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聖典引用 板
3207
:
a hope
:2015/10/12(月) 10:25:21 ID:cEpBaIdo
○真理のみ、ただ真理のみがわれを生かすのだ。われを生かすものはパンではない。物質ではない。
○ただ霊によって新生するもののみが真に生きるのだ。そのほかの人の生はニセ物の生である。
霊によって新生せる者には激情はない。利己的欲望はない。憎しみはない。恐怖はない。
五官の快楽の虚妄を知るがゆえに、それに捉われることはない。
○旧我を放下せよ。今日から神の子となれる。
『智慧の言葉』より
3208
:
a hope
:2015/10/13(火) 09:06:25 ID:cEpBaIdo
○執すれば善も善にあらず、執せざれば悪も悪にらず、流るる水のごとく、
とどまざるところに、否その奥に本当の善がある。
○肉体は肉体である、人間ではない。
○罪は罪である、人間ではない。
○明日しようと思っている間に時は過ぎゆく。
あやまることは早くあやまるがよいし、和解することは早く和解するがよい。
すべての支払いは「明日に、明日に」と思っている間に、
延ばしていた期間だけ先方から悪い念波の放送を受け自分自身の生長を妨げられる。
○みんな自分の念が悪いのだ。自分の念の影であったのだ。
○ひとを責めようとしていたのはまちがいであった。
○他を喜ばそうという考えは自分を健康にし、他から喜ばしてもらおうという考えは病気を招く。
○人は自分の心だと言う。しかし自分の心をもっていると思うのはまちがいである。
自分が心をもつのではなくて、自分はすなわち心である。人は何よりもまず「心」である。
○わが肉体はわが心の影。
『智慧の言葉』より
3209
:
a hope
:2015/10/14(水) 08:55:36 ID:cEpBaIdo
○誉むべきことあればその人の前にて直言せよとは古(いにしえ)の教えである。
責むべき点あらば誉むべき点のみ探し出してその人を誉めよとは生長の家の教えである。
○自分に深切であれ――これを本当に実行している人は少ない。
○いかに多くの人々が毎日自分を傷つけていることであろう。憤怒、憎悪、恐怖、罵詈――その他すべての悪徳は自分を傷つける。
○すべての心の動きはその人の顔に印象される。
三年間同一の職業をつづけている人は(特異な思想生活を別にもっている人のほかは)一見してその職業がなんであるかがわかる。
○白粉(おしろい)で化粧しても心情の下劣は隠せない。心で化粧せよ。
『智慧の言葉』より
3210
:
a hope
:2015/10/15(木) 08:46:31 ID:cEpBaIdo
○真理は大きい。誰もその全部を摑んだ者はない。
○われらの無尽蔵とは良き水脈に穿(うが)たれた井戸のように汲めども尽きぬことを言うのであって、洪水のことではない。
○洪水はわれわれを滅ぼし、不断につきない井戸水はわれらを生かす。
○贅沢はわれわれを滅ぼし、程よき衣食住はわれわれを生長さす。
○どうでもよいことにいつまでもかかわるな、生命は貴(とうと)い。
『智慧の言葉』より
3211
:
a hope
:2015/10/16(金) 18:28:20 ID:cEpBaIdo
○ひとを拝め、自分を拝め、みんな神の子だ。肉体のことではないぞ。
○神の子たちが互いに挨拶するように、人間よ互いに挨拶せよ。
○世にもし軽蔑すべきものがあるならばそれは唯一つ、軽蔑するという行為である。
○世話になるすべてのものに感謝せよ。
『智慧の言葉』より
3212
:
a hope
:2015/10/17(土) 06:54:02 ID:cEpBaIdo
○苦痛を不幸だと思うのは肉体心のあやまりである。苦痛がたましいの生長にどんなに必要だとかいうことを知る者は苦痛でも喜べる。
○苦痛が喜べるようになった時、その人には恐ろしいものはない。
○人を憎むな、憎むのは自分の苦痛をこわがっているからだ。苦痛が喜べるようになったときその人は憎みから解放される。
○苦痛の火の中にあって、自分のたましいが白金か鉛か自問せよ。
『智慧の言葉』より
3213
:
a hope
:2015/10/18(日) 08:34:01 ID:75EsoCW6
○病気がなおったという理由で神を讃えるものは、今度病気になったとき神を呪わないとは限らない。
○いつでも神をたたえうる者は幸いだ。
○人間がみんな神の子であることを自覚しないのは実に気の毒なことだ。自己が神の子であるという自覚がいっさいのもとである。
『智慧の言葉』より
3214
:
a hope
:2015/10/19(月) 07:47:35 ID:YuH7GFGM
○なろうと思うよりも、なれると思って明るい気持ちで努力せよ。
○意志の力よりも想像の力の方が強い。想像力は創造力だ。
○みんな希望を実現しようと思って焦るが実現できると思って悠々と努力する者は少ない。失敗者の多いのはそのためだ。
○できると思うものは必ずできる。
『智慧の言葉』より
3215
:
a hope
:2015/10/20(火) 08:46:06 ID:cEpBaIdo
○わが教えは広く大いなる道である。あらゆる存在が尊べる道だ。生命あらゆる存在を拝む道だ。机でも大根でも拝む道だ。
○わが教えは審判(さば)く道ではないのだ。礼拝の道だ。包容の道だ。
○物を生かして使え。しかし生命はもっと大事だ。物を大事にしようと思って人間を不大事にする者は本末を転倒するものだ。一枚の皿を破ったといって人間をガミガミ叱るな。人間は皿より尊い。
○といって一枚の皿をも大切にせよ、それを造った人の生命が宿っている。
『智慧の言葉』より
3216
:
a hope
:2015/10/21(水) 07:34:40 ID:cEpBaIdo
○われらは種を蒔く人である。常に善き種を蒔け。深切な思いの種を蒔け。愛の種を蒔け。好意の種を蒔け。
○チューリップの花のように、バラの花のように、われわれの蒔いたよき思いがやがて花をさかすときの楽しみを思って喜べ。
○喜ぶ人は喜びの種を蒔く人だ。呪う人は呪いの種を蒔く人だ。悲しむ人は悲しみの種を蒔く人だ。
○蒔けば殖える。だからどんな方便でもして喜べ。
『智慧の言葉』より
3217
:
a hope
:2015/10/22(木) 08:58:58 ID:cEpBaIdo
○欠点を見つけるな。荒立てるな。静かに彼のために祈れ。
○家庭の精神的葛藤(いざこざ)で病気をつくっているものが多勢(おおぜい)ある。そんな病気はどんな薬も、霊術も、家庭の乱れを治さねば根本的には治すことはできぬ。
○事務所に窒息するような空気をつくるのも、輝くような雰囲気をつくるのも上役の心持(こころもち)次第である。
○家庭の幸福を内に持たない子供はかわいそうだ。危険と堕落とが外から呑もうとして待っている。
○子を愛する親たちよ、家庭を乱すな。
○子供をあまり束縛するな、神に委ねよ。家庭より外の方が楽しいようになったとき、子供は危険の淵に立つ。
『智慧の言葉』より
3218
:
a hope
:2015/10/23(金) 09:47:31 ID:cEpBaIdo
○すべての善さを知るものは幸いだ。自分の生活のみがいちばん善いと思っている間はだめだと知れ。どれも皆それぞれの姿において一ばん善いことを知るのが知恵である。
○善いということは生命がそこに顕現しているということである。
○朝顔の花をいちばん美しいと思うな。バラの花をいちばん美しいと思うな。藤の花をいちばん美しいと思うな。牡丹の花をいちばん美しいと思うな。生命は皆美しいのである。万象ことごとく美である。
『智慧の言葉』より
3219
:
a hope
:2015/10/24(土) 08:44:44 ID:cEpBaIdo
○人生は「迷惑」という側から見れば「迷惑」のかけ合いである。「世話をする」という側から見れば世話のし合いである。人に世話になることを恐れるな。その代わり他の世話をすることを惜しむな。助け合うという側から見れば助け合いばかりである。 そこは愛の世界がある。光明の世界がある。
○ひとの世話はしても、ひとの世話になりたくないという心はまだ「我」のくだかれない心である。
○愛でひとの世話をする人もあるが、誇りでひとの世話をする人もある。前者は神の前で高くせられ後者は神の前で低くせられる。
○自分がひとの世話をしたと思うな。みな大生命がさせたのである。胃腸は自分の力で全身に栄養をおくるのではない。胃腸のはたらきは全身の生命の機能である。世話をする者も世話をされるものもみな一体である。
○もし胃腸が栄養を送ってほかの部分を養うだけで、自分がほかから養われていることを拒むならば胃腸自身はほろびるだけでなく全体の生命がほろびる。
○世話したい人には素直に世話してもらって感謝し、世話されて余裕のある人は、また助けを呼んでいるものを世話してあげよ。これが愛の循環であり、報恩の道である。
『智慧の言葉』より
3220
:
a hope
:2015/10/25(日) 09:19:04 ID:cEpBaIdo
○相対性理論で有名なアインシュタイン博士は光線が引力によって引き寄せられて屈(ま)がることを発見した。引力をエーテルの作用だと言っている学者もあるが、引力とは結び合う力、愛の力、生命から放射する力である。
○地上の動物は引力(愛)の方向に従うとき最も多く生長する。姿勢の悪い植物はそれだけ生長が悪いのである。これはあらゆる生物についても同じである。
○あなたよ、姿勢を正しくせよ。それだけであなたは健康になる。
『智慧の言葉』より
3221
:
a hope
:2015/10/26(月) 09:29:15 ID:cEpBaIdo
○「祈り」で自分の心が調うことが第一であって、自分と大生命とのつながりができたとき、人間以上のものが人間の行為を導くのである。
○医者の診断も霊感と直覚とかによって正しく導かれねばならない。医者こそ最も多く祈らねばならない人たちである。
○生長の家ではだいたい薬は用いない。「生命の法則」に順(したが)うとき病気にならないのが普通であるからである。しかしもし「生命の法則」を破って病気になったときはどうするか。祈りを深めてゆくことによってどういう療法をとるべきかについて大生命からおはからいがあるのである。
『智慧の言葉』より
3222
:
a hope
:2015/10/27(火) 08:21:43 ID:cEpBaIdo
○罪人よ罪人よと言うなかれ、皆な神の子だ。罪人はひとりもいないのである。
○けがれたるこの身このまま罪なしと思う心はまた迷いである。このままで罪なしと思うのは驕慢の心である。けがれたるこの身は本当の自分ではないのだ。けがれない円満なる本性が自分のうちにあって、この本性こそ本当の自分であると知るものが自己の本性をしるものである。
○このままで罪なしと自任するのは、このままの自分を本当の自分だと思い違えているのである。迷いを実在と見、それに執着しているのである。
○省みて迷いと本性とを区別し、迷いの相(あらわれ)を否定し尽し、円満完全なる自性を肯定しつくしたとき、五官の眼でこれが自分だと思っていた不完全な相(すがた)が消滅して、円満完全融通無礙なる自分の本性が開顕するのである。
『智慧の言葉』より
3223
:
a hope
:2015/10/28(水) 09:00:50 ID:cEpBaIdo
○打たれて腹が立ったり、膨れたり、反抗したりするのは負けた感じがするからである。強がりは本当は弱いのである。上手がりは本当は下手なのである。
○赤ん坊に対して腹が立たぬのは負けた感じがテンデしないからである。
○本当に強者としての自覚があれば、従順になれるのである。従順になる稽古は強者になる稽古である。神の子になる稽古である。
『智慧の言葉』より
3224
:
a hope
:2015/10/29(木) 06:14:55 ID:cEpBaIdo
○愛に一時報いがないように見えても愛の力を疑うな。愛した相手に叛(そむ)かれても愛の力を疑うな。すぐに結果がでるような功利的なものよりも大きな果(み)を愛は結ぶのだ。
○愛はすべての物に調和と平和とを齎(もたら)す精神波動である。この世に隠れたる愛がなかったらもっとこの世は悲惨であったに違いない。愛の精神波動は永遠に消えないでついに神のみ許(もと)に達するのだ。
○今まで注がれた愛でいまだ一度も無駄であったものはない。愛はこの世で花を開いて皆の者に喜ばれ、神の国で実を結ぶ。
『智慧の言葉』より
3225
:
a hope
:2015/10/30(金) 08:13:39 ID:cEpBaIdo
○愛は、人と人との接触を和らげ、人生を住みよきものたらしめる。そこまでは誰でも知っている。されど、人間の愛が自然界に及ぼす影響を知っている人は少ない。すべての人間が互いに愛するようになり、怒りや憎しみや妬みなどの不調和な精神波動がこの世から消滅してしまえば、自然界の現象を支えている内的な力に一大変化が起こり、調和がおのずから自然界を支配し、聖書にあるような獅子と羊とが一緒に遊んでいる世界が出現するのである。眼に見える世界は心の世界の影でしかないからである。ことに万物の霊長でたる人間の心は万物を支配する。
○その時植物は今よりいっそう美しく花を開き、小鳥は今よりいっそう美しき声で鳴き、猛獣は猫のように人間の膝に眠る。
○生長の家が憎しみに反対するのは憎しみが人生の不幸の根であるからである。宇宙を支えている心の力を清めなければ、外界の一つの不調和をなんらかの方法で刈りとっても、またほかから不調和の芽が出て来る。不調和の根が残っているからである。
○心の改造に立脚せぬ社会改造運動が善いように見えて、結果がおもしろくないのは、不調和の根(心的実在)を刈りとることを忘れているからである。「剣をとるものは剣でほろびる。」憎しみで立つものは憎しみで滅びる。
○なんじら憎みのパン種で膨らましたパンを慎(つつし)めよ。それは美味しく見えても食べる者の心を憎しみで膨らますのである。
○一国を支配する者は名君である。しかし自己の心を支配しうる者の方がいっそうの名君である。
『智慧の言葉』より
3226
:
a hope
:2015/10/31(土) 07:02:48 ID:cEpBaIdo
○損をしたという。だけれども、よくよく考えれば人生はどんなに損をしようと思っても損のできないように造られているのである。損をしたと見えるような時こそ、魂が何かを摑んでいる時である。
○苦しみは損ではない。貧乏も損ではない。良薬は口に苦し。何が来ても、その中から養分を吸いとってわが生命は肥(ふと)るのだ。
○金銭の損で心を穢(けが)すな。昔から真に偉大な人は、みずから好んで金銭を捨てた人の方に多いのだ。
○他人(ひと)を我で自由にしようと思うな。自分で自由にしようとして自由にできる物は一つもない。しかし自分で自由にしようと力まないようになれば、なんと不思議、すべてのことが自由にらくに運ぶのである。我がなくなるからである。
『智慧の言葉』より
3227
:
a hope
:2015/11/01(日) 09:29:54 ID:cEpBaIdo
○生命の実相を信ぜよ。実相の神を信ぜよ。実相の神に結びつくとき、いっさいの罪は自分から切り離される。実相の世界には罪は存在しないからである。自分から切り離された罪は消滅する。
○生命の実相――生長の家の礼拝の対象はこれである。生命の実相――あらわれて阿弥陀仏となり、釈迦となり、イエスとなり、一切善き宗教の教えとなる。「彼を信ずる者の、その名によりて罪の赦しを得るべきことを証しす」と『使徒行伝』十章四十三にあるが、彼とは生命の実相である。生命の実相を信じ礼しこれに結びつく者は幸いなるかな。
『智慧の言葉』より
3228
:
a hope
:2015/11/02(月) 08:57:05 ID:cEpBaIdo
○ある所に重荷を背負ってくるしみながら歩いている男があった。馬車屋が、その男が重荷に苦しんでいるのを見てこの馬車に乗って行けと言った。男は喜んでその馬車に乗った。「その荷物を下へおろしなさい。値段は同じこと無代(ただ)だから」と馬車屋は言った。「めっそうな、わたしは載せてもらうだけでもありがたいのですから、この荷物はわたしが舁(かつ)いで行きます」とその男は答えた。
これはアイルランドのお伽噺だ。実相の神は渾(すべ)てであるからわれわれが馬車の中で重荷を背負わなくとも一緒に運んで下さるのである。
○なんじの悩みは神に語れ。人に語らずして神に語れ。人に悩みを語ればその悩みは反響してさらに悩みは増加するであろう。神に語れば悩みは消える。神は実相の神であり、実相の光の射す所に悩みの暗(やみ)は存在しないからである。悩みは変じて喜びとなり、訴えは変じて感謝となるであろう。すべてのものはすでになんじらに与えられているのである。
○悩みを数えるよりも、恩恵を数え上げよ。なんじはそんなに賜物が多いのになぜ呟くのだろう。不健康にならなければ健康を感謝しないものには不健康が来り、囀(さえず)る鳥が飛び去らねば囀る鳥の妙音に讃嘆し得ない者の庭からは、囀る鳥は飛び去るのである。生長の家の生活は、感謝の生活である。
○生長の家の生活はすべてが与えられた生活であるから、感謝の生活のほかはない。
『智慧の言葉』より
3229
:
a hope
:2015/11/03(火) 11:09:54 ID:cEpBaIdo
○病気に悩んでいる者でも、今まで健康を頂いていたことに感謝しなかったことをお詫びし、さらに現に健康が与えられていることに感謝し、神想観をしてその感謝の精神を統一して感謝の念を深めてゆけば、その病気が癒されるのである。眼の悪い人は、今まで完全な眼を与えられていながら感謝しなかったことをお詫びし、さらに進んで現に完全な眼を与えられていることを確認して、それに対して徹底的に感謝の念を深めてゆくときはその眼が癒えるのである。徹底的感謝生活に病気はない。
○感謝は実に絶大な力である。それは与えられた事物に対する受身の力だけでなく積極的な創造力である。
『智慧の言葉』より
3230
:
a hope
:2015/11/04(水) 08:47:15 ID:cEpBaIdo
○「個」を絶したところに「本当の神」があり、「本当の我」がある。
○本当の信仰というものは父を知り自分を知ることから始まらねばならぬ。父とは神、自分とは神の子だ。
○われと神の子とが、ぴったりと出会うこと、父と子とが完全に相会うこと、これが本当の信仰である。
○信仰とは神のみ懐(ふところ)に抱かれることである。
『智慧の言葉』より
3231
:
a hope
:2015/11/06(金) 08:31:10 ID:cEpBaIdo
○「霊」が心霊現象実験室に出て来たと言う者があるけれども、「霊」は実験室にも五官の世界にも六官の世界にさえも出て来るものではない。五官はもちろん、六官の世界にさえも姿をあらわすのは「霊」そのものではなく念波の現象化したのである。体は実験できるが、霊は実験にのらない。
○逆説(パラドクス)のようだが、実験しうるものはかえって実在しないのであって、実験しえないものがかえって実在する。
○人は「霊」である。「霊」は神である。人を肉体だと思っている夢から覚めよ。
『智慧の言葉』より
3232
:
a hope
:2015/11/08(日) 10:18:59 ID:cEpBaIdo
○人間は物質にいない。
○消滅する者は真の人間ではない。
○永遠不滅のものが真の人間である。
○神は人間の母胎であり、人間は神の子の誕生である。
○神についての学説は何するものぞ。自分が神であるという一大事に目覚めることが大切である。
『智慧の言葉』より
3233
:
a hope
:2015/11/09(月) 09:51:38 ID:cEpBaIdo
○人には適業がある。しかし今を深く穿(うが)ち入るとき、その適業に到達し、ついにそれを発見する。わたしは本来無学、会社員生活に深く穿ち入ることによって、生長の家生活に到達し、多病に深く穿ち入って生長の家の健康学に到達し、長時間の激務をつぶさに味わいて、人類を経済的苦難より救うべき生長の家経済学に到達したのである。適業は、現在に深く穿ち入り深く味わい深く考え、些細のものにもその有する意義に触れるときひとりでに得られる。
『智慧の言葉』より
3234
:
a hope
:2015/11/10(火) 07:54:30 ID:cEpBaIdo
○できるだけ大多数の人類のために働け、しかし、最も近き一人のものに深切でない者は神のみ心に適(かな)わないものである。
○生命は坂道を登る車のようなものである。静止すれば後退し、動けば必ず上昇する。
○すべての知識を軽蔑するな。またすべての知識を盲信するな。すべての知識は、ひとりひとりの人類の選手が昇ったところのその高度をあらわす。
○善いと思ったことにはすぐに取りかかれ。失敗しても倒れても恥ずかしくない。再び起き上がった時には以前より進歩している。
○魂から動け、自己を偽るな。
○家庭で善き人たれ。家庭で尊敬されず喜ばれない者の価値は知れている。近き人を愛しえないで人類を愛すると称するものは、人類を愛していると空想しているにすぎない。
『智慧の言葉』より
3235
:
a hope
:2015/11/11(水) 10:16:40 ID:cEpBaIdo
○かつて満州に大刀会(だいとうかい)というのがあって、腹に一種の護符(ごふ)を巻きつけ「弾丸(たま)は当たらない、当たっても死なない、死んでも生き還る」という大信念をもって、大刀を振りかぶって突進してくる信仰団体の軍があった。
それは機関銃の猛射を浴びせかけてもなかなか仆(たお)れぬ。
さすがに弾丸(たま)は当たるが、当たっても二発や三発ではなかなか死にはしない。
いったん倒れてもまたムクムクと起き上がって来て肉迫するのだそうだ。
だから大刀会が出て来るとどうしても※白兵戦を演じないと納まらない。
斃(たお)れた彼らを見ると身にいすれも十数弾を受けてなおかつ前進して、ついに、斬り死にしたものであることがわかったそうだ。
信念の力はかくのごとく偉大なものだ。
一回や二回や三回の喀血で驚くのはこの大刀会の人たちの信念に恥じるがよい。
一回や二回や三回の人生の蹉跌(さてつ)で再び起き上がらないものも愧(は)じるがよい。
恥ずかしいのは躓(つまず)くことでも倒れることでもない、再び起き上がる力を失うことだ。
井戸の水でも井戸替えするときには一時涸(か)れがれになるが、一時涸れるのはいっそうよき水が豊富に出るためであるから恥ずかしくない。
人間は一時挫折したように見えても再び滾々(こんこん)と神の生命が与えられるのである。
『智慧の言葉』より
※白刃を使っての肉迫戦。
3236
:
a hope
:2015/11/15(日) 10:35:13 ID:cEpBaIdo
○みんな病気の人を見ていると治してもらったら神を信じようと思っているが、アベコベである。
神を信じたら癒(なお)るのである。
神を信ずるということは神に対するラジオ的受信機をつくることである。
受信機のない所でラジオは聞こえない。
いろいろの神を信じたが癒らなかったという人は、どんな神を信じたか自分で信仰を考えてみるがよい。
本当の神とは偶像の神ではない、またいろいろ執念をもつ「霊」たちのことでもない。
本当の神はただ一つ――完(まった)きわれらの造り主にして救い主なる神である。
本当の神に感応するにはそれに合う心の波長の受信機を作らねばならぬ。
『智慧の言葉』より
3237
:
a hope
:2015/11/17(火) 08:56:00 ID:cEpBaIdo
○不平、出し惜み、怒り、妬み、すべて擦れる心、和解せぬこころは病気の因(もと)である。
○実相のほかに、外的な神を認めなくなったとき、本当の魂(たましい)の夜明けが来る。それまでは人間はいろいろの霊に頼り、人間に頼り、偶像に頼って失敗する。
○何よりも自己の良心を礼拝し、それに絶対服従するものは、形の神に誓いをたてるものよりも信心深い者である。
『智慧の言葉』より
3238
:
a hope
:2015/11/19(木) 09:12:22 ID:cEpBaIdo
○薬剤の広告や栄養剤の広告はなるべく見ないがよい。
それを見ていると釣り込まれて薬剤や栄養剤が欲しくなる。
その欲望を満たしたい潜在意識が、内部からその薬剤や栄養剤を必要とする病気を造り上げる。
潜在意識が求めた薬剤に出会(でくわ)したら満足して病気を引っ込める。
薬剤や栄養剤の広告は病の作り手であるから見ないがよい。
『智慧の言葉』より
3239
:
a hope
:2015/11/24(火) 09:14:06 ID:cEpBaIdo
○これ以上できないという「限度」はない。現在の報酬以上を欲するものは、この「限度」の考えを捨てよ。今の限度を超えることが進歩の秘訣である。
○報酬とは人間から貰うサラリーのことばかりではない。神から頂く報酬もある。その人自身の発達ということこそ、神から頂くいっそう大切な報酬だと知らねばならぬ。物質的報酬は「主」ではなく随伴物にすぎない。
○百円の報酬をもらっている者が常に百円の仕事をしたのでは昇給の見込みはない。百二十円の仕事を常になすとき、ついに認められて百二十円に昇給される。これは人生の譬話(たとえばなし)である。だんだん仕事の品質を落としてゆくものはついに解雇されるのである。
○佳(よ)きものは認められるまでに時間がかかることもまた知らねばならぬ。
○仕事をすることと、人間から給料をもらうということは別である。仕事はどこにも満ちているが、人間から給料をもらう仕事は欠乏している。神から「霊魂の発達」という給料を貰うつもりの仕事ならどこにもある。
『智慧の言葉』より
3240
:
a hope
:2015/11/28(土) 10:11:27 ID:cEpBaIdo
○一つの憎しみは十人の憎しみを招(よ)び、一つの愛念は百人の愛念を招(よ)ぶ。
○本来自己のうちにはすべてがある。ただ見出せないだけである。
○あらゆる生長は、外から触れるものに触発せられて、内部にあるものが出て来るのである。
○愛しない生活は生活ではない。それは「生ける屍(しかばね)」の生活である。
『智慧の言葉』より
3241
:
a hope
:2015/12/29(火) 05:20:57 ID:xVBwxesw
○済んだことの中に生活せず、「今」の中に生活せよ。「今」は常に生きている。今の中にはあらゆるものが輝いている。「今」は常に新しく、「今」は常に喜びに満ちている。
過去にどんな悲しいことがあったにしても、それについては思い煩うな。「今」天地は一新したのである。もう別の天地に生きているのである。
過去に寒風に吹き曝(さら)されたことを嘆かないで、「今」梅の花は喜びに満たされて咲いている。梅の花よりも尊く強く逞しきが人間である。喜ぶことしか無いのが人間である。
○善とは生命の実相に仕えること、生命の実相の催しのままに生きることである。物質的手段に頼って見たり、時には生命の実相に頼って見たり、フラフラするようなことではなんの甲斐もない。人は二人の主に仕えることは出来ない。
○真理への道はただ一つ――人間は神の子だ――ということである。
○神をもっと尊べ。神のみが造り主だ。神から出たものに悪があると思うな。神から出たものに病気などという不完全なものがあると思うな。
『智慧の言葉』より
3242
:
a hope
:2015/12/30(水) 06:07:40 ID:xVBwxesw
○愛して報償を求める愛は巧利的な愛である。利益にならなければ腹の立つ愛である。
○われを忘れた愛が惟神(かんながら)の愛である。神流れの愛である。神催しの愛である。神と偕(とも)なる愛である。大菩薩の愛である。
『智慧の言葉』より
3243
:
a hope
:2015/12/31(木) 10:06:43 ID:xVBwxesw
○ぜひせねばならぬ仕事が多いと呟くな。忙しいということを感謝せよ。必要は埋蔵されたる「内なる無限力」を呼び覚ます。
○懶(なま)け者の悪魔を駆り立て、逐(お)いだし、生命の本然(ほんねん)を完(まっと)うさせてくれるものは、「必要」と「多忙」である。「必要」と「多忙」とで病気の治った人はたくさんある。
○生命の本念は働くことである。生命は働くことによって生長する。「必要」と「多忙」に感謝する者は生長する。
『智慧の言葉』より
3247
:
a hope
:2016/01/01(金) 05:24:51 ID:vdNCBnG6
「新天新地の神示」
見よ、われ既に天地をあらたならしめたのである。
人々よ、眼の蔽(おほ)ひをとれ、われは新しき智慧である。
新しき生命である。
新しき宇宙である。
新しき光明である。
われ臨(きた)つて此の世界は既に變貌(へんぼう)したのである。
既に信ずる者の暗黒は消え、醜汚は滅し、病は癒え、悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。
神秘を見て人々よ、目覚めよ。
覚めてわが新しき光に照らして存在の真實を見よ。
われは存在の實相を照らし出す完成(なゝつ)の燈台に燈(ひ)を點(てん)ずるものである。
悲しみに泣き濡れた人々よ。
いま眼を上げて吾が光を受けよ。
汝の悲しみは喜びに變(かわ)るであらう。
病める者よ、いま病(やまひ)の床より起ちて、わが生命を受けよ。
われを拒むな。
われを信ぜざる者は已(や)むを得ぬ。
われを信ずる者は黙坐してわれを念じ、われに依り頼れ。
われ汝等に『神想観』と云ふ観行を教えへたれば、それを為せ。
われに汲(く)むものは常に新しき力に涸(か)れないであらう。
吾れを呼ぶ者のもとに吾れは常にありて、汝らのために汝らの重きくびきを軽からしめる。
なんじ一人ならば吾れを念じて吾れとともに二人と思え。
悩める者よ、わが言葉を讀(よ)めば苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。
そはわれは限りなき大愛(たいあい)であるからである。
汝ら事にのぞんでわれを呼べば、自己の知らざる智慧の湧き出づるに驚くであらう。
信ぜぬ者、呼ばぬ者は、不憫であるが助けやうがないのである。
汝の心の疑いがわが救いの波長に合はないからである。
遠くにゐて救はれてゐる者もあるが、近くにゐても救はれぬ人もある。
仕方のないことであるが不憫である。
もっと兄弟たちに、『生長の家』を傳(つた)えよ。
神の愛は貰い切りではならぬ。
頂いたお蔭を『私』しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。
『生長の家の神』と假(か)りに呼ばしてあるが、『七つの燈臺の點燈者』と呼んでも好い。
七つの教へとイスラエルの十二の分派(わかれ)がわが教へ
で新しき生命を得るのだ。
わが教へはどんな宗派をも排斥するような狭い宗派ではない。
教への太宗(もと)であるから宗教と云ふのである。
3248
:
a hope
:2016/01/01(金) 05:29:00 ID:xVBwxesw
トキさま みなさま
明けましておめでとうございます。
「生長の家」とは全世界、全宇宙のことをさしてそう喚ぶのでしたね。
どこにいても、何を信じ、どんな宗教を信仰していても、わたしたち人類は生長の家の家族なんですね。
世界中どこにも、誰一人として生長の家の家族じゃない人なんていない…
この壮大な真理を学べることに感謝の気持ちでいっぱいです!
みなさま、今年もどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
3253
:
a hope
:2016/01/02(土) 06:23:31 ID:AvzVlmnc
○思想は時として天上から降って来る。あるいは地下から予期もしない時に湧いて来る。その思想は時として霊界からの放送の感受でもあれば自己の神性からの噴出であることもある。
天上の思想も地湧(ちゆう)の霊想も時間を超越している。す
ぐその時、間に合わなくとも捨てるべきではない。忘れてしまえば二度と想い出せないような思想に価値のあるものが多いのである。しばらく筺底(きょうてい)に埋めておけばやがて現実の用途に花咲く思想もある。
「想」は現実に先だち、「想」あって現実が芽生える。小さな手帳を常に懐中しておき、「想」起こるに従ってそれを簡単に書き止めておくのは良い方法である。
○「想」に詩想もあれば、思想もあり、実用に関する解決の暗示もある。これを部分別(クラシフアイ)して手帳に書きとめておき、問題に従って、そこを開いて見ると非常に導かれることが多いものである。
○他を羨むな。自己の現実に満足するな。自己の奥にあるところの無限の宝を羨んで、その無限性を掴むべく突貫するのが最も自己生長の道である。
○思想はこれを紙に書くときいっそう深まる。計画もこれを書き下すときいっそう微細のところに注意が行き届く。書いてみると精神が統一する。書いてみると分析と統一とが同時に行われる。
『智慧の言葉』より
3254
:
a hope
:2016/01/03(日) 05:11:47 ID:db3DXNJE
○黄金は指環にしても金貨にしても帯留(おびどめ)にしても黄金に変わりない。いろいろの形をしているのは中間因果であり、どんな形にしても黄金の本質を失わないのは本来因果である。
人間も神の子であることが本来因果であり、どんな形になっても、肉体が壊れても、神の子である本質は壊れてしまうことはないのである。
○死んだと思ったら生きられるのだ。形にとらわれなくなるからだ。
『智慧の言葉』より
3255
:
a hope
:2016/01/04(月) 05:57:56 ID:AvzVlmnc
○最も善き施しは、罪を消し、死を消し、欠乏を消し、すべてが完全に備われる自己の生命を自覚せしめる教えである。
○至上階の愛は自分がしたのではない。神と偕(とも)なるとき、おのずからできた愛であるから、「自分がした」という感じが少しも残っていないのである。
『智慧の言葉』より
3256
:
a hope
:2016/01/05(火) 06:50:04 ID:vdNCBnG6
○真理のみ、ただ真理のみわれを生かすのだ。われを生かすのはパンではない。物質ではない。
○ただ霊によって新生せるもののみが真に生きるのだ。そのほかの人の生はニセ物の生である。霊によって新生する者には激情はない。利己的欲望はない。憎みはない。恐怖はない。五官の快楽の虚妄(こもう)を知るがゆえに、それに捉えられることはない。
『智慧の言葉』より
3257
:
a hope
:2016/01/06(水) 05:07:28 ID:vdNCBnG6
○明日しようと思っている間に時は過ぎゆく。あやまることは早くあやまるがよいし、和解することは早く和解するがよい。すべての支払いは明日に、明日にと思っている間に、延ばしていた期間だけ先方から悪い念波を受け自分自身の生長のを妨げられる。
○他を喜ばそうという考えは自分を健康にし、他から喜ばしてもらおうという考えは病気を招く。
○ひとに対して晴れやかに笑え、晴れやかな笑いは自他の栄養剤である。
『智慧の言葉』より
3258
:
a hope
:2016/01/07(木) 06:00:29 ID:xVBwxesw
○明日の苦を思い煩(わずら)うことなかれ。一日の苦労は一日にて足れリ、想像の苦痛は現実の苦痛よりも耐えがたい。
○わが肉体はわが心の影である。わが境遇もわが心の影である。
○希望は現実の母である。希望に燃えよ。希望の火でいっさいを焼きつくせ。
『智慧の言葉』より
3259
:
a hope
:2016/01/08(金) 05:45:38 ID:vdNCBnG6
○その日その日が宗教生活である。自己を生かすことが宗教生活である。働くことが宗教生活である。愛することが宗教生活である。周囲を生かすことが宗教生活である。
○天に地に感謝せよ。万物が皆ありがたい。おのずから合掌される。始終この心持ちでおれ。
『智慧の言葉』より
3260
:
a hope
:2016/01/09(土) 06:17:17 ID:U0u35Q4s
○苦しみよりもむしろ恍惚感を警戒せよ。そこに魂を麻痺さすニセ物の歓びがある。
○心が善くならないでいて病気が治るものは禍(わざわい)いだ。
○世界は正札で駆け引きも値引きもない。世界は当人の心だけのものを投げ返す。
○小さなことを口惜(くや)むな。われらの最も口惜やむべきことは、そんな小さなことに心を動かすという自分の小ささだ。
『智慧の言葉』より
3261
:
a hope
:2016/01/10(日) 06:02:54 ID:xVBwxesw
○生命の尺度で価値を測れ、金ではかるな。
○きょう種を蒔いたからとてきょうは生えない。芽が出るには時間が要るのだ。信じて待つということは仕事の秘訣だ。
○なろうと思うよりも、なれると思って明るい気持ちで努力せよ。
『智慧の言葉』より
3262
:
アクエリアン
:2016/01/10(日) 08:41:57 ID:fJvizyYg
アメリカの光明思想家マリアン・ウィリアムソン女史のツイッターより
Marianne Williamson @marwilliamson · 1月8日
The real you is not a body. Your body is merely a suit of clothes. Physical birth was not your beginning and physical death is not your end.
本当のあなたは肉体ではないのである。
あなたの肉体は単なる衣服なのである。
肉体の誕生はあなたの始まりではなく、肉体の死はあなたの終わりではない。
3263
:
a hope
:2016/01/11(月) 04:58:28 ID:ff8KF8HE
○意志の力よりも想像の力の方が強い。想像力は創造力だ。
○みずから起て。自分の弱さを語るな。自分の弱さは語るほど自分を弱める。
○人は自分と同じ者を相手に見出だす。あらゆる場合において、人は相手そのものを見るのではない。自分の心を相手という鏡にうつして見るのである。
『智慧の言葉』より
3264
:
a hope
:2016/01/12(火) 06:52:30 ID:eEgXmqXM
○もっと奥深い「生命」まで突っ込んで行け。奥の奥、裏の裏にある生命を見よ。
○われらは種子を蒔く人である。常に善き種を蒔け。深切な思いの種を蒔け。愛の種を蒔け。好意の種を蒔け。
『智慧の言葉』より
3265
:
a hope
:2016/01/13(水) 07:44:22 ID:soD8RaA2
○陰を見るな。光明の方面を見よ。見た方面が強くあらわれる。
○手を伸ばし、腹を伸ばし、胸を伸ばし、眉を伸ばせ。これが生長の道である。
『智慧の言葉』より
3266
:
a hope
:2016/01/14(木) 12:20:32 ID:UDuecul.
○捉われないことと不注意とは別物である。注意深くして捉われないのが上々である。
○欠点を見つけるな。荒立てるな。静かに彼のために祈れ。
『智慧の言葉』より
3267
:
a hope
:2016/01/16(土) 07:00:46 ID:Doq6emUU
○家庭の精神的葛藤(いざこざ)で病気をつくっているものが多勢ある。そんな病気はどんな薬も、霊術も、家庭の乱れを治さねば根本的には治すことはできぬ。
○家庭の幸福を内にもたない子供はかわいそうだ。危険と堕落とが外から呑もうとしてまっている。
○子供をあまり拘束するな、神に委ねよ。家庭よりも外の方が楽しいようになったとき、子供は危険の淵に立つ。
『智慧の言葉』より
3268
:
a hope
:2016/01/19(火) 09:46:29 ID:cEpBaIdo
○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がっていないか」などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他(ほか)をも生かし自分も生かす。
○愛でひとを世話する人もさるが、誇りでひとを世話する人もある。前者は神の前で高くせられ後者は神の前で低くせられる。
○世話したい人には素直に世話してもらって感謝し、せわされて余裕のある人は、また助けを呼んでいるものを世話してあげよ。これが愛の巡環であり、報恩の道である。
○神に近づく道は一歩一歩小善を積むことにある。
『智慧の言葉』より
3269
:
行雲流水
:2016/02/02(火) 16:53:27 ID:AQTKgfSE
「いのちのゆには」の神示
見真道場(いのちのゆには)とは真(まこと)を見(あら)はす齋(きよ)めの場(には)である。
略
愛の心で来るものは神徳を受けて帰るが、審判(さば)く心や素見(ひやか)し心で来るものは神と心の波長が合わぬから其の心が直らぬうちは神徳は受けられぬ。
(昭和七年三月十四日神示)
3270
:
天の使い
:2016/02/02(火) 17:34:24 ID:AQTKgfSE
(天の使い)地を指して宣わく
「見よ、これ実相世界なり。実相世界は父の国なり。天国なり、浄土なり。
父の国には住居多し。実相世界の住居は悉くこれ「生長の家」なれば
住民に飢えなく、悲しみなく、争いなく、病なく、
万の物ことごとく意に従って出現し、用足りておのずから姿を消す。
円満具足清浄微妙の世界。
これ実相世界、これ汝らの世界、そのほかに世界あることなし。」
(聖経天使の言葉)
3271
:
a hope
:2016/02/03(水) 09:54:49 ID:cEpBaIdo
○苦しくても逃げ出そうと思うな。自己が置かれている境遇が、自己のたましいの生長に最もよい栄養であるのである。たましいがその境遇から得られるあらゆる栄養を吸いとったとき、別の境遇がおのずから開けてくる。
『智慧の言葉』より
3272
:
a hope
:2016/02/05(金) 08:00:40 ID:cEpBaIdo
○天の愛と地の愛と、父の愛と母の愛と。天の生気と地の生気と両々そろって万物は育成するのだ。
○あなたよ、姿勢を正しくせよ。それだけであなたは健康になる。
○「祈り」で自分の心が調うことが第一であって、自分と大生命とのつながりができたとき、人間以上のものが人間の行為を導くのである。
『智慧の言葉』より
3273
:
a hope
:2016/02/29(月) 11:17:04 ID:cEpBaIdo
「神の真義とその理解」 谷口雅春先生著
はしがき
神とは如何なるものであるか、知らない人が多いのである。
自己の内に生きている生命の尊厳を本当は自覚しながら、それ故にこそ生命の尊厳を主張し、基本人権の絶対権を説きながら、それでいて「自分は無神論者だ」とか「唯物論者だ」とか思っている人々もある。
それとは又別に、実に敬虔に神を信じ、神を礼拝し、神を讃えながら、その神が自分の生命とは別に、自己の外に在る神道自在の神秘者であり、〝自分〝 というものは、その権力の前に躓(ひざまづ)いていなければならない〝奴隷的存在〝 に過ぎないと自己卑下している気の毒な善人もある。
しかし本当の神は、そんなに自己の外のみあるのではないのである。
神は普遍的存在であると同時に自己の内にある生命が〝神〝 であるのである。
その実相を自覚しない気の毒な善人は、常に〝神の前〝 に戦々競々として慴(おび)えていなければならないのである。
そんな人たちが、神罰の予想の前に、ニセモノの宗教家に欺(あざむ)かれて、いつまでもその邪宗に縛りつけられてそこから脱出できないで常に搾取せられているのは、まことに見るに堪えない気の毒さである。
3274
:
a hope
:2016/02/29(月) 11:17:50 ID:cEpBaIdo
それ故にわたしは、既に五十年前に亙(わた)って人間の生命の実相(ほんとうのすがた)が、〝神〝 の生命であることを『生命の實相』に於いて説きつづけて来たのである。
かくて私の著書『生命の實相』を読むことによって、自己が決して「罪の子」でなく、「罪悪深重の凡夫」でもなく、神の生命こそ、自己に宿って、自己の生命となっており、自己というものが個性的に顕現した普遍的存在であるという神の真義を知り、自己の生命の尊厳と本来の円満完全さとを自覚すると共に、今まで、自己の罪悪意識に由るところの〝自己処罰〝 による色々の病気や、不幸や、遭難や、貧乏を克服して、真の自由人となり、自己の生命を本当に尊重することによって自己の人生を快適にして裕(ゆた)かなる楽園たらしめ得ると同時に、周囲の人々をも救い得た幾多の人々の体験があらわれて来たのである。
生長の家の信者という人たちは、そのような人たちの集まりである。
3275
:
a hope
:2016/02/29(月) 11:18:34 ID:cEpBaIdo
しかし神は自己に内在する「生命の実相」としての神だけではなく、色々の段階に於いて神は無限の姿をあらわしてい給うのである。
「われに姿かたちがあるようにいう者あれどもわれは姿なきものである」と宣言し給える、絶対者としての神もあり、森羅万象の中にその姿をあらわしてい給う普遍的存在なる神もある。
その普遍的存在たる実相を媒介として、人間は神と霊交し、森羅万象の生命と互いに交通する、その霊的交通によって、われわれは森羅万象に向かって話しかけ、意のままに楽園の天国を地上に建設することが出来るのである。
絶対者としての神は無言でわれわれに話しかけ給う。
しかし顕現者としての神は、聴こえる声でも話しかけ給う。
顕現者としての神と吾々は交通し得たとき、神は吾々の〝天の父〝 ともなって人格的な神との交通が得られるのである。
その人格的な神との接触を、具体的に実現するために、神社や拝殿を造営して、神との人格的接触の〝場〝 とすることも出来る。
その造営に必要な布施又は荘厳供養の実践によって、人間は〝愛〝 というものを生活の具体的営みの中に体験し霊魂が進歩し向上するのである。
3276
:
a hope
:2016/02/29(月) 11:19:16 ID:cEpBaIdo
神は〝一〝 であると同時に〝全〝 であり〝多〝 である。
〝一即多〝 〝多即一〝 であり、一神即万神であり、一仏一切仏である。
しかし神は自己の個性的顕現をもって、自己内在の無限を表現し給うのであるから、同一個性を持って万人又は万物があらわれることを嫌い給うのである。
それ故に〝一神即万神〝 として色々の使命をもつ神々を顕現し給う。
また〝一仏一切仏〝 として無数の如来を顕現し給い、その使命又は役割も、個性をもって各々異り給うのである。
3277
:
a hope
:2016/02/29(月) 11:19:56 ID:cEpBaIdo
住吉大神の如く宇宙天地の万物万生を浄め給うて、地上に天国を建立する使命をもち給う神もあるのである。
最近私は、日本の国情が混乱汚濁(おじょく)して、日本国本来の美しき荘厳なる秩序がなくなりつつあることを憂え、住吉大神を鎮護国家、龍宮無限の宝蔵を開顕したまう〝場〝 であることを希(こいねが)いて、龍宮住吉本宮を、九州長崎県西彼杵郡西彼町の〝大神平〝 と称せられた土地を朴(ぼく)して、建立したのである。
この地を彼杵郡(そのぎぐん)と称したのは、嘗て天から神の祝福の黄金の杵(きね)が降って来たという故事にもとづくと謂うことである。
吾々人間の礼拝の〝場〝 が出来ることは、神がそこから祝福の霊波を放送し給う〝放送局〝 が一局増加したようなものである。
3278
:
a hope
:2016/02/29(月) 11:20:32 ID:cEpBaIdo
詳しいことは本分を読んで頂いて、神人の関係を尚一層よく認識して、諸賢が、龍宮無量の寿福を享受し給わんことを庶幾(しょき)して、この前文を擱筆(かくひつ)する。
昭和五十四年一月十六日 著書しるす
3279
:
a hope
:2016/03/14(月) 08:26:29 ID:cEpBaIdo
○今まで注がれていた愛でいまだ一度も無駄であったものはない。
愛はこの世で花を開いて皆の者に喜ばれ、神の国で実を結ぶ。
○愛せよ、少しも求めずに愛せよ。これが愛の秘訣である。
○結果を求めた愛は必ず不幸に終わる。
『智慧の言葉』より
3280
:
a hope
:2016/03/16(水) 08:46:34 ID:cEpBaIdo
○失敗しても成功しても、損をしても儲けても、それはただ生命が仮想の舞台で遊戯したにすぎない。
○失敗は大したことではない。損も大したことではない。自己の心を乱すか乱さないのかの方が大切だ。
○淋しき時にはわれを思え。われはなんじらのために祈るものである。
『智慧の言葉』より
3281
:
a hope
:2016/03/17(木) 09:55:11 ID:cEpBaIdo
○躓(つまず)いたがために落ちる人もあれば、躓いたたがために落ちる前に気づく人もある。
○なんじの悩みは神に語れ。人に語らずして神に語れ。人に悩みを語ればその悩みは反響してさらに悩みは増加するであろう。神に語れば悩みは消える。神は実相の神であり、実相の光の射す所に悩みの時は存在しえないからである。悩みは変じて喜びとなり、訴えは変じて感謝となるであろう。すべてのものはすでになんじらに与えられているのである。
○信仰とは神のみ懐(ふところ)に抱かれることである。
『智慧の言葉』より
3283
:
a hope
:2016/03/24(木) 08:14:16 ID:cEpBaIdo
○恐れる代わりに働く者はついに勝ち、呟(つぶや)く代わりに働く者はついに勝つ。
生長する人には恐れる時間と呟く時間はないものである。
○「今」の時間を尊ばねば、生涯その人に尊ぶべき時間は来ないのである。
○あらゆる言葉、あらゆる行動ことごとく未来に果(み)を結ぶ種子となる。
『智慧の言葉』より
3284
:
a hope
:2016/04/01(金) 07:51:38 ID:cEpBaIdo
○幸運がないというな。一瞬一瞬が幸福である。一瞬を完全に生き切るときなんじは永遠に生きるのである。
○心の眼をひらけば幸運はいたるところに手を伸ばして待っている。地球の引力を発見したニュートンにとってはリンゴの落ちることが運であった。空間の電波を発見したフランクリンにとっては雷鳴を聞くことが運であった。誰でも見返すところに心の眼の開(あ)いた人には運がある。
『智慧の言葉』より
3285
:
a hope
:2016/04/02(土) 07:49:47 ID:cEpBaIdo
○思い立ったが吉日。(日取りの善悪について)
○自分は宇宙の中心であるからどちらを向くのも吉方である。(方角の善悪について)
『智慧の言葉』より
3286
:
a hope
:2016/04/14(木) 10:46:07 ID:vdNCBnG6
○相性は心の中にある、我を殺しさえすれば相性は善くなる。二つのものが一つにつながるのが道であり、相性である。どんなに相性の善い夫婦でも我を立て話し合いしていては相性も悪くなり運命も悪くなる。(相性の善悪について)
『智慧の言葉』より
3287
:
a hope
:2016/04/15(金) 09:16:49 ID:xVBwxesw
○困難があるので、魂は向上する。軌道に摩擦があるので汽車は進行するのだ。
○独りで悟っている悟りは本物ではない。他の救いのために動き出すと本物の悟りに入る。
○もっと魂をみがいてから他を救おうと思うのは考え違いである。自分を磨く金剛砂(こんごうしゃ)他を救う実行にある。
『智慧の言葉』より
3288
:
a hope
:2016/04/16(土) 06:20:47 ID:vdNCBnG6
○本当の信仰は怪力崇拝になってはならぬ。異常現象崇拝になってはならぬ。正しき力の崇拝、愛の力の崇拝、調和の力の崇拝にならねばならぬ。
○肉体が治ったとき自分は悟ったと思うとおおまちがいである。治らないでも自由自在の自分自身であることを悟らないものはやがて躓(つまず)く。
『智慧の言葉』より
3289
:
a hope
:2016/04/26(火) 11:17:08 ID:vdNCBnG6
○富そのものは清くも穢(きたな)くもない。富はただいっそう高貴なる目的のために使用するとき清くなり、自己の栄華と名声のためのみに使用する時汚れたものとなる。
『智慧の言葉』より
3290
:
志恩
:2016/08/15(月) 08:23:48 ID:6hRUvSRg
【梅の花の神示】
≪無明(まよい)の自壊作用がないのに 光明遍照の楽土が
来るなどと 甘いことを思うな。
この二つの運動の衝突は 避けられぬ。
時機は 迫っているのに、まだヒノモトの使命を知らぬ者が
あるのは 歯痒(はがゆ)い。
本当の愛は 甘えかす愛では ない。
戦いの愛 である。≫
【声字即実相の神示】
≪今は 過渡時代であるから、
仮相(かりのすがた)の自壊作用として 色々の出来事が突発する。
迷いと迷いと 相搏(あいう)って 自壊するのだ。
まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは
迷いのケミカライゼーションであるから
生命の實相を しっかり握って 神に委せているものは
何も恐るる所はない。≫
3294
:
トキ
◆NeaLgIQX3w
:2016/09/16(金) 19:38:34 ID:o0gb0UwQ
*明日、月刊誌 「新潮45」に生長の家の問題が掲載されるみたいです。
それに関連して、以下の文章を紹介します。
「 わたしは今、皆さんの足を洗った。これはただ足を浄めるためではなかった。
別の深い意味があったのだ。
わたしは少なくても教えにおいては皆さんの師であった。
その師たる者が弟子たる者の足を洗ったのは、わたしは皆仲よくせよということを形に示したのである。
わたしがいなくても皆仲よくしてほしい。
わたしがいなくなっても仲よくしてほしい。
わたしがしばらくいないうちに相争い相なぐり合っているのがわたしの仲間であるかと思うと、
わたしは情けなくなる。
(涙ぐむ)皆さん、どうぞ、これはわたしの遺言だ。
わたしがいなくなっても互いに兄弟たち仲よくして道を弘めて往ってほしい。」
谷口雅春先生 生命の実相 第31巻 宗教戯曲編 上 136ページより 謹写す
3295
:
志恩
:2016/12/01(木) 07:08:04 ID:6hRUvSRg
絶えず不幸を見出す人になるな
貴方は世界に対して、良きものを支払っていますか。
微笑みを支払っていますか。悲しみを支払っていますか。
微笑みを支払っているならば、微笑みが周囲からやって来るでしょう。
悲しみを支払っているならば、悲しみが周囲からやって来るでしょう。
大体は、「今日は楽しくない」と思う習慣のある人は
常に楽しくないことに取りまかれるでありましょう。
そう云う人は、天気が曇りであると云っては鬱陶しいと云い、
雨が降ると、ジメジメして気持ちが悪いと云い、晴れていると暑苦しいと云う。
何が来ても不平を云い、面白くないと云う。
御飯が固いと云っては小言を云い、柔らかければお粥のようで不味いと云う。
そして絶えず小言を云っているうちに自分の性格がそこなわれ、
人からは嫌われ、世の中のすべての物は面白くなくなります。
その反対を行いなさい。世の中は屹度幸福になります。
雨が降ったら「ありがたいお湿りです。これで水力電気が沢山とれます。
畑の作物が喜びます」と云いなさい。
曇っていれば「今日の天気は落ち着いていて宜しい」と云いなさい。
晴れていれば「まことに朗らかな快晴で結構です。気分まで晴々します」
と云いなさい。この通りに云わなければならぬのではありません。
何でも好い方面を見て、褒めたり感謝したりするようにしていますと、
終いには、ほめたり感謝したりすることばかりがあなたの周囲に集まってくる
ことになるのです。
(谷口雅春先生著『新版 生活読本』より)
3296
:
志恩
:2016/12/01(木) 20:56:03 ID:6hRUvSRg
あなたが神の賜物を受けるには
この世界は法則によって支配されているのである。
法則を無視しては何事も自分の思うようにはゆかないのである。
飛行機が飛行するためには、流体力学の法則を無視するわけにはゆかない。
石油を掘鑿するにもいろいろの物理的法則によらなければならない。
神の国にある宝物を受けとるには、
神は霊であるから、霊の法則を無視することはできないのである。
霊の賜物を受けとるには、
物質の器によって受けとることはできないのである。
霊の賜物を受けるには、霊に対しては霊的波動を浄めるーーー
すなわち魂を純粋にして受けなければならないのである。
感謝の霊的波動によって受けなければならないのである。
愛念の霊的波動によって受けなければならないのである。
暗い感情は神の光の霊波に背く。
それゆえに、心を明るくもって、
象徴される神の霊波に波長の合う心を起さなければならないのである。
(谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』より)
3297
:
志恩
:2016/12/01(木) 21:06:46 ID:6hRUvSRg
われわれは神の愛に包まれている
わたしたちは“法則”の世界に住んでいる。
どこにも“法則”の存在しない世界はないのである。
わたしたちは法則にとり囲まれて生活しているのである。
それは神の愛に包まれて生きていることである。
わたしたちは神の愛から逃げ出すことはできないのである。
わたしたちは法則に随順するとき
神の愛に護られることになるのである。
法則には物質面の法則と、精神面の法則と、
さらに霊的面の法則とがあるのである。
多くの人たちは物質面の法則のみを研究して
それを応用しているのであるけれども、
“精神面の法則”を理解し応用する人は少なく、
さらに“心霊面の法則”を理解し応用する人は稀であるのである。
(谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』より)
3298
:
志恩
:2016/12/01(木) 21:15:24 ID:6hRUvSRg
明暗の二途
多少表面的には損をしても、心配はいらない。
善い行いをし、信仰を深めれば、将来は明るいのである。
何故なら現象の損失は真の損失ではなく、一時的縮小であり、
その間に得た「生きた経験」がモノを言うからである。
ある人は病を得、ある人は受験や仕事で失敗した。
しかしその前に「魂を進歩向上」させ得た人の失敗は、実は成功である。
彼は必ずより偉大となり、より充実した人格を作り上げる。
けれども失敗を失意と無気力で迎えた人は、より一層の深みにはまり込む。
人生にはどんな時にも、向上と下降との二つの途が用意されている。
だからひたすら向上の道を歩め。光に向かって進もうではないか。
(谷口清超先生著『純粋に生きよう』より)
3299
:
志恩
:2016/12/02(金) 07:44:39 ID:6hRUvSRg
本当の自由
吾々は“無限”を求める存在であると同時に、“自由”を求める存在である。
何故なら人間は神の自己顕現であり、本来“無限の自由”を内に蔵するからである。
「自由」を、何か自分を縛る物を破壊することだ、と考える人があるが、
本当の自由は、そのような対立的観念、相対的な物の考え方では
得られるものではないのである。
本当の自由は「絶対者」となることによってのみ得られる。
自分が神の自顕現であり、
「絶対者」の自己実現であるとの悟りによってのみ得られるのである。
それ故に本当の自由は、神想観によってのみ得られる。
何故なら吾々は神想観によって自己が神と一体であり、
絶対者と一体であり、環境とか外物とか見えるものも「他物」ではなく
自己の心の顕現であると悟ることができるからである。
それだから神想観は真に最高の尊き神人合一の行事であると共に、
何人も“本当の自由”を求むる限り修しなければならない修業であって、
生ま易しいものではないのである。
(谷口雅春先生著『新版 生活の智慧365章』より)
3300
:
志恩
:2016/12/02(金) 07:48:23 ID:6hRUvSRg
問題を神にゆだねよ
如何なる問題が起こって来ても、
常に明るい心を以ってそれに立ち向かうことが必要である。
どんな問題でも、神なら解決できるのである。
自分の「我」の力で解決しようと思うから、解決の方法を失って
どうすることもできないような事になるのである。
問題を神に振向け、神に肩代わりしてもらうがよいのである。
そのためには「神は全智全能であるから、どんな問題でも必ず解決できるのである。
私はこの問題を神さまあなたに委ねます」と繰返し繰返し、
心に念じて祈り、その問題を神に委ねるがよい。
徹底的に神に問題を委ねたら、神は必ずその問題を解決に導き給うのである。
それは自分に好い考えが浮かんで来ることもあれば、誰か、
思いがけないところから、援助の手を差しのべる人が出て来ることもあるのである。
充分祈った後に、誰かがその問題解決について案を示してくれるならば
素直にそれに従うがよい。
(谷口雅春先生著『新版 生活の智慧365章』より)
3301
:
志恩
:2016/12/02(金) 07:55:25 ID:6hRUvSRg
無限次元の世界
とにかく人はどこまでも「明るく生きる」ことが大切である。
何故なら、人は皆“神の子”であって、全てのものが与えられずみだからだ。
いのちも無限だし、才能も力も、幸福も豊かさも無限である。
しかもそれが「なくなる」ことがないのだから、こんな有難いことはない。
ところがその実相に気付かず、現象世界というこの世の物質的側面ばかりを見ていると、
不幸や、病気や、欠乏や、争いが目について、どうしても憂鬱になってしまう。
だから「物質世界は本物でない、影の世界だ」と知らなくてはならないのである。
御存知のように物質界は縦・横・厚みの三次元世界だ。
しかもこれは実在する世界ではない。
実在界、即ち実相の「神の国」を三次元の尺度でとらえて、
そのように感覚するだけの、「影の世界」なのである。
例えば今部屋の中にいる人の姿を、障子に映ったその人の影で見ると、
とても不完全に見えるだろう。
目も鼻もハッキリせず、色も黒っぽくて、ボーッとしている。
それは“三次元の肉体”を“二次元の影”に映して見ているから、
本物より一層不完全に見えるのだ。
そのように、次元を一つ下げて、三次元を二次元にすると、もっと不完全になる。
だから四次元を三次元に映しても(感覚しても)、
四次元世界より一層不完全になるのである。
即ち今、縦・横・厚みの三次元に時間の尺度を加えて四次元の“時空間”を考えると、
時間の次元が一つ加わっただけ、より自由になり、ゆとりが出来るものだ。
例えば、あるカメラを買おうと思って店に行ったところ
もう売れていて、在庫がナイと言う。しかし問屋に注文すると、
一週間後には入荷するという場合を仮定しよう。
カメラという三次元物質は今ないが、
そこに時間(一週間)を加えて考えると、「手に入る」という自由を得るのだ。
これが四次元世界の特徴であり、このようにして四次元、五次元、
六次元と次元を加え続けて、無限次元まで遡ると、
無限に自由な世界、即ち「神の国」に達する。
これが「実在」であり、「実相」であるということが出来るのである。
この実在界・神の国からみると、この物質界は
その三次元的「影」の世界であるから、極めて不完全なのは当然であろう。
この不完全さをより少なくするには、
「実在界を心で観ること」に熟達するに限るのだ。
するといかに物質世界が不完全で、限定され、
悪条件に満たされているようでも、その条件を克服し、
そこをうまく擦り抜けて、自由自在な「安全領域」に達することが出来るのである。
(谷口清超先生著『生長の家の信仰について』より)
3302
:
志恩
:2016/12/03(土) 01:30:55 ID:6hRUvSRg
神に相談して仕事をする
常に自分の行為又は仕事を、
「自分だけ」でやることなしに、神に相談し、
神の智慧の導きを受け、神が人類に幸福を与え給う
神業の一環としてそれを為すのがよいのである。
「自分だけ」でやった行為は、
どんなにそれが立派な仕事であっても「我」の行為であり、
広大なる意義への連関はないのである。
そして、それは如何にすぐれたる智慧で行っても、
我の知恵ではどこかに見落としがあり、
先が見えず、やがて躓く時が来るのである。
何事を行うにも、その仕事が、神の人類救済の仕事
(又は人間に何らかの幸福を与える仕事)として、
神御自身の祈りと連関して、
祈りの中に於いて計画し、遂行するならば、
神の智慧には誤算がないから行き詰まることがないのみならず、
自分の仕事が、単に個人的価値ではなく、
「神の仕事」としての意義と価値とを有つことになり、
其処に本当に生き甲斐というものが感じられることになるのである。
また“「神」という「無限価値」との連関に於いて我れ仕事を為す”
と云う自覚があるとき、仕事に対する深い悦びが湧いて来て、
仕事の“退屈さ”ということがなくなり、
精神的にくたびれる程度が少なくなるのである。
(谷口雅春先生著『新版 希望を叶える365章』より)
3303
:
神の子さん
:2016/12/04(日) 11:22:04 ID:6hRUvSRg
何を信ずるか
魂を清め、高め、内在力を引き出しさえすれば、
あなたの周囲には続々とすばらしい環境があらわれる。
しかしその出現には多少時間的なズレがあるから、
あとになってゆっくりとあらわれてくることも多い。
それをあせって「まだか、まだか」と思い、
うろたえ、疑い、なげいてはならぬ。
そんなことでは神を信じているのではなく、“現象”を信じているのだ。
こんな気持ちでいて「信仰している」と思い上がってはならない。
環境にまだあらわれていないのは、決して神が怠慢なのではない。
あなたの心の高まりは、すでに業の世界に記録され、
その展開が始まりつつある。
あなたの焦りや疑いで、出現を停止させるな。
(谷口清超先生著『純粋に生きよう』より)
3304
:
トンチンカン信徒
:2016/12/08(木) 01:19:09 ID:yH0.YhUw
〜平和を願い祈り〜
神よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛を
いさかいのあるとこに、ゆるしを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるとろに、喜びを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように。
神よ、わたしに、慰めらよるよりも慰めることを
理解されるよりも、理解することを
愛されるよりも、愛するを望ませてください。
自分を捨てて初めて自分を見いだしゆるしてこそゆるされ、
死ぬことによってのみ、永遠のいのちによみがえることを深く悟らせてください。
アーメン、サンタ・マリア
合掌礼拝
3305
:
志恩
:2016/12/08(木) 03:21:14 ID:6hRUvSRg
あなたの価値
名刺の肩書などは、その会社の、そのイスに座っている瞬間の
あなたの『仮の寸法』であって、けっして、
あなた自身の人間としての寸法ではないわけです。
名刺、バッジ、身分証明書、それらすべてを落とし去って
裸の自分で人前に出た時のあなたの『感じ取られ方』、
それだけが真のあなたの価値であり、寸法なのです。
そこのところを誤解していると、ある日、とんでもなく
落ち込むことになりますので、御用心、御用心。
(ひろはまかずとし氏の言葉)
3306
:
志恩
:2016/12/08(木) 03:29:37 ID:6hRUvSRg
何が起こるかわからない。
右を向いて左を向いて、上を見て下を見て、
注意に注意を重ねても、それでも何が起こるかわからない。
それが人生というものであり、それが世の中というものである。
まして今日のように時代のテンポが速くなり、世の中が、
そして世界が複雑に入り組み合ってくると、
全く予期もしないことが次々に起こってくる。
何が起こるかわからない。
まずそれだけの覚悟を、お互いにしっかり持っておきたい。
今日は昨日の続きで、明日は今日の続きで、
だから毎日が事もなく続くとは、何の保証もないのである。
大切なことは、何が起こっても、
まず素直にその状態を受けとめるということである。
捉われた心、私心ある眼では、事態の本質を見誤ってしまう。
平穏無事な時ならば、いささかの私心もやむを得ないとしても、
大事な時の捉われた心は、それよりとりかえしのつかない一大事をひきおこす。
今日ほど、質素な心の大切な時はないのである。
(松下幸之助著『新 道をひらく』より)
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