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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

314復興G:2011/07/07(木) 21:08:24
>>302 トキ様
>>310 初心者様
 あたたかい歓迎のレスを頂戴し、心歓喜に満ち踊っております。感謝感激です。ありがとうございます。

 実はわたくし、村上和雄・筑波大学名誉教授の最新刊
『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』
(2001年7月6日すなわち昨日初版発行となっている)
 を早々と入手し、読んでおりました。村上先生は生長の家にもよく知られたなじみの深い方ですね。
 この本のオビのキャッチコピーに、
「『祈る力』はすべてを変える!
 困難にあえぐ日本への
 遺伝子工学の権威による愛と希望のメッセージ」
とあり、この本からも「真理とはなんと面白いものだ!」という力をいただいたよいうな気がします。
 それについて後ほど少しくわしく書かせて頂きたいと思っていますが、まず強く私の心に響いたフレーズを、いくつか列挙させて頂きますと、
●「人は、無力だから祈るのではなく、
 祈りには思いもよらない力があるから祈るのです。」
●「祈り」という復興へのエネルギー
 (ちなみに、私がHNに「復興」という字を使ったのは、
  このタイトルの影響によります。)
●「アホ」な祈りが日本の力になる
●私たちは、困難をやりがいに変換できる遺伝子を、誰もが持っている。そのスイッチをONにするのも、OFFにしてしまうのも私たち次第。せっかく、ONになった遺伝子のスイッチをOFFにしないためには、「ダメ」というような、ネガティブな言葉は封印してしまいましょう。
●「世界で起こる問題の原因は、私たち自身にあります。そして、その解決も、また私たち自身から始まるのです。世界を変えるのに必要な力は、あなた自身にあるのです」
・・・・・・等々。また、
●「ありがとう」と言えば「ありがとう」と感謝したくなるような世界が現れ、「ばかやろう」と言えば「ばかやろう」と怒りたくなるような世界が現れる。
 ──と、どこかでよく言われている言葉も出てまいります。

 さて、今日は七夕ですが、「万教包容の神示」は昭和七年の今日七月七日朝神示、となっています。この神示には

「キリスト教では聖地エルサレムが世界の中心であると言い、大本教では丹波の綾部が世界の中心であると言い、天理教では大和(やまと)の丹(たん)波(ば)市(いち)が世界の中心であると言い、天行居(てんこうきょ)では周(す)防(おう)の岩(いわ)城(き)山(やま)が世界の中心であると言う。世界の中心争いも久しいものである。併しわれは言う、それらは悉く皆世界の中心であると。一定の場所が世界の中心だと思っているものは憐れなるかな。生命の実相の教えが最も鮮やかに顕れたところが形の世界の中心であるのである。そこは最も世を照らす光が多いからである。基督(キリスト)教でもイエスの教えがエルサレムに最もよく輝いていた時代はエルサレムが世界の中心であったのである。天理教でも教えの光が最もよく輝いていた時代は大和の丹波市が世界の中心であったし、大本教でも教えの光が最もよく輝いていた時代は丹波の綾部が中心であったのである。わが行きてとどまるところは悉く世界の中心であるのである。(中略)生命の実相の顕現する所、説かるる所、読まるる所、その悉くが世界の中心である。」

とあります。ということは、「総本山だけが聖地であると思っているものは憐れなるかな。生命の実相の教えが鮮やかに顕れたところは、いずこも世界の中心であって聖地である」ということにもなると思われます。違うでしょうか?


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