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本流対策室 板

1966トキ:2012/03/10(土) 22:41:50 ID:bPTtQnhs
 総裁のお言葉に、仏典は言葉がなくても伝わった・・・・というくだりがあり、例によって誰かがヨイショしておりました。
確かに、釈尊の言葉は弟子の記憶で伝承されましたが、それで不都合が多々あるので、仏典結集が4回に渡り行われたのを
見ると、この論理には少し無理はあると思います。

 総裁が言いたい事は、聖典も時代の制約から逃れられない、というものです。例えば、甘露の法雨に「印画液」という表現
があり、デジカメ時代にはそぐわないかもしれません。しかし、読み手は、そういう点も頭に入れた上で読みますから、
大きな不都合にはならないものです。ギリシャ時代のソクラテスの文章や鎌倉時代の親鸞の御文に、今でも惹かれる人がいる
のは、人間として根本に学ぶべき点が多々あるからだと思います。それと同じく、谷口雅春先生の御文章に多くの人が魅力を
感じるのは、時代を超えて訴えるものがあるからだと思います。

 特に議論になるのは、政治の問題です。谷口雅春先生がご健在の頃は、共産主義が跳梁跋扈しておりました。しかし、今では
共産主義は天然痘と同じく、絶滅が見えて来ています。西側諸国でスターリン型の共産党が残っているのは、ポルトガルと日本
だけ、という不名誉な事実もありますが、間もなく絶滅するでしょう。そのような時代背景の変化をどうとらえるべきか、とい
のは問題はあります。
 その点についても、谷口雅春先生ご自身が、政治との関わりについて苦悩された文章を遺しておられます。
白か黒か、という話ではなくて、もっと信徒同士が議論をすべきだと思っています。

 だから、議論はすべきだと思うのですが、だからと言って、原典をおろそかにするのはよくないと思います。
聖典は聖典で大事にして、その上で、現実との乖離があれば、議論をすべきであって、最初から聖典を軽視するような主張は
私は、信徒としては、賛成できません。


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