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web誌友会 板
1499
:
志恩
:2012/11/08(木) 01:01:23 ID:.QY5jUA6
以前の復興G様のご投稿文の1つを貼付させて頂きます。
組織 板
295 :復興G:2012/01/21(土) 13:09:51 ID:ojEbkDH2
私は昨年7月、次のように書き込んでいたことがあります。
狭い体験、一面的な観点からの拙文であると思いますが、『生命の實相』裁判判決を前に、再掲載させていただきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜 *
……私は「総裁援護派」と申しましても、必ずしも今までの雅宣総裁のすべてをよしとして「ヨイショ、ヨイショ」と
お神輿担ぐような援護派ではございません。畏れながら、これから、たいへんきびしい直言献言を申し上げたいと思っております。
(中略)昭和50年前後ごろ、青年会で『理想世界』百万運動を繰り広げたリーダーの森田征史氏・安東巌氏らは、
当時生政連の中央部に直接関係していた方ではありませんでしたが、谷口雅春先生の悲願を深く受け止め、真心を持ってそれにお応えしたいと、
命がけの活動を展開して来られたと思います。
谷口雅春先生の悲願──それは、「日本国家の成仏」ということであり、具体的には「明窓浄机」(S49.12)にはっきりと書かれております。
「……私は政治方面の天分など持ち合はさないのだけれども、国家の危機と、年間三百万人殺される胎児のことを思ふと止むに止まれない気持で、
政治方面にここまで努力して来たのである。
しかし生政連もここまで育つて来て、私のやうな素人が口を挿まないでも一人立ち出来る錚々たる
人物が中央には数人はゐるからこれらの人々に委せておけば大丈夫だと思ふ。
私が生政連関係の仕事に嘴をはさまないことにしても信徒及び誌友諸賢は生政連から後退しないやうにして頂きたい。
現在の日本国は思想や国民の精神状態から見れば開闢以来の一大国難の秋(とき)なので、その国難を支へる宗教、政治、思想団体といへば、
まだ力が充分発揮できないが、生長の家のみであるからである。
……せめて胎児の虐殺をやめさせる法律が通るまでは、
吾々の国会代表を減らすことはできない。これは私の生涯の願ひである。
……しかし、政治方面の知能や機略は私の専門外にあるので、此処には希望をのべるだけで私が長崎に退いた後は、
政治のことは今後、副総裁に全托してやつて頂くことにする。
私は九州別格本山を、別格を消して大本山に完成することに
人生の最後の任期を賭けたいと思ふ。」
──とお書きくださっているこの谷口雅春先生のご悲願に、生政連がお応え出来ないなら、自分たちがそれにお応えしようと、
命を捧げる気持ちで若い情熱を燃やし猛烈な運動に献身したのが、当時の青年会活動であり、今もその志を捨てないで戦っている
人たちがいると考えられます。
つづく
1500
:
志恩
:2012/11/08(木) 01:03:49 ID:.QY5jUA6
(つづき)
しかし、当時の運動には若気の至りで行き過ぎ
……「手段を選ばず」のようなことも出てきたため、『理想世界』百万部は達成したけれども、無理がたたって「国家救済」の持続的運動は挫折した。
その間、現白鳩会総裁の谷口純子先生をも家族のように守り育てて“百万運動”に献身していた
リーダーのN氏を除名処分にするというようなことも起きた。
そこで現谷口雅宣総裁は、そのような体制をたたきつぶすことこそむしろ生長の家を救い国を救うことになるという、
ある種の使命感をもって、戦ってこられたようにお見受けいたします。
動あれば反動あり。
反動として、「雅宣総裁追放」こそが谷口雅春先生のご悲願を実現する道である、と立ち上がっておられるのが、
現在の「生長の家本流宣言」を名乗るグループや「谷口雅春先生を学ぶ会」の皆さんであろうかと思われます。
この悪循環を、どこかで断ち切らねば、永遠に混乱は続くでありましょう。
総裁先生にお伺い申し上げます。生長の家を愛し、大聖師谷口雅春先生をこよなく敬愛し、そのご悲願を達成したいと、
命がけの気持ちでやってきた者たちの心情を理解することも出来ず、そういう人たちを敵に回して戦うということは、
総裁先生の提唱される「日時計主義」とどういう整合性を持つのでありましょうか。お教えください。
矛盾したことを続けられるのなら、即刻「日時計主義を実践しよう」などという看板は下ろして頂きたく存じます。
大調和を説く生長の家が、骨肉の争いや、元大幹部と裁判沙汰で争うなど、絵にもならないお笑いぐさであります。
そのような姿勢を続けられるのなら、生長の家総裁の座を降りられた方が、人類のためになります。
賢明にして偉大なる、神にまします 生長の家総裁 谷口雅宣先生。
先生は、上記のようなことは夙に御賢察くださり、今までの方向を大転換して、大調和、大和解への道へと舵を切り直す
準備をなさってくださっていますことと信じます。
大和解こそが、生長の家全信徒を本当に救済し、人類を救済する第一歩となります。
われら生長の家信徒は、総裁先生の大いなるご愛念のもとに、生かされているのでございます。
そのことに深く思いを致し、心からなる感謝を捧げます。
頓首平伏合掌礼拝
1501
:
ハマナス
:2012/11/08(木) 01:48:27 ID:x2zmnlqw
復興G 様
「光明道中記」の明治天皇陛下に関する投稿を再アップして頂きまして、ありがとうございます。
復興G様の1478と1489のご文章を拝見し、感動致しました。さすがに、素晴らしいです。
>――私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと
思いました。それでは、外なるものによって自分が支配されているという「僕(しもべ)」、もっと
言えば奴隷状態に自分を置くことになるのではないか。自分が神の子、宇宙の中心ならば、運命の
主人公としての生き方は、「一切は自分の責任」 「罪あらば吾をとがめよ天津神」という気持ち、
自覚を持って生きることではないか――。
>――だからこそ、
≪しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。ここが、生長の家信徒われらの正念場
だと思われます。≫と、申し上げているのであります。
『生命の實相』第8巻P.169より謹写させていただきます。
わが業はわがなすにあらず天地を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)
「自もなく他もなく、天地ただ一つの祖神のなかにある。われらが求めているのは小さな我の力で
求めているのではない。天地全体の力で求めているのである。だからわれが求めると同時に天地間
のどこかに必ずその求めを満たすものが顕現しつつあり、われそれを求むれば、その求められる
ものがわれを求めて互いに相近づきつつある――その相近づくのは神の力、広大無辺なる力である
からその広大無辺の力に導かれて、わが求めるは必ずかなうのである。」
同 P.171より
「どんな苦悩が来たとて、われわれは恐れてはならない。苦情を言ってはならないのです。恐る
ればわれらの生命力は減る。苦情を言えばわれわれの生命力は減る。呟く時間に、恐るる時間に、
自己の宿る神の栄えを顕わすために一歩一歩忠実に向上せよ。静かに神の子なる時自己の栄えの
自己実現を想望しつつ突進せよ。想念は行く手を照らす光であり、同時に現実を押し上げる発動
機である。信ぜよ、自己の宿る神を信ぜよ。不屈のものが自己にありと信ぜよ。絶えず、絶えず、
その日のことを忠実につくしながら、欲するものを心に描いて進め。かくすれば、宇宙の力おの
ずから動き来たって、われらの希望する想念の雛型に従って、われらの欲する事物を具象化して
くれるのであります。想念は力である――それが正しき想念であり、利己的目的のみではなく、
自己を高め上げ、自己の他に対する有用性を高めることを含んでいる念願でありますならば、
神に祈り、その希望を神に委ねて、その日その日の務めを完全に尽くして行くならば、成就し
ないということはないのであります。」
命懸けで、神の子の自覚を深め、行じてまいりたいと思います。
ありがとうございました。
1502
:
SAKURA
:2012/11/08(木) 06:26:43 ID:dBLl2Ogo
「復興G 様」 ヘ ・ 「トキ様」 へ ・ 「観覧者の皆様」 へ
おはようございます……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1469
の“SAKURA投稿“から〜〜(一部抜粋)
私事で、恐縮ですが“パ−トナ−”の【御両親の介護関係…】で、昨日から既に、別の場所に
移動しての一日でした。…が?ここ数日は、時間調整が難しい中での“投稿体制”をと…
■此処で“横スレ”にて…申し訳ございませんが……
〜〜〜【投稿抜粋】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■そして『明治節…』
一、アジヤの東 日いづるところ ひじりの君の 現れまして
古き天地(あめつち) とざせる霧を 大御光(おおみひかり)に 隈(くま)なくはらひ
教へあまねく 道明らけく 治めたまへる 御代(みよ)たふと
…云々…
❤〜この頃の“日本語…言葉の美しさ?響きの良さ?“でしょうかと、改めて思いました。(抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■この紹介していただきました【明治節…】この歌詞?と申しますか?“言葉の使い方…”
例えば…【〜♫ 治めたまへる 御代(みよ)たふと ♫〜】此処の処まで見て参りますと…
ついつい脳裏に【 君が代〜♫ 】を、瞬時にして思いました次第なのです…。
【日本語…】の美しさ〜♫〜 “響のニュアンス”この様に、見ていった次第なのです。
更に…【日本民族の“魂”…さざれ石】が?…
■■ 【 君 が 代 】
❤〜君が代は 千代にやちよに
さざれ石の 巌(いわおと)なりて 苔のむすまで ……
A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.
汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■ 明治維新後の1880年(明治13年)に曲がつけられ、以後は国歌として扱われるように
なった。1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定された。
元は平安時代に詠まれた和歌である。
この“言葉…”は、確かに平安時代からの“和歌”と語数の中にその心情を巧みに表現され
ていますから…ついつい【この「我が君」から「君が代」への変遷…】このように、
つい“日本語の言霊”を、改めまして思った次第なのです。
従いまして、
ここ最近は、社会情勢も含めまして【国 歌】であります「きみが代…」この言葉を、
同時に連想しまして、前回、復興G様の“明治節…に対しての投稿…”を、させていただいた
次第です…。
当に!現在は【明治維新…】政治面に於きましても、新しい動きがありますので…それも
含めまして感銘しました次第なのです。…が?
❤〜参考に【国家…君が代〜♫〜】お時間がございましたら拝聴下さいますと幸いです。
http://www.youtube.com/watch?v=98vjTRCR3bA&feature=plcp
(第82回 選抜高校野球大会(平成22年・甲子園)にて国歌独唱、全国に大きな感動…
呼んだ天使の歌声!)
再合掌
1503
:
復興G
:2012/11/08(木) 08:45:50 ID:vWpLkCzM
合掌
志恩様、ほかコメントをくださいました皆々さま。
ありがとうございます。
今日はこれから夜まで一日出かけなければなりませんので、お一人お一人にお返事、コメントはできませんが、こころから感謝し、ご無礼はお詫びし、祝福のお祈りをさせていただきます。
合掌 ありがとうございます。礼拝
1504
:
「訊け」管理人
:2012/11/08(木) 09:38:59 ID:???
「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」・・・・そんな言葉で片付けてよいのでしょうか。ここは重要な点だと思います。言うまでもなく此処は、「世界一の教えを奉ずる集団」です。掲示板にはそんな方々が、集まっているはずです。「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」という言葉で返答されるのは、思考停止の様に感じられます。(答えは聖典に、書かれてあるのです。しかも誤読余地もなく)
つづけます。参集される皆さんの手許には少なくとも、各種聖典があるはずです。そして(手法に変化はあれど)基本線に於いてそんなに、相違点が出てくるわけがありません。それを「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」で片付けられてはたとえば、聖典を論拠に意を尽くした側は、虚無感が漂うというものです。「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」・・・・・・そんな話で片付けられる話でしょうか。これは。
知的誠実さあらば返答は、少なくともこうなるのが普通ではないでしょうか。手法面での相違点を認めつつも「それでは聖典に基づいて考えます」と――それなのに相手方ご返答が、「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」ならば、それでは御教えの入っていない一般人となんら変わりがありません。個人的にはそう考えます。
拝
追伸
その、「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」の内容は、聖典に基本を置いておられるのでしょうか。内容は判然としませんしましてやそのお言葉は、聖典を論拠にされてのものとは思えません。(反論あらばどうぞ)考え方に相違あれども少なくとも、「我が行動は聖典の、ここに立脚しております」と明記されるのが、最低限の礼儀だと思います。
1505
:
トキ
:2012/11/08(木) 10:12:19 ID:KeI.yaiQ
おはようございます。
「鉄槌」という表現が、みなさまの気分を害したら、これは私の本意では
ありませんので、お詫びします。すみませんでした。
合掌 ありがとうございます
1506
:
志恩
:2012/11/08(木) 10:21:00 ID:.QY5jUA6
訊け君には分らなくても、復興G様は、私が申し上げた意味は、分って下さってますよ。
復興G様が言われた《今が、正念場です》というお言葉に、復興G様の心の奥にある心情が表れているではありませんか。
復興G様は、今、生長の家で起きている事は「災難だ」ということも、しっかり認識されてます。
復興G様は、雅宣経も自分は、読経しないとも,以前はおっしゃってましたし、なんでもかんでも今の教えを
受け入れて「雅宣総裁擁護派」でおられるわけではなのです。
今、教団は全組織におふれを出していると聞きます。
「生命の實相」をテキストにしないようにと。また、ご自分が作ったお経を、練成会で使用する様に、全国に命じられていて、
全教化部には、雅宣経が設置されてるとのことです。
復興G様が、80を過ぎられるご高齢にもかかわらず、例え2、3人でも参加者があればいい、それでも「生命の實相」をテキストにした
WEB誌友会は、続けたほうがいい、と仰られて、毎回、すごい長文のテキスト用の「生命の實相」からの謹写をして下さってたり、ご指導
下さっているのは、
「生命の實相」を消してはならない、という思いと、閲覧者の皆様に、「生命の實相」の素晴らしさをお伝えしたいという本来の生長の家を
崇敬される切なるお気持ちがあるからだと,存じます。
「災難」に対する態度は、静かに実相を祈られるタイプと、私のように、祈りながら発言するタイプの人と、わかれますし、
雅宣先生に対する対応も、わかれます。
その対応に仕方で、相手を追求していても平行線ですから、、、、ということを申し上げたのです。
未来に対する思いは、一緒なのですから。
以前、復興G様が、「生命の實相」にたいする熱い思いを述べられたご文章が、ありますから、つぎに貼付させて頂きます。
1507
:
志恩
:2012/11/08(木) 10:23:34 ID:.QY5jUA6
トキ様
コメント、感謝します。仲介してくださろうとされて、
トキ様は皆様に叱られてしまって、かえって、すみませんでした。
ご愛念、ありがとうございました。
1508
:
志恩
:2012/11/08(木) 10:25:01 ID:.QY5jUA6
貼付させて頂きます。
「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板
1292 :復興G:2012/02/29(水) 09:56:49 ID:ojEbkDH2
「本流宣言掲示板」の方に、
<2月28日、代表者会議で、谷口雅宣先生が、『生命の實相』にも「聖経」にも頼らないでいくことを宣言した模様です。(「靖国見真会」参加者様)>
と出ています。
が、これは本当のことでしょうか。
もしそれが本当だとしたら、私は
>>1204
で申し上げましたように、
<生長の家の根本教義は、『生命の實相』に記されています。……根本真理の神の波動がそこには鳴りひびいています。その『生命の實相』がなくなっても、新しい雅宣総裁の『新・生命の實相』が書かれたらよい、とは私は思いません。もし仮にそうなるようだったら、生長の家から神様が無くなることになるので、私は離縁していただきます。>
ということになります。
雅宣総裁が本当に、神そのままの実相を現し、形の上だけでなく真理の法燈を継承していらっしゃるならば、そのようなことをおっしゃるはずはない。実相の総裁は、決してそのようなことをおっしゃっていないのだと信じます。
“『生命の實相』にも「聖経」にも頼らないでいく”というのは、外なるものに頼らなくても、内なる生命の実相に頼ればよい、とおっしゃるのでしょうか。たしかに谷口雅春先生は、「外に求めず、わが内に求めよ」とおっしゃいました。しかし、そのことに気がつかせて頂いたのは、『生命の實相』に書かれた真理の御言葉によってであります。その『生命の實相』はいらない、と否定することは、『大般涅槃經解釋(だいはつねはんぎょう かいしゃく)』にあります
「もし、宗教人であれ、在家の人々であれ、師に対する恩知らずの麤悪(そあく)の言葉をもつて正法を誹謗し、その重大な悪業を犯しながら悔い改めようとはせず、心に慚愧の思ひを起すこともないならば、そのやうな人を名づけて一闡提(せんだい)の道に趣く者といふのぢや」
ということになる恐れがあると思われます。
そのような「五逆の罪」を総裁に犯させ奉ってはならない。ですから、総裁が『生命の實相』はいらない、とおっしゃったというのが本当なら、私は「離縁して頂きます」と申し上げます。
<釋尊は御自分のお説きになる教へを「正法」と仰せられ、御自分の説法にケチを付けたり、攻撃したりする者を「正法を誹謗する者」として、そのやうな者に、布施することはよろしくないとせられたのであります。>
<釋尊の教団から脱退して別の教団を立て、その教への殆ど全部を盗用しながら、その表現する言葉の言ひ廻しを一寸かへたり、重大な点一二の別異の説をもつてその表面を塗り替へたりしながら、「釋尊の教へよりも、この教への方が立派であるぞ」と言つて自分への信者集めに狂奔して師を攻撃するやうな弟子もあつたのであります。>
と『大般涅槃經解釋』にあるような「叛逆の弟子」に、総裁御自身がなってしまわれると、信徒が皆迷いの道に行ってしまいますから、大変なことです。
1509
:
「訊け」管理人
:2012/11/08(木) 10:27:05 ID:???
>>志恩さま
ストレートに申します。「じたばた」の意味ですがこれは、貴女さまご発言や
行動内容が「聖典を基礎にしていない」ことに起因しております。
相違点はあってよいのです。あってよいのですがどうしても「じたばた」に見え
る理由、それは、「聖典に基づいていないから」になります。
「違う。私の行動は聖典準拠よ」がご返信でしょうか。それならば該当箇所を指摘
くださいませ。そうされれば少なくとも、第三者には「じたばた」しているようには、
見えぬものと思います。
拝
1510
:
「訊け」管理人
:2012/11/08(木) 10:30:58 ID:???
<補足>
※ それならば該当箇所を指摘くださいませ。
考え方の相違ですがまずは、その内容をご明記ください。さらにその上で、
聖典の該当箇所をお知らせください。私が謹写致しましょう。
つまり、相違点あれども少なくとも、「志恩さんの行動・発言は聖典に基礎あり」
を、周囲に示す必要がありましょう。そしてそれは復興Gさまに対する最低限の礼
儀なのではないでしょうか。現時点では貴女さまが、一方的に議論中止させており
ます(少なくとも印象では。)。相手側は聖典を論拠に説得されておられるのですよ、
貴女さまに於かれても聖典を基に反論を、されるべきではないですか。
1511
:
うのはな
:2012/11/08(木) 10:49:54 ID:e2uGAy0E
トキ掲示板=争いの家
1512
:
トキ
:2012/11/08(木) 10:56:36 ID:KeI.yaiQ
いろいろご意見はあると思いますが、ここは誌友会の会場ですので、できればその点を
ご考慮お願いいたします。
合掌 ありがとうございます
1513
:
西向く人
:2012/11/08(木) 11:03:58 ID:M7ribEwU
聖典に準拠してお応えしようか
それを知ってどうする
毎日のようにブログを更新していても、それが判らぬか
そうか、ただコピーしているだけだからな
1514
:
「訊け」管理人
:2012/11/08(木) 11:20:15 ID:???
>>西向く人さま
ところで『信仰の科學』でありますが、やはり英訳でした。まえがきにありました。
あの、ご著書の御文章ですがやはり、雅春先生のものは「英訳後、再度日本語訳された御文章」
だと明記してありました。ただコピーしているだけですので、見落としておりました。
英文を日本語に訳された御文章だからなにか、いつもとトーンが違ったのでしょうね。
拝
1515
:
志恩
:2012/11/08(木) 13:47:04 ID:.QY5jUA6
訊け君とは、やりとりしません。
無駄な時間を費やすだけですから。
以前にもあなた宛に、私は徹夜して、
書き込んで回答しましたが、それでも、和解について、なにも答えてないと
あなたは言いました。揚げ足取りに終始しています。
うのはなさんと和解されてからに願います。
あなたの言葉が、虚しく響き渡るだけです。
1518
:
志恩
:2012/11/08(木) 13:58:34 ID:.QY5jUA6
聖典に基づいた和解については、語り尽くされて来ています。
それでも、
受け取り方は、まっぷたつに別れております。
また、書きますか?同じ聖典からの引用部分を。
和解、和解がはじまりましたね。
ご自分が主張されるのに、
都合のいい箇所の「聖典」の文章を、いつも引用されて、
書かれていて、
和解を実行されていない
あなたのなかよしの雅宣総裁におっしゃってください。
聖典を実行せず
根本真理と対策を説かないのは、雅宣総裁なのですから。
1519
:
トキ
:2012/11/08(木) 14:47:30 ID:KeI.yaiQ
あらあら。なかなか、活発な議論がされていますね。
やはり、それだけ生長の家を愛しておられるからだと深く感謝申し上げます。
この件は重大な問題ですから、また、別に時間をとって、議論できれば良いですね。
誌友会の場所ですから、少し趣旨が違いますから。
では、宜しくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
1520
:
うのはな
:2012/11/08(木) 15:26:39 ID:zzNh6pl2
トキさん、訊け氏は別版でも事実をコピペしてくださいとか、
ごちゃごちゃいっています。
訊け氏にも注意するようにしてください。
1521
:
志恩
:2012/11/08(木) 15:28:07 ID:.QY5jUA6
小銭入れは、キーロックつきの金庫の中に入れとかなきゃ。
1522
:
「訊け」管理人
:2012/11/08(木) 15:46:51 ID:???
○「花は咲く」(東日本大震災復興支援ソング)
http://www.youtube.com/watch?v=jqKiZqhE3ZE
<歌詞>
真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す
叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す
誰かの歌が聞こえる
誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい
あの日々を 思い出す
傷ついて 傷つけて
報われず 泣いたりして
今はただ 愛おしい
あの人を 思い出す
誰かの想いが見える
誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える
悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
いつか恋する君のために
<補足>
合唱隊は宮崎勢です。川南町は口蹄疫で牛が全滅しましたが今回、他地域の県勢がふんばりで「和牛五輪」を制しました。エリート種の牛を欠いての、全国制覇です。県民は現在、皆、涙しております。
1523
:
うのはな
:2012/11/08(木) 17:01:17 ID:UyKarZdg
志恩さまへ
さくらマネがいなくなり、志恩さんなどが相手にしてくれないとなると、訊け氏が
部外者には弁論機会がないとか、ごちゃごちゃと被害妄想じみたことをしゃべっています。
トキさんもたよりないので、迷惑しています。
1524
:
さくら
:2012/11/08(木) 18:01:38 ID:Qe.xcyA2
…わたしは、トキさまの「鉄槌」という言葉に不快などを感じて書いたのではありません。
仲介に入り八つ当たりを浴びたとの話にしないで頂きたいと思っております。
復興Gさまは、なにより雅春先生のみ教えに基づいたお立場に立たれて、志恩さまにあのお言葉を言わざるを得なかったのは、それは、み教えに真剣であられたこそと思っております。
その想いを少しでも、ご理解しなければ、復興Gさまやみなさまが尽力されておられるこの誌友会も報われないのではないかとかんじましたので。
トキ様も話をそらされようとなさいますが、これは学びにとても大切な論点であると、わたし自身は思っています。
なぜなら、復興Gさまは、あくまでみ教えを中心として言われておられるのであり、個人的感情や意見の受け取り方ややり方の違いなどで、このようなことを言われたわけではないと思われます。
一番下っ端の鈍ら信者なので、わたしは、和解を言っても、先輩から生意気だ、宗教人としてもあり得ない女だ、元スパイだといくらののしられ、管理人様にも軽くあしらわれても仕方ない立場かもしれませんし、
部外者も小銭だポイだと言われても仕方ないかもしれませんが、
いま復興Gさまが言われたお立場は、精魂込めた真理の謹写のあとのお言葉でした。
ハマナスさまは、そのお言葉に対し、「命がけで神の子を行じたい」とのお言葉でお受けになりました。
雅春先生のみ教えを継承すると言われる本流派を応援されるみなさまは、少しでも、この点をご考慮して頂ければと個人的には願っております。
…なお、この意見に関する個人の人格攻撃は、別版でお願い申しあげます。
このようなことがあると雰囲気もじゃまになりますので、今後、こちらでの発言も控えたいと考えております、
たびたび失礼いたしました。
(ただ、別版での返信はお約束できかねます。)
拝
1525
:
神の子さん
:2012/11/08(木) 18:02:13 ID:???
>トキさんもたよりないので、迷惑しています。
↑ じゃ 出 て い け ! 皆 が 喜 ぶ ぞ !
1526
:
トキ
:2012/11/08(木) 18:47:53 ID:KeI.yaiQ
なんだかなあ、と少し寂しい気分です。この掲示板は、どの立場の人も制限なしに投稿できる事が
目的に作りましたが、こんな争いが怒るのは自分の本意ではありません。自由な意見が投稿されると
いうことは、当然、自分と違う意見も存在すれば、自分が好きになれない人も来る訳です。
そこで、ファイト! というのは、他の投稿者様や閲覧者様に、ご迷惑をかけることになり
ます。
やはり、生長の家どうし、谷口雅春先生の教えを学ぶ者どうし、解釈に違いがあっても、
お互いに尊敬しあいましょう。
よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
1527
:
うのはな
:2012/11/08(木) 19:30:57 ID:E.iyQwvc
240 名前:「訊け」管理人 投稿日: 2012/11/08(木) 14:14:05
まあしかし・・・・呆れるね(笑)いやホント(笑)
誰も聖典なんて、読んでおられないよね。興味すら無い感じだね。
生長の家関連掲示板でマイノリティ化しているのが、「谷口雅春・光明思想」
と云うわけだから、どんなブラックユーモアだろうか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
また呼び捨てにしてますよ。
1528
:
うのはな
:2012/11/08(木) 19:32:34 ID:E.iyQwvc
>1525
「荒らし」ってなに? △ ▽ ▲ ▼
スレッドを乱立させたり、長文や意味を持たない文字列やアスキーアートなどをコピー&ペーストしたり、削除対象になるものを書き込んだり、掲示板の使い勝手を悪くしてしまう行為一般の総称です。
個人の誹謗中傷、度の過ぎた差別発言、むやみに不必要なスレッドを上げること、執拗な煽りや叩き、なども荒らしとみなされる場合があります。
平たく言えば、他人に迷惑が掛かる書きこみはアウトってことです。。。
荒らし行為に遭遇した場合は、諌めたり挑発したりなど、むやみに対抗しないようにお願いします。特に荒らしを煽るのは逆効果です。
荒らしに反応したらあなたも荒らしかも。。。
1529
:
トキ
:2012/11/08(木) 19:54:36 ID:KeI.yaiQ
すみませんが、この場所は、誌友会の会場として予定されています。
この板には、誌友会に関係のない話題はご投稿をお控え下さい。
宜しくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
1530
:
志恩
:2012/11/08(木) 20:31:21 ID:.QY5jUA6
さくらさん
いくら敬愛していても、違う人間同士ですから、どうしても理解出来ない点も、受け入れられない点もある場合があるのです。
「聖典に基づいて」、、「み教えを中心に」、、
それは、ここの掲示板の皆様、本流の皆様も、口を揃えて仰っておられます。
しかし、皆様、聖典に基づいて、み教えを中心に、お考えですのに、
受け取り方が、それぞれ違っております。
私の場合は、復興G様がおっしゃる
① 「総裁のすることなすことが、全てが我が責任である」、という考え方と、
② 雅宣総裁が、住吉大神の化身だという考え方は、決して納得できません。
その考え方を、さくら様とハマナス様は、感動されて、同意されました。
それは、それで、いいのでは、ないでしょうか。
それを、私にも、受け入れよと、貴女に言われても、受け入れられないものは、どう言われても受け入れられないので、
仕方、ありません。
それから、復興G様が「今が正念場」とおっしゃったのは、別板でトキ様がコメントされてますが、
>> 谷口雅宣先生が、ご兄弟と和解をするか、しないか、の二者択一です。それ以外の選択肢はありません。<<
これを指しておられるのかなと思いました。
続きまして、
〜以下は、教区におられるというトキ様の『和解について』のお言葉です〜
>>谷口雅宣先生が、ご兄弟と和解をすれば、これは総裁が谷口雅春先生の教えに忠実に従う、という事を意味しますから、
本流復活派も万歳という事になります。さらには、これだと、谷口雅宣先生ご自身も皆様から、
その英断を賞賛されますから、組織内での立場も安泰という事になります。
しかし、もし、谷口雅宣先生が、ご兄弟と和解を拒否したら、
これはこれで、残念ですが、いわゆる「本流復活」が成就する事になります。
なぜなら、神は法則であり、個人の属性に関係なく公平に働きます。生長の家総裁であろうが、私の
ような末端の信徒であろうが、それは変わりません。そして、自分の兄弟とすら和解できない事は不調和な波長を出して
いる事ですから、神様の波長とは合いません。神様の波長と合わなければ、運命がよくなるはずがありません。
どんなに努力をしても、確実に失敗します。
この数年の総裁の方針を拝見すると、たいへん申し訳ありませんが、見事なまでに失敗の連続です。昔は総裁への
尊敬の念は一応、教区も持っていましたが、最近ではだんだんと尊敬の念は消えつつあります。昨日、兄弟と争って
覇権を握ったものの、遂には会社から追放され惨めな晩年を過ごした中内功さんの話を書きましたが、同じ運命は確実
に谷口雅宣先生にも来ます。下手をすると、もっと悪い末路になるかもしれません。
そして、「今の教え」なるものを本心から信奉している人は、少数の狂信的な人を除けば、ほとんどいません。
大半が表面で言っている事と内心とは違います。そして、谷口雅宣先生が、おられなくなったら、表面をとりつくろう
必要はないですから、一気に今までの反動が来るでしょう。そうなったら、あとは「谷口雅春先生の教えに戻ろう」という
事になるだけです。<<
さくらさんは、このトキ様の現場のご意見を、どう受け取られましたか?
1531
:
志恩
:2012/11/08(木) 20:41:50 ID:.QY5jUA6
私は、トキ様の上記のご意見は、
復興G様も、ご同意されるご意見ではないかと、思っております。
私が、具体案を出せないでいるのは、今は、現場に居ないからです。
ですから、今現在、現場でご活躍の皆様に現場の実情を教えていただくしかないのです。
アクエリアン様のつぎのご意見も、本来の生長の家に回帰するために、賛成です。
>>生長の家の教えを学ぶために信徒になっているのだから、
開祖谷口雅春先生の聖典で、学ぶというのは、当たり前のことですね。
雅宣総裁は余計なことというのでしょうか、
信徒が教えを学ぶ環境を邪魔しているのではないか。
信徒が直接に開祖の教えを学ぶことができるような、
読書環境をまず整備することが、法統継承者の第一の仕事でしょう。
今の教えなどという、余計な雑音は必要ないんです。
総裁は雑音の出し過ぎなんです。
ただ、ただ、裏方に徹して、信徒が直接、真理を学ぶことができる環境を整備すること、
環境問題を問題にするのならば、信徒が聖典を学ぶ読書環境の整備、
まず、これを第一にやらなければならない。 <<
1532
:
a hope
:2012/11/09(金) 08:24:29 ID:8tjYhMb6
みなさま おはようございます。
いよいよ今夜、9時半より、第8回WEB誌友会が開催されます。
<第8回WEB誌友会予告>
≪日時≫11月9日(第2金曜日)21:30より
11月11日(第2日曜日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」 はしがき p.1〜2、本文 p.1〜p.50
≪内容≫ 第1章 「生長の家」の超薬物学
復興Gさま
聖典板に、『生命の實相』第2巻第1章の謹写をありがとうございます。
また、御指導をよろしくお願い致します。
みなさま
今夜、a hopeは、また、開催直前に、「準備祈願」としての祈りを掲示させていただき、
聖典『真理の吟唱』より「内在の生命力を振起(しんき)する祈り」を謹写させていただく予定でいます。
みなさま、覚えていらっしゃいますか?
このweb誌友会の大きなテーマは、『一人ひとりの法燈継承』 です。
わたしたち「生長の家」を愛する信徒一人ひとりが、聖典「生命の實相」の偉大さを再認識し、
100%の信頼を持って心読して、一人ひとりが「生長の家の教え」をしっかりと「法燈継承」すれば、
「生長の家」は必ず大調和するのだと思います。
復興Gさまも紹介してくださいました、第2巻のはしがきには、
<<本巻に収められた實相篇の「生長の家の超薬物学」は、『生命の實相』全集全巻を通じての枢軸部をなす部分であり、
その一部分が六十四ぺージずつ二冊のパンフレット『いのちのゆには』および『こころ我を生かす』と題して発刊せられたとき、
その読者のうちに無数の奇蹟的治癒が起こり、著者みずから驚異の念をみはった部分である。>>
とあります。
今回の内容は、雅春先生ご自身が『驚異の念をみはった部分』なのです!
真剣に、でも、みなさまと一緒に楽しくお勉強させていただきたいと思っています。
それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、今夜お会いするのを楽しみにしていますね!
1533
:
さくら
:2012/11/09(金) 08:57:51 ID:qLq/w8RU
>>1531
志恩様
質問を受けましたので、お答えだけします。
「>① 「総裁のすることなすことが、全てが我が責任である」、という考え方と、
② 雅宣総裁が、住吉大神の化身だという考え方は、決して納得できません。
その考え方を、さくら様とハマナス様は、感動されて、同意されました。
それは、それで、いいのでは、ないでしょうか。」
これは「ひとつの考え方」として、賛同したわけではなく、
復興Gさまが、自ら生長の家の真理を実践されようと「一切者の自覚」に立たれておられること、
またその真理に、自らの考えなどを挟まず「ハイ」と受けたハマナスさまの信仰姿勢に打たれた、ということです。
ここに生長の家でいう、真理に対しての「絶対ハイ」の姿勢を感じました。
また、いまの生長の家の現象にとらわれるのではなく、それを突き抜けた、中心の実相を観る目、実相覚を解いて下さっているとかんじました。
また、復興Gさまが引用された良寛さんの
「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候(良寛)」
上記は、良寛さんの言葉だと言われていますが、とても深い意味をもっていると思われます。」
神への絶対的な信頼と全託という、深い信仰の姿勢を書いて頂いていると受けました。
「>それから、復興G様が「今が正念場」とおっしゃったのは、別板でトキ様がコメントされてますが、
>> 谷口雅宣先生が、ご兄弟と和解をするか、しないか、の二者択一です。それ以外の選択肢はありません。<<
これを指しておられるのかなと思いました。」
復興Gさまが「正念場」と書かれたのは、
実相直視の生長の家の真理を、信徒がいかに実践することが大事かという覚悟を言われたと、受け取りました。
また、トキさまの意見に対してどう思うかとのことですが、
わたし自身は、トキさまのような、組織に責任を持つ立場ではありませんので、
トキさまは、トキさまのお立場で実感されておられることを書かれておられると思っておりますし、
精一杯ご自分のところで尽くされているところを、尊敬しています。
わたしのいまの立場で、組織が改善されることを願っておりますが、
もう、組織に関わらず、自分のおかれた立場で、自分が救われた信仰を信じて、実践するしかないとおもうだけです。
1534
:
さくら
:2012/11/09(金) 08:58:26 ID:qLq/w8RU
「上士聞道 勤而行之 中士聞道 若存若亡 下士聞道 大笑之 不笑不足以為道 故建言有之 明道若昧 進道若退 夷道若纇 上徳若谷 大白若辱 広徳若不足 建徳若偸 質真若渝 大方無隅 大器晩成 大音希声 大象無形 道隠名無 夫唯道 善貸且成
上士(じょうし)は道を聞けば、勤(つと)めて之を行う。
中士(ちゅうし)は道を聞けば、存(あ)るが若(ごと)く、亡(な)きが若し。
下士(かし)は道を聞けば、大いに之を笑う。
笑わざれば、以て道と為(な)すに足らず。
故に建言(けんげん)これ有り。
明道は昧(くら)きが若く、進道は退くが若く、
夷道(いどう)は(らい)なるが若し。
上徳は谷の若く、広徳は足らざるが若く、
建徳は偸(おこた)るが若し。
質眞(しつしん)は渝(かわ)るが若く、太白(たいはく)は辱(じょく)なるが若く、
大方(たいほう)は隅(かど)無し。
大器は晩成し、大音は希声(きせい)、大象(たいしょう)は形無し 、と。
道は隠れて名無し。夫(そ)れ唯だ道は善く貸し且つ成す。」
わたしは、老子のこの言葉が好きですが、
復興Gさまの「静慮」と言われたことばには、
ここへ通じるような、大きな視点をかんじました。
志恩さまには、いままでたくさんの学びに感謝しています。
ありがとうございました。
感謝拝。
1535
:
復興G
:2012/11/09(金) 10:02:50 ID:vWpLkCzM
皆さま、おはようございます。
a hope さま、web誌友会予告、ありがとうございます。
安心しました。
昨日、私は一日出かけていましたが、その間、志恩様、訊け様などたくさんのかたから活発な書き込みをいただいたようですね。ご愛念に心より感謝申し上げます。
トキ管理人様からご注意を頂いていますように、ここは『生命の實相』をテキストにして、真剣に真理を学ばせて頂こうという場でありますから、議論をふっかけて相手をけなすようなことはやめていただきたいと思います。私も心を空しくして、神様のお導きを受けたいと思っております。
ただちょっと、昨日皆さまから書き込みを頂いているなかで、思うことを書かせていただこうと思いますが、しばらく時間を頂きたく思います。午後まで、お待ちください。
よろしくお願い申し上げます。合掌
1536
:
復興G
:2012/11/09(金) 10:16:35 ID:vWpLkCzM
>>1533
>>1534
さくら様。
私の意を十二分に(十分以上に)くみ取ってくださいまして、ありがとうございます。
もう、申し上げることはないくらいですが、午後から、もうちょっと私からも書かせて頂きます。
ありがとうございます。
1537
:
「訊け」管理人
:2012/11/09(金) 11:29:26 ID:???
フランス料理店が開店しまして、一年を迎えました。今日はそんなお話など。テーマは「やはり自力解決じゃ、ダメなのよ」といったものに、なろうかと。誌友会テーマとも関連しそうですので、以下掲載致します。・・・・ところで一年前、私にはある悩みがありました。どんなネタかと申せば「不良資産」になります。
・・・・まあ以下は、企業会計絡みで複雑です。解り易さ重視で、ザックリ書きますが「ある不動産所有が、経営圧迫を招いていた」わけです。この不動産ですが、売れば「安値で叩かれる」(=自己資本を圧迫)というものです。また、売らないままだと「銀行査定悪化」という不動産です。まさにこれ、「進退両難の公案」でして、私は連日ウンウンと唸っていたわけでありました。(いっそ、「更地にして駐車場にしようか」とも思いましたが、これでは銀行借入を増やします。故にダメです。)
・・・・買い手がついても(安値で)×、買い手がつかない場合は銀行査定の面で×。さあ、どうするか――この話ですが、テーマはこうなります。「人間智慧で解決できぬ場合は、神へ全托せよ」・・・もう本当に不思議な話なんですが、行き詰った時ほど好転の兆しなのです。以下体験で私は、確信を持っている現在です。
なぜだか急に、あるシェフ(フランス料理店主)が名乗りを上げてくれました。そしてこの、「売れずで大変+売っても大変」な不動産を、賃貸してくれることになったのです。この奇蹟が生じてこの、進退両難の公案は、解決(※)されたのでありました。「賃貸か・・・あの不動産を賃貸してくれる人が、この世にあったか」と感動しましたが、賃貸による公案解決、これはまったく思い浮かびもしませんでした。(仏料理店が借りてくれる程の建物では、なかったためです)・・・・・さてこの、一連の動きに関して私は、一切なにもしておりません。なにもしていないのに神が、解決し給うたのであります。
異議があるかもしれません。以下補足します。
「なにもしていない」とは、こういう意味です。「具体的に、解決策をイメージしたわけでもない」ということになります。テナントが現われますようになどと、「祈ってすらいなかった」という意味です。テナントの登場がこの公案の解決だなどと、当時の私には思い浮かんでも来ませんでしたからね。(既述どおりそんな価値ある不動産とは思っていなかったため。)ましてや連日、この不動産のことでガンガンに行動していたわけでも、ありません。ともかく各種聖典や、吉田國太郎先生や榎本惠吾先生、または服部仁郎先生や藤原敏之先生の御文章を拝読していただけです。そして、「なんとかなるだろう」と(不安ながらも)楽観、していただけです。外しか見ていない人ならば「なんとノンキな経営者だろう」と、映ったことでしょう。
ですが、本当になにもしておりませんでした。(=自力解決に乗り出してはいなかった、の意)
・・・・なにもしていなくとも、「なにかしている」――この辺の機微にふれた、一年前の出来事でした。そしてそのフランス料理店ですが、昨日無事一周年を迎えました。今回の誌友会テーマ(自壊作用+神への全托)とも関連がありそうですので、特に掲載致しました。
追伸
自力作善も良いだろう。しかし生長の家では、それは違うだろう。全托を疑い自力作善に邁進するならそれは、若き日の吉田國太郎先生になるのでは、ないか――先生が「神への誠實てふ美はしい心を抱いて私は地獄へ顛落しようとしてゐた」と、著書で述べておられるところのお姿。これに当るのではないであろうか。
自力作善も良いだろう。しかし生長の家では、それは違うだろう。世間常識を超えたところに、真理はあるのであろう。(やはり、凄みを感ずる思想です)
拝
<註>
※ 進退両難の公案は、解決
売ったら安値です。決算書上では高値で掲載してありましたんで、マズイわけです。ここにフランス料理店が名乗りをあげてくれたお蔭で決算書上でのマイナスが避けられました。
さらにはテナントですから銀行に、「不動産の有効活用を実施。マイナス査定を取り消されたし」な打診を行なうことも出来ました。銀行側にしてもこれ、私の理屈になんの落ち度もありませんでしたので、スラスラと「OK」が出ました。
1538
:
志恩
:2012/11/09(金) 11:38:05 ID:.QY5jUA6
復興G様
復興G様がおっしゃったご投稿文の中で、私としては、理解出来ない事、2点をコメント
させて頂いた事が、ここは「生命の實相」を学ぶところであるから、議論をふっかけるところではない、と
お答えくださったのでしょうか。
そして、
>>1531
:で、さくらさんが私に、おっしゃったことを、今回も復興G様は、さくらさんは、ご自分の気持ちを充分すぎるほど、わかってくださったと、
今回もさくらさんのご意見に同意されました。
前回のWEB誌友会前に、さくらさんと私が、別の板で対話していたときも、復興G様は、ご自分は、全面的にさくらさんの意見に賛成するという
いわゆる和解派のご意見を書かれました。
前回、ahopeさんと、さくらさんが、ぶつかったときも、ほんとは、さくらさんが、けつまくったのに、
さくらさんに注意すべきところ、さくらさんにはひと言も注意せず、ahopeさんのほうを注意されました。なぜですか?
以下は、さくらさんから、私宛ての、今回のコメントです
( 復興G様のご意見です)↓
>>「>① 「総裁のすることなすことが、全てが我が責任である」、という考え方をする、
② 雅宣総裁が、住吉大神の化身だ思っています。
その考え方を、さくら様とハマナス様は、感動されて、同意されました。
それは、それで、いいのでは、ないでしょうか。」
これは「ひとつの考え方」として、賛同したわけではなく、
復興Gさまが、自ら生長の家の真理を実践されようと「一切者の自覚」に立たれておられること、
またその真理に、自らの考えなどを挟まず「ハイ」と受けたハマナスさまの信仰姿勢に打たれた、ということです。
ここに生長の家でいう、真理に対しての「絶対ハイ」の姿勢を感じました。
また、いまの生長の家の現象にとらわれるのではなく、それを突き抜けた、中心の実相を観る目、実相覚を解いて下さっているとかんじました。
また、復興Gさまが引用された良寛さんの
「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候(良寛)」
上記は、良寛さんの言葉だと言われていますが、とても深い意味をもっていると思われます。」
神への絶対的な信頼と全託という、深い信仰の姿勢を書いて頂いていると受けました。
(中略)
復興Gさまが「正念場」と書かれたのは、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
実相直視の生長の家の真理を、信徒がいかに実践することが大事かという覚悟を言われたと、受け取りました。<<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上記について、復興G様は、さくらさんのご意見に全面的に賛同されたわけですが、
この復興G様の実相直視ということを実践する、つまり、具体的に行動に表すと,
結局、復興G様がおっしゃった①と②の結論になるのでしょうか?
① 「総裁のすることなすことが、全てが我が責任である」、という考え方をする。
② 雅宣総裁が、住吉大神の化身だ思っている。
つまり、実相直視の生長の家の真理を実践するとは、ごちゃごちゃと、現象の批判はするな、それが、私に対して、
『いい年してジタバタするな』、とおっしゃった
意味なんでしょうか?復興G様の真意がわかりません。
①②が、その通りだとおっしゃいますと、それは、和解派であり、「雅宣総裁擁護派」でいらした、
もともとからの復興G様の立ち位置になられます。
以前は、神奈川の堀様と,復興G様のお二人が、「総裁擁護派」の両雄だと、言われておられましたよね。
あのときから思いますと、変化を感じさせて頂いておりましたが、復興G様は、そこの位置に、戻られたのですか?
1539
:
「訊け」管理人
:2012/11/09(金) 12:06:17 ID:???
>>志恩さま
○復興Gさまの御主張(要約)
<御主張内容>
「現実にはあり得ないことが現れている。ここが、生長の家信徒われらの正念場だと思われます。」
<ではどうするか>
(一例)
>>1478
(ご論拠を『実相と現象』に置かれ)私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと思いました。それでは、外なるものによって自分が支配されているという「僕(しもべ)」、もっと言えば奴隷状態に自分を置くことになるのではないか。自分が神の子、宇宙の中心ならば、運命の主人公としての生き方は、「一切は自分の責任」 「罪あらば吾をとがめよ天津神」という気持ち、自覚を持って生きることではないか――。」
<理由>
>>1490
「身の上にあらわれたことを、他人のせいにして攻撃するのは、今の世の常識かも知れませんが、生長の家の御教えは、世の常識をくつがえすもの」であるため。
※言うまでもなく上記は要約であり、御主張の「骨子部分」であります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<「訊け」管理人コメント>
あくまでも設問は「聖典を基に行動を考えれば、どんな答えになるのか」と云ったものです。ですのでこれは「誰々さんは○○派に変わった」等の話では、ありません。総裁擁護派であろうが、本流派であろうが「聖典に基づいて行動するならば、我等は如何に行動すべきや」――設問の真意は、斯くの如しと察します。この設問論点をご確認の上議論されんことを、お願い申し上げる次第です。
拝
1540
:
志恩
:2012/11/09(金) 12:06:19 ID:.QY5jUA6
なにもしないで、無策で、聖典読んでたら、
雅春先生の教えは、護れるんですか、個人問題と公人問題は別のことです。
人時処が、あるでしょう。
尖閣諸島も、何されても 黙っていたら、中国に乗っ取られるでしょう。
現実的に総裁は、「生命の實相」をテキストにすることを全組織に禁じているそうじゃないですか。
「甘露の法雨」の代わりに、お経にしないと言った口の乾かないうちに、総裁が、ご自分の作ったお経を、お経として
全組織を通して売っている。練成会、誌友会では、すでの読経されてる。ご自分だけ読まなければ、いいことなんでしょうか。
世間に、偽経がひろがることを防ぐことも、大事なことでは、ないんですか?
まだまだ、ありますが。。。
それらは、現象だから、見るな、そして批判するな、、そして、実相直視だけを実践するのが、生長の家を生きることなんだと
おっしゃりたいのでしょうか?
私は、そんなのは、生長の家の信仰者ではないと思います。
現象世界に生きているのですから、実相を礼拝しながら、ちゃんと現象処理をすることこそ、
生長の家の真理を生活に生かす生長の家の信仰者だと思います。
1541
:
志恩
:2012/11/09(金) 12:23:40 ID:.QY5jUA6
トキ様
仲裁のご心配なく。
大人同士の話し合いです。
1542
:
西向く人
:2012/11/09(金) 12:27:25 ID:M7ribEwU
釈迦族が滅亡しようとするとき、釈尊は何をしていたか!?
『増一阿含経』には、ただ木の下で坐禅をしていたと。
1543
:
「訊け」管理人
:2012/11/09(金) 12:33:16 ID:???
>>1540
志恩さま
一点だけアドヴァイスなど。なお、部外者相手ではその文でもOKです。ですが、知的誠実さを担保するためにも、以下の様式で御主張を掲載されることを、お勧め致します。(今回のお相手はこの、部外者ではないのです)
先ず「結論」をお書きください。御主張内容の<結論>を掲載します。
その後<主張理由>等をお書きください。さらにはここで、論拠を聖典から明示されることをお勧めします。たとえば、以下も論拠を挙げられることを、お勧め致します。
○「それらは、現象だから、見るな、そして批判するな、、そして、実相直視だけを実践するのが、生長の家を生きることなんだとおっしゃりたいのでしょうか?」
○「私は、そんなのは、生長の家の信仰者ではないと思います。」
上記に関してご明示ください。たとえば「聖典○○の何頁にこうある」といったカタチが、望ましいと思います。論拠を挙げねばならぬ理由、それは貴女さま御主張が一見すると、「雅春先生の御主張と矛盾があるため」になります。少なくとも掲示板に過去掲載されている御文章とは、矛盾します。ですので、論拠掲載を、求めておられるのであります。(これがないとため「じたばたしている印象」になります。)
皆さんも期待していると思います。その「現象処理」と「実相直視」の関係に関して、貴女様がご主張されてください。言うまでもなく「聖典論拠ない」ものは此処では、主張とは呼べません。
拝
1544
:
トキ
:2012/11/09(金) 13:21:46 ID:jo0ZfsUg
了解しました。ただ。別の板でお願いできないでしょうか?
やはり、誌友会の会場なので、その準備もありますので。
合掌 ありがとうございます
1545
:
復興G
:2012/11/09(金) 13:27:40 ID:vWpLkCzM
:
「訊け」管理人殿
あなたは、横から口だししないでください。
あなたは、志恩様から、「あなたとは議論したくない」と言われていましたよね。
そのあなたが余計な口出しをするので、この板が荒れるのです。
やめてください。
志恩様には、私が直接お答えします。
1546
:
復興G
:2012/11/09(金) 13:33:18 ID:vWpLkCzM
>>1530
で、志恩さまが
>>私の場合は、復興G様がおっしゃる
① 「総裁のすることなすことが、全てが我が責任である」、という考え方と、
② 雅宣総裁が、住吉大神の化身だという考え方は、決して納得できません。<<
とおっしゃっていますが、正確には私は、
>>1478
で
>>生長の家総裁は、「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」と招神歌で吾らが唱える「御祖神(みおやがみ)」の化身であられるのがその実相だと思います。みおや(御親)なる神が、わが子なる信徒をとがめて排除し、裁判沙汰にして裁き争うことなど、あり得ないことだと思われます。(中略)
しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。
(中略)ここが、生長の家信徒われらの正念場だと思われます。<<
と書いているのありまして、「雅宣総裁が、住吉大神の化身」とは申していません。
「御祖神(みおやがみ)の化身」というのは、理念の総裁です。「実相」という言葉は、一般の人には理解しにくいと思われますから、通用しやすい言葉で言えば、「理想」とか「あるべきすがた」という意味になります。
しかし、生身の雅宣総裁は、必ずしも「御祖神(みおやがみ)の化身」としては「あり得ない」すがたに見えることもある。だから、《今が、正念場です》ということになるのであります。
その「正念場」とは何か。
まず、「正念(しょうねん)」とは何かと言いますと、それは『生命の實相』第3巻75頁、「生長の家は何を信ずるか」の中に、次のように書かれております。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
≪ 第四章 生長の家は何を信ずるか
生長の家の生き方とは、個々人のうちに、無限を意識し、日常の生活が無限の生命のうちに融かされ生かきれ、無限の知恵に導かれ、少しの恐怖も、不安も、悲しみも、憎しみも、嫉みもなしに生活する生き方であります。すべての心の不安、恐怖、憂欝、取り越し苦労という精神的な苦痛はもちろん、現実の病気災難というものも、われわれが神から離れることによって起こるのであります。神はすべてを支配し給うのでありますから、われわれはいかにしても本当に実在せる世界、すなわち「実相世界」においては神から離れることはできないのであります。しかし、この現実世界というものは、日本では古来から「現(うつ)し世」という、われわれの「念」が影を投じて映している影の世界、仏教でいえば念の仮作(けさ)せる化城(けじょう)の世界でありますから、われわれが神の創造と調和しない不完全な「念」を描きますと、現実世界すなわち、われわれの「念」の仮作せる化城界には不完全な状態があらわれるのであります。別の言葉でいいますと、つまりわれわれはなんでも空想できる、神の造り給わないような不完全な状態でもなんでも空想できる、その空想が影を映している空想の世界の幻が現実世界の病気とか災難とかいうものであります。この、われわれの想念が、神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。「正念」の反対に神の造り給わない事物――病気、災難等、一切の不完全を、完全なる愛の神はけっして造り給わないのでありますが、このような神の造り給わない事物をわれわれが念うことは、神の真創造を「離れて」空想をありもしない事物に自由に飛ばすことでありますからそういう念を「妄念(もうねん)」とか転倒(てんどう)の念とかいい、そのような「転倒(さかさま)の念」をもって生活することを神から離れて生活すると仮にいうのであります。(中略)
神と神の創造せる世界(本当に実在する世界)の完全さを信じない人ほど気の毒な人はありません。(後略)≫
<つづく>
1547
:
復興G
:2012/11/09(金) 13:34:27 ID:vWpLkCzM
そして、谷口雅春先生は『真仏教の把握』p.49〜51に、<正念を以って煩悩を除け>と題して、次のようにお説きくださっています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
≪ それで、この『維摩経解釋』の本の三一二頁に、舎利弗(しゃりほつ)という智慧第一の釋尊の弟子が質問しているのに対して維摩が答えているところを読んでみます。
又問う、「衆生を度せんと欲せば、当に何の除く所なるべき。」(衆生を度するというのは、衆生すなわち人類を救ってやろうと思ったら、当に何を除くように教えなければならないか)といって訊いたのです。
答えて曰く、「衆生を度せんと欲せば其の煩悩を除け。」又問う、「煩悩を除かんと欲せば、当に何の行ずる所なるべき。」(煩悩を除こうと思ったら、どのように行じたら、いいのであるか教えて下きい)答えて曰く、「当に正念を行ずべし。」
というように維摩は答えているのであります。
“正念”というのは、「ここは正念場だ」などというでしょう。「ここが正念場だ」というのは、正念を出して来なければならないギリギリの場だ、という意味であります。
舎利弗が「煩悩を除かんと欲せば、当に何の行ずる所なるべき」と訊いたときに「当に正念を行ずべし」と維摩が答えたのです。(中略)そして、
「不善は不生であり、善法は不滅なり」とハッキリ割り切って答えているのであります。
不善というのは“悪”のことです。“不善”すなわち“悪”というものは、あるように見えても“不生”である。そんなものは生じたことがないから存在しないのであります。「善法は不滅なり」で、ただ善なるものだけが不滅であるから、それを念じなさいと維摩はいっているわけなのであります。
ここが大切なところで、正念場である、今この時、この場が、この正しい想念を起こす“場”である。≫
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――私が
>>1478
で 《今が、正念場です》 と書いたのは、まさにそういう意味であります。志恩様が、「正念場」とは
「>谷口雅宣先生が、ご兄弟と和解をするか、しないか、の二者択一です。それ以外の選択肢はありません。< これを指しておられるのかなと思いました。」と書かれているのは、全くの見当違いであるということを、申し上げておきます。
1549
:
神の子さん
:2012/11/09(金) 13:38:40 ID:RpoApEBs
>>1539
あんたが投稿するとシラけるからやめてくれ
1550
:
神の子さん
:2012/11/09(金) 13:42:04 ID:RpoApEBs
>>1543
高級な魂のレベルの方にアドバイスとはなんたる事!!下がれ!!
1551
:
トキ
:2012/11/09(金) 13:54:49 ID:jo0ZfsUg
>>1548
志恩様、ご投稿ありがとうございます。
ただ、復興G様の個人情報に関する書き込みは、控えて下されば嬉しいです。
書き込みが、正確であれ、不正確であれ、ここは本部関係の人も多数閲覧していると聞いています。
どなたに迷惑がかかるか分からないので、よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
1552
:
復興G
:2012/11/09(金) 13:58:23 ID:vWpLkCzM
私の立場は、終始一貫、何も変わってはいないつもりです。
1554
:
トキ
:2012/11/09(金) 16:18:24 ID:jo0ZfsUg
>>1553
すみません
よければ削除要請をお願いできないでしょうか?
もちろん、その後、当該部分を削除したご文章を他の板へ投稿されるのは
大歓迎です。
合掌 ありがとうございます
1557
:
うのはな
:2012/11/09(金) 16:53:36 ID:Zt/jytnM
すみません。横から失礼します。
上記1554のトキ様の意見に賛成です。管理人が強制削除してもいいものかと思われます。
さっき、別島で、わたしの本名を出そうかといってる人がいて、それから数分後にセキュリティから
警告がありました。
物騒な世の中なので、復興G様の平穏な信仰生活のためにも、志恩さまの
自主削除要請をねがいます。
1558
:
志恩
:2012/11/09(金) 17:09:39 ID:.QY5jUA6
うのはなさん
ご忠告、ありがとう。
さきほど、すでに1548は、削除して頂きました。
実名は,申し上げるつもりは、ありませんでいたが、経歴を言ったのは、わるかったです。
今後、きおつけます。
1559
:
a hope
:2012/11/09(金) 19:32:38 ID:8tjYhMb6
<第8回WEB誌友会予告>
≪日時≫11月9日(第2金曜日)21:30より
11月11日(第2日曜日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」 はしがき p.1〜2、本文 p.1〜p.50
≪内容≫ 第1章 「生長の家」の超薬物学
みなさま、今夜ですよ!
今回も、みなさまと一緒に聖典「生命の實相」がお勉強出来て幸せです。
よろしくお願い致しますね。
1560
:
復興G
:2012/11/09(金) 20:20:31 ID:vWpLkCzM
a hope さま。
お世話になります。
ありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
合掌
1561
:
復興G
:2012/11/09(金) 20:28:57 ID:vWpLkCzM
神様、ありがとうございます。
このweb誌友会にご参加の皆々さまの上に、神様の限りない愛と祝福の
み光が燦然と天降りまして、生長の家大神様の御導きのまにまに、真理の
奥殿に導かれますすばらしい誌友会となりますことを、感謝申し上げます。
ありがとうございます。ありがとうございます。合掌
1562
:
トキ
:2012/11/09(金) 20:42:02 ID:jo0ZfsUg
よろしくお願い申し上げます。
1563
:
a hope
:2012/11/09(金) 20:55:17 ID:8tjYhMb6
第8回WEB誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様 谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
1564
:
復興G
:2012/11/09(金) 21:00:44 ID:vWpLkCzM
a hope さま、タイミングよく、ありがとうございました。
皆さま、招神歌を唱え(あるいは念じて)神様の御導きをいただき、誌友会を始めさせて頂きましょう。
ありがとうございます。
1565
:
a hope
:2012/11/09(金) 21:00:49 ID:8tjYhMb6
次に、聖経「真理の吟唱」より、『内在の生命力を振起(しんき)する祈り』を謹写させていただきます。
内在の生命力を振起(しんき)する祈り
われわれが祈るとき、神想観するとき、または真理のコトバを念ずるとき、または聖典ならびに聖経を読誦(どくじゅ)するときには、宇宙に満ちている創造の根源力に呼びかけて、その創造力を善なる方向に駆使しつつあることになっているのである。祈ることも、念ずることも、読誦することも、いずれもコトバの力を使いつつあるのである。「ヨハネ伝」第一章には、「太初(はじめ)にコトバあり、コトバは神と偕(とも)にあり、コトバは神なりき。……万のもの是によりて成り、……」と書かれていて、コトバというものに創造力があることが示されているのである。そのコトバの力を、明るい方向に、積極的な方向に、建設的な方向に駆使すれば、自己のうちに宿る宇宙的な力が開発されて、われわれは一層健康になるし、幸福になるし、一層好運が訪れて来、事業や商売は繁栄することになるのである。
「自己の内に宿る宇宙的力」とは「内在の神」の力のことである。われわれ自身の内に宿る宇宙的な力は、この大いなる太陽を銀河系の中で職女性の方向に向かって走らせている力と同じ力であり、また太陽の周囲を旋回公転する遊星を動かしている力と同じ力であり、牡丹の樹に牡丹の花を咲かせ、藤の木に藤の花を咲かせ、リンゴの木にリンゴの果(み)を実らせ、梨の樹に梨の果を実らせる神秘な力と同じなのである。
そのような不思議な偉大なる力がわれわれには宿っているのである。しかしその偉大なる力を有効な方向に使わないときには、自動車のエンジンをかけたまま停車している時に、エネルギーは積極的に建設的な仕事をせず不快な噪音(そうおん)をたてながら車体を震動させているのと同じように、せっかく、われわれに宿っている内在の神の力も何ら積極的に建設的なはたらきをしないで、エネルギーは内攻して、自分自身の肉体を単に疲労させることになるだけなのである。
それゆえに、私は、自己の内に宿る神の力を、常に積極的に建設的に使用せんことを念願するのである。積極的に建設的に「内在の力」を使用するには、コトバに暗黒的、消極的な悲観的なことを言わず、心に不平や小言(こごと)や呟きや暗い事を思わないことが必要であるのである。よき言葉の力は聖典や聖経に書かれてあるから、それを読むことによって、自己に「内在する神の力」をよき方向に呼びだして使うことができるのである。
すべてコトバで唱えることおよび心で思うことは一種の「祈り」であり、そのコトバおよび思いの方向に、「内在の力」を動かして創造の方向を決定することになるのである。私はいまこの真理を知ったのであるから今より後決して暗い言葉、呪う言葉、悲しい言葉、不平の言葉などを唱えず思わず、ただ悦びと感謝と将来の明るい希望の言葉とのみを心に思い、コトバで唱えるのである。この真理を知らしめ給いし神に感謝いたします。
1566
:
復興G
:2012/11/09(金) 21:08:18 ID:vWpLkCzM
a hope さま。
ありがとうございました。
さて、テキストの『生命の實相』第2巻「はしがき」には、前にもアップさせて頂いたと思いますが、
≪ 本巻に収められた實相篇の「生長の家の超薬物学」は、『生命の實相』全集全巻を通じての枢軸部をなす部分であり、その一部分が六十四ぺージずつ二冊のパンフレット『いのちのゆには』および『こころ我を生かす』と題して発刊せられたとき、その読者のうちに無数の奇蹟的治癒が起こり、著者みずから驚異の念をみはった部分である。≫
と書かれていますね。これは、たしか「今を生きる」で有名な服部仁郎先生も、肺炎で呼吸困難になり医者がもう駄目だとさじを投げた状態の時、この『こころ我を生かす』と題した当時10銭のパンフレットと、招神歌を記したメモのようなものを、伊東種さんという画家からもらって、「自分は自分の力で生きているのではなかった。使命があって、神に生かされていたのだ」と思ったら、すーっと呼吸が通るようになり、起ち上がってしまった、ということでしたね。すごいことだと思います。
1567
:
復興G
:2012/11/09(金) 21:15:04 ID:vWpLkCzM
今、私たちは生長の家の御教えになれてしまって、あまりおどろかなくなっていますが、
初めてこれを読んだ人にとっては、とても驚きだったのでしょうね。
『生命の實相』を読んで、大変感動に打たれたとおっしゃる方が、ここではさくら様も、
a hope 様も、そうでしたよね。
具体的なご体験がありましたら、今一度教えて頂けたら幸せです。
1568
:
復興G
:2012/11/09(金) 21:17:45 ID:vWpLkCzM
皆々さま、それぞれご体験がおありでしょう。
なんでも、ご遠慮なく、お書き込みください。
1569
:
復興G
:2012/11/09(金) 21:22:05 ID:vWpLkCzM
時間はたっぷりありますから、ゆっくりまいりましょう。
ありがとうございます。
1570
:
a hope
:2012/11/09(金) 21:29:31 ID:8tjYhMb6
復興Gさま
web誌友会の開会時間より少し早く始めてくださりありがとうございます。
わたしは、本流宣言の掲示板でも、このトキ掲示板でも何度も書いていますが、
聖典「生命の實相」第1巻を読んで、本当に全身が震えたのです。
魂が震えたと言っても過言ではありません。
二―ル・ドナルド・ウォルシュ の「神との対話」を読んだときにも
同じような状態になりましたが、「生命の實相」は、その後、自分のペースで、
巻を読み進めていますが、どの巻のどのページを拝読しても、同じように魂が震え続けています。
わたしは、これは、本当に神さまが、谷口雅春先生を通してお伝えして下さっている「真理の言葉」が書かかれた
すごい聖典なのだと心から信じています。
1571
:
復興G
:2012/11/09(金) 21:49:55 ID:vWpLkCzM
私は、小さいとき「体が弱い」ということで、過保護的なお坊ちゃん育ちでした。小学校2年生の時、微熱が続き、「肺門リンパ腺炎」ということで三ヵ月間学校を休みました。今思えば何でもなかったのではないかという気がするのですが……37度位の熱は、小学生の低学年ではよくあることだそうですから。
その後も、どこか体が具合が悪いと言えば親が心配して大事にしてくれるので甘えて、お腹が痛いだの、頭が痛いだのと言っては、よく学校を休んでいました。そんな意気地なしだったんです。
それが、今は、アラハチとかアラサン(傘寿周辺の年齢)と言われる年になりましたが、こんなに元気で他に頼らない、意欲的な同年齢の者はめずらしいといわれるようになったのは、まったくこの『生命の實相』のたまものなのです。詳しいことは今書けませんが・・・・
高校時代のの同期生が50人ほど集まって同期会を最近にも行ったのですが、私が際だって一番元気でした。
ありがたいことです。
日本航空の再生でまた男を上げた稲盛和夫さんも、中学時代に『生命の實相』を読んだことが、人生の歩みに大きな影響を与えたと言われていますね。
1572
:
a hope
:2012/11/09(金) 21:53:33 ID:8tjYhMb6
>>1570
つづき
特に、今回の内容の「生長の家の超薬物学」は、唯心論について書かれているのだと思いますが、
自分の心から、恐怖心や憎悪心を取り除き、常に平和な気持ちでいれば、それだけで病気が治ってしまう、
という真理を知った時には、ものすごいよろこびを感じました!
ですが、感情のコントロールというのはそう簡単に出来るものではない、ということも身にしみて感じています。
1573
:
復興G
:2012/11/09(金) 22:02:51 ID:vWpLkCzM
前記、「こんなに元気になったのは『生命の實相』のおかげ」と書きましたが、実は、a hope様のように『生命の實相』を読んでから魂が震えたのではありませんでした。高校時代のことです、私はまだ『生命の實相』を読まないうちに、父が読んで感動していただけで、その感動が魂に響いたのかどうかわかりませんが、ある日突然、魂が打ち震えるような感動が湧いて、「自分が生きているのは自分の力ではなかった! 無限の宇宙大生命に生かされていたのだ!」 という思いが湧いて、突然に世界が、人生が変わってしまった、という体験があるのです。
1574
:
a hope
:2012/11/09(金) 22:11:08 ID:8tjYhMb6
>>1573
復興Gさま
「自分が生きているのは自分の力ではなかった! 無限の宇宙大生命に生かされていたのだ!」
このような体験をすると人生観が変わってしまうのですね。
復興Gさまの人生観がどのように変わったのか教えていただけますか?
1575
:
復興G
:2012/11/09(金) 22:22:55 ID:vWpLkCzM
>>1572
:a hope さま。
>>今回の内容の「生長の家の超薬物学」は、唯心論について書かれているのだと思いますが、自分の心から、恐怖心や憎悪心を取り除き、常に平和な気持ちでいれば、それだけで病気が治ってしまう、という真理を知った時には、ものすごいよろこびを感じました!
ですが、感情のコントロールというのはそう簡単に出来るものではない、ということも身にしみて感じています。<<
そうですね、ここは真理の入門編のようなところですから、まず唯神実相論の手前で、唯物論から唯心論へと観を転換させるような事例、説得から始まっていますね。谷口雅春先生も、自伝篇に書かれているように、「心の法則、恐怖心や憎悪心を取り除き、常に平和な気持ちでいれば、それだけで病気が治ってしまう、という真理を知っても、その心をコントロールできなかった」と書かれていますからね。
私は、この章の後ろの方、「他物に頼らざる者はついに勝つ」(p.45、聖典板謹写文19)という小見出しの中で、
≪ここにわたしは、片足片手を失いながら、松葉杖にも義足にも頼らないでひたすら自分の生命力のみに頼っていたならば、その人間は松葉杖や義足に頼った人とどれだけ大きな相違を生ずるかということを、実例をもってお答えしようと思うのであります。
東海道線国府津(こうづ)駅を降りて小田原街道を十四、五町小八幡(こやわた)という小村に石井峰雄氏という片手片足の偉人がありました。
この人は六歳の時小田原電鉄上り電車に轢(ひ)かれて片手と片足とを失ったのであるけれども、義足にも松葉杖にも頼らずに、自分の内に潜んでいる「無限の生命力」にのみ頼って歩くことにせられたからであります。
「何物にも頼るな。ひとりで立て。」
この人はまるで「生長の家」のこの「智慧の言葉」そのままを生活されたのであります。
その結果はどうなったかといいますと、松葉杖にすがって歩く片足の不具者はふつうかろうじて歩むことができるというほかに能がないのに、この人は片手片足のままで高跳びができる、水泳ができる、木登りができる、果物むきができる、およそ四肢のある人のできることならなんでも人に劣らずできるというようになられたのであります。≫
とあります、このお話に、あらためて感銘を深くしました。高校時代の感動を思い出しました。そうだ、
「何物にも頼るな。ひとりで立て。」
だと、決意しました。そして、求めるよりも、与える生活を徹底してやっていこうと、奮い立ちました。
1576
:
復興G
:2012/11/09(金) 22:32:01 ID:vWpLkCzM
>>1574
:a hopeさま。
前後ちぐはぐになりましたが・・・・
>>復興Gさまの人生観がどのように変わったのか教えていただけますか?<<
自分は肉体で、与えるよりも奪わなければ損だ、という人生観から、無条件に与えるよろこび、
与えると言っても、自分の力ではなく、宇宙大生命から力を戴くのだから、与えることが自分の得なんだ、
というような思いですね。だから、人生にはただ喜びしかないんだという・・・・
そういう、天地がひっくり返るような、人生観の大転換が、突然何ものかの力によって、なされてしまったような
感じで・・・・私は、それは先祖の導きがあったのだと信じていますが。
1577
:
トキ
:2012/11/09(金) 22:38:45 ID:jo0ZfsUg
遅れてすみませんでした。個人指導が入って、その対応をしていました。
実は、私のような若造でも、生長の家の真理で病気が消えた、という体験を何回も
見ているのです。だいたいが医者が見放したような重い病気ですが、それが治ったの
です。
宇治の練成を受けたときも、周囲でそういう人が出て、驚いた記憶があります。
これは、人間ではできない事ですね。
1578
:
復興G
:2012/11/09(金) 22:38:56 ID:vWpLkCzM
今のところ、a hope 様と復興Gの二人の対話誌友会みたいになっていますが、まだあと48時間もありますから、もう私は今夜は今からお風呂に入ろうかと思います。
ありがとうございます。
1579
:
復興G
:2012/11/09(金) 22:43:21 ID:vWpLkCzM
あ、トキ様。
失礼しました。
病気が消えた体験の実例など、お話し頂けますか?
1580
:
復興G
:2012/11/09(金) 22:48:42 ID:vWpLkCzM
ごめんなさい。
私は、web誌友会開会時間を30分間違えて、早く始めてしまったようですね。
ちょっと張り切り過ぎていました。ごめんなさい。
今、やっと気がつきました。
では、お風呂に行ってきます。
1581
:
a hope
:2012/11/09(金) 22:59:53 ID:8tjYhMb6
>>1575
>>1576
復興Gさま
すみません、本当に今のところ参加者がわたしと復興Gさまとトキさまだけのようですので、
遠慮なく質問を続けさせていただきます。
復興Gさまが高校生の時に悟られた「求めるよりも、与える生活」「無条件に与えるよろこび」・・
そこのところを、もう少し具体的にお話くださるとうれしいのですが・・・
トキさまの、「医者が見放したような重い病気が治った」という経験のお話も是非お聞かせいただきたいです。
ですが、今夜はわたしも、もうここでお休みさせていただきたいと思います。
それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、おやすみなさい!
1582
:
トキ
:2012/11/09(金) 23:16:10 ID:jo0ZfsUg
具体的な状況は申しませんが、がんが消えた、というのは何度か経験しました。
その他、ある難病が治ったというのも親戚にいます。
それまで、神も仏もあるものか、という価値観の人でしたが、医者から「あなたの
病気は医学では治りません」と言われると、仰天して、そのまま教化部へ直行し
て「生命の実相」全40巻を買って来て、徹夜で1週間で読みました。それまで
は何回言っても、生長の家なんか見向きもしなかった人が(笑)、必死になって
本を読んで、気がついたら病気が消えていました。さすがに、今は聖使命会員に
なっています。
宇治の練成会を受けた時に、医者から見放されてフラフラの状態で家族と参加された
人が治り、帰りには食堂でご飯をモリモリ食べているのも目撃をしました。宇治は
他にも病気が治ったのを見ています。昔ですが、宇治の練成会を受けた時に、大講堂で
子供が走り回っていたのですが、ある子供が大人しく座っていたのです。私の母親が、感心
して、その子の母親に「あなたの子供は行儀が良いですね」と声をかけると、「いえ、この子
は足に障害があり、歩けないのです」という返事をしていました。
それが練成会が終わる頃には、その子が歩いているのを目撃しました。
こういう奇蹟はあるのですね。
1583
:
復興G
:2012/11/09(金) 23:24:06 ID:vWpLkCzM
トキ様、ありがとうございました。
では、皆さま、今夜はやすませていただきます。
おやすみなさい。
1584
:
如月
:2012/11/09(金) 23:41:13 ID:ki/haAjk
>>1582
トキさま
宇治はやはりすごい場所なのですね。
宝蔵にもよくこのような体験が載っていますが、半信半疑でした。
しかし、トキさまが目撃されたのでしたら本物ですね。
やっとパソコンが空いてa hopeさまの開会の祈りから順番に読ませていただいて
いよいよ参加できそうかなというところですが、皆様もうお休みのようですね。
復興Gさま、遅くなって申し訳ありませんでした。
毎回、テキストの謹写と御指導に感謝しております。 ありがとうございます。
1585
:
役行者
:2012/11/09(金) 23:43:18 ID:c/fGmjEo
合掌
生命の実相が顕現するところ、自己治癒力がはたらき、自然に治癒
されるのでしょうね。
神の無限の知恵、愛、生命、供給、歓び、調和の波動は、
我々がリアルに住むこの世界に、神のいのちの霊波を
もたらすのでしょうね。
救いとは、現世利益であって、現世利益でなく神のいのちが
満ちあふれていて、自然に問題が解決してゆくのでしょうね。
常住坐臥できる限り、神と直結した生き方を模索してゆきたいと
思いました。
おやすみなさい。
1586
:
復興G
:2012/11/10(土) 08:46:22 ID:vWpLkCzM
皆さま、おはようございます。
如月さま、役行者さま、ご参加ありがとうございます。
昨夜は早くやすんでしまって、ごめんなさい。
今朝は、いつも離れたところにいる息子が来ていたので、朝食後少し話をしていました。
私は、この土・日、めずらしく特別な出かける行事予定が入っていないのです。
しかし、リアルの方で相手をしなければならない人もあるし、やることはいっぱいありますから、
全時間web誌友会に貼り付いているわけではありませんが、いつもよりかなり時間がとれます。
楽しみに、私も皆さまのご質問にお答えしたりできます。
皆さま、お楽にご自由に、活発なご発言をどうぞ。
役行者様、
>> 生命の実相が顕現するところ、自己治癒力がはたらき、自然に治癒
されるのでしょうね。
神の無限の知恵、愛、生命、供給、歓び、調和の波動は、
我々がリアルに住むこの世界に、神のいのちの霊波を
もたらすのでしょうね。
救いとは、現世利益であって、現世利益でなく神のいのちが
満ちあふれていて、自然に問題が解決してゆくのでしょうね。
常住坐臥できる限り、神と直結した生き方を模索してゆきたいと
思いました。<<
本当に、その通りなのでしょうね。
a hope さまからも、昨夜私に宿題の質問を残されているようですから、後ほどまた書かせて頂きましょう。
1587
:
a hope
:2012/11/10(土) 09:23:08 ID:8tjYhMb6
みなさま おはようございます。
昨晩は、わたしが寝てしまった後、如月さまや役行者さまのご参加もあったのですね!
トキさまの、宇治の練成での体験談、すごいですね!
宇治別格本山では今でもそのような奇蹟が起き続けているということでしょうか?
如月さまのおっしゃる「宝蔵」というのも気になります。
ところで、今日はわたしの住んでいるところは最高によいお天気です。
a hope 家は、これから家族でかけます。
掲示板には、夜戻れると思います。
それではわたしの愛する「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!
1588
:
トキ
:2012/11/10(土) 11:05:43 ID:QTnVpw/c
おはようございます。
病気が治る、治らないのは不思議で、それほど篤い信仰の人でもないのに、宇治の神癒祈願や
飛田給の聖経法供養で治った人もいれば、篤い信仰者なのに治らない人もいます。ただ、それも
理由があると思います。
戦前は谷口雅春先生ご自身が祈って下さったのですが、谷口雅春先生に祈ってもらっても、
「このかたの病気は治りません。」と言われ、亡くなられた方がいたとも聞いています。
まあ、そう考えると、私ごときが祈って治らなかったとしても、当然かもしれません。
・・・・という冗談はよくないから、取り消します。
1589
:
復興G
:2012/11/10(土) 13:47:24 ID:vWpLkCzM
ありがとうございます。
>>1581
:a hopeさま のご質問
(
>>1575
>>1576
復興Gさま)>>復興Gさまが高校生の時に悟られた「求めるよりも、与える生活」「無条件に与えるよろこび」・・そこのところを、もう少し具体的にお話くださるとうれしいのですが・・・<<
そうですね、詳しく書くと長くなりますが、皆さまからの書きこみが少ないので、少し当時の背景を振り返りながら、書いてみましょう。・・・
僕は、前に書きましたように、小さいとき体が弱くて、家は比較的裕福だったので過保護のお坊ちゃん育ちでした。どこか体が具合が悪いと言えば親が心配して大事にしてくれるので甘えて、お腹が痛いだの、頭が痛いだのと言っては、よく学校を休んでいました。そんな意気地なしだったんです。
戦前、父は旧満州で成功して財を成していたんですが、敗戦で全てを失い、身一つで内地へ引き上げてきた時が54、5歳でした。帰国してからすることなすこと挫折続きで、希望と自信を失い、心のルンペン(浮浪者)のようで、怒りっぽくもなっていました。それが、『生命の實相』に触れて熱心に読み、生長の家の誌友会に参加するようになってから、様子が変わってきたのです。『甘露の法雨』というお経のような詩のようなものを読誦したり、神想観という変なことを(と、当時私は思いました)したりして、生長の家の集まりに行くというときは、若返って幼稚園児が遠足に行くのをよろこんではしゃいでいるような雰囲気なのです。私は、父は気がふれておかしくなったんじゃないかと思っていました。
私は、小学校を卒業して旧制中学に入り、それが占領軍の命によって六三制男女共学の新制高校へと、学制改革の大変動があった時期でした。
父は、事業に失敗挫折して意気消沈しながら、私を含む6人の子どもを飢えさせないために、畑を借りて必死で野菜、いもやカボチャをつくるような農作業をしたりしていました。私は中学時代など、学校から帰ってくると、「畑を手伝ってくれ」と言われる。私は、「おれ、腹が減って力が出ないよ」などと言って、本気で手伝おうとはしませんでした。
そんな状態の時、ある日腹痛を起こし、もう七転八倒の苦しみで、高熱がつづき、日赤病院に入院しました。盲腸炎がこじれて腹膜炎で、炎症が進み腸に癒着が起きている。そんな状態で最近死んだ人がいると言われました。私も死を覚悟しました。しかし、死にませんでした。父が、枕元に『甘露の法雨』を置いていてくれ、祈ってくれているようでした。日に日に痛みがとれてきて、ついに退院ということになりました。手術はしませんでした。
そうして家で少し静養していたある日のことです。
「天地がひっくり返るような、人生観の大転換が、突然何ものかの力によって、なされてしまったような感じ」という体験をしたのは・・・・。
と言っても、傍(はた)から見たら何の変化もなかったでしょうし、私自身の体の感覚としても、別に変わったことはなかったのですが。
『致知』という雑誌の12月号(最近号)に、荒井義雄さんという80歳の気功家が、村上和雄先生(生長の家でもおなじみの、筑波大学名誉教授)と対談した記事が載っていて、荒井さんはあるとき“クンダリーニ覚醒”という体験をされた。それは、あるとき気功をやっていたら、尾てい骨のあたりがムズムズしてきて、熱い塊のようなものが背骨をものすごい勢いで昇って頭上を突き抜けていった。電気に打たれたような衝撃で、体が勝手に動き始め、目尻の方からグーッと明るくなったと思ったら、眩しい光になって回転し始めた――というような体験が5日間も続いた、というように語っておられますが、私にはそのような体験は全然なかった。
周囲にも、私の体にも、何も変化はないまま、意識が変わった。それは、魂が初めて目覚めた、という思いでした。<つづく>
1590
:
るんるん
:2012/11/10(土) 15:25:31 ID:NS71OwS.
お久しぶりでございます。
たまにしかこれないので、復興Gさまの投稿文は、そしてこの板の他の方の書き込みも、リアルタイムでよめないのですが、いつも欠かさずにそして大事に読ませて頂いております。
(今日も5時過ぎから出かけるのと、たまの休日なのでやることもたまってるので閲覧する時間は限られてますが
できるだけ、合間合間に読ませて頂きます。
>>1589
の続きが読みたくて 読みたくて興奮してます。
わくわくして、待っております。ヽ(=´▽`=)ノ ドキドキです。
(あ、早く書き込んでください。という意味ではありません。ゆっくり書いてください。)
有難うございます。
拝
1591
:
復興G
:2012/11/10(土) 15:58:21 ID:vWpLkCzM
るんるん様、ありがとうございます。
1592
:
復興G
:2012/11/10(土) 15:59:22 ID:vWpLkCzM
>>1589
のつづき
そのとき思ったのは、自分は今まで何というバカだったんだろう! 今、自分は生きている、この命を大切に生きなくては。命は、出せば出すほど無限に湧いてくるものではないか。それを出さないのは、バカだ! と声のない声が聞こえたような気がしました。私はその瞬間、いいようのない感動に全身がふるえました。
すぐに私は裸足(はだし)で外の畑へ飛び出して行きました。力いっぱい働きました。昨日(きのう)までの私は、働いたらくたびれて死んでしまう、働いたら損だ――と思っていました。ちがった! 今、私は生きているのだ! 生命なのだ! 今、この命を生き切ろう、出し切ろう! そう思って、裸足で外の畑へ飛び出していって、鍬をとり、はたけを耕したり、水くみ(そのころ家には水道はなく、井戸水を汲んで生活用水につかっていました)などを始めました。井戸水は、汲んでも汲んでもいっこうに減る気配はない。後から後から地下水が井戸にしみこんで満たしてくれる。命も、汲めば汲むほど湧いてくる命を、今与えられているのではないか。生命は、力は、出せば出すほど無限に湧いてくるのだ! 力は出さなければ損なのだ、と感じられるのでした。心臓が高鳴るほど、うれしくて、うれしくてたまりませんでした。
それで、一所懸命働いていると、隣のおばさんが、
「あなた、えらいね。まんじゅうのようなものを作ったから、お食べ」と言って、そっとまんじゅうを渡してくれました。その頃は、食糧がなくてみんな腹を空かしてひもじい思いをしていた頃のことです。
私はそれまで、父から「畑を手伝ってほしい」と言われたら「腹が減って動けない」と言って、「働いたら命を損する」と思い、食べるときには兄弟で奪い合いの喧嘩をする、というようなエゴイストでしたが、この時フト、「これを独り占めしないで弟に分けてやったら、どうだろう」という思いが湧いたのです。
それで、食べたいのを我慢して、弟が遊んで帰ってきたとき、「おい、隣のおばさんからまんじゅうをもらったから、やるよ」と分けてやったら、弟はびっくりして、にっこりうれしそうに笑う。
そのとき私は、聖書にあるイエスの言葉、「十里の公役を強いられなば二十里を行け」 「人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ」 「下衣を取らんとする者には上衣をも取らせよ」 というような言葉が浮かんできました。祖母が熱心なクリスチャンでしたから。
私はそれまで、「イエスって人は、バカじゃなかろうか」くらいに思っていましたが、そうではなかった! これは、すごい魂の勝利者としての霊的な喜びを人々に伝えようとしていた、偉大な男であったのだ! 私も、この「吾れ世に克てり」という喜びの生き方を続けよう! と、思ったのでした。
家に飾ってあった、クリスチャンだった祖母の写真が、にっこりと笑っているように思われました。
それで、私は、この体験は、祖母の導きによるものではなかったかと思っているのです。
だって、私は自分で何の修行をしたわけでもなく――『生命の實相』を読んだのでもなく、講習会を受講したのでもなく、練成を受けたのでもなくて、突然そのような体験を、他動的にいただいたのですから。
1593
:
復興G
:2012/11/10(土) 16:52:07 ID:vWpLkCzM
>>1592
のつづきです。
上記の体験は、高校2年生の終わり頃の体験です。
高校3年になったとき、よい先生に出会いました。
その先生は、早稲田大学出で、応召で北満へ出征し、終戦後シベリアに捕虜として抑留され、臨死体験のようなことを経験された方でした。極寒のシベリアの地で強制労働させられ、穴掘りをしていたとき(おそらく栄養失調や凍死で亡くなった同胞戦友を埋める穴を掘っていたのではないでしょうか)、自分の魂が離脱して空中から自分の穴掘り作業する姿を見ているというんです。
そのとき、「自分は奴隷のように強制労働させられていると思っていたけれど、ちがう! 自分は今、自由だ! 主人公だ! 自主的に、愛をこめて穴を掘ってやろう」と思ったそうです。
それで離脱していた魂はもとの肉体のところへ戻り、穴掘りを、自主的な気持ちでやり出したら、いくらでも力が湧いてきた。
そうしてやがて故国へ送還される日が来、日本へ帰って私たちの高校の国語の担当として赴任して来られたのでした。
その先生は、「人生の目的は、今だ。今が目的だ」と言われました。「人生に、目的はない」と言われたこともありましたが、それは、単に「今」を未来のための手段と考えるな、「今」を生きよという意味でした。
今、生かされていることがありがたくて、寝るのがもったいないと、古書店で本を山ほど買ってきて勉強しておられるかと思うと、「おーい、君たち! あの雲を見い! きれいだなあ!」と言って、歌を詠まれる。画も描かれる。
後に、大学教授にもなられ、91歳で亡くなられるまで短歌の同人誌の編集に当たられていました。
その先生は、私たちに、こうも言われました。
「人生で、偉大とは方向を見つけることだ。いい先生を見つけることだ。若くして求むれば老いて豊かなり」とゲーテも言っている。君たち、東京へ行け。東京へ行って、いい先生を見つけろ。」と。
私は、「ハイ、そうします!」と心に決めました。
<つづく>
1594
:
るんるん
:2012/11/10(土) 16:53:45 ID:NS71OwS.
復興Gさま
ドキドキして読ませていただきました。
何という素晴らしい体験! なんという絶対体験!有難うございます。
自分はこういう体験話を読むのが大好きなのです!わくわくして読ませて頂きました。
さすが復興G様です。 命で悟られたのですね!
私は思うのですが、復興G様は過去世で修業を積まれたのではないでしょうか?それで、今生でそういう体験をされたのではないでしょうか?
過去性で修業をされたから、その結果そういうおばあ様の元にお生まれになって、おばあ様からのお導きも得られるような流れになったのではないでしょうか?
ヽ(*^^*)ノ
1595
:
復興G
:2012/11/10(土) 17:01:56 ID:vWpLkCzM
結論から言えば、私は東京へ出て、その「いい先生」を見つけることができました。
それが、谷口雅春先生でした。
谷口雅春先生によって、まことに老いて豊かな、偉大な人生の方向を教えて頂きました。
1596
:
<削除>
:<削除>
<削除>
1597
:
復興G
:2012/11/10(土) 18:18:58 ID:vWpLkCzM
るんるん様、ありがとうございます。
1598
:
復興G
:2012/11/10(土) 18:19:39 ID:vWpLkCzM
上記、
>>1594
>>1595
>>「人生で、偉大とは方向を見つけることだ。いい先生を見つけることだ。若くして求むれば老いて豊かなりとゲーテも言っている。君たち、東京へ行け。東京へ行って、いい先生を見つけろ。」と。
私は、「ハイ、そうします!」と心に決めました。
――結論から言えば、私は東京へ出て、その「いい先生」を見つけることができました。
それが、谷口雅春先生でした。<<
この間の事をもう少し書きますと――
私は、東京へ行くと決めても、家は没落して貧乏ですから、上京して仕送りを受けて大学へ行く経済的余裕などはない。しかし、国立大学に入れば、授業料は安くて、寮にでも入って家庭教師をしたり育英資金をもらえば、家から仕送りをもらわなくても大丈夫やっていけるというので、私の選択肢は「国立大学に入る」ことに絞られました。そうして受験勉強も始めたのです。
その間、父の読んでいる『生命の實相』という本にすごい魅力を感じ、少し読み始めたら、吸い込まれるようで、受験勉強をそっちのけにして読みたくなる。そのとき、私は「いや、今は我慢の時だ。東京へ行って、人生の方向を見つけるよい先生に出会うために、今は受験勉強を優先しなければならない」と思って、自分を抑えたのです。じっと我慢の子だ、と。
そうして、国立大学入学の目的は果たしました。
しかし、大学で、人生の師に出会うことはありませんでした。大学は、私にとってストレス以外の何ものでもありませんでした。私は退学願いを出しました。
そのとき、高校で「東京へ出ろ」と勧めてくれた先生が上京してこられ、「元気でやってるか」といわれる。「ハイ、元気でやってます。だけど、大学はつまらないから、退学願いを出してきました」と言ったら、「退学してどうする」と言われる。「まだ、どうするかは決まっていませんが」というと、「それでは、退学しては駄目だ。僕が行って退学願いを取り返してやろう」と言われる。
尊敬する先生にそう言われては、「では、お願いします」とは言えない。仕方がないので、「先生にそう言われるのなら、私は自分で退学願いを撤回してきます」と言って、大学の事務局へ行って撤回し、退学はしませんでしたが、大学の講義は聴かず、受験勉強時代に読みたかった『生命の實相』を求めて、『生命の實相』ばかり読んでいたこともありました。
『生命の實相』に書かれていることは、私の魂が求めていたものでした。これは、本物だと、魂が納得しました。
まだ原宿の本部会館が建つ前のことです。赤坂の道場で生長の家青年会に入会し、当時「お山の集い」といって「お山」(谷口雅春先生のご自宅)での青年会に出席し、初めて谷口雅春先生に直接お目にかかることができました――。
こうして、私の人生の師と出会うことができ、方向付けが決まったのです。
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