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聖典引用 板

1トキ:2011/11/23(水) 13:32:46 ID:YRze2u3c
 このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。


 上記に関連するテーマなら、広く受け付けます。また、教団、本流復活派、中立派など
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、たとえ違う立場の意見でも、お互いに尊重する寛大さ
をお願いします。

 この掲示板は、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。

 投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
 目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。

 スレッドのルールと方針は、生長の家の「今の教え」と「本流復活」を考えると、と同じに
考えております。

3405アクエリアン:2018/02/20(火) 19:29:58 ID:UNlwyDdw
アメリカの光明思想家マリアン・ウィリアムソン女史「久遠の自己」を語る
http://blog.livedoor.jp/newthought/archives/22258385.html

Aging Spiritually
(霊的に年を重ねる)

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

My father once told me, “When you’re old, you don’t feel old.”
I can appreciate what he meant when he said that, as I ponder the fact that the essential being I am inside myself is the same in my 50s as when I was only 15.
So who am I really?
Am I the woman who has changed with age, or am I the changeless self
within?
Am I the woman who is encased in time or the being who dwells apart from it?

私の父がかつて次のように私に語ったことがありました。
「お前が年をとったとしてもお前は自分が老いたとは感じないよ。」
私は父がこのことを語ったとき何を言おうとしていたのか、ということが、今の私なら理解できます。
というのも、私は、私の内なる本質は、15歳のときだろうが、50歳代のときだろうが、不変なのであるという事実を、ずっと考え続けているからです。
それでは、私とは一体いかなる存在なのでしょうか?
年齢とともに変わって行く一人の女性なのでしょうか?
あるいは、内なる不変の自己なのでしょうか?
時間という要素に制約されている女性なのか?
あるいは、時間という要素の制約を超えた存在なのでしょうか?

Sometimes when referring to things that happened long ago, we say things like “I remember it like it was yesterday.”
And that’s because in a way it was. If time, as Einstein declared, is merely an illusion of
consciousness, then linear time itself is a metaphysical fiction; everything that has happened, is happening, or will happen, is happening now. There, in that realm of the eternal now, is the true “I am.”

しばしば、かなり前に起きた事について言及するとき、「それは昨日のことのように覚えている」と言うことがある。そして、それはある意味その通りだからなのです。もし、時間というものがアインシュタインが言うように、単なる意識の幻影でしかないのならば、一直線に進む時間という概念そのものは、頭の中だけのフィクションにしかすぎないということになります。かつて起こったこと、今起こっていること、そして将来起こるであろうこと、これらのすべてのことは、今この瞬間に起きているのです。永遠の今という領域においてのみ、真の”私”が存在しているのです。

The eternal self dwells in eternity, and eternity intersects linear time at only one point: the present.
Who you are in this moment, therefore, is who you truly are. And from that essential point of perfect being―created anew by God in every instant―miracles flow naturally.
Thoughts of love interrupt the past and open the future to new probabilities.
No matter who you are, no matter how old you are, in the present, all things are possible.

久遠の自己は永遠のなかに存在するのです。そして、永遠と現象の直線的な、連続する時間とは、ただ一つの地点ーーつまり、現在ですねーーにおいて、まじわるのです。この瞬間のあなたの姿が、それゆえに、あなたの本当の存在の顕れなのだということになります。そして、あなたの本質は完全な存在である、つまり真の自己は瞬間瞬間に神によって新たに創造されているのだという絶対的な次元から奇跡は自然に生まれてくるのです。愛は過去を造り変えますし、未来に対して新たな可能性を開くのです。現在のあたながどのような境涯であろうと、何歳であろうと、あらゆる可能性が開かれているのです。

3406アクエリアン:2018/02/20(火) 19:34:59 ID:UNlwyDdw
アメリカの光明思想家マリアン・ウィリアムソン女史「久遠の自己」を語る (2)
http://blog.livedoor.jp/newthought/archives/22258385.html

The physical self ages, of course, but the spiritual self does not.
As we identify more with the spiritual dimension of our lives, then our experience begins to shift from the changeable to the changeless . . . from limitation to limitlessness . . . from fear to love.
As our journey through linear time gets shorter, our consciousness can in fact expand. And as it does, time itself is affected.
The deeper we go into the love of God, the more we actualize our earthly potential.

肉体の自己は、勿論、老化はまぬがれることはできませんが、霊的自己はそうではないのです。私たちの思考が、もっと霊的な次元に移行すればするほど、わたしたちの経験は、不安定なものから不変のものへ、限定から無限へ、恐怖から愛へと転換しはじめるのです。わたしたちの意識が現象の時間の束縛から解放される度合いにしたがって、わたしたちの意識は本当に拡大していくのです。そして意識が拡大していくと、時間そのものも影響を受けます。わたしたちが神の愛の中へ深く入っていけばいくほど、この地上におけるわたしたちの潜在能力をより多く実現していくのです。

The understanding of that which does not change is the key to our power within a world that does. In aligning ourselves with the eternal self, we age not in a straight line leading from luscious youth to decrepit age, but rather like the flowering lotus opening more and more to the light of the sun.

変化しない永遠の存在への覚醒が、この無常の世界の中に潜むわたしたちのパワーを開花させるための鍵です。わたしたちの真の自己である永遠の自己に目覚めるとき、わたしたちは、甘美な青春期から老いぼれた老年期へという常識的な人生のコースではなく、むしろ、蓮の花が太陽の光に向かって花開くような年齢のとり方をするようになってくるのです。

3407アクエリアン:2018/02/20(火) 19:44:17 ID:UNlwyDdw
■理想世界誌青年法語ご紹介

マリアン・ウィリアムソン女史は非常に深い真理を語っているのですが、久遠の自己について、谷口雅春先生のご法語を紹介させてもらいます。

四日のことば 超越的自己を自覚するために

 わたし達は”本当の自分”ではないところの単なる仮装の存在である肉体にばかり気をとられ、肉体が生活している”物質と見えている環境”の有様にのみ心を集中して生活している時には、この内在の”本当の自分”ーーSoul(魂)なる自分には気がつかないのである。しかし或る瞬間ーーそれは座禅や鎮魂や神想観や瞑想やーー兎も角、外界に心を振り向けずに自分の内的生命にのみひたすら心を振り向けた機会に、自己の内的生命の自覚が顕在になって来る。そのとき、イエスが「われはアブラハムの生まれぬ前(さき)より在るものなり」と自覚された時のような、肉体の年齢や時間を超越して実在するところの自分を自覚するのであるーー諸君もそれを自覚するときが来るのだーーそのためには毎日怠らずに神想観を実修するがよい。

五日のことば ”生命”は常に前向きに前進する

 やがて、あなたに時間・空間を超越した実相の自分を自覚し得た一瞬が来る。それまでは、普通の人は「時間と空間の障壁は真実で克服しがたく思われるほど、感覚の力は心を圧倒してしまっている」とエマソンは言っている。私たちの肉体は、時間・空間の枠の中で生活している。そしてこの肉体を五官の感覚で見て実在であるかの如くに感ずる。そして又、肉体をとり巻いている外界の一切のものを、固定した存在の如く考える。しかしエマソンは言う。
「私どもが今固定していると考えていることも、あたかも熟れた果実のように、ポタリ、ポタリと、私どもの経験から離脱して落ちて行くのだ・・・・風景、人物、ボストン、ロンドンも昔の制度や一抹の霧や煙と同様に一時的なものだ。社会もそうだ。世界もそうだ。Soul(魂)はじっと前を見つめ、前途に一つの世界を創造し、背後にいくつもの世界を捨てていく。Soul(魂)には日付けもなく、儀式もなく、からだもなく、専門もなく、人間もないのだ。Soulは Soulのみを知る。森羅万象はSoulが包まれている外装に過ぎないのだ。」

 森羅万象は、(それは自分の肉体をもひっくるめて)Soul(魂)が創造した外皮なのである。それは蚕の生命が創造した繭のようなものであり、蛇が生長して行く毎に脱皮する”皮”(蛇の抜け殻)みたいなものである。抜け殻は蛇の一時的外装であって、それは嘗て蛇によって創造せられ、用終りて捨て去られ消えて行くべきものなのである。生命は嘗て創造して、要を果たしたところのものを棄てていくが、”生命”は死ぬのではなく、常に前向きに前進するのである。その”生命”がただの生きる力ではなく、叡智を備えた普遍的なものであるとみとめたとき、それをSoulとエマソンは呼んでいるのである。

六日のことば 自覚者の言葉
 
「Soulは真理をみとめ、それを顕すものである。これが真理だとSoulはいうのだ。懐疑論者や嘲る者たちが何といおうと、われわれは真理を見たとき、それが真理だと知るのだ。愚かなる人たちは、自分が聴きたくないことをあなたが語ると、”あなたはどうしてそれが真理であって、あなた自身の謬見でない事がわかるのですか”と問い返す。それはわれわれが目覚めているときには、自分の目覚めていることが自明であるように、真理を見ればこれが真理だと知り、ただのある人の見解でないと知るのだ。」
 
 まことにこのエマソンの言葉は自己に宿る真理が目覚めて、自己の内在の真理と、宇宙普遍の真理とがカチカチ相触れ合って、直接”真理”を自覚した人の言葉だということができるのである。

昭和四十七年10月号の青年法語「エマソンの光明思想と生長の家」より


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