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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
294
:
山ちゃん1952
:2011/07/06(水) 22:16:45
トキ様
ありがとうございます。
まず、組織がどうして今までの意見と異なる思想の持ち主である雅宣氏を
容認したのかである。
それは外部団体の反論や反国家に対するものに強いリーダシップは今まで
強い自負を持っていました。だが雅宣氏は当初は内部に対して強い圧力をかけてきました、
それは「雅春先生」という信仰の根源のような統率力のある「霊性の指導者」
のお孫さんだから、間違いがないという根本的な誤りがあった。
内部から「左翼的思想」には砂上の楼閣に過ぎなかった「生長の家」という組織
であった。
それは内部の思想統率者が残念ながら、雅宣氏の我侭を防御できなかった。
森田先生は「谷口家」と継ぐ人ですからと答弁されていた。
たしかにそうかもしれないが、素養というのがなければ、信徒は路頭に迷うのである。
理論構築を出来る強い組織の要請です。もちろん今の生長の家にもとめていません。
それが生長の家の歴史的把握なのです。
それでは
>「絶対に服従」「従順に従う」「絶対の従順さをもってそれに服する」等々の言葉
を見れば、「上置者の意見」には「ハイ」と従うのが「神の意志」であると受け取る
のが普通であります。<
それはどれだけ信用しているかが問題なのです。普通は上置者という言葉は使用しませんが
ある面「上」に対する「下」という言葉が対峙している言葉なのです。
それでは今はどういう状態かというと面受腹背なのです。本当に面授していないのです。
私は「本来の絶対服従」というのは師弟に対する信頼関係から発すると思って
います。
この言葉が生長の家に書かれたのが「生命の實相」19巻ですね。昭和16の発行ですが、
昭和11年頃〜昭和14年頃に生長の家誌に書かれた文章だと思います。
昭和11年頃の問題として「光明思想普及会」の代表者である佐藤勝身氏の
社長辞任と「家庭光明寮」の寮主の問題がありました。
また光明思想普及会の社員が一部引き連れて叛乱した事件というのが
生長の家の伸張に大きな影を落しました。
そういう歴史があってのこの言葉であると思っております。
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