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web誌友会 板
1399
:
如月
:2012/10/14(日) 21:13:02 ID:???
>>1398
復興G様
申し訳ございません。
自分の、この目は神様の眼で完全なのですね。
その自覚がありませんでした。
自覚の意味が、まだ理解できておりませんでした。
ごめんなさい。
ガッカリされましたでしょうか。
呆れられましたでしょうか。
ごめんなさい。拝
1400
:
a hope
:2012/10/14(日) 21:39:16 ID:8tjYhMb6
復興Gさま
>>1392
ものすごく深い真理が書かれた文章のような気がします。
1回拝読しただけでは理解できないので、プリントアウトして、何度も拝読したいです。
さすがに、雅春先生が訳したことにより、原文よりパワーが増していそうですね!
>>1397
わたしの素直さはわたしの存在価値ですか・・・うーん
そこまで言ってくださったのは、復興Gさまが初めてです。
でも、「素直さだけが取り柄」だとは、時々言われますが...(笑)
それでは、このままの a hopeでいかせていただきま〜す。
今回の web誌友会は、参加者が少ないので、復興Gさまを一人占めしているようでとてもうれしいです!
如月さまが、積極的に参加してくださっているのも、とてもうれしいです。
如月さま
如月さまの神さまの目、わが家ではすでに効果抜群ですよ!
「いまだ宿題を終わらせず、テレビを見ている、わが子も、神さまはお許しになっているのだ、
わたしも、神の子だ、何も言わずに見守ってあげよう・・・」
こんな感じに心を変えたら、なんと、直後に宿題をやり始めましたよ!
すごいです!!
1401
:
復興G
:2012/10/14(日) 21:40:43 ID:vWpLkCzM
>>1399
如月様。
「この眼は神様の眼である」というのは、「私はこうして祈る」(谷口雅春先生著)にある
祈りの言葉なのですよ。ふだんは「この眼は自分の肉体の眼である」と思っているので、
本来神様から頂いて、神様に生かされている命だから、そうして
「この眼は神様の眼である」と断定する言葉で祈るわけで、ふだんその自覚がないから
祈る言葉です。ですから、そう祈ってよろこびましょう!
1402
:
トキ
:2012/10/14(日) 22:01:06 ID:8hlIs9VE
>>1401
すばらしい言葉ですね。「私はこうして祈る」をあらためて拝読しようと
思いました。
1403
:
a hope
:2012/10/14(日) 22:02:54 ID:8tjYhMb6
さくらさま
言いたいことがあるのなら、はっきりとわたしにおっしゃっていただきたかったです。
わたしは、掲示板の空気も詠んでいますし、正直すぎる発言で人を傷つけているのも十分承知しています。
ですが、それ以上に、何が「生長の家の真理」なのか明らかにしておくことは大切だと感じたので、
今回はこのような形の発言をさせていただきました。
「真の生長の家」なら、誰一人どんな宗教の人であれ、だれひとりも排除なんてしないと思いますよ。
1404
:
a hope
:2012/10/14(日) 22:11:50 ID:8tjYhMb6
>>1403
訂正
掲示板の空気も詠んでいますし→掲示板の空気も読んでいますし
さくらさま、いったいどうされましたか?
さくらさまらしくないと感じ、とても残念です。
1405
:
如月
:2012/10/14(日) 22:11:57 ID:???
>>1401
復興G様
ありがとうございます。
祈った後に、喜びます!
私はこうして祈るは、一回通読致しましたが、全然自分のものに出来ていませんでした。
丁寧に拝読して、喜びます。
ありがとうございます。
感謝 合掌
1406
:
如月
:2012/10/14(日) 22:20:59 ID:???
>>1400
a hopeさま
書き込む方は少ないけれど、見られているのかと思うと…
どうしましょう。
一人でレベル下げてしまって。
SAKURAさま、ハイニコポンさま
お忙しいのですね。
1407
:
トキ
:2012/10/14(日) 22:26:27 ID:8hlIs9VE
皆様、どんどん書き込みをお願いいたします。
質問や疑問も歓迎です。(と、言って、答えられない質問がきたら、一目散に逃げたりして)
1408
:
ハマナス
:2012/10/14(日) 22:26:27 ID:x2zmnlqw
みなさま
こんばんは。
復興G様
いつもながら、膨大な『生命の實相』第1巻よりの謹写に感謝いたします。
あらためて 第1巻の、素晴らしさがわかりました。
徳久先生も「地方講師たる者は、『生命の實相』第1巻の「七つの光明宣言」の
解説を熟読して、すらすらと、言えるようでないといけませんよ。」とテープの
中で、仰っていました。
今回謹写して下さったご文章はどれも素晴らしいのですが、特に次の箇所が特に
心に深く残りました。
「旧我の否定と新しき更生」
「本当の「神の子」としての自覚というものはそんな安っぽいものではない。
今の状態をありありと反省し、こんな見苦しい不完全な状態は「神の子」らしく
ないということを知り、自分は神の子であるから、こんな不完全な状態は自分の
本性ではない、本性でないものはウソである、いつまでもウソを自分の天性だと
思って天狗になっていてはならないと、豁然(かつぜん)大悟、「神の子」としての
自分が別に厳然として存在することを悟る――これが「神の子」としての本当の自覚で
あります。
こうして今まで「これこそ自分だ」と思っていた「仮妄(うそ)の自分」を捨ててしまう
ことが、新しく「神の子としての自覚」に入る第一歩であって、毎日反省して、蛇が皮を
ぬぐように毎日「ウソの自分」を捨てる――こうすることによってわれらは毎日新たに
神にいっそう近づくことができる、すなわちわれわれの無限生長の道があるのであります。」
毎日新生する、無限の生長の道に進んで行きたいです。
ありがとうございました。
感謝合掌
1409
:
復興G
:2012/10/14(日) 22:33:14 ID:vWpLkCzM
>>1406
:如月さま。
如月様のお書き込みは神様のお書き込みです。決してレベル下げてなんかおられませんよ。
1410
:
うのはな
:2012/10/14(日) 22:34:55 ID:MXfo9tzo
合掌 ありがとうございます。
すこしお邪魔させてもらいますね。
こないださくらさんは、掲示板の真の生長の家とかいう言葉を使って
わけのわからないことを言ってましたが、この方はちょっと位の高いところ
から「あなたたち」:目線で話す方だなと思います。
私の信仰の話なのでお答えするわけにはいきません、、
っていうふうに、話にならない人なので、ここの誌友会の雰囲気を保つためにも
現存しているメンバー中心に有意義な誌友会を続行していただけたらと思います。
皆様いつもありがとうございます。
拝
1411
:
復興G
:2012/10/14(日) 22:41:55 ID:vWpLkCzM
>>1408
:ハマナス様。
ご投稿、ありがとうございます。
「旧我の否定と新しき更生」 というところは、本当のよろこびの生活を続けるために
怠ってはならない、とても大切なところだと、私もあらためて思っているところです。
本当に、ありがとうございます。
1412
:
神の子さん
:2012/10/14(日) 22:45:16 ID:???
うのはな様
貴女のコメントは、誌友会とは無関係の、ただの人格攻撃です。しかも、貴女は参加してもいない「部外者」です。今後は上記のような発言を慎んでください。
1413
:
a hope
:2012/10/14(日) 22:55:15 ID:8tjYhMb6
>>1408
ハマナスさま
ハマナスさまが掲示板に戻られて、ホッとしています。
また、誌友会に参加くださりうれしいです。
わたしも、「旧我の否定と新しき更生」は、とても重要な箇所だと感じています。
わたしも、これから毎日新生し、無限生長し続けたいです。
ハマナスさま、こらからも、どうぞよろしくお願いいたします。
1414
:
ハマナス
:2012/10/14(日) 23:29:35 ID:x2zmnlqw
a hope様
こんばんは。ありがとうございます。
開会の祈りから始まり「神の愛を実践する祈り」の謹写とありがとうございます。
早速、印刷させて頂きました。毎日拝読したいと思います。
こちらこそ、これからもどうそよろしくお願いいたします。
感謝合掌
1415
:
復興G
:2012/10/14(日) 23:33:28 ID:vWpLkCzM
皆さま、web誌友会はお開きの時間となりました。
皆さまのご参加で、とても有意義な誌友会であったと思い、感謝いたします。
締めくくりとして、聖経『真理の吟唱』より、「神の愛に溢るる祈り」を謹写拝読し、皆さまのご家庭の幸福を祈り、祝福しまして、一旦お開きとさせていただきたく思います。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
神の愛に溢るる祈り
神の輝く愛が自分の全身に流れ入り、常に神の愛が自分の全身から雰囲気となって放射されているのである。わが家庭全体に神の愛が雰囲気となって満ちわたり、すべての家族ことごとく愛の雰囲気にとりまかれ、輝くような悦びと平和と幸福とに生き生きとして生活しているのである。
わが家庭は神の家であり、神の子の集まりであり、常に神の智慧に導かれ、神の愛に満たされているから、如何なる不幸も病気も自分の家庭を訪れることはできないのである。
神の愛がわが家庭を護りたまうがゆえに、わが家庭には善きこと、好ましきこと、美しきこと、調和したことのみが集まつてくるのである。神の愛はゆたかなる供給である。神は決して富を求むる者に貧しさを与えたまうことはないのである。しかもすべての家族は天分にかなう仕事を通して全人類に奉仕しているのであり、ゆたかなる供給は自己が人類に与えたる貢献に対して、“動・反動”の法則を通して自己に返つてくるのであつて、決して、価を払わずして供給を得ようとするような卑怯な心を、神は私たちに与えたまうことはないのである。そういう卑怯な心を根絶したまうことこそ却って私たちに与えられた神の愛であり恵みであるのである。
わが家族はすべて神の子であるから、決して無責任な卑怯な心を持つことはないのである。自分の一切の行為に対して責任を負い、決して偶然のチヤンスで幸福を得ようというような卑怯な心はもたず、ただ「与えれば与えられる」の法則に従つて、神からの恵みを受け入れるのである。
「与えれば与えられる」の法則によって循環してくる幸福に対しても、私たちは決して自力によって、「人に与えた」とは思わないのである。与える資源も、与える力も、すべて神からの賜物であるから、私たち個人はただ神の恵みの通過するためのパイプのようなものであるのである。私たちが自己の持っているところの富を、能力を、すべてのものを、次へ廻さなかったならば、神の恵みの通過するパイプが塞ってしまったようなものであって、自分自身の生活も快適にはなれないし、また人にも迷惑をかけ、神に対しても誠に申し訳けがないのである。愛とは決して単なる感情でも抽象概念でもなく、他にとってためになるものを与えんとする意志の努力であるのである。
常に私たちを護りたまう神の愛に感謝いたします。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ありがとうございました。合掌
1416
:
如月
:2012/10/14(日) 23:54:51 ID:ki/haAjk
>>1415
復興Gさま
ありがとうございます。「神の愛に溢るる祈りが心に染み入りました。
今の私を取り囲む状況の暗雲を一度に取り払っていただきました。
何回も読ませていただきます。ありがとうございます。
50時間にも及ぶ長時間の御指導ありがとうございます。
御指導いただいた内容を忘れずに、聖典を読み進めたいと思います。
合掌 拝
1417
:
a hope
:2012/10/15(月) 00:01:48 ID:8tjYhMb6
復興Gさま
「神の愛に溢るる祈り」を謹写くださりありがとうございました。
>>私たち個人はただ神の恵みの通過するためのパイプのようなものであるのである。<<
神さまの恵みの通過するパイプが塞らぬようにこれからも「生長の家」のお勉強を続けていきたいと思います。
わたしにとって、今回もまた、とても貴重な学びのweb誌友会となりました。
ですが、反省すべき点も多くありました。
テキストである聖典「生命の實相」を拝読し、勉強すればするほど、
現象の「生長の家」との矛盾を感じてしまいます。
ですから、このweb誌友会でも、どうしても話題が、そちらの方に行ってしまいます。
今回、誌友会前に参加を表明されていた、はいにこぽんさまや、
毎回参加されていた朝日さまなどの参加がなかったのも、参加しにくい雰囲気があったからだと思います。
反省して、次回からは気をつけたいと思いました。
参加してくださったみまさま、閲覧してくださったみなさま、お疲れさまでした。
感謝 合掌
1418
:
如月
:2012/10/15(月) 00:16:01 ID:ki/haAjk
>>1417
a hopeさま
誌友会前のお声かけに始まり、行き届いたご準備に頭が下がりました。
おかげさまで、素晴らしい誌友会となりました。
私のような者でも、生長できたと思います。 ありがとうございます。お疲れ様でした。
合掌 拝
1419
:
如月
:2012/10/15(月) 00:19:28 ID:ki/haAjk
トキさま
いつもいつも、板全体を見守って下さり、またこのような誌友会の御指導までいただき
大変心強く、ありがたく思っています。
日頃、なかなか感謝を伝えられませんが、感謝しています。 本当です。
ありがとうございます。 合掌 拝
1420
:
SAKURA
:2012/10/15(月) 00:20:25 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
遅くなりまして……やっと?やっと?や〜〜〜っと今!“事務所”に、まい戻ったところです。
今日は、張り切って、昼頃まで「生命に実相」を読ながら……
昼過ぎに“投稿文”を……パ−トナ−の“ナンシ−”と、楽しみながらいたのです。…が??
しかしながら…昼過ぎから【難問題…アクシデント…ぶり返し…】 >< そうしますと〜〜
この“ぶり返しアクシデント”……もう!!脳回路が“混線模様”
もう〜〜〜〜〜気がつきますと?【理性…】?と言いますよりこちらまで【感情…?】が><
出てしまい〜〜〜やかん頭になりやすく〜〜〜更に!事務所にいませんので…
自宅では“パソコン…”が“一台…オンリ−”です。その解決策のやり取りに“時間”がかかり、
イラ!イラ!〜〜〜の状態でした。
やっと“11時過ぎ”に何とか持ち直しの「解決策の考え?」が浮かびました。
正直!パソコンも開く余裕がなく、意識力が希薄でしたかと反省しています。…が?
ようやく…落ち着いたところでしょうか??
■「復興G様」「誌友会の皆様」 本当に、申し訳ございませんでした…。 m(..)m
今から!皆様の“投稿”を拝読させて頂きながら…“投稿”をさせて頂く行動を取らせて頂きます。
本当に!!ごめんなさい。(自分中心に?思われても…しかたがありません。…が?)
再合掌
PS:「復興G様」……
朝の【祈り…】の言葉…ありがとうございます…。いつも?正直申しますと【基本的神想観…組】?
の私でした。【浄円月観】は、調布時代によくしていましたが…又…気持ちが少しだけ?トライ!
…してみましょうかと…思いました。…が?
1421
:
如月
:2012/10/15(月) 00:23:25 ID:ki/haAjk
さくら様、役行者さま、SAKURAさま、ハマナスさま
素晴らしい書き込みをありがとうございました。
大変、勉強になりました。
また、見守っていて下さっていた皆様、最後までお付き合い下さいましてありがとうございました。
合掌 拝
1422
:
如月
:2012/10/15(月) 00:24:53 ID:ki/haAjk
>>1420
SAKURAさま!!
お疲れ様です。 お仕事大変だったのですね。
どうぞ、お続け下さい。 読ませていただきます。勉強になりますので。
ありがとうございます。
1423
:
SAKURA
:2012/10/15(月) 04:31:29 ID:jH5uEFzM
如月様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1422
の“投稿”から〜♫〜
❤〜数日前から〜〜〜ダウン!ダウン!の心が、とても”優しさ言葉“……にて、
少ずつ“心”が、ほぐれてきましたでしょうか???
今後とも、よろしくお願い申し上げます…。
【感謝!!】 再合掌
1424
:
SAKURA
:2012/10/15(月) 04:33:37 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
トキ様 へ
誌友会の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
「生命の実相」の中から…p167より
=== ◆六章 愛と真理によって更生せよ ========================☆
≫≫神癒によって兄弟の病気を治すには、われわれは自分の念(こころ)淨まらなければ
ならないのであります。自分の念が、ありとあらゆる「罪」や「迷い」というものから
除き去られて、神の無限の生命力が自分の念をパイプとして流れこんで来るようにならな
ければならぬのであります。〜〜〜
>>これに反して自分の念が「迷い」に閉ざされ罪に堰かれて、自分自身が神の「生命の水
を流しこむパイプになることができなければ、神の「生命の水」(治してくださるお力)が
患者に達せず、したがって病気が治りにくいのであります。 (抜粋文
=============================================
■【祈る…】時に“清まる心”がなければ〜〜〜「神様の御心」に伝わることが?
出来ませんです〜〜〜ョネ!
今日の“アクシデント”は、確かに私の“念”も多少は入りましたかと?その時の“心”は?
“調和の精神”は?あるようで >< ないのかも??
ただ!相手の言い分の“奥の心…ジ〜〜〜ッと観察”……覗きながら考えていく内に、
ただならぬ感情が〜〜>< そのような時は、理性?を優先にと思いながら?
まず【私の心=念を調和の調べの世界へ…集中】でしょうか???〜〜〜そして、今!
起きている“課題に集中”して、取り組み、更に……【意識=意志にて前に振り向く…】
それを、更に【前面に押し進めながら……祈り】かと??そう!【祈り…】ます時は、
もう【調和の精神】は、神様にアンテナを“前面的に振り向ける事!”それは、私の“心”を、
【〜♫〜穏やかな調べ〜♫〜調率…】して行く事でしょうか?
今回!病気でも?何でも?実生活に活用できる“問題”です〜〜〜ョネ!
今日は、も〜う“前面”進む事を集中しようと【切り替えモ−ド】にやっとなりました。…が?
=============================================☆
≫≫「目に見える兄弟を愛することができないで、どうして眼に見えない神を
本当に愛することができようぞ」 (抜粋文)
=============================================☆
■やはり“愛”はいたるところにあるのでしょうか〜??
そうです!“愛の調べ”なのでしょうか〜??元々ないものをあるような“錯覚”……
それは「悪魔の心」なのでしょうか〜〜〜><
まず【悪魔…】は“お金”に負ける“心…”その“心…”は迷いでしょうか?
迷いがある時は、如何して「神様の御心…」を、入れることが出来るのでしょうか??
まず!出来ないのでは「悪魔の心」は、まず【物質世界=唯物論】でしょうかしら〜〜〜ン!
「物質…」におかされた“心…”は、病気でもしますと【物質世界=唯物論】が根本ですから、
当然 “病気がある!”と捕まえていますでしょうから、その“心…”!は【悪魔のいけにえ】です!
認めた事が、当然!この現象世界に現れるますから【実相…】ではないのですモノ〜ネ!!
病気はまずないのです〜〜〜ョネ!【実相世界…】では!!
病気は“迷いの世界”に引きずられながら〜〜〜歩くようなモノ ><【悪魔の世界…扉?】
【迷いの学校…】なんです〜〜ョネ!これが、いろいろな形で現れてきます。【迷い=悪魔】へ…
(つづく)
1425
:
SAKURA
:2012/10/15(月) 04:35:45 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
トキ様 へ
誌友会の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>> 1424の投稿の続きです…。
■さて!今日の“アクシデント”私の環境も、似たような世界です。
見たくないモノが?目の前に“現れた時”…関わりたくないモノを?関わった時……
すべて【迷い=悪魔…囁き】が現れたと……最近!思えるのです。
例えば“吸血鬼・ゾンビ達”は【お金に執着】しています。そして、良心の仮借は?「ゼロ」
一つの言い訳の様に〜〜まるで【呪文…】のように言い聞かせています。
それを、毎日【呪文…】しながら“お金”の為に【言い訳論…】でしょうか???
■【彼らが“バカ”だから?こういう事をしていいのだという感じでの正当論!】
全て“お金”〜〜〜“お金”に結びつけて物事を、考えての行動ですから、そのような
【心=念波…】は、神様の“心”更に“愛”は、程遠い〜〜〜モノです。
彼等も、それは承知しているのですから、すがるものは【悪魔の世界…】に引きずられ?
入っていきますかしら〜〜〜ン!
■【ジ ュ リ ア の 伝 言】では「悪魔…」はその人の弱みをみつけて、
はいり込みますから、全て【モノの価値観…唯物論】が優先になりますかと〜〜〜?
彼らの【祈り…すべて“密教”】でしょうか??そして、【悪魔払い=悪魔儀式】…
その方法は多々ある様ですが??“いけにえ?”には?相手によりけりかと?
代表的な“いけにえの宗教…”もあります〜〜〜ョネ!
【車輪の棒を、一本“地獄”に置いていている!】彼らは、つまり!もう何度も〜何度も〜
【永遠にその世界の呪文…に縛られる】ので〜〜〜す。【海外のオカルト映画…】の様に〜><
私は「黒幕デザイナ−・吸血鬼・ゾンビ…」は、そのような状態と、最近!判断したのです。
❤〜私は【ジュリアの伝言】と一緒で…【神=意志=意識】に繋ぐことが〰〜♫〜〜
自由に出来る“愛”の世界に……飛んで行ける?
そう!【調率しながら“神様”へ!…】全面!信頼して振り向けて行ける事が出来るのが、
自分の【意識世界に、これが瞑想=神想観の事なのでは?】と、この頃思います。
自分の【心 を 強 化 す る 近 道】でしょうか〜〜〜><
今!新たに益々【自分の心の意識に=目に向ける事が出来るのが“祈り”…】なのです〜ネ!
こうなりますと【実 相 ・ 現 象 も 超 越 ?】しますかしら〜〜〜ン?
私の“心”を蓋をしていますと【悪魔…足音】が近付きます。…が?
■その魔除けは〜〜〜【瞑想=祈り=神想観】です。…かと??
“怒り”・“悩み”・“不安”とか〜〜〜“ネガティブ感情”が何処かへ消えていき〜〜♫〜〜
【私の心=本来の心】が“私の内部の声”が……その“声”が必ず!囁いてくるようです。
そこからが、本当の【始まり??】です〜〜〜ョネ!
■■【祈 り … 大 切 な “心 の エ ッ セ ン ス ”!!】でしょうか?
再合掌
1426
:
神の子さん
:2012/10/15(月) 06:28:35 ID:QbPEeOzU
>>1412
IDを表示させない人のほうが部外者だと思いますよ。
1427
:
うのはな
:2012/10/15(月) 08:27:44 ID:dmjkWKLo
1412 :神の子さん:2012/10/14(日) 22:45:16 ID:??? うのはな様
貴女のコメントは、誌友会とは無関係の、ただの人格攻撃です。しかも、貴女は参加してもいない「部外者」です。今後は上記のような発言を慎んでください。
部外者なら発言できないのではなくて、部外者ほど多くの発言や横入りしているのが、
ここの掲示板の特徴でもある、と思います。
最初から、少しお邪魔します、と断っていますよ。
1428
:
SAKURA
:2012/10/15(月) 09:22:59 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ
おはようございます……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
私事にて…大変申し訳けありませんでしたが…昨日は真夜中近くの“投稿”になってしまいました…。
❤〜ごめんなさい…。もしも?「奥殿…行き」なっております場合 >< お時間ございましたら?
“奥の間”まで……閲覧して頂きますと、幸に思います。
再合掌
1429
:
復興G
:2012/10/15(月) 09:29:35 ID:vWpLkCzM
トキ様
皆々さま
合掌 おはようございます。ありがとうございます。
管理人 トキ様のおかげ、そして参加者・見守って下さいました皆々さまのおかげで、意義ある『生命の實相』勉強のweb誌友会ができましたことを、あらためて感謝申し上げます。
私もこれを機会に、もう一度テキストと皆さまの書き込みを拝読しなおし、心新たに精進、前進いたします。
また日を改めて感謝の投稿をさせていただきます。
合掌
1430
:
復興G
:2012/10/15(月) 09:33:51 ID:vWpLkCzM
>>1428
:SAKURAさま
ありがとうございます。
すみません、少しお時間をください。
明日になるかも知れませんが……よろしくお願いいたします。
合掌
1431
:
トキ
:2012/10/15(月) 09:36:24 ID:TYeiqSp6
復興G様
今回もすばらしい御指導を賜り、深く感謝申し上げます。
ご多忙の中、ご丁寧なご指導を賜り感謝しております。
合掌 ありがとうございます
1432
:
SAKURA
:2012/10/15(月) 09:39:03 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ
トキ様 ヘ
誌友会の皆様 ヘ
おはようございます…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1420
>>1423
>>1424
>>1425
>>1428
の引き続き“投稿” …宜しくお願い申しあげます…。
さて!皆様の【四無量心…】に関しましての“捉え方?”…etc拝読させて頂きながら〜♫〜
■【雅春先生…創刊号】から抜粋を……させて頂きます。
〜〜〜【抜粋投稿】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■■【三 種 の 愛】
愛せよ。少しも求めず愛せよ。これが愛の秘訣である。
こんなに愛してやってゐるのに相手を斯うだと批難するな。呟くな。
愛は、その結果がどうなるからとて愛するのであつてはならない。
愛すること、そのことが神の道だから愛するのだ。
愛すること其のことが幸福だから愛するのだ。
結果をもとめた愛は必ず不幸に終る。
愛の三段階―――
第一階は愛した結果の利益を予想するところの愛である。これは功利的な愛である。利益になら
なければ腹が立つ。
第二階は、相手が喜んでくれるから愛するのである。これは功利的ではないが相手も喜んでくれ
なかったり、相手が自分の好意に気がついて呉れなかったら腹がたつ。
第三階は至上階に位する愛である。第一階の愛も、第二階の愛と共に『我』がある。『自分がかう
した』『自分がああした』『然るに彼は』と云う風に、『自分』と云うものを脱け切ってゐない。
至上階の愛は、『自分』を全然脱却してゐる。それは飄々乎として捕へんと欲すれど捉へることが
出来ない。『先刻はこんな 結構なことをして頂きましてどうも有り難う』と云われても、『ヘェ、
わたしが? 何時そんなことをしましたかねぇ。』と空らとぼけるのではないが、心から自分の
愛の行為を忘れて了ったやうな愛である。
それは自分がしたいのではない神と偕なる時、おのずから出来た愛であるから、「自分がした」と
云う感じが少しも残ってゐない。
つづく
1433
:
SAKURA
:2012/10/15(月) 09:41:29 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ
トキ様 ヘ
誌友会の皆様 ヘ
おはようございます…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1420
>>1423
>>1424
>>1425
>>1428
>>1432
の引き続き“投稿”…宜しくお願い申しあげます…。
これが惟神(かんながら)の愛である。神流れの愛である。神催しの愛である。神と偕なる愛
である。大菩薩の愛である。
生長せんとする家はこの大愛を目標にして進まねばならない。
家庭の葛藤は、舅姑と嫁との争ひは、夫婦親子間の紛争すべて『自分が斯うしてやったのに、
彼は斯うした』と云う不平から起こるのである。
かふした不平は自分が神から遠ざかったことの證據である。
かかる不平起れば叱する他を自己を一喝せよ!渇!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
❤〜これは「生長の家」創刊号… 昭和5年3月1日発行…この中の抜粋なのです。…が?
この文章を見ますと【神 は 愛 な り 〜〜絶 対 の 愛 !】と…
それには…第一条件??でしょうか『我…』これを捨て去らないといけないのです〜〜ネ!
ふと?私自身を振り返りますと…??【反省…】しきり…の私です。
更にこれこそが【神の愛…惟神(かんながら)の愛…】なので〜〜〜ネ!
「神々とともに」「神のご意志のままに」という…日常生活を送る私たちに取りまして……
いつもそばに『神様との一体感??』その感覚を自覚しないといけませんでしょうかと??
そうしますと……【神の子…】本当に!本当に!自覚に入りますでしょうか〜〜〜??
今回の“アクシデント”から?つい?つい?なのですが〜〜〜
“感情”が先になりましたでしょうか??そうしますと……どんどん“深み?”に転げ落ち!!
当に【石…】になってしまいまして?とても『神の子…』とは、ほど遠〜〜〜い“私”に ><
不満〜〜〜不平〜〜〜怒り〜〜〜ネガティブ感情が >< 飽和状態!!!
その時!!【祈り…】にて、正しい“想念”を、内なる神様から…頂きまして、
ようやく『惟神(かんながら)の愛』…の“心の状態”に…??
それでも…正直言いますと、今回は?【祈り…】いつもよりは?時間がかかりましたでしょうか?
さて!
【雅宣先生…】の説かれています『四無量心…』この事も、“愛の形”を説かれています。…が?
但し……4段階??でしたかと??同じ事を、おっしゃつています。
【慈・悲・喜・捨】…行じる事が「生長の家」の信者としての使命…なのです。と明記されました。??
まだまだ【本当の人間??】私自身“人間失格”部分がありますでしょうか??
そして、もう一つ「今の時代…次世代に…この“素敵な〜青い〜地球”残す為にも」…
自然に対しても…考えなくてはいけないのでは〜〜〜その様に思います。…が??
■【人生というの素晴らしい旅…】を旅していくには…
そうです〜〜ョネ!より良いモノにするには?改めて…【〜愛〜】しかも
■■【神の愛…惟神(かんながら)の愛…】…この事が…次なるステップに繋がるのでしょうか?
再合掌
1434
:
役行者
:2012/10/15(月) 11:00:44 ID:Tzk1if3U
a hope 様
>イミシンに発言されていますが、どうしてですか?
「わたしは、あなたのこの行動をこんな風に感じていますよ。」
と正直に発言してあげることは、愛ある行為だとわたしは思いますが・・・ちがうのでしょうか。<
確かにそう思います。幼子のような心も大切にしてゆきたいと思います。
1435
:
ハマナス
:2012/10/15(月) 11:33:26 ID:x2zmnlqw
みなさま、復興G様
こんにちは
Web誌友会では、素晴らしいご指導と、しめくくりの“神の愛に溢るる祈り”を
ありがとうございました。感謝申し上げます。
合掌
1436
:
復興G
:2012/10/16(火) 18:54:17 ID:vWpLkCzM
1432 ・
>>1433
:SAKURA さま。
そして
皆々さま。
ありがとうございます。
web誌友会で学ばせていただいてから、私は「榎本恵吾記念館」に新しくアップされた「文書館11 幽斎殿Ⅳ」を感銘深く拝読しました。
これは、榎本先生が宇治別格本山の祈願部長として、入龍宮幽斎殿で深い祈りに徹しておられたときに、湧き上がって来たといいますか、天降って来たといいますか、悟りの境地からほとばしって出できた言葉を、そのまま書き記された御文章だと思われます。
http://homepage2.nifty.com/hanabira/
一部抜粋をここにコピペさせていただきましょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
住吉大神はみづからの消え切りの澄み切りである無量の光りであり給う、その光りに包まれることが、自分もまた消えていることであり、これを「全身全霊浄めらる」というのである。
「塩椎大神に導かれて」とは、塩椎大神がみづから「私は無い」と消えてい給う、その消え切りに消え切り給うている、その聖なる輝きに浴することを意味するのである。
「無の門関に坐する」とは、無いものを無いとすること、すなわち、言葉、想念にて「無い」と言えるすべてのすべてを「無い」とすること、ただただその一筋でよいということなのである。
今朝目覚めた時、「ただ嬉し」という声が内よりひびいた。湧き出でた。そして同時に「その輝くひびき、声、湧き出ずるものも無い」のであった。
言葉、想念にて「無い」と言えるものすべて無し。
神無し、實相無し、内なし、神の国無し。光り無し。その無しも無し。その無しの無しの無しも無し。
「“無”を貫いたとき、そこに實相がある」と言えども、その「貫く」という意味は、その「實相」をも“無”とすることにあるのである。「“無”を貫いたとき、そこに實相がある」ということも“無い”と言えるからである。
實相というものが自分の外にあるのではないのである。神というものが自分とはなれて外にあるのではないのである。外にあるものは實相でもなく、神でもなく、澄み切りでもないのである。
自性とは“在りて在る”なる自分無き渾(す)べての渾べてなる今ここなる神であり、天国にして極楽なるものであるのである。
久遠崩るることなき今ここなる渾べての渾べてなるもの。渾べての渾べてなる、他なく相対なく、証明不要なるものであり、因縁超脱なるものである。
“吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くるみ親のいのち”とは、自分は無く、神の一部ではなく、神そのものの全身がここに生き給うことなのである。この自性円満なる、すべてのすべてなるものの声として“一羽の雀と言えども、父のゆるしなくしては地に堕(お)つること能わず”と鳴りひびいているのである。道元はこれを“一切衆生悉有(いっさいしゅじょうしつう)は仏性”と言い給い、釈尊は“山川草木悉皆成佛、有情非情同時成道”と宣(の)り給うたのであり、大聖師谷口雅春先生は、“天地一切のものに感謝すべし”と単的に示されたのである。
(榎本恵吾記念館より、つづく)
1437
:
復興G
:2012/10/16(火) 18:55:08 ID:vWpLkCzM
(榎本恵吾記念館より、つづき)
“最早(もは)や吾れ生くるに非ず、神ここにありて、渾べての渾べてし給うなり”である。
神が今ここに天国し給い、神が今ここに極楽し給うているのである。神が“吾れ”し給うているのである。
「父の許しなくば、一羽の雀といえども地に堕つること能わず」
もしも、父の許しがなければ、悲しむことも、悩むことも、病いに罹ることも、憎むことも、恨むことも、死することも能わざるなり。それが能うのはただただそこに父のゆるしなるもののみが實在し輝き満ちているからなのである。
そして、その父は「吾が内にまします」のである。それ故に「許すは吾れにあり」であるのである。
天地一切、万事万物万象ことごとく「父の許し」そのものであるのである。「一切衆生悉有は仏性」であり、「娑婆即寂光土」であるのである。
「現象無し」とは、現象への限りなき父の許しを意味しているのである。
「現象無し」とは、現象と見ゆるものはそのまま父の赦しの輝きそのものであることであり、「五蘊皆空(ごうんかいくう)」とは「五蘊皆光」であるのである。
「許すは吾れにあり」とは、許す側、創造する側、生み出す側にいることを意味するのである。
音を生み出す側のよろこびに立つまでは、どんなに音からよろこびを得ようとも、“これでよい”という完全なる充足は味うことは出来ないのである。景色でも、景色から何かを、よろこびを得ようとして、景色に求めている間は充足は得られないのである。景色を生んでいるよろこびこそ、最後なるよろこびであるのである。
「他(隣人)を己れの如く愛せよ」とは、神を己れとして愛せよ、ということであり、實相世界を己れとして愛せよ、ということであり、天国極楽浄土を己れとして愛せよ、ということであり、釈尊を己れとして愛せよ、ということであり、キリストを己れとして愛せよ、ということであり、大聖師を己れとして愛せよ、ということである。
“己れとして”とは、己れの展開として、それのひろがりとしてということであり、“愛せよ”とは観ぜよ、ということである。
「他のよろこびを自分のよろこびとせよ」とは、他としてあらわれた自分を、神なるよろこびそのものとして、その實在の相(すがた)を観ぜよ、ということである。自分をとりまく天地一切のもののよろこんでいる姿は“自分がよろこんでいる姿である”ということである。自分がその人のよろこんでいる姿として展開しているということである。
(榎本恵吾記念館より、つづく)
1438
:
復興G
:2012/10/16(火) 18:55:46 ID:vWpLkCzM
また、たとえば、古事記神話の最初の記述について――
(榎本恵吾記念館より)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「日々大祭(たいさい)」である。大祭とは、吾が内に一切があることを拝むことにほかならないのである。外は無いということである。無いものを無いと知るのはまことの自分であり、實在(ある)ものを實在(ある)と知るのもまたまことの自分であるのである。大祭は自分の中で行われるのである。
「天地(あめつち)のはじめのとき、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣比神(たかみむすびのかみ)、神産巣比神(かみむすびのかみ)、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)、天之常立神(あめのとこたちのかみ)、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、豊雲野神(とよくもぬのかみ)。これら七柱の神は独神(ひとりがみ)なりまして、身(みみ)を隠し給えり」と『古事記』には記されているのである。独神(ひとりがみ)とは絶対神ということであるのである。
天地一切万物は「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」と釈尊の拝まれたごとく、ことごとく仏であり、神である故、天地一切万物はことごとくそのまま独神(ひとりがみ)すなわち絶対神であるのであって、身(みみ)を隠し給いて、みづからの消え切りの澄み切りの聖なる輝きそのものなのである。高天原は遠くにあらず、「吾が内に、今ここに、吾れとして」あるのである。
高天原も龍宮本源も自分自身のことであったのであり、天地一切万物ことごとく、そのまま高天原であり、創造の本源、龍宮本源そのものであったのである。これが「はじめのはじめ」の消息であり、無の無のそのまま無しの無しの澄み切りにして、真空にして妙有(みょうう)なる消息であるのである。
神癒祈願お申し込みのお一人お一人が独神(ひとりがみ)すなわち絶対神にましますのである。絶対神とは完成なる、成就そのものなることを意味しているのである。
實相世界の、神の無限の智慧の海、愛の海、生命の海、供給の海、よろこびの海、調和の海の六つの御徳の海もそれぞれそのままに絶対神すなわち独神(ひとりがみ)であり給いて、身(みみ)を隠し給うて、澄み切りなのである。
それ故、この六つの御徳は一つなる澄み切りの「生かす力」なのであり、それが流れ入って、吾れに満ち満ちて不透明なる肉体が無色透明に澄み切るのが神想観であるのである。
斯くの如く、斯くの如くして、生長の家の聖典の一言一字はことごとく独神(ひとりがみ)にましまして身(みみ)を隠し給いて、聖の聖なる、はじめのはじめなる澄み切りの輝きにましますのである。
(榎本恵吾記念館より、つづく)
1439
:
復興G
:2012/10/16(火) 18:56:27 ID:vWpLkCzM
(榎本恵吾記念館より、つづき)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
高天原に成りませる「七柱」の神は「無限柱」の神を意味しているのである。七は完成、完全をあらわし、完全は無限をあらわしているのである。その無限柱の神はことごとく独神(ひとりがみ)にましまして、無限柱の神ことごとくが絶対そのものにましますのである。無限とは「すべて」をあらわして、すべてのもの、天地一切万物がそのまま、ことごとく独神(ひとりがみ)すなわち絶対神であることであるのである。
天地一切万物ことごとくを独神(ひとりがみ)すなわち絶対なるものとして観ずることが天地一切感謝であるのである。感謝とは絶対価値の判定である、とはこの意味でもあるのである。
神の一人子とは、神なる一人子であり、神は独神(ひとりがみ)にましますが故に、その子は独子(ひとりご)であるのであり、独子(ひとりご)とは絶対なる子ということであるのである。
絶対なる子が一人子なのである。
浄まるとは、あるべきものがあるべき相(すがた)にあることである。それ故、天地一切万物ことごとくは独神(ひとりがみ)であるのであれば、その独神(ひとりがみ)であることを観じ、認め、生くることが浄まっていることなのである。独神が独神していることこそが浄まっていることにほかならないのである。……
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
これは榎本先生の大悟徹底した「現象はない」 「自分はない」 「神のみあり」 「我れ神なり」 「すべては神なり」 の境地から出てきた言葉だと思います。いかがでしょうか。
SAKURAさまが
>>1432
で
>>さて!皆様の【四無量心…】に関しましての“捉え方?”…etc拝読させて頂きながら〜♫〜■【雅春先生…創刊号】から抜粋を……させて頂きます。<<
として、愛の3段階についての御文章の最後に
「これが惟神(かんながら)の愛である。神流れの愛である。神催しの愛である。神と偕なる愛である。大菩薩の愛である。生長せんとする家はこの大愛を目標にして進まねばならない。」
とありました。そして
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【神 は 愛 な り 〜〜絶 対 の 愛 !】と…それには…第一条件??でしょうか『我…』これを捨て去らないといけないのです〜〜ネ!ふと?私自身を振り返りますと…??【反省…】しきり…の私です。更にこれこそが【神の愛…惟神(かんながら)の愛…】なので〜〜〜ネ!「神々とともに」「神のご意志のままに」という…日常生活を送る私たちに取りまして……いつもそばに『神様との一体感??』その感覚を自覚しないといけませんでしょうかと??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と書かれていましたが、私の場合は、あるときふと、「自分」というものは本来なかったのだ――と気がついたとき、自分の中にすべてがあり、すべてが自分だった――と思えました。そして「四無量心」を行ずる事が、無理な義務ではなく、無限に大きく広がる喜びだと思われました。
そして、家族や接する人々とも、すべて “In Tune with the Infinite”、無限と調和したように、問題は解決し、いっそう良い方向へと自然のうちに導かれているようで、ただ感謝、感謝です。
(つづく)
1440
:
復興G
:2012/10/16(火) 19:51:57 ID:vWpLkCzM
(つづき)
また、以前
>>528
でちょっと触れたことのある天外伺朗(てんげ・しろう)著『ここまで来た「あの世」の科学』という本を読了しました。(あさひ様も読まれたということでしたね。ほかにもお読みになった方もいらっしゃるでしょう)
天外伺朗氏は元ソニーでCDや「AIBO」ロボットなどを開発担当した最先端の科学者、技術者、工学博士で、最新の物理学やユング心理学・東洋思想などにも詳しい方。「あの世」というと、ふつうは死後の世界、いわゆる「霊界」のことを指しますが、天外氏のいう「あの世」は、ちょっと違います。生長の家でいう「実相世界」に近い、「全てが一体」の本源世界です。そして、
『宇宙は、全体として、ひとつの生命体です。その基本は、「無条件の愛」であり、また「仏性」であり、宗教が神や仏と呼ぶ概念と一致します』
という結論になるのです。
<「この世」では私とあなたは別人であり、路傍の石ころや空飛ぶジェット機は、それぞれ別個の独立した物体であり、太陽や月は、私とは無関係なはるか彼方にある天体です。
ところが、「あの世」では、私はあなたであり、同時に石ころでもジェット機でもあり、また太陽や月、さらにはアンドロメダ大星雲でもあるのです。>
こういう結論(といっても仮説の段階ですが)を導くのに、天外氏は壮大なスケールで、科学と宗教の相克の歴史、デカルト・ニュートンからアインシュタインの相対性原理、量子力学、ボームの「ホログラフィー宇宙モデル」、カプラの「タオ自然学」、プランク・スケールの「超ひも理論」、プリブラム……そしてフロイト、ユング等の深層心理学などをわかりやすく咀嚼・解説し総合しながら、前記のような結論を導き出しているのです。生長の家の説くところを裏付けるようなところが多々あって、とても面白く読めました。
ちなみに、オビには
「神の正体、生命の秘密……最先端科学で解き明かす 人類最大の謎」
というコピーが入っています。
この本(『ここまで来た「あの世」の科学―魂、輪廻転生、宇宙のしくみを解明する―』改訂版)は、祥伝社黄金文庫として文庫本で安く出ていますから、まだお読みになっていない方は参考に一読されることをお勧めします。
でも、こういう理論(仮説)は、現在の科学的手法では、反復可能な実験で立証されるというようなことは永遠にできないのかも知れないと思われますが、真理は、誰にでも宿っていますから、魂で納得できる真理というものがあると、私は思っています。
それが、『生命の實相』には書かれているのだと思います。もっともっと、それを学び、実践して、魂を高め、自他の、すべての人類の、幸福を増進、増大させて行きたいと思います。
web 誌友会はそのための貴重な場です。
トキ様、ありがとうございます。
ご参加くださいました皆々さま、本当にありがとうございました。
今後ともいっそう研鑽に励んでまいりましょう。
皆々さまの魂の向上と幸福増大をお祈りいたします。
ありがとうございました。
合掌
1441
:
トキ
:2012/10/16(火) 20:05:33 ID:8TAkEh76
復興G様
すばらしい御文章を紹介して下さり、深く感謝申し上げます。
榎本先生は偉大な先達ですが、公刊された著書が少ないので、信徒の中には、知らない人もいます。
こういう形で紹介されたら、きっと多くの方々に良い影響を与えるでしょう。
生長の家信徒にとっても、有益で、望ましい事だと確信しています。ご多忙の中、
ご文章を紹介して下さり、深く感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1442
:
復興G
:2012/10/17(水) 11:22:53 ID:vWpLkCzM
>>1441
:トキ様
ありがとうございます。
なお、SAKURAさまが、「四無量心」、「四無量心を行ずる神想観」 のことに言及されていました。
それについて思うことを書かせていただきます。
私は、「四無量心を行ずる神想観」は、谷口雅春先生がお教え下さったもので十分であり、何も付け加える必要のないものだと思っております。それで谷口雅宣総裁が新バージョンというのを発表されたということは記憶にあり、それがどこへ行ったか、探してもなかなか出てまいりませんでしたが、やっと見つかりました。それは、総裁の2010年新年のご挨拶にありました。以下の通りです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(総裁の2010年新年のご挨拶より)
≪ご存じのとおり、生長の家には「四無量心を行ずる神想観」というのがあります。これの“新バージョン”を作りましたので、ここにご紹介いたします。
(神想観の最初の基本部分に続いて、次のように唱えます)
「わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体にして、虚空に広がり宇宙に満ち、一切の衆生をみそなわして、その苦しみを除き、悩みを和らげ、楽を与え、喜びを与えんと欲するのである。
わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体にして、さらに虚空に広がり宇宙に満ち、地球のすべての生命(せいめい)と鉱物の一切を見そなわして、その苦しみを除き、楽を与え、多様性を護り、喜びを与えんと欲するのである」
(この2つの言葉を繰り返して念じた後で、次のごとく念じます)
「一切衆生の苦しみは除かれ、悩みは和らげられ楽は与えられ、喜びは与えられたのである。ありがとうございます。ありがとうございます。
すでに、地球のすべての生命(せいめい)の苦しみは除かれ、楽は与えられ、多様性は護られ、喜びは与えられたのである。ありがとうございます。ありがとうございます」≫
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この“新バージョン”を行じていると、気分が悪くなることがあるのはなぜでしょうか。
それは、人間は自然を破壊し、自然に苦しみを与え多様性を減らしてきた悪者である、と人類を責めている潜在意識があって書かれているからではないでしょうか。
SAKURAさまは、
>>1433
で
>>さて!【雅宣先生…】の説かれています『四無量心…』この事も、“愛の形”を説かれています。…が?但し……4段階??でしたかと??同じ事を、おっしゃつています。【慈・悲・喜・捨】…行じる事が「生長の家」の信者としての使命…なのです。と明記されました。??まだまだ【本当の人間??】私自身“人間失格”部分がありますでしょうか??そして、もう一つ「今の時代…次世代に…この“素敵な〜青い〜地球”残す為にも」…自然に対しても…考えなくてはいけないのでは〜〜〜その様に思います。…が??■【人生というの素晴らしい旅…】を旅していくには…そうです〜〜ョネ!より良いモノにするには?改めて…【〜愛〜】しかも■■【神の愛…惟神(かんながら)の愛…】…この事が…次なるステップに繋がるのでしょうか?<<
と書かれていました。
“??”などの記号が多くて、意味がはっきりわからないところが多々ありますが、なんとなくお気持ちは伝わります。
で、それについて思うところを次に書かせていただきます。
(つづく)
1443
:
復興G
:2012/10/17(水) 11:23:30 ID:vWpLkCzM
(つづき)
私は今、ある合唱団でコーラスをしています。その練習・発表曲目の一つに、「山のいぶき」(松前幸子作詞・川崎祥悦作曲)というのがあります。その歌詞をご紹介します。
○
山すそを洗う せせらぎに
耳をすませば しみじみと
山のいぶきが 山のいぶきが 思われる
(上の3行、くりかえす)
明る過ぎる夏の陽射(ひざ)しに
木々の青さが光り
小鳥の歌と そよ風を
呼んでいるのか 呼んでいるのか
山よ 山よ 山よ
流れ行く雲を しぶき行く水を
懐(ふところ)に抱いて
微笑(ほほえ)む山
喜びが 喜びが
峰(みね)をつたって 峰をつたって
こだまする
それは山の 山のいぶき
それは山の 山のいのち
(上の2行、くりかえす)
○
――とても言い詞だと思われませんか。
地球は生命体であり、山も生きている。
お釈迦様が「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」とおっしゃった、お悟りの喜びの心境は、こういう思いだったのではないかと、私は感動しながら歌っています。曲もすばらしいです。YouTube にアップされているのもありますが、私たちの合唱の方が、もっと感動をこめて美しく歌っているのではないかと思っています。
(YouTube の一例↓)
http://www.youtube.com/watch?v=AFCKVlWcTRU&feature=related
雅宣総裁が「四無量心を行ずる神想観」の“新バージョン”や「大自然讃歌」をつくられたお気持ちのそこにも、この「山のいぶき」の歌のように、自然の中に神のいのち、喜びのいのちを拝み、ともに手を取り合ってよろこびたいというお気持ちがあるのではないでしょうか。――私は、そう思います。
この「山のいぶき」という歌も、「大自然讃歌」という題がつけられてもよいような歌だなあ――と思いながら……。
1444
:
復興G
:2012/10/17(水) 11:44:34 ID:vWpLkCzM
上記、
<この「山のいぶき」という歌も、「大自然讃歌」という題がつけられてもよいような……>
というところは、むしろ
<この「山のいぶき」という歌こそ、「大自然讃歌」という題がふさわしいような……>
と言った方がよいでしょうか。
1445
:
SAKURA
:2012/10/17(水) 22:14:13 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
先日から【WEB 誌友会】に、於きまして私自身が、“感想”を、投稿させ頂きました処…
お忙しい中【復興G様…】からの“お返事”…そして私自身知らなかった“情報…”教えて頂き
感謝の気持ちで…今!下記の御文章を、拝読させて頂きながら、後日、投稿をさせて頂きたく思
いました。
此処昨今…“電波妨害?”…詳しくは申せませんが >< まだ!“混戦模様…”にて?
■
>>1436
>>1437
>>1438
>>1439
>>1440
>>1442
>>1443
>>1444
…【復興G様…の投稿の御文章】
非常に興味深く…“考える世界”を抱きました。
そして、今まで以上に?個人的なのですが【宗教と科学…】此処から更に【現象世界……
実在世界…】素晴らしい御文章から?色々考えさせられている次第です…。
大変申し訳ありませんが…【時間を……】いた抱きたく思います。
再合掌
PS: 【復興G様…】
少しずつ…投稿させて頂きますので、宜しくお願い申し上げます。
1446
:
「訊け」管理人
:2012/10/18(木) 06:42:35 ID:???
>>復興Gさま
懐かしさのあまり、返信文を投稿致します。貴殿ご紹介曲『山のいぶき』ですが、懐かしい歌でありました。これは中学の頃、合唱の自由曲でした。(なお課題曲は『大地讃頌』でありました。この曲も素晴らしいので後段に掲載致します。)
動画を視聴し当時の先生の話などを、思い出しましたね。
この『山のいぶき』は先生曰く、「変声期を迎えた男んし(衆)のための歌」とか(笑)まあ、どういう意味かと云いますとあの、男声単独パートがあるのですが(「山〜すそ〜をあ〜らう」♪)ここは、変声期を迎えた男子生徒が、自分の「大人になった声を確認するところ」だとか。先生はこう云っておられましたね。「お前達、(ここを歌うと)『俺も大人になったなあ』チ、思わんか?だはははは(笑)」という感じで。そしてたしかにそう、思ったなあ、あの時。「おお俺の声、大人になっちょる」てな風でしたね。いや、懐かしい話です。
余談ですがこの先生は、バリバリの左翼(日教組)でしたけど、おもしろい方でした。沖縄戦を体験されて授業は、常に沖縄戦の話です。でも左翼は左翼でも、ミギの人が言うほど酷くはなかったですね。先生曰く「ふるさとにッ!米軍が来たんだよ・・・・普通、戦うだろう。だから我々中学生も、兵隊さんの助けをしたんだよ」「だけど戦争はしちゃ、ならん。ぜったいならん」「村一番の秀才が、流れ弾に当ってあっさり死んだよ。生き残ったのは、ボクのようなボンクラばかりでな」「申し訳、ないな」という風な。
・・・・話を戻します。ちなみに我がクラスはあの時、市のコンクールに出場しましたね。課題曲『大地讃頌』自由曲『山のいぶき』は、懐かしい歌です。先生のことも思い出しました。感謝します。(またまたちなみにその後、合唱部からスカウトが来た私でした。野球強豪高からはスカウト、来ませんでしたけどねw)
<註>
※ 課題曲:『大地讃頌』
http://www.youtube.com/watch?v=dUiqrLE-aHY&feature=related
<歌詞>
母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある
大地を愛せよ 大地に生きる
人の子ら 人の子その立つ土に感謝せよ
(人の子ら 人の子ら 土に 感謝せよ)
平和な大地を 静かな大地を
大地を誉めよ 頌(たた)えよ 土を
恩寵の豊かな 豊かな 大地 大地 大地
(我ら人の子の 我ら人の子の 大地を誉めよ)
頌えよ 頌えよ 土を
(誉めよ 頌えよ)
母なる大地を 母なる大地を
頌えよ 誉めよ 頌えよ 土を
母なる大地を ああ 頌えよ大地を ああ
1447
:
復興G
:2012/10/18(木) 09:31:19 ID:vWpLkCzM
>>1445
:SAKURAさま。
>>【復興G様…の投稿の御文章】 非常に興味深く…“考える世界”を抱きました。そして、今まで以上に?個人的なのですが【宗教と科学…】此処から更に【現象世界……実在世界…】素晴らしい御文章から?色々考えさせられている次第です…。
少しずつ…投稿させて頂きますので、宜しくお願い申し上げます。<<
レスをありがとうございます。
どうぞ、ゆっくりと、お願いします。ご投稿をたのしみにお待ちしています。
>>1446
:「訊け」管理人殿。
返信文、ありがとうございます。
貴殿も『山のいぶき』を中学のときに歌われましたか。それはよかった。
>>なお課題曲は『大地讃頌』でありました<<
この曲も、また素晴らしいですね。そして、YouTube にアップされているのは、会場の参加者(聴衆も)全員で一緒に歌っているところが、なおすばらしいと思いました。合唱は、そうあるのが最高ですね。
1448
:
復興G
:2012/10/19(金) 10:52:48 ID:vWpLkCzM
「山のいぶき」の歌に関連して、浮かんできた『真理の吟唱』の一節――それは、「天国の荘厳を実現する祈り」の後半のところです。
○
「天国の荘厳を実現する祈り」より
≪・・・・・まことに心が一転して“真実存在の世界”に振り向くとき、一切の悪しきもの、暗きもの、醜きもの、汚れたるものなどは消え去り、見渡すかぎり、善きもの、明るきもの、美しきもの、清きもののみが、わが身辺および環境にあらわれるのである。
見よ、われらの環境の美しきかな。すべての存在は生命が脈動して光を放ち、輝いて見え、どこにも死物の如き物質は存在しないのである。まことにこの世界の一切のものは、釈尊が菩提樹下において覚(さと)りたまいし時の如く、山川草木国土(さんせんそうもくこくど)ことごとく、神の実現、仏の現成(げんじょう)たる世界なのである。山も歌い、川も歌い、草も木も、国土も、すベて “神の生命の讃歌” をうたう。山は川を讃えて聳(そび)え、川は山を褒めて潺湲(せんかん)として流れる。樹草(じゅそう)ことごとく美しき華をひらき、豊かなる五彩の果実たわわに結ぶ。天人天鼓を撃ち、美しき伎楽を為し、天女山腹に舞い遊びて、五彩の花吹雪降る。今、心眼われにひらきて、この美しき実相を見る。眼なきものこれを見ること能わず、眼ありとも、心の眼ひらかざるものこれを見ること能わず、されど我れは今心の眼ひらきて、この世界の実相の荘厳を見る。ああ感謝すべきかな神、ああ讃美すべきかな神。われら大神の御前に、脆(ひざまず)き、頓首し再拝し奉る。≫
○
ありがとうございます。
これぞ「生命の讃歌」であり、「大自然讃歌」であると思います。いかがでしょうか。
合掌
1449
:
トキ
:2012/10/19(金) 16:23:45 ID:SKfERkP6
>>1448
本当におっしゃる通りですね。きっと、本部や教化部では、これから
「天国の荘厳を実現する祈り」を毎日、よみなさい、という指導になるかもしれませんね。
すばらしいご祈りを紹介して下さり、ありがとうございます。
1450
:
<削除>
:<削除>
<削除>
1451
:
<削除>
:<削除>
<削除>
1452
:
復興G
:2012/11/03(土) 10:04:34 ID:vWpLkCzM
合掌 ありがとうございます。
11月に入り、今日は文化の日。明治天皇の御誕生日で、戦前は「明治節」と言いました。
「明治節」の歌の歌詞を掲げましょう。
明 治 節
一、アジヤの東 日いづるところ
ひじりの君の 現れまして
古き天地(あめつち) とざせる霧を
大御光(おおみひかり)に 隈(くま)なくはらひ
教へあまねく 道明らけく
治めたまへる 御代(みよ)たふと
二、恵の波は 八洲(やしま)にあまり
御稜威(みいつ)の風は 海原(うなばら)越えて
神の依させる 御業をひろめ
民の榮ゆく 力をのばし
外(と)つ國々の ふみにも著く
留めたまへる 御名(みな)かしこ
三、秋の空すみ 菊の香たかき
今日のよき日を 皆ことほぎて
定めましける 御憲(みのり)を崇め
諭しましける 詔勅(みこと)を守り
代々木の森の 代々とこしへに
仰ぎまつらん おほみかど
さて、今月のweb誌友会の予告がまだなされていませんでしたので、させて頂きます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
<第8回WEB誌友会予告>
≪日時≫11月9日(第2金曜日)21:30より
11月11日(第2日曜日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」 はしがき p.1〜2、本文 p.1〜p.50
≪内容≫ 第1章 「生長の家」の超薬物学
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
さて、おの第2巻の「はしがき」には、次のように書かれています。<つづく>
1453
:
復興G
:2012/11/03(土) 10:06:36 ID:vWpLkCzM
≪『生命の實相』 頭注版 第2巻≫
はしがき
本巻に収められた實相篇の「生長の家の超薬物学」は、『生命の實相』全集全巻を通じての枢軸部をなす部分であり、その一部分が六十四ぺージずつ二冊のパンフレット『いのちのゆには』および『こころ我を生かす』と題して発刊せられたとき、その読者のうちに無数の奇蹟的治癒が起こり、著者みずから驚異の念をみはった部分である。たとえば、当時子爵で宮中の舞楽の係をしておられた秋田重季氏の笛の友達である京都の谷口隆之助氏が直腸癌で悩んでおられたとき、たまたま『いのちのゆには』のパンフレット一冊を得て、一夜に二回読み終ると、翌朝にはすでに忽然、直腸癌の症候が消滅した。それを谷口隆之助氏から秋田氏が直接きいてさっそく生長の家の誌友となり、『生命の實相』の愛読者となったごとき、また岩手県大更村の工藤てつ氏は、胃癌のため盛岡病院で治癒の見込みなしとの宣告を受けて呻吟中、たまたま本章の一部が雑誌『生長の家』に掲載され、その見本誌の無代進呈を一燈園の『光』誌にて知り、請うて見本誌二冊を繰り返し読むうち、忽然として、「人間・本来病無し」の自覚に入り、さしもの胃癌も全治して、以後最近まで二十五年間あまり健康に生活せるなど、驚くべき奇績が続出したのである。
ここにわれらは世人から「本を読んで病気が治る」ところの治病宗教というあまりありがたくない迷信的な名称を賦与されたのであるが、そのよってきたる理由はどこにあるであろうか。それははたして迷信であろうか。決してそれは迷信ではないのである。ここに仏教の生きた神髄があり、キリスト教の生きた神髄があるのである。読む人必ず手を拍いて"仏典かく解すべきか、聖書かく解すべきか快哉、快哉"と叫ぶであろう。読者はみずからこれを読んで冷暖を自知せらるべきである。
とくに本巻掲載の部分は繰り返し繰り返し、寸暇を見てでも常にいくべージでも読まれることにせられるならば、自覚の深化に役立って単に健康のみならず、あらゆる人生問題に処して、立処皆真なる生活を営むことをうるにいたるのであるから、まことに『生命の實相』全巻中の最も有意義な部分である。
昭和三十七年五月二十日
著 者 識 す
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――≪『生命の實相』全巻中の最も有意義な部分≫と言われているこの第2巻を、皆さまと共に、最初からしっかりと学び直してまいりましょう。
<第8回WEB誌友会予告>
≪日時≫11月9日(第2金曜日)21:30より
11月11日(第2日曜日)23:30まで
よろしくお願い申し上げます。
再合掌
1454
:
志恩
:2012/11/03(土) 10:49:29 ID:.QY5jUA6
復興G様
明治節のご紹介と、今月のWEB誌友会のお知らせを、ありがとうございます。
ご指導して頂ける
復興G様のような大先輩がいらして、とても有り難く存じております。
また、よろしくお願い申し上げます。
>>≪『生命の實相』全巻中の最も有意義な部分≫と言われているこの第2巻を、
皆さまと共に、最初からしっかりと学び直してまいりましょう。
<第8回WEB誌友会予告>
≪日時≫11月9日(第2金曜日)21:30より
11月11日(第2日曜日)23:30まで<<
1455
:
如月
:2012/11/04(日) 11:59:58 ID:ki/haAjk
>>1452
復興Gさま
ご無沙汰しており申し訳ございません。
明治節は単語で知っているだけで、歌詞は今回が初めてです。
どの程度、浸透していたものなのか何も知りませんが、親からは聞いた事がありません。
ありがとうございます。
誌友会のお知らせを頂きましてありがとうございます。
楽しくお勉強できることを楽しみにしています。
『全巻を通じての枢軸部をなす部分』との事ですね。緊張します。
ご指導よろしくお願い申し上げます。
1456
:
役行者
:2012/11/04(日) 15:03:30 ID:rS9o6pAY
私のスケジュール表に参加予定と記しておきます。
1457
:
志恩
:2012/11/04(日) 15:14:05 ID:.QY5jUA6
役行者様がご参加下されば、千人力です。
ありがとうございます。
1458
:
トキ
:2012/11/04(日) 22:41:06 ID:41hrgdiQ
復興Gさま
今回もご多忙の中、ご指導下さる事、深く感謝申し上げます。
こういう時期だからこそ、落ち着いて勉強をしたいです。
宜しくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
1459
:
a hope
:2012/11/05(月) 07:26:45 ID:8tjYhMb6
みなさま おはようございます。
少し反省することがあり、聖典謹写以外は自主謹慎中の a hopeですが、
web誌友会という貴重な学びの機会は逃すわけにはいきません。
今回も、自分のペースで参加させていただきたいと思っています。
みなさま、どうぞ、よろしくお願い致します。
感謝 合掌
1460
:
志恩
:2012/11/05(月) 07:51:07 ID:.QY5jUA6
a hope様
毎回、WEB誌友会の細々なことを行き届いてお世話して下さって、感謝しています。
また、頼りにさせて頂きます。よろしく。
1461
:
志恩
:2012/11/05(月) 09:35:03 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様、役行者様、皆様、
WEB誌友会のときでも、構いませんけれど
初心者様が、投げかけて下さった次のことについて、皆様のお考えを、教えて頂きたいと思います。
(エクリチュールとは、書き物という意味です。)
同じ生長の家の信徒でも、こうも教えの受け取り方が違うのは、以下の初心者様が
いわれることが、1つの原因なのでしょうか?
初心者さまのコトバ
>>エクリチュールとして残されたものは、それが何千年いぜんのものであったとして
も、文字が解読されさえすれば、その内容は、それが書かれた当時の人類とは
まったく異なる常識や価値観を持つ現代人にとっても理解可能なものとなるで
すよ。エクリチュールは理解されてしまう。これがその末路です。<<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
840 :初心者:2012/11/04(日) 15:15:35 ID:qBrfhCPc
>>831
「開祖離れ」が問題になっているのでしょうか?もしそうだとすれば、これは
必然の流れと考えます。なぜなら、それがエクリチュール、つまりは書き言葉の
宿命であるからです。
釈迦、キリスト、ソクラテス。真に偉大とされる人物は「書く」という行為をおこなっ
ていないはずですね。エクリチュールの末路がどんなものであるのか、それを知っ
ていたということでしょう(ここかしこの掲示板での「貼りつけ」がエクリチュール
の末路を如実に物語っているではありませんか。書き手不在の状況で、しかも一部
をぬきだすことで、それぞれの読み手の事情におうじた理解のされ方がなされて
いるではありませんか)。
エクリチュールとして残されたものは、それが何千年いぜんのものであったとして
も、文字が解読されさえすれば、その内容は、それが書かれた当時の人類とは
まったく異なる常識や価値観を持つ現代人にとっても理解可能なものとなるで
すよ。エクリチュールは理解されてしまう。これがその末路です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
840:の初心者様の難解な言葉を、役行者様が、平易な言葉で解釈して下さいましたのが、以下の843:です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
843 :役行者:2012/11/04(日) 15:50:49 ID:rS9o6pAY
初心者さまの言葉はいつになく難しいので、解説させていただきます。
つまり、聖者、教祖といわれる先達の方々が、いつの時代に、どの場所で、どのような背景(場面)で語られたのか??
その語られた言葉は、時代が変遷し、場所が変わると、その「言葉」だけ暴走しやすくなる、ということだと思います。
その言葉の深い意味とは、かけ離れてしまう可能性を秘めていると云うことでしょう。
簡単に実例を述べますと、イエス様の言葉が、「魔女狩りをしても良い」と解釈できる言葉に暴走してしまうと云うことです。
あまりにも極端な事例ですがこういうことです。
ただ一言申し上げたいのは、現教団にもこのようなことは起こりうるということです。
たぶん、このような解釈でおおよそ間違いないと思うのですが...
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
856 :アクエリアン:2012/11/04(日) 20:21:40 ID:58IsEi0I
>>851
真に偉大な人物は、このことを知るが ゆえに書くことをしてこなかったとい え そうです。
偉大な人物にしてそうであ るのなら、凡人はなおさらですね。<
聖徳太子
弘法大師空海
親鸞聖人
日蓮聖人
道元禅師
日本の偉大な宗教者は、皆さま、書かれていますが。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1462
:
志恩
:2012/11/05(月) 11:16:09 ID:.QY5jUA6
《ソクラテス》(紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)は、
古代ギリシアの哲学者。妻は、悪妻として知られる。
ソクラテス自身は著述を行っていないので、
その思想は弟子の哲学者プラトンやクセノポン、アリストテレスなどの著作を通じ知られる。
著作をおこなわなかった理由 は、いくつもあるようですが、
その1つに、
ソクラテスは、過剰な知識が必然的にもたらす結果、表面的な理解しかできないことを恐れていた。
と…。
ソクラテスは自説を著作として残さなかったため、
今日ではその生涯・思想共に他の著作家の作品を通してうかがい知ることができるのみである。
これは「ソクラテス問題」として知られる一連の問題を発生させている。
1463
:
志恩
:2012/11/05(月) 11:25:33 ID:.QY5jUA6
「聖書」は誰が書いたものでしょうか。(ネット情報より)
聖書は神の言葉です。
文明意識は、この神の言葉を、ばらばらにしてしまったのです。
その結果、専門学ができているのです。ここに地球全体の大きい流れがあるのです。
聖書は、旧約聖書と新約聖書に分かれており、
旧約聖書は、モーセ、ダビデ、ソロモン、数人の大預言者、小預言者達が書いたものです。
新約聖書は、イエスの弟子達が書いた四福音書と、パウロの伝道記録、書簡集、ヨハネの黙示録等が集められたものです。
誰が聖書を書いたかを考えることもいいのですが、それも人間の常識的な探求になりますから、
なるべく常識を棚上げにした方がよいと思います。
1464
:
志恩
:2012/11/05(月) 11:32:09 ID:.QY5jUA6
釈尊の教えのエッセンスをまとめたものが
「般若心経」ですが、誰が書いたかは分からないようです。
これは結論的に言いますと、人間の常識で書いたものではないのです。
般若心経を常識で書いたものなら、遠離一切顛倒夢想とは言いません、
人間の常識に合うようなもっともらしい説明をするにきまっているのです。
般若心経は五蘊皆空とはっきり言っているのです。
不生不滅不垢不浄といっているのでありまして、人間は生れていない、
従って死ぬこともないといっているのです。
これは常識以前の問題です。
1465
:
志恩
:2012/11/05(月) 13:10:10 ID:.QY5jUA6
上記のように、哲学者や聖者たちは、、
ご本人は著述されなくとも、弟子たちが、聖者や哲学者の説法や講話などから、
それぞれの哲学者や聖者の
《思想》というものを、後生に伝える為に、著書や聖書や仏典などに
ご本人の代理で、著述されてきました。
それは、雅春先生のご講話を文字にして、代理の人が、書き表したことと、
同じでは、ないでしょうか。
つまり、その人の《思想》をそのまま、伝えていたわけです。
ですから、弟子とか、その教えを継承する人物は、
もともとの教えを遺すべきと思います。
ご自分が救済や、霊的能力がないからと言って,その部分は,スルーして伝えず
得意の《環境問題》に都合のいい様に、ご自分なりに解釈されて、後生に
伝えるというやり方は、誤ったやり方だと思います。
別板で,初心者様は《仏》とは、人ではないという意味で、「自然」だということだと
言われました。仏とは、仏陀のことで、自然のことでは、ありません。
すべて、自然なのだとして、結びつけるのは、教えを曲げて,後生に伝えることであり、
とんでもないことだと私は思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
726 :初心者:2012/10/11(木) 20:08:49 ID:qBrfhCPc
アクエリアン様
(略)
これは事実なのでしょうか、そうではないのでしょうか。もしこれが事実であると
すれば、霊的能力はもちろんのこと、おそらくは救済者としての能力がないという
こともご自分で認めておられるのではないかという気がいたします。こうした意味
では十分に謙虚であられるとおもいますが、アクエリアン様のお考えはいかがでしょう。
総裁は宗教家としても救済者としてもその能力はないと自覚しておられるような
気もいたします。だからこそ環境運動に活路を見いだそうとしておられるのでは
ないかとも想像いたします。
1466
:
志恩
:2012/11/05(月) 13:18:14 ID:.QY5jUA6
ここの多くの皆様の発言によりますと、総裁一人の責任でないということですので、
すべての人の責任という訳で,これも,今後の課題ですね。
1467
:
役行者
:2012/11/05(月) 13:59:36 ID:WYRhV0Zo
合掌
聖者や教祖の方々にとって後世、自分の書いた文章の部分的「言葉」が、暴走して使われたとすると、それはそれは忍びないでしょう。
ただこれは、歴史の必然性かもしれません。
深い奥行きのある「言葉」が浅薄な「言葉」に塗り替えられ、形骸化しその「言葉」のみが暴走することだけは避けたいと思うのです。たぶん、現総裁はそのことを皆に理会していただきたいのではないか、と思っております。
ですから、雅春先生の「言葉」も使い方によっては暴走するので、現総裁はブレーキをかけているのではないかと思うのです。
ですから、ブレーキを思いっきり踏みながら、アクセルを踏んでいる状態が現教団だと思うのです。
しかもブレーキの方が強いのです(笑)
書き物も浅薄な読み方をすれば、如何なる場合でも暴走するのです。それは現総裁の文章においてもしかりです。
ならば、読み手に問題があると思うのです。
情緒豊かな、意味深い、読み方の出来る人間を育成することだと思います。
たぶん、現総裁はそれはやって来た..と仰るとおもいます。
ただ、やり方に問題があったと思うのです。
どのようにして、情緒豊かな人間力のある方々を育成してゆくか!
この課題も話し合ってゆければと思います。
つまり、般若心経や聖書の深淵な内容を如何に理解してゆくか、その姿勢、そちらの方が問われてしかるべきだと思います。
1468
:
志恩
:2012/11/05(月) 16:47:26 ID:.QY5jUA6
役行者様
>> 前略
つまり、般若心経や聖書の深淵な内容を如何に理解してゆくか、
その姿勢、そちらの方が問われてしかるべきだと思います。<<
般若心経や聖書の深遠な内容を如何に理解するかということと、「生命の實相」を、そして、現総裁の思想を、いかに理解するかということは、
同じ事のようなことであるとおっしゃってるように,聞こえますが
過去から現代に至る迄、、般若心経をテキストにして学ばない仏教会はないし、聖書をテキストにしないキリスト教教会も
世の中には存在していません。
しかるに、生長の家では、もともとの聖典である「生命の實相」をテキストに勉強しては、いけないというおふれを、教団が全組織に出しており、
誌友会に出講した講師が雅春先生の教えをおおっぴらにすると、出講停止処分にされてるというオゾマシイニュースも聞いています。
また、聖経「甘露の法雨」が、教団から発売出来なくなる(光明思想社からは発売される)というこの時期に、
よりにもよって、雅宣総裁は、ご自分でお経をこしらえて、全組織を通じて発売され、すでに全教化部に配置され、練成会では、
プログラムにいれられ、使用されています。
《瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず》という
役行者様もご存知の、漢の時代の有名な言葉がありますよね。
君子は、嫌疑を受けるような状況に自分の身を於いてはならない。
瓜畑で履をはきなおしたりすれば瓜盗人と思われてもしかたがない、
たわわに実ったスモモの木の下で冠を直せば李盗人と思われても仕方がない。 という。
つまり、
「人から疑いをかけられるような行為は慎むべし」という君子たるもの処世訓を述べているのですが、
虞氏は
「磨けば玉となる名石は、たとえ泥にまみれて汚れたといえども卑しめられず、
また柳下恵というお方は、冬の夜に凍えた女を寝床にいれてその体を温めてやったからといって、
男女の道を乱したと他人に非難されることはこれっぽっちもなかったと聞き及んでおります。
これは日頃から行いを慎んでいたればこそ、人に疑われずにすんだのでございます。」とも言っています。
やはり、このようにブーイングの声が高まってしまったのは、
いままで、総裁が、されてきたこと考えれば、
嫌疑を受けるにあまりある前歴がありますので、雅宣総裁の不徳の極み、身から出た錆でもあると推察できます。
役行者様は、もともとの生長の家の教えのままでは、今の時代では通用しないと
総裁先生と,同様なお考えをお持ちでおられるように感じます。
しかし、だからといって、「今の教え」では、この時代に発展する可能性も低いということも見抜いておられていて、
今は、思案中のようにお見受けします。
1469
:
SAKURA
:2012/11/05(月) 20:00:47 ID:jH5uEFzM
復興G 様 ヘ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>1447の「復興G様」 の前会の【WEB誌友会】の内容からの私自身の“捉え方”を…
投稿させて頂きたいと思っております次第です。まことに、御無沙汰致しております私です。…が?
(気〜〜〜長くお時間頂きまして…申し訳御座いません。)
個人的に、今回は「他の投稿内容にて…ヤカン頭?」になっておりまして…【理性…?】
つまりは【脳回路…】が?一方通行でしたので、只今から「冷却…?」にて…
少しずつではありますが…【前回の誌友会】での感じました事を“投稿”させて頂きます。(冷汗)
■【復興G様…真理の勉強会】…本当に【魂の向上】の勉強をさせて頂きます上で、
この様な機会を頂きます事は、心から“感謝”の気持ちで…いっぱいなのです。
そして、今回の【 WEB誌友会…11月9日よりの開催 】楽しみに〜♫〜させて頂きます…。
何卒、若輩モノですが、御指導の程…宜しくお願い申し上げます。
( つづく)
PS:復興G 様 ヘ
「朝夕…」の気温の差が、厳しい昨今ですので…くれぐれも“風邪”を引かれませんように、
お忙しい様で、体調には気を付けられます事を、心からお祈り申し上げます…。
■そして『明治節…』
一、アジヤの東 日いづるところ ひじりの君の 現れまして
古き天地(あめつち) とざせる霧を 大御光(おおみひかり)に 隈(くま)なくはらひ
教へあまねく 道明らけく 治めたまへる 御代(みよ)たふと
…云々…
❤〜この頃の“日本語…言葉の美しさ?響きの良さ?“でしょうかと、改めて思いました。
再合掌
1470
:
ハマナス
:2012/11/05(月) 21:08:05 ID:x2zmnlqw
復興G様、SAKURA様
ありがとうございます。
11月3日は、明治天皇陛下のご誕生160年でした。
「光明道中記」に雅春先生がお書きになられていましたので、ご紹介致します。
十一月三日 明治節、清明心の日
至上の愛は神と偕なるときおのずから出来る愛だ。
さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり
明治天皇のこの御製を拝誦し奉る毎に朝日の如き無我の心境が思われるのである。
何故朝日はあんなにさわやかなのだろうか。それは新たに生れるからである。
手垢がついていないからである。こんなにも清明(さわやか)な姿を顕わさしめる
のである。太陽には我はない。そのままである。従順である。さしのぼる時がきた
とき差しのぼり、沈むべきときには沈んで悲しむと云うことがない。落日を悲しいと
見る者は見る人の心の反影に過ぎない。烈々と照っても功に誇らず、常に跡をのこす
ことを求めず、来って驕らず、去って悲しむと云うことがないのである。而も一切衆生
として、一物として、その恩恵を受けないものはない。まことに広大無辺なる姿である。
吾々のいのちは太陽より来る。吾等太陽の如く生きんかな。吾等は太陽の子だ。清明心
の子だ。どんな時にも光のみを見るのが日本人である。
よろこべ、勇み、楽しみ、潔く前進せよ。
感謝合掌
1471
:
役行者
:2012/11/06(火) 07:17:07 ID:WYRhV0Zo
志恩さま
ことわざが出てくるとはアッパレ!
説得力があります。
また、問題を提起したのに、今の自分の思考を洞察してくださるとはこれまたアッパレでございます。
さて、
>>役行者様は、もともとの生長の家の教えのままでは、今の時代では通用しないと
総裁先生と,同様なお考えをお持ちでおられるように感じます。
しかし、だからといって、「今の教え」では、この時代に発展する可能性も低いということも見抜いておられていて、
今は、思案中のようにお見受けします。<<
「もともとの生長の家の教え」と「今の教え」と二つの道をお示しくださりありがとうございます。
ところで、私が述べたいことはきっと、「仏典」「聖書」「生命の実相」を如何様に解釈するか!我々の力量に大いに関わってくるのではないか!と云うことではないかと想います。
浅薄な解釈をすると、たとえば「魔女狩りして良い」となります、深遠な解釈をすると「内なる光と共に歩む」事になります。
いずれにしても、聖典、聖書に問題があるのでなく、解釈する我々に問題があるのではないか!と問題を提起したつもりなのでしょう。
聖典、聖書の解釈をどのような心構えで、また姿勢で取り組めば奥行きのある、情緒性溢れる解釈をできるのか、を問うていると想われます。
「もともとの教え」と「今の教え」と云うように、二つの道を示すのも一つの方法なのですが、その「教え」の内容に対して、深遠なる解釈をする信仰姿勢を問題にするのも一つのやり方かなあ、と想った次第です。
書き物を記しても、解釈をするのは人間なのですから、その解釈する人間側の力量を高めるにはどうすれば良いか、を話し合えればと思ったのでしょう。
合掌
1472
:
志恩
:2012/11/06(火) 07:35:32 ID:.QY5jUA6
役行者様
役行者様は、「魔女」を「雅宣総裁」に置き換えて,考えてみて下さい。
と、おっしゃりたいのだと存じます。
書いて下さいましたように、
それよりか、「内なる光と共に歩む」事に、心の重点を置いて!!
>>心を生長させるのは、
いずれにしても、聖典、聖書に問題があるのでなく、
解釈する我々に問題があるのではないか!と問題を提起して下さったのだと思います。
聖典、聖書の解釈をどのような心構えで、また姿勢で取り組めば奥行きのある、
情緒性溢れる解釈をできるのか、を問うていると想われます。
「もともとの教え」と「今の教え」と云うように、二つの道を示すのも一つの方法なのですが、
その「教え」の内容に対して、深遠なる解釈をする信仰姿勢を問題にするのも一つのやり方かなあ、と想った次第です。>>
WEB誌友会に相応しい問題の提起をして下さって、ありがとうございます。
このことにつきましては、復興G様、トキ様も、おっしゃりたいことだと存じます。学ばせて頂きます。
1473
:
役行者
:2012/11/06(火) 07:57:06 ID:WYRhV0Zo
私の思考を凌駕した深読みにはまたまた、アッパレでございます。
そうですね、みんなで話し合えたらうれしいです。
1474
:
志恩
:2012/11/06(火) 10:27:43 ID:.QY5jUA6
掲示板の皆様
私は、このような大転換期にあたり、「生命の實相」を心を込めて精読し直しておりますが、
私の場合は、聖典を読めば読む程、
雅宣さんは、「魔もの」に思えます。
しかし、教団側の多くの皆様や,雅宣さん側に立たれる方々から見れば、
本流派が「魔もの」に,見えるのかも知れません。
聖典の解釈の心構えを変えるということは、遠回しにいえば、
生長の家の現状を、そのまま受け入れて、見守っていて下さい。
雅宣さんを批判せず、実相を祝福していてくださいと、いうふうにも聞こえます。
勿論,私は朝夕の神想観のおりには、雅宣さんの光り輝く実相を祈っておりますし、
私は、個人の雅宣さんご自身のことは、全然憎んだこともありません。
私は,時々、森のオフィスの落慶式の動画も観ています。
そして、早送りして,雅宣さんのスピーチの場面から、よく
拝見しており、おやつれになったなあと,幼い頃の彼の無邪気な笑顔を思い出して、
しみじみ物思いにふけったりしているくらいです。
しかし、私は「雅春先生の教えを捨てられない」人間なんです。
そういう意味ではないと、お叱りを受けると思いますが、
《魔女狩りの魔女が,雅宣さんに当てはまる》というでしたら、遠回しに、そういうことになります。
従いまして、
今回も、私は、なるべく発言は控えて、うのはな様とご一緒に観覧席のほうで、
学ばさせて頂くことを多くしたいと存じております。
(発言をしないという意味ではありません。学ぶ方を多くしたいという意味です)
皆様、お返事はいりません。よろしくお願いします。
1475
:
アクエリアン
:2012/11/06(火) 12:18:26 ID:d2o7qaZs
役行者様
>ところで、私が述べたいことはきっ と、「仏典」「聖書」「生命の実相」 を如何様に解釈するか!我々の力量に 大いに関わってくるのではないか!と 云うことではないかと想います。<
同感です。
その前提として、生長の家の教えの全体を学ぶことができるような環境を整えていくことが、教団の責任なのですが、それが充分に果たされていないことが、問題ですね。
絶版状態にあるものを、まず、読めることができるようにすることでしょうか。
自分には、理解できないから、出版しないなどということがないようにお願いします。
日本教文社様。
1476
:
役行者
:2012/11/06(火) 12:47:44 ID:Pfch4vmI
>>1475
アクエリアンさま、救われました(-.-)y-゚゚゚
まったくもって、異議ありません!
1477
:
復興G
:2012/11/06(火) 15:02:57 ID:vWpLkCzM
皆々さま
ありがとうございます。
第8回web誌友会は、前夜祭から多くの方々の貴重な活発なご投稿を頂いていて、ありがたく感謝いたします。
私は、今テキスト『生命の實相』第2巻第1章の謹写にかかっております。50頁あります。全部謹写を終わりましたら、まとめて聖典引用板にアップさせていただくつもりです。
ところで、私は
>>1470
:ハマナス様が謹写引用してくださいました、「光明道中記」の御文章、うれしく感銘を受け、いろいろ想いが展開しましています。もう一度、ハマナス様のご投稿文をペーストさせていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
>>11
月3日は、明治天皇陛下のご誕生160年でした。
「光明道中記」に雅春先生がお書きになられていましたので、ご紹介致します。
十一月三日 明治節、清明心の日
至上の愛は神と偕なるときおのずから出来る愛だ。
さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり
明治天皇のこの御製を拝誦し奉る毎に朝日の如き無我の心境が思われるのである。
何故朝日はあんなにさわやかなのだろうか。それは新たに生れるからである。
手垢がついていないからである。
こんなにも清明(さわやか)な姿を顕わさしめるのである。
太陽には我はない。そのままである。従順である。さしのぼる時がきたとき差しのぼり、沈むべきときには沈んで悲しむと云うことがない。
落日を悲しいと見る者は見る人の心の反影に過ぎない。烈々と照っても功に誇らず、常に跡をのこすことを求めず、来って驕らず、去って悲しむと云うことがないのである。
而も一切衆生として、一物として、その恩恵を受けないものはない。まことに広大無辺なる姿である。
吾々のいのちは太陽より来る。吾等太陽の如く生きんかな。吾等は太陽の子だ。清明心の子だ。どんな時にも光のみを見るのが日本人である。よろこべ、勇み、楽しみ、潔く前進せよ。<<
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――私も、「太陽の如く生きんかな。太陽の如く生きよう。」
>>吾等は太陽の子だ。清明心の子だ。どんな時にも光のみを見るのが日本人だ。よろこび、勇み、楽しみ、潔く前進しよう<<
と、思います。
<つづく>
1478
:
復興G
:2012/11/06(火) 15:03:49 ID:vWpLkCzM
明治天皇は、 また
「罪あらば吾をとがめよ天津神(あまつかみ) 民はわが身の生みし子なれば」
という御歌を残されています。これは、幸徳秋水など、大逆(天皇暗殺)を侵そうとして捕らえられた、社会主義者たちのことを詠まれた御製です。御身を害しようとするものでさえ、自分の子であるとして、「罪あらば吾をとがめよ天津神」とお歌いになったのです。御世は大変な時代で、不幸な出来事も数多く起きた。それらの責任はすべて自分にあるとされるお心をお持ちなのが、日本の皇室の伝統なのですね。
誠に有り難いことであり、そして、私たち国民もまた、その大御心をわが心として生きるのが、日子・日女(太陽の子、神の子)としての生き方でしょう。
ところで、生長の家総裁は、「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」と招神歌で吾らが唱える「御祖神(みおやがみ)」の化身であられるのがその実相だと思います。みおや(御親)なる神が、わが子なる信徒をとがめて排除し、裁判沙汰にして裁き争うことなど、あり得ないことだと思われます。
「生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心」と言われている、その「神意」は、御祖神(みおやがみ)さまの御心ですから、明治大帝が、自分を暗殺しようと企てた者があっても、「罪あらば吾をとがめよ天津神」と歌われたように、すべての人々をわが子として平等に愛しておられるのが本当だと思われます。
しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。
ここが、生長の家信徒われらの正念場だと思われます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
≪谷口雅春先生『實相と現象』より≫
≪或る時、弟子が、イエスに対して、「誡めの内で一番尊い誡めは何でございますか」と訊いた。誡めというのは道徳律とでもいう意味であります。道徳律の中で一番尊い道徳律は、いったい何でございますか。といってたずねた時に、マタイ伝の二十二章で、イエスはこういうふうに答えておられます。
「『なんじ心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる汝の神を愛すべし』これは大にして第一の誡命(いましめ)なり」といっているのであります。それでここに「主なる神」とありますから、人間の方は僕で、主人であるところの神様を愛するのであるかというと、そういう意味ではないのです。「なんじ心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、主なる“汝の神”を愛すべし。」といわれた教に注目すべき言葉があるのです。
「汝、イエスの神を愛すべし。」とはいっておられないのです。「主なる“汝の神”を愛すべし。」即ちお前の主人公であるところの“汝の神”を愛すべし。とこう言っておられるのであって、すべての人間には、その自己の内に神が宿っているということをイエスは認めて、「汝の内に宿っている汝の主なる神を愛すべし。」と、このように言っておられるのです。≫
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと思いました。それでは、外なるものによって自分が支配されているという「僕(しもべ)」、もっと言えば奴隷状態に自分を置くことになるのではないか。自分が神の子、宇宙の中心ならば、運命の主人公としての生き方は、「一切は自分の責任」 「罪あらば吾をとがめよ天津神」という気持ち、自覚を持って生きることではないか――。
1479
:
復興G
:2012/11/06(火) 15:17:42 ID:vWpLkCzM
前文で、
>>しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。<<
というのは
>>みおや(御親)なる神が、わが子なる信徒をとがめて排除し、裁判沙汰にして裁き争うことなど、あり得ないことだと思われます。<<
というのを指します。また、
>>人間の方は僕で<<
の「僕」は“しもべ”と読んで下さい。
1480
:
復興G
:2012/11/06(火) 16:07:03 ID:vWpLkCzM
前回のweb誌友会の後夜祭
>>1394
で如月さまが、
>>今日は半日、神様の目を付けて行動してみました。神様はこんな人でも愛しているのかと思いながら見ると、何だか面白くなって、その人の肩をたたいて「でも、あなた、許されてるんですよ。」と知らせたい衝動にかられました。<<
と書かれていました。
最初それを読んだとき、私はその「神様の目を付けて行動する」とおっしゃる気持ちが、どんな気持ちか、よくつかめませんでした。
今思いますのは、すべての人をわが子のように思って、平等にいとおしく愛する気持ち。もし争いあっていたら、どちらか一方の味方をするのではなく、胸を痛めながら、「仲よくしてくれるように」と祈る気持ち――で見るのが、神様の目で見ることかなあ――と思いました。
私は小さいとき、毎日よく兄弟げんかをしていました。あるとき、逃げる弟を追いかけて追いつき、後ろから弟の背中を押して、前に転ばしてしまいました。弟は倒れて怪我をし、大泣きしました。それを見ていた母が、胸を痛め何とも言えない悲しそうな顔をしたのが、今でも想い浮かびます。私も、あのときはひどいことをしたと、私は自分でも胸を痛めます。
そのときの母親の気持ちが、天皇様の大御心であり、親神様の御心かなあ、と思ったりしています。
この掲示板、web誌友会板でも、たとえば さくら様と a hope 様、どちらも神様の目をもって見れば、かわいいかわいい愛娘です。お二人とも、とても純粋な、神様を愛し、真理を追究していらっしゃる、愛すべき尊い神の子でいらっしゃいます。しかし、それぞれ個性天分が異なる面もおありのようで、お互いに不調和かと思われるような言葉を出されることもあったかも知れません。
お二人は、それぞれの個性天分、よさを認め合っていらっしゃると思いますが、言葉の上の表現でも、仲よく認め合って、やっていって頂けたら嬉しいなと、僭越ながら“神様の目”を付けて見たら、そう思います。
老婆心で(老爺心?)ちょっと余計なことを言ったかも知れません。お許し下さい。
これからまた、テキストの謹写に入ります。
ありがとうございます。合掌
1481
:
a hope
:2012/11/06(火) 17:34:13 ID:8tjYhMb6
>>1480
復興Gさま
さくらさまとわたしのことで、ご心配をおかけして申し訳ありません。
さくらさまがわたしに対して、あまりよくない感情を持たれていることに関して、
わたし自身、どうしてなのか心当たりがあるのです。(みなさまにはわからないと思いますが・・・)
それは、すべてわたしに原因があることなので、さくらさまに対しては本当に申し訳ないと感じています。
さくらさまとは、たしかに「生長の家の教え」に関しては意見の合わないことが多いです。
ですが、わたしはさくらさまがこの掲示板にいてくれたからこそ、今までこうしてここで発言を続けてこられたのだと思っています。
さくらさまのことは、「生長の家」の先輩として心から尊敬していますし、心から感謝しています。
それに、きっと実際にお会いしても素敵な女性なんだろうな〜と感じています。
わたしは、今回の第8回web誌友会では純粋に「生命の實相」の内容を学ばせていただきたいと思っています。
さくらさまとも、以前のように仲よく一緒にお勉強させていただけたらとてもうれしいです。
復興Gさま、さくらさま、そしてみなさま
今回も、アホの a hopeをどうぞよろしくお願い致します。
1482
:
さくら
:2012/11/06(火) 19:01:46 ID:JiHdFUis
>>1480
復興Gさま
>>1481
a hopeさま
合掌、ありがとうございます。
先月は、不適当な態度で、神聖な誌友会の雰囲気を壊してしまい、申し訳ありませんでした。
なにより、復興Gさまには、このように心にかけて頂いていることに、胸が一杯になりました…。
わたしは、ahopeさまのことは、以前より、信仰の友として心から尊敬もし、愛しております。
ただ、自分のいたならさや、未熟さを大変、反省しておりますが、
自分の信仰には、正直にいたい気持ちは変わりません。
…それは個人的感情などではなく、
信仰の姿勢として、わたしのなかにある問題です。
…いつも、あらく、拙い表現しかできなくて、誤解を与えるようなことがあり、たいへん申し訳ありません。
わたしは生長の家に触れてすぐ、一年かけて「生命の實相を40巻」を、拝読させて頂きました。
「読み終わったとき、あなたの人生は変わってるから、騙されたと思って、読んでみなさい」と言われました。…はじめは、ほんとうに生長の家に騙される、と思って読んだんです。
その間は、ほんとうに無我夢中で、これで自分が変われなかったら、生命の實相を読めと言った人を恨んでやる、と思うくらいでした。
ちょうど、一回目を読み終わるころだったのですが…ある作業中に、無心の状態といったようになり、
会う人ごとに祝福したいくらいの一体感を感じて、自分が消えてしまうような、ものすごい幸福感に襲われました、…そんなのは、はじめての体験でした。
神様は、こんなにわたしを許してくださっていて、こんなに祝福して下さって、こんなに愛して下さっているということを、わたしはその時、はじめて知ったように思いました。
…「神の目」があるとしたなら、どんな人であったとしても隔てることなく、平等に愛を与えながら、見てくださっていたのだと、わたしははじめて知り、今までの自分の傲慢さに、打ちのめされたみたいな気持ちさえしました。
その日から、神想観を真剣にやりはじめて、毎日泣きました。毎日たくさん涙がでました。
わたしは、変わってました。
意見や捉え方が違うことをこえて、
尊重し合える a hopeさまには感謝しています。
…しばらく、こちらでのみなさまの学びを優先に考え、ここでの発言を控えさせて頂きます…。
お祈り申しあげます。
感謝拝。
1483
:
a hope
:2012/11/06(火) 20:17:21 ID:8tjYhMb6
>>1482
さくらさま
胸がいっぱいになりました。
実は、わたしも、今朝、神想観をしている時にさくらさまと同じような気持ちになっていたのです。
それは、現象世界で争い合っていたり、病気で苦しんでいたり、人生に悩んでいるように見える人々でも、
本当は、すべての人々を、神さまが分け隔てなく優しく包んで守ってくださっている、
そういうイメージがハッキリと湧いてきたのです。
嬉しくて、嬉しくて、ありがたくて、息が出来ないくらい感動して涙を滝のように流したのです。
さくらさま、大好きです!
さくらさまと、同じ「生長の家の教え」を信仰できて、わたしは本当に幸せです。
ありがとうございます。 合掌。
1484
:
志恩
:2012/11/07(水) 11:03:42 ID:.QY5jUA6
>>1478
:復興G様
今回も、WEB誌友会用のテキストを聖典板の方へ、謹写して下さるそうで、いつもながらの深いご愛念、感謝申し上げております。
私は、1478:復興G様のご投稿文で、納得がいかない箇所がございますので、大先輩の胸をお借りして質問させて頂きます。
復興G様は、《明治天皇様の詠まれた御製》と、
《雅春先生のご著書「實相と現象」の中のイエスキリストの言葉》を引用されまして
次のように①、②のご意見をおっしゃっておられます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
復興G様曰く
①>> すべての人間には、その自己の内に神が宿っているということをイエスは認めて、「汝の内に宿っている汝の主なる神を愛すべし。」と、
このように言っておられるのです。
(だからー)
――私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと思いました。
それでは、外なるものによって自分が支配されているという「僕(しもべ)」、もっと言えば奴隷状態に自分を置くことになるのではないか。
自分が神の子、宇宙の中心ならば、運命の主人公としての生き方は、「一切は自分の責任」 「罪あらば吾をとがめよ天津神」という気持ち、自覚を持って生きることではないか――。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
② >> 生長の家総裁は、「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」と招神歌で吾らが唱える
「御祖神(みおやがみ)」の化身であられる のがその実相だと思います。
みおや(御親)なる神が、わが子なる信徒をとがめて排除し、裁判沙汰にして裁き争うことなど、あり得ないことだと思われます。
「生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心」と言われている、その「神意」は、御祖神(みおやがみ)さまの御心ですから、
明治大帝が、自分を暗殺しようと企てた者があっても、「罪あらば吾をとがめよ天津神」と歌われたように、すべての人々をわが子として平等に愛しておられるのが本当だと思われます。
しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。
ここが、生長の家信徒われらの正念場だと思われます。<<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この①と②の復興G様のご意見が、理解出来ないでおります。
つづく
1485
:
志恩
:2012/11/07(水) 11:51:03 ID:.QY5jUA6
>>1478
:で、復興G様は、明治天皇の御製をご紹介くださいました。
>>明治天皇は、 また
「罪あらば吾をとがめよ天津神(あまつかみ) 民はわが身の生みし子なれば」という御歌を残されています。
これは、幸徳秋水など、大逆(天皇暗殺)を侵そうとして捕らえられた、社会主義者たちのことを詠まれた御製です。
御身を害しようとするものでさえ、自分の子であるとして、「罪あらば吾をとがめよ天津神」とお歌いになったのです。御世は大変な時代で、不幸な出来事も数多く起きた。
それらの責任はすべて自分にあるとされるお心をお持ちなのが、日本の皇室の伝統なのですね。
誠に有り難いことであり、そして、私たち国民もまた、その大御心をわが心として生きるのが、日子・日女(太陽の子、神の子)としての生き方でしょう。<<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それで、私は、明治天皇は、どういう天皇でいらしたのか、ウィキペディアで調べさせて頂きました。
明治天皇 (第122代天皇)
(在位期間
1867年1月30日 - 1912年7月30日(慶応3年12月25日 - 明治45年7月30日)
近代国家の確立
明治15年(1882年)、軍隊を「天皇の軍隊」と規定した軍人勅諭を発し、
大元帥として軍隊の統率にあたり、軍備の増強に努めた。
列強への道
日本が初めて直面した近代戦争である日清戦争と日露戦争では、天皇は大本営で直接戦争指導に当たった。
また、外交上は日英同盟を締結し、列強の一員たるべく、軍事的・経済的な国力の増強を図った。……)
国家的な お仕事の記録は、たくさん情報がありすぎますので、省かせて頂きまして、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今回は、明治天皇の、《お人柄》に絞って、ご紹介させていただきます。
明治天皇の御製(天皇の自作和歌)が3つ載っておりましたが、最初の和歌がこれでした。
「よきをとり あしきをすてて外国(とつくに)に おとらぬ国となすよしもがな」
〜お人柄と影響 〜
日常生活は質素を旨とし、どんなに寒い日でも暖房は火鉢1つだけなど、自己を律すること峻厳にして、天皇としての威厳の保持に努めた。
赤坂の東宮御所(現在の迎賓館)の完成を報告しに来た片山東熊に『華美過ぎる』と叱った。
「記憶力が抜群で、書類には必ず目を通したあと朱筆で疑問点を書きいれ、内容をすべて暗記して次の書類と違いがあると必ず注意し、
よく前言との違いで叱責された伊藤博文はごまかしがきかないと困っていた」とある。
乗馬と和歌を好み、文化的な素養にも富んでいた。
一方で普段は茶目っ気のある性格で、皇后や女官達は自分が考えたあだ名で呼んでいたという。
私生活では、日本酒を好み、夜は女官たちと楽しそうに宴会をする事が多かった。
晩年は糖尿病を患い酒量は減退したが、健康のためにワインなどを飲んでいた。
また当時の最新の技術であったレコードをよくかけ、唱歌や詩吟、琵琶歌などを好んでいた。
兵たちと苦楽を共にするという信念を持っていた。例えば日清戦争で広島大本営に移った際、暖炉も使わず、
殺風景な部屋で執務を続けるといった具合であった。こうした態度は晩年で自身の体調が悪化した後も崩れることがなかった。
天皇は伊藤博文の欠点を「西洋好き」と評していた。
教育に関しては儒学を基本にすべしとする元田の最大の理解者でもあった。
特に明治17年(1884年)4月下旬に皇室ではタブーとされた牛肉と牛乳の飲食をされた。
残すべき文化は残し、取り入れるべき文化は取り入れるという態度を示した。
写真嫌いは有名である。福岡県下広川村において軍事演習閲兵中の姿を遠くから隠し撮りした写真が残っており、
これが明治天皇が最後に撮影された姿と言われている。
大喪の日には、陸軍大将・乃木希典夫妻を始め、多くの人が殉死した。
貧困層に対する医療政策として1911年(明治44年)2月11日、『済生勅語』によって、
皇室からの下付金150万円を済生会創設に下付された。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1486
:
志恩
:2012/11/07(水) 12:40:35 ID:.QY5jUA6
私は、明治天皇は、
罪あらば、自分を咎めよなんて、いつなんどきも、悪の行ないを,許しておらえたとは、思えません。
たえず、ご自分のことより、日本国民のことを考えられて、生きておられたという意味であると、私にはとれました。
それは、つぎの御製にお心が表れていると存じます。
「よきをとり、あしきをすてて…」。ちゃんと、よいことか、わるいことかを、選別されておられた。
>>「よきをとり あしきをすてて外国(とつくに)に おとらぬ国となすよしもがな」<<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それから、明治天皇は、赤坂の東宮御所の完成を報告にきた片山さんに、華美すぎることを、叱ったり、
「内容をすべて暗記して次の書類と違いがあると必ず注意し、
よく前言との違いで叱責された伊藤博文はごまかしがきかないと困っていた」とあるように、
全て、自分の責任としたのではなく、叱責するときは、叱責し、注意されるときは、注意されておられたのです。
それに、質素を旨とされておられた。ということですから、
雅宣総裁のように、自分のお金でなく、信徒の浄財なのに、森の中に行くなどと、本まで出版して、
信徒に大ウソ言って、150億円も使って、高級リゾート地へ移住しようなんて、絶対にされなかったと思います。
そこでは、練成会もするつもりはないそうです。宗教団体なのに、地元の役所には、宗教行事は、一切行わないという約束のもとで、
森のオフィスを建てていると聞いてます。
全国の教区5者の、交通の便のことまで、考えられての選択だったのでしょうか。時々、本部へ行かなければならないのだと
トキ様がおっしゃってましたけれど、、。総裁なら、信徒全体のことを考えて決めるのが、本当でしょう。
最寄り駅には、JRの列車は、2時間に1本しか通過しないことを調査した上での選択だったのでしょうか。
ご自分だけの都合しか考えてないんじゃないのかしら。
行楽地、リゾート地は、たまに行楽で訪れるからいいのであり、仕事を定年でリタイアーした裕福な人間が、ログハウスなど建築して
そこの土地から、あまり移動せず、優雅に暮らすことを目的にする土地でありますから、全国の幹部が、まめに行かなきゃならない交通の便の
いい土地ではないのです。
これらのことも含め、総裁のされてきたことを指摘することは、「総裁に責任を転嫁する」ことなんですか?
私には、とても、納得できません。
転嫁するということは、雅春先生の本を絶版にしたことから、谷口家のご兄弟や気に入らない部下達を追放したことから、
森のオフィスのことから、
ほんとは、われわれが、やったことなのに、総裁のやったこととして、総裁に責任を転嫁してる、という意味になります。
というより、総裁のやって来た事は、信徒全員の責任である。
その信徒全員の責任であることを総裁の責任に転嫁したというふうにもうけとれるのですが、
私には、理解が出来ない事です。
>>日常生活は質素を旨とし、どんなに寒い日でも暖房は火鉢1つだけなど、自己を律すること峻厳にして、
天皇としての威厳の保持に努めた。
赤坂の東宮御所(現在の迎賓館)の完成を報告しに来た片山東熊に『華美過ぎる』と叱った。
「記憶力が抜群で、書類には必ず目を通したあと朱筆で疑問点を書きいれ、内容をすべて暗記して次の書類と違いがあると必ず注意し、
よく前言との違いで叱責された伊藤博文はごまかしがきかないと困っていた」とある。<<
1487
:
志恩
:2012/11/07(水) 12:47:04 ID:.QY5jUA6
② >> 生長の家総裁は、「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」と招神歌で吾らが唱える
「御祖神(みおやがみ)」の化身であられる のがその実相だと思います。>>
これが、総裁の実相なら、20年、30年と生長の家の組織のトップにおられるのに、みなで彼の実相の礼拝を続けるという
宗教組織として、信徒たちが、総裁を祈るなどというありえない祈りをしていますのに、
なぜ、彼は、実相があらわれないで、まだまだ まだまだ あこぎに行為を続けておられるのでしょうか?
質問させて頂きます。
1488
:
志恩
:2012/11/07(水) 14:55:57 ID:.QY5jUA6
新人に、生長の家のこと話す時に、
生長の家というのは、総裁がすることなすこと、自分の責任だと思わなきゃならないところです。
と説明したら、どなたもそのようなウットウシイ教えには、入ろうとされませんよ。
1489
:
復興G
:2012/11/07(水) 16:07:45 ID:vWpLkCzM
>>1487
:志恩さま。
>>② >> 生長の家総裁は、「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」と招神歌で吾らが唱える「御祖神(みおやがみ)」の化身であられる のがその実相だと思います。>>
これが、総裁の実相なら、20年、30年と生長の家の組織のトップにおられるのに、みなで彼の実相の礼拝を続けるという宗教組織として、信徒たちが、総裁を祈るなどというありえない祈りをしていますのに、なぜ、彼は、実相があらわれないで、まだまだ まだまだ あこぎに行為を続けておられるのでしょうか?<<
――だからこそ、
≪しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。
ここが、生長の家信徒われらの正念場だと思われます。≫
と、申し上げているのであります。
まだ、テキストの謹写中ですので、あまりお答えできませんが、以上がお答えです。
1490
:
復興G
:2012/11/07(水) 21:03:21 ID:vWpLkCzM
>>1484
:志恩さま。
テキストの謹写をやっと終えましたので、少し補足説明をさせていただきます。
≪以下、志恩様のご質問≫~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>>1478
:復興G様
私は、1478:復興G様のご投稿文で、納得がいかない箇所がございますので、大先輩の胸をお借りして質問させて頂きます。
復興G様は、《明治天皇様の詠まれた御製》と、《雅春先生のご著書「實相と現象」の中のイエスキリストの言葉》を引用されまして、次のように①、②のご意見をおっしゃっておられます。
復興G様曰く
①>> すべての人間には、その自己の内に神が宿っているということをイエスは認めて、「汝の内に宿っている汝の主なる神を愛すべし。」と、このように言っておられるのです。(だからー)
――私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと思いました。
それでは、外なるものによって自分が支配されているという「僕(しもべ)」、もっと言えば奴隷状態に自分を置くことになるのではないか。
自分が神の子、宇宙の中心ならば、運命の主人公としての生き方は、「一切は自分の責任」 「罪あらば吾をとがめよ天津神」という気持ち、自覚を持って生きることではないか――。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まず、上記のことが理解できない、とおっしゃっていました。それで、少し補足説明です。
「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候(良寛)」
上記は、良寛さんの言葉だと言われていますが、とても深い意味をもっていると思われます。
まず、「災難にあう時節」というのは――
何事も、原因のない結果というのはありません。
そして、現象界の出来事は、ただ一つだけの原因で、大きな結果が出てくるということもありません。
運命には、大きな流れというようなものがあると思われます。
その大きな流れに逆らって、それを否定しようと、じたばたすることが、災難を災難にしている。
まな板の鯉のように、じたばたしないで、災難の意味をしっかりと受け止めれば、災難が災難でなくなり、魂の飛躍のチャンスともなり得るのだ、ということではないでしょうか。
身の上にあらわれたことを、他人のせいにして攻撃するのは、今の世の常識かも知れませんが、生長の家の御教えは、世の常識をくつがえすものだと思います。
今回のテキスト『生命の實相』第2巻第1章にも、「外のものに頼るな。自ら起て!」ということが、すばらしい説得力をもって書かれています。
薬にすがったり、杖にすがったりするものは、無限の生命力を発現させることができない。「他物に頼らざる者はついに勝つ」と説かれています。そうです、それが
「汝の内に宿っている“汝の”主なる神を愛すべし。」
ということであり、それが生長の家の御教えであり、平和と幸福への黄金の真理だと、私は今思っています。それが、
>>――私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと思いました。<<
と書いた背景の想いです。
わかって頂けるかどうか、わかりませんが、
志恩様!
いい年をして、いい加減にもう、じたばたすることをやめて、少し静慮してみられたらどうですか!
と、申し上げたいです。
1491
:
みすはなまる
:2012/11/07(水) 21:52:58 ID:GpLjp1XI
横から大変失礼します。
復興G様
いい年は、万人すべてが、常にその時にしか味わえない「いい年」でいらっしゃいます。
私には、志恩様はジタバタされているように感じません。
常に永遠に新しい今を生きる真理を、様々な角度から大変熱心に、お勉強されていらっしゃる、大切な先輩でいらっしゃいます。
志恩様はじめ、本流で学んでいる方は、雅宣総裁を蹴落としたり、攻撃したりする思いは、基本持っておられません。
それは、学ぶ会やときみつる会に来ていただければ、お解り頂けることです。
志恩様は、周囲の方に愛情ふかく、真心をもって大切に接してくださる、素晴らしい御方です。
部外者が余計なことを申しました。
1492
:
通りすがり
:2012/11/07(水) 22:31:35 ID:???
いい年って何歳くらいを言うのでしょう?
1493
:
アクエリアン
:2012/11/07(水) 22:32:12 ID:u/M3Z9Ow
志恩様と復興G様のやり取り、興味深く拝見させてもらいました。
私は志恩様のお考えに、賛同します。
法燈継承者は、その責任をキッチリと果たさなければならないのだ、果たせないのなら、他の相応しい人に変わってもらう、という、当たり前の考え方で、対処していけばいいのではないでしょうか。
そういう当たり前の考え、姿勢がとれなかったから、ここまで生長の家はおかしくなったと思っています。
生長の家の法統継承者を考える場合、自分の内面の問題として考えるよりも、むしろ、生長の家の神界の本部の視点から考えるべき問題なのではないかという気がします。
生長の家の神から、谷口雅春先生を経由して説かれた人類光明化の教えを継承しないのなら、生長の家の神界の本部は相応しい人間を選ぶのは当たり前であり、その当たり前のことがなされなかったことが問題なのだ、という考えです。
私はそういう考え方の人間です。
1494
:
トキ
:2012/11/07(水) 22:40:28 ID:3OSP8Grc
皆様、ご意見ありがとうございます。
誌友会が始まるので、話は短めに申し上げます。
復興G様は、前回は、訊け管理人様に「鉄槌」を下され、今回は志恩様に「鉄槌」を下されたのですが、
それも、ご両人への深い愛情があるからだと信じます。
ただ、私が、一番、反省しないといけないと感じています。
よろしくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1495
:
goro
:2012/11/07(水) 23:46:14 ID:vOpRa7bQ
>志恩様! いい年をして、いい加減にもう、じたばたすることをやめて、少し静慮してみられたらどうですか!<
>>復興G様は、前回は、訊け管理人様に「鉄槌」を下され、今回は志恩様に「鉄槌」を下されたのですが、<<
>>それも、ご両人への深い愛情があるからだと信じます。<<
アクエリアン様のお考えに激しく同意します。
本流派が総裁を「悪」と観ていると断じているのは擁護派又は和解派の方々であります。
私たちは物事を善悪で断じてなどいません。
トキ管理人の考えには抗議します。
断じて「鉄槌」などではありません。
志恩さまに失礼です。
1496
:
さくら
:2012/11/08(木) 00:10:03 ID:ez1gwKOs
わたしも、goro様と同様、トキ様の考えに抗議します。
復興Gさまが「静観されよ」ということを意図されて諭してくださったのは、
個人への「鉄槌」などではなく、み教えに立った立場からのお言葉であり、復興Gさまに失礼であると思われます。
それは、志恩さまに対しただけでなく、我々信徒への言葉として、わたしは真理を感じ、心にとどめたいと感じました。
それに、なぜ、トキさまが一番反省されるとして、ここでもバランスをとってまとめようとされるのでしょうか。
大事な話なので、バランスをとって綺麗事でうやむやにするべきことではないと思われます。
下の者にはなにかあっても、何事もないように素通りされますが、
上の方にはバランスを取られているのは、素晴らしい組織人だとは思って尊敬していますが、
心がないな、と少しおもうこともあります。
…たいへん失礼なことをもうしまして、申し訳ありませんでした。
拝
1497
:
志恩
:2012/11/08(木) 00:16:07 ID:.QY5jUA6
復興G様
バレてましたか!私が、いい年をして、じたばたしてるってこと(笑)
PCを通して見えるのかしら…、千里眼をお持ちなんですね。
私が、もう少し若ければ、じたばたせずに、ルンバのような軽やかな動きが出来るんですけれどね、
最近は、年のせいか、想いと行動がスムーズにいきませんで、口も身のこなしも、
このように、じたばたしておりますの。
復興G様と私は、
《災難》に遭ったときの対応の仕方が、異なっていることが、
復興G様のご文章で分らせて頂きました。
これは、考え方の相違ですから、これについて対話させて頂いても、どこまで行っても
平行線だと感じました。
これにつきましては、年とは、関係のないことです。
この年で出来ることで、自分で出来る範囲のことを、じたばたでも、やるっきゃないと私の場合は、
強く思って発言しているのです。
魂のふる里のことですから、じっとしては、いられない性格なんです。
復興G様は復興G様の生き方がおありのように、
私は私の道をいきます。
真理については、いつもたくさん教えていただいて、感謝いたしております。
今後も、学ばさせて頂きます。
返信、ありがとうございました。
合掌礼拝
1498
:
志恩
:2012/11/08(木) 00:42:26 ID:.QY5jUA6
みすはなまる様
通りすがり様
アクエリアン様
トキ様
goro様
さくら様
コメント、ありがとうございます。
私は、復興G様の事は、前々から敬愛しています。
でも,人間ですから意見の相違や納得出来ない事、理解出来ないことは、
あります。
以前は、遠慮して納得出来ない事でも分ったふりをして、黙っていたのですが、
それは、自分に不正直だと思い直しまして、最近は、どんどん言うようにさせて頂いております。
「いい年して」というのは、鉄槌ではないと思っております。
復興G様は、私より10歳以上年上でいらっしゃいますから、私に言っておられますが、
その言葉は、ご自分に対しても言っておられるんだな、ということは、わかりますので。
以前は、復興G様は、かなりのご発言をされてました。
総裁に対する辛口発言もされてたことありました。
最近、無口になれれたのは、大きい流れに身を任せられる様になられたからかも
しれない…と、復興G様の今回のご発言を読ませていただいて、思っております。
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