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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

2341tapir:2016/08/26(金) 22:10:21 ID:Cw7YWKn2
>>2339

トキ様

中身の濃いご返事をありがとうございました。一つ一つうなずくことばかりです。

>ただ、問題は、総裁個人のキャラクターというよりも、特定の人を崇拝するよう
なシステムこそが問題かと感じています。

ちょうど私も同じことを考えていました。現総裁の独特なキャラクターとそれを助長した
取り巻きが教団の崩壊を早めたと言えますが、特定の人を崇拝する誤った中心帰一論が
説かれる限り、別の人が総裁に就任したとしても、遅かれ早かれ、教団の衰退、崩壊は
訪れたと思います。

今回の出来事の最大の教訓は、カリスマ性や宗教的才能を備えている総裁に、幹部・信徒
が依存して、安定した枠組みの中で深く考えずに活動するというパターンが完全に否定
されたことだと思います。信仰者として自立した個人が協力し合う集団こそが、生長の家
本来の形だという秘められたメッセージがそこにあると思うのです。

将来の生長の家について私は総裁制を廃止して、複数の代表者による合議制にしたらよい
と思っています。(合議機関を仮に「中央機関」と呼びます。)それは、生長の家が谷口家
から独立することでもあります。谷口家のカリスマ性に頼らず中央機関の求心力を保つ
には、生命の實相』を始めとする谷口雅春先生の聖典を教えの中心にすることです。仏教
でもキリスト教でも歴代の弟子たちが教祖の教典を学び伝えると同時に次々と解釈本を
発表しました。同様に『生命の實相』頭注版を根本経典として中央機関が時代に合わせた
解釈本を発表して行く、また中央機関構成員の選考基準を、「『生命の實相』を精読して、
行をきちんと体得した仁徳のある人」とすれば、求心力が保てると思います。中央機関の
構成員の最大の使命は、教区のすべての幹部・信徒を祝福礼拝することです。
政治活動、環境活動などの対社会運動は、信徒間の対立の火種となるので取組みません。
教義解釈に基づき時に応じて一定の統一見解を発表することは、慎重であるべきですが、
否定しません。発表が信徒を拘束するものではないことは言うまでもありません。

総裁制を廃止した場合の谷口家(谷口雅春先生御子孫)の立場については、運営の実権を
持たない祭祀専門職(例えば総本山または宇治別格本山の宮司)に代々就任していただく
のがよいと思います。(他の谷口家の方々が信徒と平等な選考を経て役職に着くことは可)

谷口雅宣先生がいずれ退任される場合には、いろいろあったにせよ、これまでのご努力に
感謝して、手厚く処遇する必要があると思います。追い出してハイ終りなどということを
すれば、悪業を積むことになりますから、決してよい結果にはなりません。


私の今考えていることをざっと書かせていただきました。言葉が未整理のところもあると
思いますがどうぞご賢察ください。何か問題点がありましたら、どうぞお知らせください。


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