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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
130
:
ももんが
:2012/04/07(土) 08:41:25 ID:XXCuaQns
>>127
春らんまん御姉様
春らんまん御姉様、怒りを含んだ、御答え、真にありがとうございます。合掌、拝。
利休の茶室と、秀吉の茶室のこと、貴女の言われること。私も、ごもっとも思います。
>>利休の庵が茶室の原型であるのは、日本で"道”と名のつくものが、
すべて"主体と客体が、同時に存在する”を目指したものであることを考えれば、
秀吉の黄金の茶室というものは、
言ってみれば、”物質・現象に囚われているだけのハコモノ”と言えると思います。<<
しかし、貴女が、解ったの、そこまで、ですね?
利休は、秀吉を一畳の茶室に招待して、その後、切腹させらるます。
歴史的には色々と言われて降りますが、ここでは、この、お話をしたので、このお話で締めくくります。
確かに、貴女様の言われたとおうり、利休の茶室には。
”"主体と客体が、同時に存在する”です。
それは、
“平等即差別、差別即平等”
を表してる。
貴女様の言われた
“道”とは“宇宙”を表してる。
宇宙とは、“茶室”を表してる。
この、暗い、茶室の中において、
“天下人も茶人”も平等である。
確かに、個人としては、差別が、あるが、人として、平等なのである。
この事、利休は、一畳の茶室の中で、秀吉と無言の対話をなされた。
貴女様が、書いた内容は、大変素晴らしいことです。
私は、秀吉の黄金の茶室は、差別の世界だけ、自我の世界なのです。
貴女、自分の御実家が、茶道をされているということから、怒りを、“心”に増幅させたのでしょ。
これは、秀吉の心と、同じ、原理です。自我の現れなのです。
良く、自分の心を見て下さい。
だから、スポーツで日本を応援する人々を、“差別の心”、“色眼鏡”を心にかけて、自分の我と、欲望だけで、物を捉えいる。
私が、いつも、ここで、お話してるは、“心の眼”
です。“唯意識”です。
本日の表現も、怒りで、始まりましたね。
それと?
>>いつも貴殿は私の"怒りスイッチ”のような存在ではありますが、私と話をしたいという御意向を強く感じましたので、とり急ぎ返信致します。<<
こう感じるのも、以前も、もうしましたが、貴女様の心が〈欲望〉〈自我〉が、大変にお強いからです。
自我を捨てきれないからです。
だから、他人を呼び捨てにしたり、簡単に、悪口をのべるのだと思います。
本物を見てるな、本物らしくして下さい。
よろしく、おねがいします。春らんまん御姉様、感謝、合掌、拝。
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