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トーキングスティックボード
668
:
さくら
:2011/11/08(火) 09:52:38 ID:M/Y5HBTg
あ、今回のスティッカー、わたしなりに、精神的にハードでした。
共感と理解って、大変ですよね、ほんとうに。
信じている宗教の言葉や考える趣向が違うと、
なかなか同意しづらいところが、
でてきますね、
真髄は、同じでも、
言葉のアヤ、も難しいです、ね。
669
:
さくら
:2011/11/08(火) 10:09:24 ID:M/Y5HBTg
司会のトキさま
お世話になりました。
もし、読んでいたらですが、
お手数ですが、
次の展開を、お願いいたします。
670
:
初心者
:2011/11/08(火) 10:21:09 ID:hogyfr1M
この掲示板で「信が第一である」と執拗に主張する方がおられます。信が第一とは
どういうことなのでしょう。物質世界の成り立ちを信じる。こういうことなのでありま
しょうか。わたくし的には、物質世界の成り立ちは、信じるものではなく、理解する
もの、わかるもの、であります。
世のなかの構造や、言葉の構造、人の心の構造、それは、信じるものではなく、
理解し、知るべきものであります。
実相世界の実在を信じる。これはいいでしょう。このように信じれば救われる。
いいのではないですか。そのように信じて救われてください。ですが、実相世界
があるかないか、それはわたくしにはあまり関心のないことなのであります。
問題はですね、たとえこのように説明したところで、このような方は、これからも
執拗に「信が第一」であるといいつづける、ということが確実に予想されることであり
ます。まちがいなく、これからも「信が第一である」と主張なさいますね。
ようするに、言葉がつうじないのですね。こちらの言葉がいっさい理解していだけない
のであります。宗教はこうした人間を生み出します。掲示板でも、さまざまなことが
学べますね。
671
:
トキ
:2011/11/08(火) 10:37:01 ID:hKCzLzOI
さくら様
トーキングスティクの御勤め、ありがとうございました。
重たいし、難しいテーマですが、よくまとめられていると思いました。さすがはさくら様だと
感じました。
組織や運動の問題は、本当なら組織内でもっと活発に議論をされるべき課題だと思います。
さくら様がご提案下さった「教団組織」板(仮称)も、今の掲示板が満杯になったら「部室」板
と同時にアップしようかと考えています。引き続き、そちらでも議論が継続されたら、有益かと
考えています。
さて、さくら様の以上のご発言に関して、御質問や共鳴のご意見などがありましたら、お願い
いたします。
合掌 ありがとうございます
672
:
「訊け」管理人
:2011/11/08(火) 10:37:37 ID:MPQg3/HY
<ブログで取上げる「真理」について>
>校長殿
昨日のご質問にお答えいたします。できるだけ端的にお答え致しますので
やや、無愛想な感も否めないでありましょうが、そのあたりはご海容くださ
いませ。
さて今回のご質問をたまわりましたので、過去ご投稿文を拝読し、貴殿の
疑問の所在を(大凡)把握致しました。そしてそれに応ずるかたちで真理――
私が今後、ブログで取上げる「真理」とはなにか、それについて述べさせて
頂くわけでありますが、まあ、以下雅春先生の御文章に集約されるかもしれ
ません。その御文章とは『人間死んでも死なぬ』の下記抜粋箇所になりまし
ょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――
生長の家に哲学が無いという人は、実はその人は、私の全集『生命
の實相』を読んでいないからである。真理を感情的に移入する文章を
芸術であると観るならば、全集の『生命の實相』は私の文章芸術であ
るが、哲学そのものは難解なる哲学用語の外にあることをしらなけれ
ばならない。私は哲学を難解なる術語から解放したのである。
哲学〝する〟とは難解なる術語を使うと云う意味ではない。真理を
如実に把握して生きると云う意味である。表現された真理をそのまま
読者が生活に生きるように押し出す迫力があるのが哲学である。哲学
は哲学〝せしむる〟力を持たねばならぬ。
『人間死んでも死なぬ』330項
――――――――――――――――――――――――――――――――
わたしが取上げる真理とは、「表現された真理をそのまま読者が生活に生
きるように押し出す迫力があるもの」と、定義できましょう。たとえばAとB
という物質が結合した際、それがたとえ理屈上では「炭ができる」としても、
実験結果で「水」が生まれたならば私は、その実験結果の方に信を置く次第
であります。
雅春先生の御教もこれ、貴殿ご指摘の如く不完全な部分があるのかもしれ
ません。しかし現状愚生に於いては・・・いかに不完全な部分を説明賜ろう
とも、実験結果が違っているわけであります。つまり、「雅春先生の御教え
は間違っている!」と主張される人がおられようとも、「でも体験談(=実
験結果)には、良好なものがたくさんあるんだよなあ」「わたし個人も随分、
救われているんだよなあ」といった感想しか、寄せることができぬ現在であ
ります。
追伸
ただし今後は分かりません。今までは雅春先生最高ッ!と思っていたけど
「こっちの方がすごいじゃん!」になれば私、結構平気で浮気致します(笑)
一般人からは非難されるでしょうが私は、経営者の端くれであります。
「アイツはブレナイ男だ!」な賞賛、浴びていても仕方がないのです。ブレ
ナイと称されるよりは「対応力がある」と云われたい男であります。対応し
なきゃ、即死ですし(笑)
余談
で、ですがここ5年間・・・この「平気で浮気する男」の私がまったく、
浮気心が起きないのです。「いつでも浮気してやるぜ」なこと考えながらも、
浮気できない私なんですが、ここまで私をメロメロにしてくださった方こそ
が、ブログで連日取上げている、 谷 口 雅 春 先生なのであります。
また、私は生長の家信徒さんと違い、「皆さんが賞賛しているから、私も
賞賛する」なんて理由で、谷口雅春に訊いているわけではありません。実際
の戦場(事業経営)で携帯しうるに足る兵器――わたしにとっての『生命の
實相』とはもう、そんな位置を占めております。これが無ければ3年前、リ
ーマンショックで自殺しておりました(笑)
673
:
初心者
:2011/11/08(火) 10:51:39 ID:hogyfr1M
当掲示板でも、雅春先生の教えの抜き書きがくり返し掲載されております。抜き
書きの言葉を読んで救われる。それでよいのですが、抜き書きは、なんどでも
くり返されます。それはなぜかといえば、抜き書きを読んで生じる救いは、永続
する救いではなく、一時的な救いであるからであります。
なんどもなんども真理の言葉を読んで、そのつど救われる。こういうことであります。
そして、それでよいのでありますね。
わたくしの18年前の悟り。これはただいちどの出来事でありました。ですが、それは
ただいちどの出来事で十分な出来事でした。なんどもなんどもくり返される必要の
ない出来事でありました。
救済は、それだけで十分なのです。もはやくり返される必要はないのです。さくら
ちゃんのなかにあるたしかな感覚もまた、これと似たようなものだろうとおもいます。
それは、くり返される必要のない、たしかな感覚なのであります。
この、永続するたしかな感覚さえあれば、神想観をする必要もありません、『生命の
實相』の言葉にくり返し接する必要もありません。
神想観せよ?なんのために・・・。
674
:
トキ
:2011/11/08(火) 10:54:37 ID:hKCzLzOI
初心者様
ご丁寧なコメントを頂戴し、深く感謝申し上げます。さすがに初心者様、鋭いご指摘だと感心しました。
初心者様のスタンスは、初期仏教、とくにお釈迦様のような方ですね。ひょっとしたら、お釈迦様の生まれ変わり
ではないですか(笑)。これは、さっそく拝む必要がありますね。
吉本隆明という左翼の有名な評論家がいます。まあ、吉本ばななのお父さんと言ったほうが今では分かりやすいのですが、
お父さんの世代だと左翼のイデオローグですね。この人が、親鸞の本を何冊か書いているのです。その中に
「レーニンが100年前に言った事は今では全然通用しない。マルクスの言う事も怪しくなってきた。しかし、親鸞が1000年前に
言った事は、今でも通用する」
と書いていたのを、うろ覚えですが、記憶しております。同じ事は、ギリシャ哲学であるとか、聖書や仏典などにも言えるかもしれません。
岩波文庫から中村元先生の翻訳で出版されている初期の釈迦の発言などは、今の普通の人でも理解ができる内容です。同じ事が生命の実相にも
言えると思います。ただ、これらの聖典の役割りが、真理なのか、救済なのか、という点は、広く議論されるべきかもしれませんね。
救済と真理の関係についてのご指摘は、私も気がつきませんでしたから、考えるべきことだと思います。
貴重なご指摘を頂戴した事をあらためて感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
675
:
「訊け」管理人
:2011/11/08(火) 10:58:50 ID:MPQg3/HY
>トキさま
たしかに校長殿は超越されておられる(笑)
わたしのような凡夫は、それこそ毎日ブログ更新でもしていないと、
すぐに現象に瞞着されてしまいます。
そしてそんな、迷える衆生にとっては『生命の實相』・・・真理なのです。
真理に救いが含まれるか否か・・・「救いのない教えに真理ありや?」と問い
たくなる愚生なのですが、ここは度し難き凡夫の身であります。なにとぞお許し
ください。
676
:
「訊け」管理人
:2011/11/08(火) 11:00:43 ID:MPQg3/HY
というかスミマセン・・・TSB(トーキングスティックボード )
でしたね、ここは(笑)
677
:
トキ
:2011/11/08(火) 11:03:01 ID:hKCzLzOI
ももんが様
愛念深い激励のお言葉、深く感謝申し上げます。
本当に管理人というのは大変だなあ、と痛感します。(笑)。結構、責任があるなあ、とも思います。
「本流掲示板」や「愛国掲示板」が突然消えた事がありましたが、あれは、少し理解できますね。
ただ、幸いな事に、ここの投稿者様は、皆様、人格も見識も信仰も私よりもはるか上の人ばかりですから、
勉強になりますし、ネット上とは言え、知り合いになれて感謝しています。管理人としては、素人で未熟
ですから、皆様から教えられて運営をしているような状態です。
基本的に、特定の個人や団体、例えば、谷口雅宣先生や「谷口雅春先生を学ぶ会」を悪者にしないで、
皆様、神の子として拝みたいのですが、修行が足りずに各方面からお叱りを頂戴するのは小生の不徳の
いたすところであります。
大先達だと拝察しますので、今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
678
:
初心者
:2011/11/08(火) 11:13:05 ID:hogyfr1M
訊けさま
>つまり、「雅春先生の御教え
は間違っている!」と主張される人がおられようとも、「でも体験談(=実
験結果)には、良好なものがたくさんあるんだよなあ」「わたし個人も随分、
救われているんだよなあ」といった感想しか、寄せることができぬ現在であ
ります。
現実、体験、それはともに言葉の効果である。これがソシュールの発見だとおもい
ます。いかなる現実があろうとも、いかなる体験が出ようとも、それは言葉の世界の
出来事であり、言葉の効果でしかない。これが、ソシュールの発見であり、現代思想
の中心的な考え方であると考えております。
言葉の効果によって救済は可能であります。たしかに人は、救済を、言葉の効果
として体験いたします。しかし、言葉の効果として生じた体験を、即、真理であると
早合点してよいのか、ということをわたくしは申し上げておるのであります。
雅春先生の教えは、救済としては正しい。ただし、真理としてはどうか。このことを
わたくしは問いかけておるのであります。
そこで起きている出来事を、人はあるがままに認識しているのでありましょうか。
もしもあるがままに認識しているのであれば、救済は真理であります。しかし人間が、
そこで起きている出来事を、あるがままには認識できず、手前勝手に解釈している
のだとすれば、その出来事は、真理ではありません。解釈された現実、それは
真理とは遠いものだとわたくしは考えます。
いかに奇跡的な体験がおきていようとも、それは解釈された現実であり、そうした
現実は、つねに言葉によってつくり出されているのではないでしょうか。解釈され
た現実に、たとえ「良好なものがたくさん」あったとしても、それは真理とは無関係
であると、わたくしは考えるのであります。
認識の不可能性。これが、ソシュールによってもたらされた現代思想の中心的な
主張であります。
679
:
トキ
:2011/11/08(火) 11:18:17 ID:hKCzLzOI
>>676
「訊け」管理人様
いえいえ、すばらしいご投稿、深く感謝申し上げます。素晴らしい掲示板をアップして下さり、感心しております。
また、ご精進により、経営上の問題点を解決されたのも、同じ問題で悩む人達には良い見本となると感じております。
頑張って下さい。ブログもすばらしいので、多くの人が救われていると思います。
聖典の抜粋も的を得ているし、素晴らしいと思います。応援をしています。救済と真理についてのご意見はその通り
でして、今後、時間をかけて議論をすべき問題かと思います。
これは、生長の家の考えではなくて、私個人の考えで、従ってすこぶる怪しい考えなんですが、いろんな意見がある
のは、それなりの意味があるような気がします。最近、飛行機をテーマにした映画を見たのですが、あの飛行機も重力
があり、揚力があり、ついでにいうと推進力があるので、ああやって空に浮かんでいる事ができるのですね。(ちなみ
に飛行機が浮かぶのは、揚力があるのですが、飛行機が前に向かって進む時に翼の断面を不整形にすると気流の乱れから
上に向かって突き上げる力が翼に生じるために揚力がうまれるのです。閑話休題。)
つまり、方向が違う考えがある場合、昭和時代だと「どちらが正しいか」を決着をつける必要があったとかんじますが
平成時代では、両方の考えが作用する事でバランスがとれる、という発想になったのかと思います。
その意味で、初心者様のご意見も、「訊け」管理人様のご意見も、貴重で、大切なご意見だと思います。私のような凡夫
はまだまだ修行中なので、ちょっとわからない、としか答えようがないですね。困ったものです。(笑)
今後とも、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
680
:
初心者
:2011/11/08(火) 11:40:03 ID:hogyfr1M
「悟った」というのは適切でなく、「かわってしまった」といったほうがよいような
気がいたしますね。永続するたしかな感覚があるので、それはそれで、わたくしには
十分なことのようにおもえるのであります。それは、あの右脳意識によって生じた、
自分がどこの誰ともわからなくなるような強烈な幸福観の体験ではなく、それなりに
ハッピーという感覚に常時みたされた状態といったほうがよいような気がいたします。
もちろんそうした感覚も万能ではなく、問題が生じれば、おそらくふつうの人とは
ちがう仕方で精神的な動揺をきたすことはあります。ですが、それは少なくとも、
あくせくと救済を求めなくてはならないという状態からは、解放してくれていますね。
ですから、『生命の實相』がなければどうにもならないとか、不安で仕方がないとか、
こういうことにはなりません。神想観。これもいいです。ほかのことで間にあっていると
おもってますから。
681
:
「訊け」管理人
:2011/11/08(火) 11:54:21 ID:MPQg3/HY
>校長殿
>「悟った」というのは適切でなく、「かわってしまった」といったほうがよいような
>気がいたしますね。
ああ、わざわざの補足をありがとうございます。さてこれからですが・・・
雅春先生の御教に触れ、小説家として大ヒット飛ばした者からランチに誘わ
れております。「入金ホヤホヤの印税」にて私、なにか奢ってもらえる
という(笑)
再度拝読致しまして返信致します。ありがとうございます。
682
:
役行者
:2011/11/08(火) 12:35:18 ID:odX3izAU
◆人類の未来に貢献できる生長の家教壇とその他、生長の家グループ、聖典 生命の実相を問う!
というテーマになりますけど、初心者さま!私で良いのですか?
批判も共感として、受け入れます。
私が忙しい場合は、勝手にやっててください。
どうでしょうか?
683
:
初心者
:2011/11/08(火) 12:36:51 ID:hogyfr1M
訊けさま
雅春先生の教えにふれずとも、小説家として大ヒットを飛ばした方は、数知れず
おられますね。雅春先生の教えと、その方の成功との因果関係については、論証
なさる必要があると考えます。
訊けさまは、その方が神想観をして小説家として成功した、といっておられるので
ありますが、その方の小説家としての能力は、開花寸前であり、神想観によって
最後のひと押しがなされたとも考えられますね。それはそれで素晴らしいことで
ありますが、その方の成功が神想観の威力であったにしても、それがどこまでの
威力であったかは、これまでの説明ではわかりかねます。より詳しくご説明いただけ
ればとおもいます。
もっともこれは、ここでの本題とは、あまり関係のないことのようにもおもわれます。
訊けさまの詳しい説明を、参考までに聞かせていただければとおもいます。その方の
実感から、まったくの偶然の一致ということはないのでごさいますよね。
684
:
初心者
:2011/11/08(火) 12:40:02 ID:hogyfr1M
役行者様
どうすれば人類の未来に貢献できるか、ということでございますね。
その具体的な可能性を問う、ということでございますね。
わたくしはよいテーマだとおもいます。
あとのことはトキ様におまかせいたしましょう。
685
:
役行者
:2011/11/08(火) 12:50:28 ID:odX3izAU
>初心者さま
>どうすれば人類の未来に貢献できるか、という ことでございますね その具体的な可能性を問う、ということでござ いますそ ね <
そうですσ(^_^;また、そのように、話を進めたいです。
が、喫緊の問題として、聖典 生命の実相も問いたいとぞんじます。人類の未来に対して、どのポジションに置くべきか?なのです!
686
:
初心者
:2011/11/08(火) 12:56:29 ID:hogyfr1M
訊けさま
神想観が、その方の成功の機縁になったということはありますよね。ただ、それが
神想観でなければならなかったのか、ほかの瞑想法では、その機縁になり得なかった
のか、あるいはほかの方法では機縁になり得なかったのか、そのあたりにまで言及
していただければとおもいます。
役行者様
役行者様が正式なスティッカーとして認定され、最初の投稿がなされるまで、
ここでの書き込みをお許しください。
687
:
初心者
:2011/11/08(火) 13:04:42 ID:hogyfr1M
役行者様
面白そうですね。そうした観点からも、『生命の實相』の存在意義が問われなくては
なりませんね。『生命の實相』が、人類の未来に貢献できるのか、その具体的な
可能性とビジョンが語られねばなりませんね。
それは救済なのか、それとも、救済を超えて人類に真理をもたらすものなのか。
超越論的な議論になるのではなく(つまり、神相観をすればよいというような意見
になるのではなく)、地に足がついた形で話が進められることを希望いたします。
688
:
役行者
:2011/11/08(火) 13:16:46 ID:odX3izAU
ドンドン、関係なきことでも、書き込んでください。
>それは救済なのか、それとも、救済を超えて人 類に真理をもたらすものなのか 超越論的な議論になるのではなく(つまり、神 相観をすればよいというような意見 になるのではなく)、地に足がついた形で話が 進められることを希望いたします
生長の家の未来のため、人類の未来のため、すべて、明らかにする必要性があります。
689
:
トキ
:2011/11/08(火) 13:20:06 ID:hKCzLzOI
役行者様
さくら様、トーキングスティクのお役目、ありがとうございました。
役行者様、トーキングスティク、お引き受け下さり感謝申し上げます。
テーマもぴったしだし、興味深いですね。ぜひ、お願いします。
690
:
ももんが
:2011/11/08(火) 20:42:44 ID:XXCuaQns
>>677
トキ様へ
トキ様、レス読ませて、頂きました。ありがとうございます。
トキ様は、やはり、生長の家の信徒で、いらっしゃいますね。流石です。全ての人の『光明面だけ見て』対応されてる、姿に、改めて、賛嘆させて下さいませ。トキ様、ありがとうございます!
ブログの方がは、正直もうしまして、生長の家を、守りながら、ここに、参加してる方は、少ないようです。
それと、もう、1つ、以下の言葉が、凄く、私と、同じ、思いで、ある事に、感激しました。
> 基本的に、特定の個人や団体、例えば、谷口雅宣先生や「谷口雅春先生を学ぶ会」を悪者にしないで、
皆様、神の子として拝みたいのですが、修行が足りずに各方面からお叱りを頂戴するのは小生の不徳の
いたすところであります。
上記の、トキ様の、『谷口雅春先生を学ぶ会』と谷口雅宣先生のどちらの、悪口も、言わず、光明面を見て、必ず、両者が、また、仲良しに、1つ、生長の家の下で、錬成や、講習会できたら、いいし、それより、谷口家の皆様が、1日も速く、仲良しに、なってくれたらと、思います。
これは、1つの単純案なんですが、谷口家の人たちが、皆、どこかで、錬成で、先祖供養や浄心行や、祈り合い神想観なんか、やって、見てくれたら、良い方向に、行くような気がします。だって、皆さん、錬成で、体験談で、たくさん、良い話し、聞きますもの。
私達、一般信徒も、浄心行や、毎日の神想観で、生長の家が、必ず、元に戻るように、祈りますよ。
それでは、個人指導し過ぎて、悪念が、溜まりすぎて、体調悪くなったり、しますから、体調に、きおつけて、光明化運動頑張って下さい!
トキ様が、幸せで、有りますように、ありがとうございます。
691
:
役行者
:2011/11/08(火) 21:13:59 ID:YEUC93mw
どこから入ろうか、かなり悩みました(>_< )が、ここからはいります。
さて さまのご文章!
>多くの方を救ってきた経験を通して色々お互いに参考になるところを出し合っている感じです。
いろいろと具体的に動けるところは直接言えるところに伝えるということは
欠かせぬようであります。学びあい、良く知るということは必要であろうかと思
います。(出来るところから)古きと新しきが良く交わり理解を重ね互いに乗り
切る必要があろうかと思います。
それさえも、出来ない体質が既に存在しているのが問題とも言えるが、それでも何か出来ることはあろうかと・・。この山を皆で乗り越えるところに、
神の見えないなにか(大愛)が大きくそのすがたを現すのではという感じもしています。努力に必ずこたえてくださるのが神と信じております。 <
私も、そう信じてます。人類が混迷である以上、生長の家も混迷であるのは、致し方なきこと・・・それでも、生長の家から人類に貢献していけるよう、このコミュニケーションをとおし、輝かしい未来の訪れを予感できれば、と祈りながら、トーキングに入ります。
昔々、光あまねく輝かしき縄文時代がありました。それは各自、自分の内面を見つめ、和気藹々と生活を営める日々でもまりました。ところが、ある日、ロゴスという闇の帝王が訪れ、平和な国に楔を入れてゆきのです。策略なければ命の危険すら晒される!そんな世の到来です。策略に次ぐ策略!やがて、人間は利便性、便利さを求めるようになります。大量生産、大量消費、それがさらなる悲劇を生むのです。産業の効率化は環境破壊をもたらすようになるのです。
挙げ句の果てに、今、地球は死に体となろうとしております。そのギリギリのいま、人類は果たしてなにができるのか?
縄文的頭脳改革!
と話を進めたいところですが、喫緊の課題である
>聖典 生命の実相も問いたいとぞんじます。人類の未来に対して、どのポジションに置くべきか?なのです!
そうした観点からも、『生命 の實相』の存在意義が問われなくては なりませんね。『生命の實相』が、人類の未来 に貢献できるのか、その具体的な 可能性とビジョンが語られねばなりませんね それは救済なのか、それとも、救済を超えて人 類に真理をもたらすものなのか <
ということで、まず、救済から話を進めていきます。
もう一度、問います!
生長の家信徒は、生命の実相により救われているのです。それだけは譲れません!
まずは問題提供です。
692
:
ももんが
:2011/11/08(火) 22:14:39 ID:XXCuaQns
>>677
トキ様、再度、ありがとうございます。
私の持ってる、生長の家の本で、谷口雅春先生のお写真が付いてる『実相と現象』と言う、ご本が、有りますが、ご存じで、ございますでしょか?
その中で、谷口雅春先生が、『生命の実相』の読み方に、付いて、基本を、教え、おられますが、ご存じですか?
仕事であれ、スポーツであれ、学問であれ、最初、『基本』をマスターする事が大切ですよね?
谷口雅春先生は、その著書の中で、『生命の実相』の読み方を、次のように、言われています
①最も古い黒革表紙の『生命の実相』で一巻1200ページ有る
②新修版『生命の実相』四巻まで
③頭注版『生命の実相』八巻まで
を、十分に読んで頂きたい。
《この、十分に読んで頂きとの意味は、繰り返し、繰り返しと、言う意味です》
と書いて、ありました。
生長の家に、とって、『生命の実相』を読む事は、カトリックの修養である、『霊的読書』である『聖書』を読む事と同じなんですね。ですから、谷口雅春先生は、繰り返し、繰り返し、読むよに、指示なされたんですね。
今、私は、生命の実相・1巻読んでますよ!
後、『久遠の実在』も時々読みますよ。
悩んでる時、良い、ヒントをくれる時ありますね!
実に、不思議ですよ。
修養として、読まないと、解らんよね。
家の母は、私の幼い時、『生命の実相』読んで、幼い私の風邪を治した事が、ありますよ。
これは、実話です。
では、トキ様、下らない、お話に、お付き合い下さりまして、ありがとうございます。合掌 拝
《トキ様の、トキの名は、北斗の拳の、トキですか?》
693
:
志恩
:2011/11/09(水) 06:24:56 ID:psrFh/ZU
何を信じるかといえば、究極的に信じるべきものは「神」以外にないと思います。
「神」とは、この世、あの世を通じた完全なる法則です.無限の宇宙、あらゆる生命を存在させ、極大から極小の世界までを見事なバランスの中で微塵の狂いもなく動かし続けている絶対的な摂理です。
全ての原因からは、正確な結果を導き出し、そこには矛盾も不平等も一切の間違いもありません。
☝
これは、ほんの一部ですが、生長の家の神殿「生命の実相」には、このような神の摂理、普遍の真理のエッセンスが、例えが用いられて全編に説かれています。
.
神とはあらゆる生命の源です。大宇宙の意識です、そして、神のいのちが流れているものは、人間であり、動物であり、植物であり、ひとつひとつの細胞であり、顕微鏡的世界の
すべてのものにも宿っています。すべての存在そのものが神の愛であり、その完全無欠の計画の中で、全ては生かされていると考えられています。
ですから、人間は、この世で何が起きようとどうなろうと、全ては自分に必要なことと割り切り、自然体で前向きにうけいれていくことが、真理に叶った生き方だと思います。
神の計画には、無駄も間違いも予定変更が必要になることもありません。
しかし、人間には、自由意志というものが与えられています。各々の人間が、その思考や行動によって作った原因は、良きにつけ悪しきにつけ正確な結果を生み、各人がそれ相応の
責任をとることになります。
神の摂理からは、何者も逃れることはできません。
神の摂理、普遍の真理は、雅春先生は霊感を得られて、書にご講話に表現されていらっしゃいましたが、神は人智を越えたものであり、人間が真理のすべてを理解することは、大変困難です。
言葉や文字というこの世の表現方法に頼らなければならない以上、その時代に起きている事や、その時代でわかっていた医学や科学などで表現する方法しかありませんから、
いくら真理に近ずいてたとしても、真理を表せることには限界が出ていたとしても当然のことなのです。
たとえば、「津波」のことをとっても、雅春先生は、津波が起こるのは、水関係のものは何万人と毎年中絶されている流産児の悲しみによるものであるのです、と言われてます。
しかし、現代科学の進歩により、津波の発生原因は、カク断層のズレによるものだとわかるようになりました。では、流産児の悲しみは、間違いだったかというと、そうとは
かぎらないと思います。霊界からみた場合とこの世から見た場合のちがいだけではないでしょうか。
うつ病だってそうですよ。セロトニンという脳内物質が脳内で流れなくなっているからだというのは、医学的な意見ですが、それも事実ですが、心に起きている様々なひずみも原因なのですから、
目にみえる原因と、目に見えない原因があるのです。
ときの流れとともに、例えがちがってきたとか、組織にゆがみや垢がついてきたようですが、甚大な人々が「生命の実相」を学び、人生や生き方の励みにして来た、まっとうな正しさを含んでいる
そういう真理という宝石がつまっている書物を、認めず、泥や垢と一緒に捨ててしまうと、雅春先生のご愛念だけでなく、何百万という救われて来た人類の魂も一緒に、捨てることになり、
その間違った行いは、許容範囲をこえていると思います。永遠に、新旧の理解、融合は図れなくなると思います。
究極に信じるべきものは、人ではなく、「神」以外にないということです。
694
:
志恩
:2011/11/09(水) 07:20:56 ID:psrFh/ZU
初心者さまが、悟られたとか、気がつかれたとかおっしゃる哲学や法則があおりになるそうですが、それがどんなものか、皆様にわかるように具体的に表現できますか?
たとえば、アルゴリズム(PCのC言語。建築でいえば、企画設計ですかしら。NHKの教育番組で、アルゴリズム体操というのを放映して、流行ってますが、その理論をとりいれているそうですね。)を変える事により、
現実を変えられる。そういった理論化を、スナフキン君が文や話に表現するとしたら、それも万人に理解してもらうように,その理論が、実際に生活に役立つように表現するとしたら、容易では、ないでしょう。
例え話しを使ったら、貴方の例えも、数十年したら、使い物にならなくなります。
神想観をして、良好な現実を実現したことは、私や私関係者にも数えきれないくらいの実例がありますが、それを、貴方のお話しするアルゴリズムという言葉をつかえば、そのとおりで、心に強く、すでに与えられていると思い続け、
祈り続けたら、実現したというのは、そういう心の法則、宇宙の法則があるからです。アルゴリズムとは、なにを脳にインプットするかでしょう。
真理は、永遠不変、完全無欠、時代や場所にも関係なく、あらゆる場合、どんなときにも通じるものです。しかし、3次元レベルに表した時、表面だけ捉えますので、完全は失われます。
ですから、言葉や文字に惑わされず、自分でその中から真理を見つけ出して行くしか無いのです。貴方が、反発を感じているものは、たとえば、神想観ですが、自分で受け入れたくなければ、受け入れなくていいのです。
このような状況になっしまった生長の家ですが、歴史的な永い目でみれば、後世で振り返れば、必要な過程なのかもしれません。
その教えには、何百万の人たちが、真理が含まれている、自分の成長の肥やし、生きる上での糧だとおもっている場合には、あなたは、そう思わなくても、創始者と一緒に捨ててしまうことはありません。
それは、多くの人類にとっては、価値あるものだからです。
大切なのは、盲信さえしなければいいのです。つまり、「いいとこ取り」をすることです。自分には、いいとこ取りなんて無理だ。自分は、もっと正しい教えを説いていそうな人がいたら、その人を信じ、
そちらのほうについていくしかない。
しかし、そうおもっている限りは成長しないのです。別の哲学に、すがりついて生きて行くしかない。
大丈夫だと思っています.。すべての人の心の中には、神の叡智が,内在されています。真理は、どこに?それを見つけるカギは、自分の内在にあります。心の奥底に。
でも、どんなに考えつくしても、雅春先生の教えから,自分は,学ぶことがない。自分の悟りのほうが、上としか思えないとおっしゃるなら、
「生長の家」の看板は、古いかたがたにお返しして、別に、ご自分の宗派や教団を立ち上げるほうが、まっとうな正しいやりかただと思います。
695
:
志恩
:2011/11/09(水) 07:37:07 ID:psrFh/ZU
すみませんが、今日は、これから用事がたくさんありますので、夜しか、入れません。
よろしくおねがいします。
696
:
役行者
:2011/11/09(水) 08:03:16 ID:YEUC93mw
>志恩 さま
ご投稿、ありがとうございます。
ふたたび、神について、定義し、話を膨らませていきます。
みなさま、私が忙しいとも、ご自由に投稿、お願いします。時が時なので、批判でも構いません。できればなるべく、テーマに関係のある内容の方がありがたいです。
神の定義と信、救済!
大宇宙、大自然、森羅万象、天地一切の生類すべての根元力を神と定義してでのことてしょう。
大宇宙の意識も神ならば、本来、我々一人一人の意識も神なのでしょう。
大宇宙の意識は神秘極まりなく、誰もが認めるところでしょう。
さて、おのおの、個人の意識なのですが、これが厄介な代物のなのです。
この個人意識が今のデタラメの文明を築き上げてきたからです。
問題なのは、個人の意識のレベルがどこに既存しているか?でしょう。
それが、家族なのか、日本なのか、人類なのか、宇宙なのか、
個人に帰属しているなら、現世利益でしょう。
これが、宇宙に帰属しているなら、共同体意識を遙かに超えた、それこそ悟りの境地と思われます。
信じるとは、そして、救済とは?
それぞれ、個人のキャパシティの広さによるのではないでしょうか?
狭量な個人意識なら、外に信を向け、現世利益的な救済を求めることでしょう。
一方、懐が広く深い御仁であれば、内在の光までうち貫く信とともに、人類救済を誓願するのでしょう。
信、救済、と云え、その方の意識の深さに因るところが多大である!
697
:
a hope
:2011/11/09(水) 08:14:19 ID:kcv2QXTk
ももんがさま
はじめまして。
わたしは、数年前に、「生命の實相」に偶然出合い、
その真理に満ちた内容に魂を震わせたものです。
生命の實相の基本的な読み方、教えてくださり、ありがとうございます。
わたしは、今まで、「早く全巻読まなくては...」という、
あせりのようなものがちょっとありましたが、ももんがさまに教えていただいて、
そうか、何度も繰り返して読むことが大切なんだとわかりました。
1巻から、読みなおしたいと思います。
また、ご指導よろしくお願いいたします。
698
:
a hope
:2011/11/09(水) 08:36:12 ID:kcv2QXTk
トキさま
わたしにとって、ももんがさまのお話して下さる、神想観の大切さとか、「生命の實相」の読み方、
などのご指導は、大変ありがたく、とても勉強になります。
このようなすばらしい内容のものは、信仰・体験板のほうにも、書き込みしていただけると、
他のみなさまにもお役に立つのではないかと思うのですがいかがでしょうか?
699
:
初心者
:2011/11/09(水) 08:52:28 ID:hogyfr1M
トキ様。書き込みははじめてよろしいのでしょうか。すでに書き込んでおられる
方がおられますが、ルールでは、スティッカーの了解が出るまでは、書き込んでは
ならないということになっているのではありませんか。
しかし、とりあえず、わたくし宛ての問いかけなどが記されておりますので、こちらで
書かせていただくことにいたします。
志恩様
わたくしは、自分が雅春先生より上だとはいちども発言したことがありません。
わたくしは、人を救うことはできません。救おうとも考えておりません。真理と
救済を切り離す。それがわたくしのやり方です。真理と救済とを結びつけている
かぎり、これはうまくいかない。そのように結論したからであります。
さらに志恩様は、わたくしが天皇を否定しているだとか、『古事記』が嫌いだとか
といっておられますが、そのような発言をしたことは、いちどもありません。わたくし
がいっていないことを、志恩様は勝手に決めつけられて、それを根拠にわたくしを
非難しておられるようにも感じられるのでありますが、今回の雅春先生よりも自分の
ほうが上だとわたくしが考えているという言及もふくめて、再考していただきますこと
を要望いたします。
それと、わたくしの「悟り」について言語化せよといっておられますが、それをひと言で
いえば、神へとつづく無限次元の空間が見えたということであります。しかしその
ことはそれほど重要なことではなく、それによって生じた特別な感覚があり、それが
永続的に持続しているということのほうが、よほどわたくしにとりましては重要なこと
であります。この感覚をお持ちの方ならおわかりでしょう。これがあれば、ほかはなに
もいらない。これはそんな感覚でもありますよね。
それと、神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、
神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗
の結果が宗教であり、神想観なのですよ。
右脳意識状態というのがおわかりですか?完全ともいえる宇宙との一体感。これが
右脳意識であります。必要とあらば、神との一体感と置き換えることも可能でありま
しょう。この一体感は、圧倒的な感情として体験されます。これが人類のほんらい
あるべき姿ではないでしょうか。ことさらに神想観という方法によらずとも、宇宙との
一体感が当たり前のごとく感じられる。これがほんらいのあるべき姿なのではない
ですか。それができなくなったために、人類は、神や宇宙との一体感を得るために、
瞑想や神想観という方法にたよらざるを得なくなったのではないですか。
ちがいますか。
あるがままの宇宙との一体感。それがあれば、宗教も神想観も、人類は必要とする
ことがなかったでありましょう。左脳意識の発達により、あるがままの宇宙との
一体感が崩壊し、それをおぎなう手段として、宗教や神想観という手段が編み出さ
れたのではありませんか。もしそうであれば、宗教も、そして神想観も、人類の
失敗をおぎなう手段であるということになるような気がいたします。
つづく
700
:
さくら
:2011/11/09(水) 08:59:23 ID:T/77sMGw
役行者さま
テーマ:人類の未来に貢献できる生長の家教壇とその他、生長の家グループ、
聖典 生命の実相を問う!
このたびは、スティッカーとして、ご活躍お祈りしております。
テーマもわくわくしますし、
皆さまの対話を、楽しみにしております。
とりあえず、スティッカーのお祝いに、お花をお持ちしました、
机の上に、飾らせていただきますね、
701
:
初心者
:2011/11/09(水) 09:00:03 ID:hogyfr1M
それと、以前、復興Gさまも、ラカンの思想は百年もたてばあぶくのごとく消え去る
といわれました。そして今回、志恩様も、わたくしの例えは、数十年もすれば
使いものにならなくなるといわれました。まずラカンについては、人類が言葉を
もちいるかぎり、その思想が消え去ることはありません。ラカンの思想とは、
言葉についての思想であり、この問題は、千年以上も前から語られておりますが、
いまだ人類は、その解決の糸口さえ見いだせてはおりません。
しかも雅春先生は、この問題にかんして、おそらくひと言も言及しておられません。
わたくしが、雅春先生の教えに疑問をもつとすれば、生長の家が、言葉によって
真理を宣布しようとする団体でありながら、言葉の問題についてひと言も言及して
おられないということであります。うまく避けられた。そのような印象さえあります。
「スパイ」という言葉がなければスパイを見ることはできません。これと同様に、
「実相」という言葉がなければ、実相を観ることも、観じることもできないので
あります。言葉と、その言葉が指し示す対象は同時に生起します。実相が
まずあって、それに「実相」という言葉がつけられたのではありません。「実相」という
言葉と、この言葉が指し示めした実相は、同時に生起したのであります。少なくとも
わたくしは、このように考えるのであります。
これにより、実相とは、言葉の効果ではないのか、との疑問が出てまいります。
この疑問に、雅春先生は、答えておられない。ただのいちどとして向き合っても
おられないのです。いまだ解決されていない重大な問題を、雅春先生は避けて
とおられた。わたくしはこのように考えているのであります。
ラカンの思想があぶくのごとく消え去ることはありません。たとえ消えたと見えても、
ちがう形で生き残ります。なぜなら、ラカンの思想とは、人類が、そして雅春先生で
さえも解決しえなかった、言語それじたいの問題への言及だからであります。
ラカンは、誠実にその問題と向き合ったのです。。雅春先生は、なぜかしら向き
合われなかった。誠実に向き合ったラカンの思想があぶくのごとく消え去り、なぜか
しら向き合われなかった雅春先生の思想が永遠に輝きを放ちつづけると考える
のは、はたして正しいことなのでありましょうか。わたくしは、雅春先生が、言語の問題
に向き合われなかったことに、重大な疑惑を抱いております。
それとわたくしの例えが数十年先には消え去ると、志恩様はいっておられますが、
これはどのような根拠にもとづく推論なのでありましょう。ひも理論があと数十年で
解消される。そういう意味なのでありましょうか。数学的な記述としては、おそらく
ひも理論は、完全なものなのでありましょう。数学的に完全ともいえるひも理論が、
数十年で解消され、消え去るということが考えられるのでありましょうか。
それは絶対にないとはいえませんが、ひも理論に代わる理論としては、たとえば
ロジャー・ペンローズのツイスターと呼ばれる理論があるということを、わたくしは
存じております。こうした理論が、ひも理論に打ち勝つとすれば、それこそが、
役行者様のいっておられる弁証法的発展ということになるのでありましょう。
科学はこのようにして発展をつづけます。弁証法的発展を拒絶し、変われない
宗教と、弁証法を受け入れて変われる科学。いったいどちらが優れているので
ありましょう。数十年で変わるからといって高をくくっていると、いずれ宗教は、
さらに手痛い挫折を味あわされることになるのではありませんか。
それと志恩様は、「真理」という言葉を使って、それが完全無欠であるということを
述べておられますが、まずひとつは、「真理」という言葉をどういう意味で使って
おられるのか、それを問うてみたいとおもいます。それと、「真理」にしても、「完全
無欠」にしても、これは言葉であります。このような言葉を易々と使われておられる
ことから、わたくしは、ラカンが直面した言語の問題に、志恩様が誠実に向き合われているとは、とてもおもうことができないのであります。いまいちど、言語について
深く考えていただきますことを希望いたします。
702
:
さくら
:2011/11/09(水) 09:02:23 ID:T/77sMGw
役行者さま
ダライ・ラマは、宗教間の調和の障害となるものを克服し理解をもたらす最善の方法は、
他の宗教を信仰している人達と対話することであること、
対話は、個人間、あるいは国家間の意見の相違や利益の対立を解決する唯一の良識ある知的な方法だということを、仰っていました。
対話が大切、このことの意味を頭で理解するのは、まあ、簡単といえますね。
しかし、まずはじめに、対話に持っていくまでの障害が、大きいことが多いですね。
また、何を基準に、対話をするか、対話の成功は、そのことにもあるような気がします。
たとえば、小さな例ですけどね、
うちに、ものみの塔の信者が来たわけですよ、
例の冊子を持って、受け取れというわけです。
わたしは、普及紙を持って、これを受け取って読んでくれたら、
私もこれを読みましょう、と言いました。
あの方たちは、決して受け取らないのですね、他の宗教の本を。
では、わたしもあなた方の本は受け取れないし、読めません、と言うと、
何かぐずぐずといって帰っていきました。
わたしは、その時に、いわゆる、「宗教間の対話」ができなかったわけですよね、
それは、互いの宗教の本を基準として、
それを相手に受け取ってもらおう、お互いの理論や教えを一方的に分かってもらおう、
と、そのようなことしか、出来なかったからです、
わたしは、正直言いまして、池田大作の本も、原理講論も、
他の宗教の「めざめよ!」っていう本も、
やっぱり、読みたくないのですよね、・・読みたくない。
それは、違う宗教をしている人も、生命の實相をいきなり与えられても、
同じ反応になるかもしれませんね。
同じ、生命の實相を、読んでるもの同志でも、対話が難しかったりするんですから・・
違う本の理論を信じている信者と対話するのは、やはりある困難が伴いますね。
わたし自身もそうでした、違う信仰をもっていたとき、
生長の家の話を聞くのは、はじめは困難でした。
様々な違った価値観を持つ方々と、対話し、ともに考えようとした時、
何が必要かを、考えます。
まず、理論や言葉のあやを超えて、
お互いの教本の論理を分かってもらおうとすることを超えて、
教えの真髄で繋がっていることは何かを、
お互いに、理解することも大切だと思いますよね。
真髄はなにか、お互い、理解し合うということ、
やはり、相手に対して、愛を持って、理解しようとする、
まず、そういう姿勢を見せるということは、とても大切であると、感じます。
●人類の未来に貢献できる生長の家教壇とその他、生長の家グループ。
この方向を考えるときにも、
お互いの教えの解釈の間違えを指摘することを超えて、
現在、わたしたち人類が、共通して持っている問題意識は何であるのか、
考えることが必要になると思います。
宗教が、人類の共通の問題である、環境問題について、
ともに対話することは、意義深いことだと思います。
現在キリスト教においても、今までの自然は、人間が支配するものという
自然観を見直し反省するという動きがありますが、
これは、先日の生長の家のドイツでの教修会において、テーマでした、
日本的なの自然観は、これからの世界の動向に重要な価値観になってくると思われますね。
ダライラマも、宗教家と科学者との対話を通して、
とも人類の幸福な未来について考えていくことを、大切にされています。
トキさまのテーマ、対話による、和解。
私は、自分の小さな観点から、難しいと考えてしまいましたが、それは、違っていました。
もっと、大きな観点から、対話の道を考えていくことが大切だと、
考え直したいと思っています。
トキさま。和解なんて無理って思って、ごめんなさい。
703
:
さくら
:2011/11/09(水) 09:02:53 ID:T/77sMGw
・・あ、まだ、かいてはいけなかったのですか・?
すみません、
704
:
志恩
:2011/11/09(水) 09:09:46 ID:psrFh/ZU
神のいのちは、われわれの中にながれていますが、個人の意識は、
考えであり、思想ですから、神とは、ことなります。
人間は、各々自由の意思や意識をあたえられていますが、それが、
大自然の意思とは、別の方向へ向いて生きて来てしまった利己的に生きて来てしまった結果が、このような
世界的な無惨な結果になっているのではないでしょうか。
環境問題に対する運動は、正しいことなのです。これもとても大きな重要な光明化運動の一環です。
祈っていればいいのではなくて、祈りながら、実行することが、たいせつと教えていただいています。
個人の事を,私は,先に言っていますが、意識が高まれば、社会や世界の問題のことも意識はひろがると思いますが。
大概は、まず、個人の悩みを解決したあとに、社会に目をむけている人が多いです。
ですから、a hopeさまが、おっしゃっておられるように、訊け君のブログや、うのはなさま、さてさま、ももんがさまが、書き込んでくださる
生長の家の教えは、とてもわかりやすし、
永遠不変の教えですから、どれも心に響き、私も日々、大変学ばせていただいております。
でも、ここの掲示板だけでなく、ここと、あちらの掲示板をみてもこれだけ意見の違いがあるのですから、生長の家がいまのように
変遷して、たくさんの考え方の人たちがいれば、まとまるのは、容易ではないでしょうね。上にたつ人は、ストレス大だとお察しします。
705
:
トキ
:2011/11/09(水) 09:39:57 ID:LVf.XwNI
おはようございます。
昨日は、少し用事があり早くにパソコンを切りました。どうも反応が遅くてすみません。
いやー、たくさんすばらしいご意見を頂戴し、感謝申し上げます。
>>ももんが様
いつも素晴らしいご投稿、深く感謝申し上げます。
実相と現象、家に御座います。これは大事な部分ですね。ご教示、ありがとうございました。
早速、読み返してみます。a hope様からも御希望がありました通り、ぜひ、続きを「信仰/体験」板
で御書き下されば幸いです。
あ、名前のトキですか。これは、大昔、彼女が私につけたあだ名です。天然記念物なみの変人とい
う意味です。(笑)
では、宜しくお願い申し上げます。
>>初心者様、志恩様、さくら様、a hope様
おはようございます。素晴らしいご投稿、深く感謝申し上げます。
なかなか濃い内容なので、私も勉強になります。私的にも御礼を申し上げます。
登場が遅れてすみません。
トーキングスティクの書き込みの件ですが、そうですね、とりあえず今は役行者様
の貸し切りとなっていますので、役行者様のご意見をお願いします。皆様の議論は信仰/体験板でも
十分に対象になる内容だと思っています。役行者の投稿をひとしきり続けてから、ご意見を募集して
もいいですし、皆様がしばらく議論を続けていただき、区切りの良い所で役行者様が書き込みを継続して
頂いても良いかと思います。
では、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
706
:
役行者
:2011/11/09(水) 09:57:14 ID:YEUC93mw
私のことなど、気にしないで、ドンドンとお願いします。
707
:
役行者
:2011/11/09(水) 10:00:07 ID:YEUC93mw
いろんな意見、感想、提案を共感できるよう、私の魂の糧とします。
708
:
トキ
:2011/11/09(水) 10:06:52 ID:LVf.XwNI
>>707
了解しました。では、皆様、宜しくお願いします。
709
:
初心者
:2011/11/09(水) 11:02:41 ID:hogyfr1M
みなさま方は、真理と救済のちがいがわかりますか。
信じたいものだけを受け入れて、信じたくないものは排除する。これが救済です。
信じたくないものも受け入れる。これが真理です。このちがいを、まずははっきりさせ
ておこうとおもいます。
わたくしはこちらで、人類史的観点から、宗教は失敗である、と主張しつづけて
おります。それにたいして、みなさま方からの反応はとぼしく、失敗ではない、と
する意見は、これまでのところ皆無であります。それでいて、みなさま方はおそらく、
いまだに宗教というものは素晴らしいものだと信じておられるはずであります。
わたくしがいっていることは、真理ではないのでしょうか。もうそうだとお考えで
あれば、みなさま方にとっての真理を開示していただきたくおもいます。わたくし
の主張に反論する形で、宗教は失敗ではない、とする意見を開示していただきたく
存じます。
710
:
初心者
:2011/11/09(水) 11:31:51 ID:hogyfr1M
雅春先生が「実相」という言葉を発せられた瞬間に、実相があらわれました。
雅春先生が「実相」という言葉を発せられなければ、実相はいまだどこにも存在
いたしません。みなさま方は、実相を観ずることはおろか、実相について考える
ことさえできなかったはずであります。
雅春先生は、実相のようなものを観られて、それを「実相」と名づけられたのでは
ありません。雅春先生が「実相」という言葉を発せられたその瞬間に、実相は存在に
入ったのであります。雅春先生が、その言葉を発せられた瞬間に何が起きたのか、
みなさまには想像できますでしょうか。
711
:
「訊け」管理人
:2011/11/09(水) 11:39:18 ID:MPQg3/HY
>校長殿
わたしが参加したき論点でいきますと、こうなりましょうか。それは、
真理に「救済」は含まれるか?
・・・補足するならば、真理とは(人にとっての真理、現象の、肉体人間
への真理)人を幸せに導く要素、これが不可欠ではなかろうかと思います。
わたしが(そしておそらく『生命の實相』愛読者なら)参加可能なやり取り
としてはこれ、上記論点からならば◎になりましょうか。
追伸
人を幸せにしない真理――もしもそれがあるとすればそれはたぶん、一般
には・・・他に言い方があるような気がします。適当なものが思い浮かびま
せんがたとえば、〝法則〟とか〝事実〟とか・・・無論これ、貴殿は違うと
は思いますが、『生命の實相』愛読者ならば、そういう風な別の言い回しで
表されることのように思います。
712
:
「訊け」管理人
:2011/11/09(水) 12:04:37 ID:MPQg3/HY
>校長殿
うーん・・・たしかに710のお話しもおもしろいものになろうかと思います。
ただ、そう表することも可能とは申せ、雅春先生の実相とは・・・
少々長く(5分)なりますが動画をご紹介致します。
●「久遠の今」
http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8
追伸
無論、「真理に救済を含まない」というお話しで行きますと、あまり意味の
ない動画となるかもしれません。ムダとなるかもしれませんが、まあ現段階、
「ツラツラ語りながら糸口を」だと思ってもおります。ご容赦ください。
713
:
役行者
:2011/11/09(水) 12:53:47 ID:YEUC93mw
>さくら様
>様々な違った価値観を持つ方々と、対話し、ともに考えようとした時、
何が必要かを、考えます。
まず、理論や言葉のあやを超えて、お互いの教本の論理を分かってもらおうとすることを超えて、教えの真髄で繋がっていることは何かを、お互いに、理解することも大切だと思いますよね。
真髄はなにか、お互い、理解し合うということ、やはり、相手に対して、愛を持って、理解しようとする、まず、そういう姿勢を見せるということは、とても大切であると、感じます。<
> ●人類の未来に貢献できる生長の家教壇とその他、生長の家グループ。
◆
この方向を考えるときにも、
お互いの教えの解釈の間違えを指摘することを超えて、
現在、わたしたち人類が、共通して持っている問題意識は何であるのか、
考えることが必要になると思います。
宗教が、人類の共通の問題である、環境問題について、
ともに対話することは、意義深いことだと思います。
現在キリスト教においても、今までの自然は、人間が支配するものという
自然観を見直し反省するという動きがありますが、
これは、先日の生長の家のドイツでの教修会において、テーマでした、<
宗教遍歴が多いのは私も人のことを言えません(^^;)
確かに、他宗教や、その教典等を学ぶ、また共感するのは大変なことです。
と思うが故、ダライ・ラマさまが仰るよう、争いが絶えないのでしょう!
愛と、共通の問題意識と、教えの真髄を旨に、胸襟を開いて、話し合う時期が来ているのかもしれません。
714
:
初心者
:2011/11/09(水) 12:54:31 ID:hogyfr1M
訊けさま
真理には人をしあわせに導く要素が必要である、いっておられるのでありますね。
この主張には、2つの論点が提示可能でありますね。1つは、人とは何か、との
問いかけです。あとの1つは、人とは何かをふまえた上での、しあわせとは何か
の問いかけになろうかとおもいます。
はたして「人」とは何なのでありましょう。ラカン的には「自分とは他者である」と
いうことになります。この場合の他者とは、具体的な他者ではなく、どこの誰とも
知れない、寄る辺なき他者であります。
「自分とは他者である」とする考え方はヘーゲルを端緒とする、との見方を示した
のが、アレクサンドル・コジェーヴという人物であります。この見方が、のちの
ヨーロッパ思想に決定的な影響をあたえ、それを純粋な形で継承したのがラカン
ということになるようであります。
では、こうした見方を採用して、「自分とは他者である」ということにいたします。
すると、人をしあわせに導く、ということは、何を意味することになるのでありましょう。
いうまでもなく、寄る辺なき他者をしあわせに導くということになるのであります。
そしてそれは、他者の欲望としての欲望を満たすという方法によるのであります。
わたくしはですね、寄る辺なき他者の欲望を満たすことが真理であるとはおもい
ません。むしろ、自分とは他者であり、他者の欲望を生きているという現実を知る、
ということが真理であると考えます。これが、ジジェクのいう、「共生を学ぶべき
堪えがたい真理」ということであるのかもしれません。
ここで書きましたことは、ただの屁理屈なのでしょうか。しかし、こうした考え方は、
それなりに理論化され、あの手この手の比喩的表現によって詳細に語られても
おります。こうした理論にも、そして比喩的表現にも、納得すべき点は多々ある
ように感じます。真理をとらえようとするなら、「人」や「しあわせ」をつくり出している
構造にまで深く踏み込む必要があるとも考えます。
人をしあわせに導く。たったこのひとことの言葉の背後にも、広大な真理の領域が
広がっております。この広大な領域に、わたくしは踏み込んでいきたいのでござい
ますよ。たとえそれが救済には結びつかなくとも、です。
訊けさまは、真理には人をしあわせに導く要素が必要だといっておられます。
もしも人が、これが自分だとおもっている存在が、じつは寄る辺なき他者であり、
その欲望が他者の欲望であったとするなら、それでも真理には人をしあわせに
導く要素が必要だとお考えでありましょうか。このあたりの対話も、また深く踏み
込んでいけそうな予感がいたします。
ともに理屈好きのようでありますが、どっちの理屈がより複雑で、より深いか。
真理とは、それを競うことでもあるような気がいたします。勝ったほうが救済される。
それでよいのかもしれませんね。
715
:
「訊け」管理人
:2011/11/09(水) 16:46:31 ID:0iB8tX3k
校長殿
SoftBankのiPad売場からなのですが、一応返信文を作成しました。(pcの方に)まだ投稿しない理由は、
「独演会になっちゃった」な文章になったからであります。
もう少し、推敲のお時間を頂戴出来ればと。
追伸
iPad、やっぱイイっすねw
716
:
役行者
:2011/11/09(水) 19:09:25 ID:YEUC93mw
◆話の流れが速いので、経過報告をします。
『生命の實相』が、人類の未来に貢献できるのか、その具体的な可能性とビジョンが語られねばということで、
まず、それは救済なのか、それとも、救済を超えて人類に真理をもたらすものなのか。
この問題を、解決しようとすることになりました。
そして、次のような課題を投げかけました。
生長の家信徒は、生命の実相により救われているのです。それだけは譲れま
せん!
そして、はなしは、
信じるとは、そして、救済とは?と続き、
それぞれ、個人のキャパシティの広さによるのではないでしょうか?
狭量な個人意識なら、外に信を向け、現世利益的な救済を求めることでしょう。
一方、懐が広く深い御仁であれば、内在の光までうち貫く信とともに、
人類救済を誓願するのでしょう。
信、救済、と云え、その方の意識の深さに因るところが多大である!
と話を進めたつもりでしたが、真理についての話になってしまいました。
>それは絶対にないとはいえませんが、ひも理論に代わる理論としては、たとえばロジャー・ペンローズのツイスターと呼ばれる理論があるということを、
わたくしは存じております。こうした理論が、ひも理論に打ち勝つとすれば、それこそが、役行者様のいっておられる弁証法的発展ということになるのでありましょう。
科学はこのようにして発展をつづけます。弁証法的発展を拒絶し、変われない宗教と、弁証法を受け入れて変われる科学。いったいどちらが優れて
いるのでありましょう。数十年で変わるからといって高をくくっていると、いず
れ宗教は、さらに手痛い挫折を味あわされることになるのではありませんか。<
確かに、仰っていることは分かります。
真理というのは、弁証法的にアウフヘーベンされ、無限大に進化向上してゆくものと思っております。
真理はこのような在り方と存じますので、科学に負けぬよう、常に進化、アウフヘーベンしてゆきたいも
のです。
この真理の話題で初心者様にこのように問いかけました。
>生命の実相は、時代背景は別として、聖書、仏典より、わかりやすく解説してくれているところが随所に見当たるからです。
このような時代に生命の実相は、尚更、必要とされる書物かと存じます。
それにプラス、これからますます、我々の手により、真理のアウフヘーベン化は必要とされるのではないかとぞんじます。<
上記問いに対して、応えが、下記文章です。
>雅春先生の言葉の古さは、リアリティーのある古さなのですよ。
いかにも古いという、リアリティーが感じられる古さなのですね。月日がたてば、
そうしたリアリティーも消えて輝きを放つでありましょうが、 今はリアリティー
が阻害要因になっております。聖書や仏典とちがい、それはすぐそこにある古さ
であるような気がいたします。<
リアリティ−が阻害になっている。このリアリティ−の阻害とは
なんなのでしょうか?いま、救済について話を進めたいので、取りあえず、簡単
にお願いします。やがて、詳細に話し合いたいと思っております。
続く
717
:
役行者
:2011/11/09(水) 19:19:45 ID:YEUC93mw
上記文章の続き
下記文章は、初心者さまが以前投稿した内容!
>まずは、真理と救済の混同をやめること。これが重要であります。
救済を求めておられる方々は、救済を求めていかれればよろしいのであります。
ただ、それを真理と混同することはやめていただきたい。真理と救済を結びつけ
ることが、問題を大きくしてしまうのでありますよ。
総裁先生が、『生命の實相』は必要ないと判断されたとすれば、
それは、現教団が、救済活動から離脱するということを表明されたものと考えます。求めるのは真理。
そういうことであるのかもしれませんね。
それと、救済を求めているかぎり、真理にとどくことはないと、ひと言、このようにいっておきたいとおもいます。それが真理であるとおもえて
いても、真理でない可能性が高いとおもいます。<
ここの箇所は、またの機会に、詳細に話し合いたいと思っております。
救済の話に戻します。
この地球という生命体に誕生した人間は、様々な様相を呈しています。
現世利益を求める者から、人類のために捧げる方まで、様々です。その世界の一
角である日本に、生長の家は生命の実相哲学とともに誕生しました。読んで救われる哲学として一世を風靡し、宗教団体になってしまった経過があります。その過程にさまざまな救われ方があったと存じます。誌友会が、講習会が、練成会が、
総合すると、何百万の方々が救われたと思うのです。
そして、その信徒の方々が、
皆で、日本国の実相顕現に邁進していったという足跡があります。
つまり、愛国運動として、生長の家は一世を風靡しました。
この過程のなかで、愛国運動の手段については、かなり暴走していたところもあり、
反省すべきところが多々あるかと存じます。
が、その前段階で、実相哲学を読み、実践した方々
が救済された事実は、自然発露的で否定できないのです。きっと、皆様、生命の実
相を拠り所とし、生活の支えとしているのでしょう。救済の求め方は、それは様々でしょうが、生長の家に、また実相哲学に、心の底から義を感じていることと思います。
その方々の思いによって、いまの生長の家が成り立っているわけですから、齟齬にすることはしてはならないことと思うのです。
救済としての生命の実相について、初心者さまをはじめとしまして、皆様はどのように思われますでしょうか?
私は、共存すべきであると思います。
718
:
初心者
:2011/11/09(水) 19:21:35 ID:hogyfr1M
役行者様、お答いたします。
たとえば、戦前や戦中の記憶や記録。これにはリアリティーがありますね。
『生命の實相』には、こうした記憶を喚起する記述が随所に見られるような
きがいたします。それは「いかにも古い」といった印象を読者にあたえるような
気もいたします。今の若い人たちは、戦前や戦中の話なんて聞きたくない、
という人が多いのではありませんか。
これがたとえば、トロイア戦争であったり、ポエニ戦争であったりすれば、
今の若い人たちにも、「いかにも古い」という感覚よりも、「面白い」という
感覚のほうが優勢となるでありましょう。「リアリティーのない古さ」は
受け入れられても、「リアリティーのある古さ」は、ことに若い人たちには
敬遠されるような気がいたします。
719
:
役行者
:2011/11/09(水) 19:28:55 ID:YEUC93mw
>>718
に関しては、同感です。
720
:
初心者
:2011/11/09(水) 19:32:49 ID:hogyfr1M
役行者様
『生命の實相』を救済の書として特化すれば、活動はスムーズにいくと
おもいます。「数を追う」という運動は、真理としては理解しづらいとおもわれ
ますが、救済であれば、誰もが納得できるのではないでしょうか。
ただ、『生命の實相』が、今の時代に救済としての役割を果たせるかどうか、
ということでいえば、実験的に書店においてみて、その売れ行きで推し量る
ことができそうな気がいたします。
ただし、信徒の方々が意図的に買い占める、という事態が予想されますので、
この方法の信頼性がどこまであるかは、保証のかぎりではありません。
721
:
役行者
:2011/11/09(水) 19:47:29 ID:YEUC93mw
スレッド2において、トキ様が以下のようにコメントしてます。
>だいたい、創価学会や幸福の科学などは、本 屋さんで教団出版物を買って下さい、と信者に 言っていると 聞いた事があります。そうすると、本屋さんは 売れるので、店頭に教団出版物を並べるので それが一般の 人の手に渡る蓋然性が高くなり、しいては布教 効果が期待できるからです。その意味では、悪 い事ばかりと は言えないと思います 。<
との提案。
また、
>>720
において、下記のように
>『生命の實相』が、今の時代に救済とし ての役割を果たせるかどうか ということでいえば、実験的に書店においてみ て、その売れ行きで推し量る ことができそうな気がいたします 。
ただし、信徒の方々が意図的に買い占める、と いう事態が予想されますので この方法の信頼性がどこまであるかは、保証の かぎりではありません<
と、初心者さまが述べてますが、トキ様はじめ皆様!どうでしょうか?
意見、感想、提案、いずれでも構いません。
722
:
初心者
:2011/11/09(水) 19:52:38 ID:hogyfr1M
役行者様
救済を真理と言い換えることの意味が、わかってきたような気がいたします。
救済という言葉をあまりにも前面に押し出しすぎますと、いかにも「救ってやる」
みたいな感じで、押しつけがましさやいやらしさが出てまいりますね。
救済を真理と言い換えることで、そのあたりの押しつけがましさや、いやらしさを
オブラートに包むことができそうでありますよね。ただし、信徒の方々に、真理は
オブラートであるということが、そこはかとなく理解されていなければ、たとえ
『生命の實相』を救済の書と位置づけたとしても、またしても真理の理解がちがった
方向へと向かっていくことにもなりかねませんね。
真理と救済のさじ加減。これは、なかなかにむつかしそうであります。どうしたらよい
ものでありましょう。これは当事者となってみて、はじめてわかることなのかもしれま
せんね。雅春先生もこの点で悩まれたのかもしれません。真理とは何か。それを
はっきりと定義することが、まずは先決であるような気がいたします。
723
:
初心者
:2011/11/09(水) 20:02:27 ID:hogyfr1M
役行者様
真理とは何かが、誰にも理解されずに、あいまいなままに使われているのは
問題ではありませんか。
しかし、定義をしたらしたで、真理を限定することになります。定義しなければ、
またしてもシニフィアンの暴走がはじまります。どっちにしても問題ありとすれば、
これは宗教がかかえる根本的な欠落ということになってしまいそうですね。
話が少しばかり先に進んでしまいました。適当にもどしてください。
724
:
役行者
:2011/11/09(水) 20:12:07 ID:YEUC93mw
確かに、雅春先生も大いに悩まれたと思います。
はじめは宗教団体をつくる意志がなかったのですから!
真理と救済との匙加減!これは、政治的平行感覚に属するモノと、存じます。
憶測するに、大変なことでしょう。
725
:
初心者
:2011/11/09(水) 20:40:39 ID:hogyfr1M
役行者様
わたくしは、末端信徒以下の身分でこの掲示板に参加させていただいて
おりますが、それでも雅春先生のご苦労がしのばれるようであります。
726
:
役行者
:2011/11/09(水) 20:49:19 ID:YEUC93mw
野の花のユリ!の姿が、本来の雅春先生の姿なのでしょうね。 されどされど沈思黙考すればするほど、ご心中、お察し申し上げます。
727
:
役行者
:2011/11/09(水) 21:02:04 ID:YEUC93mw
訊けさん!
お願いされてください。
野の花の百合の詩!
久しぶりに読みたくなりまた。
ワガママばかり言って、ごめんチャイ(>.<)
728
:
さくら
:2011/11/09(水) 21:20:35 ID:HgY4n68E
役行者さまは、スティカーの鏡のように素晴らしい、です、
が、スティカーは、ときどき、わがまま言っても、
良いですよね、笑。
729
:
役行者
:2011/11/09(水) 21:25:52 ID:YEUC93mw
さくらさん!
なんか、解放されてますね(゚◇゚)
730
:
ももんが
:2011/11/09(水) 23:58:29 ID:XXCuaQns
>>698
皆様、今晩、ありがとうございます。合掌拝。
今日も、1日、愛行《仕事》を、終えて、帰宅出来ました。皆様も、それぞれの、御愛行、お疲れ様で、ございました。また、明日も、世の為、人の為、愛する、家族の為、そして、神様へ感謝の為に、頑張って、愛行いたしましょう!ありがとう、ございます。
a hope様,トキ様へ>
a hope様、トキ様、私への、レスと身に余る祝福の御言葉、ありがとうございます。
私の、修行未熟な、体験談が、皆様の、御修行のお役に立つのなら、『信仰版・体験版』の方に、場所を変えさせて、お話させて、もらいます。
トキ様?『信仰版・体験版』の場所は、また、別の場所なのですか?場所だけ、ご案内、願いますか?すいません。
a hope様、トキ様
私は、現在、頭注版『生命の実相』第1巻を読んでますが、以前、黒革表紙『復刻版・生命の実相』と、頭注版『生命の実相』の読み比べを、した事が、ありまして、『復刻版・生命の実相』と頭注版『生命の実相』では、内容や、編集に、大分、違いが、有る事が、わかりました。
そして、それらし、意味の事が、頭注版『生命の実相』『生命の実相』の頭注版に序して、に、書いて、ありますね?
トキ様や、志恩様みたいに、本部にお勤めで、要らしたかたなら、違いは、ご存じなのでしょ。
後、頭注版『生命の実相』『生命の実相』の頭注版に序して、に、一番大切な、事が、書かれて、います。
今回、『生命の実相』裁判になりましたが、実は、頭注版の、編集には、少年時代の雅宣先生も関わっていらっしゃるからです。
以下の内容文です『さらに今度、頭注を付し、新仮名遣いを採用し、終戦以来、歴史的仮名遣いを習った事のない年齢層にも解りやすい形でだすことにしたのが本書である。頭注は中学六人に本文を読んでもらい、意味のわかりにくい語にしるしを付けてもらって、その説明を上覧に書くことにしたので、辞書を引く世話もいらぬし、国語の学習の補足にもなる思う。』
上記に、ある、中学六人とは、雅宣先生とその友人らしとの事です?これは、良く、祖母や、母が、話してました。
つまり、雅春先生は、すでに、頭注版『生命の実相』は、雅宣先生も編集者の1人であると言えますね?
雅春先生は、雅宣先生の為に、頭注版作成されとも言えますね?
即ち、雅宣先生が、裁判しようする、気持ち、私は、理解して、あげられますよ。
だって、お祖父様から直接伝承された、『生命の実相』を盗まれた感じですもの?
学ぶ会の、中島さんて、だって、日本教文社の元社長でしょ?
まあ、暗い話しは、辞め時ましょう!
皆様、とにもかくにも、頭注版『生命の実相』は、戦後の日本人の為に、雅春先生が、編集されなおされた、内容で、大変読みやすいです。
皆様、『生命の実相』
成るべく、読むように、頑張ってみましょう!
a hope様 、トキ様、志恩様が、幸せで、健康で、ありますように、ありがとうございます。合掌、拝
731
:
ももんが
:2011/11/10(木) 00:26:43 ID:XXCuaQns
>>693
志恩様へ
志恩様、ありがとうございます。
レスの御文章、大変、ありがたく、読ませて、頂きました。
流石わ、志恩様ですね。『生命の実相』の鍵を持って、神の摂理の、お話をされてるところは、ミニ講話で、思わず、拍手でした!
雅春先生も、清超先生も、良く、『生命の実相』の鍵を持って、神の摂理や、神の理念なんか、『理想世界』とかに、出てきて、成る程ねなんて?関心してました。
私も、わからない事、たくさん、有るので、また、よろしく、お願い致します。
志恩様が、健康で、幸せで、ありますように、ありがとうございます。
合掌、拝。
732
:
志恩
:2011/11/10(木) 03:07:23 ID:psrFh/ZU
ももんが様
コメント、ありがとうございます。
いつもすばらしいご文章を載せて下さいまして、まるでミニ練成会を受けさせていただいているような、心洗われる気持ちにさせていただいてます。
それから、ももんが様は、文の最後に、祝福の言葉を載せて下さって、ほんとに、うれしくなります。ありがとうございます。
733
:
志恩
:2011/11/10(木) 03:45:36 ID:psrFh/ZU
初心者さま
真理と救済と信仰について、思っている事を話して下さいということで、その言葉のおかげで、私は、真理とは、自分でわかっているように言ってるけれど
なにを真理といってるのかと、自分の心に問うてみることができました。私は、いつも生意気な口をきいていますが、ご存知のように、本部時代も幹部でなく平職員でしたし、今も
末端信者ですし、それについては、私のほうが、貴方に教えて欲しいくらいですが、一応、私は、こう思っていますということを、生長の家用語をなるべく使わず、
書かせていただきます。私個人の拙い意見です。
私が考えている「真理」とは、(ももんがさまがおっしゃる神の摂理とか神の理念や宇宙の法則)、雅春先生を媒介にした「霊界の高級霊からのメッセージ」だと思っています。
”人間とは何なのか。人間はなぜに生まれてくるのか。それはすべての人間に目的があるからです。それも、こういう環境でこういう状態に生まれてくると決めて来ている。
しかし、現象の世界で、苦しみがあるのは、すべて霊性の開発のためである。
苦しみもなく、痛みもなく、どうして霊性が開発されると思われますか。幸福の絶頂を体験するには、反対も体験しなくてはいけません。
それは、深く沈んだ分だけ、高く上がれるからです。
このような、苦しみのなかに対している人には、是非共に学んで欲しい「霊界の高級霊からのメッセージ」の一部だけ書きましたが、それが、「真理」だと、私は、思っております。
救済とは、この真理を知り、祈り、実践したことにより、苦しみから開放されることを指します。
信仰とは、生長の家なら生長の家の教えている真理を実践して、自分も他人も共に幸せな生き方をすることです。”
このように、貴方からみられたら、つっこみどころ満載でしょうけれど、私は、思っています。
続き
734
:
はちみつ豆腐
:2011/11/10(木) 05:17:23 ID:psrFh/ZU
宗教は、本来は必要ないものではなかったかというのは、私も同感です。
縄文時代なんか、大自然に囲まれていましたから、季節の移り変わりや 月の満ち欠けさえも、畏敬の念を抱かずにおれなかったでしょうから、
大自然に祈り、また畏れの気持ちで暮らしていたと思いますから、生き方そのものが信仰生活みたいなものでした。
ですから、とりたてて、信仰は、要らなかったでしょうね。
でも、文明が発達し、機械化も進むと、社会や人間関係は、複雑になり素朴さから離れていきますから、自分が元気で幸せに生きて行きたいと思い、
苦しみなど発生しますと、自分のご縁のある宗教を、必要とされるお方は、必要とされてきたのでは、ないでしょうか。
生長の家は、時代に適合した宗教でしたし、いまも、そうなのだと、われわれは考えていますが、実際の今は、過渡期になり、
初心者さまは、今のままでいいのか、それとも、生長の家自体が、賞味期限が過ぎた内容の教えになってはいないかと、
教えの内容と組織のことを合わせて、今後のことを真摯に考えておられるのでしょう。
初心者さまは、ジャック・ラカンの哲学をよく引用されてます。そして、実は,雅春先生は,この人が達した哲学には、達していなかったと思うと、
度々いわれてきました。この方の諸概念と理論を高く評価されてます。彼の哲学を強く指示しておられます。
雅春先生の哲学より強くね。
ですので、雅春先生より、ジャック・ラカン高い位置に置かれているので、それは、貴方の雅春先生に対する評価だと考えているのです。
wikipediaで、ジャック・ラカンを検索してみました。
彼は、20世紀の哲学者。1981年に、80才で没。死亡原因は、大腸がん。フランスの精神科医、哲学者、精神分析家。
高等師範学校で哲学を学び、パリ大学で医学を学び、精神科医として働く.
20年以上にわたり、セミナーを開き、そのなかの1つに「大文字の他者」もありますが、自己独自の理論を発展させた。
フロイトの大義派。
日本におけるラカン理論の現状は、その理論の独自性とともに不思議な面白さが有り、一部の人には根強い人気を保ちながら、
現在も力強くラカン理論は日本において紹介され続けている。その内容自体も難解なままに留まっており、ラカン理論は臨床技法や
治療理論としてよりも、人間を理解する一つの精神理論、もしくは哲学理論として重宝されているようである。
理論は、難解すぎて,私には理解出来ないのですが、
興味をもったのは、ラカンが生存中、彼はパリ精神分析協会の会長に就任したのですが、同協会に内紛が生じ、分裂したとあります。
彼自ら「パリ・フロイト派」をたちあげたが、たちあげた約15年後には、これも、解散しています。
そして,フランスでは、「ラカン派」は、ラカンの死後、内部の分派抗争のためにさまざまな団体・派閥に分裂して活動することになった。
とありました。
いずれの時代にも、このようなことが起きているのですね。
735
:
志恩
:2011/11/10(木) 05:44:31 ID:psrFh/ZU
はちみつ豆腐は、志恩です。失礼しました。
736
:
志恩
:2011/11/10(木) 06:03:08 ID:psrFh/ZU
今日は、朝から所要で出かけます。なので、夜に,皆様の投稿を拝見させていただきます。
737
:
「訊け」管理人
:2011/11/10(木) 06:54:05 ID:D0Kb5yw.
>役行者さま
――――――――――――――――
訊けさん!
お願いされてください。
野の花の百合の詩!
久しぶりに読みたくなりまた。
――――――――――――――――
在庫切れです、すみません(笑)
(頭注版20巻に掲載してあったかち、思い申す。雅春先生、ヴァキュームオイル
社の机でその詩、書いておられて上司からジロリと睨まれたとかw
そのジロリと睨まれながら作成されたこの詩は、『ひかりの語録』にもあった
はずです。)
738
:
「訊け」管理人
:2011/11/10(木) 07:01:08 ID:D0Kb5yw.
>初心者さま
(なお、716以降のご投稿文章未読のまま作成したものです。他の方のご文章
とも重複している箇所があるかもしれません。ご了承ください。)
ご返信をありがとうございます。なお、「ここで書きましたことは、ただ
の屁理屈なのでしょうか。」とのお言葉がございましたが、そうは思いませ
ん。(むしろ興味を持つ次第です)
ただ今は・・・バカげた事を言うようですが「救済を優先したい」と思う
のです。宗教に於ける真理とはこれ、やはり救済を含むべきではないか?そ
う思えてなりません。たとえば、
――――――――――――――――――――――――――――――――
人をしあわせに導く。たったこのひとことの言葉の背後にも、広大な真
理の領域が広がっております。この広大な領域に、わたくしは踏み込ん
でいきたいのでございますよ。たとえそれが救済には結びつかなくと
も、です。
――――――――――――――――――――――――――――――――
というご文章(714)があります。たしかに広大な領域があるわけです
が、そして以下は提案になるのですが、たとえば「自殺」や「倒産」あるい
は「貧困」などの身近な問題を解決するには?こういった方向でやり取りで
きぬものかと思います。(勝手ではありますが)
ややツラツラと語ります。と、いいますがここがTSBであることを敢えて忘
れ(笑)独演させてもらうことになるやも・・・身勝手な要請もしてしまう
でしょう(笑)結果的に話の流れを切ってしまった際には、無視して頂いて
結構です。
冒頭で貴殿ご提示の話を「むしろ興味を持つ次第です」と書きました。し
かし今はなにか、「優先順位が違う気がしており」「あまり乗る気がしない」
と云うのが本音です。世間にはもう、とんでもない話が多すぎるからです。
「救済を含まない真理」に興味はあるにせよやはり、今の私は「救済こそ真
理」なのです。
「救われる」とは、どういう状態をいうのでしょうか。それは、一切の不
安・焦躁から解放され、大安心の、喜びの境に導かれること、と言えると思
います。「そんなことで良いの?」と、もしかしたら(明晰な)貴殿からは
言われてしまうかもしれません。しかし、「そんなことでも良い!そんな話
がおありならば、ぜひお聞かせ願いたい」という現在です。「表現された真
理をそのまま読者が生活に生きるように押し出す迫力があるのが哲学である。
哲学は哲学〝せしむる〟力を持たねばならぬ。」という、一昨日掲載の雅春
先生お言葉に惹かれる(思考を優先させる)理由はたぶん、私の住まう地方
には「あまりにも悲しい話があふれていること」(※)が原因かもしれませ
んが・・・
追伸
とは申せ貴殿が「呑気に屁理屈をこねまわしている」とは思えません。た
だ、そのご聡明な考えを少々、「救済」の方へと振向けてくださると楽しい
やり取りになろうかと。そして多数の方も参加しやすくなりはせぬかと、こ
う思う次第です。(私の様なw)救い難き凡夫にも伝わる言葉で、語って頂
くことは可能だと思っております。
<註>
※ 「あまりにも悲しい話があふれていること」
たとえば「餓死」なんて事件がありました。私が住まう南九州ですら、そん
な状況です。自殺者も半端な数ではありません。失業者なんてもう、珍しいも
のではなくなっています。青少年のドラッグも、もう街中ではアタリマエの光
景と化しておりますし・・・・もう、バカげた表現で恐縮ですけども、「男子
として見過ごすわけにはいかぬ」そんな状況です。
もしかすると(貴殿言われるところの)真理では、救えないのかもしれませ
ん。しかし、それがいくら真理でも今の私には「そんなものに用はない」とい
う感じがしております。そして、雅春先生の申される「真理」であればこれ、
大幅に減ずることが可能だと思っております。(なお「大幅に減ずる」という
表現は、現象語での説明です。本当は違う表現になりますが)そしてくどいで
すが、たとえそれが「真理ではない」と云われてしまおうとも私は、その方向
で邁進したい現在です。お知恵をお貸しくださいませ。
739
:
初心者
:2011/11/10(木) 07:04:34 ID:X1fDhvjY
志恩様
わたくしが突っ込みたくなるのは、高い場所に身をおいて、「真理」を大上段に
かかげながら、説教調の言説を弄する人であります。「あんた、真理、わかっとらん
やろ」といいたくなりますね。
ところでわたくしは、ラカンの著書は1冊として読んだことがありません。ラカンの
理解には、ジジェクだけが頼りといったところでしょうか。ただですね、重視するのは
構造です。世の中の構造、言語の構造、無意識の構造。こうした構造に、雅春先生は
ほとんど言及しておられませんよね。たぶん、あまり言及しておられないとおもいます。
構造が理解できてないと、なぜそれが起こるのか、その理由が説明できませんよね。
ラカン好きは、それが何であれ、とにかくすべてを説明しようとします。ジジェクに
よれば、たぶん「病的ナルシシスト」と呼ばれる人たちです。あらゆる問いかけに
答えようとする。これが「病的ナルシシスト」ですよね。
雅春先生の教えだけでは、あらゆる問いかけに答えることはできませんね。
大文字の他者も小文字の他者も、雅春先生は説いておられませんものね。
「病的ナルシシスト」は、雅春先生よりも、ラカンを好むのかもしれません。
たとえばラカンは、デカルトの「われおもう。ゆえにわれあり」を「わたしは
わたしのいないところで考える。ゆえにわたしはわたしが考えていない場所にいる」
と、こんなふうに言い換えます。
「わたし」には2種類あるのだ、ということをラカンはいいたいのですね。「われおもう」
の「われ」と「われあり」の「われ」はちがうのだ、ということを、こうした独特の言い
まわしで、ラカンは説明します。
どうちがうのか、ちがうことに意味があるのか、これまで単純に1種類の「わたし」
で生きていた人が、途端に予期せぬ難問に巻き込まれてしまうのであります。
ラカンは、人生を、世の中を、ともどもに複雑にする。だから面白いのですよ。
単純に考えていたのではわからなかったことが、なんとなくわかってくる。何が
わかってくるのかといえば、「本当はなにもわかっていなかったのだ」ということが
わかってくる。
世の中も人間も、ふつうにおもわれているほどには単純でなく、じつはあまりにも
複雑で、誰にも理解できるようなシロモノではないのです。ラカンに接すれば、
たいていはこうしたことに気づきます。そして、さも何もかもわかっているかのごとく、
「真理」を大上段にかかげて、他者を見くだしたような言説を弄しつづける人たちに、
「あんたさぁ、本当は何もわかっとらんのよ」ということを、言ってあげたくなるのです。
きょうの志恩様は、いつにもまして素敵でございます。けっして突っ込みたいとは
おもいません。
740
:
初心者
:2011/11/10(木) 07:55:02 ID:X1fDhvjY
訊けさま
まことに失礼ながら、訊けさまも、ようやく物事を、広く解釈しながら、ご自分の
考えを開示できるようになられたようであります。それが、わたくしの望むところで
ありました(生意気ですね。ちょっといってみたかっただけです)。
訊けさまは、人を救いたいという思いを強くもっておられるということでありますね。
ボードのテーマも救済となっておりますし、そのことを中心に、これから話をすすめる
ことにいたします。
最初にことわっておきたいのは、わたくしに人を救うような力量はないということで
ありますが、ただ言葉の上であれば、それなりのことは語れるかもしれない、といった
ところだろうとおもいます。
それでまず、最初に考えるべきことは、救済とは何か、ということですね。何をもって
救済というのか。これが最初の関門になるかと存じます。わたくし流の救済があると
すれば、それは、他者の苦悩や問いかけにたいして、絶対的に応えようとする、という
ことであります。
それは、言葉だけでなく、行為、態度、思いといったものによって絶対的に応える、
ということでありますが、応えた結果が救済につながるかどうかは、いっさい考えない
ということでもあります。
絶対的に応えようとはするが、結果はいっさい関知しない。これがわたくし流の
救済にたいする考え方であります。絶対的に応えることのできる自分を育てる。
これが求道であると考えます。
わたくしは世捨て人でありますので、このようなことを実践したいと考えたことは、
ただの一度としてありませんが、訊けさまが救済を強く望んでおられるのであれば、
わたくしも及ばずながら、この「絶対的に応える」ということを実践してみてもよいか
とも考えます。応えられる自分がどこまで育っているか、それが問題でありますね。
正直なところ、自信はまったくありません。それと、応えるにあたって、雅春先生の教えは
あまり役立たないとも考えます。そのあたり、こちらで対話できればとおもいます。
741
:
役チャン
:2011/11/10(木) 08:16:57 ID:YEUC93mw
>>737
無尽蔵の宝庫!実相世界に在庫はある(v_v)
きけさあへ!
742
:
「訊け」管理人
:2011/11/10(木) 10:05:42 ID:MPQg3/HY
>役さあ
>無尽蔵の宝庫!実相世界に在庫はある(v_v)
爆笑
あの〝イケメンブログ〟にアップしもしたあ。
見てくいやんせ!
●「野の百合の生きる道」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65604625.html
743
:
「訊け」管理人
:2011/11/10(木) 10:10:21 ID:MPQg3/HY
追伸
雅春先生は、上司からジロリと睨まれながらこの詩をお書きになりました。
私は部下から怪しまれながら、WEB投稿中です。
合掌、ありがとうございます。
余談
しかしあらためて拝読しますとこの詩・・・いいわ、実に。
744
:
ももんが
:2011/11/10(木) 10:42:36 ID:XXCuaQns
>>693
皆様、おはよう、ございます。今日も、嬉しい、楽しい、朝が、やってまいりました!さー、元気、喜びを持って、御愛行を、頑張っていきましよ!ありがとうございます!
と、言います、私は、今日は、お休みなですが、色々、日常的に、頑張っていきます!
ありがとうございます。
>志恩様、昨日の素晴らしいお話で、大変、気になる、部分が、有りましたので、お話させて、下さい。
それは、『流産児と津波』についての事です。以下の部分的です。
>『たとえば、「津波」のことをとっても、雅春先生は、津波が起こるのは、水関係のものは何万人と毎年中絶されている流産児の悲しみによるものであるのです、と言われてます。』
上記の事は、生長の家取り組みでも、戦後、雅春先生、輝子先生が一番取り組んだ、御仕事の重要な1つですよね?
私は、祖母や祖父が、宇治別格本山に永代供養されていますから、宇治行くと、必ず、『水子供養』してる観音さまに、手を合わせて来ます。
終戦前後混乱期の、満州や朝鮮半島の引き上げ者の話しを聞くと、ソ連軍や朝鮮兵、中国兵による、強姦で、妊娠た女性が、たくさんいたそうで、当時、内密で、福岡に、だ堕胎施設が、作らたそうですね。
国内でも、戦後直ぐは、三國人不法や、進駐軍により、上記と事により、妊娠してしまい、いわゆる『望まれない子供』、『愛の無い子供』が、産まれたり、堕胎されたりしたようですね。(涙)
今年の初めだったか、テレビ見ていたら、作家・五木寛之が、自分のお話をされましたが、五木さんも、満州引き上げ者で、御両親が、中学の教師でしたが、ある朝、ソ連兵が、自宅に侵入して、ご家族の目の前で、お母様を強姦したそうです。その後、お母様は、気がふれて、亡くならたとお話してましたが、さぞかかし、辛い体験だったと、思いました。
話しは、飛びますが、戦後、雅春先生、輝子先生が、『妊娠中絶に反対運動』をされのと、この、宇治の流産児供養は、生長の家が、立教いらい、命大切に、愛を唱えてきた証拠です。
これを、守る為に、愛国運動も、されて、日本に元気、即ち、生きる、希望や精神を唱えられたのだと思わずにおれません。
もう、戦後とは、時代も、状況も違いますが、違う、意味で、命を大切する愛する心を、神様は、我々に、教え下さってるんでしょうね。
長々、書いてしまい、申し訳ありませんでした。
神の子の命を大切生きて、いきましよ。
志恩様、いいお話、ありがとうございました!
志恩様が、幸せで、ありますように、ありがとうございます。合掌、拝。
745
:
トキ
:2011/11/10(木) 11:59:12 ID:4s1j/Hko
ももんが 様
素晴らしいご投稿、ありがとうございます。本当に大切な事を書かれましたね。感心しております。
こういう事は、最近、教えられませんが、忘れてはいけない事だと痛感します。
五木寛之さんの話は、胸に迫る話でした。満州から引き上げた人が、生長の家だが、
どうしてもソ連を許せない、と悩んでいた人の事も思い出します。
ほんとうに、ご教示には深く感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
746
:
役チャン
:2011/11/10(木) 12:38:30 ID:YEUC93mw
>>743
訊け 野の百合 さま
ア、アリガトウ・・・
実相世界から舞い降りた(゚◇゚)
スティッカーもつと、不思議ドォス(゚ロ゚)(☆。☆)
感謝<m(__)m>
>追伸 雅春先生は、上司からジロリと睨まれながら この詩をお書きになりました 私は部下から怪しまれながら、WEB投稿中で す<
実況中継、アリガトウ(*^_^*)
感情移入したんでしょうo(^o^)o
> 合掌、ありがとうございます 余談 しかしあらためて拝読しますとこの詩・・・ いいわ、実に
確かに・・・
747
:
ももんが
:2011/11/10(木) 14:43:26 ID:XXCuaQns
>>745
トキ様、ありがとうございます。合掌礼拝
何時も、お誉め言葉、頂き、ありがとうございます。
本当に、終戦直後は、日本崩壊に、近い、情況だったと、私も、色々、歴史を自分なりに勉強して、理解してましす。
昭和20年代は、日本崩壊に、近い状態、現在、暴力団は、違法ですが、当時、暴力団を自警団として、警察などと連係して、三國人対策に、あったていたようです。
当時の雅春先生の『愛国運動』をたくさん、なされたのは、やはり、終戦直後の外側から、内側からも、日本崩壊が、感じられる風潮が、あったのでは、私には、感じられます。
敗戦によって、やはり、結果、苦しい思いをしたのは、
女性や子供だったのを、雅春先生も、輝子先生も、何とかしたいと、切に願われたと、思います。
現在、終戦さら、だいぶたち、情況も、変わりましたね。
終戦てなんか、遠い昔の出来事ですね。
だって、サッカー良く、テレビ観戦しますが、日本代表の李選手なんか、在日四世から、帰化して、日本人となり、国家斉唱も確りしてるし。
終戦記念日は大切だけど、現在をより良く、生きる事に、毎日、努力して、行けば、ご先祖様や、先人達の、ご苦労も、報われる事でしょうね。
トキ様が、幸せで、健康で、ありますように、ありがとうございます!合掌、拝。
748
:
役行者
:2011/11/10(木) 17:29:07 ID:YEUC93mw
合掌
なるほど、愛国運動がはじまる時代背景が見えてきました。
ありがとうございます。
>昭和20年代は、日本崩壊に、近い状態、現 在、暴力団は、違法ですが、当時、暴力団を自警団として、警察などと連係して、三國人対策 に、あったていたようです。
当時の雅春先生の『愛国運動』をたくさん、な されたのは、やはり、終戦直後の外側から、内 側からも、日本崩壊が、感じられる風潮が あったのでは、私には、感じられます 敗戦によって、やはり、結果、苦しい思いをし たのは 女性や子供だったのを、雅春先生も、輝子先生 も、何とかしたいと、切に願われたと、思いま す<
わたしも、山口組三代目である田岡さんの半生を読んだことがあります。
女、子供を守るため、自警団として、活躍されていることが書かれてました。その当時はまさしく侠客だったのでしょうね。
生長の家におきましても、日の本を守ることと、義と情から愛国運動が始まったようだと、当時の時代背景から理解できました。
今上陛下も、昭和天皇の悲願である沖縄の御巡幸を果たされ、戦争を体験してこられた方々の思いに馳せ、平和へのお祈りを捧げたと聞いております。
愛国運動をしてこられた先達の背景を鑑み、暴走に対しては反省をし、日本の未来に貢献してゆきたいと心新たにいたしました。
なるほど、愛国運動も、ひとつの救済から始まっているのですね。
749
:
役行者
:2011/11/10(木) 17:52:39 ID:YEUC93mw
>初心者さま
>重視するのは 構造です。世の中の構造、言語の構造、無意識 の構造。こうした構造に、雅春先生は ほとんど言及しておられませんよね。たぶん あまり言及しておられないとおもいます 。<
真理は常に進化向上するものですから、深く探求することは大切かと存じます。その求道心、本当に、頭が下がります。
>それでまず、最初に考えるべきことは、救済とは何か、ということですね。何をもって 救済というのか。これが最初の関門になるかと 存じます。わたくし流の救済があるとすれば、それは、他者の苦悩や問いかけにたいして、絶対的に応えようとする、という ことでありす 。
それは、言葉だけでなく、行為、態度、思いと いったものによって絶対的に応える ということでありますが、応えた結果が救済に つながるかどうかは、いっさい考えない ということでもあります 。絶対的に応えようとはするが、結果はいっさい 関知しない。これがわたくし流の 救済にたいする考え方であります。絶対的に応 えることのできる自分を育てる 。これが求道であると考えます。
わたくしは世捨て人でありますので、このよう なことを実践したいと考えたことは ただの一度としてありませんが、訊けさまが救 済を強く望んでおられるのであれば わたくしも及ばずながら、この「絶対的に応え る」ということを実践してみてもよいか とも考えます。応えられる自分がどこまで育っ ているか、それが問題でありますね 正直なところ、自信はまったくありません。そ れと、応えるにあたって、雅春先生の教えは あまり役立たないとも考えます。そのあたり こちらで対話できればとおもいます。<
訊けさん!初心者さまが絶対的に応えると仰ってます(*^_^*)
救済について、ドンドン、尋ねてみてください。
また、初心者さま!
絶対的に応える!に対して、雅春先生の教えがあまり役に立たないとは、どういうことでしょうか?
750
:
ももんが
:2011/11/10(木) 19:48:24 ID:XXCuaQns
>>748
役行者様
役行者様、レスお読み、頂き、ありがとうございます。
正しく、役行者様の言われるように、終戦直後の救済運動が、愛国運動へつながったと、言えるでしょ。
戦後60年たち、愛国の心は、心は心に、抱きつつも、今、人類の全体を、覆う危機は、人類の人口爆発による飢餓へ危機、地球の温暖化に気候変動、オゾン層破壊による太陽放射線直射等様々に、人間だけでなく、他の動物生命の命を奪う、危機に、直面中です。
人間は、人間の知恵では、未だに、解決できない事、色々場所で、思い知らせれたと、思います。
しかし、こんな、危機的な、世界だから、こそ、神様に、真剣に、祈り、神想観して、神の知恵、ありがたさを、実感したい物です。
長々、失礼しました。
役行者様の、健康と幸せを、祈りして、ありがとうございます。合掌、拝。
751
:
役行者
:2011/11/10(木) 21:04:01 ID:YEUC93mw
>>750
ももんがさまへ
神想観、聖経読誦をはじめとし、日々、精進しまして、神の叡智を拝受できるよう努めます。
>戦後60年たち、愛国の心は、心は心に、抱き つつも、今、人類の全体を、覆う危機は、人類 の人口爆発による飢餓へ危機、地球の温暖化に 気候変動、オゾン層破壊による太陽放射線直射 等様々に、人間だけでなく、他の動物生命の命 を奪う、危機に、直面中です 人間は、人間の知恵では、未だに、解決できな い事、色々場所で、思い知らせれたと、思いま す。<
確かに、思い知らされてます。神想観をし、右脳を活性化させ、未来ある人類に対して、成せる使命を、皆で、全うしていきとうございます。
全然、長くないので、もっと長い文章をお書きいただいても構いません。
合 掌
752
:
もんもんが
:2011/11/11(金) 12:19:51 ID:XXCuaQns
>>748
役行者さんへ合掌、拝。
ありがとうございます。
昨日、レス、ありがとうございました。
昨日の、役行者さんのレスの、御文章で、面白いなて、おもう、箇所ありましたから、コメントさせて下さい。
>『わたしも、山口組三代目である田岡さんの半生を読んだことがあります。
女、子供を守るため、自警団として、活躍されていることが書かれてました。その当時はまさしく侠客だったのでしょうね。』
の上記の箇所です。
山口組・三代目田岡組長。
DVDで、高倉健さんが、主演で、やってましたよ!
何回も見ました!
宝塚駅の朝鮮進駐軍《現在の朝鮮総連》に、よる襲撃場面とか。、山口組が、決起する、場面は、カッコよかったな!高倉健だからですかね。
余計な、お話して、すいませんでした。
また、お話させて、下さいませ。
役行者さんが、幸せで、ありますように。
ありがとうございます。
合掌、拝。
753
:
トキ
:2011/11/11(金) 15:39:45 ID:LVFKIZfw
ももんが様
終戦後は混乱していたので、そういう事もあったみたいですね。先達と拝察しますが、さすがに素晴らしい
ご教示に感謝申し上げます。
ところで、生長の家で「正しい愛国心」を説く事の重要性ですが、戦後の日教組教育のような、亡国的、
売国的な洗脳から純粋な青少年を守るという意義があります。が、同時に、排外的、狂信的な似非愛国心
から青少年を守るのも目的になるかと思います。
最近、ネットを見ると、日本人の誇りを強調するのは良いが、外国人を見下したり、排外的な発想の
書き込みが散見されます。このような偏狭な考えでは、逆に國のためにはならないと思います。
その点、生長の家が説く愛国心こそが、偏りがなく、納得の行くものであると感じております。
その意味で、谷口雅春先生が説かれた愛国心についての御教示を勉強したいと思います。
今後も、ご投稿をお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
754
:
役行者
:2011/11/11(金) 18:03:39 ID:???
>ももんがさま
>山口組・三代目田岡組長。<
ここで、田岡組長!
http://www.youtube.com/watch?v=0gu_rVce42Q
>DVDで、高倉健さんが、主演で、やってましたよ!
何回も見ました!
宝塚駅の朝鮮進駐軍《現在の朝鮮総連》に、よる襲撃場面とか。山口組が、決起
する、場面は、カッコよかったな!高倉健だからですかね。<
それはまあ、高倉健だからでしょう。
今度、結構、尊敬している ビートたけし共演で映画に出演しますね。
上演を楽しみにしております。
◆80歳高倉健、6年ぶりの映画は妻を亡くした男のロードムービー!
http://www.cinemacafe.net/news/cgi/release/2011/08/11182/
それから、ついでに、懐かしい曲をどうぞ!!
http://www.youtube.com/watch?v=0-KQs4UIyeU&feature=related
うぅ〜ん 重い空気が流れてきた・・・訊けさんか、だれか助けて!
ツッコミかボケをお願いします(;O;)
755
:
さくら
:2011/11/12(土) 09:09:47 ID:SCTr8mD.
役行者さま、
トーキングボード、なんで、こんなところに!笑。
上げさせて、頂きますよ、
役行者さまは、生長の家の、社会起業家的(的なってところでしょうか。)
な取り組みについて、どう思いますか?
思いつきなので、どんな展開になるかは、
各々のやり方次第だと思うのですが、。
756
:
さくら
:2011/11/12(土) 22:53:08 ID:SCTr8mD.
役行者さま
高倉健は、うちの、父に似てる。
とりあえず、ボード、あげとこ。
757
:
役行者
:2011/11/12(土) 22:57:46 ID:YEUC93mw
さくらさま
アリガトウ(;_;)/~~~
758
:
さくら
:2011/11/12(土) 23:26:32 ID:SCTr8mD.
お、役行者さま、
お久しぶり〜!^^
759
:
さくら
:2011/11/12(土) 23:27:31 ID:SCTr8mD.
えっと、なんの話でしたっけ、役行者さま。
760
:
役行者
:2011/11/12(土) 23:38:00 ID:YEUC93mw
そうなのよ!
だいぶ、話がズレちゃったのね!
明日まで沈思黙考し、建て直しますσ(^_^;
761
:
さくら
:2011/11/12(土) 23:54:34 ID:T/77sMGw
そうっすね、役行者さま、それも人生ですね、
今日もすごく良い日だった〜、これも人生です。
762
:
役行者
:2011/11/13(日) 00:26:56 ID:YEUC93mw
さくらさま
人生いろいろ ですね!
今日は、この歌を聞いて寝入ります(-_-)zzz
建て直しは明日に任せて!
http://www.youtube.com/watch?feature=youtube_gdata_player&v=IF6ayxBqO2U
763
:
役行者
:2011/11/13(日) 11:02:14 ID:nwkuWMUo
◆ スレッド2 の2000回達成記念を祝しまして、2の内容も引用します。
トーキングスティックボード・・・最近、下がりやすいのを無理に上げてくれたさくら樣に感謝の意を捧げながらはなしを進めてゆきます_(._.)_
どのように、元に戻してゆくか?が大切かと存じます(v_v)
沈思黙考しながら書き進めてゆます。
果たして生長の家はどこまで許容してくれるのでしょうか?
アウトサイダーは許容範囲であっても、アウトローともなると・・・ちょっと行き過ぎたところがありました(。・・。)
生長の家において、最前線の拠点は自宅や施設で開催される誌友会ですよね。そして、練成会になるかと・・・その練成会は昔の記憶を遡ると、結構、許容範囲を広げてました。駆け込み寺的な要素が随分ありましたね。いまでも、その名残はきっとあると信じてますが・・・
訊けさんが熱弁されているよう、いまこそ、ますます、アウトローを受け入れるような駆け込み寺を、時代は要請していると存じます!!
ところで、初心者さまがこのボードで以前このようなことを仰ってました。
>問題はダナオイの贈り物、つまりは言語ですね。言語によって設定された限界をどうやって 乗り切るか。これが生長の家に課せられた課題 であるような気がいたします 。ただし、「スマートグリッド」という言葉で義 春さんが表現しておられるように、現教団は 言語の問題に真向から取り組むのではなく まったく異なった方向から自然状態へのアプ ローチを試みているようでもあります。<
これが初心者さまが模索されてます第三の道なのでしょう。
世間ではTPPの話で持ちきりですが、真っ向勝負するのでなく、まったく、異なった方向からのアプローチを展開してゆく!ということなのでしょう。
また、
>ロゴスの誕生とともに、人は、自然の制圧を欲 望しはじめました。その欲望が実を 結んだのが近代科学でありますね。人は、近代 科学の力によって、自然の秘密を つぎつぎと解き明かし、それまで、人間の手に は負えないものと考えられていた 自然を、欲望の対象へと置き換えることに 徐々に成功するようになってきたので ありますね 当然のことに、近代において、信仰のあり方も 大きく変貌してまいりました。自然に たいする恐怖や畏怖の念から、欲望の充足へ と、信仰のあり方が置き換えられる ようになってきたのであります。現代の信仰 は、ロゴスの成果である近代科学の 発想の延長線上に、それと酷似する形であらわ れてきたということがいえるはず でありますね<
つまり、文明への迎合という形で、宗教組織がなりたざるおえないということでしょう。また、程度の差あれ、どの宗教団体もこのような要素を抱え込まざるおえないということでしょ
う。
続きます!
764
:
役行者
:2011/11/13(日) 11:04:50 ID:nwkuWMUo
上記文章の続きです。
随分と大きな話をしてまいりましたが、話を最初に戻します。
このような現代の新興宗教が抱えざる終えない背景があり、この世にアウトサイダーやアウトローを排出してきたことは歪めない事実でありましょう。
ならば、ホンモノの宗教はアウトサイダー・アウトローを受け入れるべきでありましょう。
なお、先ほど触れた「ロゴスはダナオイの贈り物」のことは、2000回を達成しましたスレッド2の700半ばから、800代、900代に掲載されております。ご参考にされてください。
続きます。
スレッド2から引用!初心者さまの言葉です。
>ジャック・ラカンは、「言葉はダナオイの贈り物」だといっております。
「内容は無害」。そういって贈られたのが「ダナオイの贈り物」です。
「ダナオイ」とはギリシャ人です。
「ダナオイの贈り物」とは、トロイア人が、アガメムノン率いるギリシャ人から
贈られた木馬であります。<
私は以前、トロイという映画を見て、トロイの方々に日本人をダブらせて観ておりました。
負けるとわかっていながら、やむにやまれずの悲しいサガを観てしまったのです。
そして、初心者の言葉はこう続きます。
>愛国心や信仰心が簡単に激情へと向 かってしまうのは事実だから、楽観はできないんだよね。こんなことを言っているあたしにしたところで いつな
んどき激情へ向かわないともかぎらない のだから、あやうい バランスのなかで、
やっとこさ平静をたもてて いるという気がしないでもない<
と・・・そして、わたしは応えました!
>「悲しいサガ」ですね。シニフィアンの一人歩きに翻弄されるのが、人間なのですね。
言葉の重みを感じます。<
高倉健が出てきました!悲しいサガの象徴ですね。それはそれでよいと思います。ただ、生長の家は先に進まなければならないとそう思えるのです。
先に進む話は、あとで展開します。
結論を言います。
アウトサイダー、アウトローをも受け入れる、こらからの生長の家のあり方を問う。
大変失礼なことだと分かりつつ言います!初心者さまのようなアウトサイダーな方を受け入れることも、また私のようなアウトローな人間も受け入れるような、そんな生長の家について、考えてゆきたいのです。
やっとこ、もとに戻しました(^。^)y-゚゚゚
765
:
さくら
:2011/11/13(日) 11:20:21 ID:T/77sMGw
役行者さま
わたしは、救済運動として活動するなら、各自が問題意識を
持って、社会的なアプローチを考えていくことがよいと思っています。
活動していくと、アウトサイダーでも、アウトローでも、
関わることで、多面的な対応の仕方が見えて来るとおもいますよね、
その際の、信仰、救済、真理の意義をはっきりしておくことが、
大切だと思うのですが、。
766
:
役行者
:2011/11/13(日) 11:32:19 ID:nwkuWMUo
そうですね。
社会起業家の話ですね。
他スレットでも挙げてましたね!
いろいろ、教えてください。
私も、考えてゆます。
767
:
役行者
:2011/11/13(日) 12:27:25 ID:nwkuWMUo
>>764
一箇所訂正です。
初心者 → 初心者さま
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