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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

1475「訊け」管理人:2013/11/27(水) 07:03:07 ID:???

>>1474追伸

 以前訊けブログにアップしたものです。榎本惠吾の音声ご講話からのものです。文章前後での関連は薄いですが、かつ、「罪も光だ」とも無関係ですけれども、以下箇条書きにて。



○ 喜ぶために「ヤル」のでは、「ない」。「喜びが展開していく」のが、光明化運動。

○ 神聖なるものが、自分で展開して行くのだ。自力は、要らないんだ。

○ 真理は自らを「実現する」のであって、真理は自ら「栄える」のであって。

○ 自らを実現するチカラを備えていてこそ、「完全円満」なのであって。自覚できる、できないなんて、関係ない。「私は實相を、なかなか自覚できません」と云う人もあるが、そんなものは無関係なんですからねえ。なぜなら谷口先生は、「オマエが實相そのものだッ!」とね、我々を礼拝しておられるんだからねえ。

○ 「真理がすべてをやってくれるんだッ!」「自分が真理そのものだッ!」

○ 「愛行が足りていない」「先祖供養が足りていない」「潜在意識が浄まっていない」・・・・・そんなことはもう、無関係なんですからねえ。實相をただ「ありがたい」と拝むこと、これが「浄まる」という意味なんだからねえ。

○ 「熱心になってから」だと、熱心にはなれないです。神様の、暖かい心に触れたら、熱心になるんですからねえ。

○ 自分と神とは、離れてナイんだよッ・・・・・・・

○ 「悩む」というのは、素晴しい。「悩まされる」というのは、いけないんだね。
 
○ 「痛みを作った側」に、まわってごらん。痛みそのものになって、ごらん。其処に、實相をおいてごらん。

○ 自分が悩むのであって、悩みながら作品を造っているのであって、「自分が悩んでいるんだ」と云うのがあれば、それは「光」なんだ。悩まされるのとは、違うんだ。

○ 光が無くても大丈夫なんですよ。吾々はただただ、「造る側にいる」のだ。神は光よりも先に、存在したんだから。自分は神として、造る側にいるんだから ―― 現象すらも光だ。そう言えるようになるのが「現象なし」

○ 過去の失敗を見て、吹っ切ってはダメなんです。「光として礼拝する」んです。

 
○ 心はコロコロ動く。だけど、そのまま宝物なんだ。

○ 今まで私は、「ニコニコマーク」を描いて、その周りに雲を描いて、「雲が實相を包んだ」と説明していたが、今からは「雲そのものも光だ」と言いたいんです。實相を「包んでいる」のではなく、「包んで下さっているんだッ!」と・・・・・服部先生は、そう、仰っておられる。

○ 實相と言ったら、「實相が自分で自分をやってくれる」と言う意味であって・・・こっち(肉体我)が要らないのだよねえ。「実行することが要らない」、そんな事をこっちが喜んでいくのが、実行ということだからねえ。

○ 楠本先生がこれを聞いたら、喜んじゃってねえ。朝、皆を集めてしゃべっておられた。「實相は、自分で展開していくんだッ!」と。「たしかにそう、『生命の實相』に書いてありますな」と。


○ 自分を出すのではなく、「消えている」ということ。自分の念などで、なにかするのではない。自分を「消すだけ」で、いい。だって、「既に完成している」のだからねえ。既に完成されてアルものを、出していく。そのためには、「自分を溶かすだけで」よいのだよねえ。



○ 「ありがとう」の意味。

あ ・・・ 天照大御神の「あ」
り ・・・ 利
が ・・・ 我(真の吾)
と ・・・ とどまる
う ・・・ 生む、生み出す

 「ありがとう」とは、「天照大御神が全てを生み出して私に展開しているので御座います」の意味。


(まだまだありますが、今日はこの辺で)


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