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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
172
:
役行者
:2012/04/08(日) 13:10:35 ID:YIIqaiYk
>>168
八咫烏様
早速の返答、ありがとうございます。
まず、体験版の1での私の文章を参考にされて下さい。
総裁先生の立教記念のご挨拶を受けての投稿です。
◆聖典『生命の實相』と生命の実相について
少なくとも私は、以下のように考えております。
>1322 :役行者
元職員さま
>>特に今回驚いたことは、純粋な信仰者であられる役行者さんのようなお方が・・・
とうとう『生命の實相』を含めた聖典をあたかも不完全なものとする論調に乗ってしまったことです。<<
まずは、ももんが様とコミュニケーションでの、ももんが様の私への返答を引用させていただきます。
>>“公案”事態や、各“聖典”事態のコトバには、差別が、ある訳で無く、『聖典・生命の実相』もそうである様に、皆、“真言”としてのコトバが書かれて至り、載っているので、各個人の魂の差は有っても、何らしかの、“悟り”を得ているとは思われます。それを、得と読んだり、御利益と呼んだりするんだと、思います。
けして、御利益信仰も悪いわけでは無いと言えますね。そうした、意味では、
『聖典・生命の実相』に出会った縁や、読む事は、大変素晴らしいことだといえると思います。
先日読んだん、『聖典・生命の実相』第2巻32㌻にこうありました。
〜『本当のことを申しますと、この本が病気を治すのではありません。神の子たる人間
に病気は本来無いのであるから、治すも治さぬもない。本来治っているのであります』〜
<<
ももんが様の返答ですが、このコトバに尽きると思います。
本が病気を治すのではありません。本に書かれている、生命の実相が内なる生命の実相に
感応して、メタフィジカルフィーリングがはたらくのでしょう。
そこで、まず、申し上げておかなければならないことは、決して聖典『生
命の実相』を軽んじていないと
云うことです。そこは、真理の言葉で満ち溢れているからです。
しかし、現総裁のお考えは誰も知る由はありません。
推測でしか語れません。
私の推測では、決して聖典 生命の実相を軽んじてないということです。
>>雅宣氏は、なにやら言い訳がましいことをあたかも真理の如く語っていま
すが、かつて彼が「真理の中心部分と周辺部分」と語っていたことを思い出せば、
今回の聖典(つまり『生命の實相』)は、はたして周辺部分なのでしょうか。とりわけ「聖経」は、真理の核心部分であり、これを不完全なコトバと考えるのならば、ただちに「生長の家」のみ教えは成り立たなくなります。<<
聖典『生命の実相』も『聖経』も周辺部分のはずはなく、真理の中心部分に
決まっている、とそのように思います。断じて・・・ただ、総裁先生が仰りたい
ことを自分なりに解釈すると、現象世界に表現されたものはどんなに真理に満ち
溢れていても不完全であるということでしょう。
ではなぜ、そのようなことを総裁は仰るのか、それはたぶん・・・
下記の理由によるのでしょう。
これから書く内容は、以前私が投稿した内容です。
>>たとえば、中世キリスト教の魔女狩りをはじめキリストの名を借り
ての数々の残虐性は、聖書を絶対 化して神聖化したことによる時の権力者が為
してき たことで、大罪に値します。<<
聖典の名を借りての犯罪を過去、宗教はえげつなく繰り返してきているのです。
聖典を現象的な視点から捉え、解釈し、絶対化、神聖化することによる悲劇です。
聖典の現象的な解釈は不完全です。そのことを仰りたいのだと思います。
そのような悲劇を繰り返したくないための防衛からの言葉と存じます。
つまり、聖典 生命の実相を切る!ための防衛からではないと信じております。
それを信じれなければ、組織のなかにおられません!<
と以前、投稿させていただきました。
続く
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