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web誌友会 板
1997
:
復興G
:2013/01/24(木) 16:58:03 ID:AB6RqYXc
<つづき>
そして、亀井勝一郎著『読書に関する七つの意見』 には
○ 読書の目的は、自分の理想とする人間像を心の中に確立することである。或は自分の座右の書を持つということだと云ってもいい。それは世代や年齢や気質によってそれぞれ異なるのは当然だ。しかし私の経験では十年から二十年の歳月が必要である。多くの迷いを経なければならないのは当然だが、様々に訓練されて、ある程度の読書を積み重ねて行くうちに、大体これだけあればいいという自分の座右の書というものが次第にきまってくるものである。つまり自分の原典である。
○ 自分を統一するためには結局は一冊あればいい。という意味は信仰があればいいということなのである。
○ 青年諸君にすすめたく思うのは、……原典の中の原典に帰れ。ヨーロッパで云うならば、プラトンの対話篇、バイブル、あるいはギリシャ神話を読むこと。日本の場合には万葉集とか古事記とか、書紀を読む。あるいは広く東洋の場合は論語とか老子の教えに接する。これは強調していいことと思うが、私の接した偉大な思想家や文学者は、例外なく思想の源泉に還ることを忘れなかった人ばかりである。トルストイは原始キリスト教に還り、ゲーテは古典ギリシャに還り、親鸞は釈尊に還り、本居宣長は古事記に還った。還るという意味は、思想の源泉に浴して身心を新にし、よみがえるということである。私は原典中の原典をあげたが、むろん自分の発見した原典であってもいい。それが自分の邂逅し信愛するものであるならば、いっそ自然へ帰ったって差支えないわけだ。精神の背骨はここでのみ養われるであろう。このことは、年齢の如何にかかわらず生涯にわたってくりかえすべきことだと思う。
○ ……一流の哲学や文学を読むのはいい。しかし読んだとたんにわけのわからぬことを口走るのは困るではないか。自分の肉親や友人に向って語るように、あたりまえの言葉で表現すればいいのである。読書によって所謂「大きな言葉」だけを覚えるのは、読書の害というものではあるまいか。
次に何か問題に直面すると、誰はどう考えているか、誰某の説はどうかと、やたらに本から引用する人がある。学者や評論家などに多い例で、東西古今にわたって権威ありそうな説を引き出さなければ気がすまないらしい。ひまで読書ばかりしている人の中にもそういう例がある。読まない人よりましかもしれないが、他人の意見の中に自分を埋没していいものだろうか。この場合の読書とは一種の自殺ではあるまいか。
我々は自分の意見、他人の意見と言うが、「自分の意見」なるものを詳細に分析してみると、それは殆んど他人の意見の複合体であるような場合がある。むろん人間は自分ひとりだけの努力で成長することは出来ない。必ずそこには読書、あるいは師や先輩の指導があり、つまり私の謂う「邂逅」によって成長するものである。しかしそうして受けいれた思想が全然消化されず、ただ学説や理論として頭脳の中にぎっしり詰っている人間ほど厄介なものはない。つまり臆病になるのだ。自分の自発的発言に対し危険を感ずるのだ。
古代ギリシャにターレスという哲学者がいた。彼はいつも天を仰いで星の秘密を探ろうとしていたが、あまり熱心に空ばかり見ていたので、足下の穴に気づかず、或るときその穴に落ちこんでしまった。これを見ていた一人のトラキアの娘が大いに嘲笑したという伝説がある。
ターレスは或る意味では愚かな人かもしれない。しかし東洋に「大愚」という言葉があるように、「大愚」でなければ大きな仕事は出来ないということも考えねばならない。
つまり私はこういう学者のタイプが」好きなのだ。ターレスの愚さに親しみを覚えるのである。
************************
上記のような読書論などに深く影響を受けて、私は『生命の實相』拝読に没頭したのでした。
なつかしく、思い出しました。
合掌 拝
1998
:
復興G
:2013/01/24(木) 17:14:01 ID:AB6RqYXc
SAKURA様。
熱心な学びのお姿、投稿に感謝します。
私たちは、今、そのまま神に生かされているしかないのですね。うれしい! ありがたい! と、よろこびましょう。
合掌
1999
:
SAKURA
:2013/01/24(木) 18:10:06 ID:x24JjvTk
「復興G様」 へ 「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888
>>1889
>>1934
>>1935
>>1936
>>1939
>>1940
>>1944
>>1945
>>1968
>>1971
>>1972
>>1973
>> 1981
>>1986
>>1995
の【SAKURA投稿】の続きです…。
===【生命の実相…抜粋】===============================
■【実相の世界における神人としてのわれの存在】 その②
>>善財童子が金剛蔵道場の普賢菩薩を見たときの心はどうであったかと申しますと
『華厳経』入法界品第三十四ノ十七によりますと、「正念して……虚空界に等しき心、
一切無着の心、一切刹を清めて障礙なき心、一切法の境涯において障礙なき心、一切十方
に充満する」等々の心を起こしたとあります。この正念して虚空界に等しき等々の心を
起こすことが神想観であります。
>>音声無辺であるというのは、われわれの実相は天地に満つるコトバであるからであります。
これが金剛蔵道場すなわち実相世界における「われ」の実相の世界に入る自分の座っている
のはこれ実相の世界であって、神の無限の知恵、無限の愛、無限の生命、無限の供給に満た
されている大調和の世界である。この大調和の実相の世界にいてわれ神の子として神より無限
の生かす力の供給を受けつつあるのである」と念じて精神統一にいるのは、自己が衆生の一人
であると同時に普賢菩薩と同じように身量無辺、音声無辺、色蔵無辺である自己の実相を悟ら
んがための行法でありまして、これこそ真正の観普賢菩薩行法なのであります。(一部抜粋)
============================================
■■私達は、「普賢菩薩様…」のように【日々の祈り】の自覚が、そして、日々のこの行事で
あります【神想観=瞑想】で〜〜〜【神との一体】になれる素晴らしさは、計り知れないモノ
でありまして、それは【心の青空…あの澄み切った世界観】がみえてきますのでしょうかと。
時折ですが?仕事の関係上【先祖供養…】だけですませる事がありましたが、最近は、
【神想観…】を中心に致しますと、やはり【発想の転換…】ができまして、良い事と云いますか?
物事が、スムーズになる事が、生じます。…が?そして、如何しても【現象で物事捉える】この
ような傾向がちですが、今の私は「活かされている〜〜〜実感」がフツフツ湧きあがり、この
素晴らしい【精神統一…神想観】に感謝です。もっと、深く【祈り…】に徹していき〜〜〜
私も【普賢菩薩の仲間入り】になれるようです〜〜〜ネ!!
■毎日「金剛蔵道場すなわち実相世界における「われ」の実相の世界に入る自分の座っている」
私は、“実に〜幸せかな〜〜♫〜〜”と、あらためて「雅春先生」に感謝です。そして、
現在の「総裁先生」に感謝です。では、今から、そうですとも!
【人間…神の子ですもの!!】と認識しながら“金剛蔵道場”の中へ入っていきましょう!!
つづく
2000
:
SAKURA
:2013/01/24(木) 18:25:57 ID:x24JjvTk
「復興G様」 へ 「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888
>>1889
>>1934
>>1935
>>1936
>>1939
>>1940
>>1944
>>1945
>>1968
>>1971
>>1972
>>1973
>> 1981
>>1986
>>1995
>>1999
の【SAKURA投稿】の続きです…。
「復興G様」 へ…
ご丁寧に頂きました“お返事”感謝申し上げます…。特に
>>1997
の中の投稿からなのですが、
■>自分を統一するためには結局は一冊あればいい。という意味は信仰があればいいということなの
である。< (一部抜粋)
此の言葉が…私には心に“ズシ〜〜〜ン!”と入り込み…益々と【テキスト…コピー】にて、
【真理の追究…】を邁進したく思います。新たなる“資料…”感謝申し上げます。
では最後に〜〜〜❤〜〜〜〜
===【生命の実相…抜粋】===============================
■【実相の世界における神人としてのわれの存在】 その③
>>この自己を掴むためにする修業が、毎日一定の時間を期してみなさんに実修して、
いただいている「神想観」の修行であります。
>>だから「生長の家」の「知恵の言葉」には「道を歩く時には今神が歩いていると思え」
とあるのであります。同じようにわれわれは机に*よっている時も「今神が机に*よっている」
と思うべきであります。こういうようにして常にわれは神人であるという自覚を失わないよう
にすると、われわれは常に朗らかな光線ゆたかな気分を維持することができ、自分の実相の
円満さが「影であるところの肉体」または「境遇」に映写されてきて、肉体は健康に境遇
は幸福になってくるのであります。
======================================
■【神想観の重み…】を、深く理解しました。私も、今から【神想観の素晴らしさ】にて、
遥かかなたの「宇宙に〜〜宇宙に〜〜☆」に、入っていきそうです。
毎日が〜毎日が〜“楽しい修行”になりそうな気配なので〜〜〜す。
当に【祈り…】も、生かす事ですネ! つづく
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