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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
129
:
役行者
:2012/04/07(土) 08:27:03 ID:UH8LYmjs
>>73
八咫烏 様
>1986でおっしゃられたことは、まさにそう思いま す。組織は個人の信仰を支援し 深化させる手伝いをする面と、外部への救済はまさ に表裏一体のものであると思います。
個人の信仰は同じ同志を持つことで、脱落を防ぐこ ともでき、その意味で、組織は信徒を 本来、個人を導き育む力が強くなければならないと 思いますが、講師陣が優秀な時代は 個人がどんどん成長し、次々と後輩の信徒を育てる というよい循環が起きると思いますが、 組織の衰退の時代には、まだ信仰の浅い信徒には、いろいろな人もいて、信徒同志うまく心が睦みあえない人もでる中、しっ かりした指導者がいないと、組織は裁きあいになったり、脱落者も出て、講師となる人間が育ちにくい悪循環となるのではな いかという気がします。
これも、かなりトップの影響が出るのではないかと 思います 1988 については、まさにその通りだと思います 。
もし雅宣氏が今の見解で 行かれるならば、分裂は必至かも知れません。
役行者様が書きこまれたものを読んで、役行者様の 思慮深さに感銘を受けました。
私のようなすぐに軽率に判断しやすい人間から見る と、かなわない気がします。<
もしそのように見えるのなら、私の立ち位置が、思慮深さをもたらしているのでしょ!
構わずに、どんどんと発言してください。大切な時です。
さて、最高裁に上告しなければならないこと事態がもう教団幹部の判断ミスです。
そのさなか、現総裁が主張してきたことは、手段を大切にすることであり、言葉を本質と結びつけることの大切さです。
その言葉の独り歩きを防ぐために、ことさらに、神、聖典、聖経という言葉を使うことに慎重になられてきたはずです。
なのに、現総裁は、本来、慎重にしなければならない言葉を、この裁判が棄却されるであろう争いのクライマックスにもってこられました。
現総裁のコメント欄には、もうすでに、仏壇で拝読させていただきます!という内容のコメントが挙がってきています。
聖経に変わるものではないと云われても、こうなることはあきらかであったことでしょう。
なぜなら現総裁の叡智を超えた天の使いが語られている訳ですから・・・
今後、生長の家はどうなっていくのでしょうか!
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