したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

組織 板

981アクエリアン:2012/07/20(金) 22:30:50 ID:2fq82x1o
うのはなさん、
コメントありがとうございます。

鈴木邦男さんのことが出てきたので、鈴木さんが、生長の家のことを回想している文章を紹介させてもらいます。

鈴木さんの「宗教なんて恐くない」という本からです。

ーーーーーーーーー

一水会をつくって二十年。学生運動を含めると 二十五年以上、この民族派の運動をやってきた 。それを支えたのは何もイデオロギーでもない し、三島由紀夫でもなかった。生長の家で学ん だ宗教的、精神的なものだったと思う。そうし た内面的なものがなければ、とっくの昔にこん なことはやめていただろう。・・・・・・

今、大川隆法氏が政治改革経済改革と言ってい るが、二十年以上前に生長の家では同じ事を主 張していたのだ。あっ思い出したぞ。あの頃は 、霊的学問大系の樹立とか霊的文化大系とかも 言ってたなー。生長の家の総論は谷口雅春先生 が述べられている。だから各論は俺たち学生が つくるのだと意気に燃えていた。・・・・・・

宗教には昔から関心を持っていた。いや、関 心なんてものじゃない。母親が生長の家という 宗教団体に入っていた関係で、小学生の頃から 生長の家の神童会に時々行かされていた。中学 生になってからは、三泊四日の中学生練成会に 参加した。高校では生高連の宮城県の責任者だ った。それに高校は東北学院というミッション スクールで毎朝、礼拝があった。 だから、もの心がついた時から宗教の中にひ たって生きてきたようだ。大学に入ると生長の 家の学生道場に入り毎朝四時五十分に起きてお 祈りをした。それを六年間、一日も休まずに続 けた。今考えても、すごいと思う。生長の家の 学生組織「生学連」の書記長をやり、それを基 盤にした民族派の全国組織「全国学協」を作り 、そこの初代委員長となった。 そして、三十年近く、この民族派の運動をや ってきた。こうしてみてくると筋金入りの宗教 活動家のようだが、そうでもない。生長の家は 、信じられないほど明るく自由な宗教だった。 いやなこともあったが楽しかったことの方が多 い。生長の家の運動の中で青春を燃やし、一途 に生きてきた。無神論者から見ると、その頃の 僕なども「狐つき」であり、「クレージー」に 見えたかもしれない。 しかし、信仰を持ち、宗教活動に打ち込めた ことは本当に素晴らしかったと思う。何ら悔い ることはない。

ーーーーーーーーーー

1988年に鈴木さんの「新右翼」が出て、初めて、鈴木 邦男さんのことを知り、鈴木さんが生長の家の 出身だということを知り、その鈴木さんが、生 長の家が愛国運動を止めた後にも、ずっと、民 族派の運動を続けておられることに感動したも のです。 やはり、鈴木さんの行動の根底には生長の家で 学んだことがあるのですねえ。 この文章を読んで、それを痛烈に感じました。

鈴木さんは、鈴木さんなりの生長の家の教えの「各論 」を実践しておられるということかもしれませ ん。

谷口雅春先生は、宗教の天才であられた。

ですから、やはり、ここに鈴木さんが、書かれているように、一人が生長の家の教えの全体を漏れなく継承するというのは、どうしても無理がある。

まして、戦後思想にどっぷりと浸かった、平均的日本人の一人である雅宣総裁が生長の家の教えの全体を漏れなく継承するなどというのは土台無理な話しなのだと思います。

雅宣総裁も謙虚にならなければならないと思います。

雅宣総裁は、ご自身の生長の家の「各論」を行うのだという意識が求められるのではないでしょうか。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板