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聖典引用 板

3406アクエリアン:2018/02/20(火) 19:34:59 ID:UNlwyDdw
アメリカの光明思想家マリアン・ウィリアムソン女史「久遠の自己」を語る (2)
http://blog.livedoor.jp/newthought/archives/22258385.html

The physical self ages, of course, but the spiritual self does not.
As we identify more with the spiritual dimension of our lives, then our experience begins to shift from the changeable to the changeless . . . from limitation to limitlessness . . . from fear to love.
As our journey through linear time gets shorter, our consciousness can in fact expand. And as it does, time itself is affected.
The deeper we go into the love of God, the more we actualize our earthly potential.

肉体の自己は、勿論、老化はまぬがれることはできませんが、霊的自己はそうではないのです。私たちの思考が、もっと霊的な次元に移行すればするほど、わたしたちの経験は、不安定なものから不変のものへ、限定から無限へ、恐怖から愛へと転換しはじめるのです。わたしたちの意識が現象の時間の束縛から解放される度合いにしたがって、わたしたちの意識は本当に拡大していくのです。そして意識が拡大していくと、時間そのものも影響を受けます。わたしたちが神の愛の中へ深く入っていけばいくほど、この地上におけるわたしたちの潜在能力をより多く実現していくのです。

The understanding of that which does not change is the key to our power within a world that does. In aligning ourselves with the eternal self, we age not in a straight line leading from luscious youth to decrepit age, but rather like the flowering lotus opening more and more to the light of the sun.

変化しない永遠の存在への覚醒が、この無常の世界の中に潜むわたしたちのパワーを開花させるための鍵です。わたしたちの真の自己である永遠の自己に目覚めるとき、わたしたちは、甘美な青春期から老いぼれた老年期へという常識的な人生のコースではなく、むしろ、蓮の花が太陽の光に向かって花開くような年齢のとり方をするようになってくるのです。

3407アクエリアン:2018/02/20(火) 19:44:17 ID:UNlwyDdw
■理想世界誌青年法語ご紹介

マリアン・ウィリアムソン女史は非常に深い真理を語っているのですが、久遠の自己について、谷口雅春先生のご法語を紹介させてもらいます。

四日のことば 超越的自己を自覚するために

 わたし達は”本当の自分”ではないところの単なる仮装の存在である肉体にばかり気をとられ、肉体が生活している”物質と見えている環境”の有様にのみ心を集中して生活している時には、この内在の”本当の自分”ーーSoul(魂)なる自分には気がつかないのである。しかし或る瞬間ーーそれは座禅や鎮魂や神想観や瞑想やーー兎も角、外界に心を振り向けずに自分の内的生命にのみひたすら心を振り向けた機会に、自己の内的生命の自覚が顕在になって来る。そのとき、イエスが「われはアブラハムの生まれぬ前(さき)より在るものなり」と自覚された時のような、肉体の年齢や時間を超越して実在するところの自分を自覚するのであるーー諸君もそれを自覚するときが来るのだーーそのためには毎日怠らずに神想観を実修するがよい。

五日のことば ”生命”は常に前向きに前進する

 やがて、あなたに時間・空間を超越した実相の自分を自覚し得た一瞬が来る。それまでは、普通の人は「時間と空間の障壁は真実で克服しがたく思われるほど、感覚の力は心を圧倒してしまっている」とエマソンは言っている。私たちの肉体は、時間・空間の枠の中で生活している。そしてこの肉体を五官の感覚で見て実在であるかの如くに感ずる。そして又、肉体をとり巻いている外界の一切のものを、固定した存在の如く考える。しかしエマソンは言う。
「私どもが今固定していると考えていることも、あたかも熟れた果実のように、ポタリ、ポタリと、私どもの経験から離脱して落ちて行くのだ・・・・風景、人物、ボストン、ロンドンも昔の制度や一抹の霧や煙と同様に一時的なものだ。社会もそうだ。世界もそうだ。Soul(魂)はじっと前を見つめ、前途に一つの世界を創造し、背後にいくつもの世界を捨てていく。Soul(魂)には日付けもなく、儀式もなく、からだもなく、専門もなく、人間もないのだ。Soulは Soulのみを知る。森羅万象はSoulが包まれている外装に過ぎないのだ。」

 森羅万象は、(それは自分の肉体をもひっくるめて)Soul(魂)が創造した外皮なのである。それは蚕の生命が創造した繭のようなものであり、蛇が生長して行く毎に脱皮する”皮”(蛇の抜け殻)みたいなものである。抜け殻は蛇の一時的外装であって、それは嘗て蛇によって創造せられ、用終りて捨て去られ消えて行くべきものなのである。生命は嘗て創造して、要を果たしたところのものを棄てていくが、”生命”は死ぬのではなく、常に前向きに前進するのである。その”生命”がただの生きる力ではなく、叡智を備えた普遍的なものであるとみとめたとき、それをSoulとエマソンは呼んでいるのである。

六日のことば 自覚者の言葉
 
「Soulは真理をみとめ、それを顕すものである。これが真理だとSoulはいうのだ。懐疑論者や嘲る者たちが何といおうと、われわれは真理を見たとき、それが真理だと知るのだ。愚かなる人たちは、自分が聴きたくないことをあなたが語ると、”あなたはどうしてそれが真理であって、あなた自身の謬見でない事がわかるのですか”と問い返す。それはわれわれが目覚めているときには、自分の目覚めていることが自明であるように、真理を見ればこれが真理だと知り、ただのある人の見解でないと知るのだ。」
 
 まことにこのエマソンの言葉は自己に宿る真理が目覚めて、自己の内在の真理と、宇宙普遍の真理とがカチカチ相触れ合って、直接”真理”を自覚した人の言葉だということができるのである。

昭和四十七年10月号の青年法語「エマソンの光明思想と生長の家」より


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