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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  2

1970トキ:2011/11/09(水) 20:13:37 ID:LVf.XwNI
>>1968

初心者様

 はい、その点はその通りだと思います。真理の探求と救済との間には、距離があります。

 最近は大学も開放的になり、社会人学生などを受け入れるようになりましたが、昔の大学などは、「大学の自治」とか
言って、結構、閉鎖的だったみたいです。まあ、理科系の大学はそうではないですが、文科系の学科では、学者と実務家
との間には深い壁があり、実務家は実務家で理屈よりも現実を優先し、学者は理論が命で現実を無視していたような印象
がありました。
 が、このような傾向はだんだんと影を潜め、実務家と学者は交流する事で、お互いに有益な関係を作っています。
初心者様も理科系だったと記憶しておりますが、理系では実験をすると理論と実験結果との間には齟齬は必ず生じます。
それを修正する事で、理論をより精緻に修正する事ができます。つまり、理論と実務が手を結び、交流する事で、理論
の質を高くし、実務の内容を充実させているのです。また、理論は実験で証明されて、始めて実証性を持ちます。

 同じ事が、宗教の世界でも言えると思います。

 救済と真理探究の例えで言えば、救済を実務、真理は理論と言えると思います。理論は理論、実務は実務と分ける
のではなく、理論と実務が相互に交流し、お互いを高める。そういう関係がこれからの宗教に求められると思います。

 だいたい、大学でもそうですが、国民の税金を使って真理の研究をさせるのは、何らかの形で国民の利益になると思う
から、国会も国民も応援をしているのです。

 ですから、真理探究と救済との間の距離を何らかの形で埋める。個人としてはともかく、教団の運営の方針としては、
そういう努力は必要だと考えています。

合掌 ありがとうございます


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