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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

127春らんまん:2012/04/07(土) 05:00:28 ID:f7X5NzK6
ももんが総裁様

合掌
ありがとうございます。

いつも貴殿は私の"怒りスイッチ”のような存在ではありますが、私と話をしたいという御意向を強く感じましたので、とり急ぎ返信致します。

《黄金の茶室》
私の母親は、茶人ですが、自宅の茶室に弟子が稽古に訪れる2時間前から、畳を拭き、炭をおこし、気候に合った室温管理をし、茶菓子の手配をしておりました。
時に茶事を行う際には、父親も手伝って、相当の準備に心を配っていました。
床の間に飾る花も、ほとんどすべて、自宅の広い庭園で、自らが育てたものを、その日に飾っていました。

茶道の所作は、”神道の祭祀儀礼と一緒”と尊師は書かれていたと記憶していますが、
自分の母親は”禅”と捉えていましたね、(どちらでも一緒だと思っています)。

京都の日本料理の御主人は、”日本料理は、オペラなんです”と言われていました。

料理だけでなく、お庭から見える風景・風の匂い・床の間の掛け軸・料理を彩る器の美・
それぞれが、響き合って、一つの完成軽を目指す芸術と捉えている、と。
そこのお店で修業する料理人たちには、必ず茶道を習わせるんだとか。

利休の庵が茶室の原型であるのは、日本で"道”と名のつくものが、
すべて"主体と客体が、同時に存在する”を目指したものであることを考えれば、
秀吉の黄金の茶室というものは、
言ってみれば、”物質・現象に囚われているだけのハコモノ”と言えると思います。

日本の華道は、西洋の”フラワーアレンジメント”とは異なる、というのは、
あちら(西洋)は、”活ける人”と、”活けられる花”が、”別々のものである”とするもので、
日本の華道で目指す処の"主体と客体が、同時に存在する”ではない、ということですね。



<愛国心のファッション化>
かつての日本では、自分たちの国を守るもという意識は当たり前のことでしたが、現在は”平和憲法”のお陰で、
”(自分ではない)誰かが護ってくれるだろう”という、
”お客様意識”が蔓延っていると考えています。

私は、ある会合で靖国神社に昇殿参拝した際に、そこで君が代の斉唱の際、涙が流れてきたことを思い出します。
この歌について、いろいろと言う方はいますが、
この歌を守ってくれた方たちに対しての畏敬と感謝の念というものは、自分の中では一番大きなものです。


《現在の教えは、尊師の教えと全く違う》
人間は地球のガンであり、地球から”奪うばかりで、愛が足りない”と説かれますが、これは現象・物質的な捉え方で、
“人間・神の子。神の子・人間”は、霊的実在が人間である、と教えて下さっています。

人間と動物を一緒にしている現在の教えは、どこから来るのか、と言えば、”人間だけが、親孝行(先祖に感謝)する”という事実を、
あえて拒絶している総裁自身の行動形態がもたらしていると考えています。
私の感覚で言えば、
国家の英霊様に感謝すらできない人間は、日本に住む筋合いもないし、
父祖に感謝しない行動は、畜生に等しいとさえ思っています。
父祖に感謝出来ないいじょうに、父祖を呪い、その恩恵だけは頂いて、更に貶めている所業は、”畜生以下”と、捉えられます。

以上、簡単ではございますが、返信とさせていただきます(今日も仕事なので)。

何か更に仰りたいことがあれば、夕方以降に拝見致します。

再拝


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