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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
827
:
初心者
:2011/07/23(土) 11:26:27
葵新吾氏が新たに投稿しておられるが、あれを読んで意味のわかる人がおられたら、
解説してください。なぜああまでして、私憤と公憤を区別したがるのか。
私憤なら私憤でよいではないかと思うのであるが、なぜ公憤でなければ
ならないのだ?
しかも葵新吾氏は、ひとりやふたりではなく、全員が、私憤ではなく公憤だと
いっておられる。
「生長の家に人生をかけてきたのに、それを否定された」。
ふつうに考えれば、これは私憤といっていっこうに構わないのであるが、
相手が公人であるがゆえに、これは公憤であるという理屈なのか?
あたしの誤読なのか。読解力の問題なのか。
ロジックの展開がどうにも読めない。
読解力のないものにもわかるように、もうすこしわかりやすく書いて
もらいたいものだ。
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