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トーキングスティックボード
3340
:
志恩
:2014/03/17(月) 07:37:38 ID:.QY5jUA6
縹様
縹様ー
>>中村先生のご投稿内容につきましては、不思議なのですが、どうして光明掲示板は、
「悪霊」は認められても、「黙示録」は認められないのでしょうか?<<
志恩ー
ほんとですね。
縹様のご文章も、私は、たまに、あちらへ貼らせて頂いていますが、縹様ご自身は、まだ、
光明掲示板には、入れない状態なんですか?まだ、解除されておりませんか?
黙示録の方に、照らし合わせますと、預言が実現したのであり、
その後は、いい方に向かうのでしょうか?
中村様も、現時点では、悪神が勝ち、今後も悪神が のさばるような書き方をされてますが、
それは、一時的に、悪神が、勝っているように見えるだけで、
チャウシェスク政権が、突然、滅びたように滅びる。。というのは、心の法則からは、
当然、あることだと思いますが。
3341
:
志恩
:2014/03/17(月) 07:44:20 ID:.QY5jUA6
3332:
縹様 へ
素晴らしい番組のご紹介、ありがとうございます。
時間がなくて、まだ、少ししか拝見しておりませんが、私は、こうゆう番組は、大好きで
よくBSプレミアムでみていますが、これは、見落としていました。
縹様ー
>>今、NHK BSプレミアムで、『月の魔法が命をよぶ』という番組をしているようです。
満月の時に珊瑚礁の産卵が行われる等
http://www.nhk.or.jp/nature/
http://www3.nhk.or.jp/d-station/episode/nature/3853/
太陽と月が、一直線に並ぶと、海が最大にひきよせられて、目の形になるのですね。
観音様も住吉大神様も、目に関係のある神様ですが…
生長の家の徽章も、太陽と、月と、地球が、一つになっています。
そして、生長の家は、命にも関係があります。『生命の實相』等<<
3342
:
志恩
:2014/03/17(月) 08:00:03 ID:.QY5jUA6
皆様へ
ときみつる会発行の「心のかけはし」平成26年1月〜2月号(隔月に発行)に
教育勅語や、また、連載で開祖の悲願「憲法復元」11が、掲載されています。
「心のかけはし」は、年間購読料、3500円。
宮澤潔様が、発行されておられます。大変 内容が充実しています。
電話088-872-7133 fax 088-803-8662「ときみつる会」
3343
:
志恩
:2014/03/17(月) 10:24:14 ID:.QY5jUA6
縹様
先日は、しばらく、お休みさせて頂きますといいながら、出ておりますが、
家のこととか、いろいろありまして、やはり、しばらく、お休みしますので、
よろしくおねがいします。
3344
:
トキ
:2014/03/17(月) 15:53:56 ID:93U7gMTQ
>>3343
ご投稿、ありがとうございます。
無理のないように、御願いします。
合掌 ありがとうございます
3345
:
縹
:2014/03/17(月) 22:43:37 ID:oeUx5MQw
3340番 志恩様
合掌 ありがとうございます
>光明掲示板には、入れない状態なんですか?
今回は自主的退去をすすめられたので、分からないのです。
>黙示録の方に、照らし合わせますと、預言が実現したのであり、
>その後は、いい方に向かうのでしょうか?
この時には、こう対処するように、と書かれており、
『生命の文』側につく人々は、後々も大丈夫であるように書かれています。
個人的には、今後の歴史に対応するには、『生命の實相』の真理を学んでいく事が必要と感じます。
そして、『再臨のキリスト=住吉大神様』は、19章に登場すると、谷口雅春先生が教えて下さっていました。
・・・そして、私は、多分神様から教えて戴いて、見せて戴いたものがあるのです。
それによって、宇宙の實相と、日本国の實相と、生長の家の實相は、一つだと実感しました。
生長の家は、破格の教えです。
生長の家の實相は、凄すぎて、私の捉えた事は、とても信じて戴けそうもない程なのです。
ですからまだ何方にも打ち明けた事がありません。
3346
:
縹
:2014/03/17(月) 22:45:20 ID:oeUx5MQw
3341番 志恩様
合掌 ありがとうございます
満月になる時など、月の周期で、生物が生れるようになっているそうです。
その時は、太陽と地球と月が、一直線に並んだ時で、丁度、海が、目の形になります。
谷口雅春先生は、神様は最初は目であったと教えて下さっていました。39巻
そして、海は、地上生命の母です。
観音様も目に関係のある仏様で、住吉大神様も海に関係のある神様で、
生長の家の大神様は、宇宙の創造神でらっしゃいましたね。
そして、太陽と月と地球が並ぶ、生長の家の徽章は、實相界にあるマークでした。
やっぱり生長の家は凄いです。
それはそうと、明日の3月18日は、浅草寺の観音様の日でしたね。
金龍の舞(きんりゅうのまい)
昭和33年(1958)、本堂再建を記念して創始奉納されたのが「金龍の舞」です。浅草寺の山号「金龍山」から名をとったこの舞は、『浅草寺縁起』に、観音示現の時「寺辺に天空から金龍が舞い降り、一夜にして千株の松林ができた(現世利益ともなる五穀豊穣の象徴)」とあることから創作されたものです。
松林に見立てた浅草寺幼稚園園児による松慈童(まつじどう)と、観音さまを象徴する「蓮華珠(れんげしゅ)」が1名、これを守護する「金龍」(長さ約18メートル、重さ約88キロ)を8名が操作し、浅草組合花組のお囃子の中、勇壮華麗な舞が行われます。
http://www.senso-ji.jp/annual_event/jimai.html
その下の、白鷺の舞等も、凄いです。
以前から、三社神社
11月3日、5月5日ですって、何度もご紹介させて戴いて来ました日ですねぇ。
11月3日は、帝国憲法を御作り下さった明治天皇様のお誕生日で、
5月5日は、本住吉神社のお祭りです。
本住吉神社の絵馬は、三羽の白鷺で、播磨国のお城は白鷺城です。
凄すぎます、本当に同じ神様なのですね。
3347
:
縹
:2014/03/17(月) 22:57:52 ID:oeUx5MQw
3343番 志恩様
合掌 ありがとうございます
お忙しそうですね、ご無理なきようにされて下さいね。
私も、総本山の事で無理してしまったようで、グッタリしています。
これからは、現実生活で古事記に力を入れますね。
いつも本当にありがとうございます。 再拝
3348
:
縹
:2014/03/17(月) 23:07:50 ID:oeUx5MQw
訂正:3346番
以前から、三社神社
↓
以前から、三社様(浅草神社)は、住吉大神様の感じのする神社だなぁと感じていました。
キリスト教でも、ペテロの時などでも、「人をすなどる」、と表現しますように、漁師が関係しておりますよね。
http://www.asakusajinja.jp/asakusajinja/yuisyo.html
3349
:
志恩
:2014/03/18(火) 19:17:13 ID:.QY5jUA6
縹様
光明掲示板の方に、
縹様と私のことで、光明掲示板の管理人様がコメント下さいましたので、
縹様は、あちらへ書き込みが出来ないそうですから、不肖私が、縹様に
替わってお返事を、書き込んで参りました。
縹様も、お返事がございましたら、ここへお書き下さいませ。
あちらへ転載させて頂きます。
縹様、
私は、掲示板を3月いっぱいで、卒業したいと思っております。
もう少し、日はございますが、
トキ様、はじめ、皆様に出会えましたことは、私の宝物です。
皆様には、心から、感謝致しております。
ありがとうございます。
光明掲示板より
管理人から、『ヨハネの黙示録』について、説明いたします。 (6623)
日時:2014年03月18日 (火) 02時26分
名前:管理人
みなさま ありがとうございます。
さる掲示板でH様とS様の、本掲示板に関する疑問を拝見しましたので、誤解をお解きしておきます。
お二人の疑問を簡単にまとめると、
①光明掲示板では、「霊」や「悪霊」を語ってはいけないのではなかったのか。
②しかし、「霊」や「悪霊」を語っている掲示が今も続いている。
③ならば、光明掲示板で「黙示録」を語っても良いのではないか。
という内容です。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1347
3350
:
縹
:2014/03/18(火) 20:51:55 ID:oeUx5MQw
志恩様へ
合掌 ありがとうございます
転載や弁護等、色々とご親切に誠にありがとうございました。
お休み中でらっしゃいますのに、ご迷惑をお掛けしてしまいまして、申し訳ございませんでした。
志恩様は、3月いっぱいで掲示板をおやめになられるのですか、
皆様はとても残念に思われるでしょうね、でもお忙しければ仕方ないですね。
4つもご投稿をして下さってお手数をお掛けしてしまいました。
ご親切に本当にありがとうございました。
志恩様を巻き込みたくなかったですのに、申し訳ございませんでした。
私は、光明掲示板には、戻れなくても大丈夫ですので、お気になさらないで下さいね。
※黙示録は、『聖光録』の221〜225頁にも、抜粋掲載されています。
3351
:
志恩
:2014/03/18(火) 21:09:14 ID:.QY5jUA6
縹様
こちらへも書かせて頂きます。
光明掲示板の管理人様ー
>>管理人が、「黙示録の神は『怒り罰する神』であり、
雅春先生が黙示録を引用される時の神は『怒り罰する神』ではない。」と申しても、
撤回してくださいませんでした。<<
志恩ー
縹様は、本流対策室板で、
>>伊邪那岐命を日本の神とも教えて下さっていましたが、
伊邪那岐命は、自分の子供の首を切って殺していますよね、<<
とおっしゃいましたが、
それは、「黙示録の神」のことでは、ありませんよね。
「黙示録の神」とは、雅春先生は『永遠のキリストである』と説かれておられますが、
その「黙示録の神」のことを、『怒り罰する神』だと、
縹様は、光明掲示板に書かれたことが、ございますか?
3352
:
志恩
:2014/03/18(火) 21:10:46 ID:.QY5jUA6
縹様
書かれたことが、おありになるのでしたら、それは、それで いいのです。
お答えを頂きたいです。
3353
:
縹
:2014/03/18(火) 21:24:44 ID:oeUx5MQw
志恩様へ
合掌 ありがとうございます
志恩様、ご親切にどうもありがとうございます。
光明掲示板の管理人様は、文章を文字通りに、お読みになられるかたで、
でも、『古事記』などの、霊感の書は、文字通りに読んでは、とんでもない内容になるので、
文字通りに読むものではありません、と何度も、管理人様に、申し上げているのですが、
光明掲示板の管理人様は、その意をくんで下さらず、「黙示録には、こんな悲惨な事が、書いてあるではないか」と主張されるのです。
ですから、『古事記』の伊邪那岐命の例を持ってこさせて戴きました。
3354
:
縹
:2014/03/18(火) 23:16:57 ID:oeUx5MQw
志恩様へ
合掌 ありがとうございます
志恩様、お休み中に私などの事でお時間をとらせてしまいまして申し訳ございませんでした。
只今、光明掲示板を拝見させて戴きました。
光明掲示板の管理人様に、色々とお話し下さって本当にありがとうございます。
志恩様にご迷惑をお掛けしてしまって、大変申し訳ございません。
ご親切に本当にありがとうございます。
私は、黙示録の預言の成就という説であると、つじつまが合うので、皆様のお役に立てるのではと思っておりましたが、
光明管理人様との誤解は、どうも解けそうにないようです。
トキ様掲示板で、反論出来るという風に書かれてありましたので…。とても切ないですが…。
入れ違いになるといけませんので、ここまでで区切り、投稿させて戴きます。
3355
:
志恩
:2014/03/18(火) 23:32:25 ID:.QY5jUA6
縹様
あちらの管理人様が、縹様のコメントをお待ちみたいですから、
誤解がとけても解けなくても、いいではないですか。
この際ですから、縹様は、思い切り、思った事を、
正直にお書きになられて下さい。
まだまだ、私は起きておりますので、どんどん、あちらへ転載させていただきますので。
3356
:
縹
:2014/03/18(火) 23:38:59 ID:oeUx5MQw
3355番 志恩様
合掌 ありがとうございます
志恩様ご親切にありがとうございます。
今、どうやって身を引こうかと考えておりました。
ブログを持っていますので、今後はそちらに引き下がろうかと…
学ぶ会にご迷惑をお掛けしたくないですので…
でも、悪霊のせいにするのは、今後の為にならないんじゃないか、という懸念があるので、思いきれないでいるのです。
3357
:
縹
:2014/03/18(火) 23:44:08 ID:oeUx5MQw
悪霊説を持ち出さなくても、赤き龍説でも、説明がつきます。
悪霊説は、デメリットが、大きいと思うのです。
それには、他宗の存在があります。
3358
:
志恩
:2014/03/18(火) 23:48:19 ID:.QY5jUA6
縹様
3356は、転載してもよろしいのですか?
光明掲示板の投稿者は、全員が「学ぶ会」のお方というわけではないそうですから、
「学ぶ会」に、ご迷惑は、かからないと思いますけれど。
思った事は、なんでも書かれて下さいませ。
あちらの管理人様も、そうしましたら、反論を書かれると思います。
でも、もう、終わりにしたいと思われるのでしたら、そのようにお書きに
なられて下さいませ。
3359
:
縹
:2014/03/18(火) 23:55:27 ID:oeUx5MQw
3358番 志恩様へ
合掌 ありがとうございます
>光明掲示板の投稿者は、全員が「学ぶ会」のお方というわけではないそうですから、
>「学ぶ会」に、ご迷惑は、かからないと思いますけれど
実質はそうではなく、私は、学ぶ会の先生に、別の宗教を作るよう言われました。
生長の家は、『生命の實相』が無いと話しになりませんので、別の宗教など作れることはありません。
『生命の實相』を持っておられる所に、集合するしかありません。
『黙示録』の件がご了承戴けましたら、良い方向に向かうかと思ったのですが、無理そうです。
3360
:
志恩
:2014/03/19(水) 00:16:31 ID:.QY5jUA6
縹様
学ぶ会の先生って、どなたが、そのようなことをおっしゃったのでしょうか?
頭文字のABCDでも、書けませんか?
そうでないと、信憑性に欠けるように思います。
あと、「黙示録」の件とは、第12章とか 第13章のことでしょうか?
今、第12章とは、最後の審判の時代。
第13章とは、斎浄めの時代。
3361
:
縹
:2014/03/19(水) 00:21:01 ID:oeUx5MQw
3360番 志恩様
合掌 ありがとうございます
頭文字も書けません、主張する気持ちはないですので、その必要性がございましたら、私の方が身を引きます。
「黙示録の件」とは、「現在が黙示録の預言12章〜、その続きの13章が実現しているようだ」という予想の事です。
3362
:
縹
:2014/03/19(水) 00:22:55 ID:oeUx5MQw
志恩様へ
合掌 ありがとうございます
今、光明掲示板を拝見させて戴きましたら、転載して下さった事がわかりました。
あの内容は、転載すべきではないように思います、すみません、志恩様に私の実情を申し上げさせて戴きました。
私は、そのような状態ですが、どうして掲示板に残らせて戴いたかと申しますと、志恩様の存在もございますけれども、
黙示録の実現という説には、メリットが大きいと思ったからでもあります。
生長の家の人は、柔和な方が多いので、「ちょっと総裁に悪霊が憑きまして」と、他宗に説明して、他宗が「そうですか、大変でしたね」で納得してくれるように思われるのかもしれません?
でも、他宗は、他宗の教義があり、他宗が、生長の家を助けようとしてくれることは、現実には、無いのではないでしょうか?
生長の家の発想でしたら、他宗を助けます、それが生長の家の人の精神構造です。
それぞれの教えの素晴らしさを説き、そしらないのですから。
でも、他宗は、自分の所の宗教のみが正しいと思う所もありますので、生長の家に無くなってほしいのです。
生長の家の本願は、日本と、ご皇室をお守りする事です。
他宗が、日本や、ご皇室の存在を狙っているという時に、
代表に悪霊が憑いて、一度ダメになった宗教、という事になりはしないでしょうか?
通常でしたら、悪霊を退散させるのが、教祖というものではないの?と、思われないでしょうか?
3363
:
志恩
:2014/03/19(水) 00:27:17 ID:.QY5jUA6
縹様
学ぶ会の先生が、別の宗教をというところは、削除してまいりますね。
後は、書き込んだご文章は、転載していますので、
転載してほしくないご文章は、書かれませんようにお願いします。
3364
:
縹
:2014/03/19(水) 01:02:38 ID:oeUx5MQw
志恩様へ(これは、転載されないようお願い致します)
合掌 ありがとうございます
今までの内容で、私が退く事が出来かねていた理由をお分り戴けましたと思います。
でも、この度の光明掲示板の管理人様のお言葉で、今後も、黙示録の説が受け入れて戴ける事はないような感じを受けました。
生長の家の為には、黙示録の説は、とても良いように思うのですが、学ぶ会の方針には合わないということだと思います。
3365
:
志恩
:2014/03/19(水) 01:22:20 ID:.QY5jUA6
縹様
分かりました。3364は転載しません。
黙示録の説は、雅春先生がお説き下さっておられたことですので、閲覧者の皆様の中で、
縹様のおっしゃったことを、理解されたお方は、理解されたと存じます。
全員が、理解するということは、難しいと思いますので、心を楽に
お持ちになられてくださいね。
それから、
私から見ましたら、「悪霊」も「赤き龍」も、「邪霊」に変わりないように
思えるのですけれど。
3366
:
縹
:2014/03/19(水) 01:33:07 ID:oeUx5MQw
3365番 志恩様
合掌 ありがとうございます
お返事をありがとうございました。ご親切にありがとうございます。少し気が楽になりました。
3365番を拝見しない内に、次の投稿文を書かせて戴いておりました。
志恩様へ(これも、転載されないようお願い致します)
合掌 ありがとうございます
日本と、ご皇室と、生長の家の事が心配でなければ、こんな立場には立たなかったですのに、
その三つが捨てきれなくて、ここまで来てしまいました。
私にとっては、黙示録の実現という説を捨てる事は、それらを見捨てる事と同意義でしたので、一晩では出来ないですけれど、色々と書きますと、光明掲示板にご迷惑をお掛けすることに繋がりますので、もうやめさせて戴こうと思います。
もう夜も更けましたので、志恩様もどうぞお休みくださいね。お世話になり、本当にありがとうございました。
3370
:
縹
:2014/03/23(日) 17:07:29 ID:oeUx5MQw
志恩様へ <転載の御礼>
合掌 ありがとうございます
こんにちは、志恩様、拙ブログを又ご紹介下さったのですね、誠にありがとうございました。
浅草寺が、77日目の日がお祭りの日ということですのは、凄い意味があると思うのです。
七七日は、法華経に出て来る数字で、完成を表現する数だったと思います。
この日に、浅草寺の観音様は、川で網に掛かられました。
そして、その観音様の冠に、生長の家の徽章がついている、という事になっています。
そして、浅草寺は、『法華経』が納められているお寺です。
>(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)した。
http://www.senso-ji.jp/about/index.html
『法華経』は素晴らしい経典ですので、それを大切にする宗教は、他にもございますが、『法華経』そのままですと、なんとか学会が、政界で猛威をふるっているのを見てもわかるとおり、日本国家を護るという事になりきらないのですが、
逆回転の吉祥卐は、「物質無」を表現するようで、「一切の物質無し!」と物質を断ち切った所に、切っても切れない生命が顔を出し、
生命には、中心がある、ならば、国家にも…と言う事で、天皇を中心に戴く真理国家としての日本が説けるのだと思います。
そういうように、生長の家は、本当の法華経を説く所ではないか、と思います。
法華経について調べていて、その関係の宗教施設の山の、開闢の日が、6月17日である事を知りました。
この日は、谷口雅春先生がご昇天された日で、また、藤棚の家の番地です。
谷口雅春先生は、本当の法華経を説いて下さったのだと思います。
(拙稿の「生命的国家について」の文章が、浅草寺の近くの会場で、偶然読み上げられたのも、やっぱり偶然ではなく、浅草寺の観音様のお陰であったのだと思うのですけれど…。)
3372
:
志恩
:2014/03/23(日) 18:15:56 ID:.QY5jUA6
縹様
お帰りなさいませ。私は、ここの掲示板で、「お休みします」とか「卒業します」とか
いいますと、
お返事を書かせて頂かないといけない、事が起きていますので、
まだ、しばらくは、出させて頂く、お役目があるのかしらと、迷っているところです。
悪霊と赤き龍の違いを、教えて下さって、ありがとうございます。
今、家事がいろいろ、ございますので、短文にて、失礼します。
縹様、続けて 教えて下さいませ。
3373
:
志恩
:2014/03/23(日) 19:45:14 ID:.QY5jUA6
でも、実生活の方で、新しいやることができましたので、
すみませんが、一応、3月いっぱいで、いったんは、引退させて頂きます。
3374
:
縹
:2014/03/23(日) 23:01:02 ID:oeUx5MQw
志恩様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、志恩様、レス下さってありがとうございました。四月からお忙しくなられるのですね、今まで精一杯ご活躍下さって本当にありがとうございました。また私には、温かく接して下さいまして、大変お世話になり本当にありがとうございます。四月からのご活躍の場でも、志恩様でらっしゃいましたらきっと大活躍されます事と信じています!!どうか頑張られて下さいね!
土足の件で、落胆していた私ですが、神様が、色々と導いて下さったり、浅草寺について調べて行くうちに、生長の家は、やっぱり神仏の起こされた運動なのだなぁとしみじみ感じ、他宗の方に、インスピレーションで始まった宗教なんて邪教だと言われても、「やっぱり神啓はある、生長の家は本物」と胸を張って答えられるようになり、また、イザという時は、金龍を派遣して護って下さるのですから、こちらの思念が、いつでもちゃんと観音様に通じている、ということなのだと分かって安心しました。
ご皇室について心配していると、その本当の情報を持っている施設に偶然立ち寄ったり、護っていて戴いているんだ、大丈夫なんだ、と思えました。
それだけではないんです、とても素晴らしい事が、次々と起こり、その中には、奇蹟としか思えないような事もありました。
また、現代にも、本人は自覚ないままでも、住吉大神様の感じのする若者が居て、沢山の方に貢献されているのを見知り、自分も勇気づけられたりして、日本神話に、「千人殺されても、千五百人産もう」という宣言があるのはこのことかと感じて、命の素晴らしさにまた感動したりしています。
本当に現代は、素晴しい時代ですね。
そんな風に、希望でいっぱいで、そして今後は、より良い方に行くに違いないと思っています。
総本山土足の件は、悲劇でしたが、涙を拭いて、立ち上がりました。
生長の家の大神様は、大宇宙の大神様ですから、宇宙で最強の方であるだけでなく…、
一人一人の内にも宿っておられるのを感じられるので、私は幸せです。
志恩様、今まで本当にありがとうございました。ご恩は一生忘れないと思います。これからも素晴らしい道を歩まれて下さいね!
感謝を込めて… 再拝
3375
:
志恩
:2014/03/24(月) 03:59:46 ID:.QY5jUA6
縹様
縹様には、生長の家の深い真理を、様々な角度から教えて頂きまして、
どれだけ有り難く、幸せに思っているかしれません。
私の方こそ、過大なお言葉を頂きまして、勿体なく 感謝致しております。
私だけでなく、閲覧者の皆様の中にも、縹様フアンは大勢いらっしゃると存じます。
私が、引退しましても、トキ様はじめ、他の方々が
縹様に お応え下さいますから、
是非、今後とも、お気が向かれた時には、書き込んで頂きたいと思っております。
特に、縹様が、浅草の観音様が生長の家の神様だということを
詳細に教えて下さいましたことが、私にとりましては、殊の外 うれしく誇らしく感じています。
浅草の観音様を 熱心に信仰していた私の祖母は、晩年には 生長の家になってくれた人でした。
ですが、祖母が生長の家になってくれたのも、自然のことであり、生長の家の神様のお導きで
あったんだなあと、分からせて頂きました。
祖母も、きっと、霊界で 喜んでくれていると思います。
あの人により、総本山が、神道形式を排されてしまったことは、とても悔しいことでしたが、
預言には、総本山土足の件も、折り込み済みだったとは、
ということは、あの人は、悪役をするために、この世に 遣わされた人なんでしょうかね。
神道の特徴として『体系化された教義がない』ということで、
これは逆に西洋のロゴスの侵食にあわずにいたという点が、神道の最大の長所になっているのだそうですが、
そういう神道から発生した清明心、道理と云うものを日本人は重んじてきたと思いますが、
その日本人が重んじ、
雅春先生がお決めになった神道形式を、土足で踏みにじるとは、なにごとぞ!!と、今、思い出しても
怒りの気持ちが 湧きあがって来るくらいですが,,.預言にあったことなんですね。
3374:
縹様ー
>>ご皇室について心配していると、その本当の情報を持っている施設に偶然立ち寄ったり、
護っていて戴いているんだ、大丈夫なんだ、と思えました。
それだけではないんです、とても素晴らしい事が、次々と起こり、その中には、
奇蹟としか思えないような事もありました。
また、現代にも、本人は自覚ないままでも、住吉大神様の感じのする若者が居て、
沢山の方に貢献されているのを見知り、自分も勇気づけられたりして、
日本神話に、「千人殺されても、千五百人産もう」という宣言があるのはこのことかと感じて、
命の素晴らしさにまた感動したりしています。
本当に現代は、素晴しい時代ですね。
そんな風に、希望でいっぱいで、そして今後は、より良い方に行くに違いないと思っています。>>
志恩ー
上記のお話を、伺いまして、とても心が安らぐ事が出来ました。
一番、気になっていることは、ご皇室のことですが、貴いお話を、誠に ありがとうございました。
3376
:
縹
:2014/03/25(火) 17:11:08 ID:oeUx5MQw
3375番 志恩様
合掌 ありがとうございます
志恩様、こんにちは、勿体無いお言葉を本当にありがとうございます。私などお礼の言葉を戴けるような者でないので恐縮です。こちらこそ本当にありがとうございました。
>祖母が生長の家になってくれたのも、自然のことであり、生長の家の神様のお導きであったんだなあと
浅草寺については、もっと申し上げたい事があるのですが、きっと色々と言われると思えるので申し上げられないので残念です。
>預言には、総本山土足の件も、折り込み済みだったとは、
私が預言にあるということを持ち出しますと、「それなら何も抵抗しなくていいのか、このままで良いと言うのか」と言われるのですが、そうでなく、「こうなった時は、こうせよ」と書かれています。私も不正に対しては、反対の声を上げて、抗議のお電話をさせて戴きました。
>ということは、あの人は、悪役をするために、この世に 遣わされた人なんでしょうかね。
詳しくご説明させて戴く事は出来るのですが、また批判される事が予想されますので、どうしたものかと思います。
今は無理でも、追々抽象的な形で、ブログにでも発表させて戴けたらと思っています。
>>ご皇室について心配していると、その本当の情報を持っている施設に偶然立ち寄ったり、
護っていて戴いているんだ、大丈夫なんだ、と思えました。
この文章の、護って戴いていると感じたというのは私個人の事で、ご皇室の事は、「皇太子殿下と雅子妃殿下は創価学会ではない」という事をお聞きする事は出来たのですが、小和田家につきましては、「そこまでは知らない」と言われました。その他にもお聞きする事が出来たのですが、ご皇室が非公開とされている事を広めてもいいものかと思い、掲示板で申し上げるべきか迷って今に到ります。概略としましては、同じ法華経でも、仏典そのままでなく、生長の家の吉祥卐の法華経でないといけないと申し上げさせて戴きました。
ですから、生長の家の吉祥卐こそ、国を護れるのだと思います。今は、生長の家から去る時でなく、さらに努力して、生長の家の教えを通して国を護って行かないといけない時だと思います。政治的な動きだけでは、反対派が多くて難しい事も出てきそうですので、生長の家のみ教え(物質無し・万教帰一)を弘めて、世論を動かし、国を護って行かないといけないと思います。
実は、私は先日、「天皇を神のようにまつりあげるのは、ご皇室に迷惑だよ。つまり生長の家はご皇室に迷惑な教え。」と言われてショックだったのです。
でも、歴史にお詳しい先生にご相談させて戴きますと、「客観的に見ると、国民にご皇室をお守りしようという意志がなかったら、ご皇室は続いて来なかっただろう」と言われました。
『君民同治の神示』にもございますよね。やはり生長の家の存在意義は大きいと思います。なくてはならない教えだと思います。
どうか国を護れますように…
3377
:
志恩
:2014/03/25(火) 20:36:20 ID:.QY5jUA6
縹様
お返事、ありがとうございます。
そうですよね。ほんとうに、生長の家の存在は大きいと思います。
失っては、いけないと強く思っています。
私は、夫も夫の実家も、母や、子供達も、兄弟姉妹も、
周り中、皆、生長の家で、幸運いっぱいに生きて参りましたので、
雅宣様のお考えは、理解出来ないです。
でも、雅宣様は、絶対に自分は正しいことをしていると、
ご夫婦で確信しているので、このまま行くでしょう。
私は今日は、弟妹達4人と、嫁から、いっせいに楽しいメールが来ていて
まだ返信していず、これから、それぞれに返信するところです。
今日は、これで、失礼させて頂きます。
ありがとうございました。
3379
:
縹
:2014/03/28(金) 22:21:41 ID:oeUx5MQw
志恩様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、お忙しくてらっしゃるのですね、そのような中でも、レスをありがとうございました。
前回の投稿では、団体名も個人名も特定出来ますものは全部ふせておりますので、通じにくい書き方でしたよね。
私も明日から親戚が来たり色々で、パソコンに近づけない日が続くと思われるのです。
志恩様、長い間大変お世話になり、誠にありがとうございました。
どうかお元気で益々ご活躍下さいませ、申し上げきれない程の感謝の気持ちを込めて…再拝
3380
:
志恩
:2014/03/30(日) 05:26:32 ID:.QY5jUA6
✨生長の家に来て、病気が治る等、色々と言われますが、 それが大事なのではなく ✨
縹様ブログより
久遠の生命と日本
前回見て来させて戴きましたように、
http://tingokokka.blog.fc2.com/blog-entry-132.html
多くの宗教や教義が乱立していて、それぞれの道を行っているようですけれども、
本当にあるのは、ただ一つの道(宇宙に満ち広がるミチ)のみがあるのだと思います。
このことからも、
「すべての宗教は、天皇に帰一するための前提として存在の意義があるなり。
(中略)
天皇を説かず、仰がず、『無』のみを説く宗教は準備時代の宗教に過ぎず」
と谷口雅春先生がお教え下さっていましたのは、本当の事だと言えるように思います。
生長の家に来て、病気が治る等、色々と言われますが、
それが大事なのではなく、
「それは浅い話しで、
それは唯心所現の世界(思う事が形にあらわれる法則・現象顕現の法則)というのであって、
お釈迦さんの説法前期の内容である。
説法後期に入ってそれ以後の教えは、砕けない實相世界をお説きになった。」
と谷口雅春先生は教えて下さっていました。
本当は、久遠の生命を悟って戴く事、
自分は、死ねば終わる儚い存在ではなく、久遠の命が今此処に生きている神の子だということ、
「この自分のうちに南無阿弥陀仏があり、それが本当の自分であると悟る。
この自分のうちに天照大御神のお生命をいただいていてそれが本当の自分だと悟る。
この自分のうちに「アブラハムの生れぬ前よりすでにあるところの久遠のキリスト」が実在し、
それが本当の自分であると悟る、
この信仰に入ってこそ、それが現実界をも支配する力ある信仰となるのであります。
これが「生長の家」の信仰である。
仏教や、神道や、キリスト教のほかに別派をたてたのではない。
仏教や神道やキリスト教を生命それ自身の上に生きる―――これが生長の家の信仰なのであります。」
『生命の實相』12巻109頁
法華経は、久遠の生命を説いている経典ですが、
本当の法華経を説く場所である生長の家に居ながら、久遠の生命を悟らないというのは、勿体無いと思います。
現象の時間空間に生れ出る前の、久遠の生命、
私は、人間は、大海原の上を飛ぶ、航空機のように感じます。
現象界に浸かっているように見えながらも、浸かっていない、
常に穢れなき存在に思えます。
それを今此処に顕しだすために、「實相を観る」事が必要なのだと思います。
須佐之男命が暴れられた時、天照大御神様が、まず、「良い方に観てやろう(善意に受け取ってやろう)」とされ、
それでも乱暴が止まなければ、今度は、「良い方に言い直してやろう(良い方に表現して宣べなおしてやろう)とされ、
それでも止まなければ、現象を見る目を閉じられて、岩戸へ入られ、
現象世界を去って、岩戸内で、真剣に實相を祈られると、
大生命の癒す力が働いて、
周囲に神々が一斉に集まられて、實相を顕し出そうと協力して下さいますが、
このことは、『生命の實相』の第一巻の冒頭にも書かれてある、ものすごく大切な事で、
このように、「観る」こと、「目」が生長の家では要になるそうです。
生長の家は、久遠の生命を説くところ、
人間は神の子、不死不滅、實相金剛の如来身であることを説くところ、
命とは、何か、
命こそが、実在である、という、
まるで天地がひっくり返るほどの転換・・・生まれ変わりをして戴くところ、
物質があって、生命があるのではなく、
生命(光)があってこそ、他の物が付随してくる、(影を落とす)と考える、
このように霊的文明(伊邪那岐文明)を望むところで、
日本に古代から伝わっている古事記にも書かれてある、それは日本精神の発露であり、
天照大御神様の精神を生きることであり、天照大御神様の御復活です。
天照大御神様は、伊邪那岐命の左目から産まれられた陽極を示す、光輝く、目の神様で、
人体でみるなら、まるで灯台のように見える事でしょう。
生長の家の大神様は、完成の灯台の点燈者と言われる方ですが…
日本は、それが主眼である神話を抱き、太陽の復活を毎朝、国家的に望んでいたほどの真理国家だったのですね。
生長の家の目的は、このように人類光明化・日本国實相顕現です。
3381
:
志恩
:2014/03/30(日) 07:18:24 ID:.QY5jUA6
縹様
實相哲学を論じる部屋板で、初心者様が、総本山売却のことについて触れられました。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1387360729/374
3382
:
志恩
:2014/03/31(月) 08:46:33 ID:.QY5jUA6
縹様
縹様と対話させて頂きました事、心から光栄に存じております。
縹様のお話を伺いまして、生長の家の教えが、世界一
すごい教えであることを再認識させて頂くことが出来ました。
また、
生長の家は、縹様から教えて頂きましたように今は、
最後の審判の時代なのだということも
分からせて頂きました。
たくさんの貴いことを教えて頂けました事、忘れません。
本当に 有り難うございました。
3383
:
縹
:2014/04/17(木) 15:39:02 ID:oeUx5MQw
3380番 志恩様
合掌 ありがとうございます
長い間留守しまして申し訳ございませんでした。
もう志恩様は、掲示板はご覧になられてはいらっしゃらないかも知れないですね…。
ご親切に転載下さいまして誠にありがとうございました。
3384
:
縹
:2014/04/17(木) 15:40:01 ID:oeUx5MQw
3381番 志恩様
合掌 ありがとうございます
>實相哲学を論じる部屋板で、初心者様が、総本山売却のことについて触れられました。
>
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1387360729/374
森のオフィスのことを思われるなら、総本山は残されたほうが良いと思うのですが…特に、七つの燈台は。
3385
:
縹
:2014/04/17(木) 16:52:17 ID:oeUx5MQw
3382番 志恩様
合掌 ありがとうございます
志恩様、最後の日に書き込み下さったのですね、本当にどうもありがとうございました。
私の方こそ御礼を申し上げないといけない立場です。ご親切にして戴き誠にありがとうございました。
それと、菩薩の九条のお話しは、時間切れで出来ませんでしたね。
あと、著作権ですが、重版保留のものは関係ないそうです。
パソコンに近づけない間にも色々とあったのですが、もうご覧になられていないかも知れないですし、もしご覧下さってましても、書き込むとお困りになられるかも知れず、どこまで書いて良いものか分からないのですが…
詳しく事情を聴く事が出来ましたら、今まで聞かされていたのと、違うように思いました。
皆さんご存知でも、掲示板には書き込みされないようですね。
それと、新しい『生命の實相』全65巻は、前回の40巻と内容が変わっていないと聞いて、光明思想社に確認させて戴きましたら、ほぼ同じ内容だそうです。
私はどこで思ったのか、文字の大きさと章の順序が変わるだけではなく、少しだけ内容も増えると思って、掲示板でもそう書かせて戴いたのですが、その点は訂正させて戴かないといけなくなりました。
今回、掲示板以外の全く別の所からそれをお聞きするまで、掲示板上でご指摘戴けなかったのが不思議なのですが、これはよく知られている事なのでしょうか? 勘違いしていてすみませんでした。
それでも「月」の件は、あれは、99.99…パーセントの確立で、本当だったと思います。
2013と今年は、住吉大神様の復活に関係する時期ではないかと思わせる例も、また少しみつかりました。
生長の家と日本国はリンクしている、というのも、本当である気が多分にします。
リンクしているというより、神界その他からのアイディアや思念が、現実化していっているような気がします。
志恩様は、もうご卒業されたのですから、ご返信の事お気になさらないで下さいね。
どうかお元気で益々お幸せにお過ごしくださいね。 再拝
3386
:
縹
:2014/04/19(土) 01:01:09 ID:oeUx5MQw
以前、新しい『生命の實相』の章編成の事でご質問下さった神の子様へ
合掌 ありがとうございます
こんばんは、まだ掲示板を御覧になられていますでしょうか?
いつか、『生命の實相』の章編成が以前と変更になった点についての感想をおたずねくださったのですが、
最近になり、事情を色々と見聞する事が出来ましたのと、新しい『生命の實相』は、以前とほぼ同じ内容だということを知りました。
まず、第一巻のはしがきが増えましたのと、以前の第三巻が第一巻に組み込まれましたが、
それ以降は、順序で見ますなら殆ど変っていないそうです。
巻数やページ番号は変わるのは必然ですが。
光明思想社の方はそのようにお教え下さいました。
ご質問下さいました時は、私は多分、「自分は作成メンバーに入っていませんので、内部事情もおありでしょうから、何も申し上げたくないのです」というような事と、「65巻という数が単に気に入りました」とお答えさせて戴いた憶えがあります。
それで「今から貯金します」とお答えくださいましたので、なんだかセールスをしてしまったようで、申し訳なく思っておりました。
私は部外者ですので、出版事情もおありなところを色々注文をつけるのは申し訳ないですので、今さらですが、ノーコメントで居たいです。
すみません、今頃になって詳しく分かってきました。
3387
:
縹
:2014/04/19(土) 01:03:46 ID:oeUx5MQw
志恩様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、もういらっしゃらないと知りつつも、もしかしたらご覧下さっているかも知れないと思って、書かせて戴きます。
お引き留め致しますと、志恩様がおつらくなられると思って控えさせて戴きましたが、いらっしゃられないのはさみしいです。
でもきっと、お元気で新しい場所でご活躍の事と存じます。
PCを離れていた間に、盤珪禅師のお寺にお参りさせて戴きましたよ、
そう致しましたら、境内の目立つ場所に、お地蔵様が祀られておりまして、
説明書きを読ませて戴いて、びっくりしました。
音吉様と仰る方が奉納されたものだったのです。
総裁先生のひいお爺様のお名前と同じですよね。
曳馬野様は、本当に色々と、住吉大神様等にご縁のあられる方だと再び感じました。
浅草神社の御祭神も、
「ひのくまのはまなりのみこと」
「ひのくまのたけなりのみこと」
「はじのまつちのみこと」
のご三神で、「曳馬野」様の「ひくまの」とよく似ているでしょう? 曳馬野様は何かと不思議な方ですよね。
そう言えば昨日は(もう一昨日ですか)、旧暦の3月18日だったようです。
志恩様どうか楽しい日々をお過ごし下さいね、いつもありがとうございます。
3388
:
縹
:2014/04/19(土) 01:07:24 ID:oeUx5MQw
アメリカ海軍が海水から燃料を製造
http://majin-z-shinsuke.blogspot.jp/2014/04/blog-post_15.html
3391
:
ユタカ
:2014/04/20(日) 23:40:49 ID:N20ePDNw
これ、どう思う?
> ■不在をわびる文書
「ご子息の入学式のため欠席です」。今月8日、埼玉県西部の高校入学式の一幕。校長は担任紹介で、新1年生を受け持つ50代の女性教諭について、生徒や保護者にこう紹介した。
女性教諭は別の高校に進学した長男の入学式に出席するため、休暇届を提出していた。《大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびします》。あらかじめ作成された不在をわびる文書が生徒や保護者たちに配られた。
この日のうちに、欠席を問題視する匿名の電話が県教育委員会に寄せられる。県教委の確認で、子供の入学式に出席するため高校の新1年生の入学式を欠席した担任が県内にほかに3人いたことも分かった。
3392
:
縹
:2014/04/24(木) 20:07:59 ID:oeUx5MQw
3391番 ユタカ様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、ご質問ありがとうございました。遅くなりすみませんでした。
このニュースの元記事を読んだのですが、そのまま忘れてしまって、思い出せませんでしたので、
教諭をされていた方に、どういうことなのか直接おうかがいしましたら、有給を取って休んだのでしょうけれども、私ならしないとのことでした。
新教連の先生にもおたずねさせて戴いたのですが、回答を戴けませんでした。
何もお力になれずに申し訳ございません。
私自身の素人の個人的感想は、あまり必要ないように思います。
ユタカ様の益々のご活躍をお祈り致します。
3393
:
縹
:2014/04/25(金) 16:41:52 ID:oeUx5MQw
仮想世界で悪役になると、現実の行動にも影響:研究結果
http://wired.jp/2014/02/19/2014-0210pretending-to-be-voldemort-makes-you-evil/
3394
:
縹
:2014/04/26(土) 11:53:37 ID:oeUx5MQw
志恩様
合掌 ありがとうございます
志恩様とお話しさせて戴いておりました天下泰平ブログの方の、その後の状況なのですが、
八ヶ岳に移住されてから、八つの葉っぱのマークに変えられて、最近、イスラエルに旅行されていたようです。とても驚きました。
最近では、最後の審判が何とかと書かれていました。
その他も、霊能関係の方が八ヶ岳にたくさん集まって来られて、色々あるそうです。
ご本人は世の中の為になるようにと頑張っておられるので、いつかきっと、生長の家の本当の教えにも振り向いても戴けるように願っています。
それと、NHKの朝の連続ドラマも、甲府が舞台で、赤毛のアンの物語に関するお話し、そして、父親が社会主義を広めている内容だそうです。
3395
:
縹
:2014/04/26(土) 13:13:23 ID:oeUx5MQw
曳馬野様
合掌 ありがとうございます
曳馬野様が、「我」というものの存在をよく否定されるのが、とても気になっております。
以前の投稿でも、以下の言葉について、会話させて戴いたのですが、↓
「智慧の言葉には、「宇宙には唯一の實在がある。それは「永遠の我」という實在である。とあります。
私は雅春先生のお教え下さっていた事と、逆になっていることをよく感じるのですが、気のせいでしょうか。」
・・・・・転載ここまで
曳馬野様のお好きな、盤珪禅師も、不生禅と言う事で、全く同じことを仰られているような気がするのです。
ですから、曳馬野様も、我の実在を本当は、認めておられるのではないですか?
でも、なぜか、我の存在をとても否定されていますので、そこで間違いが起こっているのではないですか?
これは、「理論上、我という存在は認められない」というよりは、「感情的に、我という存在は認めたくない」というような印象を受けました。
曳馬野様でしたら、雅春先生の實相哲学を正確に理解出来られると思うのです。
「我の有り、無し」、という所で、感情上、我無しを選択されているので、
それ以降の論理展開の結果、全部逆の答えを導き出しているということは無いですか?
その一点で、全部ひっくり返ると思うのです。
とても才能があられますので、絶対可能だと思います。
3396
:
曳馬野
:2014/04/26(土) 16:07:14 ID:I/wU8psA
>>3395
縹様
「宇宙には唯一の實在がある。それは「永遠の我」という實在である。
私が我の否定を云う時の「我」は色々判断する「意識」としての「私なるもの」を指しています。五蘊皆空と云われるものの内、「想薀」と
云われているものです。
私が縹さんがこちらに出て来られた時、何の意義も感ぜられないので、他で志恩さんと話して下さいと云ったのは、本流の方皆さんも、
住吉の大神だ、天照大神だ、観世音菩薩だと個別霊が存在しその関連で生長の家は存在している、との主張に聞こえるのです。
ですから私は実在の世界に個別霊は存在するかと、何度か問いかけました。誰も応えていません。わずかに実相研鑽の中から引用
された方はいましたが。
個別霊として實在の我かあると云うのでしたら、唯一の実在の永遠の我との関係はどのようなものとお考えですか、それを聞いてからまた述べます。
3397
:
縹
:2014/04/26(土) 17:44:00 ID:oeUx5MQw
曳馬野様
合掌 ありがとうございます
曳馬野様、お答え下さってありがとうございます。
曳馬野様は、やはり凄い才能があられる方ですね、
それに、今まで人知れぬ内面の苦労をされて来られた方ではないでしょうか。
この問いに達する事が出来るのは、それが無いと出来ないと思うのです。
>住吉の大神だ、天照大神だ、観世音菩薩だと個別霊が存在しその関連で生長の家は存在している、との主張に聞こえるのです。
そうでしたか。何せ、現象的組織の生長の家を語っているので、そうなるのでしょうか。
理念の生長の家に限定してお話ししていましたら、そういう印象にはならなかったのかも知れないと思うのですが…
>ですから私は実在の世界に個別霊は存在するかと、何度か問いかけました。
不思議なのですが、天照大御神様や、住吉大神様や、観世音菩薩様を個別靈と表現されておられるのですか?
生長の家大神様が、時には、天照大御神様ともなって顕れられるという点からそう仰っておられるのでしょうか?
本来でしたら、どちらも根源神だと思います。
個別靈の捉え方は、聖経『天使の言葉』に以下のようにございますように、私は捉えさせて戴いてました。
『我』の本体がすべて神なることなり、
汝ら億兆の個霊も、
悉くこれ唯一神霊の反映なることを知れ。
喩えば此処に一個の物体の周囲に百万の鏡を按きて
これに相対せしむれば一個もまた百万の姿を現ぜん。
斯くの如く汝らの個霊も
甲乙相分れ、
丙丁互に相異る姿を現ずるとも
悉くこれ唯一神霊の反映にしてすべて一つなれば
これを汝ら互に兄弟なりと云う。
>唯一の実在の永遠の我との関係はどのようなもの
これは言葉の用法の間違いですか? 唯一の我と永遠の我は、同一用語でしょう?
唯一の我と、現象的個我との関係は如何に?という事ですか?
それでしたら、天使の言葉の通りだと思います。
>私が我の否定を云う時の「我」は色々判断する「意識」としての「私なるもの」を指しています。五蘊皆空と云われるものの内、「想薀」と云われているものです。
そうなのですか、個人的には、とても残念に感じました。
総裁先生も、
『自然と人間の大調和を観ずる祈り』
「その実相を見ず、「個」が実在であり、世界の中心であると見るのは迷妄である」
と、唐松模様にお書きになられてまして、
曳馬野様も、
「「私がいる」と云うところからのものは偽物、これが私の結論」とお書きになられていまして、
そこまで我を否定しなくても良いように思ったのですが、
ここに書かれている我とは、偽物の我の事だったのですか?
でも、そこまで否定しなくてもと思うのですが…
真理を説明する上での、偽物の我の否定でしたら、わかりますが、
曳馬野様のは、説明上の想薀の否定ではなく、
ご自身の否定のように伝わってきます。
そうでないなら、気になったりしないのですが…。
今まで大変な目にあって来られたのではないですか?
3398
:
曳馬野
:2014/04/26(土) 20:00:53 ID:I/wU8psA
縹様
個別霊として實在の我かあると云うのでしたら、唯一の実在の永遠の我との関係はどのようなものとお考えですか、それを聞いてからまた述べます。
*ここに書かれている我とは、偽物の我の事だったのですか?
*真理を説明する上での、偽物の我の否定でしたら、わかりますが、
*唯一の我と永遠の我は、同一用語でしょう?唯一の我と、現象的個我との関係は如何に?という事ですか?
個別霊として實在の我かあると云うのでしたら、唯一の実在の永遠の我との関係はどのようなものとお考えですか、と態々書いているのは、
磨きをかけて何時の日か眞我に至るというような眞我が隠れているものとしての偽我は有限か無限かはたまた存在しないものを存在すると思う
妄想の産物かとの意味なのです。
実相は有相か無相かとの問いでもあるのです。
簡単に言えば今雅春先生は何処でどの様にされていてこれから何処でどの様にされるのか?どう思いますか?
3399
:
教団信徒
:2014/04/26(土) 23:00:32 ID:N20ePDNw
>3392 名前:縹さま
返信をありがとうございます。。
戦前は公を優先にしていたけど、今はGHQのマッカサー大神の教えで、個人優先の現実になっているのでしょうか、それにしてもこんな先生に担任を持たせる校長も同じ穴の狢。
自分の入学式に担任がいない生徒の悲しさを分からない人が教師なんて、イヤダね。
3400
:
縹
:2014/04/27(日) 18:14:49 ID:oeUx5MQw
3398番 曳馬野様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、ご返信戴きありがとうございました。
この問いに達するまでには、どれだけの事があられたかと思います。
曳馬野様がこの問いの解答を得る事によって、同じ疑問を持つ方々を救う事が出来ると思います。
この問いは、個の存在の根幹に関わる問いであって、これを問いたくなるという事は、ずっと以前に随分な苦しみを受けた事があられる可能性があると思うのですが…。
なぜなら、別の問い方をすれば、「自己を肯定する方法や如何に?」とも言いかえられるからです。
また別には、「<自己>は存在しても良いのか?」という問いでもあると思います。
現代では、この問いを自らに問い続けても、結局は見つけられず、厭世的にならざるを得ない若者が多いように感じています。
ですから、曳馬野様の疑問は、とても良い着眼点であり、これに対する答えを曳馬野様が見つけられます事で、多くの若者が救われると思います。
曳馬野様でしたら、きっとその答えを見つけられて、多くの方を救われると思います。
自分が久遠の生命であることを自覚することが、釈迦・キリスト・日蓮、そして谷口雅春先生のお悟りであったそうです。
私はその悟りを得ておらず、「そういうものらしい」ということを教えて戴いているに過ぎません。
自分が久遠の生命であることを知るということは、アブラハム等々の生まれる以前から存在していた自分を知ることで、聖者の方はそういうことを自覚されたものらしいです。
谷口雅春先生は、皆さんが悟ると、以前イエスとして生まれたのは自分であった、釈迦として生まれたのは自分であった、と思うようになるだろうとお教え下さってますから、
神我一致とは、そういうものかも知れないですね。
私に解る範囲内でお答えさせて戴きますならば…
生長の家の理論の正確さは、すでに第一巻にあらわれていまして、
「<そのままでいいから>、實相を観よ」と冒頭に書かれています。
實相とは、すでに完全な世界、すべて完全な世界の事ですから、
すべてを完全と見る、その視点は、宇宙が始まった当初の神の視点ですので、
その人は、そのままで神の姿をとっていると思うのです。
そのように、人が、神の姿・自分の元の姿に戻れるのが、神想観だと感じます。
元の一つ(自己の事)に戻るのが、生長の家の信仰だったと思います。
本当の自分に戻れるのですね。
そして、仏である自分が動き出す時、菩薩の形をとるのだと思います。
如来が動き出す時、菩薩の姿であらわれられるように。
続く
3401
:
縹
:2014/04/27(日) 18:27:35 ID:oeUx5MQw
3400の続き
>磨きをかけて何時の日か眞我に至るというような眞我が隠れているものとしての偽我は有限か無限かはたまた存在しないものを存在すると思う妄想の産物かとの意味なのです。
まず、『聖光録』59頁の、「靈魂進化の神示」の知識を前提に置いてお話しさせて戴きますが、
未熟な現象人間であっても、それは、投影に過ぎないので、
不完全から始まって完全に到る、ということではないと思います。
ですから、妄想ではなく、投影を見ている状態だと思います。
この投影は、傍から眺める人の思い込みや、尺度によって、基準が変わるので、
<観る側の>妄想ということはあり得ると思います。
おそらく曳馬野様の疑問は、その投影とは、實相の催し(實相の専制的な作用)のみが優先されるものなのか、
それとも自己意志によって、投影を変化せしめることは可能なのか?
ということではないかと思います。
實相が有相なのか、無相なのかが気になるということは、そういう事なのではないかと思います。
自然界を観察すると、構造がフラクタルに展開している、
目耳鼻口手足の位置は、万人がほぼ同一で、どうやら一定の枠があるようだ、
ある一定の定まった規定があることは認められる、
どこまで自分の自由が許されるのか? と人は疑問に思う事もあるかも知れません。
神の投影としての自己は、神からの光を、信念により屈折さすことは可能と思います。
例えば、背を縮めて歩いてみたり。
雅春先生は、「信念を変えれば変わる」ということを度々教えて下さってました。
このように「信念を変えるだけで」色んな変化が起こるのです。
また「姿勢を正すだけで治る」ともお書き下さっていました。
再掲させて戴きますが―
>磨きをかけて何時の日か眞我に至るというような眞我が隠れているものとしての偽我は有限か無限かはたまた存在しないものを存在すると思う妄想の産物かとの意味なのです。
ここで、先程の神示を思い出して戴きまして、
周囲が如何に「そんなこと(物・経験)は、あなたには必要ない」と言えど、その人の成長レベルにおいては、善と本人が認められるものだった可能性が高いです。
その人にとっては、どうしても必要だった(と思っていた)。
本人には死活問題だったかも知れません。
しかし、周囲は、それぞれの基準で様々に評価します。
現象時間に、投影が展開するとき、水をやって種が芽を出すように、
色々の経験も積んで、成長していくという展開になるのだと思います。
先程の例で、周囲が必要ないと冷静に判断したものであったので、実際には、失敗だったかも知れません。しかし、何でも経験は、宝になりうると思います。単純に出会いでさえ宝で、辛い経験も宝、失敗も宝になります。心が養われると思います。
ですから、どの段階であっても、その人は、神の投影であり、そのまま完全であるとも言え、発展途上である状態であるとも言えると思います。その発展途上の段階で、失敗など色々の体験をしますので、それが菩薩としての栄養になると思います。辛い目にあった人でないと、中々相手の辛い立場は理解出来ないものです。
そして、それぞれの人は、神の個性的表現なのですよね。
「自分はこうだ」と思う通りになるのが、人間の實相だとも、雅春先生は教えて下さっています。
ここまでで、ほぼご説明はさせて戴けたように思うのですが、
實相の我について、私の経験を述べさせて戴きますと、
私が生長の家を知る前に、本当の自分を想像してみた事があります。
目が光って、龍が居る場所に居ました。
その時は、どうしてそんなイメージが浮かんだのか分からなかったのですが、
生長の家に入ってから、目と龍について知り、實相龍宮界というのがあることを知りました。
私がかつてイメージしたのは、實相の自分に近い姿を本当にイメージ出来ていたのかも知れないなぁと思ったのでした。
以上で、曳馬野様からの問いかけにお答えさせて戴けましたでしょうか?
また私の申し上げさせて戴きました事が間違っていないか、先生に確認させて戴きますね。
谷口雅春先生のご消息ですが、今も、ブラックソン氏の所に度々訪れられてご指導されていると伺わせて戴いた事があります。
また、古い先生の夢に、若々しいお姿で出て来られて、ハッキリとしたお声で、「ここで、お勉強しなさい」と指示されたということをお聞きしております。
輝子先生は、藤色のお着物で出て来られたそうです。
3402
:
神の子さん
:2014/04/27(日) 19:50:05 ID:???
turu turu osore wo sire!
3403
:
縹
:2014/04/27(日) 20:05:13 ID:oeUx5MQw
3402番 神の子様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、拙稿についてのご意見でしょうか?
削除申請をさせて戴いたほうが良いですか?
3404
:
トキ
:2014/04/27(日) 21:16:02 ID:yJe7JIyY
>>3402
意味が解りませんので、ご説明を御願いします。
>>3403
削除申請の必要はありません。続きを御願いします。
3405
:
縹
:2014/04/28(月) 17:39:51 ID:oeUx5MQw
3404番 トキ様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、いつもお世話になり、ありがとうございます。
私の不用意な言葉でご迷惑をおかけしないように気を付けさせて戴きますね。
この度もありがとうございます。再拝
3406
:
縹
:2014/04/28(月) 17:52:56 ID:oeUx5MQw
3399番 教団信徒様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、レスをありがとうございました。
教団信徒様は、まっすぐに意見を仰られるのですね。
私はこう見えて、遠慮ばかりしているので羨ましくも思います。
3407
:
縹
:2014/04/28(月) 18:05:19 ID:oeUx5MQw
曳馬野様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、昨日の拙文では、ご気分を悪くされたのではないかと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
私は曳馬野様のご質問をうかがわせて戴きまして、曳馬野様がものすごく謙虚なご性格であることに気づかされました。
普通はそんな事は疑問にも思わずに、神などあるものか程の態度で、暮らしている人もいる世の中で、個人的意思の許容範囲は何処まで?と答えを探しておられるのですね。
そして今日は、昨日のご質問について偉い先生と答え合わせさせて戴きました。
>個別霊として實在の我かあると云うのでしたら、唯一の実在の永遠の我との関係はどのようなものとお考えですか
やはり、一即多・多即一の、無限包容の世界らしいです。
實相世界にも、個性ある存在として、存在出来ているらしいです。
本体の神と個霊は繋がっておりまして、願いも同一で、よく言われますように、心の奥底の願いは神様の願いで、それを個霊が自己の願いと感じるそうです。
そもそも人間は、肉体ではなく、音叉のような存在なので、
既に完全でありながら、完全な自己に、余計なもの・本来の自分のものでないものをくっつけて、
完全に響かない状態になって居る、その余計な汚れを取り去りさえすれば良いらしいです。
現象界のように、肉体という物質的区分になると、多に見えるのですが、
例えば、音でも光でも、区切りがつきにくいながら、
音ならどの音も必要な音であり、光でも無色透明の中に含まれる様々な色の光線が、どれもかけがえのないものであるように、
肉体無しという観点ですと、
どれもがかけがえのない個性がありながら、一つであるとも言えるのではないでしょうか?
根元の神の放送に波長を合うように、心を整える事が必要なのだと思います。
おそらく、ご質問の内容は、「他からの強制からは、どこまで自由であってもよいのか?」 という事だとお察し致します。
私は、上記のように、實相のさきはえの状態が本来でありながら、
本来は、あるものでない業の流転の力が働いて、
他からの強制や影響というものは、仮存在(ゼンマイのように巻き納められたエネルギー)としてあるのだと思います。
その業の流転を消す方法を、宇治などの錬成会では教えていると思います。
業の流転などの仮存在を消す力も、神からの光だったと思います。
「自分が神である、それを知ることが必要なんです」雅春先生
3408
:
曳馬野
:2014/04/29(火) 13:06:27 ID:I/wU8psA
縹様
>個別霊として實在の我かあると云うのでしたら、唯一の実在の永遠の我との関係はどのようなものとお考えですか
やはり、一即多・多即一の、無限包容の世界らしいです。
實相世界にも、個性ある存在として、存在出来ているらしいです。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
まず最初に気分を害すると云うことは、どなたの意見でも持ちませんので気にされることはありません。
あなたが心からの意見を述べられることには至誠を感じます。ただ至誠は無我にして可能との見方があります。
私には心の葛藤は有りませんので、それを取り除いてあげようとかの目的からの意見であればご無用でございます。
個霊を実在と認めますと、
* すべての個霊の数は有限という事になりませんか?実相の世界に個霊として完全な状態で存在するものが、何故不自由な状態に
なっているのでしょうか?その不自由な状態から、宗教により完全な状態になっていく、そして最高級霊になり実相さながらの世界に生きる。
その世界は何処に出来るのでしょう?
かって「他の天体から地球に転生しつつある霊がある」と雅春先生は云われました。そうしますと魂の進歩した霊は地球を去り、未熟な霊が
地球に生まれて来ると云うことになりますと、生長の家の地上天国実現運動なるものはどういう意味で云われたのでしょう?
私には個別霊を認めますと、生長の家に多くの疑問を感じます。
3409
:
縹
:2014/04/29(火) 15:53:56 ID:oeUx5MQw
曳馬野様
合掌 ありがとうございます
曳馬野様ご丁寧なレスをどうもありがとうございました。心より感謝申し上げます。
曳馬野様は生まれ変わりの問題をお気にされていただけでしたか。
それでしたら、お気にされることは無いですよ、何の問題もありません。
霊魂の生まれ変わりの問題は、高級霊同士ででも、意見の食い違いが発生するような、「観点をどこに置くか」でも変わってくる、「言葉の表現上での言い違い」で話しがかみあわなくなるような、そのような性質の問題だからです。
ですから、同じものを指して、「私にはこう見える」「こういう表現をすれば、こう言える」とか、そのようなものらしいです。
ですので、細かい点を詰めるのは、時間の無駄であるだけですね。
例えば、一個の球体があったとして、どこの側面が今度は地上に映し出されるか、等、いくらでも表現の仕方で変わります。同じことを指していても。
曳馬野様のご質問は、一行に沢山のご質問が含まれていますので、短く区切っておひとつおひとつお答えさせて戴きますね。
> * すべての個霊の数は有限という事になりませんか?
上記の球体の例えでご理解戴けたかと思います。
> 実相の世界に個霊として完全な状態で存在するものが、何故不自由な状態になっているのでしょうか?
不自由な状態とは、どのような状態をさすのでしょうか?
限られた空間に存在した、という事についてですか?
無限性は、一時の有限性を表してみる自由も所有すると思いますよ。
有限性を持てないほうが、無限性の証明にならないです。
しかしその有限性も、見誤りである場合がありますね、本当は無限であるものが、有限に見えているだけだと思います。投影ですから。
>その不自由な状態から、宗教により完全な状態になっていく
既に完全であるものが、その影を投影させているのだと思います。
>そして最高級霊になり実相さながらの世界に生きる。
最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けているというのが、生長の家の考え方だと思います。
>その世界は何処に出来るのでしょう?
何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです。
谷口雅春先生は、たしかそれを第39巻に於いて重閣構造と教えて下さっていたと思うのですが、
既に、そこに生きているのに、それが見えていない本人の問題とも言えます。
既に居るのに、それが見えない人に、「既に居るのですよ」、とお知らせするのが、生長の家の重要な役目の一つだっと思います。
>かって「他の天体から地球に転生しつつある霊がある」と雅春先生は云われました。そうしますと魂の進歩した霊は地球を去り、未熟な霊が地球に生まれて来ると云うことになりますと、
大体は、地上が同じレベルに保たれる事になっていますが、
それでもだんだんと発達して、良くなって行くと『神真理を告げ給う』の聖典に書かれてあります。
>生長の家に多くの疑問を感じます
生長の家は、本物中の本物の教えですので、大丈夫ですよ。ご安心下さいね。
3410
:
縹
:2014/04/29(火) 18:13:08 ID:oeUx5MQw
今日は、昭和の日ですが、色々な事が分かりましたので、こちらにも掲載させて下さいね。
神想観中に、長田神社の事を思い出して、調べてみましたら、
こちらも、平成13年に、1800年祭であった事が分かりました。
http://nagatajinja.jp/html/
という事は、生田神社もであるはずです。
http://www.ikutajinja.or.jp/about/
今日は、昭和祭ですが、
昭和天皇様が、マッカーサーにお会いくださいましたのが、
9月27日で、大調和の神示の日、
そして、9-27は、弓弦羽神社の番地でもあります。
やはり、最近、弓弦羽神社が脚光を浴びているのは、偶然では無いように思います。
長田神社や生田神社は、以前、月の事を調べていた時に、ホームページを拝見させて戴いた記憶がございますので、1800年祭があった事は、忘れていただけなのかも知れないのですが、「1800年祭」という単語で、インターネットで検索してみましたら、
1800年祭であった神社は、他にもあるようです。
宇佐八幡宮も、香椎宮も、
そして、初めて存在を知ったのですが、藤森神社も、
おそらく開口神社も、
神功皇后様が創建された神社は、1800年を迎えたのですね。
神功皇后様の時代から、1800年の時が流れたということなのですね。
中でも藤森神社は、11月27日に1800年祭が執り行われたと書かれてありました。
11月27日は、斎女の神が顕れ、その後に住吉大神が顕れられる事を預言されている、『終戦後の神示』の日です。
この日に、駈馬という神事が行われ、「下り藤」という乗り方もあるそうです。
http://yamaguchikatsuo.fc2web.com/page055.html
そして、この神社の例大祭は、本住吉神社と同じ、5月5日でした。
「端午の節句」の発祥の祭りでもあるそうです。
そう言えば、端午の午は、馬という意味もありますね。
「(5月5日の)「藤森祭」に奉納される「駈馬神事」が、馬の神事であることから馬の神として信仰されている」とも書かれてありました。
http://www.fujinomorijinjya.or.jp/enngi.html
藤という字もつきますし、社殿の外観が、本住吉神社に似ているような気がします。
本住吉神社の例大祭も、5月5日です。
弓弦羽神社の例大祭も、5月5日です。
この5月5日という日は、昭和天皇様の「命名の儀」の日でもあります。
昭和天皇様は、4月29日に御生れになられましたが、お誕生日から七日目が、男の子の名づけ祝いをする御七夜であるそうで、
それが丁度、5月5日であったそうです。
その後、お生れになられた日から、七十日目の七月七日の七夕の日に、
川村純義(スミヨシ)伯爵邸へおあずけになられたそうです。
『昭和天皇』出雲井晶著 18頁
谷口雅春先生は、黙示録に登場する白馬に乗っている御方が、再臨のキリストであると教えて下さっていましたが、
他の神社でも、神馬や絵馬など、馬と関係がある事もあります。
住吉大社の白馬神事の日が、1月7日で、
その日は、昭和の聖帝・昭和天皇様のご崩御の日でもあります。
馬に関しては、他にも重要な事を存じておりますので、いつかお伝えさせて戴きたいと思っております。
3411
:
曳馬野
:2014/04/29(火) 20:27:04 ID:I/wU8psA
縹様
>>例えば、一個の球体があったとして、どこの側面が今度は地上に映し出されるか、等、いくらでも表現の仕方で変わります。同じことを指して
いても。
* 是は肉体人間の性格とか潜在意識の習性とかの観点の説明ではないですか?肉体、幽体、霊体、本体と云う言い方の時の、本体の数が有限か
否かとの問いです。永遠の我と云う唯一の存在と云う時の【唯一の存在】と個霊の【本体】と云われるものの関係をお聞きしています。
>>不自由な状態とは、どのような状態をさすのでしょうか?
* 言葉通りで、縹さんの思うような教団の在り方に出来ないのではという事です。
その不自由な状態から、宗教により完全な状態になっていく・・・・既に完全であるものが、その影を投影させているのだと思います。
そして最高級霊になり実相さながらの世界に生きる。・・・・最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けているというのが、生長の家の考え方
だと思います。
その世界は何処に出来るのでしょう?・・・・何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです。 既に、
そこに生きているのに、それが見えていない本人の問題とも言えます。 既に居るのに、それが見えない人に、「既に居るのですよ」、とお知らせする
のが、生長の家の重要な役目の一つだっと思います。
* これも上のことと同じで、雅春先生でも、実相がいくら見えていても、帝国憲法の復元の実現という点で自由ではなかった、今の本流派の幹部さんに
しても、雅宣先生の実相が現れていないと云うのであれば、実相が現れると云うことによって、自分たちの正しいと思う生長の家教団にすると云う
自由は発揮されていない。本心の自由を今の現実【物質界霊界すべての現象界と云うこと】に発揮した人が生長の家にいますか?
ないとすれば能書き倒れという事になりませんか?
かって「他の天体から地球に転生しつつある霊がある」と雅春先生は云われました。そうしますと魂の進歩した霊は地球を去り、未熟な霊が地球に
生まれて来ると云うことになりますと、・・・・大体は、地上が同じレベルに保たれる事になっていますが、 それでもだんだんと発達して、良くなって行くと
『神真理を告げ給う』の聖典に書かれてあります。
* 少なくとも日本に於いてはだんだん良くなってはいませんね、経済は貧しくとも戦前型の儒教佛教神道に培われた人間が、地上を去るにつれ、
至誠の無き人間が増えていると思われますが。
質問の仕方を変えれば、「輪廻転生する当体は何か?」
「何故に輪廻転生が存在するか?」
「既に完全であるものが、その影を投影させている、のであれば本流派の云う雅宣先生の投影は何故に不完全に表現
されているのか?」
総じて完全な世界があると云いながら、不完全を何とかしようとしているように見えます。
生きて居る所は今ここで有ります。そこに対立の世界を観つつ生きる生き方が果たして真理なのでしょうか?
雅春先生が創価学会にとった態度に今の本流派の姿がダブります。
3412
:
縹
:2014/04/30(水) 19:17:31 ID:oeUx5MQw
3411番 曳馬野様
合掌 ありがとうございます
曳馬野様こんばんは、レスをありがとうございました。
>* 是は肉体人間の性格とか潜在意識の習性とかの観点の説明ではないですか?
違いますよ、肉体はそもそも、存在している様に見えても無いもので、投影なのです。
>肉体、幽体、霊体、本体と云う言い方の時の、本体の数が有限か否かとの問いです。
これは、前回お答えさせて戴きましたよ。
>永遠の我と云う唯一の存在と云う時の【唯一の存在】と個霊の【本体】と云われるものの関係をお聞きしています。
『神真理を告げ給う』34頁には、
「“仏性”即ち、“わたし”の生命の純粋な本質だけでは、無色透明のガス体みたいに何物も表現することが出来ない。その表現を可能ならしめるために、“わたし”はアイディアで腑彩(いろづけ)するのである。その腑彩が“個性”としてあらわれるのである。
それゆえに、“あなた”の本体は無色透明の、どんな偏りもない、腑彩のない“仏性”そのものなのだけれど、此世に生れる人間としては無くてはならぬ属性として腑彩されたものが個性である。
それゆえに“あなた”が“個人”として存在する限り、“個性”はなくてはならぬ属性である。個性即ち特殊性を与えないでは表現は不可能なのである。
表現されるためには、普遍者が自己限定して個別化されなければならない。“個”は“普遍者”とは異るが、“個”の中に“普遍者”があり、普遍者は共通であるから、その“普遍者”が“個”と“個”とがつながる媒介をするのである。それが互いの理解となってあらわれ、それが互いの愛となってあらわれるのである。」
>>不自由な状態とは、どのような状態をさすのでしょうか?
>* 言葉通りで、縹さんの思うような教団の在り方に出来ないのではという事です。
私は、以前から、今の状態は、黙示録に書かれてある通りになっていますよとお知らせしています。
同時に、そこには、赤き龍側につかないようにというような内容が書かれてありますので、その通りにしています。
>>その不自由な状態から、宗教により完全な状態になっていく・・・・既に完全であるものが、その影を投影させているのだと思います。
>>そして最高級霊になり実相さながらの世界に生きる。・・・・最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けているというのが、生長の家の考え方だと思います。
>>その世界は何処に出来るのでしょう?・・・・何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです。 既に、
>>そこに生きているのに、それが見えていない本人の問題とも言えます。 既に居るのに、それが見えない人に、「既に居るのですよ」、とお知らせするのが、生長の家の重要な役目の一つだったと思います。
>* これも上のことと同じで、雅春先生でも、実相がいくら見えていても、帝国憲法の復元の実現という点で自由ではなかった、
上記の文章は、「そのままで良い世界に、見え始める」、ということをお伝えするための文でした。
例えば、自分の親が、悪い親に思えて苦しんでいた子供が、親に感謝する事によって、不自由な状態から脱皮することが出来ることもあります。親自体は、昔とちっともかわらないけれども、相手は変わらないのに、こちらの心が変われば、良いものに見え始めるのです。
すでに、今此処が極楽浄土であることをお伝え出来るのが生長の家だったと思います。
>今の本流派の幹部さんにしても、雅宣先生の実相が現れていないと云うのであれば、実相が現れると云うことによって、自分たちの正しいと思う生長の家教団にすると云う自由は発揮されていない。
本流の方の事は、本流の方におたずねして戴けないでしょうか?
続く
3413
:
縹
:2014/04/30(水) 19:18:25 ID:oeUx5MQw
続き
>本心の自由を今の現実【物質界霊界すべての現象界と云うこと】に発揮した人が生長の家にいますか?
元の会話からだいぶ外れて来ていませんか。
>ないとすれば能書き倒れという事になりませんか?
どうしてこのお話しになったのか、元を辿ってみました。以下の文からでしたね。↓
>> 最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けているというのが、生長の家の考え方だと思います。
>その世界は何処に出来るのでしょう?
>> 何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです。
>>谷口雅春先生は、たしかそれを第39巻に於いて重閣構造と教えて下さっていたと思うのですが、
>>既に、そこに生きているのに、それが見えていない本人の問題とも言えます。
これはですね、例えば、親に感謝出来なくて、女性に生れた事が嫌であった人が、親に感謝することによって、女性に生れた事にも感謝出来、不十分な肉体だと思っていたけれども、そうではなかったのだと気が付くようなものです。
ようは、心の捻じれをとらないと、何を見ても、悪いものに見えるのです。
>* 少なくとも日本に於いてはだんだん良くなってはいませんね、経済は貧しくとも戦前型の儒教佛教神道に培われた人間が、地上を去るにつれ、至誠の無き人間が増えていると思われますが。
まず私達は、何より先に、自己の内に、見る目を養わないといけないと思います。
見る目がなかったら、何を見ても、今一なものにしか見えないですから。
自己の眼力以上のものは、感知出来ないのです。
『神真理を告げ給う』には、
「何よりも日本の青年たちを堕落せしめる根本原因になっているものは、アメリカ軍が敗戦の日本に当時押しつけた「日本国憲法」の残存である。」
と書かれてあります。
儒教でも、そのままでは日本風にならず、現地の物と意味合いが違っています。日本人の解釈した儒教は、親孝行の心を通して解釈したので、上下関係だけの世界に終わる事は無かったそうです。
と言う事は、親への感謝を教える事こそが、日本復活の鍵になるということですね。
ご皇室も、御祖先様の事を「遠つ親」と呼ばれて、大切にされます。ちちははに感謝して、祖先を敬う、それが日本の教えで、生長の家の教えです。
親に感謝が出来ないということは、良い物が悪く見る状態ですので、親に感謝出来なければ、どんな良い物を見ても、悪いものにしか見えない事になります。
>質問の仕方を変えれば、「輪廻転生する当体は何か?」
> 「何故に輪廻転生が存在するか?」
これは既にお答えさせて戴きましたが、「詳細な説明は、意味がありません」とお答えさせて戴きました。
曳馬野様の3408番のご投稿内容は、すべて視点が逆になっている事に気が付きました。
どうでもよい所を気にされますより、価値観が逆になっている所を正されることから始めないと、永遠に逆走してしまいます。
> 「既に完全であるものが、その影を投影させている、のであれば本流派の云う雅宣先生の投影は何故に不完全に表現されているのか?」
>総じて完全な世界があると云いながら、不完全を何とかしようとしているように見えます。
本流の事は、本流の方へおたずね下さい。
>生きて居る所は今ここで有ります。そこに対立の世界を観つつ生きる生き方が果たして真理なのでしょうか?
本流の方は、「こうしたらいいですよ、そのままではやがて行き詰まりますから、引き返すなら今の内。」と色々と親切にアドバイスを下さっているのだと思います。
>雅春先生が創価学会にとった態度に今の本流派の姿がダブります。
これはノーコメントにさせて下さい。
曳馬野様でしたら、必ず無の一点を突破されますよ、絶対に生長の家を正しく理解されると思います。
3414
:
曳馬野
:2014/05/01(木) 03:54:58 ID:I/wU8psA
縹様
* 違いますよ、肉体はそもそも、存在している様に見えても無いもので、投影なのです。
* 『神真理を告げ給う』34頁には、
「“仏性”即ち、“わたし”の生命の純粋な本質だけでは、無色透明のガス体みたいに何物も表現することが出来ない。その表現を可能ならしめるために、
“わたし”はアイディアで腑彩(いろづけ)するのである。その腑彩が“個性”としてあらわれるのである。それゆえに、“あなた”の本体は無色透明の、どんな
偏りもない、腑彩のない“仏性”そのものなのだけれど、此世に生れる人間としては無くてはならぬ属性として腑彩されたものが個性である。それゆえに
“あなた”が“個人”として存在する限り、“個性”はなくてはならぬ属性である。個性即ち特殊性を与えないでは表現は不可能なのである。表現される
ためには、普遍者が自己限定して個別化されなければならない。“個”は“普遍者”とは異るが、“個”の中に“普遍者”があり、普遍者は共通であるから、
その“普遍者”が“個”と“個”とがつながる媒介をするのである。それが互いの理解となってあらわれ、それが互いの愛となってあらわれるのである。」
* 私は、以前から、今の状態は、黙示録に書かれてある通りになっていますよとお知らせしています。
* 既に完全であるものが、その影を投影させているのだと思います。
最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けているというのが、生長の家の考え方だと思います。
何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです。 既に、そこに生きているのに、それが見えていない本人の
問題とも言えます。 既に居るのに、それが見えない人に、「既に居るのですよ」、とお知らせするのが、生長の家の重要な役目の一つだったと思います。
* 上記の文章は、「そのままで良い世界に、見え始める」、ということをお伝えするための文でした。
例えば、自分の親が、悪い親に思えて苦しんでいた子供が、親に感謝する事によって、不自由な状態から脱皮することが出来ることもあります。
親自体は、昔とちっともかわらないけれども、相手は変わらないのに、こちらの心が変われば、良いものに見え始めるのです。
すでに、今此処が極楽浄土であることをお伝え出来るのが生長の家だったと思います。
=============================================================================================================
肉体はそもそも、存在している様に見えても無いもので、【投影】なのです。
“あなた”の【本体は】無色透明の、どんな偏りもない、【腑彩のない“仏性”そのもの】なのだけれど
【此世に生れる人間】としては・・・・・・・・・ “あなた”が“【個人”として存在する】限り、“個性”はなくてはならぬ属性である
永遠の我と云う唯一の存在と云う時の【唯一の存在】と個霊の【本体】と云われるものの関係をお聞きしています。の質問の答えが上のものです。
実相は無相か有相かとお聞きしますと、実在の世界に個は創造され、それを五官の認識作用により肉体と感じているに過ぎないものであると云われる。
然しここでは【本体】と云う言葉で、【永遠の我と云う唯一の存在】と同じ説明をしています。どういうことでしょうか?
この現象世界には一切のものは存在しない、実相の世界にすべては創造され、それを五官の認識を通して感じているのみとするならば、
【此世に生れる人間】としてはと、この世に生まれると云う言い方は何故されているのでしょうか?
肉体はそもそも、存在している様に見えても無いもので、【投影】なのです。とはよく言われることでありますが、すべてが投影であるとしますと、
実相の世界で結婚をし子が生まれ、年老いて死ぬと云う事実があると云うことですか?雅春先生でも視界から消えるのです。つまり投影がなくなったのです。
【最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けている】 【何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです】
のであれば、その影は常に存在し続けると思いますが、なぜ消えるのでしょうか?
【そこに生きているのに、それが見えていない本人の 問題とも言えます。】とはすべて対象を非難することはその対象の実相が見えていないと云うことを表明
していると云うことですか?
3415
:
縹
:2014/05/01(木) 20:25:27 ID:oeUx5MQw
3414番 曳馬野様
合掌 ありがとうございます
曳馬野様、レスをありがとうございました。
再度ご質問戴きまして、今回の内容もごく簡単なご質問で、お悩みになられるような事ではなく、聖典にそのまま掲載されているような内容ですので、聖典をお読みになられると良いと思います。
曳馬野様のご文章で心配ですのは、なぜか、文章がフツフツと短く途切れているような印象を受ける事です。
総裁の造られた讃歌も、そのような印象を受けます。
以前、ライブ配信で、森のオフィスの式典の折に読誦されてましたのを冒頭だけ聴かせて戴いて、そういった印象を受けました。
『甘露の法雨』でしたら、スラスラと続いて一つに纏まっているのですが、調子が全く違うと思います。
曳馬野様も、讃歌を読誦されておられましたら、すぐにでもおやめになられますことをお勧め致します。
総裁は、今回、ご皇室が朝鮮から来たと仰られたそうですが、大阪の大講習会でも、そう仰られたそうですね。
菜食を薦めるのに、「疑似肉」を推奨されているようですが、私見では、「疑似肉」はおやめになられたほうが良いように思うのです。
「疑似肉でもいい」、という心理状態は、「代替え品がある」と思う心理状態だと思うのです。
一つ一つの存在の「かけがえのなさ」を知ることが、とても大切な事だと思うのです。
何処の誰でも、「かけがえのない」存在であること、これを知る事が大事だと思うのです。
3416
:
クレマチス
:2014/05/02(金) 09:49:28 ID:???
縹様
縹様、ご無沙汰致しております。志恩です。
縹様と曵馬野様の対話は、大変興味深く、わくわくしながら、拝見しています。
縹様のことだけでなく、
ここの掲示板の皆様の御文章や
他の掲示板も、わくわく拝見しています。
特に、この板の
>>3400
:からの縹様の曵馬野様に対するご返信のご文章は、
本当に内容が深くて、勉強になりますので、
私は、プリントアウトして、学ばさせて頂いているところです。
縹様、
先日は、お声をかけて下さいましたのに、お返事もせず、申し訳ございませんでした。
朝ドラの「花子とアン」につきましては、私は、はじめの頃は、観ていたのですが、
夫が、モーニングバードなどの他局でやっているニュース番組の方に
チャンネルをかえて観るようになりましたので、
私も夫に合わせて、そちらを観ておりまして、最近、朝ドラは残念ながら観ていないのです。
曵馬野様は、縹様と、ここの板で、普通に会話されてると、以前の書き方とは異なり、
初心者様の文体になられましたね。
縹様のご説明は、雅春先生のご文章を縹様がご自分の中で霊的に昇華されて、
消化されて、そのうえで、書かれておられるので、
あれだけ頭脳明晰な曵馬野様に、理解出来ないはずはないと、思いながら、
拝見していますが、
曵馬野様は、理解されておられないご様子でいらして….
というか、
曵馬野様は、理解したくないというお気持ちが バリアのように、ご自分の
心の周囲を囲っておられるようにも、お見受けするのですよね。
だって、縹様がおっしゃる生長の家の教えの神髄の部分のことを
すんなりと理解してしまったら、
雅宣総裁が、雅春先生の教えを捨ててしまって、個人救済をやめて、
環境問題オンリーに舵を切られたことを、
ご自分で ご自分が、否定してしまうことになりかねませんから….。
環境問題のこともそうですが、
組織のことも、前よりも よくなるどころか、
最近は、ますます中央集権化されて、悪化の一途を辿っているそうで、
トキ様がご指摘の通り、教団の中枢部の考え方に かなりの問題があるんではないでしょうか。
それに、教団は、雅宣総裁より、女性である奥様の純子様のほうが、主導権を握ってしまってるように
最近は、末端まで聞こえて来ていますが、
心の法則から しましても、
糸が針より、先に出て仕事をしたら、うまく行くことも、うまく行かなくなるということは、
古今東西の歴史が 物語っていることです。
純子様が 主導権を握って、ますます「ノーミート運動」を活発に推進されたら、
今時の若い青年たちは、
生長の家に入信したら、お肉は、食べられなくなるぞ!
ノーミートで生きなきゃならないぞ!と危惧の想いを抱かないものでしょうか。
そして、雅宣総裁は、そのようなことを全て、これで、よしと、心から思われておられるのでしょうか?
そうとは、思えませんけれど。
お顔の表情に本心は、描かれるものです。
彼のお顔には、深い悩みや不安が 描かれています。
心身ともに、大丈夫なのですか?
でも、彼は 真理については、悩む事も、楽しむ ご性格のようですけれどね。
同じ、環境問題を遂行されるにしても、どの精神の立ち位置に、立たれてされるかが最も
重要なことであると思います。
それによっては、ご自分の理想とは、真逆な方向へ行ってしまう危険性もありますから、
立ち位置は、大変大事だと思います。
これも縹様が教えて下さいましたが、黙示録にも預言されてますように
今は、斎浄めの最後の審判の時期だそうですから、これからが彼の正念場ですよね。
全国の閲覧者の皆様も、閲覧されて、おられます。
縹様は私の先生です。
これからも蔭ながら、応援させて頂いております。
お声、かけて下さっても、私は卒業していますので、お返事できません。
今回は、卒業生として、ちょっとだけお邪魔させて頂きました。ご了承下さいませ。
合掌 ありがとうございます。
3417
:
縹
:2014/05/02(金) 23:40:07 ID:oeUx5MQw
3414番 曳馬野様
合掌 ありがとうございます
曳馬野様、実はご回答文を書かせて戴いていたのですが、聖典をお読みになられるのが一番良いので、臥せさせて戴いておりました。重版保留書に全部書かれてあります。
>然しここでは【本体】と云う言葉で、【永遠の我と云う唯一の存在】と同じ説明をしています。どういうことでしょうか?
「“わたし”の宇宙創造の作法は、“わたし”は先ず心に或るアイディアを思い浮かべるのだ。そのアイディアに“わたし”の心を集中する。すると、そのアイディアが具体化して表現されるのである。
詳しく言えば、“わたし”が、ある事物を心に思い浮かべて、それに精神を集中すると、“わたし”の普遍的な“生命の貯蔵庫”というべき宇宙から、そのアイディアを具体化する必要な要素が集まってくるのである。
そして“わたし”が想念したアイディアの形にその要素が排列して、想念したアイディアそのものの形がそこに実現することになるのである。即ち“純粋形相”が物質的装いをもってあらわれることになるのである。」
「“わたし”が心に思い浮かべたものは、凡て善なるものであり、美しきものであり、調和せるものであり、相剋、相闘するようなものはひとつもないのである。それが存在の実相である。
けれども、人間は、人間自身が心に思い浮かべた観念を、雲が蒼空を覆うが如くに、実相の上に投げかけたのである。そして実相の完全さを隠覆した。
人間よ、あなたが五官の感覚で見て、“真実にある”と思っているものは、それは実相ではないのである。それは人間自身の想念の具象化である。そのことを『創世記』の記録者は「アダムの名づけたるものは皆その者の名となれり」という風に書いているのである。
あなたがた人間は“言”を慎まなければならないのである。あなた方が「名づける」即ち「言で言い表したこと」がその現実となるのである。」
『神真理を告げ給う』52頁
「“物質人間”は、“本当の人間”ではなく、時間・空間の立体カンバス上に描かれたる“作品人間”なのである。
それはテレビの画面上にあらわれた人物の如く動くのであるけれども、それは人間の心が創作した人物であって、“わたし”が創造した“神の肖像(イメージ)”そのままの人物ではないのである。
しかし“わたし”はその人物の中に“わたし”の地上天国建設の念願を鋳込んである。それゆえに、彼は善悪の差別を考える理智を備えていて、兎も角も、自分の“善”と考える方向に行動しようとする欲望を備えているのである。
物質の世界に、物質人間としてあらわされたる人間が、地上天国を描き出すのは、はじめて絵筆をもってカンバスに向かった初歩の画家のように、充分完全なる絵を画くことが出来ないで、いろいろ試行錯誤を繰り返すのである。
そして中々、天国的な状態をあらわすことが出来ないで、“ああでもない”“こうでもない”と試行錯誤を繰返す。そこに善悪を差別する智的修行があるのである。この事を『創世記』第三章にはアダムとイヴとが“善悪を知る樹の果”を食したという風に書いているのである。」同書49頁
続く
3418
:
縹
:2014/05/02(金) 23:44:27 ID:oeUx5MQw
続き
>この現象世界には一切のものは存在しない、実相の世界にすべては創造され、それを五官の認識を通して感じているのみとするならば、
>【此世に生れる人間】としてはと、この世に生まれると云う言い方は何故されているのでしょうか?
言語は主に、現象界を言い表すために発達したもので、物質を表現するに適し、物質的表現になるきらいがあると思います。
「空間の観念を与えられた人間は、恰もスクリーンを与えられた人間が映写機から放射される光の波を、
単に“光の波”として感受せずに物質界に起った具体的事象として感ずると同じ原理で、
生命の波動(心の波)を単に波動として感受せずに、それを地上世界の物質的事象として感じ、
その物質を具体的確固な存在として感ずるのである。
地上が具体的存在だと観ずる精神的地盤が成立しなかったら、地上に天国を実現することは不可能なのだから、生命の霊的波動を物質化して感じ、地上を具象的存在だと感ずることは地上天国建設の第一歩の成就なのである。」同書46頁
>その影は常に存在し続けると思いますが、なぜ消えるのでしょうか?
「汝の肉體は汝の念絃の弾奏する曲譜である」
「念の形式に大変動を生ずれば、汝の假有は他界に顕現し、今迄の念の顕現たる肉體は速かに自壊自消する。
これを人々は死と呼ぶが死ではない。
それは『生命』が念の絃をもつて一曲を弾じ終つてそれを止め、他の奏曲に移らんとするにも等しい。」
『帰幽の神示』より
>【そこに生きているのに、それが見えていない本人の 問題とも言えます。】とは
これは、例えば、山が神の生命の顕現であると見えるのではなく、単に物質の塊であるだけに見えるような事を申し上げていました。
>すべて対象を非難することは
「物質分子の集合体としての肉体的顕現をもった人間は、物質は“分割さるべきもの”という本質をもっているので、結局、自他分離の想念感情をもち易いのである。
従って自分の都合のよい事を“善”と考え、自分にとって都合の悪いことを“悪”と考える傾向をもっているのである。
しかしながら、そのような自己中心的な善悪の判断は、恰もアメリカが、“善”と思って行う“北爆”の強化を北ベトナム側では“悪”として批難するように、すべての人間が調和した判断に到達することはできないのである。
その結果は『創世記』神話が語る「エデンの楽園追放物語」が現実化したような不幸な世界が出現することになるのである。」『神真理を告げ給う』50頁
>その対象の実相が見えていないと云うことを表明していると云うことですか?
私は前回の投稿で、本人の、「有難く受け取る能力」の欠如である可能性を述べさせて戴いていたと思います。
私はあまり掲示板の時間がとれませんので、その点ご了承下さい。
3419
:
縹
:2014/05/02(金) 23:47:30 ID:oeUx5MQw
曳馬野様のご長所:
① 細かな欠陥も見逃さない所
②「構造」を理解しようとする力
これは、凄い才能です。
この才能があれば、谷口雅春先生が願われた、憲法を正しい内容にする事が可能だと思います。もうそのままではいけませんので。
憲法に構造的な欠陥があれば、いくら憲法通り生活しても、うまくいかないので、理想を連ねるだけではなく、システムとして完璧でないといけないと思います。
憲法ともなると、文章の細かな欠点も許されませんので、曳馬野様のように、小さな事に気が付く能力が必要だと思います。
これは、とても雅春先生へのご奉公になると思うのです。
曳馬野様の才能でしたら、絶対に可能だと思います。
3420
:
縹
:2014/05/02(金) 23:50:18 ID:oeUx5MQw
疑似肉を推奨するよりも・・・「かけがえがない」ということを知る
岸壁の母の歌にもあるように、我が子を失ったら、もっと優秀な別の子に取り換えてもよさそうなものを、
母親というものは、その帰ってこない一子を探し求めるのですね。
これはイエスが好んで話した羊のお話しと似ていて、神の愛とは、いかなるものかを伝えるために、くり返しお話し下さったそうです。
實相額の實の字の中に入っている“母”という字は、そういった神の愛に一番近い、母の愛を表しているものであるそうです。
ですから、完成の燈台である生長の家もそうであって欲しいです。
3421
:
縹
:2014/05/03(土) 00:20:27 ID:oeUx5MQw
3416番 クレマチス志恩様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、ご登場下さってありがとうございます!
色々と大変で、肉体的にそろそろお迎えが来たかと思って、今日を限りにやめようと思っていた頃でした。
志恩様は、いつも救世主のようにお助けに来て下さいます。
本当にありがとうございます。
志恩様の御投稿文を読ませて戴きまして、まだお伝え出来ていない事柄があった事を思い出し、不撓不屈で努力せねばならないと思い直しました。
志恩様は、今後も掲示板を御覧下さっているのでしたら、掲載を急がなくても良いでしょうか。
生長の家は、一般に思われているよりも、本当に凄い教えなのです。
ですから、開けてビックリ、このとんでもない事態でも、「そう言う事だったのか!」と後で解る事になると思います。
ですので、今、誰しもしないといけない事は、「御教えの通りに生きる」事です。
後で、「生長の家のみ教えに間違いは無かった! 御教えの通りだった!」と思うと思います。
例えば、「<そのまま>實相を観なさい、それだけで、癒される」という、『生命の實相』第一巻の冒頭の御文章も、
「今に到っては、そんなことはしてられない、生長の家はおかしくなったのだから」と思って、実行されなくなられる人がおられるかも知れませんが、
そんなことはなく、「「<そのまま>實相を観なさい、それだけで、癒される」は、まさにその通りの金言であると感じています。
神様は凄いプレゼントを私たちの肉眼にも見える所に置いて下さっていると感じています。
雅春先生は、組織がおかしくなったら聖典を学び直しなさいと教えて下さっていますが、
今こそ真剣に真理を学ばねばならない時だと思います。
ところで、総裁は、一から百まで間違っているように評価されていますが、
絵と和歌は、住吉大神様の担当分野の事ですから、ポスティングジョイは良い事だったと思うのです。
それだけしかしてはいけないとなると、間違っていると思うのですが、
和歌等は、五七五七七文字に区切って読む事で、祓いの力が発揮されるという言い伝えがありますので、良い物だと思います。
雅春先生も、絵や芸術で、光明化運動は出来ないものだろうか?とお考えになられていたのですから、
インターネットが生れた時代には、合っていたのではないでしょうか?
志恩様も誌とメルヘンを愛読されておられましたし、
この間も偶然信徒の方が、普及誌に紹介されたウサギの絵本を偶然知人から戴いたと仰っていました。
御皇族の方も、芸術に力を入れ始めておられるようです。
http://shinyusha.jp/
これは静かに見えても、海外から好印象で受け止められて、ある程度戦争を防ぐ力があると思うのです。
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/
>これも縹様が教えて下さいましたが、黙示録にも預言されてますように
>今は、斎浄めの最後の審判の時期だそうですから、これからが彼の正念場ですよね。
『最後の審判』は、『聖光録』の19頁の内容で、明るい内容ですね。
そして、最後の審判の時に、ミカエルがキリストの足元につく事になるような位置に、総本山があります。
彼の正念場というのは、「『生命の實相』に戻ってくる決意」という事だったらいいですね。
私は、彼をあのようにふるまわせた物の正体を見極めて、それをどうにかしないといけないと思っています。
『實相と現象』の本にも、脚を怪我した人には優しくするように、組織で間違っている人をきつく咎めるのではないと書かれてあります。
黙示録の通りになっているので、その役目があったのなら、気の毒でもあります。
総本山土足の件で、「幕屋を汚し」という預言までは終わったのですが、ここからはどうなるか分かりません。
志恩様、ご親切に本当にありがとうございます。
私は先生などではないので、お礼のお言葉は戴けないのです。
私の方が志恩様に沢山教えて戴いております。
こちらこそ本当にありがとうございます。
3422
:
縹
:2014/05/03(土) 00:24:50 ID:oeUx5MQw
総本山については、今日も、凄い事が分かりました。(もう昨日になってしまいました)
本日5月2日は、華厳宗総本山・東大寺の、聖武天皇御忌祭の日であったそうなのですが、
この大仏開眼の日と、雅春先生の最後の御説法の日が、同じ5月26日であったのです。
そして、『如意自在の生活365章』に、総本山建立の意義として、雅春先生は、以下のようにお説き下さっていました。
「華厳経はそのまま龍宮の海底に沈めて宝蔵せられていたのであるが、釈尊滅後数百年にして龍樹菩薩が出興して神通力にて龍宮の海底に入り、『華厳経』の一部を地上にもち来たしたものである。
それが現在、地上に伝えられている『大方広佛華厳経』であるという説話である。
(中略)
『華厳経』はこうして全宇宙の一切存在を支えている中心座に、天照大御神すなわち毘廬遮那佛が存在することを説いているのであり、その真理は龍宮界(創造の本源世界、創生(うみ)の底)に満ちみちているコトバであることを説いているのである。
(中略)
蓮華蔵世界海(蓮華の實相を内に蔵する海の底)にまします龍王とでも譬うべきお方が、塩椎大神であり、綿津身神であり、住吉大神であり、三神一体であらせられるのである。
(中略)
生長の家に住吉大神として出現せられたのは、今や世界秩序が混沌として乱れ狂うている状態であるから、この世界の混濁を浄化せんがために現れられたのである。
それ故吾らその神意を体して<<住吉本宮>>に顕斎し奉るのである。」
生長の家総本山は、華厳の真理が納められていて、5月26日が雅春先生の最後の御説法の日、
それが、華厳宗の総本山の奈良の大仏の開眼日と同一であったのです。
またこの日は、新暦では日蓮が、清澄(せいちょう)山山頂で、法華経を初めて説法した立教開宗の日で、
また数年後、旧暦でのこの日は、日蓮が『立正安国論』を著し始めた日であったそうです。
続く
3423
:
縹
:2014/05/03(土) 00:27:20 ID:oeUx5MQw
続き
「この『華厳経』が、釈尊が宇宙の真理をお悟りになった第27日目に、対人的方便法ではなく、真理の實相講演としてそのままの真理をお説きになったものであるだけに、最も尊い最も勝れたお経だということができるのであり、
その真理というのは、宇宙の中心座に、そして事物の存在の中心には、必ず大日如来(毘廬遮那佛―――日本語的表現を用いれば天照大御神)がましまして、その存在の秩序を支えてい給うということである。
その中心帰一的形相は、あたかも蓮華の花弁が、蜂巣(の形をした子房)を中心にすべて帰一しているようになっているのであり、
そしてこの實相世界は、そのような霊的設計構図(理念)を内に蔵している世界であるから、“蓮華蔵世界”または“蓮華蔵世界海”と呼ばれるのであり、
そしてその中心座に大日如来“天照大御神”が坐し給うのである。これが釈尊悟後の第一声の説法であったのである。」
『如意自在の生活365章』275頁
とこのように、東大寺の大仏は、大切な存在なのですが、それを御建立下さったのが、聖武天皇様でした。
707年7月18日に、7歳でお父様であらせられます文武天皇様と死別され、724年3月3日に御即位されました。
大仏造立の詔の二年前の天平13年(741年)に詔されて、国ごとに国分寺・国分尼寺を造る事をお命じになられ、東大寺は、大和国の国分寺であると共に「日本の総国分寺」という位置付けになったそうです。
以下は東大寺のHPからの抜粋です。
「天平15年(743)10月15日に「盧舎那大仏造立の詔」を発せられる。
聖武天皇は、人々が思いやりの心でつながり、こども達の命が次世代に輝くことを真剣に考えられ、動物も植物も共に栄えることを願い、さらには造像にあたっては、広く国民に「一枝の草、ひとつかみの土」の助援をよびかけられた。
つまり、大仏の造立は皇室や政府の事業のみならず、国民に結縁を求め、助力によって完成しようとした点に、従来の官大寺建立とは明らかに異なるものがある。
いわゆる大衆を知識(協力者)として造立を果たそうとしたもので、この精神は各時代の再興や修理にあたって、現代に至るまで常に相承されてきている。
発願の詔が出された四日後には、すでに民衆から人望が厚く仏教伝道に実績のあった行基が、弟子たちを伴い勧進行脚に出発している。」
http://www.todaiji.or.jp/contents/history/
「しかしこの盧舎那大仏造顕という国を挙げての難事業は、「若し朕が時に造り了るを得ざるあらば来世に於て身を改めて猶作らん」とまで述べられ、
また自らを「三宝(”さんぼう”、或いは”みほとけ”)の奴(やっこ)と仕えまつる天皇(すめらみこと)」とさえ称された、聖武天皇の熱意と信仰心が原動力となってはじめて可能であったともいえる。」
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/04syoumuki.html
続く
3424
:
縹
:2014/05/03(土) 00:29:01 ID:oeUx5MQw
続き
華厳経について調べますと、
「華厳とは別名雑華ともいい、雑華によって仏を荘厳することを意味する。」とも書かれていましたが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E7%B5%8C
これはまるで、たった一輪の華のみの存在であるという内容と逆であるように聞こえますが、
昭和天皇様の「雑草という植物は無い」というお言葉を思い出させてくれます。
たった一つの存在を無数の華が支えている状態であるのでしょうか。
そうであるから、「聖武天皇様は、人々が思いやりの心でつながり、こども達の命が次世代に輝くことを真剣に考えられ、動物も植物も共に栄えることを願い、さらには造像にあたっては、広く国民に「一枝の草、ひとつかみの土」の助援をよびかけられた。」のでしょうか。
なんと素晴らしい日本の国柄でしょうか。
日本も生長の家も素晴らしすぎます。
3425
:
クレマチス
:2014/05/03(土) 05:33:52 ID:???
縹様
いつも大変貴い神髄の部分を教えて下さいまして、心から感謝申し上げております。
縹様、体調が優れなくて、いらしたのですか? ご無理をされませんように…。
私は、これにて、失礼させて頂きますが、
閲覧者の皆様とともに、今後も拝見させて頂いておりますので、
縹様、どうか、おからだに障りませんよう、ゆっくりゆっくりで構いませんから、
また、教えて頂けましたら幸いに存じます。
縹様のおっしゃる通り、教えは、今後も実行してまいります。
いつもながらのお優しいお言葉、勿体なく思います。
本当に、有り難うございます。
3427
:
縹
:2014/05/05(月) 21:19:21 ID:oeUx5MQw
3425番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、クレマチス様、この度も温かいレスを戴き、誠にありがとうございました。
有難くて、お礼の言葉も申し上げきれない程です。
今回クレマチス様のご再訪が無ければ、私は途中で断念していたかも知れません。
まだ、重大な事をお伝えせねばなりませんでしたのに、頓挫していたら、やはり大変な事だったと思います。
いつも不思議なタイミングでお助け下さり、本当にありがとうございます。
曳馬野様の仰られたい事は、「雅春先生もお間違いになられたのではないか?」という事だと拝察致しますが、
この前、偶然知ってしまったご皇室の非公開にされている内容を掲示板でお話しするわけにも行かず、
お一人悩ませて、申し訳ない気がしています。
>純子様が 主導権を握って、ますます「ノーミート運動」を活発に推進されたら、
>今時の若い青年たちは、
>生長の家に入信したら、お肉は、食べられなくなるぞ!
>ノーミートで生きなきゃならないぞ!と危惧の想いを抱かないものでしょうか。
そうなのですか、色々な方がいらっしゃいますものね。
こちらでは、皆さん口をそろえて、「純子先生が随分お痩せになられた」と仰ってました。
「毎日お昼ごはんは、世界の飢餓の為に、御飯とお味噌汁だけにしておられるそうよ」と、心配されていました。
私は疑似肉の心配をしておりました。
>心身ともに、大丈夫なのですか?
>でも、彼は 真理については、悩む事も、楽しむ ご性格のようですけれどね。
そうなのですか。楽しまれているのでしたか。
クレマチス様、いつも本当にありがとうございます。
今後、流れ的にクレマチス様宛のご連絡文も混じるかも知れないのですが、お返事お気にされないで下さいね。
クレマチス様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
クレマチス様、本当にありがとうございます。
クレマチス様、本当にありがとうございます。
3428
:
縹
:2014/05/05(月) 21:21:51 ID:oeUx5MQw
今日は、5月5日で、本住吉神社のお祭りでした。
その近所の、弓弦羽神社も同時にお祭りです。
何台ものだんじりが町内を巡ります。
http://www.sakaerukai.com/hyogo/seichi/sumiyosi/Sumi_jin.htm
(栄える会さん勝手にリンクさせて戴いてすみません)
丁度、藤と卯の花の季節にあたり、
どちらも住吉大神様のお好きなお花です。
住吉大社の奥に、卯の花苑があり、13種の卯の花の中を散策する事が出来ます。
以下は、住吉大社のHPから。
「当社の創立記念日が神功皇后摂政11年辛卯歳(かのとうのとし)卯月(うのづき)上卯日(かみのうのひ)であることから、毎年5月初めの卯の日に卯之葉神事というお祭りを行っております。
卯の花玉串を捧げ、舞楽の奉納等、盛大に行われます。」
http://www.sumiyoshitaisha.net/topic?id=2
本住吉神社が元で、そこから住吉大社へ移転し、それから、明石へも大神様は移られたという言い伝えがあるようです。
「大阪の住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』によれば、
住吉大神より「播磨国に渡り住みたい。藤の枝の流れ着く所に祀れ」との託宣があり、
藤の枝を海に浮かべると、魚住に流れ着いた。
そこで、雄略天皇8年(464年)に当地に住吉大神を勧請したのが当社の創建と伝える。正応5年(1292年)に現在地に遷座した。」
「神功天皇が播磨灘で暴風雨にあった際、当地に滞在し、住吉大神に平穏を祈願したところ風雨はたちどころに納まり、つつがなきを得たと伝承されることにちなんでいる。
その際に皇后の衣を松の枝に掛け干していたところ風になびき錦のように美しく見えたことから「錦ヶ浦」と呼ばれるようになった。
神功天皇が摂津の国の国住吉に鎮祭した住吉大明神が「吾が居住(す)はむと欲(ほ)りする処は、播磨の国に渡り住わむ」とお告げを出した。
そのため、大藤を切り、海に浮かべ神意を伺うと「この藤の枝の流れ着く所に我を鎮祀れ」とのご託宣した。藤は当地の魚次浜んじ流れ着いた(住吉神社神代記)。
これにより雄略天皇の464年4月初卯日にこの地に勧請し祀ったのがこの住吉神社である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%B8%82)
この魚住の住吉神社も、今日5月5日が、卯の日祭であったようです。
http://www.sumiyoshijinjya.com/
卯の花まつり/
また、『播磨国風土記』にも、住吉大神様が、「船から藤の枝を流して、流れ着いた所に祀れ」と仰られて、その流れ着いた場所が、明石の藤江という所だったとあるそうです。
この二つの場所は、とても近くて、藤と、卯の花も関係して、住吉大神様の息づかいが感ぜられるようです。
生長の家も、藤棚の家から、発祥しました。
生長の家誌は、このように、歴史的流れの上での誕生だったのですね。
本当に住吉大神様のお始めになられた運動だったのですね。
そして、この藤江と魚住という場所の中間点に、明石原人の人骨の発見された場所があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E4%BA%BA
雅春先生は、琵琶湖の近くで日本民族の誕生があったのではないかと仰っておられましたが、
私もそれが正しいに違いないと思っています。
このように、住吉大神様にご縁の深い土地に、古代人の骨の伝説が残っているのも、偶然ではないのかも知れません。
3429
:
縹
:2014/05/09(金) 17:28:15 ID:oeUx5MQw
合掌 ありがとうございます
明石には、確かアカシゾウが居たと思い、明石市立文化博物館のホームページを探してみました。
http://www.akashibunpaku.com/index.php
明石は台地なのですが、太古は、湖の底であった、と書かれてありました。
http://www.akashibunpaku.com/permanent/01_akebono.html
海から歩いてJRの路線を超えると、急に土地がせりあがっています。その為、水害がありません。
台地であるものが、湖の底であったとは、神様のスケールの違いを感じます。
以下ホームページから抜粋です。
先日投稿させて戴きました、魚住や、藤江、といった地名が出て来るので驚きました。
「この土地の歴史は、今から200万年前の大きな湖の底であった時代からたどることが出来ます。このころ湖の近くには、アカシゾウ(アケボノゾウ)やシカマシフゾウ(シカの一種)など、今の日本にはいない動物がすんでいました。
では、この明石の地に人が住み始めたのは一体いつ頃のことでしょうか。
昭和の初め頃、西八木海岸で直良信夫が発見した人骨は、一時、原人の骨であると発表され注目を集めましたが、現在では疑問視する意見も強くなっています。
しかし、1985年の <西八木海岸> の発掘調査で、今から6〜7万年前の地層から人工の木器が見つかり、 <近畿地方で最古の人類> が住んでいたことが明らかとなりました。
『明石原人』
後に「明石原人」とも呼ばれることになった人類の腰の骨は、1931年に大久保町の西八木海岸の更新世の地層の崩壊土の中から発見されました。発見したのは、当時考古学や古生物学に興味を持ち、西八木海岸一帯で動物の化石や石器らしきものを採集していた直良信夫でした。直良はその骨を旧石器時代人の骨だと考え、東京大学の松村瞭にその人骨を送り、判断を求めましたが、当時比較する資料がなく、結論が出ないまま返却されました。この骨は東京大空襲で消失しました。
戦後、人類学者の長谷部言人は東京大学に残されていた人骨の石膏模型をもとに、明石で発見された腰の骨は北京原人に匹敵する原人の骨であると発表しました。そして現地付近の発掘調査を試みましたが、その時は期待していた成果は得られませんでした。1982年には、東京大学の遠藤萬里と国立科学博物館の馬場悠男が世界各地から出土した人骨との比較を行い、明石人骨は縄文時代以降の新人の骨であるという説を発表しました。
国立歴史民俗博物館の春成秀爾は、人骨が化石化していたという数多くの研究者の証言や、自ら谷八木海岸で採集した剥片石器を手がかりとして、1985年に再度西八木海岸の発掘調査を行いました。調査で直良が人骨を採取したとされる地層(西八木層)から人が加工した木器が発見され、その結果、この明石の地において、6〜7万年前に旧人に相当する人類がいたことがほぼ確実になりました。
『大昔の明石』
今から1.5〜2万年前には、ナイフ形石器を狩猟具とした人々が、大久保町西脇や魚住町寺山などに住んでいたことが確かめられています。
今から約1万年前には、日本列島で土器づくりが始まりました。土器の登場により煮炊きが出来るようになり、食生活も質・量ともに豊かになりました。
明石では <藤江> などの段丘上で狩猟・採集生活を送っていました。」
http://www.akashibunpaku.com/permanent/01_akebono.html
住吉大社で創建1800年ですから、7万年前から、この辺りには、人が住んでいたという事になりますと、
住吉大神様は、7万年前からご自身がお住まいになっていた土地に、戻られたかったということかも知れませんね。
3430
:
縹
:2014/05/09(金) 17:33:08 ID:oeUx5MQw
3429番の続きです
谷口雅春先生は、琵琶湖の近くで日本人が生れた事を述べておられましたが、
これは、正しいと私も思います。
なぜなら、人体に似た日本列島において、琵琶湖は子宮に相当するような位置にあり、
その琵琶湖から流れる淀川の河口近くに、西宮えびすの西宮神社があり、これは、葦船に乗せて流された蛭子の神が祀られた神社であるからです。
思えば、宇治川のほとりの宇治別格本山に流産児供養塔があるのも、偶然ではないのかも知れないですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E5%B7%9D
「淀川(よどがわ)は、琵琶湖から流れ出る唯一の河川。瀬田川、宇治川、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込む。」
『西宮えびす 由緒 御鎮座伝説』
昔々、鳴尾に住んでいた漁師が、沖で漁をしていたところ、網に大変手ごたえを感じました。喜んで引き上げてみますと、それは期待していた魚ではなく、今まで見たこともないものでした。よく見ると人形のような、又御神像の様にも見えましたが、魚ではないので海にもどしてしまい、また魚の群れを求め、西の方へと船を進めてゆきました。なかなかえものに恵まれず、今の神戸の和田岬の辺りまで来て、なかばあきらめながら網を入れたところ、再び大変な手応えを感じ、今度こそはと勇んで網を引き上げてみると、何とそれは先程海にもどしたはずの、あの御神像の様に見えたものでありました。
漁師は瞬時に、これは徒事ではないと確信し、漁をきりあげ、御神像を丁寧に布にくるみ、家に持ち帰りました。粗末な家ではありましたが、漁師はその像の為に床をしつらえ、朝な夕なにお供え物をし、お祀りすることになりました。
しばらくたったある日、いつもの様に夕方のお供えをして、自分も夕食をとり、やがて眠りにつきました。その夜の夢の中に、お祀りしている御神像が現れ、「吾は蛭児の神である。日頃丁寧に祀ってもらって有り難いが、ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい。」との御神託があったのです。
蛭児の神。それは神代の昔、伊邪那岐伊邪那美二柱の大神が久美度に興して生み給いし御子。日本書紀によると、三歳になるまで足が立たなかった不具の子であったとも云われています。伊邪那岐伊邪那美二柱の神は、吾が子をあわれと思いつつも、葦船に入れて茅渟の海へ流してしまわれたのです。
その蛭児の神、葦船に乗せて流された蛭児の神が、再び茅渟の海から出現されたのです。平安の御代に力強くよみがえった蛭児の大神、この神が西宮えびす大神として茅渟の海、今の大阪湾岸をうしはく神として、海に生業の道を求める人々はもとより、開けつつある街の人々の、絶大なる信仰を集めてゆくのです。
http://nishinomiya-ebisu.com/history/history01.html
3431
:
縹
:2014/05/11(日) 23:45:29 ID:oeUx5MQw
先日の明石市立文化博物館のホームページに、以下のような記述がございました。
『源氏物語』に描かれた明石
「『源氏物語』の中で明石は、光源氏の従者によって「ゆほびかで、明るく美しい土地」として紹介されています。そして、白砂青松の地である明石を舞台に、光源氏と明石入道の娘「明石の上」との恋が成立し、「明石中宮」がうまれます。
この物語によって明石は風光明媚な <月の名所> として全国的に有名になります。
その後、松尾芭蕉をはじめ多くの人々が <明石の月> を見るために訪れました。」
http://www.akashibunpaku.com/permanent/03_kinai.html
このように明石は、月の名所で、
明石の少し西にある高砂の有名な「高砂」という歌も、「和歌を詠むと、月の光と共に、住吉大神様があらわれられる」という内容になっています。
今回、西宮えびすの件で出てきました「鳴尾」の地名も、謡曲「高砂」に登場します。
―「高砂」歌詞―
高砂や この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に帆を上げて
月もろともに 出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり
能「高砂」37:32〜
http://m.youtube.com/watch?v=IOArf1qX6pM
解説付き
http://m.youtube.com/watch?v=Bw7chrgnThQ
歌の中の「相生の松」は、高砂神社にあったそうです。
「郄砂神社は、約1700年前に神功皇后が三韓より凱旋する途上で鹿子水門(かこのみなと)に停泊され、国家鎮護のため大己貴命をまつられたのがはじまりと伝えられています。
世阿弥の謡曲「高砂」に名高い境内の相生松は雌雄一体の珍しい松で、郄砂神社創建以来、夫婦和合、長寿繁栄を祈る尉姥として親しまれています。」
http://takasagojinja.takara-bune.net/photo/contents.html
「“相生松”が、高砂神社境内に生い出でたのは神社が創建されてまもなくのことでした。その根は一つで雌雄の幹左右に分かれていたので、見る者、神木霊松などと称えていたところ、ある日、尉姥二神が現われ「我は今より神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げられました。
これより人は相生の霊松と呼び、この二神を“尉と姥”(おじいさんとおばあさん)として今日めでたい結婚式になくてはならないいわれになったと伝えられています。」
http://takasagojinja.takara-bune.net/banner/pine.html
3432
:
縹
:2014/05/11(日) 23:46:30 ID:oeUx5MQw
続き
能「高砂」解説
http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_015.html
「陽春の光きらめく播州(兵庫県)高砂・高砂の浦。
一本の松の老木の下を掃き清める気品ある老夫婦がおりました。折から、この浦に立ち寄った肥後の国・阿蘇宮の神主・友成は、松の謂われを尋ねます。老人は、
「この松こそ、世に名高い高砂の松。この松と住吉の松は“相生の松”と言われています。私たち夫婦も、妻はこの浦の者。私は住吉の者で、遠く隔てて住んでいても、心は通い合っております。」
友成は感心し、さらに詳しい相生の松の物語を尋ねますと、
「昔の人の申しますには、高砂というのは、上代の『万葉集』の時代を示し、住吉とは今のこの延喜の帝の時代のことをさしています。かわらぬ緑を保つ松は、永久に尽きない和歌の道を表し、その繁栄は昔も今もかわりません。」
なお松のめでたさを語り続ける老人でしたが、
「私たちは高砂・住吉の松の精です。住吉でおまちしております。」
と言い置いて、汀の小舟に乗り、沖の彼方へ姿を消します。
住吉をめざして、高々と帆を挙げて船出する友成一行。
やがて澄み渡る月あかりのもと、住吉の神が出現して泰平の御代を祝福し、颯爽と舞います。」
http://www.hakusho-kai.net/welcome/programs/takasago.html
http://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/47413635.html
『ところが、結婚式では、「入り」を「出る」に入れ替えて歌う…その結果は…』
「ところで結婚式で祝言謡を謡う場合、「翳シ=かざし」というのが問題になる事があります。縁起の悪い文言をめでたい文句に差し替えて謡うことで、「高砂」の「待謡」の場合、じつは「出る」「遠く」など、結婚式にはすこぶる縁起の悪い言葉が多いのです。
また謡曲では頻繁に出てくる、文句を繰り返して謡う部分も「返シ」と呼ばれていてやはり具合が悪いので一度だけ謡うようにします。つまり本来の文章は上記の通りなのに、実際には次のように謡うのです。
高砂や、この浦舟に帆を上げて、月もろともに入り汐の、波の淡路の島蔭や近く鳴尾の沖過ぎて、はや住の江に着きにけり、はや住の江に着きにけり
「月もろともに入り汐」じゃ月が沈んで暗闇です。」
http://homepage3.nifty.com/nue-nohgaku/takasago.htm
上記のように、結婚式(祝言の席)では、愚かにも?「入る」を「出る」に変えて、月が沈んで真っ暗な状態を歌う事が多かったようです。
正しく、「月が出て明るい状態」を歌う方が良さそうですね。
3433
:
縹
:2014/05/11(日) 23:47:35 ID:oeUx5MQw
続き
住吉大神様は、このように何かと“月”とご縁のあられる方なのですが、
『八幡宇佐宮御託宣集』にも、
和気清麻呂が宇佐の八幡神の神託を仰いだとき、殿上に <満月輪> のようなものが出現し、和光が宮中に満ちた、とあるそうです。
また、神が忽然と形を現わしたとき、<満月> のごとくであったそうです。
『日本後記』には、清麻呂の祈りに示現した八幡大神の形はその長三丈ばかり、相は <満月> のごとくであった、と記されているそうです。
住吉大神様も国家の一大事に出現される神様ですが、上記に見るように、国家の一大事等には、月に関係する神が助けたようなのです。
因みに、“松”は、ノアの方舟の材料になった木だということが、『生命の實相』にも書かれてあります。
『生命の實相』の教えは、ノアの方舟になっているとのことです。
松と言えば、「住吉の松」という言葉が有名ですね。
(正しい)謡曲「高砂」
高砂や この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に帆を上げて
月もろともに 出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり
四海(しかい)波静かにて 国も治まる時つ風
枝を鳴らさぬ 御代なれや
逢ひに相生の松こそ めでたかりけれ
げにや仰ぎても ことも愚かや
かかる世に住める 民とて豊かなる
君の恵みぞ ありがたき
君の恵みぞ ありがたき
この歌も、最後には国の泰平を言祝ぐ事で締めくくられているように、住吉大神様は国家の祭事にも欠かせない神様であらせられたのだと思います。
『大嘗祭の翌年に行われた儀式:八十島祭』
「淀川の河口に形成されたデルタは難波八十島(なにわのやそしま)と呼ばれ、かつて天皇が即位する際に斎行されていた八十嶋祭の場で、天皇は大阪湾の澄ノ江(住江、住吉の浜)で身を清め、八十嶋の御霊を付着させる祭事を行った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%B9%BE
『住吉大社の年表から』
850 嘉祥3年 文徳天皇、八十嶋祭を行う ※八十島祭記事の初見 (文徳天皇実録)
933 承平3年 朱雀天皇、八十嶋祭を行う (日本紀略・西宮記)
947 天暦元年 村上天皇、八十嶋祭を行う (日本紀略・貞信公記抄)
1013 長和2年 三条天皇、八十嶋祭を行う (日本紀略・御堂関白記)
1018 寛仁2年 後一条天皇、八十嶋祭を行う (小右記・左経記)
1037 長暦元年 後朱雀天皇、八十嶋祭を行う (行親卿記)
1069 延久元年 後三条天皇、八十嶋祭を行う (江家次第)
1103 康和5年 堀河天皇、八十嶋祭を行う (殿暦)
1109 天仁2年 鳥羽天皇、八十嶋祭を行う (殿暦)
1124 天治元年 崇徳天皇、八十嶋祭を行う (中右記目録)
1143 康治2年 近衛天皇、八十嶋祭を行う (台記・本朝世記)
1157 保元2年 後白河天皇、八十嶋祭を行う (兵範記)
1160 永暦元年 二条天皇、八十嶋祭を行う (山槐記)
1167 仁安2年 六条天皇、八十嶋祭を行う (愚昧記・兵範記)
1169 嘉応元年 高倉天皇、八十嶋祭を行う (愚昧記・兵範記)
1191 建久2年 後鳥羽天皇、八十嶋祭を行う (百練抄・玉葉集)
1205 元久2年 土御門天皇、八十嶋祭を行う (百練抄)
1220 承久2年 順徳天皇、八十嶋祭を行う (仁和寺日次記・百練抄)
1224 元仁元年 後堀河天皇、八十嶋祭を行う (明月記)
1232 貞永元年 四条天皇、八十嶋祭を行う (続古今集)
http://www.sumiyoshitaisha.net/outline/history.html
3434
:
縹
:2014/05/11(日) 23:51:03 ID:oeUx5MQw
続き
神功皇后様が三韓征伐の時に、住吉大神様は御守護なさいましたが、そのエピソードの一つに、
牛鬼を住吉大神様が退治して下さったという伝説があるようです。
「牛窓町(現・瀬戸内市)に伝わる話では、神功皇后が三韓征伐の途中、同地にて塵輪鬼(じんりんき)という頭が八つの大牛姿の怪物に襲われて弓で射殺し、塵輪鬼は頭、胴、尾に分かれてそれぞれ牛窓の黄島、前島、青島となった。
皇后の新羅からの帰途、成仏できなかった塵輪鬼が牛鬼に化けて再度襲い掛かり、住吉明神が角をつかんで投げ飛ばし、牛鬼が滅んだ後、体の部分がバラバラになって黒島、中ノ小島、端ノ小島に変化したという。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%AC%BC
牛には、住吉の大神様ですね。
その住吉大神様は、月光と共に…
住吉大社のおみくじの第十六番は、
「言わずとも思ひは空に知りぬらむ あまくだります住吉の神」
歌意は、
「言葉に出して言わなくとも思いは神様に届いているでしょう。その証拠に、月光と共に、住吉の神が天降ってくることだ」という事です。
住吉大神様が、月光と共に顕れられる事は、古代から定説になっていたのでしょうか。
谷口雅春先生は、『聖使命菩薩讃歌』に、
「釈迦は法滅盡経に、
イエスはマタイ二十四に、
この世の終り預言せり」
とお書き下さっていますが、「この時代が、今の時代ですよ」とお教え下さっています。
その『法滅盡経』には、末世に、「月光菩薩が顕れて、52年間の間仏法を興す」と書かれてあるようです。
谷口雅春先生は、大体55年間位、御説法をして下さったと思われますが…。
その谷口雅春先生は、『大調和の神示』に於て、「師の恩に感謝せよ」の所を、「これは師である私に感謝させることになるので」との理由で、削除されました。
もしかしたら、聖経「天使の言葉」の「月光の曲」の部分も、谷口雅春先生の事であったのかもしれません。
お聖経中の、「諸作品」を「月光の曲」に戻したほうがいいと思います。
(聖経『天使の言葉』の文中の「諸作品」は、本来なら「月光の曲」であった。
本来の文章は、以下。)
「かの楽聖ヴェートーベンは
有名なる『月光の曲』を
肉体の耳聾いて
物体の音響を弁別し難き晩年に到りて
作曲せしにあらずや
(中略)
彼の指頭(ゆびさき)はピアノの鍵盤に触るゝに従ひて」
3435
:
縹
:2014/05/14(水) 00:21:51 ID:oeUx5MQw
今日は(日付が変わりました)偶然法然上人のお誕生日であったようで、以前『日常生活の中の真理』の聖典について投稿させて戴いた分を、先日からの投稿の流れから、こちらにも掲載させて戴きたいと思います。
『日常生活の中の真理』の表紙カバーは、知恩院所蔵の仏画ですが、
知恩院を調べましたら、浄土宗ですので阿弥陀様が御本尊様でした。
http://www.chion-in.or.jp/01_honen/hon.html
それで、開祖の法然上人が、以下のお歌を残しておられる事を知りました。
以下は知恵袋からの転載です。
「 月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ 」
浄土宗の開祖として有名な法然の和歌です。
「月影」 、月の光とは、実は阿弥陀如来の光明、救済のこと。
“月の光はこの世をあまねく照らして、どんな辺鄙な里にも届くけれど、
それを眺める人の心が澄んでいるからこそ その美しさが心に宿るんですよ”
心を澄ませる、つまり、阿弥陀の光に心を向けて、「南無 阿弥陀仏」 と念仏を一心に唱えてこそ、阿弥陀如来の光 (仏の救い) は人の心に “住む” んですよ。
「すむ」 = 澄む + 住むのダブルミーニング、掛詞です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11108072876
・・・転載以上です。
谷口雅春先生は、生長の家大神様(住吉大神様)は、阿弥陀如来様でもあらせられると教えて下さっていましたので、
澄む=住むですよ、という所は、少し嬉しいです。
後で気が付いたのですが、『日常生活の中の真理 仏典編』の表紙カバーに、住吉大神様が登場されていることになるように思いました。
偶然なのか、故意なのかわからないですけれども…
3436
:
縹
:2014/05/14(水) 00:24:26 ID:oeUx5MQw
続き
「住吉大神と阿弥陀仏との関係
この住吉大神は如何なる神様であるかと言いますと、人生を住みよき世界にする所の神様であります。
佛教で言うと、この神様は阿弥陀仏にあたるのであります。
阿弥陀仏の慈悲の働が観世音菩薩、阿弥陀仏の智慧の働が勢至菩薩であります。
阿弥陀・観音・勢至の三尊一体であります。
生長の家の神様は観世音菩薩であると言われておりますが、その本地は阿弥陀仏であります。
谷口雅春先生御著書『實相と現象』より」
「月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる[10]、という口実を付けて月が昇る(深夜2時頃)まで遊興に耽った。この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E8%A6%8B
阿弥陀様は何かと月にご縁があるようです。
阿弥陀信仰も正しい教えでありながら、法華の教えを信じる人からすると、邪教に見え、
「そんなものを信じているから国が危なくなる」と考えるようです。
でも先程から見て参りましたように、生長の家の万教帰一の教えがあると、その相反する宗教でもその真髄において和解出来ます。
大体明治時代は、神仏分離令が出たり、廃仏毀釈で仏像を谷底へ突き落したり、お坊さんにも祝詞を練習させたりの時代だったそうですので、マッカーサーが来て信教の自由を許されて喜んだ宗派もあるそうです。
ですから、生長の家の「万教帰一」が、我が国のみならず、世界平和のために、今後とても必要だと思います。
生長の家は、「万教帰一」の教義をとても大切にしたほうが良いと思います。
3437
:
縹
:2014/05/14(水) 00:57:35 ID:oeUx5MQw
補足:廃仏毀釈は途中で日本人自らが停止させたので、それはマッカーサーのお陰ではありませんが、事実として、マッカーサーを喜んだ宗派もあったそうです。
元々、日本は、神仏習合の国柄で、生長の家の万教帰一の風潮が外国よりは多くあったのだと思います。
それは素晴らしい事で、本当に日本の素晴らしい点だと思います。
聖武天皇様の時代の仏教にもみえますように、仏教の一番の権威が天皇様ということで、仏教がカルト化しなかったと思います。しかし、江戸時代には僧侶が腐敗して嫌われて、それもあり廃仏毀釈へと傾いたらしいです。
またもう少し調べさせて戴きますね。
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