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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
572
:
初心者
:2011/07/16(土) 15:03:05
緑の意思様
義春殿とはもうそのような仲になっておられるのでありますか。
とはいえ、片思いのようでありますので、安心いたしました(両思いになったときがこわい)
わたくしもいわば折衷派ということになりそうです。
全面否定すればそれでカタがつくのかといえば、とてもそうとは思えません。
むろん教団の復興は第一でありますが、復興したあとにどうするのかとなった
ときに、そこで組織のロジックが頭をもたげて、やれオルグだのノルマだのと
なれば、何をかいわんやであります。
わたくしは何度も言っておりますが、現教団の環境問題にたいする取り組みは、
生長の家にとって、なにがしかの意味を含んだものであろうと推測しております。
「リスク社会」のリスクというのは、実現する可能性はそれほど高くはないにしても、
もしも実現すれば、人類を滅亡に追い込む可能性を持つリスクです。
可能性が高くないからといって、何もせずにほっておいてよいというものでは、
けっしてありません。けっきょく誰かが取り組まなければならない課題でありますから、
宗教団体だけは取り組まなくてもよいということにはならないと、わたくしは考えます。
ところで、現総裁の追放運動がどのようにして出てきたかといいますと、
最初に「追放すべし」との思いがあって出てきたのではなく、運動をはじめた側に
何らかの行き詰まりが生じ、その行き詰まりを打開するための「追放すべし」の発想で
はじめられた運動であったにちがいないのであります。
わたくしには、現総裁に起因する行き詰まりはいっさいありません。ですから
「追放すべし」という発想が、いきなり出てくるはずがないのであります。
行き詰まりが生じた側とそうでない側とでは、当然のことに考え方がちがって
まいります。
ただしかし、行き詰まりを打開するためだけに進められる運動が、どのような運動に
なるかは、本流掲示板を見ていればあきらかであります。行き詰まった人たちは、
なりふりかまわず打開だけを考えます。傍から見ていて、余裕というものがまったく
感じられない運動となってまいります。そうした運動に正当性がないのは、これまた
あきらかなことなのであります。
行き詰まって余裕をなくした人々の意見に流されてみたところで、どうにもなるもの
でもありません。行き詰まってない側は、少なくともより広く問題をながめることが
できているはずです。ただそのぶん、切迫感や緊張感にやや欠けるという問題点は
ありますでしょうから、そこでおたがいの意見をすり合わせるという作業が必要になって
くるものと考えます。
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