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女子会 板

849SAKURA:2012/02/18(土) 18:33:26 ID:xikgGmCc
トキ様 へ 
皆様 へ

今日は…面白い展開の“言葉…”に、目に留まりましたので、
私なりに、感じました事がありましたあので、“投稿”させていただきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ☆
■ 大道無門・自在無礙の祈り

私は“神の子”であるのである。…云々…
われは神を愛するがゆえに、神の示し給うところの“道”を素直に愛するのである。
“道”を愛するとは“道”に順(したが)う事である。

神は大道であって 私たちを縛るところの窮屈なる道ではないのである。
人に応じ、場所に応じて、最も適切なるところに通ずる “道”である。
この“道” に載るとき、如何なる場合にも 行き詰まるということはないのである。
行き詰まるような道は “大道”ではないのである。
人間の “我”の心で造った道であるから途中で行き詰まることになるのである。
人間の智慧才覚で、“これが善であると固く掴んでいる“ ような道は本当の
道ではないのである。 それは大道ではないのである。
 では 大道に載るには如何にすべきであろうか?
略・・・・・【人間智】 を棄てなければならないのである。!
人間智の無くなったところに、 神の智慧があらわれるのである。
【自我】を放棄し、【自我】を超えたとき。あたかも積乱雲の上にまで飛行機が
飛翔すれば、常住の青空の輝きが見えるように神の智慧が輝きはじめるのである。

【自我】を放棄し、【自我】を超越し・・・・
迷いの積乱雲上に超出する“道”は 如何にすべきであろうか?
“祈る”がよいのである。
自我の観念を棄て去り、ひたすら神と一体ならんことを期し、神想観し・・・

【われ今、我が好悪を棄て、 私心を去り、“ 我 ”の判断を棄て、
心を空しうして神の導きたまう叡智と一体ならんことを期す。
神の叡智われに流れ入り給いて、いま御意の如く導きたまうのである】と念じて
しばらく無我無心のまま神と融合する心境でいるがよいのである。
              略……云々
                ↓
                ↓
無我従順のところに神があらわれるのある!!
                ↓
“我“は神に価するものではないようです本来人間智=我は棄て去ると
書いておりますが
                ↓
                     (谷口雅春著)            
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■>「我、心を空しくして神の御心に従い奉る」
という神と一体になる祈りが聖光録の中にありますから、参考にして下さい。<

この“…言葉”なかなか実際に「神想観=瞑想」しますに当たり、正直いまだに、
時に応じ〜事に応じ〜 ><難しい時があります…。つまり“感情移入…”
この時「大道無門…」この祈りに於けます【我…】を思いだします…。

この“聖光録…言葉”が投稿されておりますとの事でしたので…
別の観点からの「谷口雅春先生のお言葉」…これにて詳しく理解しやすいと思います。
参考までに、投稿させて頂きたいと思いましたので…。

今回は「裁判…」我と我との戦い…
以前からの【派閥問題】も含めましてかしら〜ン…?
やはり!“我”は神に価するものではない…
「生長の家」では“神の子”と申しますので…“我”無くさなくては始まりません〜ネ!

■すべての事の始まりは……“我”を無くすことから“一歩”が始まるのでしょう!!
其処に…【神】があらわれてきますでしょう…。
                               再合掌


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