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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

465復興G:2011/09/21(水) 17:45:22 ID:yhDBe2kY

>>461 :初心者様。
お答えします。

>(1)神はなぜ「実相世界」だけを創造なさったのでしょうか。ほかには何にひとつとして創造なさらなかった。<

それは、事実ではありません。「創造なさった」と、過去形で書かれていますが、神の創造は過去のことではなく、今、自分を通して創造されつつあると言えます。「実相世界」はすでに完成済みとも言えるけれども、永遠に未完成で、今創造し続けているとも言えると思うのです(矛盾するようですが、そうなのです)。「(実相を)信じてしまえば、そこが終着点」ではなく、そこが出発点となって、無限創造に向かう、フロンティアを広げようとする勇気の根源となるのが「実相生命」であると私は感じています。創造主である神は、創造を手控えられたなどということはありません。

>(2)しかも、神は、「実相世界」を創造なされたにもかかわらず、それを相対化なさらなかった。<

これも、過去のことではなく、「今」のことであります。「相対化」は、現象に展開するときにあらわれる仮の形式であります。あくまで一即多・多即一なのであります。
「現象は存在しない」というのは、鏡に写した姿は影であって、本当には存在しない、というような意味であります。

>(3)そして、神が時間と空間を創造なさったことで、現象世界だけが相対的世界として出現しました。<

「時間と空間」は、現象世界の認識の形式として仮にあらわされたもので、本来存在しない、「無」であります。「実相世界」は、その「無」の奥にあると申しますか、現象界にあらわれる一切万物発生の枢機を握る根源の「久遠の今・此処」にあります。それは「相対化される必要がなかった」というよりも、「相対化」以前の、「対立を絶した」という意味の「絶対」の世界なのであります。すべては過去のことではなく、「今」のことであります。

>(4)それと、最新の物理学では、宇宙の本質は2次元の平面であると考えられているようです。宇宙は、2次元の平面によって虚構され、映し出された立体映像であると考えられているようなのですね。<

宇宙の本質、実在(実相)宇宙というのは、次元を超えたところにある。無次元にして無限次元の世界にある、というのが本当でしょう。2次元だ、3次元だ、時間も一つの次元と数えて4次元だとかいうのは、認識の形式のことであって、本来「無」である、それを超越したものが神であり、実相生命である。それが私の「信」であります。

神こそ渾(すべ)ての渾て、
神は渾てにましまして絶対なるが故に、
神の外にあるものなし。
神は実在のすべてを蔽う。
存在するものにして
神によって造られざるものなし。
・・・・・・
生命は時間の尺度のうちにあらず、
老朽の尺度のうちにあらず、
却って時間は生命の掌中にあり、
これを握れば一点となり、
これを開けば無窮となる。
・・・・・・
空間も亦決して生命を限定(かぎ)るものにはあらず、
空間は却って生命の造りたる『認識の形式』にすぎず、
生命は主にして空間は従なり。
・・・・・・(聖経『甘露の法雨』)

であります。


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