスは磔にされます。)さらにそしてこの言葉、「信仰の成果が確認できる間に」とはこう、言い換えられるのではないでしょうか。その言い換えた一文はこうです――「信仰の成果が確認できる間は、『人間神の子』を確信しやすいのです」と。

 ・・・ところで生長の家には「堅信の手帳」というものが、あります。私はこの手帳でもずいぶん、救われました。左頁に希望することを書きそして、右頁に成果の確認+感謝を記す手帳です。これを繰り返すと堅信が、得られやすくなるのです。ですので体験に裏打ちされた信仰は、非常に強力なものだと思いますし、それ故に貴女様の問いかけ――「なぜ雅春先生は第三章の冒頭に、ヨハネ伝を掲載されたのか」の意味ですが、これはおそらく、「体験談に拠る堅信を得よ」といったものになるのではないか、そんな結論を得た次第です。少なくとも私にはそう、感じてなりません。


<補足>

※ 「光の子とならんために光のある間(うち)に光を信ぜよ」

 一見するとイエス、かなり傲慢なことを申しておられます。あたかもこれ、「私が皆さんの五官に触れられる間に、神を信じなさい」とこう、解釈されかねない言葉とも、言えるでありましょう。ですがこれ、もしもそんな解釈をされる方がおられたら、「間違いです」と言えましょうか。
 ここで云う「光のある間に」とは、現象からみた場合のことだと思います。實相から観れば光、これは常に差し込んでいるわけですが現象、ここから観ればそうとは言えません。そして、現象面を良化しようと思ったならば、(やや飛躍しますが)「体験談を重視せよ」、こう云われておられる気が致しております。五官領域でも信仰の成果を確認できれば、神の子たる自分への堅信、容易に造られることと思います。

811「訊け」管理人:2012/08/11(土) 09:34:36 ID:???

 >>809未読での投稿でございました。(>>810

 失礼致しました。

812復興G:2012/08/11(土) 09:37:01 ID:xKxowNU.

 『日々読誦三十章経』より <九日の経言>

   自己を偉大にする言葉

 吾れは吾が心のうちに廣大無邊なる宇宙を藏する。
 星をみつめて佇(たたず)む吾れは見詰めらるる星よりもなほ廣大なのである。
 吾れは吾れのうちに星を理解する類ゐなき能力(ちから)のある事を見出すのである。
 吾れは空の星以上のものである。
 何故なら吾れは彼等を理解すると同時に、自分をも理解するからである。
 吾れは天に在(ましま)す神々の如くに造られたのである。
 吾れは星の軌道を闊歩する偉大なるものなのだ。吾れは主の如く永遠の道を歩む者なのだ。
 吾れ心を有するが故に、吾れは世界の王者である。
 いま吾れは吾が仕事の上に王者としての第一歩を踏むのである。
 吾れは星よりも大なるが故に此の宇宙を造れる力と同じものなのである。
 然り、吾れは宇宙を造れる力と一体なのである。
 いま吾れは凡ゆる種類の恐怖と弱小と卑陋とを超越して生活する。
 吾れは空の星に比肩せらるべきものである。
 吾れは、大地をつくり、天空を支へたまふ神が、われを安固に保護したまふことを信ずるのである。
 それ故に吾はこころ安らかである。
 地の造り主、天の造り主と吾れは眞に一体である。御親神様に感謝いたします。


ありがとうございます。合掌

813トキ:2012/08/11(土) 10:12:23 ID:31q2213o
>>798

 おはようございます。

 これは私も気をつけたいと思います。

 確か、「急いで頼み事をする人はいても、急いで御礼を言う人は少ない」という
言葉を聞いた事があります。人間の気持ちとしては仕方がないのかもしれませんが、
そういう事では他人への配慮が足りないと思います。

814復興G:2012/08/11(土) 10:41:55 ID:xKxowNU.

『光のある内に』の表紙のそで部分に、次のように記されています。

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

“光のある内に光を信ぜよ、

神の国は汝らの内にあり。”

ここに永遠の光がある。

よろこびの歌をうたおう、生命(いのち)の讃歌を。

「今」が天地(あめつち)の初発(はじめ)の時である!!


ありがとうございます。

815復興G:2012/08/11(土) 10:49:00 ID:xKxowNU.

イエス「私を信じるものは、私を信じるのではない、私を遣わし給うた者を信じるのだ。神は光源であり、私は光である。だから私を
見るものは、神を見るのだ。

私が、光として、この世に来たったのは、すべて私を信じる者が、暗黒の世界に彷徨わないためである」

――この「私」は久遠のキリストであり、住吉大神であり、私たちも同じ神の子、住吉大神の全心全霊なのですね。

それが「神の国は汝らの内にあり」ということでしょう。

ありがとうございます。

816復興G:2012/08/11(土) 10:54:40 ID:xKxowNU.

上記は、>>809 「ヨハネ伝講義」解釈のつづきになります。
合掌 拝

817トキ:2012/08/11(土) 11:33:03 ID:31q2213o
>>809

 ガンで思い出したのですが、ガンになった人をお見舞いに行ったら、その人が声明の大切さを切々と語るのです。
その上で、これは、私のようなガンの人間だけではなく、どんな人でも、命の素晴らしさ、生きている事の意味の
大切さは共通すると話していました。
 また、その時に悩んで、初めて神様の事を考えた、とも話していました。

 普段、何気なく生活をしている私達ですが、いったん、ガンであるとか、余命幾ばくと言われると、初めて生命の
意味を考えます。でも、地上で限られた命であるのはガンであろうと、なかろうと同じ。だとすれば、私達は生きている
今を喜び、感謝すべきなんでしょう。

 関係のない話を書いてごめんなさい。少し感じたので、書きました。

818志恩:2012/08/11(土) 12:09:01 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

お礼の言葉が、遅くなりまして、すみません。
809で、復興G様が、榎本先生の文を引用されて、とても分り易く説明下さったので、
すっきりと理解することができました。
おかげさまで、こころのももやもやが、消滅しました。

ご文章が、奥のほうへ入ってしまいましたので、貼付させていただきます。
ありがとうございました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/809

819志恩:2012/08/11(土) 12:38:47 ID:.QY5jUA6
>>810:
『訊け』管理人様

コメント、ありがとうございます。
復興G様が、お答え下さいましたが、榎本恵吾先生は「光のある”間”に」を「ひかりのある”内”に」と書き換えられたそうですね。
これは、榎本先生フアンのきけさんも、ちょっぴり、見落として ましたでしょう。
かくいう私も榎本先生フアンですのに、見落としてましたよ。

あのコトバ、読みようによれば、
「もうすぐ、我(イエス)は、十字架に磔になるので、急げ、時間はないぞ、我が生きてる間は、残り少ないのだ、
タイムリミットであるぞよ、
だから、おぬしらは、いそいで 光を信じないと、もう、おぬしらは、永遠に救われんのじゃ」

とりようによっては、そうとれます。
だけれど、イエスが、そんな傲慢な言葉を群衆に向かって言うわけないしなあ、と私は、もやもやしていたのです。

訊け君の答えも、よかったです。
頭だけでなく、真理を実践せよ。そうすることによって真理は、汝の堅信となるのである。というわけですね。

光は、わが内にあるのだから、光の子とならんために、内なる光(神)を信ぜよ、信ずるためには、実践して堅信に
ならずば、本当の信になりませぞ。ですか。

ありがとうございます。
きけさん、「堅信の手帳」、実践されてるのですね、すごくいいことです。
以前は、「奇蹟の手帳」と言いました。私も、愛用してましたよ.最近は、やってませんけれど。

後で見直してみると、みな、願い事が叶っていましたよ。

820志恩:2012/08/11(土) 12:41:09 ID:.QY5jUA6
トキさま

実際に親身になられて、真理をお伝えなさっているご様子が、よく分ります。
書き込み、うれしく拝読させて頂いてます。

821志恩:2012/08/11(土) 12:52:45 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、トキさまが、いろいろと教えて下さってますので、皆様、どうぞ、お気軽にご参加くださいませ。
訊けさま、金木犀さま、a hopeさま、SAKURAさま,あさひさま、も、
ご参加、ありがとうございます。

今日は、午後から復興G様は、生の誌友会のご指導で、夜まで おでかけだそうです。

私も、昼は、あれこれと忙しくて、なかなかPCの前に座ることができません。
また、夜遅くにPC の前に…
しばらく失礼しますが、みなさま、どうぞ、ご自由に書き込みされて、ご参加下さいますように。

822復興G:2012/08/11(土) 13:22:36 ID:xKxowNU.

 私も今までの伝道人生の中で、医術の及ばぬガンやその他の難病が、真理の自覚によって快癒した人の体験は、いろいろと目の当たりにしてきました。少し、ご紹介します。

[その1 喉頭ガン治癒の体験] 怒りっぽかった男性のG.H.さんが喉頭ガンと診断され入院した。奥さんと誌友さんたちが一心に祈った。ある日突然、病院の医者、看護師、他の患者さんたち、その他あらゆるものが光かがやいて見え、ただありがたく感謝の気持ちが湧いてきた。すると喉がムズムズしてきたので、洗面所でガーッと何かを吐き出したら、それで完全治癒していた。それ以来、G.H.さんは人が変わったように柔和な笑顔の人になってしまった。

[その2 胃ガンが消えた体験] 相愛会の地区幹部をしていたY.N.さんは、熱心のあまり教区の指導に反撥しいつも文句を言って抵抗していました。
ところが大きな胃ガンが発見され入院。みんなで祈りました。私も病院を訪ねて握手し、激励しました。涙を流して喜ばれ、手術後起ち上がって完全快癒し、生まれかわったように明るく積極的な活動をされるようになりました。それで地域全体、さらには教区全体の雰囲気が変わるほどの影響がありました。この方の手記が出てきましたので、ご紹介します。

  「胃ガンとの戦い」をやめて
  神様の大いなる導きの中で
                  Y. N.
 私は、講師の「既に癒されていますよ」の慈悲深い言葉で、胃癌との戦いをやめました。神様に全てを託すことが出来ました。教区の練成会に、一言御礼をと思い、参加しました。涙がとめどもなく流れ、御礼の言葉も出ず、ただ講師の手を握りしめておりました。多くの方に祈っていただき、「人間は神の子なんだ。病気は私の業が消えていく姿なんだ。」と自覚することが出来ました。
 この喜びを多くの方に伝えねばと自然に思えるようになりました。私が喜びをもって行動すれば、まわりも変わってきます。心強い仲間が一緒に立ち上がるではありませんか。
「私が○○会場で体験談を発表します。是非来て下さい。」と、以前だと恥ずかしくて言えなかった事が、今では堂々と自信を持ってお誘い出来ます。
 生かされている自分が今ここに居る。それだけでありがたい。神様の御心のごとく生きてまいります。

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

上記は成功体験ですが、講師の中には、ガンになってもひた隠しにかくして、薬や医療に頼らずに治すと頑張りながら、早く亡くなってしまわれた方もありました。
「薬に頼らない」という形だけにとらわれて無理をしてはいけないと思います。頑張って闘うのでなく、感謝感謝で生きることが肝心だと思われます。

>>817: トキ様

>> 普段、何気なく生活をしている私達ですが、いったん、ガンであるとか、余命幾ばくと言われると、初めて生命の
意味を考えます。でも、地上で限られた命であるのはガンであろうと、なかろうと同じ。だとすれば、私達は生きている
今を喜び、感謝すべきなんでしょう。

その通りですね。ありがとうございます。

823如月:2012/08/11(土) 14:00:54 ID:ki/haAjk
復興Gさま

聖典板へのテキストの謹写、ありがとうございます。
いつも、ご愛念をいただきまして、またこのたびも地上と宇宙の両方を
行き来しての、ご指導ありがとうございます。
遅くなりまして、申し訳ございません。

824復興G:2012/08/11(土) 14:20:20 ID:xKxowNU.

合掌 ありがとうございます。

私はまもなく祈り合いの神想観を行う誌友会に出かけますが、「祈り」にご協力くださいます皆さま、お忙しい時間帯でしょうから、時間はずれてもかまいませんから、どうぞよろしくお願い申し上げます。

祈りの対象者は、K.Y.さんという60歳くらいの女性で、料理研究家。切除手術したガンがリンパ腺に転移しているという診断です。生長の家二世で、青年会時代から生長の家の活動をしてきました。この方は、私たちの愛を引き出すために、観世音菩薩として私たちの前に現れてくださいました。尊い観世音菩薩様として、拝ませて頂きます。次のように祈らせて頂きます。

     祈り合いの神想観実修法

実 相 礼 拝
○祈りに入る言葉

  〈相手と一体となる言葉〉
「ありがとうございます。ありがとうございます。
神の子のいのちの姉妹であるK.Y.様。住吉大神様の御前に、K.Y.様の実相円満完全健康を心より祈らせていただきます。あなたと私とは一つのいのちでございます。あなたは私であり、私はあなたでございます。ありがとうございます。ありがとうございます。」

招  神  歌
○祈る側の思念の言葉

「住吉の大神の宇宙浄化の力、われを媒介として病いの根元である一切の迷いを浄化し給うのである」
「既に“病あり”との迷いは住吉大神の宇宙浄化の御力によりて浄められ消滅したのである。病いの根源である迷いが消滅したから病気も既に消滅してしまったのである。ありがとうございます」

(聖経版『真理の吟唱』一六二〜一六四頁)
「あなたは“神の子”であり、神の有ち給えるあらゆる善きもの、美しきもの、豊かなるも の、調和せるものの継承者であるのである。それゆえにあなたは常に最高の健康と、繁栄と、美と、豊富と調和とをこの現象界にも実現するのである。

 あなたが“神の子”であるということは、神のもちたまえる一切の御徳の実現者であるということなのである。神が病気にかかり給うことは決してないのであるから、神の御徳を実現するあなたもまた決して病気に罹ることはないのである。神が老衰したまうということは決してないのであるから、神の御徳を継承するあなたもまた決して老衰するということもないのである。神は無限の富者であり、決して貧乏になるということはないのであるから、神の後継者であるところのあなたも、また決して貧しくなることはないのである。あなたは“神の子”として、あらゆる富の要素を自分の身辺に引き寄せてそれを実現することができるのである。

 あなたは“神の子”であるから調和の実現者である。あなたが行くところに必ず調和がくるのである。」

「神よ、われらの祈りを叶えて下さいましてありがとうございます。ありがとうございます。すでに祈りは叶えられました。ありがとうございます。ありがとうございます。
 神よ、御心の如く私達をお使い下さい。ありがとうございます。ありがとうございます。」

光明思念の歌(みすまるの歌)
実 相 礼 拝

  以上です。よろしくお願い申し上げます。

  合掌 拝

825トキ:2012/08/11(土) 14:41:30 ID:31q2213o
>>824

 ありがとうござます。喜んで祈らせて、戴きます。

826如月:2012/08/11(土) 14:58:13 ID:ki/haAjk
神想観の時間の半分は、他の人のため、または世界平和のため等、全然自分の利益を離れた
ことのために光明思念を集中することによって、自分自身の祥福をも増進することが出来るのであります。
神想観は神の御心に吾が心の波長を合わす事です。
そして、神の御心とは我欲の事は思わず、ひたすらにあらゆるものを愛し、祝福するのが神の御心ですから
自己の事を思わず他のために祈る神想観こそ、最も神の御心にかなった神想観であると言い得るのであります。

>>824

はい! 喜んで祈らせて頂きます。

827さくら:2012/08/11(土) 15:03:30 ID:xZIVx4hU
>>824

祈らせて頂きます。
合掌。

828金木犀:2012/08/11(土) 15:43:50 ID:auusu5IE
復興G様

私も少し時間外れますが、祈らせて頂きます。

皆様のご投稿非常に皆心打たれるものばかりでした。
志恩様のご質問と、ヨハネ伝などの聖典謹写、有難うございます。
鋭い目の付け所ですね。お陰様で、復興G様や訊け様の深いお答えを得て
大変勉強になりました。
私は信仰の盛り上がる機運のときに、鉄は熱いうちに打てみたいに、しっかり正信をつかむところまで行って
後戻りすることのない信仰を育てておけという意味かと思っておりました。

また、光あるうちにとは、やはりイエスが十字架に掛かる前にという意味もあるという気がしました。
というのは、光あるうちに、光の子となるというのは、法灯を継ぐということではないかと思ったのです。
イエス存命のうちに、しっかりと真理を学び、イエス亡き後に、イエスの代わりに人々を救いうる人物として
今のうちに、しっかりと法灯の継承をしておけという意味に取りました。
イエスの時代は、きっとイエスの著書というものもなく、イエスの口伝えの眞理を学ぶ時代でしたでしょうから、
そういう意味かなと思った次第です。
でも復興G様も訊け様のお答えは、もっと素晴らしい気がします。
聖典をしっかりと読んで学ばれていることに感動しました。やはり聖典を読み込まねばいけませんね。

829SAKURA:2012/08/11(土) 16:42:12 ID:g1svTII2
復興G様 へ
トキ様 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。   
皆様の討論中、横スレにて失礼いたします…

>>824拝読させて頂きまして…
■> 祈りの対象者は、K.Y.さんという60歳くらいの女性で、料理研究家。
切除手術したガンがリンパ腺に転移しているという診断です。生長の家二世で、
青年会時代から生長の家の活動をしてきました。この方は、私たちの愛を引き出すために、
観世音菩薩として私たちの前に現れてくださいました。尊い観世音菩薩様として、
拝ませて頂きます。次のように祈らせて頂きます。<  (復興G様投稿文 一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■本当に“年齢60歳”…私も”投稿文“を、拝読しました時“ビックリ”です…。
年齢が?ひと事でもありませんもの〜><(個人的感想です。…が?)
最初の“???がん”でしたかは?存じませんが、ましてや、
【料理研究家…?】との事で、尚更!“ビックリ”の一言です。

さぞ!【精神的に“プレッシャ−”】が、あられましたのでしょうかと、思った次第です。
隣の“パ−トナ−”も15〜16年前に乳がんの初期症状で、当時を思い出しますと、
診断直後は、“恐怖心”が先に浮かんだと本人が云っております。そして、時間経過にて、
今日の彼女がいます。
その後、私自身も病気になり、それからというもの“料理研究”に没頭するようになり、
或る“食材料理”にて回復にいたり、この事は“ホ−ムドクタ−”も“学会に発表”された様で、
認める事となり、今日の私達が、存在している次第です。

【病…本来なし!】当にそうですと、パ−トナ−が、“迷いの心”を、つかむことにより、
この現象世界に生じた結果であるのですから、“放つ心”を持って【神にゆだねる“心”】にて、
当時【お祈り…】に徹しました事を思い出しました。

■時間帯をお聞きいたしましたので【集団の祈り…】に、参加させて頂きます…。
必ず!我が内なるみ親の神に、私どもの願いが届くものと、
其の“信力”にて【祈り】に参加させて頂きます…。             再合掌

830a hope:2012/08/11(土) 17:21:35 ID:r8H4x9xE
みなさま こんばんは

予定より、仕事を早く終わらせることができました。
5時半〜6時半くらいのあいだの「祈り合いの神想観」に参加させていただきます。

合掌。

831志恩:2012/08/11(土) 17:52:59 ID:.QY5jUA6
私も、午後6時から30分間、時間を作りましたので、
「祈り合いの神想観」に参加させていただきます。
復興Gさまが、実修法を載せてくださいましたので、プリントアウトしました。

この実修法は、別の機会に 祈りたいお方もありますので、役立ちます。

832トキ:2012/08/11(土) 19:43:46 ID:31q2213o
 皆様、お祈りありがとうございます。

 まだ、復興G様はお帰りではありませんので、お祈りは続けますが、同時に書き込みも再開させて
いただきます。皆様の御感想など、お願いを申し上げます。

合掌 ありがとうございます

833志恩:2012/08/11(土) 21:45:23 ID:.QY5jUA6
>>828;
金木犀さまの投稿文を見まして、金木犀さまの捉えられた「光あるうちに」の考え方も、恵吾先生が受けとられたこととは別に
1つの大切な考え方ではないかと、私は、思いました。

幾つもの考え方があっていいと思います。
金木犀は、つぎのように言われました。

「光あるうちにとは、やはりイエスが十字架に掛かる前にという意味もあるという気がしました。
 というのは、
 光あるうちに、光の子となるというのは、法灯を継ぐということではないかと思ったのです。

 イエスの存命のうちに、しっかりと真理を学び、イエス亡き後に、イエスの代わりに、人々を救いうる人物として、
 今のうちに、しっかり法灯の継承をしておけという意味にとりました。

 イエスの時代は、イエスの著書というものがなく、イエスの口伝えの真理を学ぶ時代でしたでしょうから、
  そういう意味かなと思った次第です、」

復興G様、トキ様は、金木犀様の捉え方を、どう思われますか?
 私は、これも、そうかもしれないと思える回答の1つでした。

なぜなら、
雅春先生著「ヨハネ伝講義」の「はしがき」の終わるところに、雅春先生は、このように書かれておられるからです。

「私は、本書を校正しながら、磔に、釘(つ)けられて後、復活したキリストが、ペテロと食事を共ににしたのち、
『汝(ペテロよ) この者ども(十二弟子)に勝りて、我(イエス)を愛するか』と、三度繰り返したづねられる処に
 至って、滂沱として涙せずにいられなかった」

とあるからです。この本の初版本は、昭和35年8月に発刊されています。
すごく意味深に感じました。その後の、生長の家とご自分の、未来を透視されてたのかと、思う程です。

この本のp385に、雅春先生の大事なご講義の文が ございます。。

「イエスを愛するとは、「人類を愛する」ことであり、

「人類を愛する」とは、具体的に目前の人間を愛することであり、そのためには、
生命(いのち)をも捨てるということであります。「愛する」ということは、ただ「好きだ」というような生易しい事ではない。

愛する者のためには、無条件に従う、そして生命まで捧げる事だということを教えたもうたのです。
無条件に、したがわないような者は、本当に愛しているのではない。」と。

ただ、イエスとペテロの間で、救いがあるなと思いましたのは、
ペテロは、本当は、イエスを愛していたということです。彼が、裏切った行為をしたのは、
イエスがとらえられたとき、連座する事をおそれたからで、そのために、「イエスを知らず」と三たび言ってしまったのでした。

ですから、復活したイエスがペテロに、「わが羊をやしなえ。…われに従え」と言うコトバに、無条件に従い、自分の失敗を乗り越えて、
ペテロは、無条件にイエスに従って生きたのです。


そのペテロの墓の上に、今のバチカンがあるそうです。

サン・ピエトロとは「聖ペテロの」という意味なのだそうです。

834a hope:2012/08/11(土) 21:48:24 ID:r8H4x9xE

「祈り合いの神想観」は、信徒だった時に練成会で一度参加させていただいたことがあります。
その当時は、「浄心行」や、「感謝行」などの新興宗教独特の雰囲気になじめずにいましたから、
「祈り合いの神想観」にもかなり抵抗がありました。
でも、周りから祈られる人になるように勧められ、しぶしぶ前に座りました。
その時は正坐にも慣れていませんでしたので足はしびれて辛いし、よく意味もよく解らないし、
とにかく私自身は「早く終わってくれ〜〜」とばかり祈っていました(笑)。
ところが、祈っていただいた後、数日前捻って痛めていた右手首の痛みが消えていたので驚きました!

わたしのように、しぶしぶと仕方なく祈られていてもその功徳があるのですから、
積極的に心をむなしくして祈ってくださる方々の愛を素直に受ける気持になれば、
「祈り合いの神想観」の功徳はすごいものなのではないかと感じてます。

835a hope:2012/08/11(土) 21:50:38 ID:r8H4x9xE

>>800 復興Gさま

>>最後のご質問ですが、生長の家を全く知らない高校時代同期生の友人が大腸ガンで余命幾ばくもないと医者から宣告されたというとき、聖経『甘露の法雨』を贈呈して、読むように勧めましたら、「これは不思議な本だ。読むと、心が安まる」と言ってくれました。しかし彼はジャーナリストでしたから、私も、それ以上は、a hopeさまと同様、
「現代の一般人にはなかなか、受け入れられない真理なのではないかと、正直感じて」勧めませんでした。彼は、約半年後に亡くなりました。
「もっと積極的に生長の家の真理を伝え、祈ってやるべきだった」と、反省しています。<<

復興Gさまも、そのようなお気持ちになられたことがあるのですね。
あたしは「今の生長の家教団」には全く興味がありませんので、
「生長の家の真理」を人様に伝えるには、自分自身がその真理を体得するしかないと思っています。
最近では、できる神想観の種類も増えてきました。
その時の、気分やその日一日の過ごし方などから、神想観の種類を選んでしています。

P101の最後の行
『イエスが手を按じて祈ったということは聖書のところどころに出ていますが、神想観にて実相を観じて病気を治すには、手を按ずるということは必須のことではないのであります。手を触れず按ぜずに病人の前で「神想観」をやっているだけでは、病人自身にとってはなんだか頼りない気がするだろうと思って、手を按じて思念してさしあげてもよい場台かありますが、このごろのように「手のひら療治」や触手的治療法がはやるときには、手を按じない方が混同されなくてよいのであります。手のひらという物質で治るのなら物質治療であって超物質治療(メタフィジカル・ヒーリング)ではないのであります。ただ神想観によっておのずから自分または病人の生命の実相たる「神人」が輝き出すことによって病気が消滅するのであってこそ、メタフィジカル・ヒーリングであります。(中略)
相手にある「神人」を、こちらからハッキリと観ずれば、相手の病気が治るばかりでなく相手の人格などもすっかり変わってくるのであります。「神想観」を病気治療法だと思っていられるとまちがいであります。病気が治るのは、ただそのごくごく随伴的の功徳にすぎないで、神想観の功徳は実に宏大無辺、性格でも運命でも境遇でも、この「神想観」によって改善されてくるのであります。』

生長の家の「神想観」は決して病気治療が目的なのではないのですね。
神想観によって自分自身のまたは相手の『神人』『実相』『真の人間』を観ることができたとき、
当たり前のように起こる随伴的の功徳が、「神癒」なのですね。
今回のこのweb誌友会のために、「生命の實相」第1巻を読みなおしていて、さらに理解が深まりました。

この機会をわたしに与えてくださった生長の家の大神さま、
そしてトキさま、復興Gさま、みなさまに今、わたしは感謝の気持ちでいっぱいです!!!

836志恩:2012/08/11(土) 21:54:16 ID:.QY5jUA6
第三章の一行目の
「光の子とならんために光のある間に光を信ぜよ、
         われは光として世にきたれり。」(「ヨハネ伝」第12章)
に ついての、別の捉え方のことで、質問させて頂きました。

837志恩:2012/08/11(土) 22:33:42 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、トキさま

ガンのことで、具体的なお話を、ありがとうございます。
私の実母の姉にあたる おばさんも、生長の家の本を読み、6つか7つあった持病が全て消えた体験があります。

高校時代の担任の先生にも、生長の家の本を差し上げましたら、ご縁があって、その男の先生は、ご自分で
「生命の實相」を全巻買われて、読破されて、その先生も、いくつも病気があったのが、完全に健康になったと
お手紙を戴いたことが、ございます。

私自身の体験では、40代後半のころ、左胸のところに2㎝×2㎝ほどの石のように堅いしこりができたことが
ありまして、強く押してみても、全く痛みは無いしこりでしたが、気になって、一応、
区がやっている乳がん検診を受けましたところ、がんセンターへ、至急行き、精密検査をするように
言われました。
私は、すぐに、がんセンターへ行き、予約しました。3、4週間後が、予約日になりました。
それで、
とにかく、夫に対する感謝がたりなかったのだと反省する点もありましたが、「甘露の法雨」を、朝夕、いままでよリ、心をこめて読誦しました。
すると、ある朝、胸を触ってみましたら、石のようなしこりが、何も無くなってしまっていたのです。

それでも、一応、がんセンターに予約してありましたので、精密検査は、受けましたが、何も無い、という結果が
出たという、うそのようなホントの体験はしたことが、ございます。

そのことは、家族宛てに遺言状まで書きましたし、母にもお別れの感謝のことばを述べたほどですから本当のことです。
私の場合は、精密検査を受診する前に、消えてしまったので、ガンかどうかは、わかりませんが。

しかし、私は、病気に関しては、
悪いところが現われたら、素直に、病院へ行き、治療して治したらいいと思っている人間です。私の実母の姉にあたる おばさんは、
生長の家に入信した当初は、6、7あった病気が全部消えるという体験を戴きましたが、70過ぎて、急に直腸がんになり、死亡しましたからね。
おばさんが、ガンで入院中に私は、何度もお見舞いに病院へ行ってますが、おばさんは、いつも「甘露の法雨」を、枕元においており、しばらくして、
穏やかにあの世へ旅立つて行きました。

やはり、いい信仰していれば心に大安心がありますから、このように病気になっても、そのままで、穏やかに生きられるのだと教えられました。

838復興G:2012/08/11(土) 22:37:54 ID:xKxowNU.

皆々さま。

合掌 ありがとうございます。

遅くなりました。只今帰りました。

リアルの祈り合い誌友会は、感動でした。

皆さまの霊的パワーが送られて来ていたからでしょう。私自身も感動のうちに、
祈りを受けて頂いたK.Y.夫人も涙があふれてきたと言われましたし、同席して
祈りに加わっていた別の男性講師も涙が出たと言われました。皆さまの真心いっぱいの
ご協力のおかげだと思います。本当にありがとうございました。

K.Y.夫人は、足がむくんでいて痛いとは言われていましたが、とても喜んで、お元気な容子でした。

きっと、神癒が進行中だと思います。ありがとうございました。

感謝 合掌 拝

839志恩:2012/08/11(土) 22:39:37 ID:.QY5jUA6
>>833
上から四行目の金木犀様の敬称が抜けていました。すみません。

840如月:2012/08/11(土) 22:41:22 ID:ki/haAjk
皆さんの書き込みが素晴らしく、感心しています。
そんな中、恥ずかしながら書かせていただきます。

○真理はなんじを自由ならしめん○

この意味がようやくわかったような気がします。
これまで教室などで「神様が自由を与えて下さっている事に感謝」と教えられても
私の自由(自由になるお金)(自由になる時間)(自由にできること)なんて
しれているのにという不満の気持ちから「無い事に比べたらありがたいです」くらいの
感謝しか出来ていませんでした。
もっと正直に書くと、少ないと不満に思っていて、この少ない自由までも取り上げられたくないとの
神様との取引きのような気持ちからの感謝でした。

しかし改めて
○「真理を知る」というのも「大覚をうる」というのも、ひっきょうは自分の生命の本質すなわち
○実相を知ることで、これができれば因縁を超越して完全な自由がえられるのであります。

を拝読しまして、自分の自由が他人に比べて少ないという大きな誤った考え方だった事に気付かせて
いただきました。
神様は分け隔てなく無尽蔵の自由を与えて下さっていたのに、自分がわずかな真理しか知らなかった為に
わずかな自由しか持てなかったのだという事にやっと気付きました。
理屈というフィルターを通して、わずかな真理(自由)しか持てなかったのは、自分の不勉強のせいだときづきました。

大いに反省です。

841志恩:2012/08/11(土) 22:56:37 ID:.QY5jUA6
復興G様

お帰りなさいませ。私も6時から、30分間、復興G様が教えて下さった「神想観実修法」に添って、
祈りに参加させて頂きました.KY夫人様は、足は、むくんでいて痛いと
おっしゃっていたけれど、お元気そうで、よかったですね。

842あさひ:2012/08/11(土) 23:20:01 ID:/3nxKE2Q
合掌

私もお祈りに加わらせて頂きました。
有難うございます。    
       
      合掌

843復興G:2012/08/11(土) 23:25:10 ID:xKxowNU.

>>833 :志恩さま。ありがとうございます。
>>828:金木犀さまの投稿文を見まして、金木犀さまの捉えられた「光あるうちに」の考え方も、恵吾先生が受けとられたこととは別に1つの大切な考え方ではないかと、私は、思いました。幾つもの考え方があっていいと思います。
金木犀は、つぎのように言われました。
「光あるうちにとは、やはりイエスが十字架に掛かる前にという意味もあるという気がしました。
 というのは、光あるうちに、光の子となるというのは、法灯を継ぐということではないかと思ったのです。
 イエスの存命のうちに、しっかりと真理を学び、イエス亡き後に、イエスの代わりに、人々を救いうる人物として、今のうちに、しっかり法灯の継承をしておけという意味にとりました。
 イエスの時代は、イエスの著書というものがなく、イエスの口伝えの真理を学ぶ時代でしたでしょうから、そういう意味かなと思った次第です」
復興G様、トキ様は、金木犀様の捉え方を、どう思われますか?<<

――志恩さまのおっしゃるとおりだと思います(幾つもの考え方があっていいということ)。

844SAKURA:2012/08/12(日) 01:47:24 ID:3FZDdXDA

こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
今日は、皆様と「祈り合い神想観…」に参加させて頂きました事に、感謝申し上げます。

■「復興G様」からのお話で…早くその方の【実相…】が、この現実世界に現れます様に、
いえ、お話を伺いましたところ…現れつつ或るものと確信させて頂きました…。
更に、日々の【お祈り…】の中に、その方への愛念をお祈り申し上げます…。

私の“パ−トナ−の実例体験”も正直申しますと昨年詳しく投稿させて頂きましたが
>>829にて【SAKURA】が投稿させて頂きました事(下記参照)
❖ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/829

参考に観覧者の皆様が、拝読した頂きますと幸いに思います。
更に「志恩様」の投稿文(>>837)を拝読させて頂きまして、“パ−トナ−”と同じ時期に、
「乳がん…」との事で、 此の年齢は、この病気になる女性が多いと改めて思い知らされました。

余談ですが…
■医学会でも「30歳代から高齢の女性ほど罹患率が高い為、今日では多くの国で検診を受けることが、
推奨されている。検診には胸部自己診断法 (breast self-examination) と
マンモグラフィー (mammography) も含まれる。
改めて≪国からの定期検診の機会≫を得ております今日、この事に感謝しております日々です。

今日の【復興G様】の“投稿メッセ−ジ”から、
■真の伝道者…真理を伝えられる人、真理に救われた人は、必ず真理の伝道者となるものである。
真理は伝道するとき生きて来て自他を利益(りやく)するからである。
こうして一人から二人、二人から四人、四人から八人、……と関算式に伝道者が拡大される事
によって地上天国が建立される事になるのである。(谷口雅春先生の言葉…抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

「復興G様」の言葉(>>838のお話から)
本日は“感動・感銘”を受ける一日となりました…。ありがとうございます…。   再合掌

845あさひ:2012/08/12(日) 07:05:04 ID:/3nxKE2Q
合掌

私の母は現在96歳8か月目、 80歳の時大腸がんで腸を15cm位切除手術、その後元気でした。

89歳の時転倒して大たい骨 骨頭骨折 その為 人工骨頭置換手術 その後は伝い歩きになりました。

90歳の時、再び 大腸がんが見つかり、手術当日、本人の胸にぐりぐりとの申し出により、
検査結果、乳がんが見つかりました。その為、二つの手術を同時にやりました。
乳がんの方は、たちが悪いものとかで、いつどうなるかわからないといわれました。
術後の乳がんへの対応は医師より提案はありましたが、高齢なので、副作用も考え
なにもしていません。しかし、その後、6年8か月弱、 いつどうなるかわからない状況は
何事もなく、過ごしております。

ただ、老化はすすんでおり、今後の対応課題ではあります。
母は昭和10年からの誌友です。しかし、現在は雅春先生のことも、記憶のかなたみたいで
聖歌を歌う会でもあればとおもいます。

母の癌状況ご報告させて頂きました。      合掌

846志恩:2012/08/12(日) 09:18:15 ID:.QY5jUA6
a hopeさま、如月さま、SAKURAさま、あさひさま

WEB誌友会板の書き込み、ありがたく拝見しました。
後ほど、復興Gさま、トキさまが、お返事下さると思います。
お待ち下さいませ。

私も、少しだけ コメントさせて頂きます。

私が、40代後半のとき、左胸に石のように堅いしこリが出来て、「甘露の法雨」の読誦を続けていたら消えてしまった体験談を
させて頂きましたが、消えたのは、乳がん検診後、20日ほど経った時のことで、がんセンターで精密検査を受ける数日前の
ことでした。

それは、私、1人だけで祈っていたように書きましたが、実母も兄弟姉妹も祈ってくれてましたし、母は、飛田給道場へ
神癒祈願までお願いしてくれていたのでした。
そのことを,書き忘れました。

a hopeさまは、友人のお方に甘露の法雨をさしあげたそうで、実行力、ありますよね。

SAKURAさまのパートナーさんは、15~16年前に乳がんの初期だったそうですが、ある食事療法で、16年経ったいまも
お元気でいらっしゃること、SAKURAさまも食事を全面的に見直されて,今はお元気にお過しだそうで、よかったっですね。

あさひさまのお母様は、96歳8ヵ月でいらっしゃるそうで、がんがみつかって手術されたり、大腿骨骨折されたりと、
お母様が一番大変ですが、娘さんでいらっしゃるあさひさまも、あれこれと大変でいらっしゃることでしょう。

がん細胞は、全員が、体内に保持しているそうですから、ご高齢になりますと、免疫力が低下して、ガンが発症し易くなると
聞いています。でも,ご高齢になると、がん細胞は、それ以上発育しないそうですね。とどまっていて,悪さはしないと聞いています。

肉体は、借り物ですから、もともとは、無いものであり、肉体が病気になっても、実相は、完全円満と教えて頂いています。
神癒が起きて、たちどころに、ガンや病気が消える人もいれば,消えない人もいます。

消えない人は、消えない人で、
実相完全円満を祈りながら、ありのままに、病気を受け入れて、それも1つの課題を与えられたのだと
受け止めて、こころ穏やかに生きて行くのが、信仰の道だと、私は、そのように考えている人間です.

847役行者:2012/08/12(日) 09:24:59 ID:/8DCd3GQ
 皆様

 体験というのは、心身ともに人を救済する力があると思います。

 掲示板でこのようなことを記述することは大いに意義があると思います。
   
         合 掌

848復興G:2012/08/12(日) 10:53:19 ID:xKxowNU.

>>846 :志恩:2012/08/12(日) 09:18:15 ID:.QY5jUA6
a hopeさま、如月さま、SAKURAさま、あさひさま
WEB誌友会板の書き込み、ありがたく拝見しました。
後ほど、復興Gさま、トキさまが、お返事下さると思います。お待ち下さいませ。<<

志恩さま、ご深切な対応に心から感謝します。ありがとうございます。
そして、皆々さま、ありがとうございます。
役行者さまからも応援のコメントをいただき、ありがとうございます。

皆々さまの真心に、感動でいっぱいです。
本当に、ありがとうございます。

私は今朝は家族・親戚などの課題に対応する時間をいただきまして、皆さまへのお返事、コメントが遅れております。お許しください。
また 後ほどに。 感謝 合掌 拝

849志恩:2012/08/12(日) 10:55:16 ID:.QY5jUA6
役行者さま

コメント、ありがとうございます。
元新教育者連盟の講師でいらした野木清司先生は、以前、重いガンにかかられたことが、あるそうですが、
祈りに徹していらしたら、ある日、汚れものが、いっぱい便と一緒に出て、きれいにガンが,治ってしまったという体験を
お持ちのお方です。

ガンも、このように神癒で消えてしまうこともあります。

でも、消えない人も居て、そういう方達への、信仰者としてのあたたかいフォローは、とても大切なことだと,私は思って
いるのです。
信徒さんの中には、医学を避けて、薬を絶対拒否する人も、おられると聞きます。
それは、違うのではないかと、私は考えています。

医者は、治してあげたいと、愛の心で,薬を処方して下さるのですし、手術もして下さるのですから、医学も
神様の愛の現われだと受け止めて,素直に病院へ行き、治療するのも、1つの信仰の道だと思います。

850童子:2012/08/12(日) 10:55:25 ID:M7ribEwU
皆様へ

 「祈り合い神想観」に関しましては、『人間苦の解放宣言』に詳しいですよ。

 おじゃましました・・

851志恩:2012/08/12(日) 11:14:09 ID:.QY5jUA6
これはこれは、童子さま

ようこそ,お越し下さいました。

童子さまが言われた
『人間苦の解放宣言』をアマゾンコムで、見てみましたら、目次が掲載されていました。
「祈り合いの神想観のやり方」とか「浄心行のやり方とか」、載っているのですね。
これは、信徒として、持っているといい本ですね。
中古を買っても、たいていは新品同様なので,中古を買いました。

ご深切に 教えて下さって、ありがとうございました。

852a hope:2012/08/12(日) 12:04:08 ID:r8H4x9xE

志恩さま

いつも、適切な話題を提供してくださったり、貴重な体験談をお話し下さったりして、
このweb誌友会を有意義なものにしてくださりありがとうございます。
わたしは、志恩さまの真理を求めて熱心にお勉強されている姿を拝見していて、
いつも心から感動し、そして尊敬させていただいています。
見習わせていただきたいです。

また、>>846では、わたしへのコメントをありがとうございます。
ですが、「甘露の法雨」をお友達に上げたのは復興Gさまですよ。
わたしにはまだそんな勇気はありません(笑)。
わたしは、お守り型の「甘露の法雨」を家族分用意して、ランドセルに入れたり、
主人の出張や修学旅行の時などは、必ず持たせるようにしています。

今朝は、役行者さまや童子さま(!)もコメントをくださっていて、何と素敵なことでしょう!

あさひさまのお母さまの体験談も素晴らしいですね。
御文章から、高齢のお母さまをご家族が温かい愛で支えている様子が、
目に見えるように伝わってくるようで、とても温かい気持ちになりました。
ありがとうございます。

他のみなさまの、体験談や感想もとてもお勉強になっています。
時間がなくて、なかなかコメントできないのがもどかしいです。


みなさま、このweb誌友会は、とりあえず、今夜、11時30分までとなっていますが、
毎回、後夜祭も大変盛り上がっています。

あまり時間は気にせずに、みなさまのペースで是非ご参加くださいね!

853志恩:2012/08/12(日) 12:26:00 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

甘露の法雨をお友達に差し上げたのは、復興Gさまでしたか。
それは,失礼しました。(笑)

854金木犀:2012/08/12(日) 12:27:36 ID:auusu5IE
皆様の体験談、大変参考になり、信仰に自信を与えられる気がします。
お盆の時期であり、なかなか書き込みの時間が取れませんが、読ませて頂くだけで、
感動します。特に祈り合いの神想観の功徳の大きさには、感動です。
私も昨夜、家族が寝静まったあとに、神想観でK・Y様のことを祈らせて頂きましたが、
その前に、なるべく早く祈って差し上げたいと思い、お風呂に入ったときに、半身浴の状態で、
神想観しました。復興G様の書かれた祈りの言葉は、うろ覚えで、だいたい近い内容の言葉を
考えて祈っておりましたが、繰り返し祈っているうちに、この誌友会参加者観覧者の方々の祈りと
共鳴するような感覚を感じました。
その感覚にちょっと感動して、一つ心で祈るときには、同じ生長の家信徒であり、実相においては皆一体だと
強く感じました。また菩薩雲集という言葉が浮かび、祈り合いの神想観のあるところにまさに浄土が出現するような
まさに、神は愛であると、感じさせて頂きました。

ところでテキストでは、如月様の投稿にありました、「真理は汝を自由ならしめん」という言葉と、そのタイトルの付いた一節(P79)
がやはり印象が強いところでした。
私は最近、「本来生、不滅の神示」を読み、感動して、その中に書かれていた神想観をしばらくやっていたことがありますが、
その神示には、
「物質の束縛に縛られざるものを人間と言うのである。真の人間は『神の子』であって物質ではなく、肉体ではない。肉体ではないから物質の世界に出入する事もない。物質の世界に出入することもないから物質の世界より見れば人間は『不生』である。不生であるから滅することもないのである。」
と書かれています。

生命の實相のここの部分には、如月様も引用されておられましたが、

「真理を知る」というのも「大覚をうる」というのも、ひっきょうは自分の生命の本質すなわち実相を知ることで、これができれば因縁を超越して完全な自由がえられるのであります。その人は因縁を超越しますから、物質的な原因結果に束縛されるようなことがけっしてなくなる。遺伝がどうの、体質がどうの、冷たい空気がどうの、固い食物がどうの――そんなことに縛られないで「生命」それ自身の本質の完全な状態――すなわち「真の人間」が表に出てくる、そのときすなわち病気が治ってしまうのであります。

と書かれており、
生命の本質、真の人間、リアルマンを知ることであり、物質にあらず、肉体にあらず、金剛不壊の霊的実在である人間を観るという神想観の継続こそ最高の修行であること、
自己であろうと、他人であろうと、人間は物質的肉体的存在ではないと、観じることから全て始まるのだと思いました。

855役行者:2012/08/12(日) 12:40:05 ID:/8DCd3GQ

 志恩さま

 >>849
わたしもそのように思います。
 

 復興Gさま 

a hope 様

 私も、お祈りさせていただております。

 掲示板をとおして、救済運動が展開されるのは素晴らしいこと存じます。

 これからも気楽な時間に、投稿させていただきます。

 童子さま

 是非、チョクチョク、お越しくださって、ご指導のほどお願い申し上げます。

856SAKURA:2012/08/12(日) 12:48:33 ID:SNRCpPFw

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今回の「WEB誌友会」冒頭にて「復興G様」から、知り合いの方への【祈り合い神想観…】
呼びかけをいただきまして、参加させて頂く事が出来まして、
此の件に関しまして、私自身は>>829>>844投稿させて頂きましたが…
❖ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/829
❖ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/844 
更に投稿者様の“お話”の中から…が?

■■改めまして【 信 ・ 愛 】のタイトルに…感銘したのです。(>>772復興G様投稿…)
❖ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/772 

昨日の「祈り合い神想観」 にて、思い出しましたが

■スタ−・デ−リ−の言葉から…
【デ−リ−がライファ−と親友になった初めにからに話したところの語は、
「人を愛するという事は、人を知るということである。人を知るということは彼を助け、
癒すことができるということである。かようにして神は、愛を通してその癒す力を
働かせ給うのである。」またライファ−はいった。
「愛は決して失敗はしない。愛は恐怖をかなぐり棄てる。愛は法則を成就するものである。】
…云々…
❖救いは神にまかせよ
【そんなに人を救おう救おうと力むものではないよ。静かに坐して君が救い得る相手が
得られます様にと祈るんだよ。他の方法で君は君の救おうという相手のところへ闖入
(ちんにゅう)する様なやり方はやめなければいかん。すべて救いのことは神の手にまかせるのだ。
そうすると彼が、その適当な時と適当な場所とを定め給うのだ。
そして又、神は君の口に必要に応じた適当な言葉を与えたまうだろう。まず『愛』を第一に、
その次は『信頼』だよ」とライファ−はいった。】(一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

大変恐縮ですが…
此の素晴らしい「谷口雅春先生」の紹介して下さいました“スタ−・デ−リ−の言葉”を、
此処にて“投稿”させて頂きました。

                             再合掌

857復興G:2012/08/12(日) 16:43:07 ID:xKxowNU.

合掌 ありがとうございます。

皆々さま。真心こめてご発言くださっています皆さまに、たいへん感動しています。ありがとうございます。

さて、私は少し前にさかのぼって、大事なことと思われる根本問題について、さらに深めて追究しましたことを投稿させていただきます。

それは、>>801で志恩さまが提起してくださいました課題、今回のテキスト第三章の冒頭に
「光の子とならんために光のある間(うち)に光を信ぜよ、われは光として世にきたれり。(『ヨハネ伝』第十二章)」
とあることについて、です。

>>833 志恩さまから
>>金木犀さまの投稿文を見まして、金木犀さまの捉えられた「光あるうちに」の考え方も、恵吾先生が受けとられたこととは別に1つの大切な考え方ではないかと、私は、思いました。幾つもの考え方があっていいと思います。……復興G様、トキ様は、金木犀様の捉え方を、どう思われますか?<<
というコメントをいただきました。それに対して
>>843 で私は
>>――志恩さまのおっしゃるとおりだと思います(幾つもの考え方があっていいということ)。 <<

と書いておりました。
これについて、改めて深く考えなおしてみました。

その結果、
「光のあるうちに」の考え方、榎本恵吾先生が受けとられたことと、金木犀さまの捉え方とは、別のものではなく、一つのものとして考えることが、素晴らしい道を拓くことになるのではないかと思うに到りました。

志恩さまは>>833で(金木犀さまのコメントに関して)
>>光あるうちに、光の子となるというのは、法灯を継ぐということではないかと思ったのです。
 イエスの存命のうちに、しっかりと真理を学び、イエス亡き後に、イエスの代わりに、人々を救いうる人物として、今のうちに、しっかり法灯の継承をしておけという意味にとりました。<<

とおっしゃっています。

そうですね。そこで、その「法燈」とは何でしょうか。
私は、「久遠の今」にこそ、生長の家の法燈がある。これを継承することが、法燈を継承することである、と思っています。

では、「久遠の今」とは何か。

それは、イエスが「ヨハネ伝」で言っています――
>>イエスは呼(よば)わりて言い給う『われを信ずる者は我を信ずるにあらず、我を遣(つかわ)し給いし者を信じ、我を見る者は我を遣し給いし者を見るなり。我は光として世に来れり、すべて我を信ずる者の暗黒(くらき)に居らざらん為なり。<<
[イエス「私を信じるものは、私を信じるのではない、私を遣わし給うた者を信じるのだ。神は光源であり、私は光である。だから私を見るものは、神を見るのだ。私が、光として、この世に来たったのは、すべて私を信じる者が、暗黒の世界に彷徨(さまよ)わないためである。]

――その「私を遣わし給うた者」すなわち「神」在し給うところであります。
<つづく>

858復興G:2012/08/12(日) 16:43:45 ID:xKxowNU.

<つづき>
谷口雅春先生は、「久遠の今」という御講話レコードで、次のようにおっしゃっています。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

     久遠の今

 生長の家の生き方、あるいは生長の家の哲学の中で、一番重大な問題は、「今」ということであります。この「今」ということがわかったら、それが本当の生長の家の悟りであるわけです。

「今」というのは、過去―現在―未来―と流れている時間の一部分の「現在」というところを「今」というのではないのであります。この「今」というのは、もう一つくわしくいうと、「久遠の今」ということであります。英語のEternal Nowという意味での「久遠の今」であります。そして「今」の中にすべてが含まれているところの「今」であります。

 仮りに、縦の線をかいてこれを時間であるとし、横の線をかいてこれを空間であるとします。そして縦の線と横の線とが交叉した所、ここがちょうど「今」に当るのであります。いまだ時間も空間も現われていない、時間と空間がそこから現われるところの、その中心の「無」であります。これは神道の言葉でいうと「常今」と言いますが、禅宗などでいうと、いわゆる「無」であります。「無」というと、なんにも無いのを「無」というと、考える人がありますけれども、全然無いんじゃないのであります。禅宗に「無字透関」という言葉があります。「無」の字の関門を透るという意味であります。『無門関』という禅宗の書物もあります。その「無」というものの関門を本当に知ったときに、吾々は自由自在になれるのであります。

 ところで、その「無」というのは――現象界のすべてのものは時間の中に、空間の中に現われておりますけれども、その時間・空間の本のところ、時間・空間が未だ現われない、その「常今」のところ、そこには「なんにも無い」かというと、「なんにも無い」んじゃない。時間・空間がそこから現われてきたんだから、時間・空間がやっぱり「有る」と言わなければならない。時間・空間が一点に巻きおさめられて、その一点もない。すべてのものが、一点もないその中にそのままアルのであります。
(中略)
 それは、もうひとつ別の言葉でいうと、シナの『中庸』という書物に、「喜怒哀楽未だ発せざるを中という」と書いてある。その「中」であります。「天之御中主神」の「御中」であります。一切の時間と一切の空間とが未だ発せざるところの御中の中心であります。これは「未発の中」といわれているところのものである。「喜怒哀楽未だ発せざるを中と謂う。発して節に中る、これを和という」とありますが、その「中」から一切のものが現われて、時と人と処に応じて、ピタリと急所にあたって、有効にすべてのものがピシリピシリと出来て行くのが、それが「和」、すなわち和解の「和」なんであります。
<つづく>

859復興G:2012/08/12(日) 16:44:30 ID:xKxowNU.

<つづき>
 生長の家の神想観の時に、「吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る」というのがありますが、「吾れ今」というその「今」が、「常今」であります。Eternal Nowであります。「久遠の今」であります。「吾れ、今……」というとき、自分が今ここに、「吾れ」と「今」と「此処」とが全く一つになってしまう。「久遠の今」が、「今」「此処」「吾れ」と一体になってしまって、時間と空間とを絶したところの「実相の今」というものがあらわれてくるのであります。

 その「実相の今」の、そこに私たちは生活するのです。何月何日の何時何十分、どこそこの空間において生活する――と、そんなふうに生活するのだったら、吾々はいろいろな問題にひっかかることになります。「いつ、だれが、あんなことをぬかしやがった」というので腹が立ってきたり、クシャクシャしたりするんだ。それは、本当の「今」というところに生活していないで、ある時間の流れの中で、どこかの空間的存在として生活してしまっておるから、いろいろと悩まなけれぱならないことが起ってくる。持越し苦労とか、取越し苦労とか、疑心暗鬼――なんていういろいろの心のモヤモヤが出てくるんです。それで、常に「吾れ・今・此処」というその実相の中に、「未発の中」のなかに坐って、なんにも掴まないでいれば、時と人と場所とに応じてピシリ、ピシリと節に中る。事々物々間違いなく適当な処置がとれるということになるのであります。

「智慧の言葉」に、「『今』の中には凡ゆるものが輝いている。『今』は常に新しく、『今』は常に喜びに満ちている」と書かれておりますが、久遠のいのちが常に今、此処にあれば、喜べるのが当り前なんであります。此処には一切のものがあるのであります。「真空妙有」である。真空の「無」の中に坐しながら、あらゆる妙なるものが、そこに存在するのであります。「真空」にして同時に「妙有」であって、そこは無色透明である。無色透明であるから何にもないのかというと、あらゆる色が備わっているのであります。無色透明の太陽光線みたいに、一切の七色の光が渾然ひとつになって、対立がないのであります。

 そういう無色透明の生活が、生長の家の生き方であります。そういう「今」のいのちの中に生きておったならば、いま、たとい肉体が病気にあらわれておっても、そんなことはもう問題ではない。いのちそのものは病気でも何でもない。「今・此処」に「吾れ」はあり、今・此処は真空の中に妙有があって、妙有から滾々といのちが流れ注いでくるから、もう寿命が来た場合は別だけれども、霊界へ転住する時期が来ていない限り、現象的にもすみやかに病気が治ってくるのであります。「今」というものは、過去・現在……そんな時間の流れでフラフラするような、いいかげんなでたらめな生活ではないのであります。
(以上、谷口雅春先生御講義レコード『久遠の今』より。『光のある内に』所載)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

 このご講義の最初に、先生は

<生長の家の生き方、あるいは生長の家の哲学の中で、一番重大な問題は、「今」ということであります。この「今」ということがわかったら、それが本当の生長の家の悟りであるわけです>

とおっしゃっています。その「今」とは、時間と空間とを絶したところの「実相の今」であり、何月何日の何時何十分、どこそこの空間において……というようなところではないのです。私たちの命の本源世界であり、それはまた「わが内にあり」なのです。
<つづく>

860復興G:2012/08/12(日) 16:45:06 ID:xKxowNU.

<つづき>
ちょっとむつかしい議論みたいになりました。
すみません。

この「久遠の今」を生きる、とは、具体的にはどう生きることになるのでしょうか。
それは、「己が命を救わんとする者はこれを失い、他のために己が命を捨てるものは永遠の命を得る」ということで、「自分というものはなかった」と自己放棄して、ただ「愛」に生きることであると思います。

それが、イエスの御心を生きることであり、法燈継承であると思うのです。

>>856 でSAKURAさまもおっしゃったくださったように、<改めまして【 信 ・ 愛 】>ですね。
スター・デーリーの言葉はまた素晴らしいですね。

ありがとうございます。

861復興G:2012/08/12(日) 17:09:33 ID:xKxowNU.

さて、「光のあるうちに」ということについての、榎本恵吾先生の理解というのは、上の方に上がってしまいましたから、もう一度貼付させていただきます。

榎本恵吾先生は、その著『光のある内に』の中に、次のように書かれています。

  **********

“光のある内に光を信ぜよ、われは光として世に来れり”
(イエス・キリスト……『生命の實相』より孫引き)
“光のある内に”の[内]とは、同じくイエス・キリストの言った“神の国は汝らの内にあり”の[内]である。これは時間・空間を超えた万物発生の枢機を握る“久遠の今”(Eternal Now)である。“久遠の今”とは生長の家であり、創造の本源世界であり、高天原である。“久遠の今”に還ったときが、人々が生長の家人となり、尊師の弟子となるときである。キリストも釈迦もこの“久遠の今”から生れ出でて来たのである。生長の家は久遠の昔からある。この“今”に還ったとき、人々もまた、久遠の昔から尊師の弟子であったことを知るのである。

  **********

上記で、榎本先生は、ヨハネ伝の「光のある“間”に」というのを「光のある“内”に」と書き換えられています。光は外にあるのではなく、わが内にあるのだ、と。

ところで、新約聖書「ヨハネ伝」の原文では、
「イエス言い給う『……光の子とならんために光のある間(ま)に光を信ぜよ』」と、「間」という字に「ま」と振り仮名してあります。しかし谷口雅春先生は、『ヨハネ伝講義』で、「間」の振り仮名を「うち」となおされたのです。「ま」では、現象の、流れる時間の一部分のところを指していると受けとられるので、「久遠の今」を意識されて「うち」と振り仮名を直されたのではないかと思われます。そのお気持ちを汲んだ榎本先生はまた「間(うち)」というのを「内」に直して、それを本のタイトルにまでされた――そのように私は考えるのです。

ありがとうございます。

862トキ:2012/08/12(日) 18:26:06 ID:/As0gfBA
復興G様

 榎本先生の事、懐かしく思い出しました。榎本先生は、晩年は、生長の家宇治別格本山の神癒祈願部におられました。
まるで、島流しのようだ、という印象を受けましたが、全くご本人は気にしていないようでした。いつも、私のような
若い人が訪れており、話し込んでおられたのが記憶に残っています。

 榎本先生は、お日様の絵を書いて下さった色紙や本を分けて下さりましたが、その背景には、「光」という意味がある
のだなあ、と復興G様のご指導を拝見し、思った次第です。

 私にもいくつか信仰体験がありますが、そういう体験を辛抱強く耳を傾けて下さいました。しかし、後年、先生ご自身
にももっと素晴らしい信仰体験があるのを知り、あれは愛念で聞いて下さったのか、と驚きました。宇治までは距離があり
行事のない日は、かなりの時間をかけて京都まで行きました。

 ある時、いつものように、長い時間をかけて、宇治まで行ったら、「もう亡くなられました」ということを係の人から
聞いて驚いた経験があります。組織的には不遇だったかもしれませんが、信仰者としては本物だったと思います。
 普通の人なら、グチも出たかもしれませんが、明るく超越した表情だったのは、こういう心境だったせいか、と
納得しました。

863goro:2012/08/12(日) 19:20:42 ID:Cc8Z7oOY

トキ様

 黙っていると誤解を生みそうなので書きます。

神癒祈願部というところは純粋宗教部門として、
生長の家の一番重要な宗教部門なのです。
部門長は尊師からもっとも信任された先生方でした。

榎本先生がどれほど喜んでおられたか知らないで
いい加減な事を云わないで下さい。

半知半解で多くの人を結果として迷わせることを何とも思わないのですか? 
アナタの悪い癖です。アナタの将来のためにこれ以上無知をさらけ出さないで
くださることを祈りたいです。

864復興G:2012/08/12(日) 19:23:53 ID:xKxowNU.

>>862 :トキさま。

ありがとうございます。

榎本先生は「一粒の麦、地に落ちて死なば、多くの果を結ぶべし」と言った
イエスの言葉のように、命をかけて「久遠の今」なる「実相独在」に命をかけて、
たくさんの人々を光の世界に導かれました。そして霊界へ旅立たれてからも、
なお多くの人々を、真の生長の家に、光の世界に導かれていると思います。

まさに、「光の子とならんために、光のある内に光を信ぜよ……われは光として世に来れり」を地で生きられた
方だと思います。

ありがとうございます。

865復興G:2012/08/12(日) 19:43:07 ID:xKxowNU.

「榎本恵吾記念館」サイトに、恵吾先生が神癒祈願部長として「幽斎殿」で祈願
しておられたときに記された随想と思われる「幽斎殿 Ⅰ」というご文章が掲載
されています。

http://homepage2.nifty.com/hanabira/

榎本先生のご心境が伝わってきます。
ありがとうございます。

866SAKURA:2012/08/12(日) 20:22:55 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
復興G 様 へ
誌友会の皆様 へ
こんばんは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今回頂きました「生命の実相」資料…コピ−させて頂きました。前回もですが…
書籍とまた違う“インパクト”を、頂きます。前回も「復興G様」の御多忙の中、資料提供
ありがとうございます…。

■ 真理はなんじを自由ならしめん

「生命とは神の子である」――

【真理はなんじを自由ならしめん…】
この言葉から、今回は「真理」はと?第三者に聞かれました時は、
果たして私はどの様に応えますでしょうか、自問自答してみました…。
私は【真理は哲学】と、答えてしまいました…。
【真理は、悟る?ならば…“悟り”は何処から〜〜でしょうか】と、考えていきますと、
【言葉=言霊】から、始まると思います〜〜〜ョネ!
「雅春先生」が、いつもおっしゃいます事が【言葉は神】と言います様に、
全て“言葉”から“心がポジティブにもネガティブにも…”この様に、心の状態が働きだします
モノと思います。

此処で、初めて“悟って行動”でしょうかと思います。
■ですから【真理=言葉】なのではと、思いますから、私は広範囲の意味で、これからの
“国際化運動――>国際的思考”としまして【哲学から始まる】事と、
判断しております。これは【「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつる会」…etc】 の皆様とは、
解釈論が異なるかも知れません。…が?

■先生の言葉からも、【生命とは神の子】である。
実相を知ることでこれができれば因縁を超越して完全な自由が得られるのであります。その人は、
因縁を超越しますから、物質的な「原因・結果」に、束縛されるような事、事態が、決してなくなる。
それを、引き出すのが“言葉”から始まるモノと私は、今回の「復興G様」の資料から、
私なりに考える機会を頂きました事を、改めて感謝申し上げます…。

例えば〜〜なんですが?
私は“病気”だと言えば、無意識のうちに“潜在意識”に入り込んできますから、
「人間 神の子」と、いくら言いましても?“言葉”から発した…“その言葉”で、自然に入り
込む確率性が、多少はあるモノと思います…。
【原因が、結果を生みだすのでは?】その様に考えまして、そこまでに至りますまでには、
やはり【哲学的思考】が必要かとその様に思います…。【哲学の言葉】が入ってきますので、
それも“強い言葉”です〜〜〜ョネ!「潜在意識」に入れ込むには、やはり“言葉”から
はじまるのではないでしょうか?

■【真理…はなんじを自由ならしめん】は…、
【自由な“心”で実相を見ていく】この練習は、やはり【祈り】・【書籍】になって行きます。
私は【正しい真理】を知る事は、“ボディティブな思考”が大事ではと、思うのです。
何故なら、ネガティブ思考は、そこに停滞してしまい前向きな思考が出来ないと判断します。
ですから【真理=哲学=言葉】として“表現”されていくのではと、思う次第です。…が?
更に【今を活かす…】は、全て、これも“捉え方の間題”で行きますと、
考えさせられます部分が、あります。

■【今回、現総裁雅宣先生に対して“悪の言葉の力(中傷)”を、使われています。】
この様に私は、判断しますから、これも【真理はなんじを自由ならしめん…】でしょうかしら〜ン?
これも、入るのでしょうか?先ずは、はいらないとは、云えないと思いますが…?
如何でしょうか…?この事は“潜在意識にイメ−ジを入れ込む”この様な心理作戦でしょうか・

【迷い…】は、“心”からですから“言葉の力”で!書物を拝読致しまして、更に
【神想観=瞑想…】で、正しい方向に“心”を、振り向けていく…この繰り返し〜繰り返しから、
初めて「自覚」が出来まして、其処から【人 間 神 の 子】に、スム−ズに、
入って行くのではないでしょうか???その様に思います次第なのです…。

                                再合掌
PS:次に、頂きました“資料”を、只今拝読させて頂いております…。

867SAKURA:2012/08/12(日) 21:18:57 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
復興G様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

皆様の「榎本先生」への思い出は、色々あられますでしょうと、改めて思いました。
さて!私事ですが…
今は亡き【榎本先生のお話】で、いつも思い出しますのは“ニッコリ・スマイルの顔”なのです。
やはり【宇治の奉仕活動】ですネ!
いつも「榎本先生」に、“奉仕”が始まりますと、いつも土壇場に…
“パ−トナ−”が先生へ“電話”をしまして、私達の“奉仕配属場所”はいつも先生の担当で、
【幽祭殿…】がほとんどでした。…が?
個人的に今は亡き「榎本先生」に、一言「先生!楽な場所に、少しでも…ダメですか?」と。。。
その時の先生は、笑いながら、一言で「ダメだ〜〜ョ」との言葉でした。

それでも一番思い出しますのは、やはり、当時の私は【現象人間…】でした。
先生に【宝くじ…】を購入しましたから“祈って下さい!”と、いつもの十八番の言葉を、
言っていましたら、一回だけ“一万円で、その事を、先生に連絡しますと、笑いながら、
「すばらしい〜〜!一万円でも“十分…お金”に、変わったのだから、モット思念をもてば、
十分いける」と…大きな“笑”われました。…が?今!思い出しますと、
やはり【想念=思念】が、十分に活用されていませんでしたから、あの時の、
今は亡き「榎本先生の笑った顔」が、よく思い出します…。もうすぐ【盂蘭盆大祭…】ですし、
更に、私の故郷の【地区道場】にも、先生が来た事が、あった様でした。

そういえば故郷の「道場」では、「榎本先生のスロ−ガンのお日様マ−ク」が…
お手洗いとか?に、貼られていましたが、しかも、既に、私が、中・高校の頃から貼られていた事!!
更に友人は「榎本先生」の御蔭で、前以上に勉強を“死ぬほどの勉強”と、言いだしたのも
先生の“ポジティブ・マ−クの心”なのです。…が?
私は、当時の「亡き母」の時代は、本当に、先ず【真理…】でしたかと思います。?
何時から〜何処からの時点から〜“人数路線”になったのかが、分りませんが…!
懐かしいです〜〜〜ョネ!!私も【真理】を、しっかり“潜在意識”に入れ込んで、
今は亡き「榎本先生」と、同様に“勉強中”です。

此処では、私は【現雅宣総裁先生…擁護派一人】ですが、現代のニ−ズ性にあった【真理…】を、
中身は同じなのですが、別の角度から説かれているモノと思います…。つまり、
これは私が思いますには【心で作る世界】この事は亡き「雅春先生」もおっしゃっていましたが、
【心 の 法 則】と同じ事を、私どもに指導して頂いていると個人的に確信しております。

                              再合掌

868トキ:2012/08/12(日) 21:45:03 ID:/As0gfBA
 SAKURA様、素晴らしい思い出、ありがとうございます。先生の真髄が出るような話ですね。

 榎本先生は何冊か自費出版(?)で本を出版されておられます。最も有名なのは「弟子像」で
しょうが、他にも何冊か本を出されていて、その中には先生ご自身の体験なども書かれています。
 それを拝読し、榎本先生が様々なご苦労をされた末に、あのお悟りにたどり着いた事を知り
心から尊敬をするようになりました。

 ただ、goro様からのご指摘は、謙虚に受け止めます。私も、まさか、榎本先生があんなに早く
亡くなられるとは予想もしていなかったので、「そのうち、また、ゆっくりとお話ができるだろ
う」と思っていました。今から思うともったいない事をしました。私が接したり、本で読んだ
榎本先生の像は、おっしゃる通りに一知半解だと思います。
 goro様が覚えているエピソードをぜひ、ご紹介下さい。

869トキ:2012/08/12(日) 21:57:24 ID:/As0gfBA
>>865

 素晴らしい内容の御文章ですね。もちろん、>>862の前言は喜んで撤回してお詫びします。

 丁寧なご教示をして下さった点、復興G様に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

870復興G:2012/08/12(日) 22:08:44 ID:xKxowNU.

ありがとうございます。
だんだんWEB誌友会の終了時刻が近づいてきますが、テキストの最後の小見出し、「運命のケミカライゼーション」以下のところをお読みになって、皆さま、何かお感じになったことはありませんか? 

>>運命にもケミカライゼーションということがあるがために、われわれにとっては人生が非常におもしろくなるのであります。運命にケミカライゼーションが起こらねば、医者はいつまでも医者、看護婦はいつまでも看護婦、会社員はいつまでも会社員、労働者はいつまでも労働者であって、転換期というものに会うことができないのであります。ただ、この転換期の暗黒期に「失望」という奴によって確信を失つてしまうと、せっかく明るくなりかかっていた運命が、自分の心の力でまた本当に暗くなって来るかもしれないのであります。生長の家の『智慧の言葉』に「悪くなるほど、善きことが近づいて来たと思え」という意味のことが書かれていますが、これは病気を治そうとする人にとっても、運命を開拓せんと欲する人にとっても、いつまでも座右に備うべき箴言(しんげん)であります。<<

――私はこれを拝読して、生長の家教団、人類光明化運動も今「運命のケミカライゼーション」を起こしつつあり、“この転換期の暗黒期に「失望」という奴によって確信を失つて” はならない、とお教え頂いていると思いました。「悪くなるほど、善きことが近づいて来たと思え」とご教示いただいているのですね。

871トキ:2012/08/12(日) 22:35:05 ID:/As0gfBA
>>870

 正直申しまして、教区にいる人間としては、目の前の事の処理で追われていたので、困ったなあ、という気持ちが
ない訳ではありませんでした。しかし、「悪くなるほど、善きことが近づいて来たと思え」というお言葉は、自分の
中に、大きな励みとなるものです。

合掌 ありがとうございます

872goro:2012/08/12(日) 22:37:00 ID:Cc8Z7oOY

 トキ様

>>goro様からのご指摘は、謙虚に受け止めます。私も、まさか、榎本先生があんなに早く
亡くなられるとは予想もしていなかったので、「そのうち、また、ゆっくりとお話ができるだろ
う」と思っていました。今から思うともったいない事をしました。私が接したり、本で読んだ
榎本先生の像は、おっしゃる通りに一知半解だと思います。
 goro様が覚えているエピソードをぜひ、ご紹介下さい。<<

上記トキ様の御返事は私の指摘とは接点がズレていますので、
私の先生とのエピソードを紹介するのは辞退します。

873トキ:2012/08/12(日) 22:40:47 ID:/As0gfBA
>>872

 了解しました。

 貴重なご指摘を頂戴した事に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

874志恩:2012/08/12(日) 22:41:53 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

ご丁寧なご回答を、心から感謝申し上げます。今日は、人の出入りが多くて、なかなかPCの前に座れずに
おりまして、お返事が遅くなってしまいまして、申し訳ありません。

みなさま、恵吾先生にとてもご縁のあったお方達でいらっしゃるんだなと、私も、尊敬している先生ですので、
不思議な縁(えにし)を感じております。

復興Gさまが、教えて下さった事によりますと、イエスのあの「光のあるうちに」というコトバは、「久遠の今
を生きる」ということに、繋がるという事で、ございますね。

「久遠の今を生きる」というこの考え方は、イエスも雅春先生も、ご自身の人生を貫いた生き方ですものね。

常今が一番。雅春先生は、うまずたゆまず、今,今、今、を大事に、毎日毎日原稿を書かれ、ご講話をされ、
いつ今生の死が訪れても、悔いのない人生を送られました。雅春先生は、自ら「久遠の今」を生き続けられて、真理に至る道を
われわれ後輩達に生きたお手本としてお示し下さって、幽界の世界へ旅立たれました。

875神の子さん:2012/08/12(日) 22:44:12 ID:2RWEBQiQ
>>868
トキ様

goro様が指摘されているのはそこではないと思います。
島流しがなんたら&hellip;というところだと思います。
全然無知な私でもわかりました。

876goro:2012/08/12(日) 22:49:52 ID:Cc8Z7oOY
web誌友会という場所柄をわきまえずトキ様あてに苦情を申し上げているのは
トキ様の一知半解とか誤解の問題ではなく、生長の家のもっとも重要な
純粋宗教部門である神癒祈願について、トキ様の榎本先生に対する
侮辱的とも取られかねない内容の投稿です。

トキ様の御心に、光のある内にその光で我が内を照らしてみて下さい。

>>862の前言は喜んで撤回してお詫びします<<

などと簡単に言えることではないのです。
おわかりでしょうか?

877復興G:2012/08/12(日) 23:12:16 ID:xKxowNU.

ありがとうございます。

ここで、私の身近なところで最近にあった、というか現在も進行中の、明るい体験の話題をご披露します。

私と同じ相愛会の会員で76歳のYさんについててです。
Yさんは、今年4月28日早朝、トイレに立ったとき、くも膜下出血で倒れ、救急車で病院に運ばれました。

その前からYさんは、聖経『甘露の法雨』読誦が大好きで、千巻読誦を重ね、もう1万巻に達しようとしていました。奥さんは、生長の家青年会活動で結ばれたカップルなのですが、最近は生長の家から離れ、ご主人の聖経読誦を冷笑しながら見ている風だったそうです。

ところがご主人が倒れて救急病院の集中治療室で手術を受けるとき、その奥さんが真剣に聖経『甘露の法雨』を読誦された。すると、ご主人の元気でニコニコと笑っている顔ばかりが浮かんで来たそうです。結果は――いろいろと、偶然とは思えない奇蹟的な幸運が重なり、発病後約3ヵ月半たった今、リハビリ中ですが、ほとんど何の後遺症もなく(普通に歩行でき、言語障害も認められない)、恢復しておられます。

くも膜下出血では、大半の人が死亡または重い後遺症が残る(寝たきりになるなど)と言われていますが、Yさんは、このような事例は稀有のことであると、担当医が一番喜んでいるということです。

Yさんは、この“ケミカライゼーション”によってすっかり浄められたようで、以前よりも温和な明るい姿をあらわして、元気になっておられます。奥さんもこれをきっかけに、信仰を回復されたのです。

ありがとうございました。

878a hope:2012/08/12(日) 23:13:41 ID:r8H4x9xE

復興Gさま トキさま みなさま

わたしは、数年前、偶然であった聖典「生命の實相」を読んで魂を震わせ現教団に入信しました。
でも、「今の教え」になじめず体調を壊し、本流宣言の掲示板に出会い真実を知り、退会しました。
そして、ちょうど1年前のこの時期に、このトキさまの掲示板に書き込みをはじめたのです。

思えば、わたしが体調を壊し、苦しんだのも、よくなるためのケミカライゼ―ションだったのだと思いました。
だって、わたしはこの1年で、自分でも驚くほどに生長できたと思うのです。

もちろん、わたしはまだまだこれからですが、この掲示板や他の掲示板で、
お勉強させていただいたおかげで、以前のわたしと比べたら精神的にとても強くなっていますし、
神の子の自覚も強くなってきています。


「久遠の今」の意味は、今のわたしはまだ漠然としかわかりません。
ですが、今していることを楽しむこと、目の前の人を愛すること、
どんな人も神の子だと信じきること、すべての出来事に感謝すること、
そんな自分にできることをこれからも、精一杯やっていきたいと思います。

「生長の家の教え」に出会えたことたこと、みなさまに出会えたことに心から感謝しています。

今回のweb誌友会も、わたしにとってとてもお勉強になりました。
忙しくても参加させていただいて、本当によかったです。
トキさま、復興Gさま、みなさま、お疲れ様でした。
そしてありがとうございました。

次回の「第6回web誌友会」も楽しみにしています!


追伸

女子会板にも書きましたが、a hope家は、明日からキャンプに出かけます。
数日間、聖典謹写をお休みさせていただきます。

879志恩:2012/08/12(日) 23:19:23 ID:.QY5jUA6
トキさまは、この掲示板で一年以上前から接していますので、トキさまのお考えは存じていますが、
今の教えを
昔の時代の,吉田國太郎先生、藤原敏之先生、榎本恵吾先生のような考え方の教えに
回帰したいと、強く望まれておられるお方です。

恵吾先生のことも、とても尊敬されてます。
本当は、侮辱して言われたのでは、ないのです。
ちょっと、誤解される感じでおっしゃったので、皆様に叱られてしまって、お気の毒に思います。

組織的に考えた場合、恵吾先生の元の 練成部部長 職というのは、信徒に直接ご指導されたり、
信徒の皆様にご講話されたりする
華やかな目立つ職場だったと思うのです。

それが、神癒祈願部に なられますと、それまでのように、信徒の皆様に直接、表舞台で、ご講話されたりすることは、
出来なくなりますから、組織的に考えますと、華やかな職場から地味な職場へ移動したということで、
島流し的にとられるのかもしれません

恵吾先生は、地位とか名誉とか、いっさい考えておられませんでしたので、あれだけのおかたでしたのに、理事にも
なられませんでしたが、どこの職場であろうとも、最大限に喜ばれて,最大限にそこを生かして,よろこんでよろこんで生きらた
先生だったのでしょう。

もちろん、神癒祈願部は、神霊が天下る聖なる貴い部署です。

880SAKURA:2012/08/12(日) 23:23:40 ID:V.pKl3yA
復興G様 ヘ

こんばんは……  ロ‐マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>865の紹介して頂きました【榎本恵吾記念館 サイト】を、拝見させて頂きまいて、
懐かしい「亡き榎本先生」のお顔を見まして、つい><涙ぐんでしまいました。

改めまして「復興G様」…
紹介して頂きました事に、感謝申し上げます…。 先生の声が耳もとで囁いて下さいました様に、
何となく伝わりました…。【ニッコリ!マ−ク…!】            再合掌

881SAKURA:2012/08/12(日) 23:24:40 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>868拝読させて頂きまして
■>榎本先生は何冊か自費出版(?)で本を出版されておられます。最も有名なのは「弟子像」
でしょうが、他にも何冊か本を出されていて、その中には先生ご自身の体験なども書かれています。
 それを拝読し、榎本先生が様々なご苦労をされた末に、あのお悟りにたどり着いた事を知り
心から尊敬をするようになりました。< (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

私は「亡き榎本先生」の自費出版は知りませんでした…。その中の「弟子像」と、教えて頂き
ましたので、知人に聞きましてとりよせられましたらと、思います…。

私にとりましては【盂蘭盆大祭…今は亡き“榎本先生”】とついつい【連想ゲ−ム】にて、
思いだす次第ですもの〜♫ この“情報”を、教えて頂きました事に感謝申し上げます…。

                              再合掌
PS:別板にて“ネ−ミング”の件で、ご迷惑をおかけしましたが、ありがとうございます。

882志恩:2012/08/12(日) 23:26:42 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

質問です。「大自然讃歌」は、読誦されるのですか?

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=hikarinomi&amp;mode=res&amp;log=76

883如月:2012/08/12(日) 23:28:11 ID:ki/haAjk
私はケミカライゼーションというのが怖くて仕方が無いのです。

劇的に運命が好転しなくてもいいから、平凡でボチボチと暮らして行きたいというのが本音です。
それが怖くないように、自分であれこれイメージしてみましたが

カーテンを閉め切った真っ暗な部屋(無明)の中にいて、思い切ってカーテンを開け光(真理)を入れたら
まぶしくて、目がくらんで何も見えなくなってしまうような、そんな状態でしょうか。

884如月:2012/08/12(日) 23:32:25 ID:ki/haAjk
しばらく席を外しますので、許可なく閉会の祈りをする事をお許し下さい

885如月:2012/08/12(日) 23:33:03 ID:ki/haAjk

◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


◇◇◇光明思念の歌◇◇◇

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

886復興G:2012/08/12(日) 23:39:24 ID:xKxowNU.

WEB誌友会は閉会の予定時刻(23:30)になりました。
「世界平和の祈り」をして、区切りとさせていただきましょう。どなたか、「世界平和の祈り」をお願いします。
しかし、その後も恒例で「後夜祭」として投稿を続けて頂いていますので、ご発言のある方は安心して続けてください。ありがとうございます。

887復興G:2012/08/12(日) 23:41:15 ID:xKxowNU.

あ、如月さま、ありがとうございます。
すでに「世界平和の祈り」を書き込んでくださっていました。
ありがとうございます!!

888志恩:2012/08/12(日) 23:45:19 ID:.QY5jUA6
如月さま

閉会の祈りをありがとうございます。
>>883


ケミカライゼーションというコトバ自体が、なんか怖そうですものね。
なにが、幸せって、平凡でぼちぼち くらい、幸せなものはない気がします。

まぶしくて目がくらんで、何も見えなくなる状態ってのは、「幸せ」というより ♡「恋」♡じゃないかしら。

889復興G:2012/08/12(日) 23:48:52 ID:xKxowNU.

>>882 :志恩さま
>>質問です。「大自然讃歌」は、読誦されるのですか?<<

宇治の盂蘭盆大祭の中で、2日目の18日、午後3:30〜4:35の「自然災害物故者追悼慰霊祭」では「天使の言葉」と
「大自然讃歌」が読誦されるらしいですね。

890復興G:2012/08/12(日) 23:57:35 ID:xKxowNU.

>>883 :如月さま
>>私はケミカライゼーションというのが怖くて仕方が無いのです。
劇的に運命が好転しなくてもいいから、平凡でボチボチと暮らして行きたいというのが本音です。<<

だいじょうぶですよ。神は愛ですから、耐えられないような苦痛を与えられることはないそうですから。
人類の運命のケミカライゼーションでも、高級霊がはたらいて、あまりに悲惨なことは起こらないように
運命を修正してくれると言われています。
「恐れるものは来たる」と言われていますから、恐れないで、「ケミカライゼーションということがあるがために、
われわれにとっては人生が非常におもしろくなるのであります」と言われていますから、たのしみにしましょう。

891復興G:2012/08/12(日) 23:59:26 ID:xKxowNU.

「案ずるより産むが易し」とも言われますからね。

892トキ:2012/08/13(月) 00:00:21 ID:/As0gfBA
>>890

 ありがとうございます。安心しました!

893復興G:2012/08/13(月) 00:05:51 ID:xKxowNU.

では、今夜はもうやすませて頂きます。
皆さま、本当にありがとうございました。
神様の愛につつまれて、やすらかにお寝みください。

894志恩:2012/08/13(月) 00:12:16 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、トキさま、はじめ 皆様

お世話様になりました。ありがとうございました。

895如月:2012/08/13(月) 00:23:55 ID:ki/haAjk
>>888 志恩さま

そうなのです。 言葉が怖いですよね。
もう少しふわっと、した言葉がいいですね。
目がくらむような恋とは…うまい事言いますね!

896如月:2012/08/13(月) 00:24:51 ID:ki/haAjk
>>890 復興Gさま

遅くまで、ご指導ありがとうございました。 

>神は愛ですから、耐えられないような苦痛を与えられることはない<

そうなのですか! 良かった、安心しました。
それなら安心して続けて行けます。 ありがとうございました。
「案ずるより産むが易し」ですね。
どんなケミカライゼーションが自分に起こるのかビクビクしていました。


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