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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

424復興G:2012/05/02(水) 23:02:53 ID:ojEbkDH2

>>419
ももんが様。

合掌 ありがとうございます。
ご丁寧なレス、深く感謝申し上げます。

ももんが様のレスで

>生長の家や、クリスチャンサイエスでも、二元論では、無いことにないので、カトリックや正統派教会側の異端視扱いは、無いのではと思われます。<

というのはその通りであると思います。

>復興G様や金木犀様の感じでは、やはり、『ユダの福音書』のイエスは、二元論に見えるでありましょか?
私は、可なり、際どいように、感じてます。<

グノーシス派は二元論だと、ネットの情報には書かれていましたが、『ユダの福音書』のイエスは、そうではないように思われます。しかし、はっきりとはわかりません。


ところで、『ユダの福音書』動画を見ての感想、つづきですが、

★初期の福音書では、イエスの復活が重要でした。イエスの死んだ肉体を、神が復活させます。肉体の復活に意味があったのです。イエスは、使徒たちの前に、肉体と共に復活しますが、ユダの福音書では、全く異なります。ここでは、イエスの死は重要でなく、復活への言及もありません。なぜなら、肉体は死んでも、魂は生き続けるからです。★

 上記の、動画に出てくる言葉を見て、『生命の實相』第31巻戯曲篇の「耶蘇伝」が頭に浮かんでまいりました。

 戯曲篇の「耶蘇伝」では、イエスは十字架に架からず、十字架に架かったのはユダになっていたなあ、という記憶があり、それで31巻を読み返してみたのです。すると、今の生長の家教団でもありうるかも――と思われるような台詞が載っていて、びっくりしました。たとえば――

『生命の實相』第31巻戯曲篇の「耶蘇伝」より――

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

アンデレ――ユダ、お前に聞きたいことがあるが、わたしはお前に本当のことを聞きたいが、お前は先生に対する尊敬を失っているんじゃないか。
ユダ――そんなことはない。わたしは先生を神の子だとして尊敬している。
アンデレ――それならば、お前だけ常になぜそういうふうに別の行動をとるんだ。
ユダ――本当はね、どうしてだか、わたしにもわからないが、わたしは皆のものが、羊が羊飼いに対するように先生に対して堵(かき)のように列んでこう頭を下げているのを見ると、ムラムラと反抗心が起きてくるのです。わたしは先生に初めて会ったときに救われたと思った。本当にわたしは先生に救われたと思ったのです。(眼に涙ぐむ)先生と同時代に生まれさせていただけたことがありがたいと思ったのです。この人のためになら、生命(いのち)を捨てていいと思いましたのです。先生はわたしに人間は皆「神の子」だと教えてくださいました。苦行しなくとも、どうしなくとも、すべての人間が神の子であるという福音を聞いたときに、わたしは躍り立つ思いで、洗礼ヨハネの弟子であることをやめて、さっそく、先生の仲間に入れていただいたのです。ああ、すべての人間が神の子である! なんという素晴らしい真理でしょう。洗礼ヨハネはいうまでもなく、過去の予言者ことごとくイエス様の前には太陽の前の星のように思われました。お仲間に入れていただいたら、その仲間はどんなによい団体であろうかと思いました。しかしわたしは団体の申に入ってみて幻滅したのです。
<つづく>


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