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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

470復興G:2011/09/21(水) 22:39:30 ID:yhDBe2kY

>>467 :初心者様

>創造は今もおこなわれている。これはわかります。では、今この瞬間に何が創造されているのかとなったときに、これまで存在しなかったものが、新たに創造されているという意味ではありませんね。すでに創造されたものが、今また新たに創造されている。こういう意味であると解釈してよろしいのでしょうか。<

時空を超えたところですでに創造されているものが、時空の世界に顕れでてくる、ということですね。

>もしそうであれば、これは、神の創造というよりも、運動であると解釈すべきなのではないでしょうか。<

たとえば、画家が絵を描く。音楽家が作曲したり演奏したりする。それは、すでに画想、美のイメージが画家のうちにある、というのは神の創造された実相世界に無限の美のイメージがあるから出てくる。音楽も同じことである。
それを「運動」というのでしょうか。ちょっとよくわかりません。

>創造であるとすれば、目的がどうしても問われねばなりません。<

それは、眼に見えない世界にすでにあるものは、眼に見える世界にあらわし表現したいとおもうということでしょう。

>神が実相世界を創造して、それを相対化したとすれば、その目的は、神の自己認識のためであると解釈できますが、相対化しなかったとなれば、自己認識という解釈は成り立たなくなります。<

現象にあらわすことを「相対化」というならば、その通り、「神が実相世界を創造して、それを相対化した」と言ってよろしいでしょう。しかしその場合「相対化」とは、実相世界を相対化して現象世界と対峙させるというような意味ではありません。実相世界はあくまでも対立を超えている、絶対なるもので、現象は影に過ぎないものだと思います。

>相対化したとすれば、その目的は、神の自己認識のためであると解釈できますが、相対化しなかったとなれば、自己認識という解釈は成り立たなくなります。<

とおっしゃる意味は、「認識」というのは主観・客観「相対」でないとあり得ない、ということかと思いますが、「主観・客観 相即相入、一体」で自己認識は可能と私は思います。

>復興G様は、現象世界だけを語るための2次元や3次元の概念を、実相世界に拡張して、その意味を論じておられるように感じますが・・・・<

それは、「実相世界は久遠の今・此処にある」と言ったことでしょうか。「久遠の今・此処」とは、時空いまだ発せず、つまり次元を超えたところを意味しております。2次元や3次元の概念は、現象世界だけを語るための概念ではありますが、では実相世界には時間・空間はないのかといえば、そこから時間・空間が現れ出て来たのだから、実相世界にも時間・空間のアイディアが含まれている、とも言えると思います。

>実在宇宙は現象世界であると、わたくしは考えます。実在宇宙とは、今この瞬間に存在する宇宙です。わたしたちが見ている宇宙は、すべてが過去の宇宙であり、今この瞬間の宇宙ではありません。今この瞬間の宇宙。それを想定したものが実在宇宙であります。<

私は、現象世界は実在宇宙の影であって、「今この瞬間の宇宙」すなわち実在宇宙、ではないと思います。というのは、本源世界、実在宇宙は「一」でなければならないと思うからです。たくさんの天体があっても、それらがすべて「一」であるのが実相、実在宇宙であると信ずるからです。

言葉足らずですが、今日はこのくらいにさせてください。ありがとうございます。


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