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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板

1327ももんが:2012/03/01(木) 23:22:40 ID:XXCuaQns
あさひ様

あさひ様、先日は、お返事ありがとうございます。大変、嬉しい限りです。感謝敬白、合掌、拝。


>>ももんが様

>神様が雅春先生に、”聖典生命の実相“を書き現させたのは、少しでも、この“弱肉強食”の“争い”を無くす為だったと、私は、本日『聖典・生命の実相』を拝読しながら、更に強く感じたしたいです。


ということは、”聖典生命の実相“こそは人類の聖典ということですか? 複眼的思考、多面的洞察、宗教的、心理学的教養広いももんが様ですから、お尋ねいたしたく思います。合掌<<

未熟者な、私に、勿体、御言葉を賜り、恐縮しております。

私は『聖典・生命の実相』の言葉に、神様を見つけました。断っておきますが、私の感じ方です。他の方と違う事はお許しください。

①、『生命の実相第2巻32㌻』”本当のことを申しますと、この本が病気を治すのではありません。神の子たる人間に病気は本来無いのであるから、治すも治さぬもない、本来治っているであります。〜

※、 “病気”の所を“罪”としてら、“人間は本来罪無し”となりますね。人間の“清浄な心”は、汚れを知らない、満月、神の子、神の写し鏡の様ですよと、言われる箇所と私は、思いました。〈神様を現した箇所と言えると思います〉

②、次に、『旧約聖書・出エジプト記』3・モーゼの召命・14より。
“神はモーゼに『わたしは“ある”。わたしは“ある”という者だ』と言われた。また、『イスラエルの人々にこう言うがよい“わたしはある”と言う方がわたしをあなたたちに遣わされたのだ。』


※、神様は『ある』と言う名前で、ある事に、注目のして下さい。これは、わたしの解釈ですから、宛に成らないかもしれませんが、『ある』=『創造』・『生みだす』生長の家で言う所の、創造の神ですね。


③、禅で、やる”無字の公案“も、見性の瞬間や、大悟の瞬間を、例えて、『大死一番絶後に蘇る』とか『無一物こそ無尽蔵』とかいいます。密教でも、胎蔵界曼荼羅も、詳しくわしりませんが、母親の胎内で子供を慈しみ育てるようにとの意味で、これも、”生まれる“を含んでるようですね。

これは、私が、『生命の実相』を読んでいて、自分の体験と今まで学んだ事と、一致〈心が重なる部分〉、心で読み取れる、感じとれる部分が、あったからです。〈昔から知っていたように〉


上記は、私の感じですから、決して、皆様や、あさひ様と一致するとは、思っては、おりません。
だだ、あさひ様が、おしゃる様に、”聖書“や”コーラン”や、“たくさんの仏教聖典”や、他の素晴らしい聖典類と等しく、『生命の実相』も、地球の人類に大切な聖典と言えるでしょ。

あさひ様、私は、表現が
下手ですから、あさひ様と見解が違うようでも、個性の違いとして、お許しくださいませ。真、あさひ様、お答えさせて、頂き、ありがとうございました。あさひ様の、見解を教えて下さると、私も、勉強になりますから、時間ありましたら、お聞かせ下さい。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1328ももんが:2012/03/01(木) 23:25:58 ID:XXCuaQns
a hope様


a hope様、何時も『人生読本』の素晴らしい投稿、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

今日は、お子様が、お風邪ですか?インフルエンザ流行ってますから、病無しとは云え、気おつけてください。御快癒されますよう、御祈りしてます。

何時も、ありがとうございます。ゆっくり、おやすみください。感謝敬白、合掌、拝。

1329ももんが:2012/03/01(木) 23:28:11 ID:XXCuaQns
トキ様

トキ様、こんばんわ。御体の具合どうですか。無理せず、養生してください。感謝敬白、合掌、拝。

先日は、体調悪いのに、ご返答いただき、真にありがとうございます。感謝、拝。
<<ももんが様

 激励ありがとうございます。幸い、朝起きての神想観と聖経読誦は熱があっても続けております。
いろいろと心配をかけて、申し訳ありません。

 ご説の通り、他人の事はなかなか気がつきますが、自分の事は気がつかないものです。
昔、ソルジェニーツィンの収容所群島という本を読んだ時に、それを感じた事があり
ましたが、熱が下がったら、書きたいです。

 では、おやすみなさい。ありがとうございました。>>


『生命の実相第2巻』に、“風邪を引かない方法”が出てました。
しかし、風邪を引く時は、結局引くわけですよね。
風邪を引かないポイトは『くしゃみ』や『咳』が、出そうに成った時、『自分の心』に『風邪』を認めない事だそうです。
これが、中々難しいですよ。『くしゃみ』の時、神経が『くしゃみ』に『心』が集中しやすいから、『風邪引いた』と『心』に認めてしまいうからだそうです。余談ですが、私は、この方法は成功してます。失敗もあります。ただ、その時の状況により違いますね。やはり、仕事が、忙しい時は、心も疲れてますから、うまく行きませんね。『風邪』一つでも、『心』の勉強になるし、『生命の実相』の正しさの証明と、失敗した時は、どうしてかも、分析すれば、『生命の実相』をただ読むだけでなく、より、深く、知る事ができましすね。

復興G様、役行者様、おしゃる様に、『生命の実相』は素晴らしいですね。

トキ様、無理せずに、養生してください。いつも、心使いありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1330ももんが:2012/03/01(木) 23:44:35 ID:XXCuaQns
>>1324

ハマナス様


ハマナス様、いつも、素晴らしい投稿文拝読するたびに、心、洗われる思いです。感謝敬白、合掌、拝。


<<1324:ハマナス
12/03/01(木) 23:12:45 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま、こんばんは。

昨日とは変わって、今日は立教記念日にふさわしい晴々とした良いお天気でした。
話しに寄りますと、本部会館は大勢の人でいっぱいだったそうです。
心からお祝い申し上げます。
     
三 月  万物めぐむ (『光明道中記』より)

      美 的 価 値 と 行
 
人間は宇宙の生命が咲き出でた美花である。それに気着かぬに人が多いのは
悲しむべきことである。人間自身が花であると云うことに気が着いたならば、
人間はただ美しく生きることに懸命になれるに相違いないのである。
人間の価値には、美的価値と、道徳的価値と、経済的価値とがある。経済的価値とは
物の生産と消費との関係に於ける価値である。経済的価値を生産のみにあると思う
のは間違である。生産と消費との調和に価値が生まれるのである。道徳的価値とは
人間の心に生じたるものを行為に表すところの価値である。経済的価値も、道徳的
価値も、行(ぎょう)を通してのみ、その価値を成就する。美的価値は離れて観る価値
であるから、行と最も縁深いところの価値であるが如く思われる。 併(しか)し、
「美」もまた行(ぎょう)を離れて存在し得ない。「美」は紋理であり、相(すがた)で
あるが、相もコトバの振動によって展開するから、行(ぎょう)なくんば美もまたないのである。

     三月一日   栄光を見る日

 われわれを神が造った。 神と呼ぶのが嫌やな者は生命と言っても好い
                      (『生命の實相』第七巻)

人間の受胎はすべて神性受胎であると云うことである。「斯かる人は血脈(ちすじ)
によらず、肉の欲(ねがい)によらず、人の欲によらず、ただ神により生まれしなり。
言(ことば)は肉体となりて、我らの中に宿り給えり我らその栄光を見たり」
(『ヨハネ伝』第一章)その栄光を見ることが悟りである。われを肉欲によりて
生れたる者と観ず、われをただ神によりて生れたと観るのである。彼を、汝を、我が
親を、子を、良人を、妻を、すべての人々を神によりて生れしものなりとして観るの
である。そこに人生ならぬ「神性」が始まり、肉生(にくしょう)ならぬ霊性
(れいしょう)は始まり、自分の周囲に住む人々は悉く「神より生れし人々」となる。
かくて自分の周囲は神の国となり、天国となり浄土となる。

 観の転回である。「観ること」が転回して見られる世界と、観られる人間との貌
(すがた)が変る。「菩薩心浄ければ浄土浄し」暗黒を見る心が一転して栄光を見る
心になるのが悔(くい)改めである。
 
「光は暗黒(くらき)に照る。而して暗黒は之を悟らざりき」(『ヨハネ伝』第一章)
栄光は照り輝いているのである。栄光のほかに何もののない。されど暗黒は之を悟ら
ないのである。人はすべて神の子である。神性受胎である。吾れ今呱々(ここ)の
声をあげてその栄光を見る。>>



二元化した世界を脱却するには、

“神に全択する”しかないですよね。


いつも、素晴らしい教えをありがとうございます。
ハマナス様には、真に、教えられます。

ゆっくり、おやすみください、いつも、心尽くしの言葉、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1331ももんが:2012/03/01(木) 23:57:57 ID:XXCuaQns
>>1322
役行者様

合掌
追伸・役行者の、元職員様の、御返答文章、大変素晴らしいです。感動しました。感激です。私には、こんな、頭の中では、出来ていますが、この表現は難しいです。流石です。役行者様。勉強になりました。ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

1332元職員:2012/03/02(金) 02:02:42 ID:???
役行者さん、ももんがさんに褒められて良かったですネ

本部内の法則?wのようなものがあります。

>>近くにいて知ったものから去っていく<<

近くにいてその人の言動を知って、自分の想像していたモノとのギャップに愕然として
去って行くんですね。本部からたくさんの幹部が去っていきました。
こんなことは教団の歴史上、今まで無かったことといえると思います。残念ですが現象世界ではこれが現在の本部の
実態です。私も靖国見真会さんも同じです。

 細かいことや誰がこんな時にこういわれた・・・などと書き始めると一冊の本になりそうなのでやめますが・・
『生命の實相』についてだけ特化してお話すれば、こんな事実を上司から聞いて驚いたことがあります。

谷口雅宣氏が副総裁になってまもなく、その年の運動方針の検討が本部内でありました。
その年よりも以前の運動方針の四番目の柱、「世界に伸びる運動計画」の中にあった
*聖典の翻訳活動をさらに進め『生命の實相』を六ヶ国語に○○巻の完成を目指す(要旨)という方針を続けていましたが
その上司が理事会審議の事前に、副総裁に継続を報告したところ・・・

「それは必要ない」と副総裁から言われ、さらに・・・
「海外については僕がそれを(生命の實相にあたるものと思われる)書くから・・・」と指示を受けて次の運動方針から削除されたという
事実がありました。実際に『生命の實相』の英語翻訳は40巻すでに原稿として完成していましたが、その時より出版は停止になってしまいました。
この事実は、関係者だけが知っていたことですが、外部からは知りえない現在の状況を正しく知るためにはとても参考になる事として明らかにしておきたいと思います。

 この事をふまえれば、「今の教え」「現代の世相にあわせた教え」という主張通り、今は総裁となった雅宣氏は『生命の實相』を新たに自分の言葉で書き換えて発表することは
充分に想定内で、とりわけ神想観のニューバージョンとか、真理の吟唱をまねたコトバを発表した゛前歴゛を考慮すれば『生命の實相』を自分で書き換えて『新・生命の實相』を自分の名前で
発表することは当然の事として考えられるわけです。

特に役行者さんに思い返し読み返していただきたいのは、「神示」において本としての『生命の實相』が、「神殿である」と明確に書かれてある部分についてです。
今一度「神示集」や新編「聖光録」を読み返していただければ幸いです。さすがに、「神示」を書き換えることは誰にも出来ないからこれこそを根拠にして考えなければなりませぬ。

1333志恩:2012/03/02(金) 06:39:01 ID:.QY5jUA6
元職員さま

過去に、>「生命の實相」英語翻訳40巻が、すでに原稿として完成していたにもかかわらず、
副総裁時代の雅宣氏に「それは必要ない」「海外については僕がそれを(生命の實相にあたるものと
思われる)書くから‥」と指示を受けて次の運動方針から削除されたという。>

この判断ミスには、驚愕しました。
歌舞伎は古い。古典伝統芸能も古い。全部廃止せよ。というのと一緒です。

うちの子供たちも,全員,「生命の實相」を、拝読しております。実家の弟には、3人の男の子の子供がいて、
3人揃って、慶応大ですが、入学まえに3人とも「生命の實相」を、全巻読んだのだと弟が話していました。

このように現在の大学生年代の子達にでも、「生命の實相」は、充分に通用し、人生観を変えて頂いている聖典なのです。
昔の時代に書かれたんですから、例え話は、古いに決まっています。読む時は、みなさん、それらは差し引いて、
真理のエッセンスのみを、飲み干しているのです。

雅宣氏の、このような判断ミスは、次々と、どこから湧いてくるのかわかりませんが、「生命の實相」を絶つ、ということは
古事記には、樹に学べということが書かれていますが、樹の根っこを全部切り捨てるのと,同じ行為です。

「小閑雑感」を読んで、人生が前向きに生きられるようになりますか?

「日々の祈り」には「甘露の法雨」のような数々の奇跡や功徳は、ありましたか?

この分ですと、雅宣氏著・「新 生命の實相」が、出版されるのは、想定内のことのようですね。

雅宣総裁の,判断が正しかったのなら、なぜ、信徒は激減につぐ激減になっているか、お考えになったことってないのか、
不思議でなりません。

1334ももんが:2012/03/02(金) 07:18:18 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。今朝は、曇り空で、少し、肌寒いですね。本日も、元気に、明るく、楽しく、神の子の生活を楽しみましょう!ありがとうございます。合掌、拝。


〜ある、都会の生き物戦い〜

去年の7月頃でしたか、雨の日でしたが、私は、ある庭の綺麗な喫茶室で、お茶を飲んでおりました。
外をボンヤリ眺めていると、三羽のカラスが、ハトを啄んでいました。そこに、野良猫二匹が、遠くから、獲物を、横取り、しようと、狙いを定めていました。両者、獲物を間に置いて、威嚇しあったり、獲物を引っ張り有ったりしていました。
そのうち、猫が、獲物加えて、遠くへ駆け出すと、空中から、カラスが、戦闘機の様に攻撃してきます。しかし、結局、茂みに隠れた、猫の勝利に終わりました。

〜お話終わり。

先日、お話した、『南泉斬猫』と言うより、『生命の実相』に出て来た、“カエルがヘビに飲まれる”お話に近くお話に見えてしまうでしょか。“自然界のこの姿”悲しい出来事なのに、変える事がで無い。すいません、朝から、少し、暗いお話に成りまして、こんな、お話をしないようにないといけないのに、反省です。
では、皆様、明るい心で、本日も、素晴らしい、神の子として、元気にご活躍下さい。いつも、御拝読、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

1335志恩:2012/03/02(金) 08:27:10 ID:.QY5jUA6
夜の月もあり、昼の太陽もあり、
夜も語るも昼を語るも、憎くて言っているのでは、ありませんから、
どちらも、ある意味、光明思想だと思っております。

1336役行者:2012/03/02(金) 08:30:38 ID:9hAzTsMA

>元職員さま

 再度のお声掛け、ありがとうございます。

 >役行者さん、ももんがさんに褒められて良かったで すネ <


 良かったです。このように励まして下さる元職員さま、なぜでしょう、目頭が熱くなってきます・・・


 私は詳しいことを知らないので何とも云えませんが、本部内ではいろいろなことがあったのですね。
 ご心中、お察し申し上げます。

 たぶん、聖典 生命の実相の英語版に関して、そのようなことがあっただろうとは察しがつきます。

 だからこそ、今一度、その当時の関係者を含め、同じテーブル上で話し合うことが大切だと思うのです。

 今回、崖っぷちから投稿することにより、より見えてきました。
 雅宣先生は、根本に人類救済、次世代に明るい未来を!をかかげ、真剣勝負だ、ということが・・・

 真剣勝負なもの同士ですから、話し合えば、必ず、誤解が融けることと思います。

 生命の実相を如何に全世界に普及していくか!という根本的な諸課題をもう一度、みなとも集い、話し合うべきと存じてます。
 
 たぶん、察するに、未だ箪笥の奥にしまわれたままの諸課題が山とあります。
 それら一つ一つをみんなで力を合わせて解決していかなければならないと存じてます。

 ほとんどの信徒は和解を望んでおります。分派の方々の中にもたくさんの優秀な人材がおります。
 思想上、かみ合わないところは、三日三晩の徹夜してでも話し合い、ともに協力しあって人類光明化運動に邁進すべきと存じます。


 >特に役行者さんに思い返し読み返していただきたい のは、「神示」において本としての『生命の實相』 が、「神殿である」と明確に書かれてある部分につ いてです。 今一度「神示集」や新編「聖光録」を読み返してい ただければ幸いです。さすがに、「神示」を書き換 えることは誰にも出来ないからこれこそを根拠にし て考えなければなりませぬ <

 
 いつも、ご指南、ありがとうございます。
 了解いたしました。


      感謝 合掌 再拝

1337ハマナス:2012/03/02(金) 09:11:01 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
おはようございます。

 「今」 新 生 す る (『新版 生活の智慧365章』P.81)

神は常に吾らに新しき日を与え給うているのである。朝々が常にその人にとって
「新生」なのである。神は、「今」新生するとき、過去をもって責め給うことは
ないのである。神が「今」を吾々に与え給うことを、神に対して感謝しようでは
ありませんか? 過去の何があったであろうとも、それは既に過ぎ去ったのである。
「今」は一切の過去を変貌される力をもっているのである。「今」ここに自分の
生命(いのち)に神が在(まし)ますことを自覚したとき、それは自己の魂に
燈をともされたのと同じことなのである。

 過去の一切の悪も業も罪も、闇と同じような仮存在に過ぎないのである。
闇は実在するかのように見えるけれども、それは「光りの非存在」の仮の相(すがた)
であって、光さえ射し込ませれば消えるのである。それと同じく、「今」自己の内
に神が存在し給うことを本当に自覚するとき、過去に如何なる罪や因縁や業が
あるかの如く見えていても、それは消えてしまうのである。


感謝合掌

1338元職員:2012/03/02(金) 12:48:46 ID:???
志恩様ありがとうございます。

 話の流れの中で、思い出したことを書き留めておきたいと思います。
慶応大学の名前が出ましたので・・・国内の幹部の方はあまりご存知ないかもしれませんが
宮澤潔先生は慶応大学卒業の方です。

 先ほど書きました事実のころに副総裁はアメリカに講演旅行に行きましたが、そのことがきっかけになり、大きな問題がおこりました。
宮澤潔先生は当時北米出版局長をされて、すでに10年以上活躍されていまして英語版「生長の家」誌の編集責任者となっておられました。
 雅宣氏の講演はね英語の原稿を読み上げる形の講演であったそうですが、それを英語版「生長の家」誌に載せるように雅宣氏は一方的に
指示した事に対して、雅春先生のご文章を第一に編集に当たってきた責任者としてただちにそれを受け入れませんでした。理由は次の通りでした。
①雅宣副総裁の講演原稿は1つの論文であって、雑誌に連載して載せるには不適当であること。
②むしろ、講演原稿は一冊にまとめて出版することが適当であり、そのほうが読者に説得力があること。
という事であったようです。(しかし実際にその英語は不備な点が多く雑誌のクオリティも落ちる可能性もあったと聞きました)
これを聞いた雅宣副総裁は激怒。国際部長に「あの宮澤を排除しろ」と指示。国際部長はこれを何とか良き方向にも穏便に収めるために宮澤氏と相談の上
宮澤潔はオーストラリアの新天地で代表者として赴任する事に決定。総裁であられた清超先生は特別に<宮澤氏に特命本部講師の称号を与えられました。
 それからというもの、宮澤潔先生はご家族で一から道場建設に取り組まれ、牧場の管理小屋を基点にしながら自給自足の体制作りと自然の中での練成を目指して
木を植え、池を堀り、何も無かった牧場を小鳥達の集まる森へと変えていかれたのです。それを現地の人達は大いに感激して協力者が次々に集まり、道場として練成会
を開催するまでになりました。しかも宮澤氏は足りない土地をご自分の私財を使って購入され、道場はいよいよ理想郷へと姿を変えていきました。

しかし・・・ある日、雅宣氏から突然、福岡ゆには道場の所属講師として(役職なし)帰国を命じられるという事になりました。すると現地オーストラリアの幹部達は
本部の命令のあまりにも一方的な事に激怒。幹事会を開き、本部と包括関係を切ることを全員一致で決議。オーストラリア生長の家はこのようにして独立宣言を現地法律に基づいて
行ったのです。ここから日本本部とオーストラリア生長の家の裁判が延々と続き、5億以上の浄財が日本本部によって弁護士関連費用として使われたのでした。
 この裁判のあり様を心配し和解を主張したのが谷口貴康氏でしたが、その和解を主張したことにより雅宣氏より宮澤氏を弁護しているとみなされて、責任役員を降ろされたのです。
これが、一般信徒のしらない知らされていない本部職員にも知らされなかった事実です。

1340志恩:2012/03/02(金) 16:04:01 ID:.QY5jUA6
元職員様

1338:宮澤潔先生(慶応大学卒)の、生長の家の於ける詳細な情報を感謝します。

このような正確な事実は、われわれ末端信徒の耳にも、生長の家の組織の皆様の耳にも、隠蔽されていることですから、
公開されないまま今日まで至っております。

宮澤潔先生が、かって北米出版局長をされて、すでに10年以上も、生長の家にご尽力されておられ、英語版「生長の家」誌の
編集責任者までなさってましたのに、
雅宣氏が、北米に講演にいらした際、総裁の理不尽な要求を、総裁のためを思い、雑誌への連載を思い留まるよう、説得されたら、
雅宣総裁は、言う事を聞かなかった事を激怒して、
やるわ、やるわ、あくどい事を。宮澤先生に対して。

その後、宮澤潔先生が、オーストラリアに生長の家を開かれた後も、次々、雅宣総裁は、信徒の浄財(確か5億円)をつぎ込んで、
すごいですね、宮澤先生を追いつめる、その執念が。

この裁判のありさまを心配し、和解を主張された貴康先生は、宮澤先生を弁護したとみなされ、そのせいで、雅宣総裁に、責任役員を
降ろされたり。。。

おどろおどろしい事実が、あったのですね。
さすが、マムシ総裁。

こういう事は、やはり、詳しく信徒に公開して頂く事が、必要だと思います。

そうでないと、憶測が憶測を呼びますから、悪かったのは、宮澤先生と貴康先生の方だったのじゃないだろうか。
ふてぶてしく振る舞ってたんじゃないだろうか、という具合に風評は、あちことで飛び交っておりました。

話し合えば、誤解が解ける?この事実も、誤解と思え!っていうことでしょうか。

色々、ありましたが、過去は水に流して下さい.毎日が新生ではないでしょうか、という真理をかざして言われてるお方も
ございますが、総裁は、過去で悪行を終わっておられないのでした。

ing‥今も尚、最高裁へ上告することにより、なにか、隠し玉とネーミングされた怪しげな兵糧攻めの技をご披露中なのですよね。

他のことも、お話頂ければ、ありがたく存じます。

1342うのはな:2012/03/02(金) 16:17:05 ID:El6gIMAw
》私は好きこのんでこんなサイトをつくっているのではありません。
》 みんなの迷惑回避について考えませんか?

 訊け管理人さん、あなたはなぜそんなによくしゃべるんですか。
あなたが、女神の部屋をつくりそこの冒頭で他の方のコメント欄使用は控えてください
一切の反論は受け付けませんといわなければ、わたしも冒頭文を削除してくださいとはいわなかったし、
他の人からあなたは自分は人を批判しても人から批判されるのは嫌なんだと見等ちがいなこともいわれることも
なかったし、コントを楽しみにしていますといわれることもなかったでしょう。
それを最後になってから、わたしは好きでこんなものをつくったわけではありません。

私のところに苦情メールがきています、みたいなこともなかったでしょう。

生長の家の信者じゃない妻子がジャンクフードの店へ出かけている間、他サイトで
ネット布教の話しをしてアク禁になったり、大調和の神示を掲げて大迷惑をかけて
閲覧禁止になったり、ここへはこない、謹慎するといいながら何回も出てきて
女神の部屋に誘導したり、そんな人がトキさんの掲示板のことや誰かの迷惑について
とやかくいえる筋合いだとは思いません。

私への批判でも悪口でもあるなら書いたらいい。
でも、みんなの迷惑にならない方向については、あなたの高尚なブログコメント者たちと
やってください。

1344うのはな:2012/03/02(金) 16:37:51 ID:El6gIMAw

議論妨害になるから私の投稿も削除してもらっていいですが、訊け氏は今は
謹慎中になっていますから、(自主的とはいえ)本当なら、あなたがここで
議論するのは筋違いではないかと思います。

 別に私を悪とみようと、またそれを修行しようと修行しまいとあなたの勝手ですが、
私になにか苦情があるなら、ここの管理者に処置を願ったらどうでしょうか。
あなたが、こっちに誘導してくさいでも、みんなの迷惑でも、大調和の神示でも
説く資格がないといってるんです。

1345うのはな:2012/03/02(金) 16:41:44 ID:El6gIMAw
 以前、削除は自分で申し出ないといけない、わたしがうそをついていると
笑っていましたが、そういう削除するようにうのはなさんに注意してください、でも、
あなたが指示しないで管理者に頼めばいいといってるんです。
トキさんも以前、訊け氏に何かいう時は直接のやりとりはさけて、管理人などを
通したらと提案されていました。

1346トキ:2012/03/02(金) 16:50:55 ID:ew5yuqQg
 まだ、体調が悪くて、朝起きて、その後、ハッサクをせっせと食べているトキです。

 訊け管理人様、謹慎なんて気にしないで、どんどん投稿をして下さいよ。ここは
誰が、何を書こうが、自由な場所です。やはり、訊け様がいないと、寂しいです。

 宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1347志恩:2012/03/02(金) 17:03:14 ID:.QY5jUA6
元職員様

実は、奇遇にも、雅宣総裁の北米の、第1回目の英語講演会に、私の2番目の妹(アメリカ・カリフォルニア在住)が、
聴衆者の一員として、参加しておりました。

そのころは、今のようにメール交換はしてなかったので、妹からの私宛のエアーメールに、英語講演会に参加した時の
感想がシタタメてありました.

ここの掲示板に書いていいかどうか,迷いましたが、手紙に書いてきた妹の率直な感想を書き込む事に致します。

『北米での、第1回目の慣れない英語での講演会のせいか、
壇上に立たれた総裁は、
原稿用紙に書かれた英語のスピーチを、下を向いたまま、ずっと読み上げていた。

アメリカでは、講演する場合は、講演者は、聴衆に顔を向けて話すのだが。

それが、ずっと、原稿を読み上げているため、下を向いたままだった。その上、英語が下手すぎて、
何をしゃべったのか、内容がまったく分からなかった。

その日、私(妹)は、教師をしている義母(夫の母)を、初めて生長の家講演会に,お誘いして二人で参加したのだ。
(日本から雅宣総裁が来られると聞いて)
だけど、ひどすぎて、なんか、恥ずかしくて、あとで、わけのわからない言い訳をしちゃった。』と書いてありました。

そんな、現場で聴いても、何を言いたいのか、わからなかったというような原稿を、アメリカの生長の家の雑誌に連載してくれ!とは、総裁は、
どういう神経の持ち主なんでしょう。

それで、宮澤先生が、総裁を思って、思い留まるように説得したら、激怒して、権力を悪用して、やるわ やるわ。

おそれいりやの鬼子母神とは、こういうことでござんしょうか。

で、おまけですが、第2回目に総裁が,北米へ講演会にいらしたときは、妹は、都合が悪くて行かなかったそうですが、
講演会後に、アメリカの大幹部でいらしたポール菊本先生というお方に、あとで妹が

 「どうでしたか、雅宣先生は。少しは,話がうまく なられてましたか?」と尋ねましたら
 「まあ、まあね」と、ポール菊本先生は,答えられたと、その後の,妹からの手紙に書いてありました。

最近のことは、知りませんが。

1348志恩:2012/03/02(金) 17:32:54 ID:.QY5jUA6
1347;志恩の文には、

私のアメリカにいる妹からきた手紙の内容を書き込みましたが、
事実でありますが、妹に断ってから書いていませんので、本流掲示板への転載は、× にお願いします。

1349志恩:2012/03/02(金) 18:44:37 ID:.QY5jUA6
1347:
※ 以前来た、妹からの手紙には,実際は「雅宣総裁』ではなく、『雅宣さん』と、ありました。
さんづけでは、失礼かと存じまして、総裁という現在の敬称を私が、おつけしました。

1350うのはな:2012/03/02(金) 18:45:00 ID:El6gIMAw

 志恩さんや、トキさんは訊けさんに早く帰って来てと書かれていますが、
こないだでも、訊けさんのは和解の論理がどうだこうだでそんな何回も同じ話しは
疲れるみたいなことをいうと、いいかげん開き直ったらどうですかなんて失礼なことをいわれました。
さあ、はじめましょうでも、なんだかんだといわれて口論みたいなことになったら
あなたがたふたりはなんとかしてくれるんですか・

こっちがふたりとも和解してもらえませんかだとか、漫才は他でやってだとか
いわれるだけじゃないんですか?

1351志恩:2012/03/02(金) 18:56:06 ID:.QY5jUA6
うのはなさん

私は、先日も言いましたが、訊け君と和解してとか、別のところでやってとか、言いませんので
ご安心を。

私は、ふたりの間に 入れないと わかりましたので、ご安心を。

母親だぜ!とも、言いませんので、ご安心を。

だけれど、

訊け君のことは、すきなので、帰って来て欲しいと思っています。

1352生長の家大好き「ぼるぼ」お孫さん教団の苦悶:2012/03/02(金) 19:00:47 ID:iV0JULqA
元職員さんと志恩さんの話に触発されて書きます。

生長の家とは雅春先生の提唱した光明生活法を実践する運動である。雅春先生が帰幽したあと、娘婿の清超氏が教団総裁になって、発音は同じだが、生長の家が清超の家になってしまったと思っていたら、さらにその後発音まで変化し、いまや雅宣の家になっている。

親しみをもって師事していた雅春先生は、大聖師という人間離れした尊称で呼ばれ、清超氏まで同じ尊称で呼ばれている。

清超氏は弟子であり、娘婿ではあって、雅春先生と同格ではありえないし、ましてやその子供に過ぎない雅宣君が同格である訳が無い。

あたかも裸の王様が街頭に出てパレードする、こう言う事態になるのは、組織を白アリの如くに食いつくすヒラメ茶坊主の仕業である。

宮沢氏は縁族だから、優秀であってもお孫さん本流から見て支流である。雅宣がだめなら貴康、というのが時代の要請となるんではなかろうか。

さっき覗いた唐松ブログで、堀とか言う人が脱雅春先生を煽るようなコメントをしていた。こういう媚や煽て記事を真に受けて、裸の王様は、脱原発などを公言するようになるのである。

人類はもはや原始時代には帰れないのだ。前進するしかないのだ。雅春先生が説いたことは、いかなる境遇でも乗り越える知恵と力を神から与えられているということである。

雅春先生の獅子吼は、決して古臭くなってはいない。像法の時代ではあるが、生長の家は、雅春先生の獅子吼は、今もなお日本を世界を救う力があると思うのである。

1353志恩:2012/03/02(金) 19:13:33 ID:.QY5jUA6
ふたりが口論になったら、なんとかしてもらえますか。ということですが、
なんとか、してくれる人、

「どこかにいませんか〜〜〜〜っ」
世界に向かって叫ぶ! トキ掲示板一同

▽ 募集・・腕利きの、二人の仲裁人⏎

 お礼;あなたの好みの花束 1,000本

1354志恩:2012/03/02(金) 20:06:49 ID:.QY5jUA6
生長の家大好き「ぼるぼ」お孫さん教団の苦悩 様

ぼるぼさま、心強いコメント,ものすごくうれしかったです。
そうですよね。

やり直し、見直し、やり直しのお方は,
貴康様でしょうか、援護射撃は、宮澤先生ご夫妻でしょうか。
そちらのほうの詳しい事情は、知らないのですが。。

唐松模様で、堀氏が、脱雅春先生を煽るようなコメントをしていましたか。
脱原発、脱雅春先生、脱生命の實相、脱聖経、、、ほんとの新年度の運動方針。(泣)

生命の實相を,古いとは、現代に通用しないとは。
通用しないのは、雅宣ご夫妻、お二人のおつむの中の世界のみのことです。
世間知らずもいいとこです。

ぼるぼさまのおっしゃる通りです。
>人類はもはや原始時代には帰れません。前進するしかないのだ。雅春先生は、いかなる境遇も乗り越える知恵と力を
神から与えられているのである。

雅春先生の教えを古臭くなってると思える頭の構造は、スカスカのカラッポ模様だと思います。

私も、3/1,唐松模様を拝見しましたが、やはり,雅春先生のことを最初に出されて、神の子を生きるとは、四無量心を
生きる事、それを実践するとは,化石燃料を使わない、生態系を破壊しない.つまり,環境問題。それに加えて
脱原発。至上愛とは、つまり、環境問題、脱原発。これを実践することが、神の道であり、至上愛を実践することなのである。

と、宣言されてますね。人類救済に対して総裁は、真剣???????
日本と世界を救うのは、これですか???????????????

私は、以前、Queen Beeママが、話してくださったシエクスピアの『リア王』を、連想してしまいます。

1355ももんが:2012/03/02(金) 22:43:41 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子の皆様

トキ様、神の子の皆様、こんばわ。合掌、拝。
本日は、雨が凄くて、首都圏は寒かったですね。お外に出たかた、大変でしたね。真に御疲れ様でした。

今日、掲示板を見て、私が『心』に残った御文章は、二つあります。

①、志恩様の言葉
<夜の月もあり、昼の太陽もあり、
夜も語るも昼を語るも、憎くて言っているのでは、ありませんから、
どちらも、ある意味、光明思想だと思っております。>

この言葉に、志恩様の『心』を観ました。志恩様の『やさしさ』と同時に、志恩様が、深層心に『二元的に物を観てる』ことが分かりました。志恩様の『やさしいさ』を触れた事は、嬉しく思うしだいです。
ありがとう、志恩様、また、後日改め、この事は、感想を申します。感謝敬白、合掌。

②、そして、ハマナス様の御言葉です。

< 「今」 新 生 す る (『新版 生活の智慧365章』P.81)

神は常に吾らに新しき日を与え給うているのである。朝々が常にその人にとって
「新生」なのである。神は、「今」新生するとき、過去をもって責め給うことは
ないのである。神が「今」を吾々に与え給うことを、神に対して感謝しようでは
ありませんか? 過去の何があったであろうとも、それは既に過ぎ去ったのである。
「今」は一切の過去を変貌される力をもっているのである。「今」ここに自分の
生命(いのち)に神が在(まし)ますことを自覚したとき、それは自己の魂に
燈をともされたのと同じことなのである。

 過去の一切の悪も業も罪も、闇と同じような仮存在に過ぎないのである。
闇は実在するかのように見えるけれども、それは「光りの非存在」の仮の相(すがた)
であって、光さえ射し込ませれば消えるのである。それと同じく、「今」自己の内
に神が存在し給うことを本当に自覚するとき、過去に如何なる罪や因縁や業が
あるかの如く見えていても、それは消えてしまうのである。>


ハマナス様の御言葉を読むと『人間神の子、本来罪なし』を繰り返し、お話してくださり、大変、感動してます。
いつも、聞く、雅春先生のテープでも『スターデリのキリストを観て、本来罪なしに目覚めた』お話をされてました。ハマナス様、いつも、明るく、勇気をくれるお話、ありがとうございます。感謝敬白、合掌。


御二人は対極的に、私には、観音様の化身です。ありがとうございます。

それから、『実相と現象』雅春先生著より、こんな、言葉を、発見しました。

★『実相と現象』235㌻〜236㌻

<『団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、あらゆる点において完全無欠とはいうことは出来ないのである。全ての人間はその人間は実相は既にある神の子として無限の完全さを宿しているのであるけれども、現象的には努力によって徐々に開かれて行く最後の完成を目指しているのである。だから団体の幹部、役員、講師たちにも、団体のメンバーから見れば不完全であり、批判の的になる点は無数にあるのである。それは内部で指摘し、批判し、攻撃しあっているでは内部紛争を越して、外部に向かう人類光明化の目的を達成すべき力が弱まるばかりである。幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れて来やすくなるのである。信徒や誌友達は教団の幹部の人達にも現象人間として、色々の苦労があり、悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の完全円満さを念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげるべきである』〜以上

『実相と現象』より、谷口雅春先生の言葉です。

トキ様、この言葉、現在の、総裁から、教団幹部、分派幹部、全ての信徒が、聞いて欲しい、言葉かと、思われました。

すいません、生意気な事しまして、トキ様、神の子の皆様、寒いですから、お風邪ひきませんように、暖かく、して、おやすみ下さい。お話きいてくださり、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1356ハマナス:2012/03/03(土) 00:19:56 ID:u5mC.eb2
ももんがさま

いつも讃嘆して下さいまして、ありがとうございます。
ももんが様の、讃嘆、明るい言葉によって、掲示板の皆さまの実相を引き出して
下さっているように、思います。

>ハマナス様の御言葉を読むと『人間神の子、本来罪なし』を繰り返し、お話してくださり、
大変、感動しています。
いつも、聞く、雅春先生のテープでも『スターデリのキリストを観て、本来罪なしに目覚めた』
お話をされてました。ハマナス様、いつも、明るく、勇気をくれるお話、ありがとうございます。
感謝敬白、合掌。<

ももんが様が、仰います通り、『生命の實相』をはじめ、SAKURA様引用の『幸福を招く365章』や
、a hope様引用の『人生読本』、雅春先生のどの本をとっても『人間神の子、本来罪なし』が
繰り返し書かれてあり、感動いたします。

そして、『実相と現象』の実に素晴らしいご文章をありがとうございました。

>それから、『実相と現象』雅春先生著より、こんな、言葉を、発見しました。
★『実相と現象』235㌻〜236㌻

<『団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、あらゆる点において
完全無欠とはいうことは出来ないのである。全ての人間はその人間は実相は既にある
神の子として無限の完全さを宿しているのであるけれども、現象的には努力によって
徐々に開かれて行く最後の完成を目指しているのである。だから団体の幹部、役員、講師たちにも、
団体のメンバーから見れば不完全であり、批判の的になる点は無数にあるのである。それは内部で指摘し、
批判し、攻撃しあっているでは内部紛争を越して、外部に向かう人類光明化の目的を達成すべき力が弱まる
ばかりである。幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、感謝され、称賛され、美点を見つけて
もらい、激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れて来やすくなるのである。信徒や誌友達は
教団の幹部の人達にも現象人間として、色々の苦労があり、悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の
完全円満さを念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげるべきである』〜以上

『実相と現象』より、谷口雅春先生の言葉です。<

もし、掲示板を、ご覧のすべての方々が、お互いに“感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、
激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れ”、“欠点を見ないで、実相の完全円満さを
念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげる事”が、できたら、生長の家は日本のみならず、世界中に
広まり、世界の人類光明化に絶大は力を発揮すると、思いました。
 
大先輩のももんが様に、生意気なことを申しました。ご教示下さいまして感謝いたします。
合掌

1357ももんが:2012/03/03(土) 07:14:21 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。今朝は、雨上がりで、少肌寒いですが、素晴らしい、朝がやって来ました!さあ、今日も、元気に、明るく、楽しく、素晴らしい日していきましょう。ありがとうございます。感謝合掌、拝。




>>この世の中は、コトバで言うことが実現するのであって、それ以外の何ものでもない。だから毎日『ありがとう』『ごくろうさん『サンキュー』『メルシー』と言う人たちには、ありがたいことが次々に出て来るのだ。もちろん一日中『ありがとう』ばかりり叫んでいるわけないから、色々と出て来るが、ムッツリとして黙りこくって、文句ばかり言ってる人には、それなりのいやな”注文品“が出て来るのである。<<


〜谷口清超先生著・『ありがとう』はすばらしい!より〜


また、この言葉を貼り付けて、すいません。しかし、今朝も、私は、この言葉を読むと、新たな気持ちなれて、私の好みで、貼りました。皆様、ご勘弁下さい。
それでは、寒いし、雨で、道も濡れてますから、色々気をつけて、元気に、明るく、楽しく、お過ごし下さい。いつも、御拝読ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

追伸・今朝は、ハマナス様の御言葉、大変、有り難く、勇気を頂きました。いつも、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1358ハマナス:2012/03/03(土) 10:21:56 ID:u5mC.eb2
みなさま、おはようございます。

今日は桃の節句、おひなまつりです。何となく気分がウキウキします。
皆さまにとって、素晴らしい日でありますように。

    無 我 の 愛  (『新版 生活の智慧365章』P.79より)

 「兄弟の愛を常に保つべし。見知らぬ人に対し愛を与えることを忘れるな。
見知らぬ人に愛(親切)を与えることにより、その人は知らず識(し)らず天の使
(つかい)に愛の歓待を施したことになる」と「ヘブル書」に書かれているのである。
知った人、懇親に人のみに愛を与えるのには、自分の執着による依怙贔屓(えこひいき)がはいっていて、「無我の愛」とは言いがたいのである。電車や汽車に乗った時、
その隣にいる人に生長の家の教えを伝えてあげるのも、見知らぬ人に愛を施すことである。
知らず識(し)らず天の使を歓待していることになり、其の後、その天の使が大いに
人類光明化運動に活躍して下さることにもなるのである。

 若し誰かが失敗したならば、それは「現象」であり、「現象」は実在ではなく仮の
相(すがた)があらわれているのであるから、現象の悪をつかまえて責めることなく、
其の人の内なる実相が「神の子」であり完全であるということを、瞑目して一心に
念じ(又は祈っ)てあげることが、「兄弟の愛を保つ」ということなのである。
深くその人の実相の完全さを祈ってあげれば、自分の祈りの深さに応じて、その人の
実相の完全さがあらわれ、その人が立派になるものである。

感謝合掌

1359HONNE:2012/03/03(土) 12:37:40 ID:jtmmmlXY
 ぼるぼさんには、たぶん「ハッピーリンク」の時から、その書き込み等のコメントで、
いろいろ勉強させてもらっています。
 現在の教団の不本意な姿に関してですが、私は、組織又は組織の維持が優先し、
創始者たる雅春先生、求道者たる雅春先生に対する思いが軽んじられた結果なのではないか
と思います。私は雅春先生を知ることが、生長の家の道であると思います。
 何故、私が雅春先生にこだわるのか?
 私が生長の家を知る前から、何故か家には昭和10年発行の黒布製【生命の実相 第10巻 
神示を受くる迄」があった。今の【自伝篇】になるのでしょうか。このようなことが
あったことも要因かもしれません。

1360ももんが:2012/03/03(土) 18:05:14 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子の皆様

トキ様、神の子の皆様、こんばんは。本日は、雛祭りでしたね。少し、良い御天気でしたね。合掌、拝。

さて、昨晩、掲示した、谷口雅春先生の御言葉を、今一度、掲載さて、もらいます。

>>『実相と現象』235㌻〜236㌻

<『団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、あらゆる点において完全無欠とはいうことは出来ないのである。全ての人間はその人間は実相は既にある神の子として無限の完全さを宿しているのであるけれども、現象的には努力によって徐々に開かれて行く最後の完成を目指しているのである。だから団体の幹部、役員、講師たちにも、団体のメンバーから見れば不完全であり、批判の的になる点は無数にあるのである。それは内部で指摘し、批判し、攻撃しあっているでは内部紛争を越して、外部に向かう人類光明化の目的を達成すべき力が弱まるばかりである。幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れて来やすくなるのである。信徒や誌友達は教団の幹部の人達にも現象人間として、色々の苦労があり、悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の完全円満さを念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげるべきである』〜以上

『実相と現象』より、谷口雅春先生の言葉です。<<



遠い過去の雅春先生の御言葉ですが、雅春先生も『
『和解』する精神を尊んでおられるように、私は、個人的には、思いました。


では、トキ様、神の子皆様、私は、本日は、忙しいので、これにて、退散します。

季節の変わり目ですから、体調に、気をつけて下さいませ。いつも、御拝読、御感想、御批判、感謝申し上げます。ありがとうございます。合掌、拝。

1361トキ:2012/03/03(土) 19:21:44 ID:Ddf82KKs
ももんが 様

 「実相と現象」の有名な言葉ですね。実は、私等は、ダメ役員でしたから、この文章を読んで慰めに
しておりました。
 実は体調が回復したら書くつもりでしたが、組織の指導者とそれ以外の人物では、やはり感じるもの
が違います。例えば、メンバーの時は、指導者の決定に、「こうすれば良いのに」と感じる事はあり
ますが、実際にその立場になると、理屈の通りにはなかなか行かない、と感じる場合が多いです。
 ただ、リーダーも、常にメンバーの考え方を頭にいれながら行動を決めて行く、という能力は必要
みたいです。慣れて来ると、将棋でいう「何手先」が読めて来ます。ただ、私は無能でしたから、そう
いうだけの力量はなく、メンバーには迷惑をかけたと思います。
 就任をした時に満点の指導者はいなくて、辞める頃にようやく自分なりの方法とか方針が確立した
というのが感想ですね。人に寄って、やり方に違いはありますが、常にメンバーの利益を優先し、
自分の利益は後回しにしないと、みんなから支持を集められないとは思います。
 本題とは違いますが、多いつくまま、書きました。

 では、また、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1362a hope:2012/03/04(日) 11:32:12 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

小さな欠点を大なる美点に化せ

シカゴの有名な或る百貨店の支配人は、暑中休暇に、休暇をとってどこかへ旅行して帰って来ると、
必ず自分の百貨店の店飾(みせかざり)の遣方(やりかた)をスッカリ変えてしまうということです。

この支配人は休暇をとるといっても、ただぼんやりなどしていないのです。
いつも、何事にも行届いた注意をして、ちょっとしたことにでも、もっと新しい遣方はないか、
もっといっそうよい遣方はないかと研究し、ちょっとでも、いっそうよい新しい遣方があれば、
さっそくその実行に取掛かるのです。
そしてその支配人が旅行から帰った後には、その店は別の店のように新しい陳列法で人々の目を惹くのです。

小さい欠点だといって疎かにしているようなことでは、その店は繁昌しないのです。
それが「欠点」である間は小さくて、どちらでも好いような些細なものでありましても、
この小さな部分を「美点」にかえてしまったら、今までは毒にも薬にもならぬほどの小さな部分が、
ぐっと人々を惹きつける特徴になってくるのです。

一枚のチラシ、振替貯金用紙の裏に印刷する広告文句などでも、
一行の文句を換えることによって素晴らしい効果をもってくるのです。

商売上手ということを軽蔑するような宗教家もありますが、宗教の極致は、
商売の極致とも一致しなければならないのです。
商売は実際の世の中に生命を生かす道です。

本当の宗教は、過去のお寺さんのように、死骸にお経を誦(あ)げることではありません。
生命を本当に生かす道を教えるのが宗教なのです。高座の上や本の上で、
生命を生かす道を説くだけでは宗教ではないのです。

宗教は生活の上に実際に人々の生命を生かさねばならないのです。
職業の上に、仕事の上に、商売の上に、すこしも抜目のないような行届いた智慧が出てくるのが宗教の生きた働きです。

宗教とは、寝ていて欠伸(あくび)をして手を伸ばした拍子に「棚から牡丹餅」が転がり落ち、
口へ入ったというようなものではありません。
どんな些細な事にも、神様の教えを見出し、どんな小さな事でも良いと思うことはことごとく実行し、
礫(こいし)の形の間は、毒にも薬にもならない程のどうでも好い欠点でも、
磨き上げて多勢(おおぜい)の人を惹きつけるダイヤモンドに仕上げることなのです。

こういう人には失敗というものはありません。
ここにいたっては、商売も商道であり、尊い宗教であります。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

みなさま おはようございます。

>どんな些細な事にも、神様の教えを見出し、どんな小さな事でも良いと思うことはことごとく実行し、
礫(こいし)の形の間は、毒にも薬にもならない程のどうでも好い欠点でも、
磨き上げて多勢(おおぜい)の人を惹きつけるダイヤモンドに仕上げることなのです<

わたしは、この文章をよんで、「本当の生長の家の教え」とは、悪(欠点)を見ない教えではないのだ!
と感じました。
欠点に見えることや困難なことでも、すべてが「神の教え」であると、何か自分に意味がある出来事だと受けとって、
それを、自分自身の魂を磨く糧にしていくことなのではないかと思いました。

日時計主義を、だた、だた、「人生の明るい面だけを観て生きていく」という風に受け取りと、
「自分自身の魂を磨く」という大切なことが抜け落ちてしまうのではないかと感じました。


それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、今日もすばらしい一日をお過ごしください!

1363ハマナス:2012/03/04(日) 19:20:56 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。

    相手の姿は自分の心の影  (『新版 生活の智慧365章』P.82)

私たちは往々他の人の悪や欠点をみとめて、それに腹を立て、苛酷に批難することが
あるけれども、それは自分の心の影であることがある。自分が彼に対して苛酷な考えを
もっているから、彼が自分に対して苛酷にあらわれ、或いは「悪人」の如くあわわれて
見えるのである。彼に対する、こちらの考えを変えれば彼が変わることになるのである。

 先ず神想観を修して自分自身が神の愛に充たされ、すべての人々を赦し得る心境と
なり、然る後、彼もまた神の愛に充たされ、全然悪意なき神の子となっている姿を
心の中で描いて、それを凝視するがよいのである。やがて其の人の神性があらわれて、
其の人が過去を懺悔し、あやまりに来て善人になるような実例が随分たびたびある
のである。

感謝合掌」

1364ももんが:2012/03/04(日) 20:50:15 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子皆様

トキ様、神の子皆様、こんにちは。今日は、空も曇り少し肌寒いですね。いつも、お話を拝読くださり、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

今日は、朝から、忙しいく、朝のお話出来なくて、あいすいませんでした。合掌。

最近は谷口雅春先生の講義をテープで、“拝聴”するのが日課のように成ってしまってる私です。雅春先生に“直接御指導”されてるような感覚になっております。

さて、本日、雅春先生曰く
“宗教の第一義”について語られました。

〜『甘露の法雨・実在』より〜

★実在はこれ永遠
実在はこれ病まず
実在はこれ老いず
実在はこれ死せず
この真理を知ることを道を知ると云う。〜


ここの部分を、雅春先生は、引用されて、
『永遠に死ないところの命を自覚させることが、宗教の第一義である…』

この雅春先生は、言われました。

即ち、先日より、私や役行者様が、紹介された事を、雅春先生御自身が、講義テープで、講義されております。

『内在の自己の実相』自覚を一番第一の目的とあげておれました。

それを知るのに、一番はや道は『神想観』で、自分自身の実相を貫くように、観抜く心の力ようです。

それか、本日、『信仰版』読んでて、“心”止まった御文章が、ありました。

①、それは、a hope様の“人生読本”からです。

>>>どんな些細な事にも、神様の教えを見出し、どんな小さな事でも良いと思うことはことごとく実行し、
礫(こいし)の形の間は、毒にも薬にもならない程のどうでも好い欠点でも、
磨き上げて多勢(おおぜい)の人を惹きつけるダイヤモンドに仕上げることなのです<<

とても、素晴らしい、御文章です。これは、他人の欠点を見つける意味ではなく、“自己の内在の実相”を自己見参して、光明思想にもとずきなら、“実参実究”して行くと云うことと私は、日頃の雅春先生の講義よりそう思います。

そして、谷口清超先生も、『明る心』に成るのは、訓練だと、言われてます。

<<

〜明るい心、暗い心〜

この世では誰でも『幸福になりたい』と思っている。では幸福になると、どんな心持ちだろうか。『まだなかったことがないから、分からない』というかも知れないが、その点をごく簡単に整理して、『明るい心』か『暗い心』かどちらかと聞かれると、『明るい心』に○をつけるだろう。
それならば、先ず『明るい心』になるとよい。するとその心によって、次第に幸福になって行く。一ぺんにならなくても、だんだん、『幸福』になる。
何故かというと、この現実世界は、心によって作られるからだ。心が全ての現実を作って行く。部屋でも、暗くしようと思えば、カーテンでも暗幕でも引いて暗くできるし、明るくしよう思えば、電灯をつけるか、窓をあけるか、天井をブチ抜くかすると、明るくなるだろう。
ところが『明るい心』になるには、そんな天井をブチ抜くほどのことをしなくてもよい。世の中の美しいところや、人に深切なところ、自分や周囲の人々の『美点』を見るようにすればよい。それん見る“練習”をし、鏡の前で笑ったりしていると、だんだん『明るい心』になって行くのだ。その反対に、人の欠点や、いやな所や、きたない所を見て、フクレ面する練習をすると、かならず『暗い心』になって、『不幸な人』になるのである。
ウソと思う人は、この二つの方法のどちらかお好きな方を、せめて一週間ぐらい続けてやると、きっと、『ハハー、なりそうだ』と予感がして来て、さらにもう一週間続けようということになるかま知れない。

〜谷口清超先生著『ありがとう』はすばらし より〜>>

〜以下つづく

1365ももんが(つづき):2012/03/04(日) 21:06:15 ID:XXCuaQns
>>1364(つづき)


私も、余り、偉そうな事は、言えないが、体験的にいうなら、清超先生の御言葉ように、“『明るい心』を保つ訓練 ”を、日時計主義の生活と思います。『明るいコトバ』を使うように心掛けたり、『神想観』『聖経』『聖典』を読んだり。『日時計日記』を自分なりつけてみたり。
勘違いしないで、欲しいのは、明るコトバとは『あいさつ』『返事』や『行動』までも、含まれると、自分は、思ってます。

最後に、『正法眼蔵随門記』より

>>玉は琢磨によって器となる。人は練磨によって仁となる。いずれの玉か初より光りある<<
(玉は琢磨することで立派な器となるのである。人は練磨(訓練)することで立派な人となるのであります。どんな玉でも初めから光るものはなし、どんな人でも初めから鋭利な人ではないのである。)

a hope様の『人生読本』の御文章は、正に『随門記』この一説と同じ意味と私は思いました。
a hope様、素晴らしい御文章、ありがとうございました。また、御投稿、よろしく、お願いします。感謝。
それでは、皆様、トキ様、明日は、雨のようです。寒い日続きますから、暖かくして、おやすみください。御拝読、ありがとうございます。感謝合掌、拝。

1366ももんが:2012/03/04(日) 21:22:30 ID:XXCuaQns
>>1356

ハマナス様


ハマナス様、先日は、私の投稿した、”雅春先生の言葉“を賛嘆して下さり、ありがとうございます。感謝合掌、拝。


ハマナス様に、”大先輩“などと、言われまして、肩身の狭い、私です。

ハマナス様に比べたらたら、”生長の家信徒“としては、生徒と、先生くらいに違いますから、是非、今後も、光明的な、観方を勉強させてください。いつも、心遣いと、素晴らしい、御言葉に、感激感謝してます。

先日は、

<<お互いに“感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、
激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れ”、“欠点を見ないで、実相の完全円満さを
念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげる事”が、できたら、生長の家は日本のみならず、世界中に
広まり、世界の人類光明化に絶大は力を発揮すると、思いました。>>


上記の御言葉に、感激いたしたしだいです。ハマナス様の言われるとおうりですね。皆で、心から、平和の心をだしあえば、きっと、明る、世界に成りますよね。
ありがとうございます。

おつかれでしょ。ゆっくり、おやすみください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1367復興G:2012/03/04(日) 21:31:54 ID:ojEbkDH2

 私は、3月1日早暁、遠方にいる近親者(弟)が亡くなり、弔いのため出かけまして、やっと葬儀を済ませ、今日帰ってまいりました。それで暫くぶりの書き込みとなります。
 親族の中にはキリスト教信者もいて、讃美歌を教えてくれました。その中に、次のような讃美歌がありました。
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(讃美歌244番)
1.行けどもゆけども ただ砂原(すなはら)
 道なきところを ひとりたどる
 ささやく如くに み声きこゆ
 「疲れしわが友、我にきたれ」
2.やけたる砂原 いたむ裸足(はだし)
 渇きのきわみに 絶ゆる生命(いのち)
 しずかにやさしき み声きこゆ
 「生命のいずみに 来たりて飲め」
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 私はこの讃美歌を聞いて、故 榎本恵吾講師の書かれた『光のある内に』の一節を思い出しました。
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 それは私が中学3年生のときのことです。そのとき私は高校入試の勉強をしておりました。もう夜の11時頃でした。ふと眼を外に向けると、窓の外側のところに小さな植木鉢がおいてあって、それには一本のおしろい花が植えてありました。そのおしろい花はまだ咲いてはいませんでしたが、20センチくらい伸びて、かなり枝も出ておりました。
 しかし、誰も水をやらないので葉という葉は全部だらりとしなびておりました。その下りようは、もう全然生気のない、死んでいるような感じでした。葉のつけ根は細く、もう全く葉を支える力を捨てていました。そして鉢と植わっているものを包んで、全体に“死”がなびいているように思えました。
 私はその時、何気なく立ち上って台所に行き、ヤカンに水を一杯入れて来て、渇き切った鉢の中にどんどんと注ぎこんでやりました。いくらでも入りました。まるで鉢そのものが水を飲んでいるような感じでした。しばらくして、ヤカンに殆んど水がなくなって来たころ、一番上の小石の上に水が出て来ましたが、まだまだつぎ込みました。水は鉢から溢れました。たっぷりと水を注いで自分の心が何となく落ちついたとき、私は窓を閉めて、それから蒲団に入りました。
 翌朝、何の期待もなく、窓を開けたとき、全く生きかえったおしろい花の葉の姿を見ました。葉はピンと張り切っているし、先には小さな水滴さえつけて、陽の光を反射させておりました。そして、枝全体が力いっぱいに広がっていました。
 このときほど私は、植物が水で出来ていることを感じたことはありませんでした。まるで昨夜の水がこの植物となっているように思いました。葉も水でした。くきも水でした。緑色も水でした。全部水なのでした……。
 私は『生命の實相』を開くとき、この水のことを憶い出すのです。
<以上、『光のある内に』(榎本恵吾)p.64より>
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 私は生長の家から『生命の實相』がもし無くなったら、それはしなびて「生弔の家」になってしまう、と改めて思うのです。

1368ももんが:2012/03/04(日) 22:30:46 ID:XXCuaQns
>>1361

トキ様

トキ様、お疲れなのに、心からのお返事に、感謝感激です。合掌、拝。


『実相と現象』の文章は、完全に、『和解』を唱えてると、私は思いました。

最近は、先程も、書きましたが、毎日、雅春先生の講義テープ聴いてる、状態です。

こんな事言うと、バカにされるかもしれませんが、総裁先生と雅春先生と、近い事言ってる処もあるように、私は、感じる事がありますよ。

話は、変わりますが、私の良く行く、神田の本屋に、『大本教関係』のコーナーがありまして、勿論、大本の聖典『霊界物語』全巻あります。
他に、大本系、分派と思われている教団、まあ、生長の家も、大本の分派と見られるので、そのコーナーにあります。結構、大本分派て、多いですね。

生長の家から、分派した、市川の白光教団でしたけ?
生長の家と、非常に良く似てますね。少し、立ち読みしただけなんですけど、白光真宏会の先生て、生長の家の講師で、神様の啓示を受けたて、書いてありましたね。あと、確か、ケネディ大統領の前に、演武をした、名前が思い出せないので、すいません、合気道の達人の先生が、白光真宏会の先生と一緒に写真に写ってました。合気道の達人の先生は、大本教に居たらしいですね。

他にも、園頭先生て、元生長の家の講師の方で、GLM教に、変更した、先生も、いたんですね。

これは、雅春先生が、総裁先生された、時代の方々ですね。

先日の『実相と現象』の雅春先生の言葉から、雅春先生生前から、色々な出来事は、あったんでしょね。

今の、裁判や、色々の事も、やはり、信徒一人、あの言葉を心に刻み『和解』するように、努力すべきと、思いました。それには、今日少し、『限りなく日本愛す』にも書いてありましたが『譲る心』=『赦す心』持つ事でしょうね。
トキ様が、いつも、言われてる事ですね。
トキ様、暖かくして、おやすみください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1369ももんが:2012/03/04(日) 23:00:09 ID:XXCuaQns
>>1367

復興G様


復興G様、こんばんは。御投稿文の榎本先生の文、大変、良かったです。感謝、合掌、拝。


<< 私はこの讃美歌を聞いて、故 榎本恵吾講師の書かれた『光のある内に』の一節を思い出しました。
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 それは私が中学3年生のときのことです。そのとき私は高校入試の勉強をしておりました。もう夜の11時頃でした。ふと眼を外に向けると、窓の外側のところに小さな植木鉢がおいてあって、それには一本のおしろい花が植えてありました。そのおしろい花はまだ咲いてはいませんでしたが、20センチくらい伸びて、かなり枝も出ておりました。
 しかし、誰も水をやらないので葉という葉は全部だらりとしなびておりました。その下りようは、もう全然生気のない、死んでいるような感じでした。葉のつけ根は細く、もう全く葉を支える力を捨てていました。そして鉢と植わっているものを包んで、全体に“死”がなびいているように思えました。
 私はその時、何気なく立ち上って台所に行き、ヤカンに水を一杯入れて来て、渇き切った鉢の中にどんどんと注ぎこんでやりました。いくらでも入りました。まるで鉢そのものが水を飲んでいるような感じでした。しばらくして、ヤカンに殆んど水がなくなって来たころ、一番上の小石の上に水が出て来ましたが、まだまだつぎ込みました。水は鉢から溢れました。たっぷりと水を注いで自分の心が何となく落ちついたとき、私は窓を閉めて、それから蒲団に入りました。
 翌朝、何の期待もなく、窓を開けたとき、全く生きかえったおしろい花の葉の姿を見ました。葉はピンと張り切っているし、先には小さな水滴さえつけて、陽の光を反射させておりました。そして、枝全体が力いっぱいに広がっていました。
 このときほど私は、植物が水で出来ていることを感じたことはありませんでした。まるで昨夜の水がこの植物となっているように思いました。葉も水でした。くきも水でした。緑色も水でした。全部水なのでした……。
 私は『生命の實相』を開くとき、この水のことを憶い出すのです。
<以上、『光のある内に』(榎本恵吾)p.64より>
  〜〜〜>>


復興G様、『生命の実相』無くなるなんて、今のところは、そんな、気配は無いように、私は、思いました。楽観的、言葉を言ってしまして、ごめんなさい。

一昨日ですか、母が教化部からもらって来た、原宿本部の月間講義の予定を、見ていたら、『生命の実相』を使った講義や『真理』を使った講義を、結構されていますよ。

練成や、誌友会でも、輪読してますよ。

『無くなる』『無くなる』と心に描くより、『大丈夫』『大丈夫』と心に描いて、『生命の実相』読み続けましよ!
雅春先生、昨日聞いた、テープの中で『丈夫な子供、子供を病気にさせないないには』神想観の時に… 『お前は、達者だ』『お前は、達者だ』と、子供の実相を拝み、思い描き、実相貫くことが、肝心と、言われてました。


復興G様、『生命の実相』が、どんな形であれ、戻ってくると、信じて、実相を貫きましよ。雅春先生の言葉を、私は信じます。


では、復興G様、寒いですから、暖かくして、おやすみください。いつも、いつも、素晴らしい、言葉や教え、ありがとうございます。これからもたくさん、教えください。感謝敬白、合掌、拝。

1370ももんが:2012/03/05(月) 07:16:08 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子皆様

トキ様、神の子の皆様、おはようございます!合掌、拝。

今日は、首都圏、雨、ですが、本日も、元気に、明るく、楽しく、”ありがとう“の生活を楽しみましょう!ありがとうございます!合掌、拝。


〜明るい未来を思え〜

物事の光明面を見て、明るく伸々と、たのしく生活し、さらに伝道などして『よいこと』をしていると、必ず『よいこと』が起こり、思いが叶い、どこからともなくポッカリと幸運が舞い込んで来るのである。それ故、多くの人々がこのように『神の子・人間』を信じ、ありがとう“日時計主義の生活”をやるようになることが、日本の運命をよくし、豊かにし、平和にする唯一最高の道であると言うことが出来る。

〜谷口清超先生著・『ありがとう』はすばらしい・より 〜


昨日も、たくさんの方に『おはよう』『ありがとう』とコトバを交わしました。“掲示板の世界”では、まだ、まだ、ですが、外の世界では、皆様、挨拶するだけで、嬉しくなるのが、伝わるようです。ここの処、雨や雪が多く、寒い日がつづきますが、花は少しつづ咲いていますね。毎度言いますが、来ない、春は無いのですね。では、では、皆様、本日も、素晴らしい日をお過ごしください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1371役行者:2012/03/05(月) 08:24:08 ID:5hSWQZlE

 ももんが様

 >>1368
 トキ様、横から失礼します。

 >生長の家から、分派した、市川の白光教団でした け? 生長の家と、非常に良く似てますね。少し、立ち読 みしただけなんですけど、白光真宏会の先生て、生 長の家の講師で、神様の啓示を受けたて、書いてあ りましたね。<

 確か、五井さんと申し上げたかと存じます。すごく良い内容の本なのでときどき、読みます。


>あと、確か、ケネディ大統領の前に 演武をした、名前が思い出せないので、すいませ ん、合気道の達人の先生が、白光真宏会の先生と一 緒に写真に写ってました。合気道の達人の先生は 大本教に居たらしいですね 。<

 植芝翁と思います。確か、大本教におられましたね。
 雅春先生とも縁があったと聞いております。
 武道のカリスマですよ!


>他にも、園頭先生て、元生長の家の講師の方で GLM教に、変更した、先生も、いたんですね 。<

 知りませんでした。いろいろな方がいたのですね!

>これは、雅春先生が、総裁先生された、時代の方々 ですね。 先日の『実相と現象』の雅春先生の言葉から、雅春 先生生前から、色々な出来事は、あったんでしょ ね <

 いろいろとご苦労された様子が、本の内容や過去の文献から伺えますね。


 >今の、裁判や、色々の事も、やはり、信徒一人、あ の言葉を心に刻み『和解』するように、努力すべきと、思いました。それには、今日少し、『限りなく 日本愛す』にも書いてありましたが『譲る心』= 赦す心』持つ事でしょうね 。<

 まったくもって、同感です。
すべての方々が生かされる方向で和解されることを深く深く望みます。

       合掌

1372トキ:2012/03/05(月) 10:26:32 ID:HSteYA1A
>>1367

復興G様

 弟様のご逝去、心からお悔やみ申し上げます。また、お疲れの中、貴重なご文章をご投稿下さり
ありがとうございます。

 榎本先生のご文章、生き生きとしたもので、深い感銘を受けました。

実は、昨日は、原宿教団の行事の後、個人指導を担当しておりました。
相談の内容は言えませんが、親兄弟にも友人にも相談が出来ないような
話でしたので、こちらもウンウンとうなりながら、考えていました。
 まあ、どこまで役に立ったのか、すこぶる怪しいですが、それでも
相手は喜んで下さりました。
 水の話を拝読し、感じるものがありました。

 聖典は、棚に飾っておく存在ではなくて、すぐそばに置くべき存在
だと痛感しました。

 では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1373ハマナス:2012/03/05(月) 10:38:58 ID:u5mC.eb2

神の子の皆さま
 
おはようございます。
昨日、天皇陛下が無事にご退院なさいました。
御所では、秋篠宮ご夫妻や悠仁さまが出迎えになられたそうです。
ごゆっくりと、ご静養あそばされまして、ご快癒をお祈り申し上げます。    

実相を祈り顕(だ)す   (『新版 生活の智慧365章』P.84)

常に実相の完全さを祈り念ぜよ。人の悪口がゴシップの話材に出たときには、
皆と一緒にその人の悪口をいうことなく、静かに「彼(その人)も神の子であり、
神性が宿っているのであるから、今後は屹度(きっと)よい事をするに相違ない」と
念じてあげるのがよい。人が病気にかかって苦しんでいるということをきいたら、
「神はその人を護りたまうて、病は最早(もは)や消えてしまったのである」と
念じてあげるのがよい。これが実相を祈り顕(だ)すということである。

 自分と誰かの間に誤解があって争いや葛藤があるときに、それを解決する道は、
先ず自分の心を平和にして、「彼と自分とが神の愛に包まれて完全に調和していて、
互いに何らの誤解も争いも存在しない」と念ずるがよいのである。心の奥底に、
この平和と調和の念が深く打ち建てられたら、自然に現象界の紛争は解決せられ
ることになるのである。

感謝合掌

1374トキ:2012/03/05(月) 10:44:36 ID:HSteYA1A
>>1368

ももんが様

 さすがはももんが様、詳しくご存知ですね。

 園頭広周先生というのは、確か、鹿児島の方で、陸軍大尉から生長の家の職員になり、本部講師になられた
方だと記憶しております。彼は、途中で谷口雅春先生に叛旗を翻し、高橋信次さんのGLAに入ってしまい
ました。が、その後、高橋さんが亡くなり、お嬢様が跡を継いだ事でGLA内部で紛争が始まると、やはり
飛び出して自分で「国際正法協会」という団体を設立し、一時は活発に活動をしていたみたいです。

 しかし、最近、調べたところでは、彼は既に亡くなっており、彼が設立した団体は全て解散をしているよう
です。

 生長の家でも様々な分派ができましたが、長続きしません。今回の分派騒動がどうなるか、軽率な事は言えません
が、うまくいかないと思います。が、その動機については、よく理解できるし、また教団の反省の材料とすべき点が
多々あります。
 ですから、双方がお詫びする事で、「手打ち」にすれば良いと思います。

合掌 ありがとうございます

1375a hope:2012/03/05(月) 12:36:27 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

第一印象が大切


小さな欠点だと思ってばかにしている人は、鏡の前に立って自分の顔を鏡に映してごらんなさい。
そして、しばらくその顔を眺めてから、一本の人差し指で、
鼻さきをちょっと下から上へグッと押し上げてごらんなさい。
ただそれだけの異いで、どんなにかあなたの顔が不細工な顔に見えるでしょうか。
鼻のさきわずか一分位の形がちがっただけで、そんなにも人間の顔は不格好に見えるのです。
このように小さな欠点が、どんなに人様に対する感じを悪くしているかは考えなければならないことです。
一分の異いで美人が醜婦(しゅうふ)になるのです。

それは「人間の顔」だけのことではありません。
あらゆる物が、小さな欠点をそのままにしておくために、
どんなに他(ひと)からみて見苦しく見えていることでしょう。
これを考えたら、小さな欠点をおろしかにしておくことはできません。

物にも、人にも、第一印象が大切です。
第一印象とは、最初チョット見たときに、なんとなく良い感じがするとか、
なんとなく好かぬ感じがするとかいう感じを申します。

最初チョット見たときに、小さな欠点くらい好かろうと思って、
鼻のさきを一分(ぶ)だけあおむきにして人に会ってごらんなさい。
その人は「変な人だ」と思って、二度とあなたを尊敬しますまい。
それと同じく、最初によく思われることが肝腎です。
最初に一度だめだと思われたら、二度目からはよほどよくならないと、
他(ひと)からは尊敬されません。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

みなさま こんにちは

ももんがさま

>>1364

>①、それは、a hope様の“人生読本”からです。

>>>どんな些細な事にも、神様の教えを見出し、どんな小さな事でも良いと思うことはことごとく実行し、
礫(こいし)の形の間は、毒にも薬にもならない程のどうでも好い欠点でも、
磨き上げて多勢(おおぜい)の人を惹きつけるダイヤモンドに仕上げることなのです<<

とても、素晴らしい、御文章です。これは、他人の欠点を見つける意味ではなく、
“自己の内在の実相”を自己見参して、光明思想にもとずきなら、
“実参実究”して行くと云うことと私は、日頃の雅春先生の講義よりそう思います。
そして、谷口清超先生も、『明る心』に成るのは、訓練だと、言われてます。<

昨日のわたしの投稿への素晴らしいコメントありがとうございます。
さらに、

>>1365
>最後に、『正法眼蔵随門記』より

>>玉は琢磨によって器となる。人は練磨によって仁となる。いずれの玉か初より光りある<<
(玉は琢磨することで立派な器となるのである。人は練磨(訓練)することで立派な人となるのであります。
どんな玉でも初めから光るものはなし、どんな人でも初めから鋭利な人ではないのである。)

a hope様の『人生読本』の御文章は、正に『随門記』この一説と同じ意味と私は思いました。<


という、道元禅師のお言葉も紹介していただき、とても勉強になります。

いつ何時も「明るい心」を保っていられるようになるには、大変な修行が必要なのだと思われます。
そのためには、どんな時にも、相手の実相を見つめることができなければいけないのだと思いました。
相手が、気に入らないことをいったからとか、嘘をつかれたからとか、自分と性格があわないからとか、
そんなことで、一々腹を立て、暗い気持ちになるようではではまだまだだということでしょうか?

わたしは、ももんがさまのお言葉を聞いて、一生かけて“実参実究”し、魂を磨いていきたいと思いました。
ももんがさま、いつも色々教えていただきありがとうございます。
毎回、たくさんお勉強させていただけるので、ももんがさまの投稿を拝見するのを楽しみにしています。
これからも、ご指導どうぞよろしくお願いいたします。

1376a hope:2012/03/05(月) 12:57:12 ID:kcv2QXTk

復興Gさま

御弟様のご冥福を心よりお祈りいたします。

また、素晴らしい讃美歌と、榎本恵吾先生の『光のある内に』の一節をご紹介していただき、
ありがとうございます。

わたしにとっても「生命の實相」は枯れかかったわたしの心に、
生命という水を注いでくれる大切な、大切な聖典です。

もし、その聖典が「生長の家」教団からなくなるようなことがあるとしたら、
もしくは、ないがしろにされるようなことになったら、わたしは、そのような「生長の家」教団には、
全く興味がありませんので、自分一人でも「生命の實相」を聖典として、
「真の生長の家」の教えを学んでいきたいと思います。

復興Gさま、これからもご指導、どうぞよろしくお願いいたします。

1377SAKURA:2012/03/05(月) 13:39:37 ID:AwMruBLQ
復興G様 へ

3月1日…御弟様の悲報…さぞお別れにしましても無念の思いがあられる事と…
心から哀悼の意を表しますとともに、
故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます…。

>1367 拝読させて頂きまして…
「生命の実相…」これは【真理…】そのものだと思います…。
従いまして、雅春先生の御文書の中に…

■ 真理の奥座敷が何処にあるか分からないのである。
その真理の奥座敷を指示して、その奥座敷に万教をゲストとして招待する教え
――これが「生長の家」である。

このように私共の“心の奥殿”に、一度“門”をたたきました以上は…
【永遠…不滅…ではと思います。何故なら?“真理”そのものですから…】
                          再合掌

PS: 投稿文を、私なりに拝読させて頂いております…。

1378SAKURA:2012/03/05(月) 13:43:13 ID:AwMruBLQ
トキ様 へ
皆様 へ

【 栄える生活365章 】
■万教を真理の奥殿に招待するもの

「自分」という狭い固い殻の中に、「自分の考え」という狭い先入観念を
持ちつづけている限り人間は幸福になれないのである。
自己否定が一たんは是非必要なのはそのためである。
仏教で “無我”と説き、キリスト教で「凡そ天国に入る者は、この幼児の如き
ものである」とイエスがいったのは、幼児の如く【親の処置に全托し切って無我に
なっている者」が本当に天国即ち「実在の世界」(実相)にあるすべての恵福を素通しに
現象界に投影して、その恵福を実現し得ることができることを訓えたのである。
「われわが心を空しくして神のみこころを聴かんことを欲す。みこころを我に示したまえ」
このように神想観中に念じて、無我全托の心境の中にただ坐るのである。
“祇管打座”と道元がいったのはそれであり、“一向専心念仏”と真宗に於て説かれて
いるのはそれである。すべての宗教は唯一つの真理を説くのであるけれども、
道を伝える人が “派閥の心”を棄て切れず、自分の宗門を護るに急であって、
他の宗門をけなそうとするから、いたずらに“門”のみ多くして、
真理の奥座敷が何処にあるか分からないのである。
その真理の奥座敷を指示して、その奥座敷に万教をゲストとして招待する教え
――これが生長の家である。  
                          (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

「神想観」をしている時…空しくなる時が、あります。
何故このような事態に、なったのかしら〜〜〜ン?…と、
まるで空論の様に見えるのです…。
「生長の家」の教え…が、先生の過去の文章を、引き出したり…
まだ!当時先生の【未完成な状態】をわざわざ持ち出したりでスゴ〜〜〜く?
嫌な気持ちです…。

【過去の文章】を知った事が、そんなに素晴らしい事なのでしょうか?
何もその文章を拝読いたしましても“感銘”が、私には伝わりません…。
本当に【人を救いたいの〜〜カモ??】疑問視ですが…??
■【同じ宗門】で、騒いでる事…まるで【現象】をつかんでいるのでしょうか?

それでも、強く念じて行きますと【実相世界】が見えてくるようです。
「生命の実相」を読むだけで…お寺の住職さんとの討論が出来る様になり、
少しづつ意味が、分かる様になりましたが…?
今…【派閥の戦い??は…“現象”】として見えてしまいますが……??

■■ 【祈り〜〜に、祈り〜〜に、徹する事】でしょうか??

今日は、とても難しいですが…【実相・現象の見方】
「イメ−ジで実相…」を、見て行くうちに“現象世界”に、現れる訳ですよ〜〜ネ!
現在!起きている事物は、【現象世界…】それを認めるのではなく…
【実相を見る訓練…】を、私達は、今!今!与えられている事を、認識しまして、
その事に深く〜深く〜【感謝…】します…。

                                 再合掌

■ ■【真理の奥座敷…】現在、皆様の行動…あるのでしょうか…?
この派閥闘争は…「この奥座敷…いずこにかあらんや????」の心境ですが…?
今の私共は…【この奥座敷に…招待!!つまり、真理の愛行…】
この事が、私共に課せられました【使命…】と思います…。

PS:トキ様
今日の【栄える生活365章…】の中からの抜粋文章ですが…
此処の【真理の奥座敷…】どの様にお考えでいらっしゃいますでしょうか…?
“アドバイス…”頂きますと幸いに存じます…。

1379復興G:2012/03/05(月) 17:15:35 ID:ojEbkDH2

>>1369
ももんが様。

丁重なレス、お褒めを頂き、ありがとうございます。
>(『生命の實相』が)『無くなる』『無くなる』と心に描くより、『大丈夫』『大丈夫』と心に描いて、『生命の実相』読み続けましよ!<

ありがとうございます。しかし総裁先生も、『太陽はいつも輝いている』の中で、“日時計主義とは単に「悪いものを無視」したり、「臭いものにフタ」をする生き方ではない”とおっしゃっています。『生命の實相』が無くならないようにするためには、『大丈夫』『大丈夫』と心に描いて、『生命の実相』読み続けるだけではなく、“植木鉢に水を注ぐ”ような具体的行動が必要ではないかと思っております。

その具体的行動は、どうすべきか。

私は基本的な考えとして、
『生命の實相』とは、形の上の本だけのことではなく、むしろ「永遠の生命」「自他一体、大調和の、歓喜無限の生命」という意味での「人間は神の子だという真理」、「生命の実相の自覚」が大切である。──それが無くなったら、生長の家はもはや存在意義を失ってしまう、死んでしまうと思うのです。

で、今“植木鉢に水を注ぐ”ことに当たる行動は?──
それは、正しい智慧、神の智慧に導かれた行動でなければならない。a hope様が >>1117で謹写してくださった『人生読本』第4章「智慧の生かし方」にあるように、智慧のない愛はかえって愛する者を殺してしまうこともありますから。常に祈りつつ、適切な智慧に導かれての行動が大切で、油断や暴走は禁物。今こそ正念場であります。「正念場」とは、「正念」すなわち全き神のこころ、まこと(まること)の心を出さなければどうにもならないような局面ということであります。そこで──すでに申し上げてきたことをまとめて決意を新たにし、実践して行きたいと思います。──

① 信徒として「内なる法燈継承」を。「法燈」とは、谷口雅春先生が神啓を受けて悟られた「真理の火」である。「肉体なし」「現象本来なし」と過去の自分を否定し、「あるものは唯神のみなり」「我神なり」「すべては我が心の展開なり」と自覚する。そしてすべての人を神の子として礼拝し、「今起て!」と真理の火をすべての人に点じて行く。その「内なる法燈継承」の時は、「今」なのである。

② 実相を祈る。「総裁は神にまします。“本流”を名乗る方たちも神にまします。すでに大調和し協力し合って、『生命の實相』を大切に護り、人類光明化運動は御心のままに大発展しつつあるのである」と。

③ 「一切者の自覚」「主人公の自覚」を持って、人時処に応じた、勇気ある発言・行動を行う。

ということになろうかと考えます。

ところで、NHKでパワーハラスメント(大人の世界の“イジメ”)についての特集番組を見ました。パワハラは、「職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」と定義されていますが、部下たちが上司をいじめる──たとえば親睦の飲み会や旅行に誘わないでシカト(無視)する、というようなこともパワハラになるんだ──と言っていたと思います。それを見ながら私は、生長の家の現状のこと、自分自身のことを考え、反省していました。
雅宣総裁が職員に対してパワハラ的人事権を行使したとも言われますが、その総裁が『生命の實相』裁判敗訴で苦境に追い込まれた今は、逆にかつての下位者で「本流」を名乗る人たちが総裁に対してパワハラを始めている、という見方ができるかも知れません。私自身も、その仲間に加わる恐れが無きにしも非ずみたいな……でも、これは本来大調和の生長の家ではない。イジメは、いけませんね。それは、前記3項目に反することです。意見があれば、実相を祈りつつ愛をもって正々堂々と献言(諫言)申し上げるべきだと思っております。

1380復興G:2012/03/05(月) 19:04:28 ID:ojEbkDH2

トキ様。
a hope様。
SAKURA様。

コメントをいただき、ありがとうございます。
トキ様、この掲示板の管理人として本当にご苦労様です。お風邪はもう大丈夫ですか。
弟の昇天に皆様から弔問のお言葉も賜り、ありがとうございました。私より2歳年下の弟なのですが、安らかな昇天で、よい葬式ができました。私は弟の志をも果たすべく、長生きしなければと思っています。

a hope様

いつも『人生読本』筆写も、ありがとうございます。
>わたしにとっても「生命の實相」は枯れかかったわたしの心に、生命という水を注いでくれる大切な、大切な聖典です。もし、その聖典が「生長の家」教団からなくなるようなことがあるとしたら、もしくは、ないがしろにされるようなことになったら、わたしは、そのような「生長の家」教団には、全く興味がありませんので、自分一人でも「生命の實相」を聖典として、「真の生長の家」の教えを学んでいきたいと思います。<

そんなことにならぬよう、精一杯がんばりましょう。

SAKURA様

>すべての宗教は唯一つの真理を説くのであるけれども、道を伝える人が“派閥の心”を棄て切れず、自分の宗門を護るに急であって、他の宗門をけなそうとするから、いたずらに“門”のみ多くして、真理の奥座敷が何処にあるか分からないのである。その真理の奥座敷を指示して、その奥座敷に万教をゲストとして招待する教え――これが生長の家である。<
という谷口雅春先生のお教え(【栄える生活365章】より「万教を真理の奥殿に招待するもの」)、感銘深く拝読しました。この最高の御教えを頂いた私たち、それを割り引きすることなくしっかと受け取り、伝えていかなくてはならないと思いました。ありがとうございます。

1381トキ:2012/03/05(月) 19:18:23 ID:HSteYA1A
>>1378

 生命の実相の第二巻に紹介されています浅野和三郎先生のご令息の浅野新樹さんの
霊界通信は、実は、「新樹の霊言」として出版されています。内容は結構、面白いで
す。天狗が出て来たり、天女が出て来たりします。乃木希典将軍との対談もあります。
しかし、その対談の内容は、もう少ししたら、大きな戦争が起こる・・・というもの
です。本が出版された辞典では満州事変も起こっていないので、これはすごい予言で
す。

 ところで、その中で、生前、熱心なキリスト教の信者だった人と法華経の信徒だった
人の死後の様子が紹介されています。それぞれ、亡くなって当初は生前の信仰に固執し
ますが、亡くなって霊界の様子が分かると、段々と生前の信仰というのは方便が入って
いるとわかり、あまりこだわらなくなるそうです。
 で、結局は谷口雅春先生がお説き下さった通りだという結論になるみたいです。
 
 まあ、そのあたりの事は死ぬとよくわかるみたいです。楽しみにしておいて
下さい。

1382元職員:2012/03/05(月) 19:55:25 ID:???
復興Gさま、お身内がお亡くなりになったとの事、こころよりご冥福をお祈り申し上げます。

さて、以前から復興Gさまの書き込みは長い間本部や教区でご活躍された本部講師らしく、信仰に基づき
ご体験からくる説得力があり、感服いたしております。
さて、
>>雅宣総裁が職員に対してパワハラ的人事権を行使したとも言われますが、その総裁が『生命の實相』裁判敗訴で苦境に追い込まれた今は、
逆にかつての下位者で「本流」を名乗る人たちが総裁に対してパワハラを始めている、という見方ができるかも知れません。
と・・
申されておられますが・・?下位者が上位者にものを申すことはパワハラとは通常言いませんね。「抗議」「反発」では無いでしょうか。
それから、雅宣総裁は決して追い詰められていません。総裁は想定内の事だと思います。
根拠は、通常の彼の頭脳では今回の件<地裁で負けたものが最高裁で何とかなるとは絶対に思っていないはずです。わたしが想像するに
最高裁でも負けたのだからという大義名分の上で「仕方がない」と『生命の實相』を諦めさせて、自分の考えを「真理」とする機会と考えていると
思うのです。そうです!雅春先生の神想観にたいして「新バージョン」を平気で発表した同じ思考回路であれば、その可能性は大きいのではないでしょうか。
かつて・・・外会場で清超先生を排除した冷房の効きすぎる会場での「教修会」に貴殿も教化部長として参加しておられたと思いますが・・・あの時に
「雅春先生も間違えることがあるのです、いや間違ったのです」
という雅宣副総裁の衝撃発言を覚えておられますか。私は前にあった机を乗り越えて殴ってやろうかと思いましたが、貴殿はどんなお気持ちでしたか。
休憩時間に、友人の教化部長さんたちと話しましたが、ある教化部長は「殺意」がおこって身体が震えたと言っていましたね。最近もそれらの友に会いましたが、
怒りは消えていませんでしたよ。総裁の心が変らなければ絶対に「和解」にはならないと、ほとんどの教化部長は内心思っているのではないでしょうか。
わたしは、
「日時計主義」を前面に出したときに、それらの怒りや裁判が立て続けにおこる現状から信徒の目をそらすためにつまり不利な部分に対して「思考停止」させるために「日時計主義」をなるほど使ったなと感じました。日時計主義であればどうして裁判を起こし、さらに控訴し続けるのでしょうか。
わたしはこのような欺瞞は許せません。無明だから許せんのです。

懺悔と謝罪がなくて(これはお互いに)和解などが実現できるとは到底思えません。
ちなみに『生命の實相』と聖経。社会事業団は日本教文社が著作権者の希望を考慮して、今までの裁判での問題を正しく認識してそれなりの謝罪があれば、以前のように出版を許可する用意があるようですが、
彼らはもはや、自分達で決断できないほど押さえ込まれられているようで・・・自滅するまで裁判を続けるようです。残念ですが実態は改善していません。

1383元職員:2012/03/05(月) 20:02:47 ID:???
上記のかれらとは、日本教文社の社長以下社内取締り役のことを指しました。

1384SAKURA:2012/03/05(月) 21:34:42 ID:EUALcDkQ
復興G様

合掌 ありがとうございます。
ご丁寧なる“お返事”恐縮しております…。今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。

さて「亡き母の御霊」不思議な現象がありましたので、
(偶然…御霊様を写真を撮る事となりましたが…)
今週中に詳しく“投稿”させて頂きます…。「霊界通信…?」
無念の思い“亡き弟様…”いつもそばに目に見えなくても…いらっしゃいます事が…
私自身感じられますモノがあります…。
                        再合掌

1385SAKURA:2012/03/05(月) 21:39:16 ID:EUALcDkQ
トキ様…

体の具合は…いかがでしょうか…?
自称…「食いしん坊?」の私事…事もあろうに「お雛様祭り…」
…ギブ…アップ!!
「ひなまつり料理…」せっかく…?ハマグリ買う事が出来ましたのに…><

話は変わりますが…「霊界通信…」
>浅野和三郎先生のご令息の浅野新樹さんの霊界通信は…
実は、「新樹の霊言」として出版されています…。<

さっそく“アマゾン”にて、注文させて頂きました…。
私も、亡き母の事も含めまして「生命の実相」に書いてあります
『霊界編…』以前よりも、雅春先生のその文章から拝読させて頂き、
感慨深いモノがあります…。

「今週中に…母の御霊様」投稿したいと思います…。
その時は」、一番にご連絡いたします〜〜ネ!
随分悩みましたが…この「母の御霊様」を見ましてから、
「肉体人間…」を卒業…?「霊体人間」の修行中…?私です。

今…この「現象世界」にて“心の修行の旅” 再!再!…
                      再合掌

1386復興G:2012/03/06(火) 00:06:59 ID:ojEbkDH2

>>1382
元職員様。

ご丁寧なコメント、ありがとうございます。

>下位者が上位者にものを申すことはパワハラとは通常言いませんね。「抗議」「反発」では無いでしょうか。<

通常の使い方は、その通りと思います。ところが「厚生労働省が明文化したパワーハラスメントの定義は『職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為』。なお、優位性とは、職場における役職の上下関係のことではなく、当人の作業環境における立場や能力のことを指す。下位者でも、ある点で優位性をもつ者が上位者に苦痛を与える行為はパワハラという」のだそうです。(NHKの番組でも、そう言っていました)まあ、その言葉の使い方は重要なことではないでしょうが。

>雅宣総裁は決して追い詰められていません。総裁は想定内の事だと思います。根拠は、通常の彼の頭脳では今回の件、地裁で負けたものが最高裁で何とかなるとは絶対に思っていないはずです。わたしが想像するに、最高裁でも負けたのだからという大義名分の上で「仕方がない」と『生命の實相』を諦めさせて、自分の考えを「真理」とする機会と考えていると思うのです。<

この点については、その通りであることが判明すれば、私は雅宣総裁を見限って、現教団からきっぱりとおさらばします。それは、すでにはっきりと宣言しているとおりです。(>>1204
が、現段階では、役行者様が「そんなことはないと思われる」とおっしゃってますので、一応それを信じて、成り行きを見守っているところです。

>(「教修会」で)「雅春先生も間違えることがあるのです、いや間違ったのです」という雅宣副総裁の衝撃発言を覚えておられますか。<

覚えています。それは(雅宣副総裁の方が)間違っている、と思いました。

>懺悔と謝罪がなくて(これはお互いに)和解などが実現できるとは到底思えません。<

その通りであると思います。
「懺悔と謝罪」──今までのことを考えたら、それはほとんどあり得ないことかも知れませんが、私はその「奇蹟」が起こりうることを、まだ愚直に思っているのです。一人ぐらい、そういう馬鹿者がいてもよろしいのではないでしょうか。村上和雄先生は『アホは神の望み』『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』という本も書かれています。その「アホ」を貫いて、できる限りのことをしたいと思っているのです。どうぞ、アホをお認め下さい。

1387志恩:2012/03/06(火) 04:35:32 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

弟様がご帰幽されたそうで、ご冥福をお祈り申し上げます。

私の母も兄弟姉妹も,親戚も、50年以上続けてまいりました聖使命会員を、全員やめました。普及誌の年間購読も、全員やめました。
もう,講習会にも、われわれは行きません。脱原発の話し等、聞く気になりませんので。
総裁の事は,何十年とみなで祈り続けてまいりましたが、それだけ、総裁に対して、大失望しているということです。
私だけは、白鳩誌のみ、年極めで拝読していますけれどね。(以前は、全誌を購読)

総裁が、雅春先生を尊敬しているお方に交替すれば、全員,戻るつもりでおりますが。
それも、ないようです。
現総裁は、今も凝りもせず、信徒の浄財をつぎこんで、最高裁へ上告。裁判を重ねております、これ以上、かれの
裁判費用の協力は、したくありませんので、やめました。

われわれは、独自で生長の家を、明るい気持ちで生きていく所存でおります。

1388志恩:2012/03/06(火) 05:38:56 ID:.QY5jUA6
トキさま

浅野和三郎氏著「新樹の通信」を読まれたそうですね。私が、ときどき引用しておりました心霊秘話の竹内氏は、その浅野氏の流れのお方です。
(浅野和三郎氏は、日本の心霊会の第一人者。)
私はまだ「新樹の通信」は読んでいませんでした。SAKURAさんも注文されたそうですが、私もアマゾンコムへ注文したところです。

1389役行者:2012/03/06(火) 07:18:07 ID:5hSWQZlE

 復興Gさま

 おはようございます。
 お久しぶりです。 

 突然、姿を消されたのでどうされたかと思っていました。

 弟君のご不幸、悼み入ります。また、心よりご冥福をお祈り申し上げます。



 弟君のご不幸とは露知らず、突然の消息不明(^_^;)に心配をしておりました。
 生長の家教団と離縁してしまわれたのかと・・・


 さて、


  >>雅宣総裁は決して追い詰められていません。総裁 は想定内の事だと思います。根拠は、通常の彼の頭 脳では今回の件、地裁で負けたものが最高裁で何と かなるとは絶対に思っていないはずです。
 わたしが 想像するに、最高裁でも負けたのだからという大義 名分の上で「仕方がない」と『生命の實相』を諦め させて、自分の考えを「真理」とする機会と考えて いると思うのです。<<

 という元職員さまの投稿に対して、


>この点については、その通りであることが判明すれ ば、私は雅宣総裁を見限って、現教団からきっぱり とおさらばします。
 それは、すでにはっきりと宣言 しているとおりです。( >>1204) が、
 現段階では、役行者様が「そんなことはないと 思われる」とおっしゃってますので、一応それを信 じて、成り行きを見守っているところです<

 取るに足らない私の言葉を信じてくださり、ありがとうございます。
 確かにいままでなら、数十年もの間、現総裁と同じ職場で仕事をされたと謂われる元職員さまの判断が、適切かと存じます。
 
 しかし、今回ばかりは状況が違うと思うのです。生長の家の根本聖典・聖経が失われようとしているからです。 

 以前挨拶版にて、新参者さまに返答するとき申し上げましたが、ギリギリまで和解を提唱し、信じ抜きます。

 すべての方々が生かされ、大いに人類光明化運動に貢献するであろう生長の家を心から祝福します。

           合 掌

1390ももんが:2012/03/06(火) 10:05:24 ID:XXCuaQns
素晴らしい神の子の皆様、おはようございます。本日も、雨が降って、寒いですね。それでも、昨日、梅の花を見た時は、希望と、元気と、明るさが、沸いてきました!さあ、明る心で、本日も素晴らしい日にいたしましょ。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。



〜知恵の言葉 より〜

『隠れたところてにて人を賞(ほ)めうる人となれ、その人の心境は朗らかである。』


いま、『生命の実相』と同時に、”『ありがとう』はすばらし“拝読中ですが、シオリの言葉に、こんな、言葉が、あり、心に止まりました。”人を讃える”とは、難しですね。
カトリックの教会でも、ミサの時、必ず、前後左右の人を“祝福”しますね。
生長の家の“賛嘆”の風もこうした、事のに“原形”がある様に私は、思い、いつも、素晴らしい、“行い”だと、思って、実行してるつもりです。

それでは、皆様、本日も、素晴らしい日を、お過ごしください。いつも、御拝読、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1391元職員:2012/03/06(火) 11:36:31 ID:???
復興Gさま、そして役行者さま

 ありがとうございます。お二人が心底「生長の家人」でおられることに感動しました。
みなさまの祈りが実現しますようにと私も祈りたいところですが・・・

最後まで(ギリギリまで)信じてお祈りになると申されますが、その最後のギリギリとはいつのことでしょうか。
最高裁が上告を棄却した時でしょうか。その敗訴決定が出た後の行動を見守ると言うことでしょうか。

のちの行動を待っている・・・また長く長くかかりそうですね。

私の場合、雅宣総裁が総裁代行になってから清超先生を完全に無視して教団の人事や決定を行ったことを確認する
場面があり、その時に完全に「終わった」と思い退職しました。
中心帰一を唱えながら、本人は総裁に帰一していない。それだけではなく創始者の雅春先生を「間違っていた」と
評価しながらその同じ口で「われこそは法燈継承者」と宣言するありさまは、私の目には狂気と映り退職を決意しました。

 その後のお父上の葬儀における非人道的なありさま、なりふり構わない裁判。自分のわがままを通すために職員やその家族まで巻き込んで
森に引きこもる姿。

わたしは、皆さんと違いずいぶん前から奇跡を待ち、そして10年前に待ちくたびれて清超先生が総裁代行に権限委譲をされた時点で
最後のギリギリの線が消えた失望で退職した者ですので、このたびの裁判の様子を見ていて「相変わらず酷いものだ」と感じていますから、
何も変らないと残念ながら想像できるのです。

しかし、奇跡は起こることを信じたいし今でも祈ることは欠かしていません。わたしも生長の家ですから今でも心は・・・

1392元職員:2012/03/06(火) 11:43:42 ID:???
>>何も変らないと残念ながら想像できるのです。
とは
谷口雅宣さんの方針や方向性や性格は・・・という意味です。

1393神の子さん:2012/03/06(火) 12:50:07 ID:???
元職員様

占領された街から逃げ出されたわけですね。

占拠される前にできる事があったはず。現場にいたのだから。

でも、何もせず、さっさと住民を見捨てて逃げ出した。


職務放棄せず最後まで街に残る人々を、非難される事に大義名分は要りません。

やりたいようにやっているだけ。

街の外から野次馬仲間と囃し立てるお姿は、実に楽しそうです。

1394元職員:2012/03/06(火) 13:11:59 ID:???
名無しの神の子さん

貴殿がどう受け止められようとそれは自由です。

私が何をしてきたかは知っている人は知っています。
その結果、どのような仕打ちになったかも知っています。

何もしないで(出来ないで)イエスマンになり、教団を教区の思いと反対の間違った方向へと導き、
さらに、本部に居続けて信徒の浄財で暮らすことは私の魂が汚されると共に<信徒の皆様に申し訳なく
思ったから退職の決意をしました。

そのまま残って何かをされるのも、その人の自由です。
ところで貴方はなにをなさっているのでしょうか。内部からの具体的な改善案をお持ちですか。

私の知り合いには野次馬はおりません。立派な志をもった信仰者ばかりです。そういう意味では私は恵まれています。

楽しそうに見えますか。それはよかったありがとう。貴方も楽しく明るい人生を送ってください。

1396役行者:2012/03/06(火) 13:26:51 ID:5hSWQZlE
 元職員さま

 割レス、失礼いたします。
 大いに、語り合っていただくこと、心より希望します。
 
 >しかし、奇跡は起こることを信じたいし今でも祈る ことは欠かしていません。わたしも生長の家ですか ら今でも心は・・・ <

 言葉になりません。
 生長の家を心から愛しておられることが、文面に滲み出ておられます・・・


 >最後まで(ギリギリまで)信じてお祈りになると申 されますが、その最後のギリギリとはいつのことで しょうか。
  最高裁が上告を棄却した時でしょうか。
 その敗訴決定が出た後の行動を見守ると言うことでしょうか。
  のちの行動を待っている・・・また長く長くかかり そうですね。 <

 正直云いまして、上告したときにはビックリしました。まさか!!
 という驚愕の気持ちでした。生長の家教団の幹部以外の方は、殆ど端っから勝てると思ってならったのですから・・・そ
のうえでの上告です!
 あのときは一生懸命に訴えました。その甲斐もなく・・・

 兎に角、1日もはやく、元の生長の家に戻ってもらいたいとの思いです。

 また、本流対策室にて、トキさんが下記のように投稿され、


 >教区の立場としては、早 く和解をして欲しいし、もし、和解の前提条件とし て、総裁の過去の言動や 指導が問題になっている場合、進退は別にしても 率直なお詫びや訂正はお願いをしたいと思う次第で す。
 別にそれを実行しても 総裁の威厳や尊敬は損なわれる事はないと思いま す。 <


 と、その返答に元職員さまが、


> 1922: 元職員さま
2012/03/05(月)

  トキさま ありがとうございます。
 社会事業団と原宿教団の雅量が試されるときですね。
  わたしは、社会事業団の理事長の雅量を信じていま す。し、教団理事各位の良心の発動を信じています。<

 と、コメントされておられます。
 きっと、奇跡が起こると信じています。
 そして、和解後に、みなとも集い、同じテーブル上でケンケンガクガク、大いに語り合っている姿が目に浮かびます。

         感謝 合掌

1397役行者:2012/03/06(火) 13:29:56 ID:5hSWQZlE

 トキ様、二重投稿してしまいました。
 ここと共に、削除お願いします。

1398志恩:2012/03/06(火) 13:47:12 ID:.QY5jUA6
元職員さま

上記の、勇気あるご発言に、感謝申し上げます。

ここのトキさま掲示板は、ほとんどの方々が、教団・総裁擁護派なのです。
いわば、教団のゾウの要塞の内側に入って来て、コメントしている状態なのです。

なのに幸運な点は、
現役教団の幹部でおられるトキ様も、役行者様も、どのような発言をしても、相手を踏みにじらない
心の寛容さとやさしさを,お持ちだということで、救われております。

私などは、ただの末端信徒ですのに、”魂のふるさと”・生長の家の今後を想うがゆえに、いてもたってもいられず
辛口のコメントを書き込んだりしていますが、その度に、あちこちから、鉄砲をうたれるわ、矢がとんでくるわ、満身創痍の状況なんです。

それでも、あきらめず、祈りながら書き込んでおります。

元職員さま、これからの書き込みも、生長の家の復活のためですから、よろしくお願いします。期待いたしております。

1399SAKURA:2012/03/06(火) 19:15:35 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ

【光明道中記…】
     昭和49年10月15日      初版発行

■ ■九月十五日  肩の荷を卸す日
「窄き門より入れ」と自力の行を卸して入れのことである。(『生命の実相』第九巻)

弥陀の光明にてらされまいらするゆへに、一念発起するとき金剛の信心をたまはり
ぬれば、既に定聚のくらゐにおさしめたまひて、命終すればもろもろの煩悩悪障を
転じて無生忍をさとらしめたまふなり。この悲願ましまさずば、かかるあさましき
罪人、いかでか生死を解脱すべきとおもひて、一生のあひだまうすところの念仏は、
みなことごとく如来大悲の恩を報じ、徳を謝すとおもふべきなり。 
  、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

然り、「弥陀の光明に照らされまいらする故に」一念発起して金剛の信心が発言
するのである。金剛の信心は自分の力で起こすのではなくして、爰にある通り
「たまわる」のである。凡夫が信心を起こして救われるのでなくして、如来の
本願力が吾々に廻り来たって自然に信心したくなるのである。
それは丁度、母の慈愛の心が廻り来たって自然に赤ん坊が乳房を吸うことを
知るようなものである。乳房を吸うのは、何の教育も受けていないで、自然と
催して来る。そう思えば自力で救われるところは一つもない。
みんな仏様のお計らいであるから、念仏も自分が往生極楽の行を積むというような
偉そうな気持でなしに、如来大悲の恩を報じ、徳を謝すとおもってすべきである。 
                         谷口雅春著者    
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

【狭き門…】は、“肩の荷”を下ろす…と!
と…云う事は…??変に“力む事”とも言えますのでしょうか??
緊張しますとそれに関して“力む…”で〜〜〜ショ!
ある時、舞台の前に立って…話す時は、変に緊張しすぎて“力む…”で〜〜ショ!
更に!“スポ−ツ”でも??本番には……
変に“意識”しすぎて…日頃の“力…”が、十分発揮できなくなるとか?
それらは、全て「煩悩…」からでしょうか…
そうなりますと、全て「おじゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!」になってしまうでショ!

このような事を、例に考えていきますと“オモシロイ”です。
【一念発起】と云います事…【一念集中します“心”を神様に捧げる】
全て…おまかせします〜〜〜〜〜〜ト!宣言します…。
そして、後は?“リラックス”しながら…「狭き門」に入ったとしますと?
入りにくい門でもスル〜〜〜ト〜♫ 入れるくらい…
“心”が?かる〜〜いのでしょうか?これは、全てが整ってくるのです〜〜ネ!
今日!改めて【この世の法則はあり】と…思いました。

■■【法則に乗る事】は…【実相世界…】でもあるのです〜〜〜ネ!
この様に解釈しましたが…【SAKURA の 独り言??】

■神戸の地震の時、灘区であるおばさんは逃げる時…
小金をずっしり袋に入れ込んで、逃げ遅れたことを知っていますか??
更に!去年の地震もそうです〜〜ョネ!
海水が流れ込んできていますのに…“お金”を…その人は…帰らぬ人となり…
その様に“モノ=金”に、執着しますと【狭き門…】なのでしょうか…?
それを、持たずに逃げれば…助かっていたのに……と思います。

この様に【一つの事に拘る事・縛る事は〜〜肩の荷物】とも思えますが…

■私どもは“力む…”事無く、大海原を“神に全托”しまして…
 スゥ〰〜〜〜〜〜イ!スゥ〜〜〜〜〜イ! 「狭き門」の扉を…オ−プン!!
但し〜〜〜〜〜〜一つだけ?忘れていましたが…?
【神の御心に…叶う信心】
今回の【社会事業団・現原宿教団…論争】…ア〜〜ダ・コ〜〜ダ?…の前に…?
この【肩の荷…】神様に全托…
但し…「悪口・うそ・批判…」神の御心に反しますので…果たして【勝敗…?】
■ 【 ノ ア の 箱 舟 ……】に乗らなくたは???

■ ■ 【調和の世界…和解の世界…】 でしょうか?????    
                             再合掌

>トキ様へ
私自身の解釈??難し〰〜〜〜〜イ!ですネ! 本日の解釈…
どの様に“解釈”されますでしょうか?“アドバイス”頂きますと…幸いですが…?

1400ももんが:2012/03/07(水) 07:27:54 ID:XXCuaQns
神の子の皆様、おはようございます。本日も素晴らしい、朝が、やって参りました。さあ、元気に、明るく、楽しく、本日も素晴らしい日にいたしましょ!ありがとうございます。合掌、感謝。


〜明るい心、暗い心〜

この世では誰でも『幸福になりたい』と思っている。では幸福になると、どんな心持ちだろうか。『まだなかったことがないから、分からない』というかも知れないが、その点をごく簡単に整理して、『明るい心』か『暗い心』かどちらかと聞かれると、『明るい心』に○をつけるだろう。
それならば、先ず『明るい心』になるとよい。するとその心によって、次第に幸福になって行く。一ぺんにならなくても、だんだん、『幸福』になる。
何故かというと、この現実世界は、心によって作られるからだ。心が全ての現実を作って行く。部屋でも、暗くしようと思えば、カーテンでも暗幕でも引いて暗くできるし、明るくしよう思えば、電灯をつけるか、窓をあけるか、天井をブチ抜くかすると、明るくなるだろう。
ところが『明るい心』になるには、そんな天井をブチ抜くほどのことをしなくてもよい。世の中の美しいところや、人に深切なところ、自分や周囲の人々の『美点』を見るようにすればよい。それん見る“練習”をし、鏡の前で笑ったりしていると、だんだん『明るい心』になって行くのだ。その反対に、人の欠点や、いやな所や、きたない所を見て、フクレ面する練習をすると、かならず『暗い心』になって、『不幸な人』になるのである。
ウソと思う人は、この二つの方法のどちらかお好きな方を、せめて一週間ぐらい続けてやると、きっと、『ハハー、なりそうだ』と予感がして来て、さらにもう一週間続けようということになるかま知れない。

〜谷口清超先生著『ありがとう』はすばらし より〜

『明るい心』を貫く気持ちが、『暗い心』に成っても、打ち破る様に、感じられます。

では、では、今日も曇りで、暗い心に成りやすいですが、明るく、元気に、楽しく、素晴らしい日をお過ごしください。御拝読、いつも、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1401a hope:2012/03/07(水) 08:54:34 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

猿真似(さるまね)するな


「間違いなく世間から見捨てられる方法は、人真似(ひとまね)以上に一歩も偉くならないことだ」と言った人があります。

しかしまた、「偉い者の真似をすれば偉くなる」という諺もあります。

しかし偉い者のした形を真似るだけでは猿真似(さるまね)です。
猿真似では、元の人より偉くなれません。偉い人はなぜ偉くなったか、
その心掛けを考えてその心掛けを真似て、その日その日自分の中にある「生き生きしさ」を働かして、
人真似以上に突き抜けねばなりません。

人真似した偉さは、気の抜けた汲み置きの水のようなもので、新鮮な味わいがないものです。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


みなさま おはようございます。

昨日から、とても暖かくなりましたね!
TVのニュースでは、半そで姿で街を歩く人も紹介されていました。
梅の花も咲き乱れ、もうすぐ本当に春らんまんですね。
そういえば、春らんまんさまはお元気でしょうか?

ももんがさまが、
>>『明るい心』を貫く気持ちが、『暗い心』に成っても、打ち破る様に、感じられます。<<
とおっしゃっています。

わたしもそう思います。暗い気持ちも、明るい気持も、周りの人に伝染しますものね。
今日一日、会う人、会う物すべてに感謝して、明るい気持ちで過ごしたいです。

ももんがさま、毎朝、素晴らしい言葉のプレゼントありがとうございます!

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!!

1402ももんが:2012/03/07(水) 20:28:15 ID:XXCuaQns
トキ様、役行者様

トキ様、役行者様、お返事遅くなりまして、申し訳ありませんでした。お返事、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

そうでした、植芝先生とたしか、その御弟子の塩田先生は、達人ですね。

私のいた、参禅会の長老の方で、塩田先生に習っていた方いました。

植芝先生の演武を友人の家で、ビデオか何かで、拝見した事ありましたが、十人くらい、飛んでましたね。
塩田先生は、鉄砲の玉を暗闇で避けたとか言われてますね。


話は、変わりますが、五井先生の処には、あの“平成”の文字を書いた、“安岡先生なんかも、居たようですね。


雅春先生の時代、大本分派の方が、生長の家にもたくさん居たのですね。


雅春先生の説き方に、不満を抱く人々が、分派を形成した事を知りました。


分派でも、メンバーは、可なり、大人物達が、五井先生に、ついたんですね。

雅春先生も、大変だったことでしょう。


『世界人類が、平和でありますように。』

て、良く、貼り紙してあるのが、そうなんですてね。
最近知ったんですよ。


トキ様、役行者様、本流派て、大本的発想が、あるように、私は、時々感じてしまうのですが?気のせいでしょうね。

では、では、トキ様、役行者様、少し、寒いですが、梅の花も七分八分咲いています。春は、少しずつ、顔を出してます。和解こそ!神様、雅春先生の彼岸だと!固く、信じる、バカな神想観修行者です。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1403ももんが:2012/03/07(水) 20:51:01 ID:XXCuaQns
>>1402
トキ様


トキ様、こんばんは。合掌、拝。

先程の追伸的な、ものです。

大本教は、現在も、亀岡にあるのですかね?

大本教の本部の様子や、教えの中身を、YouTubeで、見ました。

大本教は、教祖は、代々女系だそうですね。

王仁三郎氏も教祖では、ないそうですね。

教祖は、必ず、機織りをするそうです。

大本教は、農事を大切にして、田植えに、祝詞をあげてましたね。

エスペラント語を教えいたり。

色々と、大本教分派が、持つ、要素を色々元々たくさん、含んでいますね。


大変、面白、動画でした。

では、トキ様、まだ、寒いですから、暖かくして、おやすください。カンの歌では、ありませんが、必ず最後に愛は勝つ!ですよ。和解こそ愛です!おやすみなさい!合掌、拝。

1404SAKURA:2012/03/07(水) 21:24:30 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
                    昭和49年 10月15日 初版発行
【光明道中記】
■ 八月十三日   弥陀の本願ありがたき日

光明念波は「類に非ざる念波」を反撥して災害から逃れる。(『生命の実相』第十三巻)

*しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに。
悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆへにと、云々。

そうだ、「弥陀」は「去って去る所なく、来って来るところなく、生なく滅なく、
過、現、未来に非ず」して空間時間生滅を超越せる絶対存在であり給うが故に、
その救いは絶対力にて行われるのである。
弥陀の救いの本願は、大実在の御意志であるが故に、弥陀の本願をさまたぐるほどの
悪は存在し得ないのである。弥陀の本願力の前には「肉体」の滅不滅は
何らの障礙にはなり得ない。そこに生長の家の説く阿弥陀仏に至心廻向すれば
「肉体そのまますくわれている、此処がこのまま極楽浄土になる」と云う真理が
裏付けられるのである。
宇宙大実在の我を救いたまわんとの本願の絶対力の前には何物も礙えぎることが
出来ないと云うのは真理である。そこに『歎異鈔』の「他の善も要にもあらず」
「悪をもおそるべからず」の根拠がある。本願]の絶対力」に触れるとき、
無限燭光の光に触れて暗黒が消え去るように、「他力の善」がおのずから
自然におこなわれて悪が自然に消え去るいみである。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

『弥陀様』は……悪はないと認めない〜〜〜〜“つよ〜〜い心・心”と…
これは「生長の家」で言えば【実相円満完全〜〜♫〜〜】なのです〜〜ネ!
・・・此処までなりきれる“心…仏”・・・
【仏に気有する事でしょう〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!】

先日、「母の法要」の時、住職さんと話をしましたが…
やはり【浄土真宗…南無阿弥陀仏】と唱えれば…
そのまま【仏に成れる=成仏】との事を…おっしゃいましたが…??
その時、私が「それはむりですよ〜〜〜><」と云いますと…
大住職様が一言「○○さんは、大丈夫です〜〜ョ」笑って云いますが…??

「悪〜〜〜悪い人は、果たして…そのまま“仏”になれるの???変!」…
更に!大住職様が…「仏に成る…は当たり前でしょう?成仏…?」
私は…「あ〜〜〜〜ッ!そうです〜ネ!確かに…!!」
「仏は仏でもそれなりものが…今思います…と??」
今日の言葉から、【神想観をして神様に委ねる心は澄み切った心】です〜〜ョネ!

【夢】此の実現を祈る…しかもそれが【夢実現!出来たように祈る】…
この“実現”そこまでの道は・・・・現象――>実相実現・・・
これが…【弥陀の本眼力…】なんです〜〜〜〜〜〜かと??

「信仰心」が足りないのでしょうか〜〜〜〜 ><
この様に「一つの祈りに賭ける事」ことは、強い〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
【弥陀の本眼力】
…これは“祈り”と、今日!改めまして分りました。
そうです〜〜ョネ!だから「念仏だけで他力本願…ムリ」なのです〜〜ネ!
やっと〜〜〜〜大住職さまの意味が…
【人によっては、無理な方も〜〜〜〜〜〜いらっしゃいますようで?】

【弥陀の本眼力=>神想観】更に!【先祖供養】でしょうか???
そして「真理」をモット〜〜深く〜〜勉強いたしまして
当に今!私の夢も、まだまだ祈りに〜神想観で神への全托がたりない様です〜。
「あの世…」に行きにしても“現象界での訓練”…私は「生長の家」で、
【実相…】があります〜ョネ!…これも、同じ事なのですよ〜〜〜ネ!
「神にゆだねる祈り」さらに「先祖供養」も大事…その様に思います。

全て【弥陀の本眼力】 日頃の“祈り”で実現しているのョ〜〜〜♫
益々“祈り”が〜〜〜楽しくなりそうです…。
但し“祈り”は、“肩の荷”を下ろさないといけませんです〜ネ?リラックス…

【神様におまかせ…信じる心】…苦しい時は【弥陀の本願力】に思念…
今しています事と同じ事なのです〜〜ネ!…今度【お寺】にて又討論しそうです。
                              再合掌

PS:>トキ様へ
 本日の「弥陀の本願力…」どのように思われますでしょうか?

1405復興G:2012/03/07(水) 21:37:53 ID:ojEbkDH2

ももんが様。

>>1390 で
>カトリックの教会でも、ミサの時、必ず、前後左右の人を“祝福”しますね。生長の家の“賛嘆”の風もこうした、事のに“原形”がある様に私は、思い、いつも、素晴らしい、“行い”だと、思って、実行してるつもりです。<

とおっしゃいました、これは、すばらしいことですね。
私も、電車に乗ったとき、乗り合わせているすべての人々を祝福するようにしています。目をつぶって心の中で招神歌を唱え、「吾が生くるは吾が力ならず……」というときに「この電車に乗り合わせているすべての人々は自分の力で生きていらっしゃるのではない。神さまが生きていらっしゃるのである。皆々様は神にまします。光にまします。今、神さまの祝福に包まれて、ますます幸福の道を歩まれるのである」と念ずるのです。すると、自分がうれしくなります。席がなくて立っているときは、不思議に「どうぞ」と席を譲ってくださる方が出てきます。「今此処天国」が現成します。ありがたいことです。

最近ももんが様はいつも人の美点を見て讃嘆し明るく生きていらっしゃるようです。しかし振り返ってみれば、1ヵ月あまり前、この板の >>974 〜986あたりでは、元職員様や志恩様などの真剣な問いかけに対してまともに答えず、怒りをあらわにし問題をはぐらかしながら攻撃するような対応をされたように思います。その時、私はももんが様に不信感を持ちました。
最近は変わってこられたように思われます(よい方に)。私がきついことを申し上げても、讃嘆されます。しかし、本当に心底から変わられたのでしょうか。光明面のみを見て感謝して行きたいとは思うのですが……

「懐柔」という言葉が浮かんできました。この言葉の意味を確認するためにしらべてみますと、
<懐柔策:うまく扱って人を自分の思うとおりに従わせる手段。手なずける方法。「飴と鞭」の飴の部分。国家や組織の指導者が、批判を避けるために、また、国民の目を問題から背けさせるために餌を用意する、というような場合に使われる>
とありましたが、日常的に経済的利益のような餌でなくとも、言葉の飴と鞭──持ち上げる褒め言葉(アメ)と、敵意丸出しで非難攻撃する言葉(ムチ)を使って、人を自分の思うとおりに従わせる、というのも懐柔策として使われるのでしょう。
雅宣総裁の代弁者のように思われるももんが様のお褒めの言葉に、そのような要素があったらいやですね。

私は、元職員様や志恩様も、生長の家を愛するが故にいろいろな発言をされていると思います。それらの方々に対しては、まるで人格をも否定するがごとき攻撃的言辞を投げかけられることがあるのは、納得できません。
志恩様のまじめな発言に対して、「『本流思考のお仲間』と“ハラスメト的投稿楽しく、自分達のお仲間で、お楽しみ下さい。」(>>986)などと書かれているのは、許せません。これでは、「和解」はとうてい不可能です。

神にまします実相の総裁は、そのようなことをなさるはずはない。実相の生長の家総裁は、谷口雅春先生が「耿耿の言」でお説きくださいましたように、「罪あらば我をとがめよ天つ神、民はわが身の生みし子なれば」とお詠みになった歴代の天皇の大御心のごとき慈愛をもって、すべての人々、特に、かりそめにも生長の家の縁に結ばれた、今は反旗を翻している人々のことも包容し生かし導いて下さっていることを信じ、礼拝感謝申し上げてまいりたいと存じます。

なお、>>1032でももんが様は、
>志恩様のされることは、私へハラスメト行為と認識しています<
と書かれていました。私は、違うと思っています。
私が >>1379
>総裁が『生命の實相』裁判敗訴で苦境に追い込まれた今は、逆にかつての下位者で「本流」を名乗る人たちが総裁に対してパワハラを始めている、という見方ができるかも知れません。私自身も、その仲間に加わる恐れが無きにしも非ずみたいな……でも、これは本来大調和の生長の家ではない。イジメは、いけませんね。<
と書きましたのは、志恩様がパワハラをやっておられるという意味では全然ありませんので、もし誤解されたとしましたならば、お詫びを申し上げます。

1406ハマナス:2012/03/07(水) 22:41:06 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま

こんばんは。昨日はコートが要らない位の暖かさでした。
春も一歩一歩近づいて来ています。

   陰陽は必ず陽転する。  (『新版 生活の智慧365章』P.85より)

 何事がやって来ても、驚いたり、うろたえたりしてはならない。つねに神想観を
して、神との一体感を深めている者には、常に神が護っていられるのであるから、
根本的に困るような事はやってくる気遣(きづか)いはないのである。
陰極は必ず陽転するのである。
最も暗い丑満時(うしみつどき)が過ぎれば、もう明け方は近いのである。いつまでも
冬はないのである。必ず春が来るのである。いつまでも冬がつづいて、到底暖かい太陽を
見ることは出来ないと失望して死んだ者のみが、ついに春を見ないで終わるだけのことである。

 すべてのものは変化するのである。困難のみが固定して動かないということはない。
神の愛のみは変わらないで常に護り常に導いていられるのである。恐れてはならない。
「板本尊(いたほんぞん)」は物質であるから、常に携帯して歩く訳にはゆかないけれども、
神は不変に存在したまうから、神に祈り、神想観し、常に波長を合わす習慣をつけて置けば
常に神の護りの中にあるのである。
 

昨日の皆さまの、投稿に感動いたしました。
復興G様が、 
>「懺悔と謝罪」──今までのことを考えたら、それはほとんどあり得ないことかも知れませんが、
私はその「奇蹟」が起こりうることを、まだ愚直に思っているのです。一人ぐらい、そういう馬鹿者がいて
もよろしいのではないでしょうか。村上和雄先生は『アホは神の望み』『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』という本も書かれています。
その「アホ」を貫いて、できる限りのことをしたいと思っているのです。どうぞ、アホをお認め下さい。<

私も、大馬鹿、ならず大アホになります。

そして、役行者様が、
>ギリギリまで和解を提唱し、信じ抜きます。
すべての方々が生かされ、大いに人類光明化運動に貢献するであろう生長の家を
心から祝福します。<

素晴らしいです。同感です。

また、元職員様も
 >しかし、奇跡は起こることを信じたいし今でも祈る ことは欠かしていません。
わたしも生長の家ですか ら今でも心は・・・ <

私も、奇跡を、和解を信じます。
生長の家にも、春が近づいてきています
教団側と社会事業団が早く同じテーブルについて、話し合いをもって頂きたいと、
切望します。
実相顕現を信じて明日も喜んで、神想観をさせて頂きます。

感謝合掌

1407トキ:2012/03/07(水) 23:02:38 ID:NjZYAvIs
>>1403

ももんが様

 ニンニクを食べてから、このメールを打っているので、臭いがあったらごめんなさい。

 大本教事件に関係した銅銀さんという特高の刑事さんが書いた「最後の特高」という本を読んでいたら、
出口王仁三郎さんについて、こんな話が書いてあります。

 治安維持法で、特高側は必死になって出口家の人間を尋問し、天皇制を否定しようという意図があった
という供述を取ろうとします。もちろん、出口家の人達は「そんな意図はない」と否定します。が、新米
の刑事だった銅銀さんが、奥さんの出口澄さんを尋問していたら、ひょっこりと天皇制を否定する証言を
彼女がしてしまいます。必死になって取消を懇願する出口澄さんの要望に応じて銅銀さんは、調書を破き
ます。

 その後、出口王仁三郎さんの孫が旧制中学受験の願書も受け取ってもらえないと知ると、同志社中学に談判を
して、受験を認めさせるなど、銅銀さんは、刑事と被疑者という関係を超えて、出口王仁三郎に便宜をはか
ります。

 その後、出口澄さんが亡くなると、大本教から銅銀さんに通知が届きました。葬儀に参列した銅銀さんに
大本教側は特に昇殿参拝を認め、喪主である出口直日さんが、手をついて彼に御礼を申し上げた、という
逸話が書いてありました。

 その後、出口家と銅銀さんは、戦後、立場を超えて、親しく交流した事実が書いてありました。
 
どうも、関係のない話を書いて、すみません。

合掌 ありがとうございます

1408うのはな:2012/03/08(木) 00:39:08 ID:El6gIMAw
わたしは他の人からさんざん文言などこまかいことを聞かれ、そのつど答えるのに
エネルギーを消費してきたので、自分が大雑把なぶん他のひとの話しもおおまかに
とらえて、揚げ足とりのようにならないようにしようと考えていました。

 けれど、最近また細かいやりとりがはじまったようなので、お返しの意味で書かせてもらいます。
訊け氏には以前からうのはなさんは矛盾があるとか、論点をずらしているとか
いわれていますが、ここの掲示板は最初トキさんが本流の意見に賛成できない点はあるが、
本流に対して攻撃目的に設置したのではないというような趣旨を説明されていたと思います。

 けれど、訊け氏はある本流投稿者にこの掲示板と本流宣言掲示板とは既に対立関係にあると
いうような文意を書いていました。
 私は本流投稿のいくつかには反感も持ち、異論も書きましたが、この「対立している」という
語には、わたしもそうだと思われたくないという気持ちがあったのでよく覚えています。

訊けブログでは、本流に対してよく思っていないようなコメントが出ています。
トキ管理人も幅広く意見を載せる方針だから管理も大変かと思いますが、この場合は
「訊け」氏がここの掲示板の趣旨とは違う発言をしていることになると思います。
長期間、私の文章を取り沙汰されてきたので、訊け氏にもひとこと言っておこうと思い
書きました。

1409志恩:2012/03/08(木) 06:50:40 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

1405:拝見しました。敬愛する閣下に、いろいろとあたたかいお言葉を賜り、光栄に存じます。

1379の件、
私も、復興Gさまが、私に対して、パワハラしてるとおっしゃったとは、全然思っていませんでしたが、ご丁寧に
感謝いたしております。


今さっき、私は、早朝神想観を終えてから、いつものように手動式コーヒーミルで豆を挽き、夜明けのコーヒーを喫んだところです。
なので、部屋中、コーヒーの香りがたちこめております。


私事ですが、最近、うちの近辺では、庭を潰して、そこへアパートを建てるお宅が急増しました。近くだけでも6軒も建ちました。
(わが家では、庭は潰しません)
ところが、新アパートの数軒は、けちって、点けるべき外灯を灯さない。周囲の草は刈らない、ごみ出しは、メチャメチャ。ETC.

そのようなルール違反が、
至って目立ちまして、地区委員をしている私のところへ、昔から住んでいる地区の方達が、数人で苦情にこられたので、
昨日私は,2軒のアパートの、管理会社や,持ち主を調べて、ルールを守って、やるべきことはやるように、実際に行き、
厳しく注意してきたところです。

私事の話をして、なにが言いたいかと申しますと、個人の家のことなら、まだしも、

公に対して迷惑をかけたりする場合、忠告は,必要だと思うのです。
または、多くの人が、聴いて侮辱された、
卑下されたと受け取られるような例えば、総裁の「学問のない人」発言ですが、そのような誤解されるような発言をした
した場合も、例え、上の位置におられるお方でも、今後は、そのような発言は、やめたほうがいいという意味で、忠告は
するべきだと思います。

役行者さま、SAKURAさまの、本流対策室板での、この件についての、総裁先生を庇う発言も拝見しましたが、
ほんとの意味は、こうなんだ、ああなんだと、発言後に、毎度、どなたかが説明されてますが、こどもの発言なら、いくら庇っても構いませんが、
総裁先生なんです。多くの人が、聴いていて、ブーイングが起きている事も事実なんです。何をか言わんやです。

総裁は、なぜ、つぎからつぎへと、多くの信徒が、侮辱、卑下されたと受け取れるような発言をしてしまうのか、根本的な発想を、総裁ご本人が、
省みる必要があるとおもうのです。訊け様ブログに、雅春先生始め,昔の本部講師のご講話の動画も沢山載っていますが,人を卑下するような
発言なんて、皆無です。総裁のこころの立ち位置が、ずれているからに他なりません。きちんと省みることがたいせつだと思います。

その現総裁の成果は、ハッキリ数字にでているわけです。
昨年の全国青年大会の参加者は、1,000人。
過去は、30.000人。

個人のことならともなく、公の立場の人のことを言っています。
ただ、実相の善のみをみつめる祈りをして、トップが、何を言っても,何をしても、見て見ぬふりして、
ただ、すばらしい すばらしいと、褒めた讃えてだけいれば、神のみこころに叶うのか、それで、いいのか。

それが、ほんとにすばらしいことなんでしょか。
それは、却って、本人に対して、愛のない不親切な行為。。本人の為、今後の生長の家を思えばこそ、
甘言だけでは、進言することも、すごく大事な行為なのでは、ないかと強く思っております今日このごろです。

(総裁のいいところも。もちろんいくつか、ございます、1つは、高額な壷を売らないことです。)

1410ももんが:2012/03/08(木) 07:22:18 ID:XXCuaQns
神の子の皆様、おはようございます。今日も素晴らしい、朝がやって、参りました。さあ、本日も、元気に、明るく、楽しく、素晴らしい日にして参りましょ。ありがとうございます。合掌、拝。


〜『甘露の法雨・神』より〜

或る日天使生長の家に来たりて歌い給う

創造の神は

五感を超越してる

六感も超越してる



至上

宇宙を貫く心

宇宙を貫く生命

宇宙を貫く法則

真理

光明

知恵

絶対の愛

これらは大生命

絶対の神の真性にして

神があらわるれば乃ち

善となり

義となり

慈悲となり

調和おのずから備わり

一切の生物処を得て争うものなく

相食むものなく

病むものなく

苦しむものなく

乏しきものなし。



a hope様、復興G様、トキ様、昨日は、私に、コメントありがとうございます。復興G様の御言葉には、悲しみの余りに、昨晩は、涙した、私です。

また、改めて、個別にお返事申し上げましす。真に、ありがとうございました。
それでは、本日も、嬉しく、楽しく、神の子の生活を御過ごしください。いつも、御拝読、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1411a hope:2012/03/08(木) 10:52:51 ID:kcv2QXTk

みなさま おはようございます。

今日の「人生読本」の筆写は、後ほど聖典引用板にさせていただきます。

今朝、この掲示板や他の掲示板を拝見して感じたことがあったので、なまいきながら発言させていただきます。

誰かが、間違ったことをしていたら、指摘してあげるのは愛情だと思います。

でも、そこに相手から、過去にされたことに対する、怒りや憎しみや恨みの感情、
もしくは、純粋ではない何か違うたくらみのようなものが心に少しでもあると、
その雰囲気が発する言葉や文章に表れてしまうのではないかと思いました。

わたしは、そういうものを「気持ち悪い」とか、「いやな感じがする」と感じます。
違う言葉で表現するとそれを「邪気」というのではないかと思います。

この、「邪気」というものがその人から少しでも出ている時は相手を不快にはせよ、反省させることは決してないと思います。

たとえば、「訊け」管理人さまが男気のあまり、なにかそのような雰囲気(争いの念波)を発してしまっても、
この掲示板では、志恩さまやうのはなさま、そして他の投稿者の方々が愛情を持って注意をして差し上げています。

わたしが、この掲示板が大好きで、毎日必死に投稿しているのは、この掲示板には愛があるからです。
そして、その邪気がほとんど感じられないからです。

特に

>>1405 の復興Gさまの投稿
>>1408 のうのはなさまの投稿
>>1409 の志恩さまの投稿 

などは、とても、キツイ意見のようにも見えますが、
わたしは相手に対する愛情に満ちている内容のように感じました。

大変、生意気な意見をいい申し訳ありません。

わたしは、この掲示板の一人一人のみなさまが大好きです。
これからも、御指導どうぞよろしくお願い致します。

1412復興G:2012/03/08(木) 15:27:17 ID:ojEbkDH2

役行者様
皆々様

役行者様が「挨拶板」で、“新参者”様へのコメントとして紹介して下さっている、“初心者”様の投稿──

>「生長の家「本流復活」を考える」
>46 :初心者:2011/06/07(火) 21:14:17
>現総裁が教団のトップとして不適格であることをもっともよくご存じなのは総裁ご自身だろうと思います。現総裁が、三代目として大きなプレッシャーを感じておられるのはたしかでしょう。現総裁は、宗教家としての資質がほとんどないにもかかわらず、宗教組織のトップに立たされてしまわれたのですね。
現総裁にとって、「いい人」である自分と、現実の自分との落差はそれほど大きなものではないはずですが、生長の家の総裁としての自分と、現実の自分との落差はあまりに大きなものであるはずです。「どうして自分は生長の家の総裁でなければならないのか」と、この問題で苦悩しておられることだろうと思います。
総裁としての自分と現実の自分との落差を埋めるために頼みとされたのが「知性」であったはずです。知性によって落差を埋めているかぎり、生長の家の総裁としての自分と現実の自分を一致させているような気になることができるのです。ひとたび知性を否定されれば、落差があらわとなります。あらわとなった落差を打ち消すために、知性を否定する人々を拒絶してしまわれるのです。<

――これは、とても重い意味をもつ投稿文と思われて来ました。役行者様のコメント

<いま、現実に雅宣先生が現総裁だということは、認めざるおえない事実かと存じます。ならばもっともっと現総裁を知ることが大切かと存じます。時には一人の人間として・・・生長の家の総裁になられたということは想像を絶する苦悩があるかと思うのです。>

――それは、理解できます。総裁を闇雲に非難するのではなく、総裁の苦悩を理解することは必要でしょうね。
 その上で、私たちは総裁の身になって考え、行動することが求められているのではないでしょうか。

1413志恩:2012/03/08(木) 18:39:29 ID:.QY5jUA6
A HOPE 様

私は、A HOPE様が、みなさまを、いつも愛しています、と、祝福してくださっておられるお姿は、美しいと
思っています。

総裁へのコメントは、人それぞれですから、これについては、意見の相違があっても、しかたがないことです。

みな、生長の家を愛してやまないのだけれど、考え方がちがうだけです。

私の発言が、お気にさわったら、おゆるしくださいませ。

1414a hope:2012/03/08(木) 19:43:07 ID:kcv2QXTk
志恩さま

 >>1413についてですが、

わたしは、今まで一度も、志恩さまの発言から、邪気を感じたことはありません。
キツイな〜と感じたことは何度かありますが...(笑)
でも、志恩さまは、どなたに対しても愛を持って発言されているとわたしは感じています。

しかし、

>みな、生長の家を愛してやまないのだけれど、考え方がちがうだけです。<

これに関しては、本当に本流や、教団のすべての方が、「生長の家」を心から愛していらっしゃるとは、
わたしは感じていないのでもう少し考えさせてください。(今はちょっと酔っていますし..)

志恩さまのことは心から尊敬してますし、志恩さまの投稿はいつも核心をついているので大好きです。

1415トキ:2012/03/08(木) 20:26:39 ID:oa2kLcfM
>>1410

山本玄峰老師は、かって「お坊さんは、障子の糊のようなものだ」と言われました。「どうして糊ですか?」と聞きますと、
「どんな立派な障子でも、糊がなかったならば障子の桟と紙が離れて障子の役目をしない。しかし、外から見ると、糊はある
か無いかわからない。お坊さんは、この糊のように、人の知らない所で人と人とが仲良くし、一切の物事が成り立って行くよ
うに働いてゆかねばならないのだ」と言っておられました。(回想 山本玄峰 P193)


 ももんが様は、玄峰老師みたいな方だと思います。

では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1416SAKURA:2012/03/08(木) 21:25:05 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ

【幸福を招く365章…】
■人間は霊であると云う意味

「霊」と云う語はひろい意味をもっている。一般にそれは
「非物質であって霊妙なはたらきあるもの」と云ういみである。
霊と云えば、宇宙霊すなわち「天地の本源神」と云うような場合もあれば、
肉体を脱け出た個別霊すなわち「霊魂」を意味する場合もある。
「人間は霊である」と云うような場合は、「人間は霊魂である」と云う意味でなく、
人間は「非物質にして霊妙なはたらきを有する神霊である」と云うようないみである。
「霊妙なはたらき」と云う意味には「神通自在」と云う意味もあれば、
「生命力を有する」すなわち「霊能者」であると云う意味もあり、
「叡智を有する」すなわち「霊知者」であると云う意味もある。
即ち「人間は霊である」と云う意味は「人間は非物質にして神通自在の生命
そのものであり霊知者である」と云ういみである。
                     ―― 谷口雅春著者 ――

「生長の家」では「人間神の子」と申しますよ〜〜〜ネ!
本当に!「神地一体」です〜〜〜〜とその様に思います…。
「母の御霊」を、見ましてからは…【人間は霊的人間】と自覚した次第ですが…
今の私に置かれています「現象世界…」…そこで私は日々暮らしていますが…
分っていても〜〜〜つい!つい!「肉体の自覚に誘惑??」されやすい様です〜ネ!

きれいな〜まん〜〜丸〜〜い“御霊”を見ますと…不思議な気持ちに捕らわれます。
【管理人・トキ様】が紹介されました本を注文しましたが…
きっと本が届きましたら、私の知りたいことが記述されてある様に思えて…
今から、楽しみにしている所ですが…?  ルン〜ルン〜♫
【霊人間の自覚】が出来る事は、【神通自在に全てが整う事…!!】
先ず!それにはやはり【神想観】なのでしょう〜〜か?

私の「心の奥底は〜〜〜〜霊??」です〜〜〜〜〜ョネ!
その“奥底”につなげ”モノ“は【神想観…】と気付きましたが〜〜〜〜
以前よりも?まじめに“思念=>神想観”で〜〜〜す。
【霊的人間=>神想観】をしている私は、【霊知者・霊能者人間です〜〜ネ!!!!!!

バンザ〜〜〜イ!!バンザ〜〜〜イ!!
「SAKURA(霊)」もあるのですと、自覚が〜〜フツフツと“芽”が出てきそうです。

そして、もうすぐ“春”です〜〜ネ! “つくし”が…顔を見せてくれるように〜♫
「SAKURA」も【魂の進化・進歩の芽・芽〜〜〜】芽が顔を覗き込んでいますが?
その事に気づいて…益々!【神と一体…】
〜〜〜明日に向かい〜〜〜♫〜〜〜「母の御霊…」を投稿したいと思います…!
唯今・…………【準備中】

                              再合掌
>トキ様へ…今日の解釈?どの様に思われますか??

1417SAKURA:2012/03/08(木) 21:51:02 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
復興G 様 へ

■ 文章力…理解力?

人の文章から、感じ取るのは“人それぞれ〜♫〜”なのです〜〜ネ!
改めて…「文章表現」そして「そこからの理解力…」難し〜〜イ!と…判断しました。

一つ申し上げますと…【類は類を・…】でしょうかしら〜〜〜ン!
人は、その共通点(感覚・感情・思考…)いろいろあるのです〜〜ネ!

私は>1405 投稿文…
■ 【復興G様 のご意見】…に“賛同”させて頂きます…。
「冷静な判断・思慮深さ…その事が文章に表現されています」と判断しましたが…

                                 再合掌

1418ハマナス:2012/03/09(金) 00:16:08 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。
明日は寒くなるようですので、暖かくしておやすみ下さい。

   山頂に登りつく途中   (『新版 生活の智慧365章』P.84)

いつまでも人を見て、「気に食わぬ」という気がするのは、相手が悪いよりは、自分に
一種の先入観や、一定の尺度があって、自分ぎめの善の標準や尺度に異なる者を、
みんな「悪い」と独断する癖があるからである。それぞれの人々は、それぞれの道を
通して、(それは今行く道が間違っているかも知れないが)そのような道を通れば、
このような結果になるいうことを体験を通して勉強しつつあるのである。

ある人の現在の状態は、決して、その人の最後的状態ではないのである。それは「実相」
の山頂に登り着くための途中の登山道の風光に過ぎないのである。やがて彼も「実相」の
山頂に登りつめる時が来るのである。その事を信じて、その人のために祈りましょう。
1ぺん位、生長の家を勧めてみて、入信しなかったからといって、失望してその人を見棄て
てしまうのは愛が足りないのである。その後もたびたび訪問して真理の話をしてあげるのが
よい。一度でピンと来なかった人も、やがて心の扉がひらいて真理を傾聴するようになる
にちがいない。

感謝合掌



1419役行者:2012/03/09(金) 06:19:36 ID:zRvB7sT.

 >>1412

 復興Gさま


 >――総裁を闇雲に非難する のではなく、総裁の苦悩を理解することは必要で しょうね。
その上で、私たちは総裁の身になって考え、行動 することが求められているのではないでしょうか!<


 なかなか、他者の気持ち、特に総裁先生の立場を理解できるとは思いませんが、生長の家の教団にいる以上は大切なことかと存じます。
 総裁の腹心中の腹心であられる初心者さまが以前、縄文的頭脳改革のことを仰っていました。
 これは地球規模での維新であり、地球救済といえるくらいの大規模な改革と思っています。
 そのような大きな改革を胸に秘め、現実はシャバ世界によくある小さなイザコザと、裁判などのやっかいな問題にさいなやまされているのが現状でしょう。
 その理想と現実のギャップは計り知れないと思うのです。
 その苦悩する総裁に少しでもお役に立てればと思うのです。


 もちろん、総裁が舵を取っておられる以上、いまの現状は総裁がつくりだしたことであることは逃げられない事実でしょう。
 そこを基として、より皆が楽しく、愉快に、自由に信仰できる場を提供することに協力させていただきたいと思っている次第です。

 では、今の現状の原因をしばし究明したいと思います。
 生長の家の業であるのはもちろん、総裁先生による右に倣い人事がなせる結果でしょう。

 元職員さまが仰ってました清超先生の慈愛人事とはほど遠い采配を下してきたことが問題だったと思うのです。

 真の采配とは、同じテーブル上で双方の意見、感想、言い分を充分に聴き、その上で判断する事だと思うのです。
 その雅量、器量がより活気に満ち溢れた教団を築いて行くと思うのです。
 このままでは、真実を見抜く第三の目が開かれるどころか、闇に第三の目が奪われ、盲目が盲目を呼ぶ、見せかけの建て前で塗りつぶされてしまうでしょう。


 たとえば、一つのクラスを想定して見ましょう、クラスにはいろいろな方がいました。親分肌で、義理と人情に厚いタイプ、このようなタイプはいざとなると動きますが、得てして言い訳はしないタイプです。そのほか、その場当たりだけはうまく繕うタイプ、平気で嘘をいうタイプ、コロコロと力のある人に媚びるタイプなどなど、いろいろな方がおられて、多様性が展開され、活気に溢れた場が提供されてくると思うのです。

 そのような和やかな、発展的な、自由な場から、理想実現の可能性も拓かれてくると思うのです。

 今の現状に目を反らさず、よくみて、その上で、理想、夢を追ってゆく姿勢が未来を拓いてゆくのでしょう。

 
 もの云えぬ、狭い空間を創るのでなく、自由に、楽しく、生き生きとした空間を創ることに協力、支援することからはじめさせていただきたいと思っているのですが・・・

1420役行者:2012/03/09(金) 08:23:56 ID:zRvB7sT.

 >>1402

 ももんがさま


 >トキ様、役行者様、本流派て、大本的発想が、ある よふうに、私は、時々感じてしまうのですが?気のせ いでしょうね <

 
 ゴメンナサイ、大本教にかんしては、二十数年前に、巨人 出口王尼三郎 という本を読んだことがあるだけの知識ですから・・・大本教的発想というのがわかりません。


 大本教にとって生長の家は分派です。
 生長の家創立当時は、結構、大本教の方々が出入りし、協力してもらっていたと伝え聴いています。

 生長の家が大本教と分かれた理由は、生命の実相 20巻に書いてあったと記憶しております。

 神が裁くような内容を説いている大本教に対して、第一次大本教事件後に袂を分かった!ということが書かれていたと記憶してます。

 何はともあれ、その後、五井さんが創立した白光真宏会など多数の宗教が生長の家からも独立してます。

 もちろん、分裂した原因は人間関係なども多分にあったと聴いてますが、中心的なことはやはり、唯神実相の捉え方の違いなのではないでしょうか!

 この神髄を忠実に教えとして守ってこられたのが、生長の家と存じています。
 ですから、その神髄を守り通すのが生長の家の本義と思われます。

 生命の実相と聖経のことで、裁判している現在の状況と、今までの分派活動とを比べることは些か無理があるのではないかというのが、個人的見解です。

           合 掌

1421ももんが:2012/03/09(金) 11:24:07 ID:XXCuaQns
神の子の皆様、おはようございます。合掌、拝。

昨日、トキ様、復興G様、a hope様、役行者様、お返事差し上げられずに、申し訳ありませんでした。本日も、多少、忙しいので、お返事出来るか、わかりませんが。必ず、お返事差し上げます。真に、いつも、御拝読後の後の、皆様の御言葉は、我が心の雷雨と成り、鋤と成り、桑となり、必ずや、我が心の芽を又新たに、咲かしてくれる基になるでしょ。真に、ありがとうございます。合掌、拝。


〜祝福する者が祝福せられる〜

あなたの生活に、幸福の扉を開くためには、先ず他の人々の幸福を願う祈りをするがよい。
他の人を祝福すれば、自分がまた、祝福されるのである。祝福する者が、祝福され、呪詛する者が呪詛せれる、これが宇宙の平衡の法則である。

“神と供に生きる真理365章”115㌻

a hope様、ハマナス様、何時も、祝福の言葉、ありがとうございます。

特に、ハマナス様から、たくさん、勉強させて、いただいでおり、何時も、感謝してます。

他の皆様も、いつも、ありがとうございます。昨晩も、雅春先生の講話拝聴し、“宗教の第一義は、永遠生命を知る事…”に、深く、同感でき、涙した、私がありまた。
桜が、もう咲きそうな、気配です。春は近いです。心を穏やかに成るように、皆様、心の雪解けをされて、春を楽しめるように、なりましょう!いつも、御拝読、ありがとうございます。合掌、拝。

それから、トキ様、役行者様、個別に、トキ様、役行者様今朝、昨夜の御投稿ありがとうございます。感謝敬白、心より、合掌、拝。

1422復興G:2012/03/09(金) 14:14:18 ID:ojEbkDH2

ハマナス様。

ももんが様もお褒めくださいましたが、

>>1406 「陰極は必ず陽転する」
>>1418 「山頂に登りつく途中」

この二つの『新版 生活の智慧365章』からの引用は、まことに時宜にかなったと言いますか、神のみ声のように拝聴いたしました。

元職員様。

>>1391
>最後まで(ギリギリまで)信じてお祈りになると申されますが、その最後のギリギリとはいつのことでしょうか。<

「いつ」とは申せませんが、ハマナス様が引用してくださいました『新版 生活の智慧365章』のご教示
『陰極は必ず陽転するのである。最も暗い丑満時(うしみつどき)が過ぎれば、もう明け方は近いのである。いつまでも冬はないのである。必ず春が来るのである。いつまでも冬がつづいて、到底暖かい太陽を見ることは出来ないと失望して死んだ者のみが、ついに春を見ないで終わるだけのことである。
すべてのものは変化するのである。困難のみが固定して動かないということはない。』
――このお言葉を信じてまいりたいと存じます。

a hope 様。
いつも、やさしく素直なご発言に、癒やされ、うれしく躍動する思いです。感謝!

役行者様。
>>1420
>分裂した原因は人間関係なども多分にあったと聴いてますが、中心的なことはやはり、唯神実相の捉え方の違いなのではないでしょうか!
 この神髄を忠実に教えとして守ってこられたのが、生長の家と存じています。ですから、その神髄を守り通すのが生長の家の本義と思われます。
 生命の実相と聖経のことで、裁判している現在の状況と、今までの分派活動とを比べることは些か無理があるのではないかというのが、個人的見解です。<

私も、同感です。このたび“分裂さわぎ”になっている中心的なことは、人間関係ではなく、「唯神実相」の真理、教えの神髄を守るための戦い、と言ってよいでしょう。「陰極は必ず陽転する」「暗は光の前に必ず消滅する」ということを信じてまいりましょう。

1423志恩:2012/03/09(金) 18:27:53 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

聖使命什一会員を、10年以上続けた人は、永代供養してもらえるなんて、初めて聞きました。
母は,家族全員を何十年と什一会員にいれて、永年、会費を納めて来ましたけれど、母は、永代供養は、
申し込んでいませんでした。

もう、聖使命会員は、辞めちゃったしねぇ、
今度、母と一緒に住んでいる妹に,聞いてみます。

1424志恩:2012/03/09(金) 19:17:48 ID:.QY5jUA6
夫のほうの母(義母)は、すでに、永代供養をお願いしましたが、実家の母は、まだ元気なので、しないそうです。
でも、今の総裁が総裁でおられる限り、永代供養は、申し込まないとも言っております。

なぜなら、兄弟姉妹、孫たちも、みな生長の家なので、われわれ全員で、心を込めて聖経を読誦し、
自分達で、ご供養は、続けますから。ということになりました。

ありがとうございます。礼拝

1425ハマナス:2012/03/10(土) 00:40:35 ID:u5mC.eb2

神の子の皆さま
こんばんは。ありがとうございます。

ももんが様、復興G様
 お褒めのことばを頂戴いたしまして、恐れ入ります。嬉しゅうございます。

       常識をこえる力  (『新版 生活の智慧365章』P.88)

 すべての生活を、祈りに始まって祈りに終わる生活となせ。祈りは“神の心”と
“人間の心“との波長を合わす最良の道である。”神の世界“には一切の良きものが
「アイディアの形」又は「理念」として存在するのであり、”神の世界“に波長を
合わす事によって、その欲するものを受像して、現象界に具体化することができる
ようになるのである。

 吾々は常識的に判断して現象的には到底不可能だと見える問題に面すると、もう常識
的判断だけで“迚(とて)も駄目だ”と見切りをつけて、祈ることすらも抛棄(ほうき)
してしまうことがあり勝ちであるのである。併(しか)しそれが正しい要求である限り、
常識的判断で”到底駄目“と見える事でも、神に於いては不可能なことはないのである。

どんな失敗でも、神はそれを償うてあまりある救済策を与え給うのである。如何なる
複雑な問題でも神によって解決できない問題はないのである。どんな面倒な人間関係
でも、神の愛がそこにあらわれるとき、何人もみな満足できるような解決に到達し得る
のである。どんな悪癖悪習慣でも例えば麻薬の中毒患者でも神の力が発現するならば
矯正できない種類のものはないのである。ヒロポンの中毒患者が、注射を中断すると
恐ろしい禁断症状で苦しむのが普通であるが、飛田給の生長の家練成道場で神想観をし、
神との一体感を深め、「人間・神の子、ヒロポン中毒本来無し」の自覚に入ると、忽ちに
して中毒症状は去り、自然に注射がいらなくなり、注射を止(や)めても、少しも禁断症
で苦しまずに健康な生活に移行し得た実例も屡々(しばしば)あるのである。


 雅春先生がお書きになられている様に、「吾々は常識的に判断して現象的には到底不可能
だと見える問題に面すると、もう常識的判断だけで“迚(とて)も駄目だ”と見切りをつけて、
祈ることすらも抛棄(ほうき)して」、迷ったり、ただわめいているだけでは、いけないと思いました。
皆が心を合わせて真剣に祈ることによって、必ず神様は解決策を与え下さる事を
信じています。
みんな神の子で、生長の家に触れ、ご活躍をされた、そして、ご活躍していらっしゃる方々なのですから。    

感謝合掌

1426SAKURA:2012/03/10(土) 01:42:17 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ
こんばんは…
おそくなりましたが……

【幸福を招く365章】
◆――――― 誰かが自分を中傷するとき ――――◆

誰かが自分の名誉を毀損したと思う場合に、それについて憤ってならないのである。
実相に於いては人間の尊厳は「神の子」として永久に失われるものでないのであるから、
静かに座して「自分は神の子であるから、何人も自分の名誉を奪うことは出きないので
ある。ウソは結局、非実在のことを実在らしく語るものであるから、実在しないものは
消えるほかはないのだ」と安心して念じておれば、いつの間にか、ウソに伝えられた
不名誉は消え去って永遠の存在である真実のみが輝き出ることになるのである。
決してウソを告ぐる者に対立して、その渦巻の中に巻き込まれてはならないのである。
                             谷口雅春著者

――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――

今日「デイリ−インスプレイション」のところで…
【歴史というものは多かれ少なかれ…ホラ話だ】  ◆ ヘンリ−フォ−ド
今日の中身で……“ウソをつく事”でどれ位の人が、振り回されるのでしょうか〜〜?
帰郷しましてから、此処の人は、簡単に“ウソ”をつきます〜〜ネ!

私も、若い時に“ウソ”が原因で、騙されまして…この“結果”ですから? ><
でも!若い時は、先ず!【信じる事】を優先しがちですが…??
しかしながら?これも“性格の問題…”も入るのかも??
ただ此処に戻りましてからは、現在!かなり“用心”しております〜〜〜が〜〜〜

毎日の「お勤め…祈り」を、しています。【神地一体…】で〜〜♫
「神様に生かされています〜〜〜♫」と、思いますと、楽しいです〜〜♫〜〜
「嫌な事は???」ノ−!〜〜〜ノ−!〜〜〜♫
唯!!ひたすらに「祈り」ます今の私は…?以前よりも強い〜〜〜い【SAKURA】
ウソも見抜けるぐらいに“透視…”が出来る様な直感力…
いつも〜「イメ−ジ」しておりますと、生かされて行くようです。
本当に、ウソを伝えられたら、それに巻き込まれない様に……??

それは…それは…【祈り】です〜〜ネ!
【精神統一が…一番です。!!!】
私は“中傷”が多い時でも?……実在しない者を認めない“心”が、大事です〜ネ!

■・・・『祈り』に徹してしておりますと…「類の法則」に乗っかる様に思えます。
最近『神想観』が楽しいのです…。「狭き門」に入れる“心”・“柔軟な心”に…
なって行く様で〜〜す。毎日!楽しくそのような人(中傷)も…受け付けない私!
になって行っております。(進行形…・)
【狭き門…… “扉”よ!!〜〜〜〜開け〜〜〜護摩〜〜〜ゴマ〜〜〜】
                               再合掌

PS:>トキ様へ
   本日の解釈論…如何でしょうか??
今日は「亡き母の御霊様」フエス・ブック・ペ−ジに 投稿しました…。
宜しかったら??見てくだいませ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 m(..)m
モット〜ト〜モット〜“心の修行”…ガンバル〜〜ワ
本日の“アドバイス”頂きますと幸いです。


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