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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
46
:
初心者
:2011/06/16(木) 17:02:39
「内部と外部」ということで、昨日のつづきを書きます。
世の中とは何なのでしょう。わたくしは、世の中とは、自分がなすべきことを人が代わりにやってくれるシステムだと考えます。自分で食べるもの作らなくても、農家の方々が代わりに作ってくれます。自分で戦わなくても、野球選手やサッカー選手が代わりに戦ってくれます。自分で世の中をよくしようとしなくても、政治家が代わりにやってくれていそうです。自分で歌わなくても、歌手が代わりに歌ってくれます。
野生の生き物だとこういきません。食べ物を探し、求愛の相手をさがし、敵と戦い、安全な場所を確保するということを、基本的にはぜんぶ自分でやらなければなりません。
人の世というのは、自分のなすべきことのほとんどを、人が代わりにやってくれるというシステムなのです。では、キリスト教会や仏教や神道の神社仏閣は、何のためにあるのでしょう。それは、自分の代わりに神仏を信じ、自分の代わりに神仏に祈ってもらうためであるのかもしれません。
教会や神社仏閣には、自分で信じなくても代わりに信じてくれる人たちがいます。代わりに祈ってくれる人たちがいます。その人たちが、自分の代わりに何もかもやってくれています。それだからこそ人は、安心して神仏を疑い、神仏をけなすことができるのかもしれません。どうやら人は、神仏を疑い、けなすことだけは自分でやろうとしているようです。
宗教に組織が必要かどうかということが議論されているようですが、もしも必要であるとするなら、それは組織に、自分の代わりに神仏を信じ、祈ってくれる人がいるということでしょうか。自分の代わりに、なすべきことをほかの誰かがやってくれる。これが世の中の仕組みであるとするなら、宗教組織にも、それなりの存在価値があるといえるのかもしれませんね。
これまでは世間の内部の話でした。これから外部の話をします。外部の人々とは、自分を先鋭化させた人々なのです。先鋭化した考え方を持つようになると、自分の代わりをやってくれそうな人の数が減ってきます。先鋭化とは、自分の代わりができる人々の数が減るという現象なのです。
思想を先鋭化させ、その結果として高い理想を持ってしまった人がいたとします。この高い理想を、自分の代わりに実現してくれそうな人が、世の中にそう簡単に見つかるはずがありません。高い理想を持ってしまった人は、誰も代わりやってくれない理想の実現を、すべて自分でやらなければならなくなってしまうのです。
教団の内部にいれば、不幸にして抱いてしまった高い理想を、自分の代わりに実現してくれそうな人を見いだすのは、それほど難しいことではありません。あの人ならやってくれそうだ。そんな気にさせてくれる人のひとりやふたりは、かならず見つけられるはずです。
教団の外部にひとたび出れば、自分の代わりに理想を実現してくれそうな人を見いだすのは、はなはだしく困難となります。理想の実現をぜんぶ自分でやらなければならなくなってしまいます。高い理想を持てば持つほど、誰も代わりにやってくれない孤独のなかで、理想を実現できない自分を責めさいなむことになります。
今の生長の家に、はたして内部はあるのでしょうか。内部はすでに消滅し、外部だけになっているということはないのでしょうか。教団の職員の方々もふくめて、多くの信徒の方々の苦悩とは、内部が消滅し、いやおうなく外部におかれた人々の苦悩なのではないでしょうか。
その苦悩とは、高い理想を持ってしまった人々が、自分の代わりに理想を実現してくれそうな人々を見いだせなくなった、そんな苦悩であるのかもしれません。すべては、野生の生き方を忘れ、自分がなすべきことを、ほかの誰かが代わりにやってくれるという、そんな世の中のシステムに慣れすぎてしまった結果であるのかもしれませんね。
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