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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
787
:
初心者
:2011/07/22(金) 14:11:12
役行者様は、すっかり伊達氏にもどってしまわれましたなあ(歎異抄)。
ところで義春殿。本流ネタで恐縮なのだが、ちと教えてもらいたい
ことがござってのお。
本流で a hope さんが注目すべき問いかけをしておられる。
a hope さんは、非常に純な心情の持ち主でごさっての、こちらで
いえば、かぴばら様に似たようなお方なのだが、その a hope さんが
「本流の運動は、現総裁憎しの運動なのか」と問うておられる。
これにたいして、コスモス氏や破邪顕正氏という、良識派と目されている
方々が答えておられるのだが、その答えを要約すれば、
「憎いからではなく、正しい教えを取り戻すためだ」
となるようにおもうのだが、正しい教えを取り戻すために対話を拒否する
というのは、いかなるロジックによるものなのだろう。
正しい教えを取り戻すためであるのなら、総裁追放だけが唯一の手段ではなく、
正しい教えを、他者に向けて語ってゆくということもひとつの手段だとおもうのだが、
それを拒否して、総裁追放だけに焦点を絞るというのは、これはいったい
どういうことなのだ。
しかもだ、総裁追放後のヴィジョンをたずねたものは即退場なのだ。
正しい教えを取り戻すためなら、追放後のヴィジョンはできているはずだろう。
なのに、それをたずねたものは追放される。
「正しい教えを取り戻すため」というのはカモフラージュであって、本心はやはり
追放だけが目的なのではあるまいか。
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