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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板
128
:
役行者
:2011/09/20(火) 13:55:47 ID:???
>商人様
>訊け管理人様
私も、若気の至りで、事業を試みたことのある端くれです。
ご心情、お察し申し上げます。
つい最近の話なのですが、サウナで結局、名前も素性もお互い明かさないまま・・・
の縁で、ビールの飲み交わし、楽しく、しばし会話をしたのです。
「やあ、菅政権のときはどうなるかと思ったよ!!」と彼。私は、「野田政権でも、
どんぐりの背比べでしょ!」と。彼;「いやあ、彼にはまだ、政治的平行感覚がある!」
私;「そうですか・・・」てな話を続けて、
彼;「どのみち、ここ数ヶ月で、経済状況が一変するぞ!お金の預けどころを間違えるなよ!」
私;「本当ですか?」彼;「信じるか、信じないかは、あなた次第!!
あっ、それから、あんた、経営されているなら(サラリーマンです)、
ひとつ教えてやるよ!これから、月末にかけて、ドルが上がるよ!つまり、円安の方向に進むよ。」
と・・・言って、名前も素性も言わず、去って行きました。サウナでのヒトトキでした。
どうなんでしょう。サウナであった方は・・・その場しのぎの言葉か、真実か?
一週間くらい前の話で、月末が楽しみなのです。ちなみに現在、1ドルあたり76.5円どす!
129
:
商人
:2011/09/20(火) 17:58:40 ID:TCt66b8E
>役行者 さま
すばらしい情報ありがとうございます!
日々金策に追われ投資する体力も御座いません。 笑 笑
投資できる身分になれるよう精進してまいります!!
しょぼい商人より
130
:
役行者
:2011/09/20(火) 18:46:30 ID:XDphrwd.
>商人さま
ガセネタかもしれませんが、その人、なんか信用できる方だったんです。ほかにも、温かくなるような、お話しに花を咲かせました。
滋賀は彦根出身の方でありながら井伊直弼のことを国賊扱いにされてました。そして、新潟出身でないのに田中角栄のこと、エラい褒めてました。などなど・・・
たぶん、もうお会いできないと存じますが・・・なんか、また逢いたいと思わせる方だったんです。
まあ、とりあえず、月末ドルが上がるか?
そして、数ヶ月後の経済状況の一変!に注目、葛藤してみようと思ってます。
131
:
うのはな
:2011/09/21(水) 02:41:24 ID:iM0b0bt6
※※ 神様が起された運動 ※※
ところで、谷口先生の本の読み方が面白いですね。
「開き放題の拾い読み」と書かれています。これはすごい。
神様が必要な頁を開かせて下さり、パッと直観的に拾い読みだというんですね。
驚きますね。神様が全部やらせて下さるということでしょう。
ここです、生長の家の運動は神様が起された運動であるということが非常に大切なんです。
これがわからなかったら生長の家をいくらやっても、本物になっていないと言える。
ともすると、谷口先生個人が起された思想運動だなんて、考えがゆるくなっていますと、
普通の団体運動とは何ら変わらぬ、人間が始めた思想運動だというふうに落ちて来て
神意に立った大きな働きが出来なくなるおそれがある。
ハッキリと、生命のドン底まで、生長の家の運動は神様の運動であるということを
徹底しなければならないのです。
その徹底がなされるとき捨身の奉仕ができるのであり、もはや私利私欲に惑わされることなく
各々の使命を果たして行くことが出来るのです。
この「神が起された運動である」ということが、全ての信徒がわからなければならない時に、
今は立っていると思うんです。
『神 真理を告げ給う』には「直接私の言葉をみんなに伝える、いよいよその時が来た」と
あります。
そして“神様の運動である”ということを私達に解らせるに相応しい奇蹟、あのブラックソン師
の奇蹟を起して教えて下さったのだと思います。
今、「その時」が来ている重大さを皆が認識せねばならないと思うのであります。
生長の家 誌 昭和五十二年 新年号P64 楠本加美野 先生
132
:
商人
:2011/09/21(水) 07:10:08 ID:TCt66b8E
至福無限を喚び出だす祈り
宇宙は神の宇宙である。
神は無限の叡智をもって、日に日に新しきものを産み出し給いつつあるのである。
それゆえに宇宙は永遠の進歩であり、新生であり、若返りであるのである。
進歩と発展と新しき創造とは神の支配し給う実相宇宙の状態である。
その宇宙の中に生き、その宇宙の生命に生かされている私たちもまた、常に新しき進歩と発展と創造とを遂げつつあるのである。
今日より後、私たちは決して消極的な退役的なことを考えないのである。
私たちは常に新生のの歌を唱い、新しく進歩し、新しき創造を営むのである。
私たちが科学者であれば、常に新しき法則を発見し、新しき発明のヒントを神の叡智によって授かるのである。
私たちが実業家ならば、常に商品に店飾りに新機軸を出し、新しきデザインを産み出し、神の愛を自己に体現して顧客に満足を与えるがゆえに、その店は必ず繁栄するほかないのである。
宇宙は神の宇宙であり、わたしたちは“神の子”である。
神においては、悲しみはなく、衰えはなく、退歩はなく、ただ、積極的な前進あるのみである。
神の宇宙は、新しき生命と新しき愛と新しき智慧とで充満しているのである。
私たちは毎朝夕、神想観を行じて、心を神に振り向けてひたすらとなり、神より新しき生命を受け、愛を受け、智慧を受け、それに培われ、養われ、護られ、導かれているのである。
神はただ進歩である。前進である。私たちは背後を神に護られて進むのである。
だからわが為さんと欲することは必ず成就するのである。
私たちは今後、決して「できない」ということを言わないのである。
「できない」のは「できない」のではない、「しない」のである。
私は今より「できない」精神を棄てたのである。私はできるのである。
不可能はないのである。
今後、私たちは、小さな計画にクヨクヨしないのである。
私たちは常に“大いなる夢”を描くのである。
大いなる夢の翼をひろげて、神の大宇宙を天翔るのである。
およそ“神の子”たるの名において求むる物は必ず成就するのである。
「不可能」という文字は実相世界に存在しないのである。
私は“神の子”であるがゆえに、大いなる神の慈手にいだかれて空中飛行をするのである。
神と偕であるから、わが欲う事は必ず成就するのである。
「明日はどうなるか判らない」という言葉は決して、今後私たちは無いのである。
神の永遠の至福が私たちを祝福していたまうのである。
大いなる神の力に感謝し奉る。
聖経 真理の吟唱 より
133
:
商人
:2011/09/21(水) 07:15:09 ID:TCt66b8E
言葉で人は満足するのである。
優しい言葉が自然と湧いてくるような性格は人生の宝である。
生命の實相 頭注版 第22巻より
134
:
【¥130の時】「訊け」【ドルを買った男】
:2011/09/21(水) 08:22:58 ID:???
>役さん
いやー、ヤクさん、否、役さん・・・・ドル高ですけどまあ、ザックリい
えばマジ情報でしょう。しかし「どんなレベルのドル高?」と質問されれば、
「・・・まあ¥1〜2分くらい?」てな感じなのかな・・・?たぶんそのサ
ウナさん、カダフィ大佐の件を根拠にしてんじゃないかな?そんな気がしま
す。
まあカダフィ大佐ですが彼・・・償還間際の米国債を(一説では)600
兆ドル分保有していたそうです。米国としてはこれ、償還回避するためにあ
んな国民運動を、背後から支援して同大佐を抹殺したわけですがまあ・・・
あの米国債償還を免れた(つまり、ユーロや円化することを免れた)ことを根拠
にしてると思います。
またダチョウ倶楽部の上島さんが、通貨介入を匂わせていますし(笑)「政
治的平衡感覚がある」と評されたサウナさんですがまあ・・・大量にドルをお
持ちなんでしょうね(笑)大量ドルを¥100時代に買っちゃった人からみる
と現首相・・・まさに平衡感覚を持っているように感じることでしょう(笑)
まあザックリ結論めいたこと云えば、そのサウナさん発言は「マジです」し
かし同時に「まあ、大幅なドル高にはならぬケド」てなとこではなかろうかと
(笑)
135
:
【¥130の時】「訊け」【ドルを買った男】
:2011/09/21(水) 08:30:01 ID:???
>商人さあ(笑)
いやー日直さん、今日も使命が〝元気〟ではないですか(笑)いやーこれ
また、良い文章だ!
ちなみに『真理の吟唱』ですけど、これ、CDを聞きながら拝読するとモ
ノスゴイ恍惚感を覚えますよ。一度おためしあれ!
>うのはなさま
これまた大量の御文章、ご掲載くださりありがとうございます。特に、青
年会所属の方の話、これが実によかったなあ。私も似たような境遇なので――
つまり、仕事していると真理を疑うようになる、そんなケースに遭遇すること
多々なんで学びがありました。
やはり雅春先生の御教え、これを信じていけば大丈夫ですね。ありがとう
ございました。
136
:
八百比丘尼
:2011/09/21(水) 09:39:54 ID:j8iOdie.
【割烹 だちょう】女将
何ですって!うちの番頭の上島が、私に黙って何かたくらんでいるの?
訊いてないよ〜。カットしないでね。ちゃんと払ってね。(給料)
従業員一同
それはそうと、別のグラウンドでやってた野球の試合、どうなったの。
雨で中止? それとも私たちの妖艶なる応援に相手チームがビビッちゃったのかしら。
打ち上げは、うちの店でやろうと思っていたのに。
そうそう、新しいメニュー始めたの。【てっちり】
え?フグさばくのは、うちの板長の鈴夜だけど・・・・(殺す気か!!)
−−鈴夜 月の法善寺横丁ーー
《 ほうちょう一本、さらしに巻いて〜
待っててコイさん・・・・・
お、そうだ 女将。今度は、鯉こくと鯉のあらい メニューにのせよう。》
137
:
トキ
:2011/09/21(水) 10:37:58 ID:AkfPZbCQ
>>132
商人様
聖経 真理の吟唱 ご紹介ありがとうございます。
生長の家宇治別格本山の早朝行事では、確か、この聖経 真理の吟唱 を
唱えました。こういう素晴らしいご文章を心を込めて拝読することが、何より
も1日を明るく、充実したものにするのです。
特に、これを心を込めて打ち込むのは、いわば写経と同じですから、心に
染みこみ、運命をよくします。その意味では、投稿をされた商人様にも絶対に
よいことが起こります。
これからも、がんばってください。応援をしております。
合掌 ありがとうございます
138
:
役行者
:2011/09/21(水) 11:12:28 ID:???
>130ドル買いさあ〜
何というか、まだ持っているということ・・・半分・・・(-_-;)
ご心情、お察し申し上げます<(_ _)>
そのサウナさあ〜、月末までに80円くらいと言っていました。
ところが、今、76.5円でテクニカル的に今、調べましたが、
財務省の密命を受けたダチョウ発言か、もしくは、アメリカのオバマ発言、
何らかの刺激がなければ、80にも届かない気配です。均衡状態が続くのでは・・・
どうなるのでしょう。この日本の経済は・・・
たとえ、そのサウナさあ〜が裏情報を知っていて!のことで、
一時、80に戻したとしても、小泉政権の時のように、
また、余計、振り子が大きくなるだけかもしれません。逆戻り・・・
初心者さまと一緒に、第三の道を考えていった方がいいかもしれませぬ。
グローバリズムの経済は破綻しかけていると、そう思います。
釈迦に説法でしょうが、雅春先生の教えは「信」で大丈夫です。
現実といくら乖離しても、商人様が、また訊け管理人様が写経してくれた
言葉をBGMとともに、何度も、声高らかに、読み返しましょう(^_^)v
しかし、130に戻る望みは叶うかどうか・・・(?_?) ゴメンチャイ(>_<)
一瞬の隙も許さず、必ず、よくなる!!どんどん、よくなる!!
完全円満でございまする(^^)/~~~ただ、ひたすら、言葉の力でございまする。
しかし、うのはなさま、最近、一段と、輝いてきましたねぇ(^_^;)
いやあ、ということで、雨にも負けず、風にも負けず、
打ち上げは、割烹 だちょう 月の法善寺横丁で、
ぐいっと、そして、まだまだ、どんどんよくなる!(^^)!
140
:
商人
:2011/09/22(木) 06:53:18 ID:TCt66b8E
トキさん
すみません 誤字がありました。
139は削除してください。
ごめんなさい
142
:
商人
:2011/09/22(木) 07:22:43 ID:TCt66b8E
無限の富者となる祈り
神は一切の存在の本源者であり給う。
すべての存在と富とはことごとく神よりいでたるものである。
だから、神以外より発生したものは何物も存在しないのである。
人間は“神の子”として神の無限供給の後嗣者であるのである。
それゆえに、必要に応じて必要なる事物の無限供給を受けることができるのである。
富とは決して貨幣だけの存在ではないのである。
人間にとってなくてならぬ一切のものは、それが無形のものであろうと、精神的な
愛情の如きものであろうと、良き友であろうと、良き協力者であろうと、良き同志であろうと、それらを有つことは、すべて富を持つことなのである。
私は“神の子”であるから、毎日毎日、必要なる一切のものを富として与えられているのである。
それゆえに、私は今すでに無限の富者であるのである。
繁栄は“神の子”にとって当然の付随物であるのである。
決して私は貧しくなるなどということはないのである。
自分の事業は必ず栄え、計画は必ず図にあたるのである。
事に応じ、時に応じ、人に応じて、私は神に導かれて最も適切なる処置をとることができるのである。
どんなに衰微せる事業でも、私はそれを生かすことができるのである。
なぜなら繁栄の叡智を神から私は与えられるからである。
その事業が時代に適しないものであれば、私はそれを適当な方向に転じて活かす事もできるのである。
神は神通自在であるから、決して旧態依然たる陋習に甘んじている必要はないのである。
棄てるべきものは棄て、切るべきものは切り、生かすべきものは生かし、転ずべきものは転じ、どんな万難をも切りひらいて行きづまることはないのである。
行き詰ったと見えるところに、新しく前よりも一層偉大なる使命を見出すのである。
私は“神の子”であるから、全知全能にして無限供給にまします神の叡智と供給とに導かれ且つ満たされて、如何なる不況期にも繁栄の道を歩むのである。
“神の子”たる者は如何なるときにも蹉跌することはないのである。
蹉跌したと見えるとき、それは進歩の始まりであり、一層明るい世界への曲り角であるのである。
それゆえに私は如何なる場合にも悒欝にとざされることなく、また取越苦労することなく、
常に明るく勝利の大道を闊歩するのである。
今、私は神に導かれて、無限供給の真理の道を深く悟ったのであるから、今後決して自己限定することはないのである。
神と私とを結ぶ供給の導管は広く開かれて、今滔々として無限の神の愛と智慧と生命と良き協力者と必要なる資源と資材とが私に流れ入りつつあるのである。
この真理を知らせ給いし神に深く深く感謝いたします。
聖経 真理の吟唱より
『私に必要な一切の智慧と協力者と計画と資金と資材とは豊かに集って来るのである』
『わが願いは既にきかれり』
『常にわが願いきき給う神に感謝します、有難うございます』
商人
143
:
商人
:2011/09/22(木) 07:26:19 ID:TCt66b8E
トキさん
何度もすみません 141もバランスが悪かったみたいです。
削除おねがいします。
本当にごめんなさい
144
:
トキ
:2011/09/22(木) 09:34:19 ID:DVizAEi.
>>143
了解しました。気にされないで下さい。
すばらしい内容ですから、応援をしております。
145
:
「訊け」管理人
:2011/09/22(木) 22:11:10 ID:uEcp2dog
>商人さあ
こいも読んでくいやんせ。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65590824.html
おはんに対抗して、光明法語、こいを特集しよりもす。
ちなみにBGMで使用した曲はなにも、劇団四季にいらっしゃるあの女優
を意識したわけでは、ございもはんどん・・・・意識しました(笑)
146
:
「訊け」管理人
:2011/09/22(木) 23:03:10 ID:uEcp2dog
>トキさま
早速のコメント、ありがとうございました。あの光明法語・・・実に良い
本ですよね。わたしも大好きです。
さて・・・・・最近こんなメールをたびたび受信します。
「ブログの管理人さんと、トキさん掲示板での管理人さん。本当に同一人物
なんですか」
いったいどんなイメージなんだ、俺(笑)
メモリーをBGMに使う男が、キャバクラ行ってもいいでしょう(笑)
148
:
商人
:2011/09/23(金) 08:06:40 ID:TCt66b8E
申し訳けございません!
トキ様
>147削除おねがいします。
重大なミスをしました。
>147で「訊け」管理人 よりの部分 さまが抜けております。
コピーして貼りつけたとき ”さま”がぬけております
もう一度 アップしなおします。
毎度毎度すみません
商人
149
:
商人
:2011/09/23(金) 08:09:00 ID:TCt66b8E
時期に適する祈り
時期に適しない祈りは成就しないが、その祈りを持ちつづけるならば、時期が来たときになって自然成就するのである。
急いではならない。
寒中に朝顔の花を咲かしめ給えと祈るような祈りは成就しないが、温室で咲かせても貧弱な花しか咲かないのである。
何事も時節に乘ると云うことが必要である。時節に乘ると云うことは神のみこころに乘ると云うことである。
「訊け」管理人さま より
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65590824.html
おはようございます。 昨日の夜に読ませていただいておりました。改めて静かな朝にこのBGMで聞きながら読むと癒されますね!
中でもこの一節、”その祈りを持ちつづけるならば、時期が来たときになって自然成就するのである。”がジーンとしました。
私はまだまだぜんぜん勉強が足らず毎日もがき続けています。笑
御本を読ませていただいても、仕事で苦しいときなど心に余裕がないと、つい真理は本当なんだろうかとうたがってしまう自分もおります。
でも、「訊け」管理人さんなどの文章で復活しますけどね 笑
今日は私ひとりだけですが仕事 がんばろう!!
「訊け」管理人さま すばらしい一日に!!
商人
150
:
トキ
:2011/09/23(金) 10:33:09 ID:v4BvNyIU
>>148
了解しました。いつも素晴らしいご文章を紹介してくださり、楽しみです。
読んで励まされる人も多いと思います。
がんばってください。
151
:
商人
:2011/09/23(金) 11:09:28 ID:TCt66b8E
トキ様 ありがとうございました。
商人
152
:
商人
:2011/09/23(金) 11:15:50 ID:TCt66b8E
新生のための祈り
新生を感謝する祈り
われらここに新しき日を迎う。
感謝すべきかな。
われ神に感謝し奉り、さらに天地一切のものに感謝し奉る。
覚めている間も、眠っている間も、一分一秒といえども、神の護りなくしては私たちは生きていられなかったはずである。
日光は、空気は、水は、食物は、すべて神より来たり、私たちを養い給うたのであり、これからも常に養い給うのである。
新しき年を迎うるにあたり、過去の御護りに感謝し奉るとともに、今後もまた神の御護りの篤からんことを希い奉り神の御恩に報い奉らんがために、神から与えられたる使命に誠心をつくして邁進せんことを誓い奉る。
神はすべてのすべてであり給う。
天地一切のものは、神の愛と智慧と生命との顕現であり、私たち人間も神の愛と智慧と生命との顕現であるから、天地一切のものと、私たち人間とは、同根であり、兄弟姉妹であるのである。
それゆえに、天地間の一切のもの悉くみな私たちの味方であって、私たちを害する者など何一つないのが実相であるのである。
もし私たちが何者かに害されたり傷ついたりすることがあるならば、天地と同根であり一切の存在と兄弟姉妹である自分の実相をわすれて、天地一切のものと自分の心とが不調和になったことの反映であるから、神は「省みて和解せよ」と教えられているのである。
神はすべてのすべてであり給い、一切処に偏在し給うのである。
神は無限にして神聖、常に永遠に、そして今ここに、私を取り巻き、私の周囲に、
上にも下にも、左にも右にも、前にもうしろにも、天地、上下、四方、四維、神の在さざる処は無いのである。
その神の最高の表現体として今私はここに生きてあるのである。
したがって私は、永遠の存在であり、有限に見ゆれども無限、個とみゆれども全、
久遠即今、調和おのずから備わり、万物の霊長であり、万物の支配者であるのである。
したがって、わが往くところ常にそこは極楽となり、地上に天国の秩序が実現し、争いは消え、暗黒は滅し、病は癒され、悦びと感謝とに充たされるのである。
私は今、この真理に目覚めたのである。
この真理に目覚めることが新生である。
私は今新生して、新しき日を迎う。過去は過ぎ去り、すべてのもの新しき悦びに満たされ、すべての者、神に向かいて賛歌を謳う。
真理の御光り照り輝き、今より後、悲しむものなく、嘆く者なく、苦しみによる呻きも、
叫びも、この世界より消え、ただ神に向かいて感謝の歌を謳う。
その歌、天に舞いのぼりて、天上楽となり、地に降りて泰平楽となる。
まことに我れ新生して真理に目覚めたる今、ここに久遠実成の浄土が現実に存するのである。
われ今、神を敬し、神に感謝し、悦びの賛歌を献げ奉る。
頓首、合掌して、再拝す。
ありがとうございます。
聖経 真理の吟唱より
今日はすばらしい秋晴れですね〜 気持ちがいいですね。
商人
153
:
「訊け」管理人
:2011/09/23(金) 15:59:40 ID:???
>商人さあ(笑)
いやー「新生を感謝する祈り」・・・・まっこと善しごわした!
新鮮な感じで心が洗われもしたで、まあブログ記事にしもした(笑)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65591205.html
いやーそれにしても雅春先生・・・・ホント、なんでこんなに感化力ある
お言葉をいつも発することがお出来になるんだろう?スゴイなあ・・・・
要するに「人間・神の子」が御主張なんですが、これだけのことを、こんなに
何度もお書きになり、かつ、わたしの様な元無神論者を飽きさせないという・・・
ホント雅春先生・・・・ライヴで観たらわたし、倒れるかも(笑)
154
:
「訊け」管理人
:2011/09/23(金) 16:01:17 ID:???
>商人さあ(笑)
補足(笑)
もういちいち〝さま〟が抜けたくらいで、削除されやんな(笑)そぎゃんこつ
はよしごわんそ(笑)あっちなら大変じゃが・・・・(笑)
●●人を愚弄したこの方を
本日、
書き込み禁止としました(笑)
155
:
商人
:2011/09/23(金) 19:15:03 ID:lS2siKhw
「訊け」管理人 さま
ありがたきしあわせ! 笑
>「新生を感謝する祈り」・・・・まっこと善しごわした!
ほめていただいてすごくうれしかです! 笑
また、がんばります!
商人より
156
:
商人
:2011/09/24(土) 06:46:16 ID:TCt66b8E
事己内在の光
生長の家の光明書籍類は諸君自身の内に宿る力を指示するために執筆されたのである。
他に依頼する心を持つ者は躓くであろうが、自己の内に埋蔵されたる宝庫の方へ幸いに振り向く人は救われるであろう。
救いの力は諸君自身の内にあるばかりであって、わたしはその在り所を指示するだけである。
われわれの光明思想に諸君の心が転向した結果病気が治るというのも諸君自身がそういう
思想になった結果であってわたしはただ指さすのみである。
文章力の力による指さし方が懇切丁寧を極めているので、文章の力が病気を治したともいいうるが、くわしく言えば文章の力は、よく諸君の心を振り向けただけである。
そこに自己内在の光を見、そこに自己内在の無限の力を見出すのは諸君自身の力であって
わたしの力ではないのである。
光栄は諸君自身の「内」にこそ帰せられるべきものであって、わたしはただのラッパであり、指南者である。
指を月とまちがえわたしの書いた符号を本物と取り違える者は実相を見ることができないであろう。
わたしはただ諸君を振り向かすために、文章で叫ぶだけにすぎないのである。
わたしという人間を尊敬せずに真理をこそ尊敬せられたいと思う。
生命の實相 頭注版 第35巻 より
157
:
義春
:2011/09/24(土) 10:20:18 ID:iu5Ar./Q
至上者の自覚の神示
人即ち神であると云ふ真理を知らぬものが多い者が多いのは気の毒である。
『生長の家』がこの世に出現したのは全ての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。
自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が悟ったものを
謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違ひである。
斯くの如く創造する者は自己が神だと云ふ真理をまだ一度も悟って見たことが
ないからである。自己が神だと悟ったら人間は本当に謙遜になれるのである。
キリストが弟子の足を洗ふことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。
本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、
いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈に過ぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。
本当の謙遜とは『自己が神より出でた神の子である、従って神そのもののほか
何者でもない』と云ふ真理を何らの抗らひもなしに承認することである。
此の真理を承認するものを謙遜と云ひ柔和と云ふ。
此の真理に逆ふ者を傲慢と云ふのである。すべての傲慢と意思張りとは
『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。
観点の違ふ者には解りやうがない。人間の偉大な仕事を皆憑霊の仕事の
やうに説いて、人間をただ憑霊の傀儡のやうに教へるものがあるが邪教である。
人間の本性に憑霊の示唆よりも偉大なものがあることを教へるものこそ
正しき教である。人間は肉体でなければ傀儡でもない。人間は神であり自主である。
若し憑霊が『霊』であるが故に、偉大なる教を説き、偉大なる仕事が出来ることも
当然でなければならぬ。ただその教や仕事に高下があるのは霊界の霊にも、
人間にも、自己内在の無限性を掘りさげ方に差があるからである。
釈迦は決して憑霊の傀儡ではない、基督も決して憑霊の傀儡ではない。
いづれも自己内在の無限性を掘下げて、終に仏性に達し、神性に達したから、
霊界の諸霊来って此の二聖に事へたのである。
釈迦の憑霊ばかりを観て釈迦が自覚したところの仏性、
イエスが自覚したところの神性を見ない者は憐れである。
憑霊が説くほどの教なら人間自身も霊であるから説き得るべきであるのに、
釈耶自身の教ではなく釈耶の憑霊の教であると説くスピリチュアリズムは
自己撞着に陥っているのである。人間よ、人間自身の尊厳を奪還することである。
『生長の家』は人間自身の尊厳を奪還するために出現した人生の燈台である。
(昭和8年3月16日神示)
158
:
トキ
:2011/09/24(土) 10:25:59 ID:cjNjb78g
商人様、義春様
素晴らしいご文章を紹介してくださり、ありがとうございます。
こういう根幹の文章をじっくりと拝読することは、忙しい現代人
にはとても大切なことですね。
改めて読むと、とても大切なことが書かれているのに驚きます。
これからもよろしくお願いします。
159
:
「訊け」管理人
:2011/09/24(土) 12:39:12 ID:???
>義春さあ
どどど、どーした?どんな心境の変化だい?いきなり・・・こんな写経を
始めちゃって(笑)しかもなかなか・・・・いいじゃないか(笑)
もうホント、どうした?いきなりこんないい文章を選んじゃって(笑)秋
になりあれか、誰か、好きな人でも出来たか(笑)?→ なんでもかんでも
「恋愛原因説」・・・これを採用するようになった人は、思考停止状態にあ
るらしい(その上「エロ」・・・(中略)・・・視点からしか思考できない状態w)
●至上者の自覚の神示
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65591485.html
#more
>商人さあ
日直二人制になりますたね(笑)
160
:
商人
:2011/09/24(土) 14:27:18 ID:TCt66b8E
>「訊け」管理人さま 笑
日直は義春さんに明日よりバトンタッチしてもらおう!
至上者の自覚の神示ってすばらしいですね!
またまたBGMと画像はすばらしかですね!
でも、このような神示があるんですね。
それと『叡智の断片』読んだことがないけどいい文章ですね〜
読む本いっぱいありすぎて時間がなかです。
「訊け」管理人さま の紹介で勉強になるとですよ 笑
ありがとうございます。
私の場合写経は、まじものでしたから 笑
現象を好転したっくって。笑
では、義春さん よろしくおねがいしますね!
商人より
161
:
a hope
:2011/09/25(日) 12:53:46 ID:MNrNIsM2
「猫とネズミの大調和」
今朝、5時に起きて、神相観しようとリビングルームに入ったら、信じられないことが起きていました!
我が家では、実は、子どもたちが先日拾ってきた子猫エンジェルのほかに、
モモという名のハムスターを飼っているんですが、そのモモが、今まで一度も、
小屋から脱走したことのなかったのに、ネットに穴をあけて脱走していたんです。
それで、驚いたことに、エンジェルと仲良く遊んでいました!
エンジェルは子猫ですから、猫じゃらしみたいなおもちゃや小さなぬいぐるみなんかには、
跳びかかってじゃれるのに、モモに関しては、周りをぴょんぴょんはねているだけで、決して跳びかかりませんでした。
これぞ、大調和だ〜!とわたしは一人で感激していました。
でもモモは、数年前のクリスマスのサンタさんからの子どもたちへのプレゼントだったので、
もし、モモに何かあったら、それも犯人がエンジェルだったら、どれだけ子どもたちはショックを受けただろうと思うと、
冷や汗も同時に出ましたが...(笑)
猫とネズミですら大調和できるんだから、知恵と愛ある人間が、調和できないわけないですよね!
日直さんが、お仕事忘れてるようなので、わたしが黒板に落書きしときました(笑)!
162
:
a hope
:2011/09/25(日) 13:26:06 ID:MNrNIsM2
訂正です。
3行目 神相観→神想観
7行目 脱走したことのなかったのに→脱走したことがなかったのに
よろしくお願い祖ます。
163
:
商人
:2011/09/26(月) 07:06:31 ID:TCt66b8E
a hopeさま
とてもいい話ですね!
心地よい朝に最適ですね!
いい話をありがとうございます。
今日は月曜日 一週間がんばろう!
商人
164
:
うのはな
:2011/09/26(月) 22:48:22 ID:iM0b0bt6
内に宿る神 『愛が魂に目覚める時』 谷口輝子 先生著
もう四、五年にもなろうか、庭の欅(けやき)の梢に烏が巣を作って、
三羽の雛を育てていたことがあったが、今年は、その欅の隣の松の大木の
太い枝の先の、こんもりと葉の多い個所に巣を作り、親鳥と雛の動く姿が
チラチラと見える。いつもは遠くを飛んでいる烏であるが、この頃は縁側の
鉢前に来て、手水鉢の水をうまそうに飲んでいる。その姿を見ていると、
親なるものは、子を育てるためには大胆になり、勇気が出るものだと思わされる。
巣の中には雛が何羽いるものかまだわからないが、あの雛たちも一人で飛べる
ようになったら、親の保護から離れて、自由にどこかへ飛び立つことであろう。
私の許へ、昨日も今日も、子供の病気やその他のことを案じた母親の手紙が届く。
子供を不幸から救いたい温かい母心から、どうしたらよいかとか、谷口先生に何か
一筆書いて欲しいとか甘えて来る人もあるが、夫は滅多に書いて下さることがない。
多忙であって、一人ひとりのことに関っていられないためだし、他を頼りにばかりすることは
間違っている、自分の神性を引き出すことが肝要だという意味からでもあろう。
人間は神の子、仏の子ということを悟り、神のいのちが宿っている尊い身と
悟ったら、病気が治るのが当然だからである。
昨日、串間市西方田口の田中ソヨさんから、顕著な体験記を送って来られた。
田中さんの十七歳の娘が突然眼が見えなくなり、医者にかかりつづけたが一向に
よくならないし、長男が中耳炎で耳が悪くなり、医者は“早く手術しなければ
人命にかかわる”と言ったので、大手術をして貰ったら、全然耳が聴こえなくなり、次男は
時々意識不明になるし、母親であるソヨさんは三男の産後から子宮が悪くなり、
貧血のために衰弱し、このまま死ぬるものかと思いつつ、八ヵ年病床で暮されたそうである。
どんな暑い日でも足袋をはき、ひなたに出ても寒く、蒲団三枚も着て寝ていると汗が出て
苦しく、泣くばかりだったそうである。
夫である一家の主人は、神経痛がひどくて温泉へ行って働かないので、病弱なソヨさんが
畑へ出て草を刈っていて、鍬を持ったまま意識不明となって倒れていたという有様であった。
つづく
165
:
うのはな
:2011/09/26(月) 23:06:04 ID:iM0b0bt6
>164 つづき
家族が病人だらけになった上に、農家として大切な財産である親馬が二頭、
子馬が四頭死んだので、これで我が家も破産かと、泣いても涙が出ないという状態になった。
御主人が温泉に行かれて五日目に、ソヨさんの夢に現れたのは、黒い着物を着た男性で、
寝床の前から出て行かれ、庭へ出てふり返りふり返り帰られる姿を、ソヨさんは眼の届く限り
合掌して見送って居られたが、その日から急に体の工合が軽くなり、翌日は、生き残った二頭の
馬のために畑に出て草を刈ろうとしたら、何者かの力で打ち据えられた気がして、
そこに坐ってしまい、母と夫と子供たちに、私が悪かったと、ざんげと感謝の涙を流して居られたら、
それっ切り、病気が消えてしまったし、その後、長女の眼も見えるようになって嫁入りし、
長男の耳も聴え、(普通に)、次男も健康になって県庁に勤めているというのであった。
一人出家すれば九族天に生まると言われているように、ソヨさんが生長の家の信仰に入り、
土地の指導者の小川先生から教えの話を聞き、真理の書を読み聞かせられたことが救いの
きっかけであった。
後日、落合中将宅での誌友会に行かれたら、そこに掲げてあった谷口先生のお写真は、
かつて夢で説教して下さった黒い着物の男性だと判ったそうである。
つづく
166
:
うのはな
:2011/09/26(月) 23:28:08 ID:iM0b0bt6
>165 つづき
神様は不思議な御導きによって人々を救って下さるものである。
写真すら見たこともない黒い着物の導師に夢で指導されたり、眼に見えない力で
打ちすえられて懺悔したり、導き手の温かくまたきびしい愛によって救われてゆくことである。
宗教の力だけでなく、医者もまた、医学の技術だけでなく、きびしい愛の手で
患者を救ってくれることを知って、私は近頃めずらしい感動を覚えた。
アメリカで結核にかかって、三ヵ年の療養生活を送った犬養道子さんが、初めて
療養所入りの時、主治医は胸部写真を見せて、「半分死にかかっている。よくなるか
駄目になるか、駄目そうになったら教えるから準備しろ、一割は薬が治す。
一割は医者が治す。のこりの八割は自分で治す」と宣告した。
それから一時間かかって結核菌というものについて細かく語り、また三十年の臨床体験を
語って、どんな性格の患者がどんな耐え方をした、自己憐憫ほど病によくない、とか、
そんな話を幾つかして、唐突に、「さあ、今言ったことをお前自身に当てはめて考えて見ろ、
療養心得はおのずから編み出せる筈だ」と突き放したそうである。
「熱が出て苦しい」と一度訴えたら、「病気なら、熱の出るのは当り前だ」
と呶鳴られた。泣きごと、愚痴には一語も返事をしないのに、
「療養費をつくるために編物を始めた」と言うと、毛むくじゃらの手でポンと
ベッドの裾をたたいて、「よくやった。買おう!」と札束を取り出したりするのだった。
体温や脈を計って書きこむことも、一ヶ月分のレントゲン代を計算するのもみな、患者自身。
「病んでいても人生は人生だ。ひとり立ちで行け」という精神で貫かれていた。
それ以来二十年、犬養道子さんは、折りにふれて有難く思い出すと言われるのであった。
つづく
167
:
うのはな
:2011/09/26(月) 23:44:01 ID:iM0b0bt6
>166 つづき
私はこの医師を名医だと思った。人間の実力を信じ、患者に自分自身の
無限の可能性を掘り出すことを指導している。“病人だと言っても同じ人間だ。
ちゃんと一人立ちして生きて行け”という精神指導で、少しも甘やかすことをしないで
一人前の人間として扱い、自分のことは自分でやれと突き放すやり方は、ひがんで取る
病人は、冷たい医師だと思うだろうけれど、それこそ“厳しい愛”なのである。
犬養道子さんも、しっかりした女性であったせいもあるが、突き放した主治医に対して
少しもひがまず、素直にその指導に従ってゆかれたことが、彼女を治癒させ、それから後
二十年の今日も、元気で生きて居られるのであろう。
この話を読むにつけて、世の多くの病人は、自己憐憫で歎き悲しみ、周囲の人の
介抱が足りないとて恨み、健康な人をねたみ、慰め甘やかされることばかりを望んで
いる。このような心境の病人は、まだまだ多くのいたわりや奉仕を期待して、
甘やかされる快感に執着して、病床から早く脱することを欲しなくなる人もある。
犬養道子さんのアメリカ時代の主治医は、これらの病人心理を三十年の体験で知り、
病気の八割は病人自身が治すべきだと確信し、きびしい愛のしつけをして居られたのである。
つづく
168
:
うのはな
:2011/09/27(火) 00:06:54 ID:iM0b0bt6
>167 つづき
しかし、この主治医は、医者としては名医であったけれど、そして、心の法則は
知って居られたけれど、信仰とは無関係であった。この名医が神様を信じていて、
犬養道子さんを信仰的にも導いて上げられたら犬養道子さんは三年という永い療養生活
をしないで、もっと早く癒されたことと私は思う。
先日、私の許へ寄せられた神戸市須磨本町の山名きく江さんの体験記によると、
山名さんは以前盲腸炎になり、手術をしなければならない状態だったのが『甘露の法雨』
読誦によって救われ、二年ほど前には、心臓病、貧血、心不全で、心臓が大きく脹れて、
死の一歩手前まで来た時、本部の神癒祈願によって救われたが、今度は夫が(七十五歳)
『甘露の法雨』の千回読誦をはじめて、三百回くらいあげられた頃に(十二月)、夜半に
痰が喉につまって窒息しそうになられ、それ以後ずっと床につかれ、食物は幾日もとられず、
茶も水も飲まず、医者は風邪で気管が悪いのだからと言われたが、年寄だから、
もはや肉体の終りかときく江さんも思ったり御本人も、もう死ぬのだから、医者もいらない、
食物もいらないと言い、ただじっと横たわって居られるばかりであった。
きく江さんは、夫が現世の終りになれば、せめて幾日か生きて居て下さる間だけでも、
うんと深切にして上げましょうと考えて『甘露の法雨』をお襦袢に写経して着せて上げ、
またサラシ木綿にも写経して、お蒲団の間にハサんで上げ、うんと優しくして
上げられたら「あら不思議、年が明けたらすらすらと好くなってしまいました」
と書いて居られる。また、胃癌の知人にも、サラシに写経してお襦袢にして上げられたら、
その日のうちに、毎日つづいていた血便が黄色に変り、骸骨のようにやせていた人が、
それから次第に肥えて来て、近頃は歩く稽古をして居られ、退院も間近だと書いて居られる。
つづく
169
:
うのはな
:2011/09/27(火) 00:36:41 ID:iM0b0bt6
>168 つづき
初めに書いた田中ソヨさんも、この山名きく江さんも、信仰の功徳によって
自分も救われ、家族も救われ、毎日神に感謝し、師に感謝し、家族を愛し合掌して
居られる。この上もない幸せな人たちである。
私たち夫婦の許にだけでなく、本部の「神癒祈願部」へも、毎日沢山の救いを
求める手紙が送られて来る。
そして、素晴らしい「癒し」の実績が日ごとに記録されつつある。
私は時々その記録を見て、難病が全快したり、快方に向いつつある不思議な力に
驚いている。
しかし、誰も誰もが、「神癒祈願部」ばかりを頼りにしていてはいけないと思う。
犬養道子さんの主治医が、「病気の八割は自分が治すのだ」と言われたことは本当である。
山名きく江さんは二年前に、心臓病、貧血、心不全などが、本部の「神癒祈願」で
治ったといわれることも事実である。しかし、それだけではいけないのである。
死期の近づいたと思われた夫に対して、うんと、うんと深切にして上げようとの愛念を起し、
夫の襦袢に写経したり、蒲団にも写経をしたサラシを入れたりして、愛行を実行されたことが
一番尊いのである。死に瀕した病者はともかくとして、病人は少しでも動くことが出来たならば、
人を頼り甘えて、人に迷惑をかけるばかりでは恥ずかしいことだから、できるだけ他人に感謝を捧げ、
他の喜ぶことをする努力をつくしたら、必ず良い結果が得られると思う。
他へ求めることばかり考えないで、自分は神の子であって、無限力を内に蔵しているのだと
信じ、その内なる無限力を堀り出すことに努力しなければならない。
「自分を救うものは、自分の内なる神だ」と悟らねばならない。
祈りや愛行によって病む人を、いたわり深切にしてあげることは、美しい行為であり、
尊い行為ではあるが、病む人本人は、他の同情や奉仕を求めないで、自己の内在の力を発揮して、
みずからを救わねばならない。
烏の親は、羽根の力の弱い子烏が地上を歩いている間は、樹上からじっと子供を
見守っているが、子烏が自力で飛ぶことを覚えると、もう眼を放してしまう。
人間の親たちも、自分自身はもとより、子供たちも、みんな神の子であって、
内に無限の可能性を蔵していることを悟り、その無限の可能性を堀り出し発揮して、
自分で飛べよ、立派に生きよと、天に向って指さすことが、正しい愛の相である。
おわり
『愛が魂に目覚める時』 内に宿る神 谷口輝子 先生著
170
:
復興G
:2011/09/27(火) 10:01:23 ID:yhDBe2kY
>>169
> 烏の親は、羽根の力の弱い子烏が地上を歩いている間は、樹上からじっと子供を見守っているが、子烏が自力で飛ぶことを覚えると、もう眼を放してしまう。
> 他へ求めることばかり考えないで、自分は神の子であって、無限力を内に蔵しているのだと信じ、その内なる無限力を堀り出すことに努力しなければならない。
「自分を救うものは、自分の内なる神だ」と悟らねばならない。
うのはな様が引用してくださった上記谷口輝子先生のご文章は、今の私たち生長の家信徒のために残して下さったご遺言のように思われます。
ありがとうございます。
171
:
うのはな
:2011/09/27(火) 11:22:54 ID:iM0b0bt6
新春伝道講話 伝道こそ信仰の生命 楠本加美野 先生
河口湖道場では昭和四十四年から伝道練成というものを始め、近頃は
大分人が集ってくれるようになりました。
伝道練成だから、伝道の方法、つまりどんなふうに相手の家を訪問し、
向うがこう言ったらこう答えて、ああ言えばこう言い、そして最後に
受講券やテキストを買わそう、そんな何か手段や方法を勉強しようと思って
来ている人も多い。しかしそうじゃない。伝道精神を体得して貰うことが
眼目なのです。では、その伝道精神とは何か、それをお話したいと思います。
伝道に行きますと、大概は断わられる。最初やる気充分の人も断わられるたびに
元気がなくなり、十軒も断わられると零になってしまう。
そうではなく、断わられれば断わられるほど、益々やる気が出てくる、これこそが
伝道精神なんです。朝から晩まで廻っても全部断わられた。それでも益々やる気が
燃えてくる、こういう人が伝道の名人なのです。
そうなれば、誰でも気楽に伝道できるでしょう。あの人は素晴らしい、こんなに
本を売ったよ、ということばかりもてはやされると、本を売る名人だけが伝道をする
ようになる。それでは不完全で、今は全ての人をいかに伝道者にするかということが
大切なことなのです。如何に伝道する人を増やすかということが、伝道を上手にさせる
ことよりもなお大切なのです。
方法は、やっているうちにひとりでに会得でき、上手になって行くものですから。
つづく
172
:
うのはな
:2011/09/27(火) 11:43:04 ID:iM0b0bt6
>171 続き
伝道精神の養成でまず重要な事は“真の伝道者は伝道者をつくる”と
いうことです。“真理は伝道するとき、はじめて生きて来て自他を利益する”
と谷口雅春先生は教えて下さっていますね。
ここが大事なところで、なぜ伝道が大事なのかがよく解ります。
そこで、伝道者として、また伝道者を育てる上に欠かせない自覚、それは
次の二点だと思います。一つは、“神吾を選び給いしなり”という使命感、
つまり、自分がこの生長の家に入ったんじゃなく、神様が自分を必要となさったから
こうして生長の家に触れたんだという、選ばれた使命感というものを如何に
徹底するかということです。
もう一つは、『法華経解釋』に書かれている“利己的信仰者は人生問題に遭い、
利他行に還る”ということです。個人指導のとき、皆さん色々な悩みを訴えられる。
その時、“あなた、こういう利己的なことがあったでしょう、だから問題が起きた。
これを懺悔して利他行にかえれば問題は解決しますよ”と指導する。
これで、病気であろうが、家庭不調和だろうが、事業の失敗であろうが、
何でも解決します。つまり個人指導のときに伝道者にしてしまうわけです。
そうして、神様があなたを必要としたからこそ、問題が生じ、生長の家の真理に
触れさせられたという、選ばれた使命をよく自覚してもらうよう指導することが
大切で、この二点が伝道精神を育む基本です。
つづく
173
:
うのはな
:2011/09/27(火) 12:14:31 ID:iM0b0bt6
>172 続き
「行ありて願なきは仏の魔事なり」
これは昭和四十四年の青年会全国大会での谷口雅春先生の結語の中の
お言葉です。行というのは、神想観とか、聖典読誦とか愛行ということで、
これはもちろん大切ですが、これをどんなに一所懸命しても、願が正しく
なければ、仏の魔事になるということです。
大牟田の村上さんという方は、息子さんがノイローゼのため河口湖道場に
練成を受けによく来られた。後日その村上さんに九州でお会いした時、
「息子さん、どうしましたか?」と訊いてみました。
「お陰ですっかり快くなり、今では元気に働いています」というわけです。
息子さんが悪くなって入院したときにハッと気がついたことがあったというのです。
それは、この悪い息子を治そう治そうという願いが間違っていた。
息子は神の子だったんだ。私がこうして生長の家の修行ができたのは、
息子のお蔭ではなかったのか。悪い息子と考えて、息子はどんなに辛かったことだろう。
申訳なかった。そう気づいて、飛んで行って息子の前に両手をついて詫びた。
「長い間あんたを悪い悪いと思って済まなかった。あんたは神の子だった。
お母さんを導くために、そんな姿になって現れて下さったのか、本当にごめんなさい」とね。
すると息子が「お母さん、やっと分ったか」と言ったそうなんです(笑声)
それっきり息子さんのノイローゼは治ってしまったというわけです。
これは「願」が間違っていたのですね。この悪い息子をどうしたら治すことができる
だろうか。百部一括したら、いやニ百部一括したら治せるだろうか・・・・
それで二十年間やって来た。ところが、信仰の世界では、願が間違っていたら
どんなに形の上で一所懸命やっても効果が上らないわけです。
人の子の願いではなく神の子の願いを持たなければならない。
どのような現象が現れていようとも、それに引っかからず、実相に立脚して、
光の展開を願う「願」を正しくもつことが大切になるのであります。
大概の人は最初生長の家に入って来るときは、病気を治したい、金を儲けたい、
子供を良くしたいとか、そういう願いを持って入って来る。ところが、その願いを、
いつまでも続けているとそれが魔事になってしまう。その願いをいつ正しい願いに変えるかが
重要なので、」そこで初めて神の子が顕れて来る。この、正しい願への切換が、伝道者になる
ための必須条件であると思うわけです。
つづく
174
:
うのはな
:2011/09/27(火) 12:32:24 ID:iM0b0bt6
>173 続き
生長の家の「七つの光明宣言」の第一条に“生命の礼拝”ということが
挙げられています。これが御教えの中心だと思います。
個人指導をしておりますと、問題は人生百般に亙る。親不孝などの問題だと、
私は得意中の得意ですが、例えば事業に失敗したとか、どう指導すればよいのか難しい
問題もあるわけです。しかし、この“生命の礼拝”という一点が把握できますと、
どんな問題でも解決の道はこれ一つで充分だということが解りました。
つまり、生命礼拝ということは、天地一切のものと和解せよということです。
天地一切のものに感謝しなさいということです。これは教えの中心であると同時に
伝道の中心でもある。
だから、伝道というのは、生命を礼拝することなのです。
生長の家の人どうしでは、“有難うございます”と拝みあうが、伝道というのは
生長の家でない人をも拝もうということで、それは形ではない。
伝道に行くと、色々な人が出て来る。“また来やがった”と凄い顔して出て来る人もいる。
たとえどんな人が出て来ようと、“ああ、いい人だなあ”と思えるかどうかが
肝腎なところです。変なのが出て来たから拝んで良くしてやろうなどと思うようでは、
益々反発されるだけです。
つづく
175
:
役行者
:2011/09/27(火) 12:59:14 ID:yGZ.h2pU
>うのはなさま
何かに動かされているが如く、次から次へと矢継ぎ早に、真理のことばがほとばしってますねo(^-^)o
感謝です。私も初心者様同様σ(^_^;、初心に還り、精進してまいります(>_<)
>復興Gさま
ご丁寧な挨拶、ありがとうございます。
復興Gさま!結構、私達、発展的なコミュニケーションをしているでしょ。
私も、初心者様がまた戻って来られるまで、過去話し合った内容の復習をしております(*^_^*)
復興Gさま!御願いがあります。 過去の資料をいろいろ検討、思索しませんか?
できれば、復興Gさまが中心になられて、我々に投げかけていただければ、ありがたいです。
本当に勝手な御願いなのですが、時間のゆるすかぎり、ご都合の良いときに、できれば、よろく、ご指示のほど、御願い申しあげます。
たぶん、訊けさんも義春さんも喜んで、ともに思索してくれると思います。
176
:
うのはな
:2011/09/27(火) 13:10:13 ID:iM0b0bt6
>174 続き
祝福というのは相手の幸福を祈ることですから、根本に相手を神の子として
拝む気持、すなわちこの生命の礼拝がなければ、本当の祝福にはならない道理で
、ここが伝道を実践するときの基本となるわけです。
さて、その宣言の第一条の続きに、「生命の法則に随順して生活せんことを
期す」とあります。この生命の法則に従った生活をするとき、無限生長への道に叶う。
全ての人には必ず、もっと良くなりたいという向上心というものがあり、無限生長を
願っていると言えます。そのためには生命の法則に順って生活すればよい。
その“生命の法則”が説かれているのが、『生命の實相』であり、神誌であり聖典であるわけですから
「この本に書いてあるんですよ」と進めることが、次に為すべきことになるわけです。
“文章伝道”が生長の家の伝道方法ですからね。
後略 ここでいったん終わります。
177
:
義春
:2011/09/27(火) 13:17:21 ID:SjZg29/2
>>175
役行者様
激しく同意します!復興G様におかれましては、お手数をおかけしますが、宜しくお願い申しあげます!
178
:
復興G
:2011/09/27(火) 21:02:52 ID:yhDBe2kY
>>175
:役行者様
>>177
:義春様
> 復興Gさま! 結構、私達、発展的なコミュニケーションをしているでしょ。
私も、初心者様がまた戻って来られるまで、過去話し合った内容の復習をしております(*^_^*)
復興Gさま!御願いがあります。 過去の資料をいろいろ検討、思索しませんか?
できれば、復興Gさまが中心になられて、我々に投げかけていただければ、ありがたいです。<
ありがとうございます。上記は、スレッド(2)で私が
>スレッド(3)の<921>あたりからの初心者様・役行者様・義春様たちを中心にした活発な論議の記録を、書き込まれた当時はじっくり読んでいられなかったので、今あらためてプリントアウトしたものを読み返しています。そして、その内容の深さ、すばらしさに打たれています。
これは、整理編集して印刷出版したいくらいのものです。
私もよく勉強させてもらいます。<
と書いていますことへのレスでありますね。
ありがとうございます。
これから、まず、お3人を中心とした密度の濃い発展的なコミュニケーションのことろを抜き出してプリントし、咀嚼して勉強しなおさせて頂きます。少し猶予をください。スローで行きたいと思います。
今『ハチドリのひとしずく』という絵本(スローライフの提唱者である辻信一氏著)が、最近注目を集め、話題になっています。
ハチドリというのは、体長わずか6cm、体重2gというような小さな鳥だそうで、アンデスの先住民族に伝わる民話が元になっているそうです。
この絵本に書かれてある文字は少なく、次の14行だけです。
*******
森が燃えていました
森の生きものたちは
われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは
いったりきたり
くちばしで水のしずくを
一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして
いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
*******
──そのあとには、晴れた夜空に無数の星が輝いている絵があるだけで、何も書いてありません。火は消えているようです。
考えさせられる本です。
前にスレッド(3)で八百比丘尼さまが教えてくださった『アホの壁』(筒井康隆著)、取り寄せてあったのに“積ん読”になっていたのを思い出し、今日は所用があって出かけるとき持って出て、電車の中で少し読みました。この本の構成、目次は
序 章 なぜこんなアホな本を書いたか
第一章 人はなぜアホなことを言うのか
第二章 人はなぜアホなことをするのか
第三章 人はなぜアホな喧嘩をするのか
第四章 人はなぜアホな計画を立てるか
第五章 人はなぜアホな戦争をするのか
終 章 アホの存在理由について
となっていて、結びの文章は
*******
人類はやがて滅亡するだろうが、そしてそれは最終戦争以外の理由であるからかもしれないが、その時はじめてわれわれはアホの存在理由に気づくだろう。アホがいてこそ人類の歴史は素晴らしかった、そして面白かったと。たとえ人類滅亡の理由がアホな行為にあったとしても、アホがいなければ人類の世界と歴史はまるで無味乾燥だったに違いなかったのだと。アホとはなんと素晴らしいものであろう。
アホ万歳。
*******
で終わっています。村上和雄先生は“アホは神の望み”とおっしゃってますし、この掲示板は“アホ”の集まりをもって自任してますので、面白いと思い、これも読んでいます。
179
:
義春
:2011/09/27(火) 22:04:05 ID:iu5Ar./Q
>>178
復興G様
有り難う御座います!本当にお手数をおかけ致して申し訳なく、又、
復興G様の御好意に心から感謝しつつ、私も学びなおしておきます。
『ハチドリのひとしずく』
良い詩ですね、自分の出来る事を精一杯・・・昔、jr友の会で習った精神が
自分の出切る事をできるだけ出来る限りする…というものがありましたが、
それを思い出して、少し涙ぐみました・・・。
180
:
役行者
:2011/09/28(水) 11:03:35 ID:???
>復興Gさま
>これから、まず、お3人を中心とした密度の濃い発展的なコミュニケーションのことろを抜き出してプリントし、咀嚼して勉強しなおさせて頂きます。少し猶予をください。スローで行きたいと思います。<
復興Gさま!焦っておりませんよ。ゆっくりと、ゆきましょう(^^)/~~~
しかし、80代の方とは思えない気力です(^_^;)よろしくお願い申し上げます。
>人類はやがて滅亡するだろうが、そしてそれは最終戦争以外の理由であるからかもしれないが、その時はじめてわれわれはアホの存在理由に気づくだろう。アホがいてこそ人類の歴史は素晴らしかった、そして面白かったと。たとえ人類滅亡の理由がアホな行為にあったとしても、アホがいなければ人類の世界と歴史はまるで無味乾燥だったに違いなかったのだと。アホとはなんと素晴らしいものであろう。
アホ万歳。<
八百比丘尼さまと復興Gさまのお勧めとあるならば、是非、読みとおございます。坂本龍馬公もアホなら、西郷南州翁もアホですね(*^_^*)
アホがいればこそ、歴史も動いてきたのだし、人類も輝くってものです。アホの友!!大賛成です。神のみぞ知る人類の行く末・・・大いに希望を持ちながら、アホをしてゆきとおございまする。
いやあ、しかし、80代のアホには、“天晴れ”としか、いいようがありませんなあ!(^^)!
これからも、ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
181
:
「訊け」管理人
:2011/09/28(水) 11:39:52 ID:MPQg3/HY
>商人さま
>(本流掲示板)伝統さま
>その他、わたし同様迷われている方
ある榎本先生信者の方から、動画を頂戴して参りました(笑)ルパン三世
風に(笑)そして以下動画ですが・・・圧巻だと思います。
●「吉田國太郎先生の話」榎本恵吾先生御講話
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65592734.html
こんな(私みたいな)人におススメです。
実相独在がアタマではワカッタ。しかしなーんか知らんがやっぱ、ワカラ
ナイ(笑)「実相しか、ないんですよね!あー感激!」(その10分後)「あ
ー来月の手形、どうしよう・・・」
・・・もう「ワカッタ!」と「わからない」のハザマにあるのが、私のよ
うな商売人なんですけども、榎本先生曰く「吉田先生も最初、そこが解らな
かったし、私(恵吾先生)も解らなかった」てな次第でして・・・いやー圧
倒されますよ、これ。
『生命の実相』読了の方ならばこんな断言、結構効くんじゃないかなあ。
少なくとも私は今、「実相の完全さ、完璧さ」が心の底から解った次第です。
どうぞご高覧あれ、であります。
追伸
なお、事前承諾を得ずにアップしております。もしもの際には削除します
のでご了承ください。しかしながら同動画ですが・・・これを見て自殺を思
い止まる方、絶対にいると思うんだけどなあ・・・それくらい素晴らしいご
講話です。
182
:
「訊け」管理人
:2011/09/28(水) 11:54:06 ID:MPQg3/HY
>役行者さま
「おはんら・・・天才的なバカになれ!バカの天才になれ!」
(旧制高校 五高・鹿児島造士館に伝わる言葉w)
183
:
「訊け」管理人
:2011/09/28(水) 11:57:49 ID:MPQg3/HY
(○)七高
(×)五高
http://www.youtube.com/watch?v=qrXc36FcW7Q
「バカの天才になれ!」
184
:
八百比丘尼
:2011/09/28(水) 12:14:39 ID:j8iOdie.
「訊け」さまの格調高いお部屋から、感激して戻って来て
こんな動画を紹介するのは、申し訳ないような気もするのですが。
今、精神科医の書いた本を読んでいたら出ていたので思わず、覗いてしまいました。
http://www.youtube.com/watch?v=hwaEgrfEcsI
大川周明(1886〜1957)の話でした。
晩年は精神病院の中で、コーランの全訳を成し遂げたそうです。
どうして東条英機の頭を引っぱたいたのか、の答え。
「自分が息を吹っかければ、人を簡単に殺すことが出来る。
空気から栄養素を採って居る様に、空中からストリキニンや青酸を作ることが
出来るから、それを吹き掛ければよい。
法廷でもこの方法で東条を殺してやるつもりだった。手で殴ったのは、
ああしなければ喜劇にならんからさ。」
ニーチェと同様の精神疾患だったそうです。
−−鈴夜 真理について悩むーー
《 オレの尊敬するカーラ教授という人が 【森には真理が落ちている】
という本を書いている。
え〜っと、森の中で色々なさっておられる偉い人のブログには
どんぐりが落ちていたとか、キノコ採ったとか、動物がウロウロしてた
とか書いてあった。
森にだって【真理】はあると思うけどなぁ・・・・・・。》
185
:
「訊け」管理人
:2011/09/28(水) 12:17:26 ID:MPQg3/HY
ビ ッ ク リ し た 話
今、母から連絡がありまして、その内容がなんと・・・実家から
日本刀と銃が出てきた
と(笑)
こいは、西南の役の時、ご先祖様がお使いになられていたヤツでごわんど!
ああー畏るべし、雅春先生動画の効果(笑)
186
:
役行者
:2011/09/28(水) 12:36:17 ID:yGZ.h2pU
>訊け管理人さま
またまた、良き映画を紹介くださり、ありがとう存じます。
早速、拝見させていただきますそうらう(*^_^*)
187
:
役行者
:2011/09/28(水) 12:42:41 ID:yGZ.h2pU
>訊けさま
たぶん、西郷翁とともに、城山にこもられたご先祖さまなのでしょう。家宝ですね(合掌)
188
:
義春
:2011/09/28(水) 12:58:18 ID:SjZg29/2
>>185
ブログ管理人さあ
えぇぇぇぇ!?なんか、なんか凄い…。
189
:
「訊け」管理人
:2011/09/28(水) 14:04:48 ID:MPQg3/HY
>役行者さま
>義春さあ
「このタイミングで日本刀とは!?」「祖先があれか、『ユダヤ撃つべし』と
云うておられるのか!?」などとドキドキしながら確認したところ・・・違い
ました(笑)
軍刀外皮に「陸軍少尉○○」なんて記名がありまして、「ああ、ジイ様か」と(笑)あの、
あれです。大東亜戦争で米軍と戦った、うちのジイ様所蔵のものでした。
まあしかしそれでも・・・貴重な一品です。「この軍刀携えて、バターン死の
行進をしたのか」と思うとなんか、マニアックに感無量ですね(笑)
追伸
うちのジイ様、バターン死の行進の映像にバッチリ出演しているらしいの
だが(笑)どれかワカラナイという・・・
190
:
義春
:2011/09/28(水) 14:21:55 ID:SjZg29/2
>>189
ブログ管理人さあ
どっちもユダヤ相手じゃなかと!?…と思ってしまった私がいますわい。
…にしても、葵新吾さんがユダヤの事書いてますね。勉強になりますね。
191
:
「訊け」管理人
:2011/09/28(水) 14:38:14 ID:MPQg3/HY
>義春さあ
まあそうじゃな日本陸軍・・・こいはユダヤ打倒に立ち上がったってごわす。
(海軍の件、質問受け付けません)
>役行者さま
やや飛んだ話になりますが・・・伯父と久しぶりに会話した件など。
この伯父は歳がかなり離れておりまして、まあ、学徒出陣組の世代なんです。
この伯父に「伯父さん!軍刀があ!」な話をしたところ、語る語る(笑)
まあこの伯父、医学部だったんで出陣は免れたわけですが同世代の友人多数は
・・・ほとんど戦死なんですよね。しかもこれ、伯父友人の大半は輸送船で戦死
しているという・・・・もうなんか、あれですよね。有為の学徒が輸送中に、潜水艦
でヤラれたかと思うと泣けてきましたわ、ああ・・・
出陣学徒壮行会
http://www.youtube.com/watch?v=cGDN8LBawoM
192
:
琴音
:2011/09/28(水) 21:14:37 ID:TBWIqDDM
突然、つぶやきます。
昨日、伯母と話していて、
「生長の家の教えには「人間は神の子である」ということがきちんとかかれて
いて、共感できた。だからこの教えがいい」
とゆったら、まあ、といわれました。
「人間が神の子なんて…人間はひくーいところから、
ひとつずつひとつずつ(修行して)上がっていくものなのよ…」
霊波ではそんなことひとつも書いてないから、
きっと円応教の教えなのか、それとも仏教かと思うのですが、
真言宗でもそんなこと書いてなかった気がするのですが…。
そんな教えが仏教では一般的なんでしょうか?
193
:
うのはな
:2011/09/28(水) 23:29:46 ID:iM0b0bt6
>>192
ユーミンは「魂の出来がわるいからまた生まれ変わって地球にきた」
みたいなことを書かれてましたが、人間は低いところから一つひとつ
修行して、上っていくもの、、、というのも、そういう意味ではないですか
仏教では、この世で業をなくすとか、そういう考え方をすると思います。
せっかく、自発的に『生命の實相』を読もうとする、元神道学科の女学生が
来てくれたんだから、この掲示板を御覧になってる方々も何かこたえてあげてください。
194
:
a hope
:2011/09/28(水) 23:49:50 ID:MNrNIsM2
うのはなさま
琴音さまの質問に、答えてあげたくても、わたしも答えがわからないから、
答えてあげられないのです(笑)。
琴音さま
わたしも、その答えが知りたいです。
気長にお返事を待ちましょうね!
195
:
うのはな
:2011/09/28(水) 23:54:23 ID:iM0b0bt6
>176 続き
全人類の光明化 新春伝道講話 楠本 加美野 先生
生長の家の素晴らしさは、全人類の光明化を目ざすところにあります。
皆さんが伝道に出かけますと、キリスト教会もあるし、創価学会の家もある、
それこそ色々な家がある。しかし、創価学会の人であろうが共産党であろうが皆
全人類の一人です。省略しちゃいけない。伝道していると、留守の家もあるし、役場に
行き当たることもある。
「おい、これちょっと入りづらいな、やめとこうや、まだ他に家は一杯あるじゃないか」
・・・これはいけない。みんな素晴らしいんです。役場なら役場が素晴らしい。
それうぃ人間智で、いいとか悪いとか言うことは迷いです。進めないうちに、“あの人は
進めても無駄だ、やめとこう”なんて言っていると進める人がなくなってしまう(笑声)
だから、人間智でもって最初から無駄だなどと決めて省くのは、全人類の光明化という
生長の家の根本精神に反するわけです。
伝道練成に来た人でこんな人がいました。子供の頃噛まれたのがもとで犬嫌いになり
猫のように小さな犬でも怖ろしいという人でした。その人が伝道に歩いていて、
目の前に“猛犬”と書いてある家にぶつかった。さあ困った。省略してはならないし、
猛犬なんて字を見るだけでも震えが来る。考えたあげく、“そうだ、犬と和解しよう”
と思いついた。「私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました・・」
と、その人は一心に和解の祈りをしたそうです。伝道というのは時間がかかりますよ。(笑声)
そうして、「門番御苦労さま、有難うございます」と犬に感謝しながら庭先に入った。
するとやはり凄い犬がいた。ところがその犬がニコニコして迎えてくれたというのです。(爆笑)
これが皆さん、無限生長の道なんですよ。ここが大切なんです。
その人は御主人と仲が悪くて、練成を受けに来ていたんです。犬と仲が悪いのは幼い時から、
御主人とは、結婚してしばらくしてからでしょう。“犬と仲良くなれたんだから、主人と仲良くすることなど
大したことじゃないわ”とふっ切れて、その人は素晴らしくなったんです。
本当にどこに救いがあるかわかりませんね。犬を避けてその家をとばしていたら、
こうは行かない。
つづく
196
:
うのはな
:2011/09/29(木) 00:28:03 ID:iM0b0bt6
>195 続き
神 吾を選びしなり
谷口先生御自身が『生命の實相』の中に次のように書かれています。
「これは、神が起された運動であるということがわかったのであります」と。
「わかったのである」ということは、それまではわからなかったということですね。
谷口先生はそれを四十何年か前にわかったのでしょうが、私たちにも愈々
“これは神様が起された運動である”ということが解る時が来た。
そしてそれを解って運動をしなければならないギリギリの時が来ているのです。
これが本当に解ったときに、冒頭で述べた最も大切な自覚である「吾 神を
選びしにあらず、神 吾を選び給いしなり」ということが信じられる。
伝道の根本はここで、これが本当に解ったときの喜びが信仰の神髄でもあると思うわけです。
「諸君よ、選ばれた使命をゆるがせになしたまうな。時は過ぎ行く。“後なる者先とならん”
わたしはあの信仰深きキリスト教徒が戸別訪問しながら聖書を売り、入信を勧めて歩く熱心さに
心を打たれ襟を正す。諸君も、光明思想をひろめるのに、この熱心なキリスト教徒をならって
下さることを希望する。希望は実現の母である、わが希望は必ず実現する。信じて望めば能わざる
ことは一つもないのである」
『生命の實相』第一巻にはこうお示し下さっています。
「選ばれた使命をゆるがせになしたまうな」という御文章は『生命の實相』の
ここにしか出ておりません。最も具体的に、選ばれたる者の行くべき道をさし
示して下さっているわけで、河口湖の伝道練成も、ここに拠って始められたのです。
ところでこの生長の家の練成ほど人生の縮図はありません。色んな人が来る。
時には道場破りのような人も来ます。あっちの道場こっちの道場と巡って品定めをしている。
(笑声)そういう人がこの間も河口湖へ来た。「私は練成を受けている時はいいんですが、
帰ると段々冷めちゃうんです。冷めると練成へ来るんです。なるべく冷めにくいところへ来たいと
思うんですが、河口湖はどのぐらい保つでしょうか」と言う。
練成道場を温泉みたいに思っている(笑声)「君は入信の動機は何だ」
「それを言われるとお恥ずかしいんですが、刑務所の中で触れました」
そこで私は、「何と素晴らしいじゃないか」と言ったんです。
「生長の家の信者は沢山いるけれど、刑務所の中で触れたなんていうのは十万人に一人ぐらいしか
いないだろう。君は神様から選ばれて刑務所に入ったんだぞ」
「そう刑務所刑務所と言われると、身が縮む思いがします。しかしこれは初耳です。
どういうことでしょうか?」
「この生長の家の運動は全人類を救わなければいけない。全人類の中には刑務所から出た者も
沢山いる。その人たちを救う使命が君にはある。そのために神様は君を刑務所に入れてまで
生長の家に触れさせたんだ。その自覚をしなさい。その自覚とともに君の使命に
邁進した時に、君はもう冷めることはない。温まりっぱなしだ」(拍手)
つづく
197
:
役行者
:2011/09/29(木) 15:23:11 ID:yGZ.h2pU
>>191
>訊けさん〜
日の本を守り、闘った英霊に対し奉り、最敬礼!!
黙祷!
お直りください!
以上
198
:
役行者
:2011/09/29(木) 17:54:55 ID:yGZ.h2pU
>>192
琴音さま
遅れてスミマセン!
>霊波ではそんなことひとつも書いてないから きっと円応教の教えなのか、それとも仏教かと 思うのですが 真言宗でもそんなこと書いてなかった気がする のですが… そんな教えが仏教では一般的なんでしょうか?<
結論をいいますと、一般的でございまする。
真言宗の即身成仏という教えがあります。
また、般若心経など、神の子、仏の子の教えですね。
一般的に、仏教は、生老病死の苦悩を解決しようか?というところから始まり、スジャーターの愛により、悟りを開き、そして、菩提樹での大悟に至ります。
つまり、座禅瞑目しての気づきから始まってます。何に気づいたのか?我がうちに、神性、仏性が存在する!と気づいたのです。
その悟りを普遍化したのが、仏典です。ですから、誰でも、神性、仏性が存在し、気づきにより、即身に成仏するというのが、本来の仏教の教えです。
それは、一人一人により、霊魂は違います。
ですから、慈愛深い方もいれば、非情な方もいます。しかし、みな平等に神性、仏性を秘めており、それに気づくことが可能であると説くのが、仏教の教えでありましょう。
つまり、これが一般的な教えで、もし、指導者を通して、御札を通して、でなければ救われないとすれば、それは、一般的ではありませんね。
199
:
琴音
:2011/09/29(木) 22:11:30 ID:Q3WxxcVs
役行者様
回答ありがとうございます!
>我がうちに、神性、仏性が存在する!と気づいたのです。
そうですよね。大日如来、宇宙と一体となるのが真言宗、また
座禅であったり・・・
>慈愛深い方もいれば、非情な方もいます。
しかし、みな平等に神性、仏性を秘めており
確か、観世音菩薩は私たちの魂を磨くために
様々に変化して現れる、でしたっけ。
だから怒る人、しかられることにも、「菩薩が言われているんだ」と
感謝して受け止める、というのは聞いたことがあります。
指導者が神とのつながりをもつ唯一の存在であり、
それにつながらないと救われない、とか、
御札がないと霊波をうけられず病気が治らない、っていうのは
やっぱり正しい宗教ではないですよね。
200
:
役行者
:2011/09/30(金) 09:11:28 ID:yGZ.h2pU
>琴音さま
そうなんです。ただ、自分のうちに燦然と灯明している光に気づけばいいのです。まあ、そのことにみな苦労しているのですけど・・・
古今東西、お釈迦様やイエス・キリストをはじめ、あらゆる聖者の方々は、その気づきを自覚された方と存じます。
至上者の自覚の神示
創始者・谷口雅春先生ご執筆の神示ですが、訊け管理人さんのブログに掲載されてます。
「憑霊が説くほどの教なら人間 自身も霊であるから説き得るべ きであるのに、釈迦自身の教で はなく釈迦の憑霊の教であると 説くスピリチュアリズムは 自己 撞着に陥っているのである。人 間よ、人間自身の尊厳を奪還す ることである。『生長の家』は 人間自身の尊厳を奪還するため に出現した人生の燈台である」
と。
琴音さま自身の尊厳を奪還するために、生長の家は出現したのです。
上記で、うのはなさまが記載してくださった御文章がございます。
刑務所に入る方は使命があって入るのだよ!と・・・だとすれば、某宗教に入ったのも使命があって入ったのでしょう。この人類の迷妄時代、使命こそあれ、無駄なことは何ひとつないかと存じまする。
>指導者が神とのつながりをもつ唯一の存在で あり それにつながらないと救われない、とか 御札がないと霊波をうけられず病気が治らな いっていうのは やっぱり正しい宗教ではないですよね<
よくぞ!私の述べたいこと咀嚼してくださいました。琴音さまは高い魂の持ち主かと拝察しました。どのような環境で育てられたかは存じませんが、昭和天皇陛下のことを正しく伝えて行かねば・・・と考えるだけでも素晴らしいことです。
もう、読んでおられるかも知れませぬが、紹介したき本がございまする。
『昭和天皇の御巡幸』
著者 鈴木正男
発行所 展転社
是非、一読あれ!
201
:
うのはな
:2011/09/30(金) 18:16:29 ID:iM0b0bt6
>196 続き
皆さん、この、人類から劣等感をなくするのが光明化運動なのです。
その劣等感はどこから来るかというと、過去の失敗から来る。
『あなたは無限能力者』の本に次のような谷口雅春先生の御文章が引かれています。
「失敗を自分の無能力に直結させるところから劣等感が生れる」と。
劣等感をもっていると、いくら生長の家をやっていても幸福にはなれないんです。
過去の失敗は、それを利用して同じ失敗をして苦しんでいる人々を救うために、
神が為さしめ給うたのだと自覚を新たにして、伝道に邁進して素晴らしくなった人は
河口湖に来た人の中には一杯います。女道楽の限りを尽し、奥さんに連れられて伝道練成に
来られた大友さんなど、今では三角関係解消の名人です。
このように、生長の家に触れたことによって、過去のぬぐい難き劣等感をなくすることができる。
その人の人生の暗い影が、みんな世のため人のために使うことができるところに、
生長の家に入った喜びがあるのです。
“神 吾を選びしなり”の自覚がどんなに大切であるかがお分かりになると思います。
つづく
202
:
うのはな
:2011/09/30(金) 18:41:42 ID:iM0b0bt6
>201 続き
神は献身を要求し給う
中には、「私はまだ病気がよくならないから、治ったら伝えます」とか、
「“生命の實相”をもっとよく読んでから伝道します」とか言う人がいる。
また、「自分は教養がないし、地位も何もないから伝道に自信がない」と言って
尻込みする人もいる。ところが、そういう、信仰が浅いとか深いとか、病気が治って
いるとかまだだとか、あるいは、学問や地位があるとかないとか、話がうまいとかへただとか、
そんなことは、神様は、選ばれた人に要求し給わない。神は献身だけを要求し給うのです。
実際、伝道に出てみるとわかるのですが、伝道には地位も肩書きも通用しません。
そういう意味では、大変厳しいものです。伝道に必要なのは心から相手の幸せを祈る愛と、
神への無条件の献身、これあるのみです。
これが唯一無二の、選ばれた使命を果たすための条件です。
神様、こうして下さい、ああしてくださいという祈りをなくすることですね。
神様どうぞ私を自由にお使い下さいと願う祈りこそ、最高の祈りなのです。
この願いこそ本当の願であり、他のものは何も要らない。純粋に“神様のお役に
立たせて下さい”と祈るとき、あなたの願いは神様の願いと一致する。
それを神の子と言うのですよ。他のものは何もいらない。
これさえあれば伝道者として既に充分であり、また、信仰者として充分であり、
そして、人生の目的というものも結局ここにあると私は思うのであります。
皆さん、私たち高級霊は一日を終るに当って、生長の家のお陰で金がもうかった、
うまいものが食べれたぐらいじゃ喜べないですよ。高級霊の喜びは、今日一日神様のお役に立つ
ことができたんだという喜びですよ。この時に、神の子の純粋な喜びを神より幸えていただけるのです。
私も二十数年間、ひたすら練成で行きぬいて来ていますが、一番うれしい
練成会は、本当に神意を実現できた練成です。
おわり
伝道こそ信仰の生命 楠本 加美野 先生 生長乃家誌 昭和52年新年号
203
:
うのはな
:2011/09/30(金) 22:10:51 ID:iM0b0bt6
太陽の讃歌
わたしが昔見た光は
月光を帯びて幽谷を流れる水であったのに
今わたしの見る光は
旭日を映した真赤な大海洋になっている
いつのまに
こんなに大きな海原に出て来たのか私は知らない
ただわたしは
海の波のその一つ一つが 唇をそろえて太陽をたたえる
その讃歌を聞くのみだ
ああわたしも
太陽を讃えたくなった
太陽をほめる千万の波の唇と共に
わたしも声をそろえて
生命の讃歌をうたおう
谷口雅春 先生著 『ひかりの語録』より
204
:
トキ
:2011/10/05(水) 09:44:28 ID:cjNjb78g
>>203
谷口雅春先生の御文章はいつ拝読しても、心が洗われます。素晴らしい御文章を紹介して下さり、
ありがとうごいます。
205
:
うのはな
:2011/10/07(金) 18:32:24 ID:iM0b0bt6
想念の行動化について 『真理』第九巻 生活篇 谷口雅春 先生著
メンタル・サイエンスの幽祖(かくれたる一番もとの祖先)であるといわれているトロワード
判事(トロワードの著書には田中忠雄氏訳『聖書の神秘を開く』日本教文社から発行されていた)
は「なまけ物には決して特別配当はない」と云う警句を言っていますが、
心に思うことが形にあらわれるのだからとて、ただ念ずるだけで、その念に相応しい行動を起さない
ようなことでは、その「心に思うこと」が成就しないのです。
「わたしは神から無限の糧を与えられているから既に満腹している」といくら
念じても、食物を行動に於いて食べなかったならば、いつまで経っても空腹は去らないでしょう。
空腹を去らしめるには行動に於いて「与えられている糧」を受けることを実践しなければならない。
「私は健康である」と念じたならば、行動に於いて健康である通りに実践しなければならぬ。
健康者が朝起きる如く起き、健康者が仕事する如く仕事するのである。
206
:
うのはな
:2011/10/07(金) 18:56:10 ID:iM0b0bt6
夫のこころ妻のこころ 『女性に生まれ 愛に生き』 谷口輝子 先生著
皆さんありがとうございます。
今月の月初めに東京から私の娘の恵美子がこちらへ参りました。
彼女が仕事の都合で、二ヶ月か三ヶ月に一遍わたしの顔を見に来るのか、見せに来るのか
やって来てくれます。そして、私が齢いって甲斐甲斐しく働けないものですから、
公邸の掃除係になったように、来たらもうそこらじゅうを掃除をしたり片付けたりして、
バタバタ働いて整然と整理してくれております。私の机の上に山盛りになったような書類でも
みな片付けたり捨てたり勝手なことをしましてね、
「お母様、要らないものいくらでも積んでる」なんて言いまして整理して呉れますので、お陰で助かって
おるんでございます。
その恵美子がこの間参りました時に、半切の大きさの写真を何枚も持って来て呉れました。
見ましたら、私達夫婦の二人だけの写真なんです。昔のそんな写真が欲しいと思っていたわけでもないのですが、
恵美子が勝手に持って来て呉れまして申しますのに、「お母様ったら昔から今に至る迄同じ髪型をしていらっしゃるのねえ」
そう言うんです。若い時と今とちっとも変化が無い。今年九十一歳になりましたが未だ若い時と同じ髪型をしていると恵美子が申しますので、
「そうよ、今の流行だとか何とか言って、違った髪しておしゃれで良い気持ちになったりしようと思ってもね、お父様が『違った髪型したら僕の
奥さんじゃない』
と言って喜んで下さらないから、私は結婚当時と同じ髪の形でこれでもう一生行くんでしょう」
と、そんな話をしたんでございます。
つづく
207
:
琴音
:2011/10/07(金) 21:58:50 ID:XdUh1mvU
>うのはな様
素晴らしい言葉を紹介してくださりありがとうございます。
今日、帰りの電車を待ちながら、
「めんどくさい」思いについて考えていました。
私の心からそれがなくなれば本当によくなれるのに、と。
行動しないときは、ひっそりとその思いにきづかずにとらわれている
ことがあります。
>「私は健康である」と念じたならば、
行動に於いて健康である通りに実践しなければならぬ。
健康者が朝起きる如く起き、健康者が仕事する如く仕事するのである。
本当にそうですね。
ありがとうございます。
208
:
うのはな
:2011/10/08(土) 17:39:26 ID:iM0b0bt6
治病霊力の根源 『真理』第九巻 生活篇 谷口雅春 先生著
他を祝福しましょう、あなたは他より祝福せられます。
私たちは時々他の人が自分に冷淡であったり、利己主義であったり、過ちを
犯したりするのを見て、腹が立ったり、嫌気がさしたりして、祝福することを忘れがち
です。そのために私たちは神から放送されている祝福の霊波を受け得ない心の波長に
なるのです。
神はわが家の「戸の外に立ちて」祝福の波動で扉を叩きたまえども、自分自身が其の
絶縁体(縁を切って通さなくするもの)で扉を閉してしまうのです。
祝福するとは、讃美し、感謝し、相手の幸福を祈ることです。
キリストの治病伝道の歴史を見ますと、彼は先ず神を讃美し、次に感謝し、そして其の人の
幸福を祈っているのです。
この三つを忘れてはなりません。「自分の霊力で病気を治す」などと考えてはなりません。
イエスの驚くべき治病力は「われみずからにては為し得ず、天の父われに在して御業を
なさしめ給う」と神を讃美している処に根源があるのです。
211
:
トキ
:2011/10/20(木) 19:15:00 ID:0U2KhEc6
>>210
商人様
ダライラマの話には、興味深いものが多いですね。彼は、中国のチベット侵略を批判して
いますが、同時に、チベット自体も閉鎖的で他の世界に目を向けなかった、と反省しているのです。
彼の非暴力でのチベットの解放を目指す話には、学ぶべき点がありました。
”仮に、武力で中国を排除し、チベットを開放したとしても、それにより得られるものは、単なる
土くれにすぎない。しかし、もし我々が非暴力の運動を始め、それがどんなに長い時間かかっても、
非暴力で中国を排除することに成功するならば、それは今後の世界の紛争の一つ手本になる。
そして、世界の平和に大きく貢献する事になる”
確か、そういう趣旨の話でした。他にも、結構、面白いというか、考えさせられる話がありました。
生長の家の板ですが、生長の家以外の話題を排斥するような板ではないので、また、気が向いたら
ダライラマの話も投稿して下さい。
合掌 ありがとうございます
212
:
商人
:2011/10/20(木) 20:24:38 ID:7IsmmGqA
トキ様 210は削除してください。
やはりこの板にはあっておりません。
お手数おかけしますがおねがいします。
213
:
トキ
:2011/10/20(木) 20:34:07 ID:0U2KhEc6
>>212
私見ですが、別に問題はないと思いますが・・・。
どうしても御希望なら、削除しますが、気にされる事はないと思います。
214
:
商人
:2011/10/20(木) 20:49:59 ID:7IsmmGqA
気が向いたら投稿します。
削除おねがいします。
すみません。
215
:
うのはな
:2011/10/24(月) 00:47:54 ID:iM0b0bt6
神国實現への手紙 『静思集』 谷口雅春 先生著
神の国とは此処に見よ彼処に見よと云ってはないのである。
汝の心の中にありとイエス・キリストは被仰いました。
ではあなたの立っていらっしゃるところが、あなたの坐っていらっしゃる
ところが、そのままで、あなたが天国を見出しなさったならば、其処が
天国なのです。
神の国とは、神のいらっしゃるところでございます。
浄土とは佛のいらっしゃるところでございます。
ではあなたが今、神様を其処に見出されましたら、其処が浄土なのでございます。
神ここに在す、佛此処にましますと、どうぞあなたの心の中で誦えて下さいませ。
吾々は、眼をつぶっていては光を見ることが出来ないでしょう。
まず心の眼を開くには、言葉でとなえることでございます。
神道に於ける「大宇宙に神詰ります」という祝詞、佛教に於ける南無阿彌陀仏
の称名念佛、基督教に於ける讃美歌、・・・まだ色々御座いましょう。
すべて此処に佛ましますと云う念を深める言葉を常住となえることは、
天国浄土を地上に實現する基礎でございます。
此の世をば 浄土とぞ思う大神の 名誦しおれば眼の裏あかるし
216
:
うのはな
:2011/10/24(月) 21:40:42 ID:iM0b0bt6
何処にか天壌無窮ありや 『真理』 第4巻 谷口雅春 先生著
『叡智の断片』の書は続いて問う
「某僧あり、問うて曰く『大和国過って戦争を始め、敗戦して大小都市悉く
廃墟(くだけた市のあと)と化す。如何なるか是大和国』と。或る人答えて
曰く、『脚下そのまま是れ大和国』と。わかったような、解らぬような。」
『叡智の断片』にはまだ色々つづいて書かれてはいるが、この問題は
「わかったような、解らぬような」と云う曖昧な語で一応終っているのである。
進駐軍の厳しい検閲下において、日本を久遠不滅の国と説くような言説は超国家主義的言説
として、占領軍占領政策違反として拘束される当時の状況に於いては、それ以上ハッキリと
説くことが出来なかったのである。しかしあれだけ伏線に色々の例話を話して来た後であるから
眼のある者は見、耳ある者は聴くであろうと信じていたのである。
若し私が今、「某僧の問」を再び書くとするならば、もう少しハッキリ書いて、
次の如く問うであろう。
某僧あり、問うて曰く、「天壌無窮の大和国過って戦争を始め、敗戦して
占領軍下に支配さる。いずこにか天壌無窮ありや、又いずこにか大和国ありや」
と。
この公案に対する答は、君達自身に答えて貰いたいのある。猿の口真似返答では
ものにならぬからである。
217
:
義春
:2011/10/25(火) 22:39:41 ID:iu5Ar./Q
使命邁進の神示
人がどう思うかも知れぬと、そんなことばかり気にかけているようなことでは
心の苦しみは絶えぬものだ。自分がどの位愛したか、自分がどんな仕事をしたか、
そればかりを考えるが好い。肉体の人間は誤解するものだとあれほど言いきかしてある。
肉体は念の集積で出来たレンズ又はプリズムであるから、
人によってその『眼鏡』は違うから、どんな光線でもみんな屈折して見えるし、
人によって屈折の仕方も違うのだ。三角のものも丸く見えるし、丸いものも三角に見える。
深切で言ったつもりが悪意に取られたり、失敗って言った言葉でおかげを受ける人もある。
誰が何と思っても、それは迷いで屈折して色々に観るのであるから、
ただ神に知られることだけを求めて人に知られようなどと思わぬが好い。
人間の苦しみの一つは元は上べを飾りたい心である(昭和七年三月十五日執務中神示)
218
:
うのはな
:2011/10/25(火) 23:14:27 ID:iM0b0bt6
いのち立つ生活 『静思集』 谷口雅春 先生著
木下籐吉郎は織田信長の草履取をしていて或る寒い朝、主君の御足の温かいようにと
思って其の草履を懐ろへ入れて温めたような忠實さが信長にみとめられて、ついに
普請奉行に取立てられ、次第に引上げられて、最後に太閤にまでなる出世の緒を開いたのである。
茨城県の真壁に平四郎と云う男があって、やはり領主の草履取をしていたと云うことである。
平四郎は藤吉郎と同じように、或る冬の寒い朝、その主君のお履きになる駒下駄を自分の懐ろへ入れて
温めていたのである。其処へ突然殿様がお出ましになったので、平四郎は急に驚いて、その駒下駄を出して
踏石の上に揃えたが鼻緒が押し挫げられているのをチャンと伸ばす暇がなかった。
癇癖の強い此の殿様はこれを見ると「この駒下駄の鼻緒が挫げているのは、下郎の分在で、主君の駒下駄に
腰を掛けていたのに相違あるまい」と想像して、その駒下駄を以って、発止と平四郎の眉間を打ったのである。
平四郎の額は破れて、血が流れる・・・。
「わしが深切に貴様の駒下駄を懐ろで温めてやっていたのに、此のわしの眉間を
殴るとはな。そして此の額に生れもつかぬ傷をつけたな。もう主君でも何でもない。
今に祈り殺してやるやるから覚えておれ」こう考えて平四郎は領主の国から逃げ出して、
加持祈祷の勉強をした。ついに支那にわたり、高僧に会い、佛道をきわめて日本へ
帰って来たが、もう復讐心は無くなっていた。
つづく
219
:
うのはな
:2011/10/25(火) 23:54:20 ID:iM0b0bt6
同じように草履を温め、木履を懐中で温めながら、一方は誉められて出世をし、
一方は「不届者奴」と叱られて、あまつさえ眉間をその駒下駄で傷つけられるのである。
何がそうさせたか考えて見ると深い真理が教えられる。
一所懸命「善」をしようと心掛けながら叱られ通しの者もある。
それほど善もしないでいながらすらすらと何事も都合が好く往く者もある。
すらすらと都合が好く往く者は「我」がないか「我」が少ないのである。
深切をしながら都合好く往かない者は「我」の心で深切をしているのである。
「わしが深切に貴様の駒下駄を懐ろで温めてやっているのに、此のわしの眉間を
殴るとはな」こう思って平四郎は腹が立った。やっぱり「わし」があったのである。
眉間を破られるどころか十字架にかかれと言われても、ハイと十字架にかかったのが
イエスである。
殻が破れ自分が透明になることが必要である。そのとき儘十方世界が自分のものとなり、
自由自在が得られるのである。
同じように履物を温めても、平四郎が眉間を破られたのは「所」と「時」と
「人」とを得なかったからである。
一切の動作は、或ることを賞められたからと云って、他の時、他の場所で、他の人に
仕掛けても賞められるものだとは極(きま)っていないのである。
「善」は生きているものである。常に同じ形ではないのである。だから本当の善は、
「善悪不思」「真も求めず、偽をも求めず」などと云うと大変むつかしいようではあるが、
易しく云えば「そのままの心」になることである。
「わしが、わしが」と云う我の心を除去ることである。拝むこころになることである。
何事でも「わしがする」のではなく感謝しながら「させて頂く」気持になることである。
真壁平四郎は支那の高僧に会って帰って来ると、時の帝の御不例平癒祈祷の御儀を仰せ附けられ
たりして、有名になった。恰度郷里茨城の某寺の住職の席が空いているのでその住職になることに
なった。新帰朝の住持を迎えると云うので殿様もその席に参列されて鄭重な挨拶がある。
住持の大切そうにしている持物に駒下駄の古いのがある。
その時、殿様は駒下駄の由来を訊いた。「この駒下駄は私の恩人なのでございます。
この駒下駄が私の眉間を割ってくれたので、私は発憤して支那へ渡って勉強したのです。
もう恨みも何もありませぬ。法身を覚了すれば無一物、咄!この私が真壁の平四郎です」と
偈を以って答えたと言う。
つづく
220
:
商人
:2011/10/26(水) 06:49:32 ID:TCt66b8E
義春さま
>>217
いい文章ですね!今日一日肝に命じがんばります!
さすが義春さん。
私はどこを毎日読んでいるんだろう 笑
いつもありがとうございます。
うのさま
>>218
>>219
『静思集』いのち立つ生活 ありがとうございます!!!
これだけ文字入力するのは大変ですよね、恐れ入ります。
でも実にすばらしい!
私もさっそく『静思集』を買います!
うのさんのおかげですよ!ありがとうございます。
うのさんは、やはり知らないことをお教えされるほうがお似合いですね!
ありがとうございました。
221
:
志恩
:2011/10/26(水) 07:01:44 ID:psrFh/ZU
うのはなさま
すばらしい真理のご文章を、いつも載せて下さって、ありがとう!!今朝も、しみじみとした気持ちで拝読しました。
世界中の方々が、これを読まれてるから、うのはなさまは、世界中の方々に、聖なる光をおわけしてさしあげてる。
神さまのお仕事を、なさってる!貴いことです。
222
:
役行者
:2011/10/26(水) 08:13:42 ID:kmUbezAE
私もそのように思います(*^_^*)
223
:
「訊け」管理人
:2011/10/26(水) 08:24:08 ID:???
>うのはなさん
『静思集』のその箇所は、一昨日に読んでおりました。なので、びっくり!
>義春
いい仕事、するじゃないか(笑)これは後日、ブログで使わせてもらいます。
>志恩さま
>役行者さま
本日もブログ、更新しました。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65600543.html
しかしお世辞ではなく、雅春先生の御本は何度拝読しても飽きませんね。
この飽きっぽい私がここまでどっぷりハマッてます。ホント、神様がお書きに
なられたのですね。
<本日ブログより一部引用>
祈りは必ず成就すると知っていたならば、あたかも壁に向かって祈ってい
るように、きかれない祈りで気をくさらすこともない筈である。
「何故なら私は、祈りの真の目的は祈りそれ自体であり、祈りそのものが祈
りの報いであることを知るからである。」
「正しい祈りには真実の動機と豊かなる信仰との外には何もいらないのであ
る。」
「かくして私は祈りの生活に於いて結果を求めるという心がほとんどなくな
り、何らの好結果が得られなくても、私は失望落胆しないようになったので
ある。」
「私が或る人のために祈ると言う事は、私がその祈りの成就の責任をとると
いうことではなく、それは私が神を求め神によって見出される機会を得ると
いうことなのである。」
「彼は私の個人的問題ではなく、実に神の問題なのである。彼は〝私に〟神と交通する恵まれた特権を與えてくれるのであり、その特権とは意志の自由と、同意の自由と、選択の自由という人間の最大の恵みなのである。」
『健全の真理』321項
224
:
義春
:2011/10/26(水) 12:37:01 ID:iu5Ar./Q
訊けさあ
親鸞の本心ですか、父方の祖母が持っていました。
懐かしく思い出されます。
225
:
義春
:2011/10/26(水) 12:48:28 ID:iu5Ar./Q
「生死の教」
生死はままならぬと云えども生死は心のままである。
兄弟を生かす心の者は生き、兄弟を殺す心の物は死す。殺すと云うても刀で切ることではない。
兄弟を生かす心のないものは殺しているのである。
周囲の人々の思惑を生かしてやるのは『兄弟を生かす』の最も大なるものである。
自己の好まざる所を他に転嫁するは『兄弟を殺す』の最も大なるものである。
周囲に痰を吐き散らすな、紙屑を投げ捨てるな。
これは物質の事でもあれど、物質のことだけではない。
口角泡を飛ばして兄弟を非難するものは兄弟の心に唾を吐きかける者である。
腹立ちを手紙に書いて送る者は兄弟の心に紙屑を投げる者である。
かれは兄弟の心を言葉で殺し文字で殺す者である。
兄弟の心を殺すよりも尚大なる殺しがある。汝の両親の思いやりを殺し、
汝の主君の思いやりを殺す者である。
本当に汝が、心の殺人の止めて感謝の心に充たされるようになるまでは、心の波長が違うから神の救いの霊波は受けられぬ。
(昭和六年九月五日神示)
226
:
志恩
:2011/10/26(水) 23:19:15 ID:psrFh/ZU
訊け君
今日もブログを更新されたのね。今日のも、実に心に沁みるすばらしい真理の数々ですね。
ありがとうございます。
また、絵が、きれいですねぇ。荘厳で宗教的な絵。小さな美術館を訪れているみたい。
親鸞の本心、私も昔,読みました。今は、弟が蔵書にして保存していますけれど。
私も懐かしく思い出しました。
227
:
義春
:2011/10/30(日) 01:03:26 ID:iu5Ar./Q
帰幽の神示
汝の肉体は汝の念絃の弾奏する曲譜である。
生命が肉体に宿ると云うのは二元的な考えであって真理ではない。
正しく云えば、生命はその念絃の弾ずる曲譜に従って肉体を現すのである。
肉体と云い、複体と云い、幽体と云い、霊体と云うはこれ悉く念の映像に過ぎない。
汝の念譜の種類に従って或は肉体を現じ、或は複体を現じ、或は幽体を現じ、或は霊体を現ずる。
すべての人はいつか肉体を失うであろうが死ぬのではない。
人は神の子であるから不死である。
念譜の形式が変わるに従って汝の仮有の形式が変わるのである。
すべての人の仮有は念の異なるに従って、その顕現を異にする。
念の形式は大変動を生ずれば、何時の仮有は他界に顕現し、
今迄の念の顕現たる肉体は速かに自壊自消する。これを人々は死と呼ぶが死ではない。
それは『生命』が念の絃をもって一曲を弾じ終ってそれを止め、他の奏曲に移らんとするにも等しい。
『生命』の弾ずる念の曲譜の形式に大変動を生ぜず、その念絃の律動に
ただ調和を欠きたるのみなるを病と云う。
かくの如き病は、念絃の律動の調子を直せば治るのである。
併し如何にその念絃の律動正しくとも初歩の一曲を必ず終って一層高き形式の曲譜を
学ばねばならない。吾が云う意味は地上の生活は必ず終らねばならないと云うことである。
地上の生活は汝の初歩の一曲である。
速かにこれを終るものは、初歩の教本を速かに終えたものである。
一曲が終らんとするを悲しむな。それはなお高き一局に進まんがためである。
その前に調律者が来て汝の念絃の調子を正すであろう。
その調律のため一時汝の仮有は調子ならぬ調子を奏でるであろう。
此の世の一曲が終る前に肉体の調子が乱れたように見えるのは此調律のためであって真に調子が乱れたのではない。
汝らかくの如くして次第に高き曲譜に進み行け。一局は終るとも弾き手は終るのではない、
弾き手は神の子であって不死であるぞ。(昭和六年六月二十六日神示)
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