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750「訊け」管理人:2012/05/07(月) 18:08:11 ID:???

 さて私、>>749のような主張を掲載しました。ですがまあ、以下に掲載致します「吉田國太郎先生の考え」こそが真理だと思います。「往相精進の境を超えて」を参考にしながら私見を述べて参ります。(なお、――内は「往相精進の〜」よりの謹写になります)

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 現象に立つての努力は空しい。現象と實相と二つの世界に心
またがりながら、現象の足りなさを嘆いての努力も空しい。そ
れは恰も、神をいと郄きものとし、己を醜く低きものとして、
神に到る勵みを勵んで行く愚に等しい。
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 現教団は「アホウ」です。なにせ神殿である『生命の實相』ですがこれを、「練成会で使用しない」と決したからであります。ですがこの教団現状を、「悪」と観ての努力はどうなのでしょうか。國太郎先生曰く「空しい」と。
 「現象」(聖典拝読禁止)と「實相」のと二つの世界に惑わされながら、「なんで拝読しちゃいかんのか」「なぜ實相は顕現しないのか」と云って嘆いての努力は、空しいものなのです。それは恰も、現在の我々をいと低い者――なにも出来ていない者として観ながら、それでも「ガンバロウ、ガンバロウ」と自力解決に乗り出している姿でありこれは、すなわち「現象に瞞著された姿」に過ぎないからであります。


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現象は元々そして今も無いものである。如何樣な姿に現はれ
てもをれ、それは無の一字に盡きるものでしかない。生き切れ
てゐない自分も無く、況んや、兩者の間に横はる溝も本來無い
のに、何時しか無いものの變轉に心拉し去られてゐた愚かさ。
――――――――――――――――――――――――――――

 再度申します。現教団は「アホウ」であります。しかし、いくら肉体人間が「教団=アホウ」と判断しようとも真理の眼より見たる場合、どうなるのでありましょうか――「現象は元々そして今も無いのである。」(國太郎先生曰く)
 教団が如何様な姿に現れてもおれ、それは「無の一字」に尽きるものでしかないわけです。聖典を廃した教団は無く、組織がしっかりしていなくては「聖典を読めない」という、そんな生き切れていない自分も無いわけです。況んや、教団と自分との間に横たわる溝も本来ない、これが國太郎先生の断言でございます。
 そして國太郎先生は警告を発しておられます。「何時しかその無いもの」――組織がしっかりしていないからダメなのだ――「それら無いものに変転せられ心が、拉致されたような愚かさ。」と。つづけます。


――――――――――――――――――――――――――――
無いものには整つたもなければ整はないもない。無いものは
無いのである。如何にともあれ、現象は無いのである。何故此
の空しいものに、實在の衣裳を着せて、實相の前へ曝さうとし
たのか。總じて現象を捉へて、どうしたならば實相の完全なる
如く此處も亦全くありうるであらうかと足掻いてゐた愚かさ。
何故こんな解り切つたことに足を掬はれやうとしてゐたのであ
らうか。
――――――――――――――――――――――――――――

 再々度申します。現教団は「アホウ」です。しかしいくら、この肉体人間が「教団=アホウ」と判断しようとも「無いものには整つたもなければ整はないもない。」わけであります。「無いものは無いのである。如何にともあれ、現象は無いのである。」(國太郎先生曰く)
 それではどうすれば良いのか。それには「總じて現象を捉へ」るのを止めることであります。そして同時に「どうしたならば實相の完全なる如く此處も亦全くありうるであらうか」と足掻いている自分を脚下照顧することではなかろうかと思います。

(つづく)


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