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トーキングスティックボード
1863
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/06(日) 21:39:38 ID:/ZMBm87M
訊け様
ちょっと、PCをご確認下さい。
再度良くよんで返信します。
1864
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/06(日) 21:43:38 ID:/ZMBm87M
まだ、未読ですが、先に一応・・・
WEB誌友会と勉強会を切り離して考えています。これから、読みますね、
ここを押してくださいがフリーズして開かないのです。
いいの?こんなんで、順番が廻ってきて? な感じです。
1865
:
「訊け」管理人
:2012/05/06(日) 21:46:27 ID:???
>ユタカさま
PC確認&
>>1863
真意は了解してます。
おそらく貴殿側PCの不調が原因と思われます。送ったんですがねえ・・・
1866
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/06(日) 21:53:27 ID:/ZMBm87M
訊け様、
今、開きました。
すみません、書き方が悪くて全然意味が伝わっていないのですが、皆さんにも
そのように伝わっているのですか?
私は、WEB誌友会の司会者は持ち回りで、復興G様の勉強会は司会が要らない。
復興G様の勉強会は提供した資料で勉強するそして感想を書く。
そのあと、WEB誌友会 と考えていたのですが、もしかして、認識の相違があるかも
知れないので、確認して統一しないといけないですね。
司会の交代制は一致しています。あと、誌友会のことですね。
1867
:
神の子さん
:2012/05/06(日) 21:56:34 ID:9LdRpxjk
このスレッドはまもなくいっぱいになるので、新しい板を作ります。
新しい板の名称は「誌友会板」にしますが、もし、御希望が多い場合は、独立した誌友会専門の掲示板を作り
たいと思っています。他にも確認しなければいけない点はありますが、この点を皆様のご意見を募集したいと思い
ます。その場合、例えば、「連絡板」を作り、そこで誌友会の告知を行う事も思案中です。
合掌 ありがとうございます
1868
:
「訊け」管理人
:2012/05/06(日) 22:03:06 ID:???
>>1841
復興Gさま
ありがとうございます。未だ、ユタカさまご主張真意、未確認です。やや的外れな返答となるかもしれませんが、御許しくださいませ。
――――――――――――――――――――――――――――――――
一週間ほど部室板が雑談板として機能していなかったからと言って、今こ
こTSB板で誌友会運営についての論議がこれほど真剣に行われていると
き、なんで引っ越しさわぎをする必要があるのか、というのが私の思いです。
現に、部室板では有意義な雑談が始まっているではありませんか。
――――――――――――――――――――――――――――――――
説明致します。簡潔に申しますと「引越し」をするのは一部であります。
私の主張は、「運営」と「真理」の話に関して、「これを同一板上で行うのは困難ではないのか」、これになる次第であります。そして(私が投稿した時点では雑談のなかった)部室2板、「ここを使用するのはどうか」というものでありました。(さらに補足しますが、「命令だ、従え」というものでありません。意見を募集する、それが趣旨であります)
ただし、運営に関して結論が出ているのであれば(この点はユタカ氏真意を確認せねばなりませんが)、TSB板のみにて今後、その勉強会も可能なのかもしれません。なお、現時点に於いても「同一板上で、二種類の話を行っていくのは困難」との私見は、変わっておりません。ですが
>>1825
既述の如く、その方針で行くとなれば従います。わたし側の真意でありますが、これが正確に伝わることを祈る次第であります。今後とも、宜しくお願い申し上げます。
拝
1869
:
「訊け」管理人
:2012/05/06(日) 22:06:10 ID:???
>>1866
ユタカさま
いったん、ポイントを「箇条書き」にされることを、お勧め致します。ざっくりしたかたちでご主張を、箇条書きにされてください。
その後あらためて貴殿一連のご文章を読めば、真意理解につながるものと思います。
お手数ですが、宜しくお願い致します。
拝
1870
:
トキ
:2012/05/06(日) 22:11:08 ID:9LdRpxjk
>>1867
はトキです。ごめんなさい。
1871
:
うのはな
:2012/05/06(日) 22:12:27 ID:El6gIMAw
トキさん、訊け氏の読解力のないブログ仲間から、「うのはな」が誌友会を
仕切りだしたとデマを書かれているので、もうここで質問したりするのは最後にしたいと
思いますが、私が提案相談しているアク禁の件のことも今後視野に入れて掲示板運営されるように
お願いします。
中立を看板にする管理人らしく、訊け氏を増長させないでください。
それと、詳しく読んでないのですが、結局、部室版というのはこれからは
雑談版として機能しないんですか?確認のため書かせてもらいました。
1872
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/06(日) 22:29:42 ID:WwQrmNes
訊け様
① WEB誌友会は司会を交代制にする。(含む サポーター)
② 勉強会は「生命の實相」の内容に沿ったもの。
③ 復興G氏に勉強会の中心になって欲しい希望がある。
あと、自分の中判別できないもの多々あり。
1873
:
「訊け」管理人
:2012/05/06(日) 22:30:23 ID:???
>ユタカさま
今度、電話でお話し致しましょう。もう電話、これが一番効率が良いでしょう。
なお最近、「真顔ヴァージョン」でばかり書いておりますが、この「訊け」管理人、お察しのとおりかなりフザケタ野郎です。
マジメな話を10分すると、自動的に肩が凝るシステム、これが体内にビルドインされております。ですので、電話では・・・(中略)・・・よろしくお願い致します。
1874
:
トキ
:2012/05/06(日) 22:30:39 ID:9LdRpxjk
>>1871
ご心配をかけてごめんなさい。部室板は雑談板ですね。ただ、誌友会板は、別にした方が良いかな、とも感じたので
書いてみました。
うのはな様、ご意見をお願いします。
合掌 ありがとうございます
1875
:
「訊け」管理人
:2012/05/06(日) 22:38:02 ID:???
>>1874
トキ理事長
そうですね、部室板は雑談板ですよね。ですから、下記の規則は削除してあげてはいかがでしょうか?
もう、思いっきり書きたいという、そんな意気込みを感じる方もおられます。
*生長の家の共鳴者を対象にしたスレッドです。下品な表現や特定の人物を侮辱する言葉はご遠慮下さい。
この規則さえなければ、たとえば「なにも言っていない」女子大生とかでも徹底攻撃、これが可能になりましょう?「自由な投稿」を求める方へのご配慮、お願い致します。
拜
1876
:
うのはな
:2012/05/06(日) 23:05:29 ID:El6gIMAw
女子大生かどうかさえ、立証されていませんが、訊け氏がここで他の方から
苦情がくるぐらいのシモネタ漫才ぶりや、他の掲示板との裁判に訴えてやりたいとか
いう文や、谷口雅春に訊けブログコメント者たちの文もよく読んでから考えたほうがいいと思います。
奥さんや近辺の女性の意見を聞いてみるのもいいかもしれません。
1877
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/06(日) 23:58:53 ID:2RwSu2Jk
訊け様
電話?? 個人的な付き合いはいやじゃ〜〜〜〜ぁ〜〜〜(笑)
トキさん〜〜〜たすけてぇ〜〜〜(笑)
↑↑ ウソウソ・・・今度宮崎まで行って会ってあげますよ。。。。(笑) 惚れんなよぉ〜〜!(冗談)
1878
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/07(月) 06:41:15 ID:SpRTwo4U
訊けさま
>>1720 と
>>1750 :トキ:2012/05/04(金) 17:34:38 ID:Xtke8G9s
こんにちは。「仁義なき日本沈没」ー東宝VS東映の戦後サバイバル、という戦後の映画史の本を読んでいたら、黒澤明の映画作りの
説明がありました。彼は、映画を作るに当たっては、スタッフと徹底的に相談をしたそうです。ですから、ここでも、相談の上で決めましょう。
誌友会については、従来開催通りの開催とするが、開催の時間や時期については、参加しない人の意見もよく聞いた上で決める、という
意見が多いみたいです。誌友会の司会の件ですが、小生の場合、突発的に用事が入る場合があるので、その場合を考えると、少し躊躇して
しまいます。ごめんなさい。
訊け様 私のごちゃごちゃ意見のまとめ
@ トキ様が従来通り開催するとここで仰っていたので、そういう方向で自分では基本進行している・司会は交代制。
@ 前夜祭で「生命の實相」の資料を使用して勉強会をしようとした。
@ 復興G様に中心に立ってほしくお願いして撃沈・司会者はOKとのこと。
ということですが・・・
>1720・>1750トキ様は一貫して従来の形通りでやっていこう、それで、誌友会の板を独立するかどうかと仰っているのですが、
それなのに、私達が、よく話し合ってという言葉に甘えて、勝手にいろいろ言っているだけで、本当に申し訳ないので、トキさんの仰っていることに従いましょう。
司会交代も一人に負担がかかるといけないのでそういう形にしてくれているのでそれでいいと思いますが、
私が司会したら1時間に一言くらいしか出て来ませんが・・・・
1879
:
志恩
:2012/05/07(月) 06:59:52 ID:.QY5jUA6
ユタカさま
復興G様が、ご自分が中心に立つのではないといわれた意味は、光明化運動というものは、(人間が中心に立つのではなく)神意が、中心に立つのだからという意味であり、
力にならない、ということを言われたのでないですよ。
中心的ということでなく、補助的な感じなら、してもいいですよ。とユタカ様の純な熱意にほだされて、協力の姿勢を申されたのです。
沈没する必要は、ありません。
ですから、ユタカ様が描かれているように、今後は、復興G様に相談されながら、進行されたら、いいのではないでしょうか。
1880
:
復興G
:2012/05/07(月) 08:02:23 ID:ojEbkDH2
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
皆々様。
合掌 ありがとうございます。
あの、私は前にも言ったことがありますが、「人為」より「自然」がいいと思う。「中心者」でも、「決める」ことはしなくてもいいんじゃないか、自然にある人の発言をみんなが傾聴し、ある人の影響力が大きくなる、ということはあっても仕方がないでしょうが……。
誌友会の内容も、「拡大する」より「深める」というか、「おのずから深まる」のがよいように思う、と言ったことがあったと思いますが、後夜祭をするなら、さわぎたてるよりも――と、思い浮かんだことですが――
4月14日、第1回のWEB誌友会終了直後に、a hope 様が
――――――――――
>>1955
:a hope:2012/04/14(土) 23:39:35
投稿が、みなさまについていけなくてすみません。
転倒妄想 ― 物事に対する逆さまの誤った判断・信仰・確信などをいう。悪はないのにあると思うこと。
こう、頭注にありました。
転倒妄想を去らしめ、人類生活の全面を光明化するために「生長の家」が出現したのですよね?
なんか、今の「生長の家」の現状を拝見していますと、この転倒妄想ばかりのようにも思えてしまいますが...
わたしがそう感じてしまうのも、転倒妄想なのでしょうか?
――――――――――
と書き込んでおられました。
これは、後夜祭の話題として、とても注目、傾聴すべき、と言いますか、考えると面白く、この公案によい回答が出れば、すばらしい光明生活への展望がひらけてくるのではないか――ということが、思い浮かんできました。
どう思われますか?
1881
:
復興G
:2012/05/07(月) 11:30:18 ID:ojEbkDH2
>>1880
の回答に、よいヒントになるご文章を、聖典板にハマナス様がアップされていますね。
ありがとうございます。
私はこれから出かけなければならないので、あとはまた夜に。ありがとうございます。
合掌
1882
:
志恩
:2012/05/07(月) 15:08:47 ID:.QY5jUA6
復興Gさま
1880,
1881dで,復興G 様の書き込み、ハマナス様、ahope様、訊け様のコメントも,拝見しましたが、
では、今後、生長の家の事に対して、具体的に、どのように思い、どのように行動していったら、
よいのか、ただ、神に全宅して、雅宣先生が、聖経を書き換えようが、なにしようが、悪はないのだから、それが、よくなることだと
信じて行けという意味なにか、
転倒妄想ー物事に対する逆さまの誤った判断、信仰、確信などをしてしまっているのは、どう見ても、雅宣総裁先生ですのに、
其れに対して、どう思われているのか
復興G様は、具体的に,今後、生長の家の信徒は、どのように生きて行ったら、いいのか、
畏れ多いことでございますが、ご真意がわかりませんので、教えていただきとうございます。
1883
:
志恩
:2012/05/07(月) 17:36:12 ID:.QY5jUA6
ahope様が、1955で,言われた
>>。。。頭注版にありました。
転倒妄想をさらしめ、人類生活の全面を光明化するために「生長の家」が出現したのに、今の「生長の家」の現状を拝見していますと
この転倒妄想ばかりのようにも思えてしまいます。<<
のコメントにつてですが、
仲良くするものとは、われわれ一人一人が、法燈継承した生長の家の「神意」でありますから、
現象的に見て、遣りたい放題やってる行為=神意に反する行為 をするものとは、「愛する」などという偽善的な言葉に甘んじて、断じて妥協しては、ならないと思います。
本来の生長の家を蘇らせようと、数々の発言をしている方達は、教えに反しているのでは、ありません。
和解しているのは、「神意」であり、雅宣総裁の奥の院に隠れてしまってはいますが、奥の奥に存在する実相を念じながら、愛の行為をし、和解の行為をして
いるのです。
今、神神の進軍の皆様方が、栗でいえば、峻厳な愛という名の金槌で、とげとげの汚いイガの部分を打ち砕き,中身の、美しい実相を取り出している過程にあるのだと,
私は、そのように以前、復興G に教えていただいた祈りを朝夕、実行しながら、
神に全托してその上で、確信し、発言もさせて頂いております。
1884
:
復興G
:2012/05/07(月) 22:19:10 ID:ojEbkDH2
>>1882
:志恩様。
ありがとうございます。
今夜はまだ別の仕事がありますので、くわしくは明日お返事させて頂きます。しかしひと言で言えば、生命の真理の一番基本、原点に立ち還ることが最重要で、その基本は「生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります」というお言葉の中に、あると思います。
>転倒妄想ー物事に対する逆さまの誤った判断、信仰、確信などをしてしまっているのは、どう見ても、雅宣総裁先生ですのに、……<
――「立ち向かう人の姿は鏡なり」というのが御教えではなかったでしょうか。
ありがとうございます。
1885
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/07(月) 23:08:40 ID:p7JJS29E
復興G様
公案を有難う御座います。
ユタカもあれこれ聖典を開いて勉強中ですので、時間を戴く事ができますか?
直ぐに正解はされないで、答えを自分なりに導けるまで、もう少し時間を下さい。
2〜3日位いただけませんでしょうか? よろしくお願いします。ですが、もし、明日が答え合わせでしたら自分はなるべく見ないようにします。
自分の解答が出てからここを開くとします。
では、そういうわけであれこれと聖典を開くつもりでしたが、原点に戻るがヒントですね?!
有難う御座いました。合掌 感謝
1886
:
志恩
:2012/05/07(月) 23:16:13 ID:.QY5jUA6
復興Gさま
「立ち向かう人の姿は鏡なり」とは、身近に接する家族や職場の人のことでは、ないのですか?
たとえば、北朝鮮の将軍様、政治家、世の中には、大勢の,あり得ないと思えることを為す方達が,居ますが,それらの方達が、悪いことをすることも
すべて、「立ち向かう人の姿は鏡なり」なんですか?
1887
:
志恩
:2012/05/07(月) 23:18:59 ID:.QY5jUA6
復興G様は、原点に帰られてとおっしゃいますが、
具体的に、今後、どのように思われ,行動されていかれるのでしょうか?
1888
:
志恩
:2012/05/07(月) 23:32:27 ID:.QY5jUA6
復興Gさまは、
雅宣総裁先生が、雅春先生の教えを,どんどん自分流の替えて行ってしまう事も、立ち向かう人の姿は鏡也ということで、
復興G様は、
ひたすら今後も「実相独在」と実相を祈られる事は、私も,復興G様を見習ってさせていただいている祈りがございますから、
その点は、理解出来ていますが、
では、具体的に,今後、彼の行いについて、どう思われ、どう、対処されていくのでしょうか?
全てを、認めて生きて行かれるということですか?
1889
:
ハマナス
:2012/05/08(火) 09:27:46 ID:u5mC.eb2
復興G様、志恩様
おはようございます。お邪魔いたします。
復興G様が、
> 「立ち向かう人の姿は鏡なり」というのが御教えではなかったでしょうか。<
と、お書きになっています。
同じテーマのご文章を今日の引用板に謹写させて頂きました。
相手の攻撃は自分の鏡 (『新版 生活の智慧365章』P.146より)
「与えよ、さらば与えられん」と「ルカ伝」に教えられている心の法則は常に働いて
いるのである。金銭を与えるだけではなく、他の人に対して信頼を与えれば、信頼が与え
返されるのである。愛を与えれば愛が与え返される。賞讃を与えれば賞讃が与え返される。
他の人の攻撃の言葉に対して、攻撃を与え返したのでは、攻撃と争闘とは更にひどくなる
だけである。憎しみに対して、愛を与え、批判に対して感謝を与える雅量をあらわすのが
本当の“神の子”である。もっとも攻撃の手ひどい相手ほど、自分にとってよき反省を
与えてくれる諫言(かんげん)であるのである。
自分の眼が自分自身の眼を見ることができない、自分の眼を見ようと思ったならば
鏡に向かって相対しなければならない。自分を非難し、攻撃する人は自分の鏡となって、
自分の欠点に照明を与えていて下さる人である。時には微細なとるに足りない自分の
欠点を顕微鏡的に拡大して下さる親切な相手もある。素直にそれを忠言として受ける
ことによって、あなたの魂の進歩があるのである。
感謝合掌
1890
:
復興G
:2012/05/08(火) 09:35:20 ID:ojEbkDH2
>>1885
:ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>公案を有難う御座います。
ユタカもあれこれ聖典を開いて勉強中ですので、時間を戴く事ができますか?<
ありがとうございます。
今、このトーキングスティック板、「自然法爾に」日時を限らないミニWEB誌友会みたいになってきました。これはこれで、神ながら、神導きのまにまにで、よろしいのでしょうね。
「信徒一人一人が法燈継承を」というのは、公案に対して一人一人が真理に照らして正しい解答を出す、ということでしょう。正解は必ずしも現象界の特定の言葉や形ではない。それは「親指を竪(た)てる」だけで正解の表現であることもあるけれど、ただ形だけ真似たのでは駄目なんですね。
>直ぐに正解はされないで、答えを自分なりに導けるまで、もう少し時間を下さい。<
ありがとうございます! 感謝 合掌 拝
1891
:
復興G
:2012/05/08(火) 10:29:57 ID:ojEbkDH2
志恩様。
昨夜からたびたびにわたるコメント、ありがとうございます。
このテーマについては、組織板・女子会板など複数の板にまたがって投稿が行われているようですね。組織板でも「訊け」さんとのやりとりが活発に行われているようですし、女子会板の<1298>金木犀様コメントも、そうでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<女子会板>1298 :金木犀様2012/05/07(月) 21:47:24
志恩様、全く同感です。一度でも雅春先生の教えに触れて、感激した経験があるなら、生長の家は魂のふるさとであり、それは教団に属していようといまいと、そういうこととは関係なく、雅春先生の思いに応えたいという気持ちがあります。だから、雅春先生とは異なる主張に教団が変化するならば、それは耐え難いものがあり、それは違うと言いたくなります。
雅宣総裁の実相を見る見ないとは関係なく、雅春先生の教えと違えば、それを何とか正さねばと思うのは、師にたいする弟子としての誠意の問題である気がします。
だから、教団が変わらないならば、雅春先生の正統な教えを受け継ぐべく、別派を立ち上げるのは当然であり、そうしないと、失われていく儘に放置することになり、弟子として、法灯継承したことにならないと思います。
問題は、今の時点で、どうやって雅春先生の教えの一滴もこぼさずに後世に伝えることが出来るかの工夫ですね。これに関しては、ほんとに住吉の大神に頼るしかないのではという気がします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
上記、金木犀様が「住吉の大神に頼るしかないのではという気がします」とおっしゃる「住吉大神」は、外にいらっしゃるのではなく、わが内に今此処にいらっしゃるのですね。
内なる住吉大神に全托する、というのは、”使命感に対して、唯「ハイ」と従って実行する、ということになるのでしょう。
さて、志恩様。
>「立ち向かう人の姿は鏡なり」とは、身近に接する家族や職場の人のことでは、ないのですか? たとえば、北朝鮮の将軍様、政治家、世の中には、大勢の,あり得ないと思えることを為す方達が,居ますが,それらの方達が、悪いことをすることもすべて、「立ち向かう人の姿は鏡なり」なんですか? <
の答えは、ひと言で言えば、「その通りです」となりましょう。まずは、聖典から谷口雅春先生のお言葉を繙いてみましょう。ハマナス様も、上記<<1889に、適切なご教示文を謹写紹介してくださっていますし、なお
『新版 真理』7巻p.16-17
『新版 叡智の断片』p.35-37, p.127, p.330-331
などに、根本的なお教えがあります。「聖典引用板」に、謹写投稿させていただきましょう。
その後に、私のお返事を書かせて頂きます。
1892
:
復興G
:2012/05/08(火) 15:51:18 ID:ojEbkDH2
志恩様。
合掌 ありがとうございます。
聖典板<613・614・616・617>に、「立ち向かう人の姿は鏡なり」の真義、奥義に超入する谷口雅春先生の深いご教示文を、謹写、アップロードさせて頂きました。謹写させて頂きながら、こういう至上最高の御教えに触れることが出来た身の幸せを、しみじみありがたくかみしめ、感に堪えております。
そして、こういう作業に駆り立ててくださった志恩様に、深く感謝しております。
志恩様は、そういう役割を神から割り当てられた尊い使命を持たれた方であると、礼拝感謝させていただきます。
そしてまた、谷口雅宣総裁についても、今、真に神の国を地上に実現するためになくてはならぬ役割を与えられ、その使命を果たすべく現れていらっしゃる方ではないかと拝するのであります。
金木犀様が、<<1164で、
>私は分裂したことは悪いことではないと考えます。これは生長の家がより発展する可能性がでてくるものだと思います。(中略)私は、こういうことでもなければ、分裂も出来なかったのではと思うと、もしかしたら、総裁先生は、分裂させるために現れて下さった観世音菩薩ではないかと、ふと思ったりもするのです。
出来れば、もう一度教団には原点の思想に帰ってもらって、今度はお互い連携しつつそれぞれ個性を生かした運動をしていけたら理想的ではと考えているのですが。どうでしょうね。<
と、書かれていましたね。
私は、信仰/体験板<331>で、
<総裁谷口雅宣先生は、まことに偉大なる使命をお持ちになり、自己の信念を貫いていらっしゃる、超人的なお方であるとご尊敬申し上げます。偉大なる谷口雅春先生の遺された大教団を率いる中心者として、われわれ凡人には想像もできない重責にあって、信念を曲げることなく生ききっていらっしゃるのですから。
谷口雅宣先生が今、あえて今までの生長の家を否定するようなことをおっしゃるのはなぜか。それは、谷口雅春先生が「皆さんはイエスと同じ神の子である。皆さんが谷口雅春である」とおっしゃっても、なかなかそれを実感として体得することは難しく、私たち信徒は『生命の實相』の本や谷口雅春先生に頼り切っていた。その信徒を本当に目覚めさせる使命、役割を持って、あらわれていらっしゃるのではないかと、私は思います。
その重大な使命感に従い、いかなる困難にも屈することなく信念を貫いていらっしゃる総裁谷口雅宣先生に、心からなる感謝を捧げます。>
と、書きました。
今も、そう思っています。
<つづく>
1893
:
復興G
:2012/05/08(火) 15:52:08 ID:ojEbkDH2
<つづき>
また一方、「本流」を名乗り、総裁と教団に弓を引くような形になっていらっしゃる方たちも又、尊い役割を与えられ、使命に邁進していらっしゃるのでしょう。
そして、現状は互いに相手方を「悪」としてなじり合い、『生命の實相』の出版権をめぐっては裁判に持ち込み戦っておられるのですね。
これは、生長の家人類光明化運動の重大危機、とも見られるけれども、「危機はチャンスである」とも言われます。危機をチャンスに変え、災いを転じて福と成すことが出来るかどうか。
総裁と信徒とは、互いに鏡のように己れの姿を写し合っているようなものではないでしょうか。
皆様のご感想を待ちます。
ありがとうございます。
感謝 合掌 拝
1894
:
a hope
:2012/05/08(火) 19:44:47 ID:kcv2QXTk
みなさま
わたしが、ゴールデンウィークに閲覧をお休みしている間に、web誌友会について、
たくさんのお話合いをしてくださっていたのですね。
ありがとうございます。
わたしに何がお手伝いできることがあるかどうかわかりませんが、
web誌友会にも勉強会にも時間の許す限り、積極的に参加させていただきたいと思っています。
また、復興Gさまが、
>>1883
で、前々回のweb誌友会でのわたしの発言を取り上げてくださっていています。
ありがとうございます。
――――――――――
>>1955
:a hope:2012/04/14(土) 23:39:35
投稿が、みなさまについていけなくてすみません。
転倒妄想 ― 物事に対する逆さまの誤った判断・信仰・確信などをいう。悪はないのにあると思うこと。
こう、頭注にありました。
転倒妄想を去らしめ、人類生活の全面を光明化するために「生長の家」が出現したのですよね?
なんか、今の「生長の家」の現状を拝見していますと、この転倒妄想ばかりのようにも思えてしまいますが...
わたしがそう感じてしまうのも、転倒妄想なのでしょうか?
――――――――――
わたしは、「生長の家」の組織に属していた期間も短く、活動・運動の経験もほとんどありません。
ただ、純粋に「生長の家の教え」が大好きで、真剣に学びたいと思っているだけの新入生なのです。
上の発言は、そんなわたしが、現教団や、「学ぶ会」さまや「ときみつる会」さまなどの本流と言われているような、
すべての「生長の家」関係の現状を拝見して感じた、率直な感想なのです。
ですから決して、本流の先輩方のされていることのみを、批判するつもりで
発言したのではありませんので、そこのところはご理解いただけるとありがたいです。
このことに関しては、わたし自身も、ハマナスさまや復興Gさまの聖典引用板の書き込みや、
他の板でのみなさまの書き込みを拝見して、もう一度じっくり考えてみたいと思います。
1895
:
復興G
:2012/05/08(火) 20:24:04 ID:ojEbkDH2
志恩様。
>>1887
>復興G様は、原点に帰られてとおっしゃいますが、具体的に、今後、どのように思われ,行動されていかれるのでしょうか? <
というご質問に、まだお答えしていませんでしたね。
究極の夢は、「和解」です。「分裂」が究極の神の御心だとは思えないからです。
第1回WEB誌友会のおみくじで、私は
「龍宮の席に座った人・・・・・・・・天下無敵 / 神の恵みきたるとき、一切の争いは止み、すべての戦いは停止し、いにしときの敵と味方とは手を挙げて平和をほめたたう。」
というお言葉を頂きました。これは、本当に神様から頂いた御言葉だと思っています。
〜〜〜〜〜〜〜〜
昨日は、ある勉強会に行ってきました。
東京の「六本木ヒルズ」といえば、知らない人はいないでしょう。まだ行ってみたことはない方もあるでしょうが……
その六本木ヒルズの開発建設に深く関わった、生長の家地方講師T氏(88歳)の体験講話を中心にした勉強会を開いたのです。
六本木ヒルズの地は、かつて約500世帯が暮らしていた、東京都心に近い港区の一等地です。森ビルの社長 森 稔氏は、ここを再開発する夢の計画を立て、昭和61年(1986年)に話し合いを始めた。地権者の数も多く、それぞれ自己主張があって話し合いは難航し、計画の立案後にバブル崩壊、反対派住民による抵抗など紆余曲折があり、完成までに約17年の歳月を要した。
その間、会合を開いたが利害の対立・衝突のため話し合いが一歩も進まないような状況が生じた時があった。その時、T氏が発言を求め、次のように言った。
「皆さん、チャンスの神様はいつも訪れています。しかし、その前髪をつかまなければ、後頭部には髪の毛がないので、つかまえることができないと言われています。今、そのチャンスの神様が訪れているんです。このままの状態にとどまるか、夢の実現に向けてこれをチャンスととらえるか。それをつかまえるかどうかは、皆さん、私たち一人一人にかかっているんです。」と。
その発言に、一同、強硬な自己主張をしていた人もしばし黙って、静まりかえったそうです。それから、困難だった合意へと進み始め、17年かかって、ついに夢は実現した。
森ビルの社長だった森稔氏(一昨年亡くなられた)が、先年「こころの玉手箱」として日経新聞夕刊のコラムに、
「龍となれ 雲自づから来る」
と書かれた武者小路実篤氏直筆の色紙を大切にしていることを書いておられました。その意味は、
「龍は天高く昇り、その眼は遙か遠くまで見渡す。孤立しているように見えても、高い志で理想を説き続けていけば同志は自然に集まってくる」
ということだと、森氏は解釈している、と書かれていました。実際に森氏はアークヒルズ開発の時も20年もかかって地権者一軒一軒声をかけ、合意を取り付けていったが、その間、都の幹部から「まとまったところだけでやればどうか」と言われ、「当り前のビル開発のために頑張っているのではない」と言い返したら「あなたは理想主義者だ」と言われたこともあるそうです。
<つづく>
1896
:
復興G
:2012/05/08(火) 20:24:59 ID:ojEbkDH2
<つづき>
私は、今でも「青年会の歌」・「生高連の歌」の歌詞に記された谷口雅春先生の夢、神様の夢を実現したいと思っているのです。
生長の家青年会の歌
谷口雅春・作詞
一、ひのもとの 若き生命(いのち)は
神の子の さきはえうけて
神国(かみくに)を あまつかなたの
はるかなる 夢のくにより
このよなる うつしのくにに
美しき 神の構図を
もちきたす 使命うけきて
雄々しくも 今立ち上りぬ
二、大いなる みてに抱かれ
悦びに 胸打ちふるえ
若人の いやすすみゆく
ゆくさきは 唯光のみ
若人の いやすすみゆく
ゆくさきは 闇はきえゆく
ひのもとは ただ光のみ
ひのもとは ただ光のみ
三、燃えあがる 光の如く
もえさかる 若葉の如く
ひたぶるに わかき生命は
神の子の 御智慧今うけ
神の子の 力いまうけ
風はらむ 帆舟のごとく
国おこす いしずえとして
今たちぬ 生長の家青年会
○
生長の家高校生連盟の歌
谷口雅春・作詞
一、日出ずるくに たぐいなき
六合を兼ね 連邦の
みやこを ひらき八紘は
兄弟なりと 宣言し
神武建国 三千年
二、この国日本 高ひかる
やまとの国に 生を享け
大和の理想の 実現に
精進せんと 溌溂の
わかきいのちの 高校生
三、正大の気を 神に享け
大和の理想 国に享け
愛国の情 父に享け
人類愛を 母に享け
光明思想を 師にまなび
四、われら青年 けがれざる
わかきいのちを 純粋に
民族の使命 実現に
邁進せんと 集まれる
聖愛の使徒 高校生
五、われら日本に うまれたる
民族の使命 わすれずに
正をやしない 皇国(すめくに)に
身を献げんと ちかいたる
愛国の使徒 高校生
六、おお日のもとに 生を享け
みことの自覚を 祖神(みおや)より
承け嗣ぎ来りし 悦びを
宣(の)べ伝うべき 選士たち
真理の御子われ 高校生
七、こころあかるく 身を清く
悦びを宣べ世 を照らし
光輪卍字(こうりんまんじ) 十字架の
万教帰一の 旗のもと
平和の真理を 宣べんかな
平和の真理を 宣べんかな
1897
:
復興G
:2012/05/08(火) 20:37:35 ID:ojEbkDH2
>>1894
:a hope様。
>復興Gさまが、
>>1883
で、前々回のweb誌友会でのわたしの発言を取り上げてくださっていています。
わたしは、「生長の家」の組織に属していた期間も短く、活動・運動の経験もほとんどありません。
ただ、純粋に「生長の家の教え」が大好きで、真剣に学びたいと思っているだけの新入生なのです。
上の発言は、そんなわたしが、現教団や、「学ぶ会」さまや「ときみつる会」さまなどの本流と言われているような、すべての「生長の家」関係の現状を拝見して感じた、率直な感想なのです。
ですから決して、本流の先輩方のされていることのみを、批判するつもりで発言したのではありませんので、そこのところはご理解いただけるとありがたいです。<
私ははじめから、a hope様のお気持ちはそういうことでしょうと思っていましたよ。しかし、思わぬ方向へのやりとりが始まってしまいました。純粋なa hope様のお気持ちに反するような議論が始まってしまって、申し訳ありませんでした。許してくださいね。
感謝 合掌 拝
1898
:
a hope
:2012/05/08(火) 22:34:01 ID:kcv2QXTk
>>1897
復興Gさま
掲示板で発言するということは、誤解されることもあるのだというのは、
じゅうぶん承知していますので、まったく気になさらないでくださいね。
誤解されたら誤解を解けばいいだけの話ですし、誤解したりされたりを恐れていたら、
なにも発言できなくなってしまうと思います。
それに、わたしは、ほとんどみなさまの活発なお話合いについて行けないので、
このような形で、わたしの発言を取り上げていただけてとてもうれしく思っているのです。
だって、みなさまが一緒に考えてくださる機会をいただけたわけですから...
本当に、心から感謝しているのです。 合掌。
1899
:
ももんが
:2012/05/09(水) 02:11:59 ID:XXCuaQns
復興G様
志恩様
他の皆様へ
夜分、遅くに、こんばんわ。合掌、拝。
先日は、志恩様に、おかれましては、井上如水先生の素晴らしい、お話、ありがとうございました。心より、感謝いたして、おります。
さて、復興G様も、志恩様も、古の生長の家を良く知っておられる事とと、思い、そのことを聞くのは、楽しいこともあります。
いま、掲示板の皆様も、復興G様も志恩様も『生命の実相』が、教団では、使われないのでは、と、大変心配されているようでありますが。
確かに、トキ様など、内分に詳しい方の情報から、不安なのでありましょう。
しかし、私は、教団の練成会へ参加して練成会で”生命の実相“の『輪読会』を毎回している事実や。
原宿本部の講習会の月例にも、『生命の実相』をテキストにされているのに?
何故、『この掲示板の一部の人が言う教団は、生命の実相をテキストにしない』なんて、『偽り』を言うのか、理解に苦しむのです。
教団では、現在も『生命の実相』をテキストにして、こうしたことをしてます。
疑うより、自分の目と、耳で、一度、体験された、安心される事でしょう。
U道場でも、T道場でも、N道場でも、好きなところへ、一度、行かれた、如何で、ありましょうか。
勿論、私の所属先の誌友会は、昔から『生命の実相』の輪読会と神想観専門です。
では、お話の参考資料として、お使いください。
では、復興G様、志恩様、皆様、おやすみなさい。合掌、拝。
1900
:
志恩
:2012/05/09(水) 03:56:15 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、
そして、皆様、ご丁寧な返信、大変光栄に存じております。
復興Gさま始め、皆様のご愛念によります謹写や書き込みを、昼間は、忙しくしておりましたので、
夜中に拝見しました。
復興G様、青年会の歌、生高連の歌も、書いて下さいまして、大変うれしく存じました。
①辛口系のお返事になりますので、こころ苦しいのですが、
私の正直な気持ちを申し上げれば、【総裁と信徒は、合わせ鏡】などという、皆様方の真理についての発想は、私は、”真理の悪用”としか残念ながら考えられません。
以前、本流掲示板に私が同感した投稿文が載っていましたので、さきほど、探して見直してまいりました。
2011,09,29(木)(4725)投稿者ー佐藤雅人様というお方の「実相独在という真理の名を借りて」という投稿文です。
『雅宣総裁の行いを批判する人に対して、「実相を拝せ」という真理を持ち出す人がおりますが、
その趣旨の主張は、
信者が 総裁を対象に言う話ではなく、
総裁が、信者に対して教える話であります。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
その倫理は「実相独在」という真理の名を借りていますが、
それは、真理の名を悪用する内輪の嘗(な)め合い、内輪の倫理でしかなく、
実は、真理の道に反し、世間に通用する倫理でもありません。
以下略 』というものです。
②【悪に抵抗するな】、という真理も、個人が自分自身に関わる問題を解決するための真理だと,私は、思っております。
たとえば、自分が病気にかかったときなどの、心構えとかに自分自身を諌めるために。。
われわれは、現実を生きております。
「実相と現象」とは、実相を朝夕真摯に祈りながら、現象をしっかり、見極めて、解決に向かって行動する事だと思います。
悪に抵抗しなかったら、尖閣諸島も、悪の国の中国の思いのままになりは、しませんか。中国に占領されてしまうではないですか。
日本国も、全部、中国に占領されてしまいます。
オレオレ詐欺という悪にも、抵抗が必須です。
だいたい、悪という性質は、あくどいのです。自然に真理を学べという言葉がありますが、芝生にはびこる悪い雑草も、見てみないふりをしていると、
一面に雑草が、はびこって、いい芝生が死に絶えて、悪い雑草だけが、生き残り、勝利の雄叫びをあげているのです。
雅春先生は、善人よ、強く成れとおっしゃいました。善人が弱かったら、だれも救えないからです。強くない、弱い善人は、善人とは呼ばないと、
雅春先生は、教えて下さいました。
③【唐松模様】で、雅宣総裁は、雅春先生の著書からの引用文を、よく使って書かれます。しかし、決まっているのは、必ず、その真理のことばを「四無量心」という言葉に
置き換え、だからそうでしょう、と、雅春先生の話と環境問題をつなげて、文を終わらせているのです。
つまり、ご自分のなさることを、正当化するために、雅春先生の文を引用されているのです。
つづく
1901
:
志恩
:2012/05/09(水) 05:05:02 ID:.QY5jUA6
〜つづき〜
④1892の復興G様のご文章の以下について、大変教えていただきました。
>>。。谷口雅宣総裁についても、今、真に神の国を地上に実現するためにはなくてはならぬ役割を与えられ、
その使命を果たすべく現れていらっしゃる方ではないかと拝するのです。<<
1893:復興Gさまのコメントの一部にも、賛同させていただきます。
>>。。。。。。。
これは、(本流と教団、相互の争いに見える行為)生長の家人類光明化運動の重大危機、とも見られるけれども、
「危機は、チャンスである」とも言われます。危機をチャンスに変え、災いを転じて福と成すことが出来るかどうか。<<
⑤1164:金木犀様の全文に賛同させていただきます。
⑥トキ様、ももんが様、
ハマナス様、ahope様、SAKURA様、ユタカ様の書き込み、拝見しました。
ありがとうございます。
⑦うのはな様が、謹写して下さいました鹿沼掲揚先生のご文章は、すごく為になりました。
子供を褒めてばかりじゃなくても「バカもの」みたいな言葉で叱っても、ひどいバカやとんでもないヤツに育つ人間は、ほとんどいないのは、
人間には、それぞれ神が宿っているから。。ほんとにそうだと感じさせていただきました。
⑧訊け君、
ご忠告、ありがとうございます。私は、凝り固まったように、悪にとらわれては いないです。朝夕、実相を、しっかりと祈り、祝福しながらの、行為です。
私は、私なりに、自然に浮かんで来る心の内なる神様さまからのメッセージをお話させて頂いております。
つづく
1902
:
志恩
:2012/05/09(水) 05:19:43 ID:.QY5jUA6
1901は、早朝神想観後に書かせていただきました。
生意気なことを言いましたので、お気に障ったら、お許しいただきたいのですが、
雅宣総裁が、雅春先生の著書を次々に絶版処分にしたことから、
生長の家の教えで、なくしてしまったことから、、、
その他のありとあらゆる彼の信じられないような様々な行為について、
それが、私の心の陰だとか、合わせ鏡だとか、どうしても思えません.
総裁が、勝手にやってることが、どうして、信徒のせいになるのでしょうか。
その考え方は、納得いきません。
ただ、こういうことがあり、今はネット社会に成り、情報が開示されてますので、
分派が発生しましたのも、神の恩恵であり、
このようなことで、みなさまとお仲間になれて、ディスカッションできることも
神の恩恵であり、
お互いが、言い争っていることも、あとになってみれば、
よくなるために、必要なのかもしれないと思っております。
1903
:
志恩
:2012/05/09(水) 05:43:23 ID:.QY5jUA6
他のK宗派の総裁が、秘書と不倫して、女狂いして、
奥さんともめて、奥さんを追い出したとかで、
しばらく前のこと、世間で話題になりましたが,
そのK宗派の総裁の蠻行は、K宗派の信徒の合わせ鏡、つまり、そこの信徒全員の心の陰であり、信徒の責任でしょうか。
1904
:
「訊け」管理人
:2012/05/09(水) 08:46:57 ID:???
>志恩さま
ご返信ありがとうございます。さて以下にて、「合わせ鏡」の件に関して私見を述べてみたいと思います。宜しくお願い致します。
なお、以下は特に、返信を要するものではございません。大好きな『生命の實相』に関し「わたしの考えをいったんまとめてみたい」、そんな熱に動かされての偏狂な代物です。貴女様に於かれましては是非、復興Gさまとのやり取りを優先して頂きたく思います。それでは以下が本文であります。
――――――――――――――――――――――――――――――――
雅宣総裁が、雅春先生の著書を次々に絶版処分にしたことから、
生長の家の教えで、なくしてしまったことから、、、
その他のありとあらゆる彼の信じられないような様々な行為について、
それが、私の心の陰だとか、合わせ鏡だとか、どうしても思えません.
総裁が、勝手にやってることが、どうして、信徒のせいになるのでしょうか。
その考え方は、納得いきません。
――――――――――――――――――――――――――――――――
ということで「絶版も信者の合わせ鏡」に関して一例を挙げます。ただし以下は主観の話です。以下のような断言を下すならば他方から、おそらく猛烈な反発も参りましょう。ですがこれ、避けては通れない点だと思いますので記します。
・・・たとえば「愛国論」について申せば、雅春先生の愛国書――この線に沿った投稿文(愛国論)は非常に「稀」だと思っております。つまり、多種掲示板への投稿文を拝読する限り、雅春先生の愛国論「とは違う」趣旨の文章(※1)、これを多々目にする次第です。この現象は、こう言い換えることも可能なのかもしれません。どんな言い換えかと申せば信者側に於いては〝雅春先生の〟愛国書、「既に絶版となっている」とも・・・雅宣総裁が絶版処分する前から既に、信者側では「マジメ」に「雅春先生の愛国書」を「読む」という熱意、既に喪失されていたのではないでしょうか。そしてその、熱意の喪失が一連の「絶版騒動」、そう解釈することは可能なのではないでしょうか。わたしの仮説が正しければ、まさに「絶版も信者の合わせ鏡」と申せると思います。つづけますがこの、「絶版も信者の合わせ鏡」、この点は『生命の實相』にも云えるのではないでしょうか。
これまた多種掲示板のご投稿文から判断する限り、の話ですけれどもこれ、たとえば「悪本来なし」という考え――生長の家の一大特徴ですが――これが実は「マイノリティの考え」になっております。この、生長の家を語る場に於いてすら悪本来なし、これが「マイノリティの考え」と化しておる現象です。この現象は上記の如く言い換えることができるのではないでしょうか。いやつまり、「信者側の心中に於いて」各種聖典・・・「既に絶版となっている」と。
拝
追伸
冒頭掲示の件、繰り返します。本掲載文は横切りの文でございますので特に、返信の要はございません。よろしくお願い致します。
<註>
※1 雅春先生の愛国論、「とは違う」趣旨の文章
具体例の掲載は、控えさせて頂きます。
※2 それは立派な「絶版活動」
『弟子像』に拠りますと、聖典への警鐘が記されております。代表例では吉田國太郎先生、同先生が警鐘を鳴らしておられるのが昭和29年でありますね。どんな警鐘かと申せば青年に向って、「君たち、旗を振る(愛国運動)のもよいが、『生命の實相』をもっと読まねばなりませんよ」――そんな発言されたことが榎本先生の筆で、同書に記されております。言い換えるならば同時期既に、信徒側に於いては熱意(聖典拝読への)、「既に喪失されつつあった」とも云えるのではなかろうかと。
やはり復興Gさまご主張のごとく、『生命の實相』に還ることが肝要だと思う次第であります。
1905
:
「訊け」管理人
:2012/05/09(水) 09:13:23 ID:???
<お詫び>
脚注※2に関してですが、対応文が見当たりません(笑)
いや、本文は作成していたのですが、投稿直前に緊急削除したのです。理由は「あまりに過激な主張だったから」というもの。ですので脚注※2に対応する文は、わたしの投稿文中には掲載されておりません。この点ご留意ください。
拝
1906
:
復興G
:2012/05/09(水) 10:13:11 ID:84pogn5s
>>1898
:
a hope様。
コメント、ありがとうございます。安心しました。感謝 合掌 拝
>>1899
:
ももんが様。
>いま、掲示板の皆様も、復興G様も志恩様も『生命の実相』が、教団では、使われないのでは、と、大変心配されているようでありますが。……しかし、私は、教団の練成会へ参加して練成会で”生命の実相“の『輪読会』を毎回している事実や。原宿本部の講習会の月例にも、『生命の実相』をテキストにされているのに?……<
私も誌友会で必ず『生命の實相』をテキストに使います。それがいけないなどというおとがめはどこからもありません。東京第一教区では、教化部長指導による『生命の實相』勉強会が毎月行われ、300人? もの人が集まっているとか。どなたか、『生命の實相』をテキストにすることが禁止された、というようなことをおっしゃっていたかと思いますが、教区によって、そんなところがあるのでしょうか。私は、ないと思いますが。
ただ、『生命の實相』の出版権が日本教文社からなくなり、今後品切れが多くなれば、光明思想社版を買わなければ『生命の實相』はなくなる、ということになるのでしょう。このことが、あらためて本当に『生命の實相』の真の価値を見直す好機になり、「大和解」へ踏み出すきっかけになればと、ひそかに期待し、祈るものであります。
>>1900
〜1903 :
志恩様。
率直なご感想、ありがとうございます。
「自分の外には何も無い。すべてが自分である。自分の内に全てがある。自分が神である」
というのが、根本真理であり、それが生長の家の御教えの「人間は神の子である」ということなのだと、私は信じております。そして、すべての人が神の子=神でいらっしゃる。神以外はないのである。だから、自分を拝み、すべての人を拝み、山川草木国土悉皆成仏と拝む。常不軽菩薩のように、たとえ石をぶつけられようとも、すべての人を礼拝して私は生きたい、と思っております。
ありがとうございます。
1907
:
復興G
:2012/05/09(水) 10:26:05 ID:84pogn5s
追伸です。
谷口雅春先生は「皆さんが神の子=神ですよ」と、『生命の實相』の本を通して、今も私たちを拝んで下さっているのです。
「ありがとうございます」と、その御言葉を素直に受け、私たちもまた、常不軽菩薩となって、自分を拝み、すべての人を拝ませて頂く。それが、「信徒一人一人が法燈を継承する」ことではないかと、今、思っています。
バンザイ! うれしいです! ありがたいです! ありがとうございます!
感謝 合掌 拝
1908
:
志恩
:2012/05/09(水) 13:35:30 ID:.QY5jUA6
復興Gさま
お返事、ありがとうございます。
>>「自分の外には何も無い、すべてが自分である。自分の内に全てがある。自分が神である」
というのが、根本真理であり、それが生長の家の御教えの「人間は神の子である」という事なのだと,私は
信じています。<<
とおっしゃられてますが、例え、石をぶつけられようとも、すべての人を礼拝して私は生きたい。
ともおっしゃいますが、
どなたも
復興G様に、そのようなことは、されないと思います。私の反論が、そのようにとられましたら、
心よりお詫び申しあげます。
1909
:
じっそおー
:2012/05/09(水) 18:15:54 ID:vsZYH/3w
流れ ぶった切って申し訳ありません。
訊け様
初めまして じっそおーともうします。
>>1661
:★「訊け」司会★:2012/04/28(土) 23:39:05 ID:???>何があろうと、よくなる過程であるから動揺するな、「今」が常に生命の生長するチャンスである、ということですね。
ですので「自壊作用」の概念を紹介くださった雅春先生には、もう感謝感謝な私です。
上記の件を読んで、ちょっと考えた事がごじます。
で、教えていただきたいのです。
実は私は昔、宇治の練成に行った事があります。その時に仲良くなった人といろんな事(悩み事等)をしゃべりあったのですが
その人は思春期に「わきが」が発症して以来、ずっと悩んでいてそれを解決したくて生長の家に入信したそうです。(御兄さんもわきがらしいです。)
「自分は神の子、そんな臭いにおいのする肉体ではない。」と思おうとしても
神の子の自覚は難しかったので、「もう感謝だけで行こう」
と思って一日に二〇〇〇回くらい「ありがとうございます」と唱えていたそうです。
が、10年たってもわきがはなくならず.....
で、練成に来た。と言ってました。
私が何が言いたいのかと申しますと、「わきが」が自壊作用として表れたとしても
そのわきがは、消えないのじゃないですか?
つまり、「自壊作用として表れる」「良くなる過程として表れる」という意味は
現れた後その悪い状態が、その後、もっと良い状態になる。というニュアンスを
含んでる。と思うのです。
しかし、このわきがだけでなく、表れてずーっと現れっぱなしの病気はいっぱいあります。
これはどう考えたらいいでしょう?
ひまなときで結構ですから
御返事くだされたらありがたいです。
1910
:
トキ
:2012/05/09(水) 19:09:22 ID:mZokqxfs
>>1909
じっそおー 様
ご投稿、ありがとうございました。
「久遠生命」の神示には、以下のようなくだりがあります。
”神が病気を治してみせるのは、肉体は心でどうにでも移り変わらせることが
出来るという事実を見せて、「体」は念の影だという真理をさとらせるためである。”
これは、私も何回も目撃したのですが、医者が見放した病気が生長の家の練成会で治った
事例は多数あります。同時に、治らなかった事例も確かにあります。しかし、人間から見たら
病気が治る、治らないというのは重大事ですが、神様から見たら、病気の問題よりも、魂の
向上のほうが大事ですから、その病気を治さない事が、その人の魂の向上のために必要だと
思われたら、病気をそのままにされる事はあると拝察する次第です。
なお、本当に真理が悟り、病気が完治する事例もありますが、病気を治す為に信仰をする
のでは、なかなか難しい場合もあると思います。ただ、私は、その人の事は直接知りません
ので、一般論としてだけ申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1911
:
復興G
:2012/05/09(水) 19:48:11 ID:84pogn5s
>>1903
:志恩様。
>他のK宗派の総裁が、秘書と不倫して、女狂いして、奥さんともめて、奥さんを追い出したとかで、しばらく前のこと、世間で話題になりましたが,そのK宗派の総裁の蠻行は、K宗派の信徒の合わせ鏡、つまり、そこの信徒全員の心の陰であり、信徒の責任でしょうか。<
「他人事」というのは一つもない、すべて「自分事」なのですね。K宗派のことも、他人事(つまりそこの信徒だけのこと)ではなく、自分のため、私たちのために、そういう姿を見せて何かを教えて下さっている、観世音菩薩のお姿と拝すべきものでしょう。
>「悪」を消滅する道は「悪」をみとめないことより始まる。闇をみとめながら闇を撲滅せんと欲しても、到底それは不可能のことである。(『叡智の断片』)<
闇を消すには、光を出せばよいのですね。光すなわち神を、神の心を出さなければ、「闇」(悪)を消すことはできないのですね。
ありがとうございます。
拝
1912
:
志恩
:2012/05/09(水) 20:50:27 ID:.QY5jUA6
復興Gさま
ご指導、感謝申し上げます。
これは、深い真理ですね。内省させて頂きます。礼拝
1913
:
復興G
:2012/05/09(水) 22:41:46 ID:84pogn5s
>>1909
:じっそおー様。
ご質問は「訊け」様宛てでしたので遠慮していましたが、「訊け」様からお返事がなく、トキ様もお答えがありましたので、私も思ったことを書かせて頂きます。
トキ様の
>>1910
のご指導は、まさにその通りであると思います。そして、こういう視点もあります――
その方は
>それ(わきが)を解決したくて生長の家に入信したそうです。……「自分は神の子、そんな臭いにおいのする肉体ではない。」と思おうとしても、神の子の自覚は難しかったので……<
ということは、「わきががある。これを何とかして治したい」
と、「わきが」を「ある」とみとめておられたとすれば、「認めるものが存在に入る」という心の法則によって、いつまでもわきがが消えなかったのかも知れません。
こんな体験談を聞いたことがあります。
ある方のお子さんが、額に大きなイボのようなこぶができていて、そのうち消えるだろうと思っていたが、いつまでも消えない。それで、「こぶが消えますように」と一心に祈って聖経『甘露の法雨』を熱心に誦げ続けたが、こぶはますます大きくなるばかりであった。それで、これはどうしたことでしょうかと講師に質問したら、講師は答えた。
「それは、“こぶがある、こぶがある”と心にしっかりとこぶをつかんで精神集中して聖経を誦げるから、心に描いたとおりにこぶが大きくなったのですよ。額に包帯を巻いて、こぶが見えないようにして、ただ実相の円満完全を念じ感謝の聖経をあげなさい。」
そう言われて、その通りこぶが見えないようにして、1ヵ月もただ感謝の聖経をあげていた。
そしてふと包帯を外してみたら、こぶはきれいに無くなっていた、という話です。
一つの例として、ご参考になれば幸いです。
ありがとうございます。
1914
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/09(水) 22:59:03 ID:Y36tJrpA
復興G様
谷口雅春先生は「皆さんが神の子=神ですよ」と、『生命の實相』の本を通して、今も私たちを拝んで下さっているのです。
「ありがとうございます」と、その御言葉を素直に受け、私たちもまた、常不軽菩薩となって、自分を拝み、すべての人を拝ませて頂く。それが、「信徒一人一人が法燈を継承する」ことではないかと、今、思っています。
バンザイ! うれしいです! ありがたいです! ありがとうございます!
感謝 合掌 拝
公案の答えは自分の中で出ていました。先日の神示の件で分かっていましたが、
人に伝える時はどうなのだろう。と考えながら、本棚を開けたとたん上段からファイルが落ちてきて、開くと、昔の聖使命新聞で谷口創始者先生の言葉が沢山掲載されていてどっぷり浸かっていました。今度謹写しますが、
本当に復興G様の仰るように、『神の子、神の子』と繰り返しあらゆる角度から仰っていらっしゃいました。
それを読んでいて、もう、こっちの事を忘れるくら良い気分になりました。 本当の「生長の家」の教えは素晴らしい!!!
本流の人は使命がありそれでよい。 本部もそれでよい。 自分が善悪を超える絶対善の位置にたつとすべてが善としか見えない。
生命の実相は光明社でそのうち全巻買えるし、しかも、戦後に生命の実相から落ちていた本の古事記と日本の使命などが世の中に出てきているのを考えると、やっぱり、バージョンアップし、さらに広がっていっている、これは、現象的にはアクドイことをしているが・・・「雅宣氏のおかげ」だと思うから、感謝する。私は。
自分はひたすら「神の子」の自覚を深めるべく精進したい。 全てが自分だからである。
以上が解答です。 いつか・・・後に聖使命新聞の謹写します。。。。この聖使命新聞最高でした!!!
有難う御座いました。 合掌
1915
:
じっそおー
:2012/05/09(水) 23:08:46 ID:vsZYH/3w
>>1910
トキ様
御返事下されて有難うございます。
>>”神が病気を治してみせるのは、肉体は心でどうにでも移り変わらせることが
出来るという事実を見せて、「体」は念の影だという真理をさとらせるためである。”<<
>>神様から見たら、病気の問題よりも、魂の向上のほうが大事ですから、その病気を治さない事が、その人の魂の向上のために必要だと
想われたら病気をそのままにされる。>>
上記読ませて頂きました。しかし、これに対してこういう文があります。(重箱のすみをつついてるみたいですみません)
<今でも生命の実相をよんで病気が治る事実を「神が癒やし給うのだ。」と考えてる人があるかもしれないが
神が癒やすのでなく、読めば心の目が開けて既に最初から健康であった自分の「実相」を見出すのである。
病気だとみえたのは人間の仮想でしかなかったのである。
もし、びょうきが実際にあって神が病気を治し給うのであったならば、何らかの事情で、神が直し給わない場合は
全能の神ならば治せば治し得るものを治さないのであるから、その治さないことに真意があるので、これはかつての
「ひとのみち教団」の教えのように「神のみしらせ」とみなければならないのである。
しかし、それは生長の家の思想ではないのである。
「神のみしらせ」の思想の中には「現象宇宙の実在」を肯定する思想と
「神そのものの中に聖暗とでもいうべき何らかの暗黒を内包している」という思想をふくんでいるのである。
即身成仏の真理 P 196
本当に重箱のすみをつついてすみません。
しかし、私が言いたいことがトキ様に伝わっておりません。
病気(わきが)は、ただ一つのたとえで言ったのです。
私が言いたいのは、訊け様の1661の文にある
:★「訊け」司会★:2012/04/28(土) 23:39:05 ID:???>何があろうと、よくなる過程であるから動揺するな、「今」が常に生命の生長するチャンスである、ということですね。
ですので「自壊作用」の概念を紹介くださった雅春先生には、もう感謝感謝な私です。
この上記の文の意味は、さっきも書きましたが「悪いことが現れてもそれは自壊作用である。これからその状態がもっと良くなるのである。」
というニュアンスがふくまれてるとおもうのです。
しかし、例えば(またわきがで説明させていただきますが)
例えば、わきがが発症します。それが自壊作用としてあらわれます。そのわきがが自壊作用としてあらわれて
さて、そのわきがは、何の良くなる過程なんだろう?。その後そのわきがは勝手に消えてもっと良い匂いの放つ体になるのでしょうか?普通わきがはなかなか治らないです。
ああ、変な説明になってしまいました。うまく説明できません。
要は、訊け様は何が起こっても「良くなる」と考えよ。といいたいのですよね。
そういう風に考えないと、自壊作用として起こった悪い出来事はそのままずーっと続いたりしますよね。
1916
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/09(水) 23:11:08 ID:Y36tJrpA
復興G様
本流の人は使命がありそれでよい。 本部もそれでよい。 自分が善悪を超える絶対善の位置にたつとすべてが善としか見えない。
全ては自分だから。と言うことも上記にあてはまると思いますが・・あと、観世音菩薩様も、自分の鏡と言うのも、現象にたって現状を見るか、
実相にたって現状を見るかで捉え方が全く違いますね。 私は、まだ自分が神だとハッキリ分からないのでG様みたいに拝めないので
生命の実相を熟読して学んでいきたいです。 チョット遅くなってもうこの話題終わってました。。。はははのは。。。
1917
:
じっそおー
:2012/05/09(水) 23:31:21 ID:vsZYH/3w
復興G様
御返事を下さって有難うございます。
1913を読む前に1915を書きこみました。
尊敬する復興G様とトキ様に御返事をいただけて感激です。
私は、信仰歴は長いですが現象無しがなかなか実感できません。現象をつかんでは悩んでしまいます。
生きてるうちに無理かも。と思うほどです。トホホ
でも、復興G様の実相独在の文などを読んで、心を一生懸命もりあげてます。
1918
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/10(木) 00:03:17 ID:VKNQFJKU
>心を一生懸命もりあげてます。
WEB誌友会で「生命のじっそおー」を一緒によんで盛り上がろーぜよ。
1919
:
ももんが
:2012/05/10(木) 00:48:04 ID:XXCuaQns
>>1906
復興G様
復興G様、丁寧な、お返事、ありがとうございます。合掌、拝。
まさに、言われるとうりであります。現教団においても『生命の実相』はテキストとして使われいるわけであります。復興G様の、御言葉をいただき、私も心強い限りであります。
《《私も誌友会で必ず『生命の實相』をテキストに使います。それがいけないなどというおとがめはどこからもありません。東京第一教区では、教化部長指導による『生命の實相』勉強会が毎月行われ、300人? もの人が集まっているとか。どなたか、『生命の實相』をテキストにすることが禁止された、というようなことをおっしゃっていたかと思いますが、教区によって、そんなところがあるのでしょうか。私は、ないと思いますが。
ただ、『生命の實相』の出版権が日本教文社からなくなり、今後品切れが多くなれば、光明思想社版を買わなければ『生命の實相』はなくなる、ということになるのでしょう。このことが、あらためて本当に『生命の實相』の真の価値を見直す好機になり、「大和解」へ踏み出すきっかけになればと、ひそかに期待し、祈るものであります。》》
この、掲示板の皆様の中には、現教団の、練成道場へ行かれたことさえない方も、いますから、現在の教団でのカリキュラムの実態を自分の想像だけで、言う人も、いることでしょう。
『生命の実相』を光明思想社版を使う、使わないは、別としてまして、
本部の講習でも、練成道場の輪読会でも、テキストに『生命の実相』を使うのは、真の真意は、それを大切にされてるからではと、思わされることがあります。
それと、復興G様も、ご存知と、思いますが、『電子ブック』が、現実味を帯びてきたようですね。
ライブラリーには、絶版本もありますから、電子ブックなら、『字も自由に拡大』しますから、いいですね。
絶版本も、蘇りますなら、このうえない、ことと、私は、思いなが、いつも、練成道場で、先生のお話に耳を傾けていおります。
復興G様、いつも、お心つくしの御言葉、ありがとうございます。また、よろしくお願いいたします。合掌、拝。
1920
:
神の子さん
:2012/05/10(木) 05:29:50 ID:K9V7MPMo
>>1919
どなたか、『生命の實相』をテキストにすることが禁止された、というようなことをおっしゃっていたかと思いますが、教区によって、そんなところがあるのでしょうか。私は、ないと思いますが。
↑ この人は生長の家非会員ではない。 学ぶ会でもない。 現状音痴の他流の人。
1921
:
神の子さん
:2012/05/10(木) 05:31:00 ID:K9V7MPMo
非会員でない→ 非会員。 訂正
1922
:
「訊け」管理人
:2012/05/10(木) 08:36:33 ID:???
>>1909
じっそおー様
こんにちは。毎日が〝自壊作用だらけ〟、「訊け」管理人です。今回のおもしろいお話しですが、よくぞ私に振って頂きました。この種のやり取りは、もう、大好物であります。私も勉強になりますので、宜しくお願いします。
なお、貴殿の疑問の所在が現在不明です。ツラツラと語っていきますが以下はおそらく、的外れな話になりましょう。この種の話、たぶん「一発回答」は不能でしょうから以後、やり取りを継続致しましょう。(問題の所在さえ判明すれば、復興Gさまやトキさまから「一転語」が飛び出すと思いますし)・・・・それでは以下、語って参ります。そして既述のとおり、現在の語る目的は「貴殿の疑問の所在」、これを明確にすることであります。宜しくお願い致します。
・・・さて本文に入る前に、この点に関しては答えを出しておきたいと思います。
――――――――――――――――――――――――――――――――
普通わきがはなかなか治らないです。
――――――――――――――――――――――――――――――――
この認識は、間違いだと思います。実例を挙げますが舞鶴の長村婦美子講師という方、この先生が「観普賢菩薩行法にての克服事例」、これを発表されておられる様です。やりとりを開始するにあたり、まあ、ご参考までにご高覧くださいますと幸いです。
●観普賢菩薩行法
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65635825.html
『詳説 神想観』133頁より謹写――
舞鶴にその人が部屋にいると異臭ぷんぷんするというようなひどいわきがのお嬢さんがおられて、舞鶴の長村婦美子講師に相談された。人間はそんな臭い匂いのするような肉体にあらず、物質にあらず、それはウソである。その〝ほんもの〟でないウソを〝ほんもの〟であると思っているのが迷いである。〝ほんもの〟は何であるかというと、人間は仏のいのちであり、普賢菩薩そのものである。普賢菩薩を前に述べたお寺にあるような、そういう恰好をした仏で、釈迦牟尼如来が説法された時代に観世音菩薩などと一緒に出現して説法を聴かれた、そういう菩薩であるというのは顕教的な、表れている表面的の解釈でありますが、密教的(密教というのは、お経の表面の意味の奥にかくされた秘密の意義を解する教えの意)に言うと自分自身が普賢菩薩そのものであるというわけです。すなわち「普賢」というのは「普(あまね)く賢い」――どこにもかしこにも充ち満ちている智慧そのものである。その智慧によって一切のものができている。宇宙のありとしあらゆるものはみんな法則によって支配されている。それが人間智慧によって解明できるということは、一切のものが智慧によってできているからである。それで、人間の身体は肉身にあらず、智慧身である。それを観ずるのが観普賢菩薩行法です。真言密教では、普賢菩薩を描いた掛軸を目の前一間位のところに掛けて置いて、それをじっと見詰めて精神統一して、その像がずっと自分の方へ入ってきて、自分自身が普賢菩薩であるというすがたを観ずるのであります。
さてこの観普賢菩薩行法をやんなさいと長村婦美子さんがお嬢さんにすすめ、長村さんとお嬢さんが向い合って神想観をしたところ、終るとたちまちその異臭ぷんぷんたるわきがが消えておったというような体験もあるのであります。
(つづく)
1923
:
「訊け」管理人
:2012/05/10(木) 08:38:22 ID:???
>>1909
じっそおー様(つづき)
それでは以下が、返信本文になります。
――――――――――――――――――――――――――――――――
私が何が言いたいのかと申しますと、「わきが」が自壊作用として表れたとしても
そのわきがは、消えないのじゃないですか?
つまり、「自壊作用として表れる」「良くなる過程として表れる」という意味は
現れた後その悪い状態が、その後、もっと良い状態になる。というニュアンスを
含んでる。と思うのです。
しかし、このわきがだけでなく、表れてずーっと現れっぱなしの病気はいっぱいあります。
これはどう考えたらいいでしょう?
――――――――――――――――――――――――――――――――
論点を整理します。貴殿ご提題はこの二点になりますか。
○ (自壞作用には)もっと良くなるニュアンスがある、間違いないか。
○ ずっと顕れている病気は、どう解釈すべきか。
上記に関してひとつひとつ、私の考えを述べて参ります。以下に掲載する私見に対し、あらたな疑問をぶつけてくださいませ。そうすれば貴殿の疑問の所在、より明確なものになると思います。
<(自壞作用には)もっと良くなるニュアンスがある、間違いないか。>
ここで申される「もっと」の意味ですが、これが難点なのかもしれません。ここで申される「もっと」が「実相を完全顕現すること」を意味するならば、私見回答は「そのとおり」、というものになりましょうか。
以下は余談ですが、まあ、実相というものは本当に、「人間知恵では計り知れない」もののようです。この「もっと」が文字通り、なにかたとえば、わきがという自壞作用を経てその後、その人間の体から「香水のような香りを放つようになる」という可能性も、「含んで」いるとは思います。(笑)いや、真顔でそう申している次第です。
まあむろん、繰り返しではありますが、人間知恵では「ムリだろ」と思うようなこと、そんなことでも顕現してしまうのが、御教えの素晴らしさではないでしょうか(私などは多々、現象面でも体験しております)。
<ずっと顕れている病気は、どう解釈すべきか。>
これは非常におもしろい話だと思います。ちなみに私もずっと、「花粉症」に悩まされております。御教えに触れましたがこの花粉症、なかなか良化して参りません。で、この「花粉症」に関する私の解釈を披露致します。
なんてこと云いながら突然、藤原敏之先生のお話です。おもしろい逸話があります。
この先生に対し、生意気な学生が或る日、こんな質問をぶつけてきたそうです。「先生は信仰してんのに、なーんでメガネしてるんですか?」・・・・いやホント、生意気なヤローですね(笑)たぶんこの学生、「野球部あたりの色魔な理屈屋」そう察する次第ですが、まあそんな質問、藤原先生に対して飛び出したそうなのです。で、その質問に対する藤原先生のご回答ですが、これがおもしろいのです。なんと同先生のご回答、「そりゃ、わしの信仰が足らんからだ」だったとか(笑)
本来、長い補足話を掲載せねばならぬのかもしれぬ、このやり取りですがここにも真理があるように思います。どんな真理かと申せば、やはり、「實相は完全円満」なのです。そして、完全円満なのに「花粉症」などの病状が出ているとすればそれ、やはりなにか「信仰が足らぬ」わけでありましょう。そして、その「信仰の足りなさ」ですが、それすらも神の導きがあるのではないでしょうか。(註:本来「信仰の足りなさ」といってもその不足分、それすらも全托できるはずですから)
この、神の導き(=「花粉症」がなかなか治らない点)についての解釈、以下披露すればこうなります。私が今、なかなか御教えの効果見られず花粉症に悩まされているのは――神はおそらく、「そう、焦るな(笑)」ということをお教え給うておられるように察しております。「天の時間」を逆さまにする〝天斑馬〟(あまのふちこま)という話が『古事記』に登場しますけども、あれ、あのスサノオノミコト絡みの話はいつも、耳が痛い私です(笑)短気になってそして、「なかなか成果が上がらない」と焦る気持が私には強いのです。
「花粉症如き、なくなってしまう」「治そう治そうと焦らない」――私の信仰がそんな領域になればこれ、あっさり消えてなくなるとは確信しております。ですので現状、この花粉症に関しては、心から放下しております(笑)いやどーせ、治っちゃうんですから、なにもする必要、ないでしょ?(笑)
(つづく)
1924
:
「訊け」管理人
:2012/05/10(木) 08:39:28 ID:???
>>1909
じっそおー様(つづき・最終)
追伸
――――――――――――――――――――――――――――――――
「自分は神の子、そんな臭いにおいのする肉体ではない。」と思おうとしても
神の子の自覚は難しかったので、「もう感謝だけで行こう」
と思って一日に二〇〇〇回くらい「ありがとうございます」と唱えていたそうです。
が、10年たってもわきがはなくならず.....
――――――――――――――――――――――――――――――――
この点への感想ですが、上記登場の方には「受難礼賛」の気、これはなかったでありましょうか。まあ私、当然ながらその方のことを知らずに語っております。ですので妄想談であること、これは認めますがその、「ありがとうございます」がたとえば、「悪い私を罰して頂き、ありがとうございます」――こんな風になってはいなかったでしょうか。また、復興Gさまご回答にある如く、
>「わきが」を「ある」とみとめておられたとすれば、「認めるものが存在に入る」という心の法則によって、いつまでもわきがが消えなかったのかも知れません。
これが真理でありましょう。
なお、「認めるものが存在に入る」の心の法則ですが、おもしろいお話を掲載致します。「六文の定やん」です。最後半の部分を謹写致します。
『そのまま極楽の道』(藤原敏之著書)166頁より謹写――
さらに、この定やんについて感心したことは、個人指導のことであります。(中略)しかも定やんにかかって治らない病気も解決しない難問題も一切無いというのであります。
神経痛も喘息も胃癌もてんかんも、全部半日で治ってしまうそうであります。どうするのかといいますと、先ず机を中にして向かい合って座り、目をつぶれといって、膝に手をおいて、定やんのいうとおり大きな声でどなるのだそうです。何を怒鳴るのかといいますと、「ナイ!」というだけなのだそうであります。
普通の場合、誦行といって、ことばに出してとなえ続けているうちに、奥底の心が感動して迷妄を取り除く働きがあるといいます。一般には言葉に出して唱え続けているうちに、啓示的な働きとなって、潜在意識を浄化する効果があるとせられていますが、その場合大抵の病気の場合等、「病気はナイ」と大声で唱えるのが普通でありますが、定やんは、「それはおかしい。病気はないのだから、〝病気は〟という必要もない。ありもしない病気なら、〝病気は〟と唱えることは無駄なことだ。逆に言葉の力で病気を造ることになる。そんなつまらないことはしない」と言って、病気を抜きにして〝ナイ!〟だけを大きな声で半日くらい怒鳴り続け、汗びっしょりかくくらいに唱えているうちに、どんな頑固な病も問題も、例外なく解消するのだそうであります。〝病気は〟といって心で造っておいて、〝ナイ〟といっても、言葉が原因でそれは造る働きを持っておりますから、〝病気は〟といえば病気だけ余分になる。一方で造っておいていくら〝ナイ〟と言って打ち消しても差し引きすればゼロとなる。無いものは無いのだから余分の〝病気は〟と言う必要はないという信念で押し通して、ナイ、ナイだけを徹底して、心の迷いを打ち消すことによって、万事解決するというのであります。
以上のように、ここでわざわざ定やんのことを持ち出したのは、宗教による救いが人間のこざかしい知恵や判断力や理解力等によるものではなく、解かるとか解からないとかに全く関係なく、信心一つでどのような結果にも現われるという事実を証明するためであります。
1925
:
「訊け」管理人
:2012/05/10(木) 09:03:29 ID:???
<超余談>
参考資料として掲載致しましたブログ記事、
●観普賢菩薩行法
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65635825.html
これに関しまして補足致します。いやこれ、「ああ、恥ずかしい」、そんな話なんですが(笑)
この記事冒頭に、画像が掲載されております。この画像ですがこれ、わたしは「普賢菩薩ダロ」と思って、掲載したのです。ところがその後、「これ、文 殊 菩 薩 ですよね?(笑)」てな指摘が読者から、ございました(笑)いやー・・・「そうなんの?ははは(笑)」と、笑って誤魔化している現在です。
・・・とまあこんな、「元無神論者」が運営するブログです。宗教に精通された方から見れば間違い画像、多々掲載でお送りしております。こんな感じの、たとえば「中国のディズニーランド」みたいな変なとこ、ございますブログですがこれからも、よろしくお願い致します(笑)
1926
:
復興G
:2012/05/10(木) 18:20:13 ID:84pogn5s
>>1914
:ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>谷口雅春先生は「皆さんが神の子=神ですよ」と、『生命の實相』の本を通して、今も私たちを拝んで下さっているのです。
「ありがとうございます」と、その御言葉を素直に受け、私たちもまた、常不軽菩薩となって、自分を拝み、すべての人を拝ませて頂く。それが、「信徒一人一人が法燈を継承する」ことではないかと、今、思っています。
バンザイ! うれしいです! ありがたいです! ありがとうございます!
……公案の答えは自分の中で出ていました。先日の神示の件で分かっていましたが、人に伝える時はどうなのだろう。と考えながら、本棚を開けたとたん上段からファイルが落ちてきて、開くと、昔の聖使命新聞で谷口創始者先生の言葉が沢山掲載されていてどっぷり浸かっていました。今度謹写しますが、本当に復興G様の仰るように、『神の子、神の子』と繰り返しあらゆる角度から仰っていらっしゃいました。
それを読んでいて、もう、こっちの事を忘れるくら良い気分になりました。 本当の「生長の家」の教えは素晴らしい!!!<
すばらしい!
「昔の聖使命新聞で谷口創始者先生の言葉」、謹写されるのを待っています。急がなくてもいいですよ。時間のできたときに、ゆっくりやってください。
ありがとうございます!
1927
:
復興G
:2012/05/10(木) 18:26:29 ID:84pogn5s
>>1919
:ももんが様。
ご丁寧なコメント、ありがとうございます。
>それと、復興G様も、ご存知と、思いますが、『電子ブック』が、現実味を帯びてきたようですね。
ライブラリーには、絶版本もありますから、電子ブックなら、『字も自由に拡大』しますから、いいですね。
絶版本も、蘇りますなら、このうえない、ことと、私は、思いなが、……<
そうなのですか? 知りませんでした。
実現すると、ありがたいですね。
ありがとうございます。
感謝 合掌 拝
1928
:
じっそおー
:2012/05/10(木) 23:25:15 ID:vsZYH/3w
>>1921
〜1925
訊け様 私の訳の分からない文章に膨大な量の文章で答えて下さって有難うございます。
私は訊け様のプログへは何度も御邪魔させて頂いてます。すばらしいプログですね。
大好きなプログです。
ただ貼り付けて下さった観普賢菩薩行法のページはまだ見せていただいていませんでしたので
有り難く拝見させていただきました。
さて私の言いたい事は 訊け様の1661の訊け様の文章や訊け様のプログ等での自壊作用についてです。
自壊作用に喜ばれてますね。その内容から察して
「自壊作用として表れたという事は、かえって良くなるためである」との理由で訊けさんが喜ばれてるのかな
と、解釈しましたんです。
(そもそも私のこの解釈自体が間違ってるのかも知れませんが)
私はやっぱり必ずしも自壊作用の全てが、良くなるために現れてる様におもえないんです。
東北の地震や津波(これも自壊作用ですか)にしたって良くなるために現れてるなんておもえません。
病気にしたって、発症したら(自壊作用として現れたら)、良くなるために現れたもくそもなく、
現れたら最後、癒やすためにはやっぱり実相の自覚が必要です。
訊け様は、ご自身のプログで悪感情というかネガテイブな考え方が出た時も「自壊作用として喜ぶ」と
書いておられませんでしたか? と、言うことは、その後でその悪い感情が自然に良い感情に変わると考えてますか?
それと
>>そして、その「信仰の足りなさ」ですが、それすらも神の導きがあるのではないでしょうか。(註:本来「信仰の足りなさ」といってもその不足分、それすらも全托できるはずですから
この文ですが、は本当にそうなりますか?
私はほんの2週間前位まで、肉体なしや実相独在を把握できてて(知識でですが)喜べていたのですが
今は全然分からなくなって喜ぶことができなくなってます。
まあまあ分かって(知識でですが)嬉しくなったり、また分からなくなったりと二十数年この繰り返しです。
<<信仰の足りなさ」といってもその不足分、それすらも全托できるはずですから>>
全託も難しいかも。
わあ、また支離滅裂になりました。書いては消して、書いては消して何時間もかいて
まだうまく書けません。申し訳ありません。
こんな文ですが一度、投稿させていただきますね。
P.S
私は今いきずまっておりますので、すっごい否定的な考えになってますね。ダメですね。
訊け様、私も藤原先生の本を持っておりますよ。
1929
:
「訊け」管理人
:2012/05/11(金) 08:30:24 ID:???
>>1928
じっそおー様
東日本大震災が「自壞作用と思えない」に関して――
結論から申しますに、同意致します。たしかに、あの規模の震災ですけれどもホント、「神も仏もあったものか」という考えに陥ってしまいます。信仰から見れば零点という、そんな回答になりましょうけれども、まあ・・・私は貴殿に同意です。繰返しになりますが、ホント、なんであの規模の震災が必要だったのでしょうか。そして、あの規模の震災を経なければ実現されないという「善」、あるとするならばいったい、どんなものなんでしょうか。
ちなみに雅春先生ですが、「急激なる死」に関する真意、これをご解説くださっておられます。(『生命の實相』9巻37頁)参考までご高覧ください。
(「急激なる死」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65638494.html
)まあでもホント、本音を申せば余り納得できずにいる部分もあります。自分の中ではこれ、「あの規模の震災、必要なのか」という思いは拭いきれるものではないですね。
・・・・たとえばこの前、警察官の知人から聞いた話です。先日本県で、「死体遺棄容疑」で逮捕された者がいたそうなのですが、調べますとこの男性、年齢は60代で、死体遺棄した相手は80代の実母とか。・・・話の詳細はこうです。この容疑者は仙台から軽自動車に乗りそして、死に場所を求めて日本中をさまよっていたそうです。南九州に着いた頃、後部座席に乗せていた実母が亡くなっていたとかで・・・・・そして「死体遺棄容疑」で逮捕、そんな話なのでありました。まあ、こんな悲劇を聞くたびにやはり、「自壞作用」という言葉で割り切ること、かなり困難になりますね。ですので、冒頭部繰返しになりますが、東日本大震災が「自壞作用と思えない」に関しては「同意」を表明致します。そしてそれは無論、信仰から見れば零点の回答でありましょうが・・・
追伸
「全托」に関しては、また書きます。話が大きくなりますので途中、断念してしまいました(笑)でもこの話、「全托」ですけれどもこれ、非常に良質のものになると思います。宜しくお願い致します。
拜
1930
:
役行者
:2012/05/11(金) 14:23:57 ID:ne2N0HEs
じっそおーさま
訊けさあ
お久しぶりです。また、初めまして!
横割りします。失礼。
自壊作用とは、どうなんでしょう。今までの過去の業が崩れ、
壊れる作用なのではないでしょうか、それまでの業です。今後のコトは今後の生
き方により作用していくと思われます。現象世界は常に過去の現れです。それを
断ち切る唯一の方法が、超時の今、をいききることと存じております。今、瞬時
に実相を生きる!
原因があって結果が起こるというのは、物理、精神双方共に通じる、真理かと存じております。
ですから、震災に関しても過去の業の壊れゆく姿であることは違いないでしょう。
ではこれからのことは、どうなんでしょう、我々の心がけ次第なのではないでしょうか?
ことの大小にもよりますが・・・
ただ、このままゆくと、人類の業の破壊は、立て続けに起こることがいろいろな
方により唱えられています。
また、ノアの洪水に代表されるよう、
歴史的史実であると聴いているので書いてます、心の法則、自壊作用、原因結果
の法則は、無慈悲に、冷厳に行われるモノと存じています。
合掌
1931
:
じっそおー
:2012/05/11(金) 14:34:45 ID:vsZYH/3w
>>1913
復興G様
<<ということは、「わきががある。これを何とかして治したい」
と、「わきが」を「ある」とみとめておられたとすれば、「認めるものが存在に入る」という心の法則によって、いつまでもわきがが消えなかったのかも知れません。>
有難うございます。
私は、「わきがくらい大した事ないじゃん」と思っていたのと(そんなに匂わなかったので)それともう昔の事なので
話した内容は全部覚えてないのでその人の心の中までわからないんですが。
そういうところはあるんじゃないかとおもいます。
しかし、私にとっても現、「認めるものが存在に入る」から認めないでおこう。すなわち現象を無し と観jずるのは本当に難しいですね。
結局のところ、「現象は無しで、実相は神の子」 って分かりさえしたら苦しみや病は無くなるんでしょうけど
そこがかなり難しいです。
1932
:
じっそおー
:2012/05/11(金) 15:21:31 ID:vsZYH/3w
>>1929
訊け様
御返事ありがとうございます。
<東日本大震災が「自壞作用と思えない」に関して――>
と、ありますがちょっと違うのです。
私は「自壊作用と思えない」といってるのではなくて
訊け様の自壊作用にたいする発想がね、
「自壊作用として表れたという事は、かえって良くなるためである」
と考えておられるような気がしたんですね。それは、訊け様のプログを見たり
1661の訊け様の文章等でまあそう想ったんです
それで、あんなひどい災害のどこが良くなるために起こったんだ。
その「全ての自壊作用が、かえって良くなるためなんてうそだ。」と、想って
書いたのです。
病気でも、分微物が出た場合などは良くなるための自壊作用だけど、ほとんどの病気は良くなるためにあらわれてないじゃん。
と想って書かせていただいたのです。
伝わらない文章でもうしわけありません。
しかし、訊け様の自壊作用に対しての解釈が{自壊作用というのは、現れただけでなく良くなるためである。」
と、私は感じましたがもしかしてわたしの勘違いかもしれません。
自分が訊け様の言葉尻をとらえてそう思ってるのかもしれません。
もし、そうなら本当にもうしわけないです。
ほんとになにをごちゃごちゃいってるんでしょうね。わたしは。
沢山書いてくださりありがとうございます。
書いて下さった事に全部感想やら述べてませんが
全部ちゃんと読ませていただいてます。ただ、返答がうまく書けなくて結局かいたものを消してしまいました。
また、全託の件について書いてくださるのですか?
わー、嬉しっ
でもちょっとずつでいいですよ。暇なときでいいです。
大変ですから。
私だけでなく、みなさんもきっと楽しみにされますねっ。嬉しっす。
1933
:
じっそおー
:2012/05/11(金) 15:35:50 ID:vsZYH/3w
役行者様
>>1930
ありがとうございます
読ませていただきました。
そうですね、そう想いますです。
分かりにくい分を書いて皆さまに迷惑をかけました。
1934
:
「訊け」管理人
:2012/05/11(金) 15:41:37 ID:???
>>1928
じっそおー様
こんにちは。「でかした」よりも「しでかした」と言われることが多い、「訊け」管理人です。中国のディズニーランドみたいなブログ、ご愛顧頂きありがとうございます。さっそく以下、例の「全托」問題、これに関して述べて参ろうと思います。よろしくお願い致します。
――――――――――――――――――――――――――――――――
>>そして、その「信仰の足りなさ」ですが、それすらも神の導きがあるのではな
いでしょうか。(註:本来「信仰の足りなさ」といってもその不足分、それすらも
全托できるはずですから<<
この文ですが、は本当にそうなりますか?
――――――――――――――――――――――――――――――――
全托すらも神に「全托できる」――これは本当に、おもしろい話であると思います。そして貴殿お問い合わせは、「本当にそうなりますか?」と云うものでございます。さあ、どこから語りましょうか(笑)わたしの個人的体験や読書経験から上記問題を、このように言い換えてみます。こう言い換えると問題がわかり易くなると思うのですが如何でしょう。
さて、この「信仰の足りなさという不足分、これも全托できる」という設問を、「罪の意識は人間の努力で除去すべきなのか?」と言い換えます。こう言い換えて以下、話を進めていこうと思います。
<罪の意識と實相顕現>
さて、この罪の正体である「包み」というものは、肉体人間側がそれこそ、〝自力で努力〟して取り払わなければならないものでしょうか。そして、それに成功しなければ、「神に生かされて貰えない」のでしょうか。これが第一の問題です。
そして第二の問題としてこういうものがあります。實相というものは包まれてしまったくらいでそして、縛られてしまったくらいで、身動きのとれなくなる(程度の)代物なんでしょうか。それでは實相が完全円満であると言うわけにはいきません。實相が完全円満であるのでしたら、自分で顕れ出てくる力も備えているはずではないでしょうか。いったんこの問題を、簡潔にまとめます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 罪の意識は肉体人間側で自力解決せねば、神から生かされないのか?
○ 實相とは罪の意識に包まれたくらいで、機能しなくなるものなのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(つづく)
1935
:
「訊け」管理人
:2012/05/11(金) 15:42:41 ID:???
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 罪の意識は肉体人間側で自力解決せねば、神から生かされないのか?
○ 實相とは罪の意識に包まれたくらいで、機能しなくなるものなのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○ 罪の意識は肉体人間側で自力解決せねば、神から生かされないのか?
→ 榎本恵吾先生の「葩(はなびら)さんさん」、これを参考にしながら以下述べて参ります。さてこの問題、「この罪、包みは本当にあって、これだけは自分で何とかしなければ救われないものなのでしょうか?」に関してですが榎本先生はこの様に回答なさっておられます。
「葩(はなびら)さんさん」より謹写――
とにかくこの罪、包みは本当にあって、これだけは自分で何とかしなければ救われないものなのでしょうか? そんな疑問と悩みを持つ人もいらっしゃるのではありませんか? その疑問と悩みを代表して、天の童子は天使に、「罪は実在なりや?」と訴えているのです。すると天使は「罪は不完全なるが故に実在にあらず」と答えたと、聖経『甘露の法雨』には記されています。
生長の家の教えは、罪の正体を暴露して無に帰せしめた教えであります。つまり包みが罪なのですから、「罪は無い」ということはそのまま「包みは無い」ということなのです。皆さんの實相から言えば、★「私は一度も包み隠されたことはありません」と言っているのであります。それは解るとか、納得するとかしないとかの問題ではないのです。理解できないとか、納得できないとかいう罪も不完全なるがゆえに実在にあらず、すなわち無いということなのです。「罪は不完全なるが故に実在に非ず」と書かれてありますように、不完全という不完全は神が造り給うたものではないのですから「無い」のです。
★ですから、實相を観じられないという罪も無ければ、包み隠してしまうという罪はもちろん、感謝が足りないという罪もありません。徳積みの足りない罪も無ければ、供養の足りないという罪も、潜在意識の浄まっていないという罪も、教えを実行できていないという罪もなく、与え方が足りないという罪もまた無いのです。
(引用終了)
特に★印を付けた二点は個人的に、感動があった箇所になります。
實相は未だかつて、一度たりとも「罪の意識に包まれたことはない」、そう云っているわけです。つまり「全托できない」こと、言い換えれば「罪の意識に苛まれて、自分には神の救いなど来ないだろう」、そう考えてしまう考えなんて、本当に「無」であるわけです。こんな迷妄が浮かんだ際にはこれ、それを「自壞作用」として喜べばよいのではないでしょうか。なぜと申してその意識――「罪の意識があるから實相が顕現しない」――これが自壞して果てた姿なのですから。
やや余談です。ここの部分を確信にするにはおそらく、『生命の實相』の通読が必要なのかもしれません。が、仮に通読する時間がなくとも依然として實相、これはありがたいことに「私は一度も包み隠されたことはありません」と、言っているわけですよね。本当にありがたい話だと思います。
・・・それでは第二の問題、「實相とは罪の意識に包まれたくらいで、機能しなくなるものなのか?」に移りたいと思います。
(つづく)
1936
:
「訊け」管理人
:2012/05/11(金) 15:48:24 ID:???
○實相とは罪の意識に包まれたくらいで、機能しなくなるものなのか?
→ ここでは「仮に」、あくまでも仮にこの罪の意識は、「自力対処せねばならぬ」代物、そう仮定しましょう。そしてその自力対処が「困難である」、そんな仮定を基に話しをしてみましょう。つまり、こんな話になります。「自力で罪の意識を拂拭できません。そんなときに實相は、どんな動きを見せるのでしょうか?」――以下語ってみます。
聖典を拝読しますと判りますが、雅春先生は、恨み心や憎み心、赦せない心があると「完全な實相が出てくることを邪魔をしてしまって出て来れなくしている」、そう表現されておられます。ですがこれ、ある段階の信徒に向けた「方便である」そう云えることに気づいたのです。悪感情を持つと「完全な實相が出てこない」、仮にそういう表現をされておられますが実は、その恨みや憎みや赦せない心も神様が取り去ってくださるのであるというのが本当の教えの様です。
これに気づけたのは藤原敏之先生や、榎本恵吾先生の御著書に拠ってでありました。いろいろおもしろいご文章がございますがここは、やはり恵吾先生の「葩さんさん」よりの謹写文、これを以て回答とするのがよいと思いましたので以下。
「葩(はなびら)さんさん」より謹写――
実はこのような人は、實相は完全円満であるというときの、この「完全」の意味をよく解っていないだけのことなのです。實相は完全なのですから、こちらの心で観ようが観まいが、いちいち努力して實相を引っぱり出そうとしなくても、絶対的に自分で出てくる力を完備しているのです。それを知らないから観る、観ないに引っかかってしまうのです。
そして、實相と現象の中間あたりに自分を置いて、「實相⇔現象」「實相⇔現象」と左を向いたり右を向いたり、その中間あたりでキョロキョロと首を振っている状態を「観ずる」とか「観じない」とか、「自覚する」とか「自覚しない」とかということだと思ってしまっているのです。なるほど「實相は観ずれば顕われ、観じざれば顕われることなし」と書かれていますし、また、『生命の實相』の第1巻の本論の第1行目には「生命の實相の自性円満を自覚すれば、大生命の癒力が働いてメタフィジカルヒーリング(神癒)となります」と書かれています。しかし、そこに書かれている「観ずる」「自覚する」ということと、自分の受け取っている「観ずる」「自覚する」ということの意味が違ってはいないでしょうか。
谷口雅春先生が抱かれたお悩みというのは、すべては心の展開であり、いわゆる三界は唯心の所現であるということは解るけれども、その心が思うように支配できなくて困り果てられたのです。そして、「この心を改心して懺悔して改めてからでないと救われないのであれば、自分は決して救われることはない。改心しないまま、懺悔しないままで救ってくれる神が欲しい」と切実に願われたのでした。この悩みを拡げて解釈すれば、實相の円満完全を観ようとしてもなかなか思うように観ることができないから、實相を観られないままで、自覚もできないままで救ってくれる神(實相)が欲しいと言われたということになるでしょう。
やがて、現象無し、不完全無し、観る観ない、自覚するしないという心も無い、實相はそのまま円満であり、この實相は完全なるがゆえに自ら出てくる力をも備えているということを神からの啓示によって知られたのでした。そして、そのとき初めて「心」というものから解放されて、「生かされている」という喜び、つまり感謝が湧き起こられたのでした。「實相は完全であるからこちらの力は何も要らない」というふうに、喜ぶのを遠慮しないことが「實相を観ずる」とか「自覚する」とかいうことであったのです。
(つづく)
1937
:
「訊け」管理人
:2012/05/11(金) 15:49:12 ID:???
(「葩(はなびら)さんさん」つづき)
ですから、實相にはこちらの力というものが要らないのです。ただただ實相のみの世界なのです。實相を現象に顕すといっても、實相が自分で顕れて来るのであり、實相だけがすべてのすべてなのです。顕れる、顕れないは現象であって、顕れても顕れなくてもどちらも無いのであって、實相だけを喜んでいればよいというのが「今を生きよ」ということなのです。實相は「今」完全であり、實相だけでよい、というのが「今」ということなのです。顕すための心や時間というものは要らないということなのです。
「観ずる」ということについては、生長の家で行う行(ぎょう)の一つである「神想観」がまず思い浮かぶのですが、「神想観」は「神を想い観る」ということと同時に、「神が想い観給う」ということでもあるようです。神想観を始めるときに唱える「招神歌」にありますように、すべては神が為し給うのでありますから、自分はどこにも要らないのです。観ることも、自覚することも、感謝することも、すべては神が為し給うているのです。
(引用終了)
またなにか、ご返信頂けましたら幸いです。わたしもたいへん、勉強になりました。このような機会をお与え頂きまして、ありがとうございました。
拜
追伸
>>1932
に関しては返信文、少々お時間をください。まあ、簡潔に申せば「自壞作用」と東日本大震災の件ですが、「わたしの信仰の浅さ」ゆえの解釈です。たぶんあの震災すらもこれ、なにかの好転作用なのだと思います。ですが現状、わたしは自分の言葉であの事件、解釋することは不能なのです。まあ、そんな意味になりましょうか。
1938
:
じっそおー
:2012/05/11(金) 15:49:46 ID:vsZYH/3w
訊け様
今、ちょっと藤原先生の本の内容を思い出しました。訊け様も藤原先生好きですよね。
「藤原先生の「何が起こってもこれから良くなると思え」こういうくだりありましたね。
こういう光明思想に対して、陰気臭い考えをわざわざ書き込んでしまって
申し訳ありませんです。
役行者様も、悪いことが現れても過去の影。今実相を生きる。といってくださいましたが
それにも通じますね。
難しいけど←(恥ずかしながらこれ本音です)がんばりまっす。
1939
:
「訊け」管理人
:2012/05/11(金) 16:30:50 ID:???
>>1938
じっそおー様
>「藤原先生の「何が起こってもこれから良くなると思え」こういうくだりありましたね。
>こういう光明思想に対して、陰気臭い考えをわざわざ書き込んでしまって
>申し訳ありませんです。
正確に申しますと藤原先生、もっと過激な表現をされておられますよね(笑)ええ、「これから良くなると思え」、そんな表現もされておられますが、「現れないと困る」とまで、おっしゃっておられます(笑)こんな感じのところがもう、大好きですねえ(笑)
藤原敏之先生・昭和三十八年練成会ご講話より――
神様がおつくりにならないものを、私達がつくっているということは、これはまさしく夢なのです。年がら年中医者と薬でもっておった私が、全然アホらしゅうなって病気をやれんようになりました。ただたまに出ることはあります。私だって生の身体ですから、風邪引いたような傾向のときはあります。呼吸困難になることもある。そんな症状が現れることもある。現れたってそれは心配することはないのです。何故かといいますと、無いものをつくっているんですから、出たら消えるんです。想いというものは、現れたら消えるんです。だから、現れないと困る。
(引用終了)
なお、自壊作用に関しましては以前、復興Gさまがご謹写くださったご文章がございます。
●『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65625580.html
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65626652.html
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65627152.html
追伸
また、あの徳久克己先生は、こんなことまでおっしゃっておられます。文末は、「だああはあははは(笑)」てな感じでしょうか。
徳久克己先生ご発言――
谷口先生が〝病気はない〟と言っておられるのだから、〝無い〟と言いなさい。もしも責任を問われたら、それは谷口雅春先生の責任ですからね。
1940
:
「訊け」管理人
:2012/05/11(金) 16:38:08 ID:???
<云い忘れ>
私は特に、以下の文章が好きです。
『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写――
(
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65625580.html
)
○「現象の善さ」よりも「魂の善さ」を
一たん蒔かれたる真理の種子は、吾々が信念の欠乏から、掘り返してみない限りは必ず膨張し、必ず根を拡げ、必ず芽を出し、頭をもたげ、土を破るのである。その結果は破壊と振動とがその周囲に起こるのである。それが起こらないようでは、その祈りが効果があったというに足りないのである。新しい大きな芽が頭をもたげる時には大地の周囲が破壊するのである。かくて古きものは破壊し新しきものが現れるのである。周囲に起こる不調和と見えたものは吾々が祈りを求めた新しき状態に移るために古き状態が真理によって爆撃されつつある光景にすぎないのである。これを吾々は「迷いの自壊作用」といって来たのである。
(引用終了)
(一見)悪いこと、これが起らないようでがそれ、「その祈りが効果があったというに足りないのである。」とまで申されておられます。いやーホント、もう雅春先生がこのようにおっしゃっておられるのですからもう、雅春先生に責任、取って頂きましょう。
わたしも事業環境の悪化、これに苛まれております。ですがもう、徳久先生ではないですが「雅春先生に責任」を取って頂こうと思っております。ええ、トンデモないことが起らない限りその祈り、「効果があったというに足らない」んですから(笑)バンザーイでありましょう。・・・・・・・ツライですけども。(笑)
1941
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/11(金) 23:54:48 ID:LkXpkkXI
復興G様
遅くなっったけど、公案の最中、読んでいた新聞の一部を掲載しますから一緒に読んで下さい。
感想も書いて下さい。
人間はみな神の生命 谷口雅春先生お言葉
相互礼拝の生活を
皆さん、大勢お集まり下さいましてありがとうございます。
さて、人間の生命(いのち)の実相というものが、どんなに尊いものであるかということが本当に分かったら戦争なんか起こりようがないとつくづく私は考えるのであります。
日本が真珠湾を奇襲攻撃するということでも、本当に人間の生命と言うものがどんなに尊いという事が分かったら、もう奇襲はできません。攻撃したら、人間の生命が失われるのであると考えたらもう一歩も攻撃の歩を進めるわけにはゆかないのであります。 ただ拝むのであります。 全ての人間の生命を神の生命、命(ミコト)として拝むのであります。そうしたら戦争など起こるはずはないのであります。
日本語では、人間の命(いのち)と言う字は、ミコトと呼ぶ字であります。
皆さんだけじゃない。全ての人々が命である、ね。
最大の徳は”不殺生”
ところで、聖書には次のように書かれているのであります。「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬(よろず)の物これに由り手て成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。」(ヨハネ伝)
「神なりき」と過去形になっているから間違いを生ずるのである。 「言は神」なんです。 皆さんは命なんです、ね。
古代の吾々の大祖先はみんな自分を命と呼んでおったのであります。
また、命(ミコト)とは、御言(ミコトバ)ということであります。神の言葉 いでて人間の命(いのち)となったのでありますから、皆さんは神の命、皆さんはみな命(ミコト)ですよ。
ところが、ダーヴィンの進化論みたいなものが出てきて、人間は猿の進化したものであると考えて、獣類の子孫が人間であるというような、間違った人間観が地球上を覆うようになった。 それで人間は獣類のように、自分の欲望を満足させるためには、同類でも相食み、殺し合いをするということが、生きている権利であるかの如く」、殺すことを何とも思わなくなったのであります。日本が真珠湾を奇襲攻撃した。それは何の為かと言うと、何かある利権を守ろうとしたからだ。利権とは利益と権益である。つまり、利益と権益という、捉えどころのない本来無いものを守ろうと、そのためには人間を殺すことぐらいは何でもないと思って紀州攻撃を始めた。
しかし、人間を殺す事が、一番の悪徳である。仏教でいう「十善の徳」の最初の徳は”不殺生”−−殺生しない、ということですね。モーゼの十戒でも、最初の最も重大なる一カ条がまもれたら戦争なんかする気持ちが起こる筈がない。
ところが、”殺生をしない”という一番の大徳を無視して、何かの利権を得ようと、あるいは奪われるのを妨げるために、あるいは、権力をふるうための邪魔ものをころしてしまえと考える。権力とはなんであるか。そんな迷いの権力、ニセモノの権力のために人間の生命を殺してもいいという、そんな馬鹿な人生観を持っている政治家がどこの国にもいて戦争をはじめる(略)
全ての人類は吾々の兄弟であり、祖先であり、子孫である。(略)それを殺す言うことは、全く愚かなことである。全ての人間が生長の家の思想になって、仏教の「十善の徳」の第一徳、モーゼの十戒の第一番にあるところの、”不殺生” ”殺すなかれ”という徳を実行することによって、世界に平和が広がるのである。
生長の家では生命(いのち)を拝む。生命の實相(ほんとうのすがた)というものを人類が自覚したら、戦争なんかしなくなる。
1942
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/11(金) 23:57:13 ID:LkXpkkXI
天照大御神の御子
日本には天孫降臨の神話があるがあれは神話じゃない。 實相話である。 天孫・邇邇藝命様が天降ってこられるときに、五伴緒命(イツトモノヲノミコト=天児屋命、布刀玉命、天宇受賣命、伊斯許理度賣命、玉祖命)という五柱の命が一緒に天降ってきた。伴緒(トモノヲ)の緒というのは、魂緒(たまのを)の緒で、命の繊維が緒みたいになって天降ってくるという、古代人の悟りが、魂緒ー魂(たましい)の緒というような言葉となって表れているのである。又、天孫の「孫」とは三代目というのではない。孫とは真子(まことのみこ)ということである。 人間は天の命が天降ってきているのである。男は日子命(ヒコノミコト)、女は日女命(ヒメノミコト)。 ”人間はみな日の大神の御子、日の大神の天降りである。仏教の神話にも、兜率天という天界におったところの如来の命が天降ってきて、摩耶夫人(まやぶにん・釈迦の母)の右脇腹に妊娠したというのがある。不染妊娠=イマキュレートコンセプション)と英語で言うがね。
つまり、吾々は淫行によって生まれたのではない。如来の命が天降ってきて、そして人となった。
『生命の實相』には、「人間は未だかって女の子宮から生まれたことはないのである」と書いてある。
それが生長の家の哲学だ。(略)こんな非常識なことがかいてあるけど、僕から見たら非常識じゃないんだ。 それが本当だ。
実相は直覚で分かる
吾々は如来である。真如・実相から来生ー来たり生まれた如来である。谷口雅春無量寿如来、皆さんも無量寿如来、無量寿如来の集まりだから、ここは極楽浄土である。だれも悪人はいない。殺生をするような人は、一人もいない。菩薩雲集という言葉があるが、菩薩以上だ。皆さん御仏だ。御仏雲集。 皆さんは猿の進化したような、そな馬鹿なことはない猿の毛が抜けたのではない。禿げている人もいるけど、そうではない。人間は初めから如来である。
真如・実相からうまれたのが人間である。そのことが本当に分かるのは直覚による。
常識で考えてもだめだ。インテュイション、直覚、直観によって分かるんだ。
いいですか、天孫降臨 ---邇邇藝命様が天降るときに、五伴緒命が一緒に天降ってこられて、その子孫が日本民族になっている。だから、日本民族は、全て邇邇藝命様の子孫(直系)であるところの日本の御皇室の、その親類である。(略)
日本の御皇室の、その伴緒が、ここに何某命として大勢集まっておられるのが、皆さんだ。ここだけじゃない。
日本中、みんな伴緒命である。
この自覚を新たにするとともに、お互いに拝み合う生活を、今日からはじめたいと思うのであります。
ありがとうございます。(文責編集部)
以上が創始者谷口雅春先生の総本山での御言葉です。 WEB誌友会からここまでたどり着きました。
他にも、感動する文章が盛り沢山あって、以前の新聞は本當に聖使命新聞と言うにふさわしい新聞です。
読んで、感動、感動でした。 このような素晴らしい教えを隠していてはならないと心から思いました。
1943
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/12(土) 00:03:28 ID:LkXpkkXI
最初は新聞の見出しの抜書きと清超2代先生の文章
人類を救わずにはおかないと、永遠不滅の真理をかかげられて起ちあがられた総裁(雅春先生)。その先生の説かれる真理によって、洋の東西、人種、民族、宗派をこえて、数限りない人々が救われているーーそうした重いが参列者自信の体験と重なり合って感激は一層深まってゆく。そして御教えに触れた感激、尊師とともにある喜びが最高頂に達したのは、(略)「神霊降誕譜」の合唱をはさんでの両先生の言葉は左掲の通りだが、いずれも心を打たずにはおかないものだった。
大いなる喜びと感激の中、住吉霊宮、住吉本宮秋季記念式典に参列した信徒一同、住吉大神の全身全霊との自覚も新たに、総裁先生の御心ーー人類光明化の躍進、真理国家日本の顕現を固く誓い合うのだった。
師の御心を現成せん 谷口清超先生御言葉
「戦争には行かなかったのかね」と仰いましたので、「ハァ、残念ながら行きませんでした」と申し上げたら、「そりゃ、良かった」と仰ったのです。 何故かと言うと「それは人を殺さなくてすんだからだ」と仰ったんですね。
その時私は、「谷口先生が本当に心の底から、人類を愛しておられて、敵も味方も無い世界におられるんだなぁ」というのを感じたのであります。(略)
・・・だから一木一草にいたるまで愛しておられる、という事が本当に分かりました。今でも先生はこのような御心で全人類を愛されるとともに一木一草まで愛していらっしゃいます。 そしてことのほか日本国を愛しておられ、日本の実相顕現を本当に心底からさけんでおられるわけでありますので、私達もこの御心を心から体得し、お腹の赤ちゃんは勿論の事、全ての人類に実相円満の真理をお伝えし、そしてまた 山も川も草も木も愛するところのの本当の宗教の伝道をやっていきたいと心から思っている次第であります。
このおめでたい日に、私は谷口雅春先生のお誕生日にこうして皆さんが沢山お集まりくださいましたことを本当に心から喜びにたえなく思っている次第であります。 それは、だだ単に”うれしい”というだけではあいすまんのでして、やはり御心をこの地上に現成し、地上天国浄土を建設する運動を展開しなきゃいかんと思うのであります。
どうか、皆さんも夫々の組織の幹部として・・略・・ み教えを全世界に光被さしていっていただきたいと念願する次第であります。 これで挨拶とさせていただきます。
以上で終わり。 これらを読めて感動に感動しました。。。。
写真からも熱気が伝わってくるようでした。
1944
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/12(土) 00:16:33 ID:LkXpkkXI
写真付きの新聞を直接読むと感動するなぁ。。抜書きよりずっと。。。
1945
:
じっそおー
:2012/05/12(土) 01:00:14 ID:vsZYH/3w
訊け様
今帰ってきて1934から1937、1939,1940までまず読ませていただきました。
(1938は上記文を読む前に書き込んだ文です。)
書くのが遅いので書いてるうちにどんどん書き込んでくださって前後するみたいになっても許して下さい。
またまた膨大な文を書いて下さって有難うございます。
一部、あなたのプログで読んだ文もございました。榎本恵吾先生の文とかです。
その時おおーっと思ったこともありましたが、血となり肉となってませぬ。
しかし、ここに書いて下さった文章は系統だって書いて下さって、(うまく言えないのですが)
もっと、分かりやすくなっていて良いです、(うわー上から目線みたいな書き方ですみません)
もう何回も読ませて頂きます。
そして、1928の私の質問の
<訊け様は、ご自身のプログで悪感情というかネガテイブな考え方が出た時も「自壊作用として喜ぶ」と書いておられませんでしたか?
と、言うことは、その後でその悪い感情が自然に良い感情に変わると考えてますか?>
上記の質問にも答えて下さってる内容になってますね。
<こんな迷妄が浮かんだ際にはこれ、それを「自壞作用」として喜べばよいのではないでしょうか。なぜと申してその意識――「罪の意識があるから實相が顕現しない」――
これが自壞して果てた姿なのですから>
↑この文がこたえですね。
今は何回も読み返してます。今、全部御返事出来ません。
訊け様、要は喜んでたらいいんですかね?
全託も喜んでたらいいのでしょうか?
1946
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/12(土) 11:02:29 ID:ugahnkyw
公案も目途がついたようですし、素晴らしいお話も部室板で沢山されておりますが、
そろそろ、恒例、WEB誌友会をしませんか??
続けて行きましょうよ! 皆さんで読むと、新しい発見がありますよ!!
ユタカは続行しますよ!!
1947
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/12(土) 12:04:22 ID:ugahnkyw
W E B 誌 友 会 やりた〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!
強制ではありません、あくまでも、自分のこころの叫び!!!
WEB誌友会〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぃ!!やろぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
1948
:
復興G
:2012/05/12(土) 12:25:22 ID:84pogn5s
>>1941
・ 1942・1943・1944:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
合掌 ありがとうございます。
昔の「聖使命」紙、長文のご謹写、拝読しました。
ありがとうございました。
昭和何年のことだったでしょうか、生長の家総本山で行われた秋季記念日祝賀式のことを報じている「聖使命」紙ですね。この祝賀式には、私も参列していました。谷口清超先生のご挨拶の御言葉で引用された最初のところは、鮮明に覚えています。
谷口雅春先生の御言葉は、今初めて拝聴するように、深く感じ入りながら、拝読しています。
本当に、そうだ! と感じ入りながら。
写真からも熱気が伝わってくるような紙面なのですね。
そのまま拝見したいような思いです。
>日本の御皇室の、その伴緒(とものお)が、ここに何某命(なにがしのみこと)として大勢集まっておられるのが、皆さんだ。ここだけじゃない。日本中、みんな伴緒命(とものおおのみこと)である。この自覚を新たにするとともに、お互いに拝み合う生活を、今日からはじめたいと思うのであります。<
この御言葉を、しっかり体して、光の前進をしてまいりましょう!
1949
:
復興G
:2012/05/12(土) 12:52:06 ID:84pogn5s
>>1947
:ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>W E B 誌 友 会 やりた〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!<
いいですね。
ただ、もし私が司会するとなると、19日(土)も26日(土)も、きびしいです。
私は14・15・16日(月〜水)はパソコンのないところへ旅に出て別のことに集中していますので、もし19日(土)に司会するとなれば17日(木)に帰ってきてから、おそらく大量に書き込まれている皆さんの投稿文を読み、皆様の心と流れを十分につかんで準備を整えないと、司会は難しいと思うので、19日はきびしい。26日は地元で夜の誌友会に出ることになっているので、ぶつかります。
ですから、今回は司会をパスさせていただきたいと思います。
すみませんが、皆様、よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
1950
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/12(土) 12:55:27 ID:ZUZysn6c
復興G様
昭和59年12月1日となっております。
黒髪の信徒さんの輝いた顔、創始者先生の参加者全員を祝福する万歳のお姿の写真、
人であふれた、顕祭殿、そして、茶色になった新聞が余計に感動を誘います。
コピーして送付しましょうか?
1951
:
復興G
:2012/05/12(土) 13:22:02 ID:84pogn5s
「訊け」管理人殿。
去年のプロ野球は、震災や電力不足をおもんぱかって、予定より18日遅れの4月12日に開幕しました。その日の日経新聞「春秋」子は、次のように書いていたのを、私も自戒の言葉として切り抜き、目の前に貼っていました。
「今こそ正念場。今ほどへっぴり腰と決別しなければならぬ時はない」と題して。
それには、次のようにあります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(日本経済新聞「春秋」欄 2011. 4. 12)
広辞苑に載っていないのが不思議なくらい、「球春」の一語は日本人になじみ深い。予定より18日遅れてきょうプロ野球が開幕する。震災や電力不足をおもんぱかった決断にあずかった新井貴浩会長(阪神)率いる選手会。その真摯な姿勢には、敬意を表する。
▼ことしは反発力の小さい「飛ばないボール」の採用がみどころなのだという。プロ野球が長らく飛ぶボールを使ってきた弊害を、評論家の豊田泰光さんが書いていた。「一番の罪は打者のスイングから品格を奪ったことだ。へっぴり腰でもオーバーフェンスするから、だれも腰の入ったスイングをしようとしない」
▼思えば、ことは野球に限らない。「何とかなるだろう」とへっぴり腰で構えているうちにそれが習い性となってしまう。そんなわが身を映し出す鏡のような言葉である。そして、この国に住む一人ひとりが今ほどへっぴり腰と決別しなければならぬ時はない。飛ぶボールはもう来ないのだ。
▼目先の観客がいかさまホームランに酔うバブル野球でなく、おなかがよじきれるくらい振り切った美しいスイングが見られるか。豊田さんの期待はそこにある。地震の後は被災者への配慮で腰の入った覚悟を示してきた選手たちだ。飛ばないボールを相手にどんなプレーをするのか。ことしはことのほか気になる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今まで、何かものを言うときに、私もよく聖典とか他人の言葉をたくさん引用して、それで自分が何かを言ったような気になっていることがよくあった。しかし、そんな「へっぴり腰」でなく、自分の魂の底から出た自分の言葉を語るべきではないか。そうして「おなかがよじきれるくらい振り切った美しいスイング」をしなくては――「もう、飛ぶボールは来ないのだ」と自覚して、心底「神の子」を生きなくてはならない時である。それが「正念場」すなわち「正念」を出さなくてはならない場だということである。
――そう、私は自戒しています。それは、難しいことだけど。あなたも同感ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
ありがとうございます。
1952
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/12(土) 13:35:54 ID:b/mZDJhk
新聞には、顕祭殿に入りきらない人が祭殿下の外に大勢いて、キチン整列された椅子に座りながら本殿にむけて、一斉にお経を読んでいるような
写真もあったりです。ちょうちん?を持った、男女信徒が全身で万歳と伸び上がり、本当に、以前は活気があり、当時の総裁先生に信徒の感謝と歓喜とに全心身が溢れている様子が分かります。
訊け様が前に仰っていた、谷口先生の言葉を浴びるように・・・という心境に納得です!
復興G様、先回りして司会は今回は無理ですとのこと、分かりましたが、神の子ですから、「私(復興G様)は○月○日ならできます。」
と、不可能な日時を言うなら、ついでに可能な日時を皆さんにおしらせしてもいいかも知れませんね。。。。
1953
:
復興G
:2012/05/12(土) 13:38:37 ID:84pogn5s
>>1950
:ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>黒髪の信徒さんの輝いた顔、創始者先生の参加者全員を祝福する万歳のお姿の写真、人であふれた、顕祭殿、そして、茶色になった新聞が余計に感動を誘います。
コピーして送付しましょうか? <
いや、もしそう願えればありがたいことですが、コピーしようとして破損してしまったとしたら、取り返しがつきませんね。
合掌
1954
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/12(土) 13:44:22 ID:b/mZDJhk
復興G様
ご心配ありがとうございます。これも神の御心のままに・・・ですね。
1955
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/12(土) 13:52:28 ID:hKR/lICc
トキさま、訊け様 皆様、
今夜どう?ですか?(笑) 誌・友・会!?(笑)
1956
:
復興G
:2012/05/12(土) 13:56:11 ID:84pogn5s
>>1952
:ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>復興G様、先回りして司会は今回は無理ですとのこと、分かりましたが、神の子ですから、「私(復興G様)は○月○日ならできます。」と、不可能な日時を言うなら、ついでに可能な日時を皆さんにおしらせしてもいいかも知れませんね。。。。 <
いやー、一本やられました。
では――土曜日なら6月は9日が16日が大丈夫です。
ウイークデイでもよろしければ、5月第4週目は今のところいつでも結構です。23日(水)とか、25日(金)とかでも、よろしければ――私は大丈夫です。
1957
:
復興G
:2012/05/12(土) 14:05:38 ID:84pogn5s
>>1955
:ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>今夜どう?ですか?(笑) 誌・友・会!?(笑) <
残念ながら、私は今夜は無理です。
1958
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/12(土) 14:10:13 ID:b/mZDJhk
復興G様
ありがとうございます!!!!!
神の子復興G様!よくぞ、仰ってくださいました! 感謝申し上げます!!
万が一、急用などで日時を変更しないといけない場合は、急用が出来た時点で直ぐに
お知らせ下さい。
トキさん、訊けさん、
復興G様、上記の日程は都合がよろしいそうであります。 返事を待っています。
1959
:
ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
:2012/05/12(土) 14:15:44 ID:hKR/lICc
>1597
は〜〜い、分かりました。 きっと皆さんもそうだと・・・ダメもとで言ってみました。。
1960
:
トキ
:2012/05/12(土) 16:21:33 ID:.qT77rPQ
誌友会の件、了解しました。参加しない方のご都合も聞きたいので、不参加の方も日程などの御希望を投稿
お願いします。もちろん、参加希望者の投稿もお願いします。
合掌 ありがとうございます
1961
:
志恩
:2012/05/12(土) 16:51:05 ID:.QY5jUA6
トキ様
トキ様、おせわさまで〜〜す。
WEB誌友会の件、
復興G様のご都合や、トキ様や、、皆様のご都合に、合わせますので、私は、いつでもOKです。
私は、観覧席ですけど、期待しています。(笑)
1962
:
a hope
:2012/05/12(土) 16:58:21 ID:kcv2QXTk
みなさま、こんにちは
ユタカさまが、次回のweb誌友会の提案をされていているようなので、参加申し込みさせていただきます。
>>では――土曜日なら6月は9日が16日が大丈夫です。
ウイークデイでもよろしければ、5月第4週目は今のところいつでも結構です。23日(水)とか、25日(金)とかでも、よろしければ――私は大丈夫です。 <<
と、復興Gさまがおっしゃっていますが、いずれの日程でも夜でしたら参加可能です。
よろしくお願いいたします。
実は、みなさまの最近の書き込みを拝見していて、自分も何か発言したいと思うのですが、
わたしは納得しないと次に進めないタイプなので、なかなか、みなさんのテンポについて行けずにいますが、
書き込み内容はしっかり拝見させていただいております。
じっそおーさま(はじめまして!)と訊け管理人さまや、他のみなさまのやり取りもとても興味深く、
色々お勉強させていただいていますし、
ユタカさまの聖使命新聞を謹写してくださった内容の深さにはとても感動しています。
(プリントアウトして、読み返しています)
みなさま、本当にありがとうございます。
わたしは、「真の生長の家の教え」ここでみなさまと一緒にお勉強できて本当に幸せです。
感謝 合掌。
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