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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

953初心者:2012/03/29(木) 12:44:51 ID:ixiWFYoQ
さくら様

>教えを組織化するという過程において、信仰と、真理と、救済が、その本分を生かし切れなくなる・・そのような思いを持っていました。

真理、救済、信仰とは何か。これが問われているのではないでしょうか。真理とは
何か。このことひとつを取ってみても、人によってさまざまに、ちがった考え方や
思いといったものがあるとおもいます。

これは今しがた思いついた考えでありますので、ひどく曖昧でもあり、二転三転
することがないとはいえませんが、理解の助けになるやもしれませんので、
これから書かせていただくことにいたします。

定義を問題にしようとはおもいません。宗教の立場としては評判のよくない手法に
なるかとはおもいますが、欲望を中心に考えてみようとおもいます。

何を欲望しているのか。このことだけを問題にいたします。それぞれの問題を、
欲望の観点からとらえればどうなるか、これを考えてみたいとおもいます。

真理の追究とは、「真理を欲望することを欲望すること」といえるのではないで
しょうか。おなじ観点から、救済とは、「真理を欲望しないことを欲望すること」で
あり、信仰とは、「真理によって欲望されたいと欲望すること」であるといえる気が
いたします。単純な図式ではありますが、このような理解から、スタートすることに
いたします。

複雑な問題を単純に語ろうとするのは、やっかいな問題をひきおこすだけで
なく、愚かなことでもあるのかもしれませんが、とりあえずのところは、この無謀な
図式にもとづいて、見切り発車的にはじめてみることにいたします。

真理の追求、救済、信仰を、このように異なった立ち位置からの欲望ととらえる
なら、これら3つの異なる欲望をひとつにまとめてよいものかとも考えます。


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